日本最凶のカルトと聞けば、誰でも真っ先にオウム真理教の名前を挙げると思う。でも同じ1995年、福島の静かな町でも信じがたい事件が明るみに出ていた。舞台は須賀川市。自称祈祷師の女が「キツネの霊が憑いてる」と言い出し、信者らと共謀して7人を殴り、6人を死なせた事件だ。
残る1人も重傷を負った。事件の名前は福島悪魔払い殺人事件。須賀川の女性祈禱師宅男女6人変死事件、須賀川市の祈禱師殺人事件、あるいは短く祈禱師事件と呼ばれることもある。ネットの一部には「福島のオウム」なんて呼び名まである。除霊と称して太鼓のばちなどで殴りつける激しい集団暴行が、ごく普通の民家の中で何か月も続いていた。
どこにでもいる働き者の主婦だった
最初に断っておく。主犯の江藤幸子は、根っからの怪物として生まれてきたわけじゃない。1947年に須賀川で生まれ、町会議員だった父を4歳で亡くし、工場で働く母の手ひとつで育てられた一人っ子だったという。地元で生まれて、ずっとこの町で暮らしてきた人だ。
中学でも高校でも、目立たないおとなしい生徒だったと伝えられている。ところが社会に出ると化けた。卒業後に化粧品のセールスレディになると、すぐにトップクラスの営業成績を叩き出すほどの腕を見せたらしい。20歳で塗装業を営む男性と結婚し、長男が生まれた。
1984年には家を新築した。のちに事件の現場になる、あの家だ。場所は須賀川市小作田竹ノ花15番地6、田んぼや畑と住宅がまじり合う、ごくありふれた郊外の集落だった。はたから見れば地方都市によくいる働き者の主婦で、それ以上でも以下でもなかった。
ちなみに、ネットに出回っている古いまとめ記事では、夫は建築の現場で働く人で、子どもは4人いたと書かれている。ごく一般的な家庭の主婦、という紹介のされ方だ。夫の仕事の書き方こそ違うが、ありふれた家庭だったという点ではどちらの話も同じだった。要は普通の家族だ。
歯車が外れたのは夫の腰から
崩れ始めたきっかけは、夫のケガだった。仕事中の事故で腰を痛め、働けなくなったのだ。収入が途絶えて家計は一気に苦しくなり、そこへ夫のギャンブル癖まで重なって、首が回らなくなっていった。江藤も化粧品を売って稼いだ。
でも、それだけで一家を支えるのは無理だった。夫は現場に戻れない。おまけに次女まで病気になり、一家は気持ちの面でもお金の面でも、じりじりと追い詰められていった。不幸は重なるときは重なる。
教団を渡り歩いて覚えた手かざし
苦しさのあまり、夫婦がすがったのが宗教だった。入ったのは「天使の郷」と呼ばれる新興宗教の団体だ。ところがそこで夫がほかの女性信者と関係を持ち、家を出ていってしまうという、泣きっ面に蜂みたいな裏切りが待っていた。江藤は失意のまま脱会した。
やめた理由は二通りある。古いまとめ記事では、江藤が夫を連れて入信したことになっている。お金に苦しみすぎたせいか、ほかの信者たちにお金を貸し回っていたのがもとで、数年ほどで脱退したという筋書きだ。抜けたあとは、またセールスレディに戻った。
その後、関西の教団「神慈秀明会」にも入った。次も長くは続かない。高額な掛け軸を買うよう勧められたことに反発して、わずか1か月ほどで見切りをつけている。教団を転々とするあいだに、病気を治すという手かざしの作法を、彼女はすっかり体で覚えてしまっていた。
貧しさ、病気、夫の裏切り。ひとつひとつならどこの家にでもある不幸が、短いあいだに一度に押し寄せたわけだ。弱りきったところに「手をかざせば治る」という教えが入ってきたのだから、すがりたくなる気持ちはわからなくもない。
肩こりが治ったのが始まりだった
1994年7月ごろ、江藤はひとりの祈祷師として独り立ちする。きっかけは客のひと言。化粧品を売りに行った先で「最近肩こりに悩まされてる」と相談を受けたのだ。江藤は教団で見てきた、悪いところに手をかざして癒やす「手かざし」を思い出し、見よう見まねでやってみた。
本当にそんな力があったのかは、正直わからない。でも肩こりは軽くなったらしい。「先生のおかげで楽になった」と感謝されて謝礼まで包まれたのが、すべての始まりだったと語られている。評判は近所の噂になり、相談に来た人に手かざしをする日々が始まった。
最初は本人も半信半疑だった。それが感謝とお金を重ねるうちに、「自分には本当に力があるのでは」という全能感に呑まれていったのだろう。口コミで評判が広がり、信者が信者を呼ぶようになる。近所に住む家族が次々と入信していった。
信者たちは生活費として、一家で百万円単位、あるいはそれ以上ともされる大金を差し出し、江藤の家で共同生活を始めた。ここから地獄が始まる。お布施という名目の大金が、一家まるごとの暮らしと一緒に江藤の家へ流れ込んだ格好だ。後に地獄と呼ばれることになる集団生活の、これが入口だった。
様と呼ばれた女と、21歳の自衛官
信者たちは江藤を「先生」と呼び、やがて「様」までつけるようになった。江藤の振る舞いは、そこから段々とエスカレートしていく。引き金のひとつは色恋だった。18歳の女性信者が恋人として連れてきた21歳の陸上自衛隊員を、江藤は「格の高い魂を持つ特別な存在」と持ち上げた。
そのまま自分の愛人にしてしまったのだ。嫉妬した江藤は、青年の元の交際相手だった女性信者に暴行を加えるようになったと伝えられている。目も当てられない。こうなるともう宗教もへったくれもなくて、家の中は嫉妬と支配と暴力が渦を巻く、まともとは思えない空間に変わっていった。
恋人に連れられて来ただけの21歳の青年が、教祖に気に入られて愛人になり、最後は無期懲役の判決を受けることになる。転落が速すぎる。人生の歯車が、あの家で一気に狂った。
キツネ出ろと叫びながら
逆らう者や機嫌を損ねた者には「悪いヘビの霊がついている」「キツネが憑いている」と決めつけ、除霊が始まった。名前は「御用」。中身はただの集団リンチだ。「キツネ出ろ!」と叫びながら太鼓のばちで殴り、蹴り続ける、除霊の名を借りた私刑だった。
理屈はいつも同じ。悪いのは本人じゃなく、取り憑いたキツネやヘビのほうだ。だから殴っても人を傷つけているのではなく、霊を追い出しているだけだという理屈で、全部が正当化されていった。肩こりを癒やしたはずの手が、いつのまにか人を殴る手に変わっていく。
1995年1月25日、ついに死者が出た。共同生活を送っていた女性信者と、その親族の男性が、御用の末に亡くなったのだ。江藤は残された家族に「神様が魂を浄化しているのだ」とうそぶき、遺体を自宅1階の8畳間に寝かせておくよう指示した。ぞっとする。
悪夢は止まらなかった。2月、3月、5月、6月と、信者が次々に暴行の末に命を落としていく。半年あまりのあいだに6人が死に、1人が重傷を負うという正気とは思えない惨劇が、ごく普通の民家の中で静かに進んでいた。
日付を並べてみると怖い。手かざしで独り立ちしたのが1994年7月ごろで、最初の死者が出たのが1995年1月25日。肩こりを治してもらった感謝から始まった集まりが、わずか半年ほどで人を殴り殺す場所に変わっていたことになる。発覚の7月5日までを数えても、ほぼ1年しかたっていない。
救いがないのはここからだ。死んだり傷ついたりした被害者たち自身も、自分以外の被害者を殴る側に加わっていて、家族のあいだでも暴行が繰り広げられた。殴られる者と殴る者の区別が、あの家ではもう消えていた。
被害者の7人は全員が信者。最初に亡くなった2人も、女性信者とその親族の男性という身内どうしだ。隣近所から集まった家族が、同じ屋根の下で互いに殴り、殴られ、最後は遺体となって同じ家の中に寝かされていった。
母親が見た娘と孫の姿
事件が表に出たのは1995年7月5日のことだ。決め手は親だった。重傷を負っていた若い女性信者の両親が様子を見に訪れ、変わり果てた娘と痩せ細った孫の姿を目の当たりにする。
両親は娘を連れ出して病院に運び、実家で落ち着きを取り戻した娘は、ようやく家族に一部始終を打ち明けた。警察が動いたのはそこからだ。家宅捜索に踏み切ると、家の中から6人の遺体が見つかった。江藤は逮捕され、当時47歳だった。
子どもまで、あの家にいたのだ。痩せ細った孫の姿ひとつで、あの家の暮らしがどれほど異常だったかは、説明されなくても想像がつく。両親が連れ出さなければどうなっていたか、考えたくもない。
ネットの古い記事だと、発覚の流れは少し違う。集団生活が始まって8か月後、重傷を負った信者のひとりが入院したことで家宅捜査が入ったという書き方だ。江藤はそこで逮捕され、警察が捜索すると6人の遺体が寝かされていたようだ、とある。骨組みはほぼ同じ。
蛆虫と脱臭剤とタバコの煙
捜索に入った警察官が見た光景は、想像するのもきつい。伝えられている話では、床一面に蛆虫がびっしり張り付き、腐った遺体の臭いを隠すため大量の脱臭剤やタバコの煙が焚かれていた。半年近く、遺体と同じ屋根の下で寝起きしていたのだ。息が詰まる。
近所の人の証言も生々しい。夏場は網戸ごしに「ドンドン、ドンドン」という太鼓の音が夜な夜な聞こえてきたという。家のまわりには「甘いような、変な匂い」まで漂っていたという話で、音と匂いだけが壁の外に漏れていた格好だ。窓を開けて眠る近所の人たちは、それをずっと聞かされていたのだ。
判決、そして宮城刑務所へ
裁判にかけられたのは江藤だけじゃない。娘、愛人だった元自衛官の青年、それに信者の男性らも起訴された。2002年5月10日、福島地方裁判所は江藤に死刑、娘と愛人に無期懲役、信者の男性に懲役18年を言い渡した。罪名は殺人罪と傷害致死罪だ。
実の娘も裁かれた。主犯の母親に死刑、娘に無期懲役という判決は、ひとつの家族がまるごと事件に呑み込まれたことを突きつけてくる。愛人だった青年も、娘と同じ無期懲役を言い渡されている。
法廷で弁護側は「殺すつもりはなかった」と訴えた。検察は「死んでもかまわないという未必の故意があった」と反論する。裁判所は検察に軍配を上げた。殴り、蹴り続ければ人が死ぬかもしれないとわかっていながら止めなかった、という見方がそのまま通ったのだ。
高裁も甘くなかった。2005年11月22日、仙台高等裁判所は控訴を棄却した。判決は「一時的な責任能力の欠如は認められるものの、大部分は完全責任能力があった」と言い切っている。「至って利己的な動機から重大な結果を招いた」とも断じている。
2008年9月16日、最高裁判所第三小法廷が上告を棄却した。最高裁は「執拗な暴行を加え続けた犯行はなぶり殺しともいえる陰惨なもの」と述べ、ここで死刑が確定した。なぶり殺し。
一審から最高裁まで、結論は一度も揺らがなかった。殺すつもりはなかったという弁護側の訴えは三つの裁判所のどこでも通らず、死刑という結論がそのまま残った。当然だと思う。
執行は2012年9月27日。場所は宮城刑務所だった。戦後の日本で10人目の女性死刑囚で、女性の執行としては1997年以来、15年ぶりという異例のケースだった。最期の言葉や様子は、公式には何も伝えられていない。
ネットに残る古いまとめ記事には、死刑判決が出て「13年後の平成24年9月27日」に執行されたと書かれたものがある。でも日付を並べると合わない。一審の死刑判決から執行までは約10年、事件の発覚から数えても17年で、13年という数字はどこからも出てこない。執行日は合っているから、年数のところだけが誤って伝わった形だ。
刑を受けた側の話はまだ終わらない。一審で無期懲役を言い渡された共犯の娘と元愛人は、今も仮釈放されることなく服役を続けているとされる。塀の中の時間は長い。
2chからまとめサイト、そして心霊スポットへ
燃料は報道だった。判決、上告棄却、死刑執行と、節目のたびに新聞や週刊誌の報道が積み重なった。その記事が2ch、今でいう5chの事件スレや宗教スレ、それにまとめサイトへと転載され、引用されてきたのだ。
執行が呼び水になった。2012年の死刑執行のあと、この事件を取り上げる記事がぐっと増えている。女性死刑囚という珍しさから、「戦後の女性死刑囚一覧」系のまとめや、日刊ゲンダイや文春オンラインの連載で扱われた。
個人ブログや「事件データベース」を名乗るサイトも黙っていない。Wikipediaの記事を土台に、犯人の生い立ちや家庭環境、共犯者たちのその後を独自に書き足した記事がたくさん作られた。それがさらにオカルト系や怖い話系のサイトに転載され、都市伝説みたいな広がり方をしてきた。伝言ゲームだね。
心霊スポットとして名前が出るようになったのは、2019年前後のことだ。きっかけは地元紙の報道で、「現場の家が草木に覆われ放置されている」と伝えられたことだった。そこから心霊スポット巡りのブログやSNSで、「福島の心霊スポットツアー」の定番地として名指しされるようになった。流れははっきりしている。
新築の家だったのに。1984年に建てたあの家が、十年ほどで惨劇の舞台になり、2019年前後には草木に覆われて放置されていると報じられた。時間の流れが残酷すぎる。
同じ事件の三つの顔
ネットでこの事件が紹介されるとき、切り口はだいたい三つに分かれる。ひとつ目は「オウム真理教と並ぶ最凶カルト」として語るパターンだ。規模はまるで違うのに、新興宗教が起こした凄惨な事件という共通点から、オウム事件と横並びにされがちだ。乱暴な並べ方ではある。
ふたつ目は愛憎。江藤と若い元自衛官の愛人関係と、そこから生まれた女性信者への私的制裁を前面に出す。宗教の事件というより、痴情のもつれがそのまま暴走した事件として描いていくのが、このパターンの語り口だ。
三つ目が心霊スポットとしての顔だ。こっちは事件の中身より、放置された家の不気味さや、近所で囁かれる怪奇現象の噂のほうに重心がある。三つとも同じ事件の別の面を切り取っただけで、語り手の関心で強調点が変わっているにすぎない。本物も偽物もない。
太鼓の音を聞いていた人たち
近所に住んでいたとされる人の証言が、報道で伝えられている。誰かはわからないけど、夜な夜な家に出入りする足音がして、網戸で寝る夏には太鼓が「ドンドン、ドンドン」と聞こえたという。生々しすぎる。
深夜に響く太鼓、異臭、得体の知れない出入りの気配。当時そこで暮らしていた人たちが、あれは除霊と称した集団暴行の音だったと後から知ったときの衝撃は、察するに余りある。眠れるわけがない。
愛人になった元自衛官の青年の父親が、息子を連れ戻そうと江藤の家を訪ねてきたという逸話もある。家族は異常さにうっすら気づいていながら、閉じた教団と江藤の支配力の前で、手をこまねくしかなかったように見える。外からの手は届かなかった。
事件が明るみに出たきっかけ、つまり重傷の女性信者を保護した両親の証言も、この事件を語るときには必ず出てくる。変わり果てた娘と、痩せ細った孫。親なら膝から崩れる。その姿を見たときの衝撃が、繰り返し紹介されてきた。
なぜ逃げなかったのか
考察系のまとめやSNSの投稿では、いくつかの見方が交わされてきた。なぜ逃げなかったのか。この素朴な疑問から出てくるのが、集団心理やマインドコントロールの説だ。経済的に依存し、閉じた環境に置かれた信者が、暴力と洗脳で判断力を奪われていったと、心理学の言葉で説明する議論だ。
生活費として一家で大金を差し出し、住まいまで江藤の家に移していたのが、この事件の信者たちだった。逃げ道がどれだけ細かったかは、それだけでも想像がつく。身も心も握られていた。
もうひとつは、江藤の人格を掘り下げる見方になる。夫の裏切りへの怒りや貧しさへの恐怖が、支配欲や全能感への渇望に化けたのではないか、という共依存がらみの心理分析だ。これは専門家の見立てじゃない。ネットの匿名の書き込みによる推測の域を出ない話だと、念のため書き添えておく。
量刑への不満もよく見かける。共犯の娘や元愛人が無期懲役で止まったことに、「なぜ死刑にならなかったのか」と不公平を訴える声が掲示板でたびたび上がる。責任能力の程度や関わりの深さについての裁判所の判断に、納得しきれないという反応が根強く残っているのだ。ただ、どれもネットで囁かれている見方や感想にすぎない。確定判決の中身とは、切り分けて読むのが筋だ。
須賀川と1995年という年
家は、今もあるらしい。現場になった須賀川市小作田地区のその家は、地元では「祈祷師殺人事件の家」と呼ばれ、心霊スポットのひとつに数えられている。ただ、人が死んだ私有の家だということは忘れないでいたい。
福島県内では、この事件はしばしばオウム真理教事件と並べて語られる。1995年3月の地下鉄サリン事件と同じ年に発覚した、という時期の近さも手伝っている。同じ年なんだよな。カルトや宗教の事件を扱う全国の本やまとめサイトで、地方の新興宗教が起こした凄惨な事件の代表例として引かれてきた。
元自衛官の青年については、自衛隊関係者が起こした凶悪事件という角度からも、当時は報道されていた。もちろん、職業や所属そのものが事件の本質だったわけじゃない。それでも、事件の異様さを伝えるひとつの要素として、よく触れられる。そこは線を引いておく。
あの家で本当に起きたこと
キツネの霊も悪魔払いも、あの家の外から見れば怪談の道具立てだ。でも中で起きていたのは、困窮と孤立の果ての集団暴行で、6人が亡くなり1人が重傷を負ったという、判決で確定した事実だ。心霊の噂や心理分析は、そのあとに付け足された話にすぎない。順番を取り違えないでいたい。手かざしで肩こりを楽にしてもらった、あのささやかな感謝から全部が始まったことも、覚えておきたい。
