「もしものときのビデオを撮ってくれないか」
語り手の同僚だったKは、休日のたびに岩壁へ向かうことをやめない男だった。
妻がいて、幼い娘もいる。危険な趣味は控えろという忠告にも、Kは首を振るだけだった。その代わりに、こんな頼みごとをしてきた。
「もしものときに、家族へ見せるビデオを撮ってくれないか」
白い壁を背にした部屋。カメラの前に座ったKは、妻と娘、両親、友人たちへ向けて、照れくさそうに感謝の言葉を並べた。自分の身勝手な趣味を詫び、死んだあとも空から見守っているから笑って見送ってほしい、と。
語り手はカメラ越しに、その姿を黙って撮り続けた。撮り終えたテープは後にDVDへ焼き直され、そのまま棚の奥にしまわれた。
それから半年ほど経ったころ、Kは死んだ。安全用のマットから大きく外れた場所へ転落したのだという。
十秒の暗闇のあと、Kは闇の底に座っていた
初七日の晩、語り手は遺族の前でそのDVDを再生することになった。
画面は最初、十秒ほど真っ暗なままだった。何も映らない。
ようやくKの姿が浮かび上がる。だが、そこは撮影したはずの白い壁の前ではなかった。彼は闇の底に、ぽつんと一人で座っているように見えた。
低い唸り声が、音声に被さり始める。
最初の挨拶までは、撮影時とまったく同じだった。ところが「天国で楽しくやっています」と続くはずの台詞のところで、声が裂けるように変わった。
死にたくない。帰りたい。
娘の名を呼びながら助けを求める言葉が、雑音の向こうから何度も聞こえてくる。そして画面の端から黒い手が伸び、Kの腕を掴んだ。椅子ごと闇の奥へ引きずり込まれるようにして、映像は唐突に切れた。
遺族に殴られ、寺には断られた
居間に響いたのは、遺族の悲鳴だった。
妻は「なぜこんなものを見せたのか」と語り手に掴みかかった。Kの父親は彼を殴った。撮影時の内容はまったく違うものだったと弁明しても、悲しみの底にいる遺族には言い訳としか聞こえない。当然だ。
翌日、語り手はそのDVDを近所の寺へ持ち込んだ。住職は紙袋を一目見るなり「うちでは扱えない」と断り、別の祈祷者を紹介した。
紹介先の人物は、再生する前から顔をしかめた。「とんでもないものを持ってきた」と呟いたという。そしてこう告げた。
Kは録画したその時点で、すでに”向こう側”へ引き寄せられていた。本来ならあの直後に命を落としていてもおかしくなかった、と。
語り手が覚えているのは、そこまでだ。DVDがその後どう処分されたのか、もう一度再生されたことがあるのか、いまだに語られていない。
生きている人間が自分の死後を語った映像が、その未来を先取りして記録してしまったのではないか。後に残ったのは、その疑いだけだった。
この話、どこから出てきたのか
流通の経緯を追うと、やはり2ちゃんねるのオカルト板にある長寿スレッド「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」が起点だという情報にたどり着く。オカルト系のSNSアカウントや紹介ブログで、繰り返し共有されている話だ。
具体的な投稿日として2010年6月24日を挙げる情報源もある。X(旧Twitter)のオカルト系情報アカウントの投稿だ。これが本当なら、「洒落怖」系スレッドの2010年前後の投稿群の一つ、ということになる。
ただ正直に書いておくと、この日付を裏付けるスレッドの原文そのものには、調査時点でたどり着けていない。レス番号も投稿者名も特定できていない。
面白いのは、文藝春秋オンラインの「怖い話」特集記事でも、ほぼ同じ筋立てが紹介されている点だ。フリークライミング中の事故死という設定、DVDに記録された断末魔の叫び、除霊のために持ち込まれた先で告げられる「撮影時点ですでに引き込まれていた」という霊媒師の言葉。細部まで一致している。同じ怪談が複数のまとめサイトやメディアを経由して定着した結果だろう。
要するにこれは、口承の民俗伝説ではない。2000年代後半の匿名掲示板から生まれ、2010年前後に形が固まり、まとめサイトや朗読動画を通じて広まった、典型的な「洒落怖」系怪談ということになる。
一言だけが書き換わっている、という怖さ
派生バージョンもいくつかある。
いちばん多いのは、生前に撮った映像そのものが「事故の瞬間」に置き換わっている型だ。遺族が見るはずだった穏やかな挨拶の代わりに、転落や事故の瞬間の映像がそのまま流れてしまう。直球で恐ろしい。
個人的にぞっとするのはもう一つの型のほうだ。生前メッセージの大部分はそのままで、末尾の一言だけが「死にたくない」という叫びに書き換わっている、というバージョン。改変の範囲を最小限に絞ることで、恐怖の焦点が「本人にしか分からないはずの本音が漏れ出た」という一点に集まる。うまい。
媒体にも派生がある。原話ではVHSからDVDへ焼き直された映像だが、時代が下るにつれてスマートフォンの予約投稿動画や、クラウド上の遺言動画サービスへ置き換えた現代版の語り直しも出てきた。技術が変わるたびに、怪異が宿る依代のほうも更新されていくわけだ。
朗読系のYouTubeチャンネルやnoteの怪談まとめ記事では、語り手の視点を「同僚」から「葬儀業者」や「動画編集を頼まれた友人」に変えたアレンジ版も投稿されている。細部の設定は変わっても、「生前の映像に死後の本人が割り込む」という核だけは、どのバージョンでも崩れない。
「聞き返さないように」と寺に言われた話
似た体験談も、あちこちに転がっている。
ひとつ目。動画配信サイトのコメント欄に、祖父の遺品整理でVHSテープが出てきて再生したところ、途中で意味不明なノイズと一緒に知らない部屋の映像に切り替わった、という投稿があった。再生機器の故障なのか、それとも”別の何か”が紛れ込んでいたのか。本人も困惑した様子で書き込んでいる。
ふたつ目。怖い話投稿サイトには、亡くなった祖母が生前に遺していた録音テープを法事の場で再生したところ、家族の名前を呼ぶ声に混じって、聞き覚えのない第三者の声が入っていたという報告がある。寺に相談したら「そのまま保管して、無理に聞き返さないように」と助言されたそうだ。この助言のそっけなさが、かえって怖い。
みっつ目。SNSには、結婚式のために撮った両親からのメッセージ映像を後日見返したら、一瞬だけ画面が暗転して、聞き取れない小さな声が挿入されていた、という投稿があった。編集ミスか気のせいだと自分に言い聞かせつつ、「遺言ビデオの話を思い出して鳥肌が立った」とコメントしている。
まあ、落ち着いて考えれば、どれも機材の不具合や記憶の誤認で説明がつく。有名な怪談を知った後で、自分の些細な体験をそれと結びつけてしまう。よくあることだ。内容が全面的に変わったことを裏付ける客観的な資料は、どこにも存在しない。
怖いのは映像じゃなくて、遺族のほうだ
「洒落怖」まとめを扱う複数のブログや、noteやカクヨムに投稿された怪談紹介記事が、この話を何度も取り上げている。「名作選」「殿堂入り」といった扱いを受けることが多い。
YouTubeの怪談朗読チャンネルでは「ビデオレター」「ビデオメッセージ」といったタイトルで朗読動画が複数投稿され、どれも一定の再生数を保っている。オカルト系の情報アカウントが特定の投稿日を挙げて紹介すると、フォロワーからは「知らなかった」「これは本当に怖い」といった反応が返ってくる。
考察界隈の反応で目立つのは、遺族が受けた「二重の喪失」に注目する感想だ。故人を亡くした悲しみに加えて、遺された最後の言葉さえも汚されてしまう。この二段構えの恐怖こそがこの話の核心だ、というわけだ。心霊映像そのものより、遺族の心理描写に注目した読み方が主流になっている。
録画された声で、死者と向き合う国
Kの転落事故もDVDも寺院とのやり取りも、裏づける報道や記録は確認されていない。
フリークライミングという趣味自体は、実在の危険を伴うスポーツだ。滑落事故が起こり得ることは事実である。ただ、この投稿内容と一致する具体的な事故の報道は見当たらない。
動画や音声メディアの劣化、変換時のノイズ混入、記憶の変容。一部の「異変」は、そのあたりで説明がついてしまう。
それでもこの話が刺さるのは、下地があるからだ。日本には古くから、遺影や位牌、録音・録画された故人の声を通じて死者と向き合ってきた蓄積がある。「ほんとにあった!呪いのビデオ」シリーズのような心霊ビデオ番組が、長年にわたって人気を保ってきた土壌もある。その上に「遺言」という極めて個人的で感情的な題材を接続したのが、この怪談だ。
最後にひとつ、現実的な話を付け足しておく。法律的には、録音や録画による遺言は正式な遺言としての効力を持たない。弁護士サイトなどでもそう解説されている。もっとも、これは現実の法制度の話であって、怪談としての「遺言ビデオ」とはまったく別の文脈だ。
Kが遺したかったのは、法的な効力ではなかったのだから。
