2009年の秋、島根県浜田市で一人の女子大生が姿を消した。十日あまり後、彼女は県境の山で見つかる。変わり果てた姿でだ。島根女子大生死体遺棄事件は、実行者とされた人物がとうにこの世を去っていたという、ひどく重い結末を抱えた事件だった。
呼び名はひとつじゃない。浜田事件、浜田学生遺棄事件、島根女子大生殺害事件、島根女子大生バラバラ殺人事件と書かれることもある。どの名前で呼んでも、中身の重さは変わらない。ここから先は、確かな記録と噂話をきちんと分けながら話していきたい。
この話には、はっきりした答えがない。裁判は開かれず、動機も語られず、山には噂だけが増えていった。先に言っておく。読み終えてもすっきりはしないはずだが、それでも何が分かっていて何が分かっていないのかだけは、はっきりさせておきたい。
十九歳は、バイト先を出たきり帰らなかった
始まりは秋の日だった。2009年10月26日、浜田市内のアルバイト先を出た女子大学生が、そのまま消息を絶った。当時19歳、地元の大学に進学したばかりの一年生で、普段は学業とアルバイトを真面目に両立させていたと伝えられている。家族も友人も、連絡がつかないことを不審に思った。
捜索願が出された。それでも目立った手がかりは出てこない。日数だけがじりじりと過ぎていき、家族にとってその十日あまりがどれほど長かったか、想像するだけで胸が詰まる。
転機は11月6日。島根との県境に近い広島県北広島町の臥龍山で、きのこ狩りをしていた人が山中で異様なものを見つけ、通報したのだ。見つかったのは、切断された女性の頭部だった。その後の捜索で、数日から十数日をかけて、体のほかの部位が山中や周辺から少しずつ見つかっていく。
失踪から十日あまり。彼女は変わり果てた姿で見つかったわけだ。地元の大学に通う若い女性の事件だったから、同じ年頃の学生やその家族のあいだに、不安が一気に広がった。
日本海の町が、いきなり揺さぶられた
浜田市は日本海に面した町だ。漁業と農業の町として知られ、暮らしの流れも穏やかな地方都市だった。その静かな日常を、この事件は根こそぎひっくり返してしまう。警察は大規模な捜査を始めたが、初期の手がかりは驚くほど乏しく、事件は糸口をつかめないまま時間だけが流れた。
事件の名前は、あっという間に広まっていく。島根女子大生死体遺棄事件。静かな地方都市に持ち込まれた恐怖と混乱は、この呼び名と一緒にニュースで何度も繰り返され、町の外にまで知れ渡っていった。
防犯カメラも、物証も足りなかった
猟奇性の高い事件。島根県警と広島県警は合同で大規模な捜査本部を置き、延べ数万人規模ともいわれる捜査員を投入している。ところが、捜査は最初からつまずいた。被害者が最後に立ち寄ったとされる場所のまわりには、当時まだ防犯カメラが十分に整っていなかったのだ。
防犯カメラの映像がどれだけ捜査を助けるかは、今では誰でも知っている。その頼みの綱が、2009年のあの場所のまわりにはまだ十分に揃っていなかったのだから、捜査が苦しくなるのも当然だった。悔しい話だ。
足取りが追えない。失踪した直後、彼女がどこを通ってどこへ向かったのか、そこが真っ白なまま残った。現場近くで見つかった遺留品もDNA型の特定に至らないものが多く、決め手となる物証を欠いたまま捜査は長期戦に入っていった。
延べ数万人。数字だけ見ても、どれだけの人手がこの事件に注ぎ込まれたかが分かる。山の捜索に聞き込み、遺留品の鑑定まで、打てる手はひととおり打たれていたのに、決め手だけがどうしても出てこなかった。
ここで立ちはだかったのが時効。死体遺棄罪の公訴時効は3年しかない。期限の2012年10月が迫るなか、捜査本部は容疑を殺人罪に切り替えることで、時効の壁を越えて捜査を続ける道を選んだ。死体遺棄罪そのものの時効は、2012年10月26日に成立している。
3年という数字は、事件の重さに比べると驚くほど短い。死体遺棄だけで追っていたら、2012年10月で捜査の足場が消えてしまう。だから切り替えた。殺人罪として追い続けるという判断は、捜査本部が時効の壁を越えて事件を手放さないための、ぎりぎりの一手だった。
この切り替えは、家族や地域の人たちにとって「まだ諦めていない」という希望のよりどころになったと伝えられている。その一方で、焦りも募っていく。真相が見えないまま歳月だけが過ぎていくことへの焦燥感も、同時に積もっていったという。
7年後、デジタルカメラの中にあったもの
事件が動いたのは、発生から7年以上たった2016年のことだった。本当に、思いがけない形でだ。捜査本部が性犯罪歴のある人物を対象に洗い直しを進めていて、その中で当時島根県内に住んでいた30代の男性が浮かんだ。不審車両の再調査から浮上したと書く記事もある。
容疑者として浮上したのは、33歳の男、矢野富栄だった。決め手になったのは、この男の遺品として残っていたデジタルカメラとUSBメモリだったと伝えられている。削除されていたはずの画像データが、そこから復元されたのだ。ぞっとする話。
7年という時間は長い。その間ずっと捜査員は時効の壁を越えて手がかりを追い続け、遺族は何かしらの知らせを待ち続けていた。答えは、思いもよらない場所に眠っていた。持ち主のいなくなったカメラと、小さなUSBメモリの中だ。
復元された画像の中には、被害者の遺体が写り込んだとみられる写真が数十枚も含まれていたという。元記事の数字では57枚。自宅の風呂場や自室の壁を背景に撮られたとみられる画像もあったらしい。この物証を手にした警察は、ついにこの人物こそが事件の実行者であると強く推認するに至ったとされる。
遺体発見の2日後、男はもう死んでいた
ここからが一番きつい。この男は、遺体が見つかったわずか2日後の2009年11月8日に山口県内の高速道路で交通事故に遭い、すでに死亡していたのだ。こんな結末を、誰が予想できたか。7年ものあいだ、警察も遺族も、事件の鍵を握る人物がとうに世を去っていたことに気づかないまま捜査を続けていたわけだ。
時系列を並べると、そのいびつさがよく分かる。10月26日に彼女が姿を消す。11月6日に臥龍山で頭部が見つかる。その2日後の11月8日には、実行者とされた男が山口県内の高速道路で交通事故に遭い、命を落としている。
数えてみると、失踪から男の事故死までわずか13日しかない。その13日のうちに何が起きたのか、細かいところは本人の死とともに分からなくなった。背筋が寒くなる。答えを知っていたかもしれない人物は、事件が報じられはじめたころには、もうこの世にいなかった。
捜査がそこへたどり着くまで、さらに7年。長すぎる回り道だ。動機も犯行の詳細も不明のままで、解決を望んできた地元の人たちにとっては受け止めにくい知らせになった。
2016年12月、男は生前の容疑のまま書類送検された。ただ、当然ながら起訴はされていない。裁判は開かれていない。だから、この人物が実際に事件を起こしたのかどうかについて、裁判を通じた法的な確定は今も行われていない。
言葉の話をひとつ。書類送検された男は、法律の言葉でいえば「被疑者」、つまり捜査機関に犯罪の疑いをかけられながら起訴はされていない人になる。報道でよく使う「容疑者」とほぼ同じ意味だ。男はその立場のまま、この先も変わることがない。
なので、ここでもこの男を「犯人と断定された人物」とは書かない。そこは譲れない。あくまで「警察が実行者と強く推認した人物」だ。容疑者が死んでいる以上、動機も犯行の詳しい中身も分からないままで、真相は霧の中に閉ざされてしまった。
本人はもういない。写真に何が写っていたのか、なぜそんな写真を撮ったのか、問いただす相手がいない。問いただす相手がいないまま証拠だけが残ったという、このねじれこそが、この事件のいちばん苦いところだと思う。
地元に残ったのは複雑な感情だった。解決を待ち続けてきたのに、裁きの場は二度と開かれない。喜べない結末。実行者とされる人物は見つかったのに、本人の口からは何ひとつ語られずに終わったのだから、晴れやかになれるはずもない。
2016年に届いた一通の書き込み
当サイトには2016年、この事件についてのコメントが寄せられている。書き手の口ぶりは熱い。犯人はまだ見つかっておらず未解決で、島根県の未解決事件といえばこれ、と名前が挙がるほど知られているというのだ。残虐さゆえに、当時の世間はこのニュース一色だったとも書かれている。
書き込みでは、2009年11月6日に島根県と広島県のあいだの山道で遺体が見つかったと書かれている。遺体はバラバラにされ、四方八方に転がっていたとも。記録の流れとは少しずれる。ほかの資料では、臥龍山でまず頭部が見つかり、残りの部位が日を追って見つかっていったと書かれているからだ。
殺されたのは19歳の女子大生だった。恨みを買うようなことのない、ごく普通の女性だったと書き込みは言う。理由が見えない。そんな彼女がなぜ狙われたのか、その問いそのものがまず怖いのだと書き手は語り、そのうえで殺害方法の話へ進んでいく。
頭部を殴られた跡があり、首を絞められた跡もあった、と書き込みは続く。遺体の切断には刃物が使われ、骨が見えるほど肉が削がれていた、という話まで出てくる。詳しくは書かない。亡くなった一人の女性の体の話を、これ以上ここで面白半分にふくらませる気にはどうしてもなれないからだ。
書き手の理屈はこうだ。バラバラ殺人で、肉まで削ぎ落とすことはふつうない。手間がかかるうえに、そうする意味もないからだという。だから事件を語る人たちのあいだでは、バラバラにされて放置されたあと、野犬に食われたのでは、と考察されることもある。
書き手がいちばん怖いと言うのは、その先だ。遺体の一部が、まだ見つかっていない。とくにお腹まわりがまだ見つけられておらず、犯人がまだ持っているのではないかという説まで出回っている。考えるだけで寒気がする。
県境のあのあたりに、まだ遺体の一部があるのかもしれない。そう思うと本当に怖くなる、と書き手は結んでいた。念のため断っておく。「犯人は見つかっていない」という一文は、同じ2016年の12月に男が書類送検されたことで事情が変わった。
見つからない胴と「野犬説」
未発見の部位の話は、この書き込みだけのものじゃない。考察記事や掲示板で、遺体の一部、とくに胴体の中心部分が最後まで見つからなかったという点がくり返し取り上げられてきた。なかでも根強い説がある。実行者とされた人物が生前どこかに隠し持ったまま、本人の死とともに行方が分からなくなったのではないか、というものだ。
発見された遺体の一部について、骨が露出するほど肉が削がれていたという生々しい情報を紹介する記事もある。それには決まって考察が添えられる。バラバラ殺人にしては手間がかかりすぎているから、山に遺棄されたあとで野犬などの野生動物に荒らされたのではないか、と。どれも公式な情報じゃない。
掲示板はずっと騒がしかった
事件が発覚した当初から、ネットは騒がしかった。当時の2ちゃんねる、いまの5ちゃんねるのニュース速報系や事件系の板には、早い段階で専用スレッドが立っていたと伝えられている。話題は尽きない。遺体の見つかり方、捜査の進み具合、そして「犯人はどんな人物か」という考察が延々と交わされていた。
当初の報道では、捜査員が複数の男性の写真を持って聞き込みをしている、という捜査情報が流れたこともあった。これが複数犯説に火をつける。この関連は、のちに否定されている。
2016年、あの結末が出る。実行者がとっくに死んでいたと分かると、掲示板やSNSには「まさかそんな結末になるとは」という驚きの声が並んだ。本当に単独犯なのか、という書き込みも出てきた。事故死ではなく、何らかの理由で消された可能性はないのか、とまで言う人もいた。
こうした不可解な偶然の死に、陰謀めいた解釈を足したくなる。その心理は、ほかの未解決事件の考察コミュニティでもよく見かけるものだ。気持ちは分からなくもない。けれど、根拠のない憶測は、それを読む遺族や関係者をもう一度傷つけかねないことも忘れずにいたい。
夜の臥龍山に、白い影
臥龍山は、広島県側にまたがる標高千メートル級の山だ。かつてはハイキングや自然観察、散策の場として親しまれていた。事件のあと、その顔が変わった。地元の人たちにとって「近づきたくない場所」になり、山菜採りや登山で訪れる人の数も大きく減ったと伝えられている。
ハイキングで登る人、きのこや山菜を探しに入る人。事件の前の臥龍山は、そういう人たちが気軽に足を運ぶ、ありふれた山のひとつとして親しまれていた。発見者もその一人だ。
地元の声として、夜の山で不気味な音が聞こえたと話す人がいる。山道で冷たい気配を感じたと言う人もいる。気味が悪い。事件の凄惨さや、はっきりしないまま残った謎が、住む人たちの心に影を落とした結果なのかもしれない。
ある地元の教師は、事件のあと生徒たちが臥龍山を避けるようになったと話している。子どもたちにまで影が及んだわけだ。地元の教育関係者からは、事件を知った子どもたちが自然と山から足を遠ざけるようになったという声も紹介されている。ずしりと重たい話。
一つの事件が、土地の記憶そのものを塗り替えてしまった格好だ。山そのものは何も変わっていないのに。見る側の目が変わった。地図の上では同じ山でも、地元の人の頭の中にある臥龍山は、もう2009年の秋より前の姿には戻らない。
事件から15年以上がたち、浜田市は表向き平穏を取り戻している。表向きは、だ。臥龍山のまわりでは、今も不気味な噂が絶えない。「夜の山で白い影を見た」「被害者の声が聞こえる」という話が若者やSNSで語られ、事件は都市伝説の一端になっていく。
臥龍山は、いつしか「呪われた場所」とまで呼ばれるようになった。容疑者が死んでいたという結末も、事件に妙に神秘的な色をつけた。真相が明かされないままの事件は想像をかき立て、山を訪れた若者や物好きな人が「何かを見た」と口にすることもある。無理もない。
心理学的に見れば、こうした噂は集団の不安やトラウマが形を変えたものかもしれない。未解決の事件が土地の想像力を刺激して、怖さと好奇心の両方をかき立てていく、その典型みたいな例だと思う。理屈は分かる。地元の大学では、事件を題材にした研究や創作活動も見られる。
顔が二つある。猟奇殺人事件としての顔と、心霊スポット的な都市伝説としての顔だ。記録と捜査の話も噂と怪異の話も、同じ臥龍山という名前で語られるから、どちらの話なのかは聞き分けておきたい。
ただ、ひとつ。被害者の家族や友人の気持ちを考えれば、こうした噂が新しい傷を生むことだってありうるわけで、語るときには敬意がいる。白い影の話を楽しむ前に、そこは頭に置いておきたい。
弟の美容室に貼られた一枚の紙
事件の後日談として、ネットでよく語られる話がある。実行者とされた人物の家族、とりわけ弟の話だ。ある考察記事によれば、この弟は事件が発覚するより前に、実家の敷地で自然派をうたう美容室を開いていたという。胸が痛む話。
ところが兄が事件の実行者として報じられると、店に一枚の張り紙が出た。「一身上の都合により閉店することになりました」。開業からまだ数年しかたっていなかったその店は、それからほどなくして本当に畳まれてしまったと伝えられている。たった一枚の紙。
張り紙の文面は、ありふれた定型句だ。どこの店でも見かけるような言い回しなのに、この店の事情を知ってから読むと、まるで違う重さでのしかかってくる。短い一文だ。言葉が少ないぶん、よけいにつらい。
弟自身は事件に一切かかわっていない。それなのに周囲の心ない視線や誹謗中傷にさらされ、静かに暮らしていた生活の場を奪われる形になったという。理不尽すぎる。凶悪事件は実行者本人だけでなく、血がつながっているというだけの無関係な家族の人生まで狂わせてしまう。
この後日談は、事件を知る人たちのあいだで、そうした現実を示す話としてたびたび引き合いに出されている。当サイトとしても、被害者はもちろん、こうした周辺の人たちを興味本位に消費するような扱いはしたくない。そこは約束しておく。
「山の話」として残っていくもの
この事件は、浜田市の人たちの集団的な記憶に深く刻まれた。文化人類学の目で見れば、こういう事件は地域の「語り」として残り、コミュニティのアイデンティティをつくっていく。物語になっていく。
臥龍山が「立ち入ってはいけない場所」としてタブー視されるようになった流れは、日本各地の怪談や禁足地の言い伝えにも通じる。地元の人が「山の空気が違う」と感じるのも、事件の記憶が場所に重ねられた結果かもしれない。場所が記憶を背負う。悲劇が特定の土地と結びつき、物語として受け継がれていく例なのだ。
もうひとつ、事件が残したものがある。「正義の不在」という感覚だ。未解決の事件が都市伝説や怪談の題材になりやすい理由のひとつがこれで、浜田では臥龍山がそのシンボルになった。
地元の集会所や飲食店で、事件そのものが正面から語られることは少ない。直接は言わない。それでも「山の話」として、遠回しに触れられる場面はある。表立っては誰も口にしないのに話の端々にふっと顔を出す、そういう形で事件の影響は今も生きている。
花だけが、黙って置かれていく
2016年の特定のあと、浜田市は事件の進展について公式にコメントし、被害者への哀悼と地域の安全への取り組みを強調した。それでも、真相が見えないことへの住民の苛立ちは根強い。臥龍山のまわりには、今も追悼の花がひっそりと手向けられる日がある。誰かが、そっと。
メディアが取り上げることはほとんどない。声を上げることもない、静かな追悼のかたちとして、それは浜田の人たちの暮らしの中にしっかり根を下ろしている。派手さはない。
解決したようで、していない。7年以上に及ぶ長い捜査の末に実行者と強く推認される人物が浮かびながら、本人は事件直後に事故で世を去っていた。裁判を通じた法的な確定がないまま幕が下りたことで、遺族にも地域にも、割り切れない感情が残り続けている。被害者の無念と地域の傷は、時間がたっても完全には癒えないのかもしれない。
被害者は19歳だった。大学に入ったばかりで、これから先の時間がいくらでもあったはずの年齢だ。その時間を奪った出来事の中身は、法廷で一度も語られていない。だからこそ、噂や憶測で空白を埋めるのではなく、分かっていることと分からないことの境目をきちんと残しておきたい。
未発見の部位をめぐる噂も、実行者の家族が受けた二次的な被害も、山にまつわる怪異の話も、ネットで語られ続けている。ただ、その多くは推測や伝聞だ。確かな事実とは分けて受け止めたい。
それでも浜田の人たちは事件を忘れず、静かに記憶を刻み続けている。山は黙っている。真相が明らかになる日は来るのか、それともずっと謎のままなのか、その答えは地域の記憶と一緒に、先の時間へ預けられている。
