駅前の昼下がりに、何が起きたのか
舞台は埼玉県桶川市。1999年10月26日の昼、JR高崎線の桶川駅西口付近で、ひとりの女子大学生が刃物で襲われた。ナイフで刺された彼女は、まもなく死亡が確認されている。彼女を追いつめていたのは元交際相手の男を中心とする犯人グループで、嫌がらせはその何か月も前から続いていた。
これが桶川ストーカー殺人事件。警察の捜査上の名前は「JR桶川駅西口女子大生路上殺人事件」で、短く「桶川事件」とも呼ばれている。この事件をきっかけに、2000年に「ストーカー規制法」が生まれた。付きまといや尾行みたいな行為が「ストーカー」の名前で広く語られるようになったのも、この事件が大きなきっかけだった。
ゲームセンターで始まった交際
始まりは1999年だ。埼玉県に住む女子大学生が、ゲームセンターで知り合った男と付き合い始めた。ところがこの男、年齢も職業も偽って近づいてきていたんだ。実際には風俗店の経営に関わる人物だったとされ、出会いの時点で、すでに嘘で塗り固められた交際が始まっていた。
交際中の出来事だ。彼女は自分の部屋に、隠しカメラが仕掛けられているのに気づく。一気に強い不信感がふくらみ、彼女は男に別れを切り出した。安心して眠れるはずの自分の部屋がのぞかれていたのかと思うと、想像するだけで背筋が冷えてくる。
ここから男の態度が豹変する。「別れるなら痛い目に遭わせる」という趣旨の言葉で、彼女を脅したと伝えられている。頻繁に電話をかけては行動を監視するようになったとも伝わっていて、逃げ場のない日々が始まった。交際のころから、彼女は何度となくこの男に恐怖心を抱いていたそうだ。
自宅に押しかけてきた三人
その年の初夏だ。彼女はあらためて、はっきり別れる意思を伝えた。すると男とその兄、さらにもうひとりの関係者の三人が、わざわざ連れ立って彼女の自宅へ押しかけてきた。持ち出されたのは身に覚えのない金銭トラブルの話で、三人がかりで彼女を脅しにかかる。
これで終わりじゃなかった。そこから先、彼女を中傷するビラが撒かれ始める。ビラは本人の身の回りだけでなく、通っていた大学や実家の周りにまで及んだ。無言電話や嫌がらせの手紙まで繰り返し届くようになり、心の休まる時間なんてどこにもなかったはずだ。
標的は父親の職場にも向いた。本人を装った不審な電話が、父親の会社にまでかかってきたんだ。中身は娘についてのありもしない話で、嫌がらせは彼女ひとりでなく家族全体を巻き込むものになっていった。事態は、どんどん深刻にエスカレートしていく。
10月26日、桶川駅西口で
迎えた10月26日の昼。JR高崎線桶川駅の西口付近で刃物で襲われた彼女は、まもなく死亡が確認され、若い命がそこで絶たれた。実行犯としては、複数の人物が関わっていたとされる。ひとりの男がかっとなって起こした凶行とは、どうも話が違う。
正直、ぞっとする。この事件は、よくある痴情のもつれみたいな言葉では片づけられない。組織的に計画された犯行としての性格を、はっきり帯びていたからだ。別れ話から始まったはずの嫌がらせが、ほんの数か月のうちに、人の命を奪うところまで行き着いてしまった。
何度も警察へ足を運んでいた
ここで話は警察に移る。この事件がいまも繰り返し語られる一番の理由は、実は犯行そのものじゃない。被害者とその家族は、事件が起きる前に何度も所轄の警察署へ足を運び、身に起きている被害を相談していた。それなのに警察の怠慢な態度のせいで、訴えはまともに聞き入れてもらえなかった。
最初の相談は、事件の四か月以上前のことだ。応対した担当者は、「これは民事と刑事の境界線上にある問題だ」という趣旨の説明をしたとされる。それで終わりだった。具体的な保護の手だてには、結局つながらなかったと伝えられている。
次の場面もひどい。被害者側が、正式に告訴の手続きを進めようとしたときのことだ。担当していた課長級の人物は、「裁判になれば被害者自身がつらい思いをすることになる」といった言葉を口にしたとされる。そうやって、告訴を先に延ばすよう促したらしい。
告訴状が「届出」に化けていた
いちばん深刻なのはここからだ。被害者が出した告訴状は、書類の上で「届出」という扱いに書き換えられていて、それがあとの内部調査で発覚した。正式に訴えたはずの書類が、いつのまにか別物にすり替わっていたなんて、にわかには信じがたい。
話はまだ続く。この改ざんに関わったとされる署員は、被害者の母親に対して、誤解を招くような説明をしていたことが明らかになっている。そのうえ告訴の取り下げまで促していた。助けを求めた側が、逆に手続きを引っ込めるよう仕向けられていたのだから、ひどい話だ。
娘を失った母親は、後年この経緯を振り返ってこう語っている。「娘は三度殺された」。警察の対応がどれほど家族の心を打ちのめしたのかを示す言葉として、しばしば引用されてきた証言だ。重すぎて、軽々しく何か言うのがためらわれる。
県警自身が認めた「虚偽公文書作成」
県警も動いた。事件のあと、埼玉県警察は内部調査を行い、担当した警察署の署員複数名を懲戒処分にしたと公表している。調査報告は、告訴状を届出扱いに書き換えた行為を「虚偽公文書作成」にあたると認定した。警察の内部でも見過ごせない不正だったと、公式に認めた形だ。
ここは誤解しないでほしい。対応がちょっと鈍かった、というレベルの話じゃないんだ。被害者からの正式な法的手続きの申し出そのものを、組織の判断で実質的にもみ消していたのだから、話の次元がまるで違う。当時の日本社会が大きな衝撃を受けたのも、無理はない。
記者たちが掘り起こした真相
陰の立役者は記者たち。この不作為と隠蔽が明るみに出た裏には、粘り強く取材を続けた人たちの存在があった。写真週刊誌の記者として現地取材を重ねたある人物は、被害者の遺族や関係者に丁寧な聞き取りを続けた。警察がどれほど訴えを軽く扱っていたかを、ひとつずつ裏づけていったそうだ。
テレビも動いた。報道番組のキャスターも独自に取材を重ね、テレビの画面からこの事件の異様さを広く一般の人たちへ伝えていった。こうした報道の積み重ねは、やがて国会にまで届く。
舞台は参議院の予算委員会。警察の対応の是非が国会の場で議論される事態にまで発展し、世論の盛り上がりは本当に大きなものになった。それまでストーカー行為は、「男女間のもつれ」で片づけられがちだった。それが社会全体で対処すべき犯罪として見られるようになる、大きな転換点だったんだ。
ストーカー規制法が生まれるまで
動きは早かった。事件からおよそ半年後の2000年5月24日、国会は新しい法律を成立させた。正式な名前は「ストーカー行為等の規制等に関する法律」で、通称ストーカー規制法、同じ年の11月24日に施行されている。1999年に起きた桶川の事件を受けて、翌2000年に議員立法という形で急いで整えられた法律だった。
言葉の話も少ししておこう。ストーカーは英語のstalkerで、ひそかな追跡や忍び寄りを意味する「ストーキング」をする人物のことを指す。この法律は平成12年法律第81号にあたる。目的は、ストーカー事件から起こりうる殺人や傷害などの凶悪犯罪を防ぐことにある。
中身も見ておこう。つきまといやなりすまし、無言電話、監視していると告げる行為などを、ひとつずつ型に分けて定めた。そのうえで、警察が前もって警告や禁止命令を出せる仕組みを作ったんだ。それまではっきりした法の枠組みがなかったストーカー行為に、初めて体系立てて手を打てるようになった。
画期的な立法。ひとりの被害者と遺族の悲劇が、あとに続く大勢の人を守る制度として形になった。その意味で、日本の犯罪被害者施策の歴史のなかでも大事な位置を占めている。ただ、失われた命が法律ひとつで戻ってくるわけじゃないのが、どうしようもなくやりきれないところだ。
遺族が起こした国家賠償訴訟
遺族は黙っていない。事件から三年がたった2002年、遺族は埼玉県を相手取り、警察の対応の不備を理由とする国家賠償請求訴訟を起こした。求めたのは、警察の責任をはっきりさせることだった。
2003年に地裁判決。判決は警察の対応を「不誠実」だったと厳しく指摘し、遺族への賠償金の支払いを命じている。ところが、同じ判決にはもうひとつの判断が含まれていた。「捜査の怠慢と被害者が殺害された結果との間に直接の因果関係を認めることはできない」というものだ。
この判断は覆らなかった。高等裁判所でも、最高裁判所でも、そのまま維持されたんだ。警察の対応に問題があったこと自体は、司法の場で公式に認められた。それでも、不作為と死という結果を法的にまっすぐ結びつけるところまでは認められないまま、訴訟は確定している。
遺族の胸中は複雑。警察の落ち度が認められたこと自体には、一定の意味を見いだしていた。けれど娘の命が失われたという一番重い事実への説明としては、とても納得できるものじゃなかった。遺族はそう、後年にわたって発言を続けてきている。
ネットでは今も「桶川の教訓」が語られる
発生から四半世紀以上。それでもこの事件は、ストーカー犯罪や警察の対応を語るたびに、何度も引き合いに出される。掲示板やSNSでは、当時の警察の対応を「あってはならない怠慢」と厳しく批判する声がいまも根強い。風化していない、ということなんだろう。
お決まりの書き込みがある。「桶川の教訓が生かされていないのではないか」という指摘だ。後年に別のストーカー殺人事件が報じられるたびに、こうした投稿が繰り返される傾向があるそうだ。同じような悲劇がまた起きたのか、というやりきれなさがそこににじんでいる。
法律のほうも止まってはいない。ストーカー規制法はその後、何度か改正を重ねてきた。SNSでのつきまといや、GPS機器を使って位置情報を無断で取る行為なども、規制の対象に加えられている。法改正のたびに、制度の出発点として桶川の事件の名前が挙がることが多いそうだ。
ある書き手がぶつけた怒り
この事件を振り返ったある書き手は、率直な怒りをぶつけている。何のための警察なのか。私たち一般の庶民は、最後にどこを頼ればいいのか。警察への不信感が一気にわき上がったと、その書き手は隠さずに打ち明け、やり場のない憤りをにじませている。
書き手はまず、この事件を若い男女の感情から起きたものとして受け止めている。交際中から男に何度も恐怖心を抱き、断ったとたんにビラや嫌がらせが始まり、父親の会社にまで電話がかかってきた。家族ごと巻き込まれたうえで、警察に何度相談しても取り合ってもらえなかった。怒りが募るのも当然。
その書き手が一番に問題視したのも、やっぱり警察だった。警察がしっかり動いてくれていれば、この事件は防げたかもしれないと、思わずにはいられなかったそうだ。もちろんこれは仮定の話。裁判では因果関係までは認められていない。
男への見方も容赦ない。思いどおりにならない女性への腹いせで、感情のコントロールもできずに理性を失った行動だと断じている。大人になりきれていない、ただの幼稚な振る舞いだと切り捨てる。相手を思いやる気持ちがまるでない自分勝手なストーカーは、時代が変わっても生まれるだろうとその書き手は見ている。
呼びかけはほかにもある。女性は甘い言葉に惑わされず、しっかりした目で相手を見るべきだとその書き手は訴える。ただ、責められるべきはあくまで加害した側で、被害者に落ち度を求める話じゃない。こんな非道な事件の被害者に誰ひとりならずにすむように、という願いとして、この言葉は受け取っておきたい。
注文は制度にも向く。ストーカー規制は時代に合わせて厳しくし、厳罰化していかなければ被害者は減らない、という意見だ。警察には、男女間のただのトラブルなどと軽く考えないでもらいたい。警察としてあるべき姿で対応してもらいたい、というのがその書き手の締めくくりだった。
この事件が今も問いかけていること
ただの凄惨な殺人じゃない。桶川の事件がいまも忘れられずにいるのは、被害者と家族が公的機関にちゃんと助けを求めていたからだ。その訴えが組織の判断で軽く扱われ、結果として最悪の事態を防げなかった。この構造そのものが、何度でも思い出される理由なんだ。
民事不介入という名目の怖さ。個人からの相談や届け出を「民事不介入」の名目で軽く見ることがどれだけ危ないか、この事件は社会にまざまざと突きつけた。警察という組織のあり方そのものに、反省を迫る出来事でもあった。
残されたものは大きい。ストーカー規制法という制度の遺産がある一方で、司法の場では警察の不作為と結果との因果関係が最後まで認められなかった。被害者をどう支えるのか、公的機関はどこまで責任を負うのか。その重い問いは、いまも私たちに投げかけられたままだ。
