骨董屋の籠の底に、正二十面体が転がっていた
骨董品集めが趣味だった恋人の桜子が、街外れの古びた骨董店で妙なものを掘り出した。埃をかぶった籠の底だ。正二十面体の、変な置物。
金属なのか樹脂なのか、触っても分からない。表面には複雑な溝が彫り込まれている。値札はついていなかった。
店の奥から出てきた老店主は、それを見た瞬間、ほんのわずかに顔をこわばらせた。だがすぐに愛想笑いを浮かべ、黄ばんだ紙の説明書を差し出してくる。
説明書には英語と、ラテン語らしき文字が並んでいた。名前は「RINFONE」。面を押す、回す、引く。この操作を組み合わせると、熊、鷹、魚の順に姿を変える古いパズル玩具だという。
桜子は一目惚れした。店主の言い値をちょっとだけ値切って、六千五百円ほどで買って帰った。
その夜から、桜子は完全に取り憑かれた。仕事から帰ると食事もそこそこに机へ向かい、面を組み替えては唸る。徹夜が数日続いた末、まず「熊」が完成した。全身に毛並みを思わせる細かい凹凸が浮かび上がる。二人はただ、精巧な玩具だなあと感心していた。この時点では。
次は「鷹」だった。翼を広げた形が完成に近づいたころから、桜子の携帯に見慣れない着信が入り始める。発信元の表示は二文字だけ。
「彼方」。
恐る恐る出てみると、雑踏のようなざわめきが延々と流れている。やがてその中から、男女入り混じった無数の声が、一斉に呟くのが聞こえた。
「出して」
語り手である恋人の方にも異変が来た。夜ごと同じ夢を見るようになったのだ。暗い谷底のようなところから、一糸まとわぬ姿の群衆が這い上がってくる。そして足首を掴んで叫ぶ。「連れて行って」。
もう玩具だけの話じゃなくなっていた。二人の生活そのものに、影が落ち始めていた。
耐えかねた二人は、評判のいい占い師を訪ねる。ところが家に入った瞬間、飼われている猫たちが一斉に毛を逆立てた。激しく威嚇して、二人を部屋の外へ追い立てる。
それでも何とか事情を話した。占い師は桜子の背後を見て、獣のような輪郭のものが張り付いていると告げた。そして青ざめた顔で言う。帰ってください、と。
食い下がって尋ねると、占い師は堰を切ったように叫んだ。
「あれは凝縮された、極小の地獄です。地獄の門なんです」
帰宅してリンフォンを確認すると、鷹の形はすでに崩れかけていた。代わりに浮かび上がりつつあったのは、魚の背びれと尾びれの輪郭だ。
これ以上完成させてはいけない。二人は震える手でリンフォンを布に包み、燃えるゴミとして捨てた。その日を境に、着信も、群衆の夢も、ぴたりと止んだ。
ここまでなら、ただの呪物の話で終わる。落ちが来るのはこの先だ。
数週間後、桜子が一枚の紙を差し出した。そこには「RINFONE」のアルファベットを並べ替えた文字が書いてあった。
INFERNO。地獄。
もし魚が完成していたら、門は開いていたのか。あの日確かに捨てたリンフォンは、本当に清掃工場で焼かれたのか。それとも回収品として、別のどこかの骨董店の籠の底に、また静かに紛れ込んでいるのか。
二人には、もう確かめる術がない。
2006年5月、洒落怖に投げ込まれた一本
複数のオカルトまとめサイト・考察サイトの見解は、ここについてはほぼ一致している。「リンフォン」は2006年5月13日前後、2ちゃんねるオカルト板の「死ぬ程洒落にならない怖い話持ってる奴ちょっとこい」系列スレッド、いわゆる洒落怖に投稿された体験談だ。
投稿者名は「RINFONEⅠ」名義だったと紹介されることが多い。当時から「これ創作だろ」という疑いは根強くあった。それでも洒落怖屈指の長編・名作として、二十年近く語り継がれている。
うまいのは、投稿者が実体験として語りながら、証拠になるはずの写真データは削除済みだと説明している点だ。最初から検証を不可能にしている。この構造が、話の完成度を一段上げている。
モチーフの元については諸説ある。ただ、考察系サイトが繰り返し指摘するのは、クライヴ・バーカー原作のホラー映画「ヘルレイザー」シリーズだ。あそこに出てくる「ルマルシャン・コンフィグレーション」、解くと地獄の扉が開くパズル箱である。
面を組み替えると異形の姿に変わり、完成させると地獄が開く。この骨格は、確かにあの映画的モチーフを日本の掲示板怪談の文体へ翻案したもの、と読める。
派生と考察を、一つずつ潰していく
変形順序・動物数違い型。 原話は熊・鷹・魚の三段階。だがまとめサイトや二次創作では、途中に蛇や蟹を挟んで四段階、五段階に増やした型がある。最終形態が魚ではなく蛇、あるいは人間になる型も語られる。人間になる型は露骨だ。地獄から出てこようとしている何かの輪郭が、そのまま暗示される。
店主故意犯行説。 あの骨董屋の店主、正体を知った上でわざと売りつけたんじゃないか、という説。根拠は最初の「顔をこわばらせた」表情である。あれは驚きじゃなく、「やっとこれを手放せた」という安堵の表情だった、と読み替えるわけだ。掲示板の考察スレでよく盛り上がる論点になっている。
回収・再出現型。 捨てたはずのリンフォンが、清掃工場や廃品回収の過程で誰かの手に渡り、別の骨董店や土産物店の棚に戻ってくるという後日談型。この派生では、アナグラムに気づいた桜子の台詞のあとに、旅行先の土産物店で色違い・サイズ違いのリンフォンを見かけた、というエピソードが接続されることがある。つまり呪物は一個じゃないのだ。
二個目実在説。 再出現型がさらに発展したやつ。そもそも最初から複数個のリンフォンが世に流通していたのではないか、と考える。考察勢の中には、キリスト教が弾圧されていた時代に、信仰の象徴を密かに伝えるための道具として複数作られた、というやや学術寄りの空想を語る者もいる。
キリシタン呪物説。 これがいちばん人気の考察だ。リンフォンを禁教時代の隠れキリシタン由来の呪物とみなす。熊・鷹・魚という変形の順番を「陸・空・水」、つまり世界の支配領域を段階的に埋めていく過程と解釈する。そして最終形態の「魚」を、迫害下のキリスト教徒が隠れて使った暗号シンボル「イクトゥス」になぞらえるのだ。
ΙΧΘΥΣ、ギリシャ語で「イエス・キリスト・神の子・救世主」の頭文字を組み合わせた、魚の記号である。
魚が完成する。それは信仰の完成であり、同時に禁忌の完成でもある。この読みが、アナグラム「INFERNO」の発見と噛み合った瞬間、ただの偶然だったはずのものが物語上の必然に化ける。この説が人気なのも分かる。
「見た」と言っている人たちの話
「島根の土産物屋」型。旅行好きを名乗る投稿者が、松江城近くの土産物屋の棚の奥で、リンフォンによく似た正二十面体のパズルを見かけたと書き込んでいる。値札はない。店員に尋ねても「昔からある古い品」としか答えが返ってこない。写真を撮ろうとした瞬間、電池残量が突然なくなって撮影できなかった。真偽は分からないが、後味は悪い。
「着信履歴」型。パズル本体には触れていないが、「彼方」という発信元表示だけを見たという体験談も散見される。ある投稿者は深夜、非通知とは違う「彼方」という文字の着信を受けた。恐る恐る取ると、回線の向こうから無数の人声のようなノイズだけが聞こえたという。通話履歴を確認すると、発信時刻も番号も一切記録されていなかった。
「猫の異常反応」型。占い師や霊媒を名乗る投稿者から、来客の背後に「動物のような何か」が見えたという書き込みが、まとめサイトへ転載されている。猫が人間より先に異変を察知するというモチーフ自体は、洒落怖系ではおなじみの演出だ。リンフォン固有のものではない。それでも派生語りの中では、かなりの頻度で踏襲されている。
「捨てた後も止まらない」型。原話と違って、廃棄後も異変が完全には収まらなかったとする体験談もある。ゴミ収集の日に限って周辺の野良猫や鳥が異常に騒ぐ。廃棄場所の近くを通ると原因不明の耳鳴りがする。後日談としての余韻を、あえて残す作りになっている。
テレビ放送で、また新しい読者が生まれた
洒落怖系のまとめサイトで、リンフォンは常連だ。「構成が映画的で完成度が高い」「アナグラムの落ちが見事すぎる」として、名作選に何度も選ばれてきた。
考察系のYouTube動画やnote.comの記事では、アナグラム「RINFONE=INFERNO」の発見に至る過程そのものがクライマックス扱いされている。実は最初からタイトルに答えが書いてあった、という種明かしの巧さが、繰り返し称賛されるわけだ。
ピクシブ百科事典には関連するイラスト・小説タグが大量に投稿されていて、二次創作の題材としても人気を保っている。
そして2023年5月17日、フジテレビ系「何だコレ!?ミステリー2時間SP」で再現ドラマとして映像化された。これが大きかった。放送をきっかけに話を初めて知った層が流れ込み、新規の考察・感想投稿がSNSで一時的に急増している。
一方で、「実際にこのパズルを見た」という目撃談への評価は冷静だ。洒落怖として楽しむための創作である、という見方が大勢を占めている。実物の存在を裏付ける確実な資料は、今のところ見つかっていない。
結局、リンフォンとは何だったのか
はっきりさせておくと、リンフォンという名称・製品・説明書に対応する実在のメーカーや発売記録は確認されていない。正二十面体の変形パズルという玩具そのものが、リンフォンとして流通した実例も見当たらない。
占い師の反応、猫の威嚇、着信と超常現象の因果関係。どれも客観的な証拠はない。
だから現時点でいちばん穏当な位置づけは、こうなる。「ヘルレイザー」的なパズル×呪物というモチーフを下敷きにして、英単語のアナグラムという言葉遊びの妙を核に組み上げられた、2ちゃんねる発の創作怪談。
ただ、それで終わらないのがこの話の厄介なところだ。完成度が高すぎたせいで、「本当にあった話」として何度も語り直され、テレビドラマ化までされ、イラストになり、二次創作になった。原話一本の枠をとっくに超えている。ネットロアの到達点の一つ、と呼ばれるのはそういう理由だ。
作り話だと分かっていても、骨董屋の籠の底を覗くとき、ちょっとだけ手が止まる。それがこの話の勝ちなんだと思う。
