- 土曜の朝、国鉄飯田線の車内で
- 日曜の美容院、月曜のクリーニング店
- 木曜の店先で、借りた電話が確信に変えた
- 昼は「危ない」、夕方は「潰れる」、夜は「シャッターが上がらない」
- 2階へどうぞ、と書いた張り紙が剥がされた
- 15日付の紙面に並んだ見出し
- 14億円か、20億円か、数字が揃わない
- 閉店時間が来ても、シャッターを下ろさなかった
- 日曜の夜、警察が示した伝言ゲームの道筋
- 3人の名前が、どこにも出てこない
- 経路がここまで分かっている噂は、めずらしい
- 経営に問題はなかったのに、倒産の危機に立った
- 沈静化の順番を、日付で並べ直す
- 同じ話を、別の人から二度聞くと
- 5週間前の千里ニュータウンでも、同じ型の騒ぎがあった
- 22日になっても、潰れたのだと言う人がいた
土曜の朝、国鉄飯田線の車内で
1973年12月8日は土曜日。登校途中の高校生3人が、愛知県を走る国鉄飯田線の車内で、ありふれた雑談をしていた。3人は友だち同士で、そのうちひとりは、豊川信用金庫への就職が決まったばかりだった。のちに何本もの論文に取り上げられる話は、そんな通学の途中の一場面から、静かに始まる。
飯田線は、豊橋駅から長野県の辰野駅まで、195.7キロを結ぶ路線だ。いまは東海旅客鉄道が走らせているが、1973年にはまだ国鉄の路線だった。豊橋から小坂井駅までが4.4キロ、豊川駅までが8.7キロ。小坂井町は、いまでこそ豊川市の一部だが、当時は宝飯郡の独立した町で、噂はこの短い沿線の中を、人から人へと乗り継いでいく。
就職の話になったとき、残りの2人がからかった。「信用金庫は危ないよ」。冗談のつもりで放った、ほんの軽口だった。口にした2人は、その一言がやがて町じゅうの預金者を走らせるとは、まだ知らない。笑い話で終わるはずの一言が、ここから10日ほどかけて、ひとつの信用金庫を揺らしていく。
この「危ない」に、経営の意味はなかった。風評被害を扱った2011年刊の新書によれば、金融機関には強盗が入るから危ない、という程度の冗談だった。1998年に日本テレビが放送した調査番組は、田舎の信用金庫は都市銀行より経営が不安定、という意味だったと紹介している。どちらの読みを採ったとしても、冗談を言った側に、誰かを陥れようとする悪意は見当たらない。
言われた本人は、真に受けた。その夜、彼女は親戚のひとりに、信用金庫というのは危ないものなのか、と尋ねている。このとき彼女は、自分が就職することになっている金庫の具体的な名前を、ひとことも口にしなかった。名前を出さないまま、不安だけが、ひとつの家から次の家へと運ばれていく。
名前を足したのは、親戚のほうだった。相手は自分の頭で、それを豊川信用金庫のことだと判断し、本店の近くに住む別の親戚へ電話をかけて確かめた。「豊川信金は危ないのか」。ここまで噂は、まだ質問の形のままで、誰も断言はしていない。
日曜の美容院、月曜のクリーニング店
12月9日の日曜、電話を受けた親戚は、近所の美容院の経営者に話した。「豊川信金は危ないらしい」。質問だったはずの話が、ここで推量の形に変わる。最初の変わり目だ。断定とまではいかない、ぎりぎり手前の言い方で、聞いた側には、確かな話として届きやすい。
翌10日の月曜、美容院の経営者は、ほかの親戚にも同じ話をした。その場に居合わせたクリーニング業の男性の耳に話が入り、妻にも伝わる。話は、美容院という生活の場から、洗濯物を預ける店という別の生活の場へ移った。のちに噂の行き先を大きく曲げるのは、この夫婦だ。
この男性には、噂を信じやすい事情があった。7年前の1966年、隣の豊橋市で、ある金融機関が倒産している。正規の金融機関でないノンバンクで、高い配当をうたって、広く出資を集めていた。男性は、その倒産の被害者のひとりで、出した金はほとんど戻ってこなかった。
そんな経験をした人の耳に、金融機関が危ないという話が入ったのだ。調査は、これが噂に現実味を与えたと整理しており、しかも男性は、疑う側に回らず、善意から周囲に話して回った。怖いのは、悪意のなさ。
11日の火曜、小坂井町の主婦たちの間で、豊川信金の話が出るようになる。通りがかりの住民の耳にも、その話は入った。このころ、言い方が変わる。「危ないらしい」という推量が、「危ない」という言い切りに、いつのまにか入れ替わった。
12日の水曜は、資料に目立った動きの記載がなく、次に噂が表へ出るのは、13日の木曜になる。この空白の1日には、何も足さずにおく。
木曜の店先で、借りた電話が確信に変えた
12月13日、木曜。クリーニング店にひとりの客が来て、店の電話を借りた。電話の向こうにいたのは、客の妻だ。客は電話口で、仕事の支払いのために、豊川信金から120万円を下ろすようにと指示している。
客は、噂を何も知らなかった。ただ支払いに要る金を下ろさせようとしただけで、不安も悪意も、そこには入っていなかった。ところが、その声を店の奥さんが聞いてしまい、噂を聞いたばかりの耳に、大金を下ろせという声が飛び込んだのだ。
奥さんは、こう受け取った。この金庫は潰れるから、その前に大金を下ろしているのだ。噂は確信に変わり、疑う余地を消したのは、噂とは何の関係もない、仕事の電話だった。皮肉な話。
奥さんは夫を通じて、金庫から180万円を下ろす。預金を守る制度は1971年にできていて、当時の保護の限度は、100万円まで。ちなみに、この制度は一般の人にはあまり知られておらず、大方の預金者は、不安に押されて窓口へ向かった。
夫婦は、知人20人ほどに電話をかけ、この話を伝えていく。聞いた中には、アマチュア無線を趣味にしている愛好家がひとり含まれていた。携帯電話などない時代で、町の情報網は、井戸端と固定電話、それに無線という、顔の見えない道まで含んでいる。
愛好家は、聞いた話を無線で流し、一対一の電話だった噂が、電波に乗って、いっぺんに多くの人の耳へ届いていく。ほぼ町じゅうが、豊川信金は潰れるという話を耳にする事態になった。電車の中の冗談から、まだ6日目のことだ。噂は、もう止まらない。
昼は「危ない」、夕方は「潰れる」、夜は「シャッターが上がらない」
同じ13日のうちに、窓口へ預金者が押し寄せ、59人が引き出した額は、約5000万円に上った。単純に割れば、ひとり平均で84万円ほどになる計算だ。このあと積み上がる額に比べれば、まだ序の口だ。
小坂井支店へ客を運んだタクシー運転手の証言が、噂が時間とともに膨らんでいく様子を、記録に残している。昼ごろに乗せた客は、「危ないらしい」と言った。14時30分の客は「危ない」、16時30分ごろの客は「潰れる」と話した。同じ町の同じ噂が、乗せる客ごとに、少しずつ強い言葉に替わっていく。
夜に乗せた客の言葉は、昼の客が口にした「危ない」より、はるかに先まで進んでいた。「明日はもうあそこのシャッターは上がるまい」。半日のうちに、噂は「危ない」から、潰れた翌日の光景にまで育っていた。その間、信用金庫の経営には、新しい問題など何ひとつ起きていない。変わったのは、噂の側だけだった。
2階へどうぞ、と書いた張り紙が剥がされた
翌14日の金曜、信用金庫は事態を収めようと動いた。経営に不安のある人は2階へどうぞ、という張り紙を出す。ところが、2階で倒産の整理をしていると読まれ、張り紙はすぐに剥がされ、親切のつもりの一枚が、逆の証拠になった。
払い戻しを早く進めるための措置も、曲解された。「1万円以下は切り捨てられる」。「利子が払えないのは、やはり経営がおかしいせいだ」。混雑の整理に立った警察官を見て、豊川信金に強制捜査が入ったと言い出す者までいた。どの話にも、もっともらしい根拠の欠片だけは付いている。
整理券を渡された人が、「こんなものをもらって何になる」と怒鳴る。倒産整理の説明会をしていると聞いた、と窓口に問い合わせる人もいた。潰れるという前提に立てば、どの反応にも筋が通り、噂は、人の行動をそこまで一貫させる。
そこへ、二次的な噂が重なる。職員の使い込みだ、5億円の持ち逃げだ、理事長の自殺だと、話は次々に生まれた。どれも、根拠のない話。最初の噂が「危ない」の一言だったのに、それを説明する物語まで、後からつけ足された。
15日付の紙面に並んだ見出し
14日の夕方から15日の朝にかけて、信用金庫の依頼を受けた報道各社が、デマだと伝えた。15日付の紙面には、見出しが並んだ。朝日新聞は夕刊で「5000人、デマに踊る」。読売新聞は朝刊で「デマに踊らされ信金、取り付け騒ぎ」。毎日新聞は朝刊で「デマにつられて走る」。
3紙とも、記事は19面にある。朝日の見出しには、続きがあった。14億円の取り付け騒ぎ。愛知の信金10店に、夜も行列。見出しの数字を信じれば、13日の5000万円は、2日ほどで28倍に膨らんだ計算になる。
読売の紙面には、「日銀、折り紙」や「人の心もフェーン現象」といった見出しも並んでいた。「折り紙」は、お墨付きを意味する言葉だ。日銀が経営にお墨付きを出した、という意味の見出しだ。
報道には、思わぬ副作用もあった。新聞を読んで初めて騒ぎを知り、預金を下ろしに駆けつけた人がいたのだ。デマを打ち消す記事が、デマを知らなかった人にまで届き、騒ぎを止めるはずの紙面が、客を呼んでしまう。
日本銀行は、考査局長が記者会見を開いた。豊川信用金庫の経営に問題はないと述べ、混乱を避けるために日銀名古屋支店を通じて現金を手当てしたことも明らかにした。中央銀行が口にした、公式の保証。
14億円か、20億円か、数字が揃わない
引き出された額は、資料によって違う。当時の朝日新聞の見出しは、14億円だった。ネット上の百科事典は、2週間足らずで約14億円と整理している。大学の研究誌に載った論文は約20億円と書き、解説記事には、20数億円とするものや、約26億円とするものもある。
期間の書き方も揃わない。2週間弱と書く資料もあれば、1週間ほどと書く資料もある。どれが正しいのか、突き合わせられる一次の記録は、見つけられなかった。このあとも、当時の見出しにある14億円を、ひとつの目安として読んでほしい。
閉店時間が来ても、シャッターを下ろさなかった
日銀から運ばれた現金は、本店の大金庫の前に、窓口からも見えるように積み上げられた。高さ1メートル、幅5メートル。窓口に並ぶ人の目に入る位置で、預金者へのアピールとして、あえて見える所に置いたのだ。
全国信用金庫連合会と全国信用金庫協会の会長を兼ねていた小原鐵五郎は、13日に旅行先で知らせを受けた。城南信用金庫の理事長でもあった人物。全国信用金庫連合会は、いまの信金中央金庫にあたる。ここで対応を誤れば周りの信用金庫にまで火が移ると判断し、思いつく手を片端から実行したと、自伝は伝える。
1987年の自伝に出てくる手立ては、金庫の外にいる人の目に見える形のものが多い。大量の現金を、カウンターからよく見える所に置かせる。本支店10か所の店頭に、張り紙を出させる。その文面が、意外なものだった。
張り紙には、こう書かれていた。「お金がご入用なら、いくら払い戻しても構いません。ご遠慮なくお申し出ください」。親機関の全国信用金庫連合会がついている、という断りも添えてあった。引き出しを止めるのでなく、勧める文面だ。
しつこく説明を求める客には、こう答えさせた。「そんなにご心配なら、大蔵省なり日銀なりに、ご自分で聞いてみてください」。本当に東海財務局へ電話をかけ、そのやり取りを録音して店内に流した。客は、財務局の返事を、自分の耳で確かめられる。
閉店の時間にも、指示が出た。午後3時を過ぎても客が残っている限り、店を閉めてはならない。閉めれば、現金が底をついたと思われるからだ。窓口の職員には、金庫の中を見せた。近所の人に「本当はどうなの」と聞かれたとき、「十分あります」と自信をもって答えさせるためだ。
15日の土曜、店頭に全国信用金庫連合会と全国信用金庫協会の連名のビラが貼られ、常務理事が預金者の説得に回る。騒ぎは、ここから沈静化に向かった。自殺したと噂された理事長が、自ら窓口に立ったと伝える記事もある。
日曜の夜、警察が示した伝言ゲームの道筋
警察は、信用毀損や業務妨害の疑いで、デマの出どころを調べていた。16日の日曜、警察はデマが伝わった道筋を、発信源から順にたどって発表する。同じ夜には、日本放送協会のニュースが、警察の発表したルートを報じた。17日の月曜になると、各紙の朝刊が、警察発表をそろって載せる。
たどり着いた出どころは、悪意のある誰かではなかった。女子高生3人の雑談から始まった、自然発生の流言。警察は、この流れ全体に犯罪性がないと結論づけた。調べた側は、誰かの罪を探して、ただの雑談に行き当たった。
3人の名前が、どこにも出てこない
ここまでの話に、実名は1人も出てこない。調査報告は関係者を記号で呼び、名前も店名も伏せたまま、経過だけを細かく書いた。女子高生3人の素性は、いまも公表されていない。罪に問われるような話は、誰ひとりしていない。
広めた大人たちにも、名前は付いておらず、肩書きと役まわりだけが記録に残る。美容院の経営者、クリーニング業の夫婦、電話を借りた客、アマチュア無線の愛好家。全員が、自分の聞いたことを、隣の人に話しただけだ。悪者が1人もいない騒ぎだった。誰も、嘘はついていない。
経路がここまで分かっている噂は、めずらしい
噂の出どころは、ふつう追えなくなるが、この件は、最初の一言まで追えた。デマがパニックを引き起こすまでの過程が詳しく解明された、めずらしい例として、心理学や社会学の教材に使われている。
3人の研究者が、現地調査の結果を、事件の翌年の1974年に、7月と10月の2回に分けて『総合ジャーナリズム研究』へ発表した。題は『デマの研究』。その後も、この事件は何度も取り上げられた。1987年には、対応を指揮した小原鐵五郎の自伝『この道わが道』が出ている。
1989年には、『流言の社会心理学』という論文がこの件の経過を引き、1998年には日本テレビが、2024年にはフジテレビが、番組で扱った。2015年には中日新聞が、戦後70年の連載で「不安が連鎖」と題して振り返っている。50年たっても、素材として読まれ続けている。
経営に問題はなかったのに、倒産の危機に立った
信用金庫は、地域の人たちが出資して支え合う、会員制の協同組織の金融機関だ。預けた金は、貸し出しに回る。だから、預金者が全員、同じ日に窓口へ来て払い戻しを求めれば、手元の現金はいずれ尽きてしまう。預金者が一斉に押し寄せるこの現象を、取り付け騒ぎと呼び、経営が傾いていなくても、起こりうる現象だ。
日本大学経済学部の研究誌に載った論文は、この事件を経済学のモデルと突き合わせている。預金者が引き出す確率が一定の水準を超えると、金融機関は破綻する。支払う余力があると信じられていれば、その確率は低いまま保たれる。論文が示すのは、信じ方ひとつで結果が変わる、という構図だ。
事件の前、地元の信頼は厚かったと論文は見ており、だから、引き出す人は少なかった。そこへ女子高生から始まった不安の連鎖が入り込み、電話の立ち聞きで確信に変わり、噂を運ぶ人の輪が加速した。論文は、この立ち聞きの効果を、オーバーヒアリング効果と呼んでいる。
論文の結論は、はっきりしている。経営が健全でも、風評が広く信じられれば、取り付け騒ぎは起こりうる。豊川信金の経営が悪化していたのでなく、信じる人の数が、そのまま引き出す人の数になった。帳簿の数字が動かないまま、窓口の列だけが伸びた。
噂が信じられて預金者が動けば噂は現実に近づき、信じた人の数が、そのまま倒産に近づく力になる。社会学では、これを予言の自己成就と呼ぶ。豊川の町で起きかけたのは、まさにその形だった。
地域の事情も、下地になっていた。この地域は預金の比率が全国的に見ても高く、実質的な金融機関は豊川信金ひとつだったと、論文は整理する。預け先がひとつしかない町で、そのひとつが危ないと聞かされたのだ。預金保護の制度を知ったうえで、渦中に預けに来た人も、少数いたという。
沈静化の順番を、日付で並べ直す
騒ぎが収まっていった順番にも目を向けると、言葉の手当ては、先に失敗している。声明は曲解され、張り紙は倒産整理の案内と読まれた。沈静化に向かう流れは、現金が積まれ、店が閉まらず、財務局の声が店内に流れる、という手当てと重なっている。打ち消しの言葉は届かず、目に見える現金が届いた。
8日の土曜に始まり、17日の月曜の朝刊で幕が引かれるまで、曜日で数えると、10日間の出来事だ。その間に噂は、質問から推量へ、断定へ、潰れた後の光景へと進んだ。警察が道筋を示しても、止まらない声は残った。
同じ話を、別の人から二度聞くと
この事件に、幽霊も怪物も出てこない。出てくるのは、噂が人から人へ移るときの手順だけだ。その手順には、型がある。ひとつめは、話の中身が途中で入れ替わったことだ。強盗に入られるかもしれない、という冗談が、経営が危ない、という話に化けた。
入れ替わったのは、中身だけでない。言葉の確かさも変わった。質問が推量になり、推量が断定になる。「危ないのか」「危ないらしい」「危ない」「潰れる」「シャッターは上がるまい」と、5日のうちに、言い方は5つの形を駆け上がった。
ふたつめは、二度聞き効果。狭い地域で、別々の人から同じ話を聞くと、人は、その話を本当だと思い込みやすくなる。日本テレビの番組は、これを「交差ネットワークによる二度聞き効果」と呼んで説明した。
みっつめは、偶然の裏づけ。客が借りた電話の一言は、噂と何の関係もなかったのに、噂を聞いた直後の人が、それを耳にした。無関係な出来事が、ぴたりと噂に重なって見えたのだ。こうなると、奥さんはもう疑わなかった。
よっつめは、善意。広めた人たちの誰にも、人を騙す気や、信用金庫を潰す気はなかった。7年前に金を失った男性は、周りに向かって、善意で話したのだ。善意で運ばれる噂には、運ぶ側に止める理由がない。
いつつめは、打ち消しが噂の材料になったことだ。信用金庫の声明は曲解され、張り紙は倒産整理の案内と読まれ、警察官の姿までが、強制捜査の証拠に見えた。公式の言葉ほど、疑いの目で読まれた。
むっつめは、二次デマ。職員の使い込み、5億円の持ち逃げ、理事長の自殺。最初の噂は「危ない」の一言だけだった。それを説明する物語が、後からいくつもつけ足されていく。
5週間前の千里ニュータウンでも、同じ型の騒ぎがあった
豊川信金事件の5週間ほど前にも、日本中を巻き込んだ噂があった。1973年10月31日、大阪の千里ニュータウンのスーパーで、開店前から主婦ら200人以上が列をつくった。目当ては、トイレットペーパー。それまで、その品を買うために行列ができたことなど、一度もなかったという。
発端は、「オイルショックでトイレットペーパーが不足する」という噂だ。噂は、ニュータウンに住むピアノ教師の主婦が知り合いに話したもので、その店は、たまたま特売のチラシを入れていた。1パック4ロールで138円の安売りに客が殺到し、1週間分の用意だった1400個は、1時間で売り切れた。
翌11月1日、毎日新聞大阪版の夕刊が、この様子を「紙の狂騒曲」と報じている。値上げしたように書かれた店員は、特売品が切れて通常の値段の品を出しただけだと話している。騒ぎは、行列の写真とともに全国へ伝わった。現実には、紙の生産に不足はなかった。翌年の国民生活白書にも、生産は減っていないと書かれている。
豊川の町にも、不安の下地は敷かれていた。10月のトイレットペーパー騒ぎが示すとおり、オイルショックの不況が、デマの流れやすい空気をつくっていた。日本テレビの番組は、そう整理している。豊川の噂には、千里の噂にない特徴があり、それは、出どころの一言が、噂でなく冗談だったことだ。
22日になっても、潰れたのだと言う人がいた
警察発表のあとも噂はすぐには消えず、17日に各紙が発表を載せ、22日になっても、こう言う人がいた。「豊川信金は潰れたのではないか」。
別の声もあった。「3人の噂話がここまで大きくなるはずはない。裏に組織的な陰謀があり、警察発表は政治的なものだ」。
