ビデオを再生していると、画面の端を何かが横切る。速い。速すぎて、通常再生では気づかない。気づくとしたら、コマ送りにしたときだけだ。
一時停止して一コマずつ送っていくと、そこに棒がいる。細長い、半透明の、鉛筆みたいにまっすぐな胴体。その両脇には、三対か四対の、帯みたいなひれ。ひれは静止していない。
前のコマと次のコマで位置がずれていて、まるで波打っているように見える。イカのえんぺらを、うんと細長くして、空中に浮かべたような動き方だ。それが五コマか六コマで画面を通過して、消える。あとには何も残らない。
撮影者は撮っているあいだ、そんなものは見ていない。虫も鳥も見ていない。なのに映像にだけ、それがいる。これがスカイフィッシュだ。
1990年代後半から2000年代前半にかけて、世界中のオカルト好きが熱狂した。日本のテレビ局は大真面目に捕獲作戦を打ち、棒は食玩になり、腕時計になり、漫画のキャラクターにまでなった。今では正体がほぼ完全にわかってしまった、あの棒の話をする。
- ビデオを止めたときにだけ、それは姿を現した
- 1994年3月、ロズウェルの空を撮っていた男がコマ送りボタンを押した
- ツバメの洞窟に落ちていく男たちのカメラが、群れを撮ってしまった
- 「スカイフィッシュ」という名前は、日本で生まれた
- テレビが本気で網を張った日――日本列島スカイフィッシュ狂騒曲
- 食玩の棚にネッシーと並んでいた棒
- 種明かしは、露光時間という退屈な数字の中にあった
- 時速300キロという数字は、どこから湧いて出たのか
- 2003年11月、日本テレビのスタジオでハエが正体を明かした
- 中国の製薬会社の敷地に張られた、巨大な網
- 風洞と高速度カメラ――アメリカ側の最終検証
- 深海から来た、という説
- 三次元に収まりきらない、という異次元生物説
- 日本で妙に愛されたプラズマ生命体説
- 古代からいた、という説
- 軍事機密の飛行体である、という説
- 六甲山の展望台で、手の甲が切れた
- 撮っているときは、何も見ていなかった
- 地獄谷に単身で入っていった男
- 掲示板と考察界隈は、この結末をどう飲み込んだのか
- 高画質になったら、いなくなった
- 肉眼では見えず、機械にだけ映る――記録装置が生む怪異の系譜
- なぜこの棒は、正体がバレても消えないのか
ビデオを止めたときにだけ、それは姿を現した
最初に、スカイフィッシュが「どう見えたか」を、ちゃんと言葉にしておきたい。ここを飛ばすと、なぜ当時あれだけの人間が本気になったのかが伝わらないからだ。
典型的なスカイフィッシュの映像は、だいたいこうなっている。背景は空か、洞窟の暗がりか、山肌。そこに、画面の対角線をぶった切るように、白か黒の細い線が現れる。線は一本の棒として認識される。
太さは均一ではなく、中央がわずかに膨らんでいて、両端に向かって細くなる。魚雷とか、ミサイルとか、タチウオとか、当時の紹介記事はいろんな比喩を使った。要するに紡錘形の細長い胴体だ。
その胴体の左右に、等間隔のひだが並んでいる。これが最大の特徴だった。ただの棒なら誰も騒がない。ひだがあるから、生き物に見える。
しかもそのひだは、胴体の全長にわたって規則正しく並んでいて、あきらかに「構造」があるように見えた。節があって、節ごとに翼がある、という説明までされた。まるでムカデを引き伸ばしたような、あるいはカンブリア紀の海の生き物を空に放り出したような、そういう異形。
コマを先へ送ると、そのひだの位置が次のコマではずれている。ひれを波打たせて動いているように見えるわけだ。発見者も、この動きを「コウイカが水中を進むときのひれの波打ちと同じだ」と説明していた。空気を水のように扱って、うねりながら泳いでいく生き物。だから欧米では「棒」と呼ばれたそれが、日本では「空の魚」になった。
最後の一撃は速度だ。毎秒30コマで撮っている映像を五コマで横切るということは、六分の一秒で画面を端から端まで通過したということになる。もし撮影者から35メートル離れたところを飛んでいたと仮定すると、その速度は時速277キロ。新幹線と同じだ。
もし1メートル級の生き物が新幹線並みの速度で顔の横を飛び抜けたなら、風圧も音も感じるはずだ。なのに、誰も感じていない。
肉眼では見えない。捕まらない。死骸も出ない。でも、機械にだけ映る。この四点セットが揃った瞬間、スカイフィッシュは最強の怪異になった。
1994年3月、ロズウェルの空を撮っていた男がコマ送りボタンを押した
始まりは1994年3月、アメリカ・ニューメキシコ州。ロズウェルから南に9マイルほど下ったミッドウェイという場所で、ホセ・エスカミーラという男がビデオカメラを構えていた。ロズウェルというのがまた出来すぎている。1947年7月に「空飛ぶ円盤が墜落して米軍が回収した」と報じられた、あのロズウェルだ。
UFO界の総本山みたいな土地で、エスカミーラはUFOを撮ろうとしていた。彼は映像編集を20年やってきたプロデューサー兼ディレクター。映像の扱いには慣れていた。3月5日、彼は白昼のUFO映像を16分ぶん撮影した。それだけでも彼にとっては人生最大の出来事だったという。
ところがその14日後、3月19日。撮った映像を編集室でチェックしていた彼は、まったく別のものに気づく。空を、蛇のようなものが横切っていた。虫や鳥も同じ映像に映っていたが、それとは明らかに違う。細長くて、脇に何かがついていて、あり得ない速さで通過していく。
最初、彼はそれを「カメラ内部のノイズか誤作動だろう」と考えた。まともな判断だ。それでも彼は再撮影を敢行する。しかも今度はカメラを2台使った。すると、2台とも同じような棒状の物体を捉えていた。
ノイズなら2台のカメラに同じものが映るはずがない。彼はそう考えた。こうしてエスカミーラは、これを「ロッド」と名づけた。棒。そのまんまの名前だ。
別の呼び名として「エア・ロッズ」「ソーラー・エンティティ」も使われた。ロッドという語が選ばれた理由にも、逸話がひとつ伝わっている。彼の映像を見た看護師が「顕微鏡で見る桿菌にそっくり」と言ったのがきっかけだった、って話だ。
ここからの彼の動きは早かったんだよな。専用のウェブサイトを立ち上げ、自主制作のビデオ作品を作り、講演ツアーに出た。UFO関連の学会やコンベンションを回り、テレビにも次々出た。
出た先はアメリカの主要ネットワークのニュース番組に、ゴシップ系の情報番組。教育系のチャンネル、イギリスの放送局、スペイン語圏のトークショーもある。彼の経歴一覧を眺めると、90年代後半のオカルト系メディアという枠を、ほぼ全部踏破している。
決定打のひとつが、1999年5月25日のラジオ。アメリカの深夜のオカルト系ラジオ番組に、エスカミーラが出演した。そのときラジオの音声と同時に、彼のロッド映像がインターネットで生配信された。当時としては相当に前のめりな試みだ。リスナーは電話をかけながら映像を見て、「これは虫でも鳥でもない」と口々に言った。
彼はそこで、ロッドは「コウイカのようなうねる波状のひれ」で推進し、時速200マイルで大気中を泳ぐ生物だと語っている。エスカミーラの主張は最後まで一貫していた。ロッドは実在する。地球外由来かもしれないし、そうでないかもしれないが、少なくとも既知の生物ではない。彼は生涯この立場を崩さず、2018年12月に60歳で亡くなった。
ツバメの洞窟に落ちていく男たちのカメラが、群れを撮ってしまった
エスカミーラの映像だけなら、ここまでの騒ぎにはならなかったかもしれない。火に油を注いだのが、メキシコの巨大な縦穴だ。サンルイスポトシ州、アキスモンから20マイルほどのところに、ゴロンドリナス洞窟がある。ゴロンドリナスはツバメの意味で、日本語では燕の洞窟と紹介されることが多い。
地上の穴の直径が50メートル前後、そこから垂直に370メートル落ちている。世界有数の巨大な縦穴だ。夜明けと夕暮れには、無数のアマツバメやインコが渦を巻きながら穴を出入りする。
1996年11月、マーク・リクトルという撮影者が、この穴に飛び込むベースジャンプを撮影していた。縁から飛び降りて、四、五秒フリーフォールし、パラシュートを開いて底に着地する。彼はそのカメラマンだった。撮影中、彼は変なものを見ていない。鳥と虫は認識していたが、それだけだ。
ところがその映像がテレビで放送されたあと、彼のもとに一本の電話がかかってくる。相手はエスカミーラだった。あなたは自分が何を撮ったかわかっているのか、と彼は言った。あなたのテープにはロッドが映っている、と。
リクトルが自分の映像を見返すと、確かに映っていた。しかも大量に。暗い縦穴を背景に、白い棒が何本も、上から下から斜めから、縦横無尽に横切っていた。
同じ画面のなかに鳥もいるし、虫もいるし、パラシュートで降りていくジャンパーもいる。だから比較ができる。鳥は鳥に見え、虫は虫に見え、棒だけは棒にしか見えなかった。
この映像が世界中に配信され、ゴロンドリナス洞窟は「スカイフィッシュの巣窟」「聖地」ということになった。深さ370メートルの縦穴に、未知の飛行生物のコロニーがある。そう言われれば絵になる。この洞窟の映像は、日本のテレビ番組でも繰り返し使われた。
なお、あとで詳しく書くが、この洞窟が「聖地」になった理由はきわめて散文的だ。羽虫が多く、しかもカメラを暗い縦穴に向けて構えるから背景が暗く、明るい虫のブレが浮き上がって見えやすい。ただそれだけである。真面目な自然ドキュメンタリー番組が高速度カメラを持ち込んで同じ穴を撮ったときには、謎の生物などひとつも映らなかった。
「スカイフィッシュ」という名前は、日本で生まれた
ここが日本の読者にとって一番おもしろいポイントかもしれない。「スカイフィッシュ」という呼び名は、日本で定着した和製の呼称だ。欧米では基本的に「ロッズ」「フライング・ロッズ」「エア・ロッズ」、要するに「棒」系の名前で呼ばれてきた。形状をそのまま呼んだだけの、身も蓋もない名前だ。
ところが日本に入ってきた段階で、これが「空飛ぶ魚」に変換された。空を泳ぐ、という比喩が先に立ったわけだ。この差はけっこう大きい。「棒」と呼ぶかぎり、それはモノだ。無機物の可能性も残る。
でも「魚」と呼んだ瞬間、それは生き物になる。ひれがあって、泳いで、群れて、繁殖地があって、餌を食べる何かになる。日本のスカイフィッシュ像が、やたらと生物めいた方向に膨らんでいったのには、この名前の効果があったと思う。
皮肉なことに、この和製の呼び名は逆輸出された。現在では英語圏の記事でも「スカイフィッシュ」という表記がしばしば見られる。日本のテレビが作った名前が、本家の呼称のひとつになってしまったわけだ。
テレビが本気で網を張った日――日本列島スカイフィッシュ狂騒曲
日本でのブームの厚みは、正直、本国アメリカを上回っていたんじゃないかと思う。きっかけは複数のバラエティ番組だった。フジテレビ系の『奇跡体験!アンビリバボー』、『これマジ!?』、それに日本テレビ系の『特命リサーチ200X』。海外のドキュメンタリー枠でも紹介された。
番組制作にあたっては、専門の調査会社が取材協力に入っていた。日本のスカイフィッシュ報道は、かなりの部分が同じ情報源から出ていた形跡がある。やり方も徹底していた。単に「こんな映像があります」と流すだけではない。
ロケ隊を組んで、実際にゴロンドリナス洞窟まで行った。そこで現地撮影をする。スタッフは撮影中、一匹も目撃していない。にもかかわらず、持ち帰った映像をスロー再生すると、大量のスカイフィッシュが映っている。この落差が、テレビ的にはこの上なく美味しかった。
『アンビリバボー』はさらに踏み込んで、映像解析までやった。画面上の移動距離から速度を割り出したのだ。カメラから35メートルの位置を飛んでいたと仮定して、最大時速277キロ、体長は約1.2メートルという数値を出した。この「時速277キロ」「時速280キロ以上」という数字が、以後の日本のスカイフィッシュ記事の定型句になる。
『アンビリバボー』と『これマジ!?』は、粘着テープを使った捕獲作戦も試みている。スカイフィッシュが通ると思われる空間に、大量の粘着面を張る。棒状の生物が飛んでくれば、くっつくはずだ、という発想である。結果は失敗。何もくっつかなかった。
『アンビリバボー』は、通常のビデオカメラだけでなくハイビジョンカメラも投入している。ここが決定的な瞬間だったのに、当時はほとんど誰も気づかなかった。通常カメラで撮ったスカイフィッシュは、きれいな一本の棒に見えたんだ。ところが同じ場所をハイビジョンカメラで撮ったスカイフィッシュには、節のようなコブコブがついていて、ムカデっぽくなっていた。
番組はそれを「より詳細に捉えられた」と紹介した。でも本当は、これは「どちらも残像である」ことの証明だったのだ。走査線が増え、コマ数が上がれば、残像の刻み方が変わる。当たり前の話だ。その当たり前が指摘されるまでには、もう数年かかることになる。
日本にはご当地の聖地も生まれた。兵庫県神戸市の六甲山だ。理由づけは例によって壮大だった。六甲山には数多くの断層が走り地磁気異常が認められる、だから電磁波が出て、スカイフィッシュが集まる、というロジックだった。ロズウェルと同じくUFOの目撃談が多い土地でもある、というおまけつきだ。
六甲山のなかでも、地獄谷という難所と、五助山の奥のダムが繁殖地とされた。雑誌が「ここでは高確率で撮影できる」と煽り、テレビ番組が現地に住む「スカイフィッシュ研究家」を訪ねていった。研究家は、幼少期に巨大なスカイフィッシュに助けられた話や、六甲山の地下には空洞があって巨大な未確認飛行物体がいる話をしたという。
撮影中には「亜空間が発生した」と宣言し、映像に映った黒い物体を見て「金龍です、これは金龍です」と興奮していたという。視聴者からは「どう見ても虫」というツッコミが入っていた。それも含めて、全部がコンテンツになっていた。しかもこの時期、六甲山のスカイフィッシュには「人を襲う」という属性まで追加されている。
これを読んで本気で心配になった神戸在住の登山愛好家が、地獄谷に単独で入って捕獲を試みたという記録が残っている。道なき道を三時間歩き、崖を登り、滝に行き当たり、疲労困憊して撤退した。当然、スカイフィッシュには遭遇していない。
食玩の棚にネッシーと並んでいた棒
日本での浸透度を測るのに、いちばんわかりやすい指標がある。フィギュアになった回数だ。2000年代初頭、日本では食玩ブームが起きていた。未確認生物やオーパーツや宇宙人までがフィギュア化された時代だ。
ここでフィギュアになれるのは、基本的に大御所に限られる。ネッシー、ビッグフット、モスマン、ジャージーデビル、ツチノコといった面々だ。マイナーどころは、せいぜい一社が気まぐれに作る程度にすぎない。
ところがスカイフィッシュは、当時UMA食玩を出していた三社すべてから、合計四回もフィギュア化されている。メディコムトイの「大神秘博物館」に、UHA味覚糖の「コレクト倶楽部 七不思議編」と「帰ってきた七不思議編」。株式会社ハートの「ムー未確認生物UMA」もある。しかも2019年10月にはフルタ製菓が「チョコエッグキッズ UMA未確認生物」を出した。そこにも蓄光の単色フィギュアとしてラインナップされた。
発見からわずか数年で、スカイフィッシュはネッシーと同格の扱いを受けていたわけだ。歴史50年のUMAと、歴史5年のUMAが、同じ棚に並んでいた。造形は悲惨だったらしい。
棒の両側にひだをつけただけの形なので、フィギュアにするとどうやっても地味になる。それでも作られた。それだけ名前が売れていたってことだ。
フィクションへの波及も早かった。筆頭は荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』第6部『ストーンオーシャン』だ。ここには「ロッズ」を操るスタンド「スカイ・ハイ」が登場する。使い手はリキエルという青年で、ロッズは体温を奪って生きる寄生性の生物として設定されている。
作中では凝った生態まで用意された。群れで移動し、遠隔地に生息し、メスは空中で産卵する。その祖先は3億から4億年前のギボシムシの類にまで遡る、という設定だ。現実のスカイフィッシュは「カメラの残像」で決着した。それとは対照的に、この作品では「肉眼で見えないほど速く、体温を糧にする実在の生物」として、むしろリアリズムの側に置かれている。
作中でも、現実そのままのエピソードが語られる。メキシコの縦穴洞窟にスカイダイビングした一団が偶然撮影してしまい、そのあと日本の取材陣が捕獲を試みて失敗した、というものだ。アニメでは『交響詩篇エウレカセブン』にも姿を見せた。
時代が下って、九井諒子の『ダンジョン飯』では、マルシルが召喚した使い魔が「スカイフィッシュ」の姿を取る。こいつは倒されたあと、「スカイフィッシュ&羽チップス」として調理される。この回はネット上で再現料理の題材として人気になり、のちにぬいぐるみとして商品化までされた。全長60センチ、中にプラスチックのボーンが入っていて折り曲げられるという仕様である。
棒状の未確認生物が、最終的に手芸品として量産される。ここまで来ると感慨深いものがある。腕時計の文字盤にもなった。UMAシリーズの一枚として、いまも受注生産で売られている。
種明かしは、露光時間という退屈な数字の中にあった
さて、正体の話をする。ここがこの記事の背骨なので、数字を出しながら丁寧にいく。最初に押さえたいのは、ビデオカメラというものが世界をどう記録しているかだ。当時主流だった家庭用ビデオカメラは、一秒間に30コマの静止画を記録していた。
正確には毎秒およそ29.97コマなのだが、ここでは30でいい。しかも当時の記録方式はインターレース走査といって、一枚の絵を偶数段と奇数段の二回に分けて描いていた。だから実際の時間刻みは、一秒間に60フィールドになる。
ということは、一フィールドの露光時間は、およそ60分の1秒。カメラのシャッター速度を手動でいじらないかぎり、だいたいこのあたりに落ち着く。60分の1秒というのは、静止したものを撮るぶんにはまったく困らない。動いているものを撮るとなると、絶望的に長い。
写真をやる人ならわかるだろう。動きの速い被写体を止めて写したければ、300分の1秒とか1000分の1秒とか、そういう領域のシャッター速度が要る。ここで虫の側の数字を持ってくる。
ハエは一秒間に100回以上羽ばたく。蚊にいたっては300回から600回。ミツバチが200回から240回。比較的ゆっくりなトンボでも25回から35回だ。
この二つの数字をぶつけると、何が起きるか。露光時間60分の1秒のあいだに、ハエは羽を1回から2回動かす。30分の1秒なら3回以上だ。そのあいだ、虫の胴体は前進し続けている。カメラは、その時間ぶんの光をぜんぶ一枚の絵に足し込んで記録する。
結果、一コマの中に何が焼き付くか。胴体が移動した軌跡が、一本の線になる。胴体は常に光を反射しているから、この線は連続した棒として写る。これが「棒状の体」の正体だ。
次は羽。羽は上下に振れているので、一回の羽ばたきのなかで、カメラに向かって強く光を反射する角度が一回だけある。羽が水平に近くなった瞬間だ。その瞬間だけ羽が明るく光る。
ところが虫は前進しているから、次に羽が光るときには、位置が少し前にずれている。だから一コマの中に、進行方向に沿って等間隔に並んだ、複数の光る羽が記録される。これが「等間隔に並んだひれ」の正体だ。ひれではない。
羽ばたきの周期を、露光時間という物差しで刻んだ目盛りである。一コマに三回羽ばたけば三対のひれが、六回羽ばたけば六対のひれが並ぶ。当時のスカイフィッシュの解説記事には「ひれは三対ずつあるのが一般的だが、稀に四対以上」と書かれていた。あれは要するに、一コマあたりの羽ばたき回数の話をしていたのだ。
なぜ胴体は明滅せず、羽だけが点々と刻まれるのか。胴体は角度によらず常に光を反射しているのに対し、羽は特定の角度でしか強く光らないからだ。この非対称が、あの「棒プラス等間隔のひだ」という、いかにも生物めいたシルエットを作り出した。
コマ送りにすると、ひれの位置が前後にずれて見える。当たり前だ。次のコマでは、虫はまた別の位置で羽ばたいているのだから。人間の脳はこのズレを「波打っている」と解釈する。
エスカミーラがコウイカのひれに例えた、あの推進運動。あれは、羽ばたき位相と露光タイミングのズレが生んだ、純粋なアーティファクトだった。
ちなみに、映るのは虫でなくてもいい。カメラに残像を残す程度の速さで動く物体なら、何であれそれらしく映り込む。蛍光灯のように高速で明滅する光源の下なら、羽ばたきしない被写体でも点線状のスカイフィッシュ様の像になり得る。落ち葉や種子が風に舞っただけの映像を「撮影成功」と報告した例は無数にある。
時速300キロという数字は、どこから湧いて出たのか
もうひとつ、スカイフィッシュ伝説の柱だった「超高速」も、同じくらいあっさり崩れる。問題は距離の見積もりだ。画面上での移動量から速度を計算するには、対象までの距離が必要になる。ところがスカイフィッシュは肉眼で見えないので、距離を実測した人間は一人もいない。
だから当時の解析は、全部「仮にこのくらい離れていたとしたら」という前提の上に建っていた。『アンビリバボー』が出した時速277キロも、35メートル先を飛んでいたと仮定した場合の値だ。ここで、日本の懐疑派団体の調査員が使った例えがわかりやすい。
手を伸ばして富士山の頂上を指さし、一秒かけて指を下ろして裾野を指す。このとき、あなたの指は秒速3776メートルで動いたことになるだろうか。ならない。指はせいぜい数十センチしか動いていない。
同じことがスカイフィッシュにも起きていた。本当はレンズの前、数十センチのところを普通の虫が普通の速さで通っただけだ。それを35メートル先の物体だと仮定して計算したから、時速277キロという数字が出た。体長1.2メートルという推定も同様だ。距離を百倍に見誤れば、大きさも速度も百倍になる。
現実の数字を並べておこう。イエバエの飛行速度は時速6キロから9キロ程度。散歩と軽いジョギングのあいだくらいだ。トンボや一部の蛾なら時速30キロから50キロ出せるが、それでも新幹線には遠く及ばない。
カメラから35センチのところを時速3キロで通過する体長1.2センチの虫。それを35メートル先に置き換えると、時速300キロで飛ぶ体長1.2メートルの怪物になる。ただそれだけの、算数の話だった。
2003年11月、日本テレビのスタジオでハエが正体を明かした
理屈はわかった。では、それを目に見える形で突きつけたのは誰か。日本のテレビ番組である。ここは日本人として、ちょっと誇っていい話だと思う。
『特命リサーチ200X』は、1996年10月27日から2002年1月27日まで日本テレビ系列で放送された。ドラマ仕立ての情報バラエティだ。その後、2002年2月3日から2004年3月7日まで『特命リサーチ200X-II』として続いた。
架空の民間調査機関のエージェントが、依頼を受けて超常現象や奇病を調べ上げるという構成。初期はUFOやUMA、口裂け女といった都市伝説、心霊現象などを扱っていた。
2003年11月にこの番組がスカイフィッシュを取り上げたとき、やったことは恐ろしくシンプルだった。専門家の監修のもと、同じハエを、家庭用ビデオカメラと高速度カメラで同時に撮影する。それだけだ。
結果は残酷なほど明快だった。家庭用ビデオカメラの映像には、これまでテレビで散々流されてきたスカイフィッシュと寸分たがわぬ棒が映っていた。細長い胴体に、等間隔のひれ。同じ瞬間を高速度カメラで撮った映像のほうには、羽の一枚一枚まではっきり止まった、ごく普通のハエが飛んでいた。
同じ被写体。同じ瞬間。違うのはカメラだけだ。この並置は、どんな長い理屈よりも強かった。
番組が提示したのは「モーションブラー現象」という言葉だ。スカイフィッシュが肉眼で見えなかったのも、誰も捕獲できなかったのも、当然のことだったと結論づけた。放送直後の反応は、二つに割れた。
ひとつは「感激した」というものだ。当時の掲示板には「謎の生物スカイフィッシュの正体を解明したのには感激した。ただのハエ」という書き込みが残っている。長年UFOやUMAを面白おかしく煽ってきた番組が、ちゃんと自分たちで実験して結論を出したことへの評価だった。
もうひとつは、笑いだ。「スカイフィッシュの正体をやった数日後に、他局がスカイフィッシュが実在するかのように放送してたのは笑った」という書き込みもある。テレビ全体としては、まったく足並みが揃っていなかった。
中国の製薬会社の敷地に張られた、巨大な網
「実験で再現できた」の次に必要なのは、「実物を捕まえたら何だったか」だ。それをやったのが中国だった。2005年5月から6月にかけて、吉林省通化市にある製薬会社の敷地で、防犯カメラが例の棒を捉えた。エスカミーラの映像とそっくりの、あれである。
社内の研究者たちは首をひねった。誰も正体がわからない。そこで彼らが取った手段が、身も蓋もなくて素晴らしい。網を張ったのだ。
カメラが棒を捉えている、まさにその空間に、巨大な網を設置する。同じ防犯カメラで撮り続ける。すると映像には、「ロッド」が網に向かって飛び込んでいく様子が、はっきり記録された。
網を確認した。中にいたのは、蛾と、その他ごく普通の飛翔昆虫。それだけだった。この一件は、2005年8月に中国中央電視台が二部構成のドキュメンタリーとして放送した。
結論は、映像に現れる飛行ロッドは、カメラの記録速度が遅いことによって生じる光学的な錯覚である、というもの。この実験の何がいいかというと、「映像上の像」と「物理的な実体」を、同じ時間・同じ場所で切り分けた点だ。理屈も、再現実験も、突き詰めれば「そう説明できる」でしかない。
けれど網に何が入っていたかは、説明じゃなくて事実だ。しかもこの検証をやったのが、オカルト懐疑論者じゃなく、単に不思議に思った製薬会社の技術者たちだった。そこがまた効いている。
風洞と高速度カメラ――アメリカ側の最終検証
本国アメリカでも、けじめはつけられた。2008年1月9日、ヒストリーチャンネルの人気番組『モンスタークエスト』が放送したのは、第1シーズン第11話「未確認飛行生物」だ。この回は、やれることを全部やっている。
最初の問いは、そもそもロッドは飛べるのか。アイオワ州立大学航空宇宙工学のフイ・フー教授のチームが、ロッドの模型を二種類作った。円筒形の胴体に柔軟な翼をつけたものと、剛体の翼をつけたもの。これを風洞に入れて飛行特性を調べた。
柔軟翼モデルは極端に不安定で安定した揚力を生めず、剛体翼モデルは安定していたが、抗力に対して揚力があまりに小さかった。あの形は、空を飛ぶ設計として最悪だったわけだ。
番組内では苦しい反論も紹介された。「もし異次元の存在なら、この次元に見えている部分だけを風洞に入れても意味がない」というものだ。とはいえ、それはもう検証の外側の話だ。
次に、生物学からの検討。エクセター大学のロビン・ウットンは、ロッドの映像は既知のどの昆虫にも似ていないとした。そのうえで、有翅昆虫の初期の祖先の姿には似ていると述べた。3億6000万年ほど前、可動する小さな翼で滑空を安定させていた原始的な昆虫だ。
ただし彼らはとっくに絶滅していて、現代に生き延びられるほど完成された生物ではなかった。ウットンの見立ては、ロッドは昆虫というより発射体に近い、というもの。鳥類の可能性も潰された。
鳥類学者と観察者に映像を見せたところ、候補になりうるのはハチドリだけだという結論になった。ハチドリは毎秒70回まで羽ばたくので、ブレやすい。ところが問題の中国の映像はハチドリの分布域外で撮られている。彼女たちは「これは鳥というより虫に見える」と言った。
いよいよ本命の実験だ。高速度カメラの専門家ピーター・シュミッツが、二種類のカメラを並べてセットした。毎秒30コマの通常カメラと、毎秒500コマから2000コマの高速度カメラだ。両方の画面に時刻を表示する時計を入れて、同じ瞬間を突き合わせられるようにする。
最初はハチドリを撮ろうとしたが、餌台に猛禽が張り付いていて一羽も来なかった。番組は仕方なく夜の屋外へ移動。藪を叩いて虫を飛ばすと、通常カメラは教科書に載せられるくらい完璧な「ロッド」を捉えた。同じ瞬間、高速度カメラに映っていたのは――蛾だった。
光学の理屈、再現実験、実物捕獲、空力解析、生物学的検討、同時撮影による直接比較。ロッドを説明するために必要なピースは、これで全部揃った。
深海から来た、という説
ここからは、正体判明までの間に膨れ上がった仮説を、ひとつずつ見ていく。どれも当時は大真面目に語られていた。最初は「深海説」、というより古代水生生物説だ。唱えたのは生物学者のケン・スワーツ。スカイフィッシュの正体はアノマロカリスの生き残りが進化したものだ、という主張である。
アノマロカリスはカンブリア紀の海に棲んでいたバージェス動物群の代表格だ。細長い胴体の両側に、波打たせて泳ぐためのひれ状の遊泳肢が並んでいる。確かに、シルエットだけ見れば似ている。
この説の傍証とされたのが、スカイフィッシュが水中に入っていく映像がある、という主張だった。海から空に生息域を移し、5億年を生き延びた古代生物。ロマンとしては最高峰だ。当時の紹介記事は、この説を「究極の説」と呼んだ。もう何でもありだ、という半ば呆れた口調で。
言うまでもないが、形が似ているだけでは血縁の証拠にならない。それにアノマロカリスは水の抵抗を使って泳ぐ生物だ。空気中で同じことをやろうとしても物理的に成立しない。風洞実験が示したとおりだ。
三次元に収まりきらない、という異次元生物説
次が異次元説だ。スカイフィッシュが物理的に捕獲されず、死骸も出ず、肉眼で見えないのはなぜか。そもそも三次元世界に完全には存在していないからだ、という説である。
これはそこそこ理論武装されていた。古典的な思考実験がある。四次元の存在が三次元空間を横切れば、我々には突然現れて突然消えるように見える、というものだ。著名な天文学者もそういう話を書いている。
ブラウン大学の数学者が「理論的には次元間を横切る存在はあり得る」と述べたことも、番組では引用された。異次元からの訪問者は認識すること自体が困難だろう、と。エスカミーラ自身も主張していた。集めた2000点以上のロッド画像のなかには、映像の中でフェードインしフェードアウトしているように見えるものがある、と。これが「次元をまたいでいる証拠」とされたわけだ。
この説の致命的な弱点は、反証のしようがないことだ。どんな検証実験に対しても「それは我々の次元に見えている部分だけを調べている」と言えてしまう。風洞実験にも、本当にそう反論された。何を言っても否定できない主張は、強いようでいて、結局何も説明していない。
日本で妙に愛されたプラズマ生命体説
日本でとくに好まれたのがプラズマ説だ。この国のオカルト言説には、プラズマという単語が定期的に召喚される時期がある。スカイフィッシュもその餌食になった。
論法はこうだ。発光する未確認飛行物体の多くはプラズマで説明がつく、という説がある。プラズマは電磁波の交差点で発生し、その交差点をずらすだけで高速移動する。慣性を無視した急発進、急停止、鋭角ターン、分裂、合体、消滅。全部できる。
おまけにプラズマは、容器の中で発生させたあと容器を外しても形を保つ。蛇のように蛇行し、複数の塊が集まったり離れたりする。生物のように振る舞うわけだ。だからプラズマでできた生命体がいてもおかしくない。スカイフィッシュはそれだ、と。
この説には土地の話がくっついていた。スカイフィッシュが多発する場所は電磁波が発生する場所だ、という主張である。メキシコのゴロンドリナス洞窟にも、神戸の六甲山にも、多くの断層が走っていて地磁気の異常が認められる。その断層から出る電磁波をエネルギー源にして、プラズマ生命体が飛んでいる、というわけだ。
もっともらしく聞こえるが、順序が逆である。スカイフィッシュがよく撮れる場所というのは、単に羽虫が多くてカメラを向ける人間が多い場所だ。断層はあとから理由づけとして持ってこられた。
ちなみに当時から、この手の説を切り捨てるオカルト系サイトも存在した。「本を売りたいのか名前を売りたいのか、金目当てで平気で嘘を言う」という手厳しさだ。身内からも呆れられていた説である。
古代からいた、という説
「最近になって現れたのではなく、昔からいたのだ」というのも、定番の補強論法だった。根拠として最初に持ち出されたのが、アルゼンチンで見つかった1000年前の石彫だ。そこに刻まれた図像がロッドによく似ている、と。
カメラが存在しなかった時代の人間が、なぜロッドを描けたのか。答えは簡単で、昔の人間は目が良かったから肉眼で見えていたのだ、という説明が用意された。
番組は生物人類学の教授を招き、こんな話をさせている。印刷物やテレビ画面ばかり見ている現代人は、眼筋を動かさなくなって視力が落ちている。非識字社会の人間の平均視力は現代の基準より上だ。古代人はもっと遠くまで鋭く見えたはずだ、と。
もうひとつが、1891年にインディアナ州クロフォーズビルの新聞に載った記事だ。深夜の午前2時ごろ、屋外で働いていた製氷業の男が二人、空を横切る奇妙な物体を見た。全長20フィート、幅8フィート、頭も尾もなく、ひれのような付属肢で推進し、空を泳ぐように進んでいったという。新聞はこれを「頭のない怪物」「空の怪物」と呼んだ。
もっともらしい系譜のように見えるが、この論法にも同じ穴がある。細長くて何かがひらひらしている図像や記述は、世界中どこにでもある。あとから「これもロッドだ」と拾い集めれば、いくらでも歴史は作れる。日本の懐疑派調査員が指摘したとおり、「スカイフィッシュがテレビで話題になる以前に、スカイフィッシュに言及した話は聞いたことがない」のだ。
軍事機密の飛行体である、という説
いちばん現代的だったのが、軍事説だ。きっかけは2002年10月20日、ニューヨーク州オールバニの空港で起きた出来事である。フォトジャーナリストのブランドン・モウリーが、空港で映像を撮っていたときのことだ。撮影中は何も気づかなかった。
ところが映像を見返すと、離陸していく旅客機のすぐ近くを、翼のついたミサイルのようなものが通過していた。数コマだけ。大きくて、速い。
彼はこれをジャーナリストのダン・バジルに見せた。バジルにも正体がわからない。念のため空港に連絡すると、空港側も識別できず、当局に通報した。結果、テレビ局にあった映像は連邦捜査局に押収された。番組が取材した時点でも、当局は「案件は継続中でコメントできない」と答えている。
この一件が「ロッドは軍の秘密兵器だ」という説に火をつけた。傍証として集められたのが、2003年にバグダッドで爆発のあとに撮られた写真に写っていたロッドだ。スウェーデン軍の演習で戦車の近くに映ったロッドなども挙げられた。軍事作戦の周辺でロッドが撮られることが多い、という主張になったわけだ。
1999年5月にオクラホマシティを襲った巨大竜巻を報道ヘリが撮影した映像にも、雲から出てくる巨大な棒が数コマ映っていた。これは軍というより天候の話だ。それでも「異常事態の現場に現れる」という印象を強化するのに使われた。
冷静に考えれば、話は逆だ。軍事演習、爆発現場、竜巻報道。どれも「複数の高性能でないカメラが、屋外で、長時間回り続けている状況」である。虫がレンズの前を横切る機会が単純に多い。それだけのことだ。
六甲山の展望台で、手の甲が切れた
ここからは体験談を三つ。どれも当時から繰り返し語られてきた話だ。ひとつめ。今から二十年以上前の夏、N子さんは大学のサークル仲間と、神戸の六甲山の展望台に遊びに行った。眼下に神戸の街を見下ろしながらの、他愛のない話。
すると友人のMが突然、このあたりスカイフィッシュが出るんだよ、と言い出した。まさか、と誰かが返す。本当よ、この間も撮った写真に写ってたんだから。Mはそう言って、カバンから一枚の写真を取り出した。
青空の下に広がる神戸の街。その手前でMが満面の笑みでピースサインをしている。おそらく同じ展望台で撮られたものだ。Mの顔のまわりには、いくつもの棒状の物体が、直線を描いていた。
ね、間違いなくスカイフィッシュでしょ。だからさあ、みんなで写真を撮ろうよ。きっと今日も写るよ。
そそのかされるまま、彼女たちは手持ちの使い捨てフィルムカメラで、展望台の周りを何枚も撮り始めた。フィルムには枚数の限りがある。N子さんはファインダーを覗いて、慎重にシャッターを切った。周りでもパチパチとシャッター音がしている。
何枚目かのシャッターを押しているときのことだ。痛い、と声が出た。手に激痛が走って、彼女はカメラを落とした。慌てて手を見ると、手の甲が血まみれになっていて、何かが当たったような傷がついている。
何が当たったんだろう、とハンカチで血を拭っていると、周りからも「痛い」「痛いっ」と声が上がった。見渡すと、全員が手や顔を押さえて痛がっている。あのMも含めて。パニックになって、彼女たちは逃げるように展望台を後にした。
後日、そのフィルムを現像した。青空の広がる六甲の展望台。人物は写っていない。スカイフィッシュを撮ろうとして周囲を写したものだろう。
ところが画面の端に、もじゃもじゃとした白い棒状のものが何本も写っていた。それは撮影が進むごとに、だんだん手前に近づいてきていた。最後の一枚では画面いっぱいに白い直線が縦横無尽に走り、そこでフィルムは終わっていたのだ。
二十年以上経って、当時の写真は行方不明になってしまった。それでもN子さんは、あの手の傷は六甲山に集まってきたスカイフィッシュにやられたものだと思っている。
この話は、スカイフィッシュ怪談としては珍しく「実害」が出るタイプだ。ふつうスカイフィッシュは無害で、ただ映るだけの存在として語られる。それが人を傷つけるという話になったところに、六甲山という土地に紐づいたローカルな怖さがある。
撮っているときは、何も見ていなかった
ふたつめは、当事者の証言としてもっとも有名なやつだ。メキシコの縦穴で撮影した、あのカメラマンの話である。1996年11月、マーク・リクトルは仲間とともにゴロンドリナス洞窟にいた。
目的は、この穴に世界で初めてベースジャンプで飛び込むこと。縁から飛び降り、四、五秒のフリーフォールを経てパラシュートを開き、370メートル下のどこかに着地する。彼は撮影担当だった。
最初の何回かの遠征では、ロッドなど見ていない。そもそもロッドという概念自体を知らなかった。ただ飛んで、撮っていただけだ。
鳥はいたし、虫もいた。それは認識していた。でも、あの棒は見ていない。音も聞いていない。
映像がテレビで流れたあと、電話がかかってきた。あなたのテープに何が映っているか、わかっていますか。電話の主は、エスカミーラ。
言われて見返して、彼は驚愕した。スロー再生し、コマ送りにすると、画面の中を無数の棒が飛び交っていた。しかも同じ画面に鳥がいて、虫がいて、パラシュートで降りていくジャンパーがいる。比較対象が全部揃っている。棒は、鳥にも虫にも似ていなかった。
通常再生では、ロッドは一瞬で通過してしまう。スローにして、さらにコマ送りにする。一コマ、二コマ、三コマ、四コマ、五コマ。五コマで画面を横切りきる。
毎秒30コマで撮っているのだから、これは尋常な速さではない。だから肉眼で見えなかったのだ。彼はそう結論した。世の中には「あれは速く飛ぶ虫だ」と言いたがる人がたくさんいるが、自分はそうは思わない、と彼は語っている。
この証言は、スカイフィッシュ信仰の構造をきれいに要約している。「自分は見ていない、でも機械は捉えた」。ここまでは事実だ。
問題はそこから先だ。「だから肉眼で捉えられないほど速い」と読むか、「だから肉眼で捉える必要がないほど小さくて近い」と読むか。同じ事実から、正反対の結論が出る。彼は前者を選んだ。
地獄谷に単身で入っていった男
三つめは、ブームの熱に浮かされた側の話。2000年代、神戸に住むある会社員が、雑誌の記事を読んだ。六甲山にはスカイフィッシュがいて、しかも人を襲う、と書いてあった。記事に添えられていたのは「六甲山で目撃されたスカイフィッシュの模型」なるもの。
どう見ても小学生の落書きみたいな代物だったが、それはそれとして、彼は本気で心配になった。趣味は山登り。六甲山には何度も登っている。そんな危険な生物がいるなら、登山者が危ない。
彼は、目撃例がもっとも多いとされた地獄谷に向かった。六甲山最大の難所と言われる場所で、彼にとっても初めてだった。道らしい道はない。手つかずの沢を、水の流れる岩場を、出っ張りに手足をかけて登っていく。
慎重に足場を選びながら、同時にスカイフィッシュを探しながら進む。条件は最悪で、いつもの倍の時間がかかった。やがて滝に出た。近づいてみると、自分の身長の倍以上ある崖。
迂回路も梯子も見当たらない。すでに三時間以上歩き、疲労は限界に来ていた。当然、スカイフィッシュには一匹も遭遇していない。
目の前には崖。戻るにも三時間。これ以上いれば日が暮れる。夜の地獄谷を歩き回るのは、怪我や遭難、下手をすれば死につながる。そのうえ、スカイフィッシュが人を襲うという話も気になっていた。
撤退だった。登山口の茶屋で水を飲みながら、彼は「俺は何も知らずにここに来た、認識が甘かった」と呟いたという。飲んでいる水は、なぜか塩味だったそうだ。
この遠征記のいいところは、書いた本人が最初から半分ネタとして書いていることだ。それでいて、三時間の遡行と撤退の判断は本物である。オカルト雑誌の一記事が、生身の人間を実際に山へ送り込む。スカイフィッシュ・ブームには、そういう力があった。
なお、時代が下って2016年1月、あるネットニュースの記者が同じ六甲山に行っている。持っていったのは、毎秒120コマ撮影できるスマートフォンだ。狙いはモーションブラー説を打ち破ることだった。場所は諏訪山展望台と、水晶山に近い裏六甲。
三脚に固定して撮影し、映像を確認すると、何かが横切っていた。来た、と思った。拡大して確認すると、葉っぱと茎が舞っているだけ。もう一台のカメラに映っていたのは、裏六甲を背景に楽しそうにジャンプする本人の姿だけだった。
掲示板と考察界隈は、この結末をどう飲み込んだのか
正体が割れたあと、信じていた側はどう気持ちを整理したのか。ここがいちばん人間くさくて面白い。反応は、大まかに三つに分かれた。
ひとつめは、素直に感心する層。当時の掲示板には「謎の生物スカイフィッシュの正体を解明したのには感激した。ただのハエ」という書き込みがある。「噂の真相の解明では、大いに評価される番組だと思う」とも。
彼らにとってスカイフィッシュは、信仰の対象じゃなく、面白い謎だった。だから解けたら解けたで嬉しい。むしろ、煽るだけ煽って放り出す番組が多いなかで、ちゃんと決着をつけたことが評価された。
ふたつめは、笑う層。「スカイフィッシュの正体をやった数日後に、他局がスカイフィッシュが実在するかのように放送してたのは笑った」という書き込みが象徴的だ。テレビは一枚岩ではない。片方の局が解明した翌週に、別の局が何食わぬ顔で「謎の未確認生物」として放送する。
この温度差が、そのままテレビというメディアへの信頼度の答え合わせになった。あるブログ主は、正体判明後にわざわざ当時の捕獲映像を探して見返したと書いている。スカイフィッシュ採りの名人と称する人々が次々出てくるのを、「スカイフィッシュなんていないんだってば」と心の中でツッコミながら楽しんだ、とも。シャツをめくって「これがスカイフィッシュにつけられた傷だよ」と見せるおじさんまでいたそうだ。
みっつめが、認めない層だ。発見者のエスカミーラは最後まで反論し続けた。「すべてのロッドが昆虫で説明できるわけではない」「あの洞窟の映像には、昆虫では説明できないサイズのものがある」と。
日本でも、オカルト系メディアの編集者が語っている。「スカイフィッシュの目撃情報が聞かれなくなったというのは表向きの情報で、オカルト界では日々報告されている。近年はUMAの目撃情報を一辺倒にフェイクニュース扱いする傾向があり、大手メディアで取り上げられにくくなっているだけだ」と。この立場からは、最初に撮影されたのがロズウェルだったという点が重視される。
面白いのは、この三つめの層の中に、半信半疑を積極的に選ぶ人々がかなりの数いたことだ。「別に本気で信じてるわけじゃないが、夢がないから認めたくない」という人たちである。
前述のネットニュース記者は、記事の最後をこう締めている。今回撮れたのはスカイフィッシュではなく、毎秒120コマの六甲山と自分のジャンプだけだった。それでも、きっとスカイフィッシュは実在する。モーションブラーなんて夢のない話は禁句である、と。
これは信仰ではなく、態度表明だ。正しさより面白さを選ぶという宣言。1990年代生まれのあるタレントは、小学生の頃を振り返っている。ネッシーよりスカイフィッシュのほうが人気だった、キーホルダーを付けていた、キャラクターとして商品化されていた、と。
そのうえで、「肉眼では見えないから未確認生命体であり、映像や写真だけに写るというのはロマンがあるじゃないですか」と語っている。彼女は残像説も理解している。理解したうえで、可能性のほうに賭けたいと言っている。
テレビの責任論も、ないわけではない。あれだけ煽っておいて、正体がわかった途端に何事もなかったかのように次のネタに移った、という不満は当時からあった。ただ、日本の視聴者の多くは、そこにあまり本気で怒らなかったように見える。テレビが煽るのは仕様だと、みんなどこかで思っていた。そのうえで、その中に本気の実験がひとつ混ざっていたことのほうを、面白がったのだ。
高画質になったら、いなくなった
ここからが、この話の一番きれいな皮肉だ。スカイフィッシュは、ビデオカメラが一般家庭に普及したから生まれた。1990年代、誰もがハンディカムを持ち歩き、運動会や旅行や日常を撮り、それを家で見返す時代になった。
その膨大な映像の総量のなかから、「レンズの前を虫が横切った一コマ」が、統計的に必ず湧いてくる。しかも当時のカメラは、露光時間がちょうど残像を作るのに最適な長さだった。今、スカイフィッシュはほとんど撮れなくなった。理由は単純で、カメラが良くなったからだ。
現代のスマートフォンやデジタルカメラは、自動露出が賢くなって、明るい屋外ではシャッター速度を勝手に速くする。オートフォーカスも高性能だ。フレームレートも上がった。毎秒60コマは当たり前で、120コマも240コマも珍しくない。
その結果、レンズの前を横切った虫は、虫としてきちんと写る。羽の一枚一枚まで止まって写る。棒にならない。映像技術の進歩でスカイフィッシュという怪異は生まれ、さらなる進歩でスカイフィッシュは死んだ。
生息条件がカメラの仕様に完全に依存していた生物、と言えばこれ以上ないくらい正確な表現になる。動画投稿サイトには、いまも「スカイフィッシュ撮影成功」という映像が上がり続けている。その多くは、意図的にシャッター速度を落として撮ったもの、暗所で撮ったもの、あるいは単に画質の悪い監視カメラの映像だ。
ある人が書いていたとおり、撮りたければ低速シャッターのビデオカメラを用意して、明るい屋外で虫の多い場所を狙えばいい。誰でも撮れる。撮れてしまう。だから逆に、誰も驚かなくなった。
肉眼では見えず、機械にだけ映る――記録装置が生む怪異の系譜
ここまで来て、ようやく本題に入れる。なぜスカイフィッシュはあれほど強力だったのか。答えは「肉眼では見えないが、機械には映る」という設定にある。この一行が、怪異としてとんでもなく強い。
考えてみてほしい。ふつうの怪異は、目撃証言から始まる。誰かが見た、と言う。けれど目撃証言は、それを聞いた人間から必ず「見間違いじゃないの」と返される。そこで話は止まる。
ところが「機械に映った」は違う。映像は、人間の主観を経由していない証拠として受け取られる。カメラは嘘をつかない。カメラは思い込まない。カメラは疲れないし、期待もしない。
だから機械が捉えたものは、人間が見たものより「客観的」だと感じられる。スカイフィッシュの場合、「肉眼で見えない」ことが弱点どころか強みとして機能した。ふつうなら「誰も見ていないなら存在しないんじゃないの」となるところだ。それが「人間の目には速すぎるから見えないだけだ」という説明ひとつで、弱点から特性に変換された。
撮影者が「何も見ていない」と証言すればするほど、証拠としての説得力が増していく。反証が肯定に変わる、という詐欺みたいな構造だ。この構造は、スカイフィッシュのオリジナルではない。記録装置が新しく生まれるたびに、まったく同じことが繰り返されてきた。
写真術が実用化されたのが1839年。それから20年ちょっと経った1862年のボストン。彫金師ウィリアム・マムラーが、自分の撮った写真に亡くなった従妹らしき姿が写っていると発表した。これが心霊写真の始まりとされる。
彼は依頼者の背後に故人の霊を写し込んだ肖像写真を売って名声を得た。顧客には、暗殺された大統領の未亡人までいた。南北戦争で膨大な数の死者が出た直後のアメリカだ。「写真で故人に再会できる」という商売は、切実な需要に応えるものだった。
彼は後に詐欺で起訴されるが、二重露光を使ったトリックの再現証明ができず、無罪になっている。フランスでは1874年にパリの写真師が同様の心霊写真で大評判を取り、こちらは二重露光を自白して禁固刑を食らった。それでも彼を擁護する人は大勢いた。
日本の心霊写真ブームも構造は同じだ。歴史研究家の原田実は、心霊写真は日本の歴史上になかった新しい霊の現れ方だ、と指摘している。それまで日本の霊には「誰にも見えない霊」「誰にでも見える霊」「因縁のある者にだけ見える霊」の三種類しかなかった。そこにカメラという特殊な装置を通してのみ見える霊、という第四のカテゴリが加わったわけだ。
録音機が普及すると、今度は声が来た。1959年、スウェーデンの映画プロデューサーが野鳥の声を録音していて、亡き母の声が入っていたと言い出す。1967年にはラトビア出身の心理学者がこれを体系化し、ホワイトノイズを使って死者と交信する技法をまとめた。電子音声現象、いわゆるEVPの誕生である。
ここでも構造は同じだ。人間の耳では聞き取れないが、テープには入っている。だから本物だ、と。
デジタルカメラが普及すると、オーブが来た。空中の埃や水滴がフラッシュ光を反射して丸い光球として写る、あれだ。オーブという言葉が心霊的な意味で使われ始めたのは1990年代後半。まさにデジタルカメラが一般家庭に入り始めた時期と一致している。
デジタルカメラはフラッシュとレンズの距離が近く、レンズのすぐ前の微粒子を後方散乱で拾いやすい。暗所では絞りが開いて被写界深度が浅くなるので、微粒子が正円のボケになる。構造上、そうなるようにできている装置だった。
心霊写真、EVP、オーブ、スカイフィッシュ。全部同じだ。新しい記録装置が普及する。その装置には固有の癖がある。癖が生む像やノイズを、人間はまだ知らない。
だからそれを「装置が捉えた、人間には見えない何か」だと解釈する。これが嘘つきの仕業ではないことが、大事なところだ。もちろん詐欺師もいた。でも大半は、本気で不思議がっていた普通の人たちだった。
彼らは間違っていない。彼らのカメラには、確かに何かが映っていたのだから。ただ、その何かが「装置の作動原理そのもの」だっただけだ。
なぜこの棒は、正体がバレても消えないのか
スカイフィッシュの正体は、ハエであり、蛾であり、トンボだった。網に入っていたのは、どこにでもいる虫だった。日本のテレビ番組、中国の製薬会社の技術者、アメリカの高速度カメラ技師が、それぞれ独立にたどり着いた結論だ。もう議論の余地はない。
それでも、スカイフィッシュは消えない。理由のひとつは、あの姿の完成度だと思う。棒の両側に等間隔のひれ。あんなにシンプルで、あんなに「生き物っぽくない生き物」の形を、人間はなかなか思いつかない。
ネッシーもビッグフットも、既存の動物の変奏だ。でもスカイフィッシュは、地球上のどんな動物にも似ていない。それでいて、生きているようにしか見えない。あの形は、人間の想像力が作ったものじゃない。レンズと露光時間という非人間的なプロセスが作り出したものだった。
だから人間の発想の外側にある。だから新鮮に見えた。今見ても、なお新鮮に見える。
もうひとつは、正体が「機械の癖」だったことが、かえって不気味だからだ。よく考えてほしい。あなたが撮った映像には、あなたが見ていないものが写っている。それは幽霊じゃない。あなたの機械が、あなたとは違う世界の切り取り方をしているからだ。
カメラの一コマは、瞬間ではない。60分の1秒という「幅」を持った時間の塊だ。その幅のなかで起きたことを全部足し算して、一枚に潰している。人間の視覚とは、記録の原理そのものが違う。
あなたのカメラは、あなたが生きているのとは違う時間の中に住んでいる。その違う時間の中には、あなたが一生見ることのできない形が住んでいる。棒状の、ひれの生えた、うねりながら空を泳ぐ何かが。
スカイフィッシュは実在しなかった。けれど「機械の時間の中にだけ存在する生き物」というアイデアは、正体判明後も生き残った。あれは虫だったと知ったうえで、みんな面白がっている。漫画のスタンドになり、アニメの背景を横切り、召喚獣になって揚げられて食われ、ぬいぐるみになった。
最後に、いちばん大きい理由。私たちはもう、「映像に映っていれば本物」とは思わなくなった。合成もできる、生成もできる、加工もできる。映像の信頼性は、スカイフィッシュ・ブームの時代より遥かに下がっている。だからこそ、スカイフィッシュは奇妙なノスタルジーの対象になった。
あれは、映像がまだ嘘をつけると思われていなかった、最後の時代の怪異だったのだ。カメラを信じきっていた人類が、最後に一回だけ、盛大に騙された記念碑。ハエ一匹に、世界中が。
だから今でも、どこかで誰かが夕暮れの屋外にカメラを構えている。シャッター速度を落として、虫の多い場所を狙って。撮れることは知っている。
何が写るかも知っている。それでも構えている。あの棒がもう一度、画面の端を横切ってくれることを、半分だけ本気で期待しながら。
