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うたて沼

目的地を決めないドライブは、何かを引き寄せる

学生だった三人は、行き先も決めずに車を走らせていた。

目的もなく走るドライブというのは、どうも何かを引き寄せるらしい。山の中の休憩スペースに差し掛かったとき、色褪せた案内看板が目に入った。かろうじて「城跡・徒歩三十分」と読める。

時刻は午後三時。暗くなる前には戻れるだろう。そう判断して、三人は車を停め、細い山道を登り始めた。

しばらく歩くと分岐に出た。看板が示す方角とは思えないほうへ、なんとなく左の道を選ぶ。この「なんとなく」が全部の始まりだった。

現れたのは城跡ではなく、朽ちた廃寺だった。

誰かが、山門だけ持っていった

奇妙な廃寺だった。

山門と塀は、人の手で撤去されたみたいに綺麗さっぱりなくなっている。なのに本殿と鐘楼だけは中途半端に残されて、伸び放題の草と積もった埃の中で静かに朽ちていた。撤去したのに、途中でやめたような感じだ。この不自然さに、三人は最初の違和感を覚えたという。

本殿の扉は、驚くほどあっさり開いた。

中を覗くと、床に黄ばんだ和紙が一枚落ちている。拾い上げると、達筆な筆致でこう書かれていた。

「うたて沼」

周りを見回しても、池も沼も見当たらない。意味が分からないまま、三人は紙を元の場所へそっと戻した。この判断が、あとの展開を左右したのかもしれない。

「あんなもの、さっきあったか?」

分岐まで引き返し、今度は右の道を登る。ようやく辿り着いた城の本丸跡からは、さっきの廃寺が見下ろせた。

眺めを楽しもうとしたそのとき、庭の端に妙なものがあるのに気づく。直径数メートルはありそうな、真っ黒な穴のようなもの。

「あんなもの、さっきあったか?」

誰かがそう呟いた直後だった。庭に小動物が現れ、慌てたように走り出す。すると黒い穴のほうも、まるで意思を持っているみたいに動いた。小動物が黒い部分に触れた瞬間、穴の中へ落ちるように、姿がふっと消えた。

そして次の瞬間、黒いものは宙に浮かび上がった。

そこで三人は理解する。あれは穴じゃない。厚みがまったく感じられない、完全な黒の平面だ。

折しも上空を飛んでいた大きな鳥が、その平面に接触した。落ちもしない。貫通もしない。ただ、その場からふっつりと消えた。

風景を切り抜きながら追ってくる

黒い平面は、三人が登ってきた道をなぞるようにして、じわじわと山頂へ近づいてきた。

来た道は塞がれた。反対側の斜面に細い獣道は見つけたが、そっちは車を停めた場所とは真逆の方向だ。どちらへ進むか迷っているうちに、全員の耳が気圧の変化みたいに詰まる感覚に襲われる。視線を戻すと、黒いものはもう二の丸跡まで来ていた。

三人は覚悟を決めて獣道を駆け下りた。

振り返ると、黒いものは十メートルほど後ろまで迫っている。木の枝にも、生い茂る草にも、一切引っかからない。風景そのものを切り抜いていくように、なめらかに山肌を移動してくる。

ようやく舗装された道路へ転がり出た、その瞬間だった。

金属をこすり合わせるような甲高い耳鳴りが走り抜け、背後で「バチン」という乾いた破裂音が響いた。振り返ったときには、そこにはもう何もない。薄い煙だけが漂っていた。

日が完全に暮れるまで山道で迷い続け、三人はようやく車に辿り着いた。それ以来、二度とその場所へは行っていない。

「うたて沼」が廃寺の名前だったのか、それともあの黒い平面そのものを指す言葉だったのか。結局、最後まで分からないままだったという。

洒落怖Part317から出てきた話

この話は『死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?』、通称「洒落怖」のPart317に投稿された作品として台帳に記録されている。

具体的な投稿日時やレス番号、投稿者名は、各種まとめサイトの記載を突き合わせても特定できなかった。不明とせざるを得ない。

ただし、この話は洒落怖系の投稿の中でも複数の個人ブログやまとめブログに独立して転載されていて、性質の違うサイトで長年紹介され続けてきた。すっかり定番として定着した一編だ。初出年代の「2013年前後」という推定も、各まとめサイトへの掲載時期とPart317という通し番号からの逆算にとどまる。

洒落怖というスレッド自体は、2ちゃんねるのオカルト板から生まれたネット怪談シリーズだ。「きさらぎ駅」「八尺様」といった殿堂入り作品を数多く送り出してきたことで知られる。うたて沼もその系譜の一つに数えられている。

黒いあれは、結局なんだったのか

この話の解釈でいちばん揺れるのが、「黒いもの」の正体だ。

異次元への入口としての穴だと読む人がいる。平べったい布のようなものだと読む人がいる。影そのものが実体を持って動き出したと読む人もいる。さらには二次元生物という生き物だと読む説、まったく別の空間へ通じる異空間の入口だと読む説まである。

原話が正体について一切説明を放棄しているせいで、読みがここまで散らばった。そしてその幅広さこそが、この話の最大の魅力になっている。

タイトルの「うたて沼」の語源にも諸説ある。「うたて」を古語の「うたてし」――「嫌だ、情けない、不快だ」といった意味の形容詞――と結びつける説が、個人の考察ブログで紹介されている。ただし原話には語源の説明が一切ない。後付けの言葉遊び的な解釈である可能性が高い。

黒い物体の最期についても読みが割れる。舗装道路との境界線上で消滅したと読む版と、何かの結界に衝突して破裂したと読む版だ。

派生版の中には、三人が本殿で見つけた和紙を持ち帰ってしまったから追跡された、というバージョンもある。だが代表的に流通している原話では、三人は紙を律儀に元の場所へ戻している。それでもなお追われるのだ。

この「規則を守ったのに助からない」という理不尽さ。ここが、うたて沼を単なる祟り話以上の不条理な恐怖へ押し上げている、という評価は多い。

「あの黒さは尋常じゃなかった」

この話に触発された読者からは、似た体験談がいくつか語られている。

ある投稿者は、廃寺や神社跡を巡る廃墟探索を趣味にしていた時期のことを書いている。山中の開けた場所で、不自然に暗い影のようなものを見た。近づいて確認しようとした瞬間、連れが強く腕を引いて止めたという。「あれは近づくものじゃない」。青ざめた顔でそう言われたそうだ。結局その影の正体は確認されないまま、二人はその場を離れた。

「うたて沼を読んでから、あのときの記憶が急に生々しく蘇ってきた」と投稿者は書いている。

別の体験談では、廃寺ではなく古い炭焼き小屋の跡地が舞台になる。地面に溶け込むような真っ黒な染みを見たが、踏み込む前に日が暮れて確認できなかった。翌日改めて同じ場所を訪れると、染みは跡形もなく消えていた。

濡れた土や苔だった可能性は高い。それでも投稿者は「あの黒さは尋常じゃなかった」と繰り返し強調していて、この話の黒い平面と重ね合わせて語られることが多い。

顔も、意志も、物語もない

考察界隈でよく指摘されるのは、この怪異の無機質さだ。

幽霊なら、過去の人間として理解できる。恨みがあるとか、未練があるとか、そういう物語がついてくる。ところが、うたて沼の黒には顔も意志も物語もない。

触れた生物を「食べている」のか、それとも別の場所へ「移している」だけなのか。それすら判然としない。しかも二次元の穴が三次元空間を自在に動き回るという矛盾まで抱えている。この組み合わせが、視覚そのものへの根源的な不信感を読む側に植えつけてくる。

舗装道路との境界で黒い物体が消えた結末は、人間が整備した空間と山の異界との境界線として読むこともできる。ただし煙だけが残るという後味の悪さのせいで、安堵よりも「何かが破れてしまっただけではないのか」という不穏さのほうが強く残る。この感想は個人ブログや考察系まとめで繰り返し共有されている。

現地はどこにも特定できない

城跡も廃寺も案内看板も、具体的な地名はすべて伏せられている。現地を特定して確認することはできない。物体や動物が消える様子を裏づける写真も、第三者の記録もない。

山の斜面から見下ろしたとき、暗く淀んだ池や木々の影、獣除けの黒いネットやブルーシートが、遠目には平面的な黒い塊に見えることは実際にある。ただし、それだけでは「移動」と「消失」の全過程を説明しきれない。

なお、整備されていない山道を日没前後の薄暗い時間に歩くのは、道に迷う危険はもちろん、転落や低体温症といった現実の事故に直結する。この点だけは、物語の面白さとは切り離して覚えておいてほしい。

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