まず、この怪談の裏は取れなかった
結論から書く。「呪いのキティグッズ」という怪談そのものは、複数の経路でリサーチを重ねても独立した裏付けとなる情報源が見つからなかった。
当時のインターネット文化を扱う個人ブログ、チェーンメールのアーカイブを集めたサイト、掲示板の過去ログまとめ、オカルト系まとめサイト。時代背景が近い媒体を横断的に検索した。「一九九〇年代後半から二〇〇〇年代にかけて特定のキティグッズが夜中に物音を立てた」という話。「グッズを手にした人物が実際に体験を語った」という話。それでも、そうした話に触れている一次情報は一件も確認できなかった。
だから、この物語の最も誠実な結論は、実話として拡散された確かな痕跡は見つからない、体裁だけが怪談らしく整えられた言説、というものになる。無理に体験談を創作するつもりはない。この一線ははっきりさせておきたい。
その一方で、ハローキティというキャラクターには、ネット上で長年語られてきた本物の都市伝説がいくつも存在するんだよな。ここからは、そのうち特に語られる頻度が高い系統を掘っていく。口がない理由をめぐる噂、本当は猫ではないという衝撃の公式発表、それに海外での不気味な体験談報道だ。
「口がない理由」に、悪魔が出てくるバージョンがある
最初は口の話。いちばん広く語られているのが、ハローキティに口が描かれていない理由をめぐる噂だ。
公式の説明から。現デザイナーの山口裕子氏は、初代デザイナー・清水侑子氏の考えを受け継いだ。口を描いてしまうと表情が限定されてしまうため、見る人が気分で自由に表情を想像できるよう、あえて描いていないと語っている。喜んでいる人が見れば一緒に笑っているように、悲しんでいる人が見れば一緒に悲しんでいるように感じられる。感情移入のための余白としての無表情、というわけだ。
ちなみに一九九〇年代にアニメ化された際には口が描き足されたことがあった。山口氏は後にこれを「失敗だった」と振り返っている。二〇〇六年ごろから再び口を描かない方針に戻したという経緯も語られている。
ところがネット上、特に英語圏を発端とする掲示板やまとめサイトでは、まったく別の不穏な由来が流布してきた。内容はこうだ。
一九七〇年代のイギリスに、口腔癌を患い余命わずかとなった十四歳の少女がいた。苦しむ娘を見かねた母親は、なんとかして救おうと悪魔と契約を交わす。悪魔は「少女の口を奪う代わりに命を助けよう」と持ちかけ、母親はその条件をのんでしまう。
少女は一命をとりとめた。声を発する術も、感情を言葉で表す術も失った。この哀れな少女の姿こそが、のちにハローキティのモチーフになったのだという。
この話が日本語圏のネット上でどの掲示板、どの投稿者によって最初に語られ始めたのかは特定されていない。海外の都市伝説サイトやQ&Aサイトを介して、断片的な形で輸入され定着していったとみられる。確たる一次資料は見当たらなかった。
物語自体は、キティの現実の誕生の経緯とは何の関係もない。一九七四年に清水侑子氏がデザインしたキャラクターであり、悪魔の契約が入り込む余地はない。完全な後付けの創作だ。
それでも「無表情で微笑み続けるキャラクター」という記号が、いかにホラー的な想像力を刺激しやすいか。その点では実に示唆的な派生譚だ。
「キティは猫じゃない」を、サンリオが認めてしまった日
もう一つ面白いのが、二〇一四年の一件だ。長年ファンの間で半信半疑のまま囁かれていた、「キティは実は猫ではないのではないか」という噂。それがサンリオ自身の公式コメントによって裏付けられてしまった。
発端は同年八月。ハワイ大学の人類学者クリスティン・ヤノ氏が、ロサンゼルスでの展覧会準備の過程でサンリオ側に取材した際の回答だった。サンリオの広報担当者はこう説明したという。ハローキティは猫でなく、猫をモチーフにした、二本足で歩く擬人化キャラクターだ。これは隠していた事実でなく、キティが誕生した当時からの設定だ、と。
この情報がロサンゼルス・タイムズ紙で報じられるや、瞬く間に世界中へ拡散した。SNS上では「Hello Kitty」がトレンド入りするほどの騒ぎになる。ワシントン・ポストや人民日報など、海外の大手メディアまでもが取り上げたという。
日本国内の反応を見ると、「知っていた」「当然だと思っていた」という冷静な声も少なくない。熱心なファンやサンリオの設定に詳しい層にとっては、さほど目新しい話ではなかったらしい。キティは作中設定上、ロンドン郊外の赤い屋根の家に暮らす、明るくて優しい女の子だという。
商社マンの父・ジョージと元ピアニストの母・メアリー、双子の妹ミミィと共に暮らす。自身はペルシャ猫のチャーミーキティとハムスターのシュガーをペットとして飼っている。細かい家族設定まで公式に用意されているのだ。
「キティは猫ではなく人間の女の子である」というのは、都市伝説というより最初から存在していた公式設定だ。それが海外メディアの取材によって大々的に再発見され、話題になった。珍しいケースだ。
この一件は、ネット上で「都市伝説が公式によって裏付けられた」事例としてしばしば取り上げられる。他のサンリオキャラクターの裏設定、たとえば血液型がA型に設定されているような細部と合わせて紹介されることも多い。
タイで報じられた、盗まれたぬいぐるみの話
海外の体験談報道としてしばしば言及されるのが、二〇二二年七月にタイ中部で報じられたという出来事だ。
タイ現地メディアの報道によれば、その年の五月、ある人物が交通事故で亡くなった。その人物が生前大切にしていたハローキティのぬいぐるみがあった。友人からもらったプレゼントで、ドライブのたびに車に乗せるほど気に入っていたという。ぬいぐるみは事故の際、車体が大破するほどの衝撃を受けながら、なぜか無傷のまま残っていたとされる。
事故車がスクラップとして保管されていたところ、あるカップルがそのぬいぐるみを見つけ、持ち帰ってしまった。ところが同じ夜、監視カメラの映像には、深夜二時ごろ顔面蒼白になって戻ってくる二人の姿が記録されていたという。カップルの証言によれば、自宅に持ち帰った直後から寝室で人影のようなものを目撃し、金縛りに遭った。さらには何者かに首を絞められるような感覚を味わったとされる。
この話は、あくまでタイの現地報道と、それを紹介した日本のニュースサイト経由で伝わってきた噂・体験談だ。事実として確認されたものではない。ただ、物語の型は日本の「呪いの人形」怪談とも構造が共通している。可愛らしいキャラクターグッズに、持ち主の無念や事故の記憶が宿るという型だ。キャラクターグッズと死や事故というモチーフが結びつきやすいことを、改めて示す一例ではある。
名前だけを利用されてしまった、香港の実在事件
ハローキティという名前を検索すると、必ずと言っていいほど行き当たる事件がある。一九九九年に香港で発生した、通称「ハローキティ殺人事件」だ。
先に断っておくが、サンリオのキャラクターそのものが事件に関与しているわけでは一切ない。事件の概要はこうだ。金銭トラブルに端を発し、二十三歳のナイトクラブ勤務の女性が複数の男によって監禁・暴行を受けた。およそ一か月後に死亡した、というものだ。
遺体の一部が、当時香港で人気のあったハローキティのぬいぐるみの頭部に詰められて処理されたという。この事件がその名前で広く知られるようになったのは、後処理に関わるこの痛ましい経緯による。
サンリオというブランド、あるいはキャラクターとしてのキティは、この事件でまったくの偶然で名前を利用されてしまった。被害者的な立場にある。事件と可愛らしいキャラクターという強烈な対比が、香港犯罪史上でもとりわけ記憶に残るものにした一因だとされる。のちに映画やテレビドラマの題材としても取り上げられ、香港の戦後を象徴する凶悪犯罪の一つとして繰り返し言及されてきた。
ネット上の怪談まとめや考察系動画で紹介される際には、キティの無垢さと事件の凄惨さとの落差が強調されやすい。これが「ハローキティは本当は呪われている」という漠然としたイメージの土壌になっている可能性は、十分に考えられる。これは現実に起きた刑事事件であり、当時すでに司法手続きを経て加害者の処分が確定している歴史的事実だ。
詳細な事件経過には、これ以上立ち入らない。なぜハローキティという名前が凶悪事件と結びついてしまったのか。その背景の説明にとどめておきたい。
なぜ「可愛いキャラクター×呪い」は繰り返し生まれるのか
並べてみると、ハローキティをめぐる噂には性質のまったく異なる四つの系統が並存しているのがわかる。オカルト的な創作由来譚である口がない理由。公式設定が都市伝説として消費された猫ではない話。海外の体験談報道であるタイのぬいぐるみ。無関係な凶悪事件との名前の結びつきである香港の事件。
共通しているのは、ハローキティという記号が世界的にあまりに広く浸透しすぎている、という一点だ。だからそこに何を投影しても物語として成立してしまう。
無表情で微笑み続けるキャラクターに対して、人間は表情の読み取れなさそのものに落ち着かなさを感じる。心理学や民俗学の分野でもしばしば指摘されてきたことだ。同じ微笑みが幸せそうにも不気味にも見えてしまう。この両義性こそが、ハローキティを単なる可愛いマスコットの枠を超えて、都市伝説の主役に押し上げ続けてきた理由なのだと思う。
「呪いのキティグッズ」のような、裏付けの取れない創作らしき怪談は、これからも新しく生まれ続けるだろう。それは、このキャラクターが持つ根源的な読めなさに対して、人々の想像力が尽きないことの証拠でもある。
