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黒い看護師の現在はどうなった?久留米連続保険金殺人事件の衝撃の真相

最上階だけ、広さが違った

2001年1月、久留米市の新築マンションで最上階の一室が売れた。頭金に使われたのは、仲間の夫が死んで下りた保険金。買った女は階下の三部屋にも同級生を一人ずつ住まわせ、全員に自分を「様」づけで呼ばせるようになった。みんな、看護専門学校の同級生。

理由は、先生の指示だという。先生など、どこにもいなかった。週刊誌の記者は、最上階の部屋に出入りできたのは一番近くにいた女だけだったと記している。ほかの二人はゴミ出しや買い物を言いつけられ、まるで女中のように扱われていたらしい。

司法担当の記者の話では、巻き上げた金のほとんどが主犯の女に渡り、行き先はマンションの購入、海外旅行、高級エステだったという。夫を亡くした女の一人は、柳川市のリハビリセンターに入院する主犯の父親の世話まで押しつけられていた。子どもとは、すれ違いの暮らし。逮捕まで、あと一年と少し。

「先生」の正体は、作り話だった

始まりは、1989年の夏だった。看護学校時代の友人と再会した主犯の女は、相手の不倫の悩みを解決できる人がいると匂わせる。政界にも警察にも顔が利く、という「先生」。しばらくして不倫相手が姿を見せなくなり、友人はすっかり先生の力を信じ込んだ。

1991年、友人は主犯の家で同居を始める。元の不倫相手がやくざを使って連れ去ろうとしている、と先生が警告したので、友人は怯えて、主犯の保護にすがるしかなかった。翌年に主犯の夫が実家へ移ると、肉体関係まで迫られた。逃げようとすれば「先生が、逃げたら末代にわたって抹殺すると言っている」と脅される。

クレジットカードは主犯が使い込み、友人には「先生の調べで義兄が盗んだと分かった」と伝えていた。紛失の届け出は止められ、友人の通帳も、やがてすべて主犯の管理に移っていく。親族とは疎遠になるばかり。1994年に友人が自損事故を起こすと、死者が出たが先生がもみ消したと告げて、信頼を深めさせた。

同じ手は、ほかの同級生にも使われた。1994年6月、ある同級生は、マンションを売った金のうち750万円をだまし取られている。1996年2月には、別の同級生が「元同僚がやくざを後ろ盾に復讐を企てている」という話を信じ込み、約1年で2800万円を渡す。復讐の代理人とされた「井田」も、実在しない人物。

主犯の手に入った現金は、一連で約2億円にのぼる。一人の同級生から約1億1500万円、もう一人から約6900万円。1997年には、同僚の看護師からも、医療ミスの示談金という名目で500万円を二度だまし取っている。

不審に思った同僚は、弁護士に相談し、返還を求めた。主犯は偽の領収書を見せ、「善意でやってきた」「警察に訴えればいい」と突っぱねて、話をうやむやにする。この件は、警察沙汰にならなかった。

ここで、筆者の見立てを書いておく。作り話の人物は、先生、井田、古林の三人。先生は政界と警察を匂わせ、井田は暴力団を後ろ盾にし、古林は興信所の人間を名乗った。相手が一番怖がるものを、一人ずつ別の人物に背負わせていたわけだ。

実在しない債権者は、請求書も領収書も出さない。返しても返しても、終わりが来ない。正直、よくできた仕組みだ。何を頼まれても断れない状態を、嘘だけで作り上げていた。

救急隊員に「主人がかわいそう」と言った

1997年10月、主犯は友人の夫を「生きるに値しない」と考えるようになった。夫と激しく口論したのがきっかけで、実行役には、学生の頃から嫌っていた当の妻が選ばれたという。手を汚させて「十字架を背負わせる」つもりだったと、判決をもとにした記述は伝える。

妻に吹き込んだのは、夫が浮気をしていて、妻子に保険金をかけて交通事故に見せかけ殺そうとしている、という話だ。「井田」がそうほのめかした、と添えられる。車内には睡眠薬が置かれ、主犯はそれを指さして「やっぱり殺す気だ」と言った。

年が明けた1998年1月8日、嘘は大きくなる。自分の長女が何者かにさらわれ、「恨むならあの人を恨め」と言われたのだと妻に打ち明けて、殺害を急かした。14日には、夫が拉致に関わっているかのような作り話も加わった。妻の殺意は、こうして固まっていく。

実行は、1月21日の夜に始まった。長い時間がかかっても事は済まず、その夜は断念している。23日に改めて決行し、夫は亡くなった。医療の知識を使った方法。ここまで、足かけ三日。

妻は119番に通報した。主犯たちは「駆けつけた友人」として、救急隊に立ち会っている。救急隊が解剖の可能性に触れると、妻は打ち合わせどおり「主人がかわいそう」と泣いて止めた。病死で片づけるための芝居。

その場に居合わせた2歳の末娘が、何も分からないまま、母に向かって「お父さん、きのうチクンされてたね」とつぶやいた。事件の経過をまとめた記述に出てくる場面だ。幼い子は、見たままを言っただけなんだよな。

2月19日、3498万円の保険金が口座に振り込まれると、そのうち3450万円は、井田への返済だと言って主犯に渡る。会社が出した義捐金と埋葬費の313万円も、妻の代理人を名乗って、本人に黙って受け取っている。夫の両親が相次いで亡くなると、遺産の1000万円も同じ名目で消えた。名目は、返済。

古林という興信所員は、実在しなかった

1999年2月、主犯は別の友人の家を訪ねた。その時刻に合わせて、主犯に指示された仲間の一人が、興信所員「古林」を名乗って電話をかけてくる。用件は友人の夫の浮気で、間には主犯に入ってもらう、と一方的に告げられた。

後日、主犯は「古林に会ってきた」と友人に話した。夫は浮気相手に貢ぐために人をだまして金を巻き上げ、自殺者まで出ているから恨みを買っている、という作り話だ。続けて、主犯は「いい方法がある」と殺害を持ちかけた。

ほかの二人は、別々の理由で丸め込まれる。一人には、先生とその側近が苦境にあって金が要る、と訴え、もう一人には、井田への返済がまだ残っていると匂わせた。作り話は、聞かせる相手ごとに仕立て直されている。

3月27日の夜、夫は睡眠薬を入れた食事で眠らされた。急性アルコール中毒に見せかける計画。日付が変わった28日に心臓が止まり、搬送先の病院で亡くなった。

保険金の額は、3200万円から3300万円までと資料によって幅があり、ここでは一つの数字に決められない。通帳と印鑑は「古林の指示だ」として、友人から取り上げられた。ここでも金は、実在しない人物に返す名目で、主犯のもとに集まっていった。流れは、いつも同じ。

2000年5月29日、別の友人の母親が狙われる。柳川市の家へ、探偵事務所の職員を名乗って仲間の一人が訪ねている。計画は、母親に騒がれて失敗した。母の娘は、この計画を知らされていなかった。

連絡を受けた娘は、現場へ急いだ。倒れた母の症状が血糖の低下だと見抜き、バナナを食べさせて近くの病院へ運ぶ。駆けつけた主犯は警察官に「日ごろからちょっと呆けていて、こういうこともよくある」と話した。警察は引き上げた。

主犯は失敗の制裁として、実行役の友人に300万円を払わせる。母と兄姉は、主犯が事件前に何度も訪れていたことを怪しみ、娘に伝える。怒った主犯は娘の名で絶縁状を送りつけ、先生が次姉を殺すと脅して、家族から籍を分けさせた。完全な孤立。

伯父が連れていった警察署

舞台は、福岡県南部の三つの市に収まる。マンションは久留米市、母親の家は柳川市、売れと迫られた実家の土地は大川市。主犯の生まれも柳川市だった。どれも、筑後平野の街だ。

2001年の夏、主犯は一人の友人に二つの話を持ちかけた。大川市の実家の土地を売ること。子どもを施設に預けること。どちらも古林への借金を返すためだと言われ、友人は思い悩んだ。

助けを求めた先は、伯父だった。8月2日、友人は伯父のすすめで久留米警察署へ相談に行く。話したのは、古林に脅されていること。警察官は、会ったことのない被害者の遺族に会ってみてはどうかと勧めた。

友人はその経緯を、そのまま主犯に話した。遺族の居場所を調べてほしい、と頼んだのだ。焦った主犯は、仲間に「古林」からの脅迫状を作らせ、友人の車のワイパーに挟ませる。

怖くなった友人は、母と伯父にもう一度打ち明ける。伯父はその日のうちに彼女を連れて警察署へ戻り、刑事に夫殺しを話させた。自首か相談かは、資料で言い方が割れる。ネットの記事の多くは「自首」と書くが、経過を細かく追った記述は、相談の場でそのまま打ち明けたと伝える。

伯父は、マンションから荷物を運び出し、子どもたちの転校も済ませた。主犯は別の脅迫状を作らせ、車に傷をつけ、タイヤ4本をパンクさせる。友人は電話を着信拒否にして、嫌がらせはすぐ警察に届けられた。捜査は水面下で進み、主犯らが呼び出される気配は、しばらくなかったという。二件の死はどちらも病死として扱われ、警察が殺人として動き出したのは、友人が打ち明けた2001年の夏からだった。

同じ頃、主犯の側も動いていた。2001年9月の終わりから10月の初め、仲間の一人が偽名で探偵社に連絡している。依頼は、ある友人の身辺調査、謝罪文の取得、2000万円の土地売買の解約と返金。主犯は「夫の借金のために2000万円を貸した」と説明した。

講談社の週刊誌のウェブ記事によると、調査員は、涙ながらに話す主犯を信じてしまったという。最初は「天使みたいな人」に見えたが、のちに「悪魔に変わった」と話している。成功報酬は600万円。主犯は支払いを渋った。ちなみに残金は、探偵が刑事を見かける直前に振り込まれている。

2002年3月中旬、張り込み中の探偵は、私服の刑事が出入りするのを見た。報告を受けた依頼人は、電話を切った。相談から逮捕まで、およそ八か月。

4月13日には、警察に打ち明けた友人が自殺を図っていた。17日に主犯らが詐欺と脅迫の容疑で逮捕され、21日にはその友人も夫殺しの容疑で逮捕された。夫二人の殺害に二件とも加わったと起訴されたのは、主犯と、いちばん近くにいた女。

29日の朝刊には「福岡県警・看護師4人を保険金殺人で逮捕」という見出しが並んだ、と事件記者は書く。この記者は、直前まで北九州連続監禁殺人事件を取材していた。一人のボスが奴隷のように人を支配し、殺人まで強要する。二つの事件の構造はよく似ていた、という。

「泥棒たい」と、義母は言った

主犯の女は1959年、福岡県柳川市に生まれた。2016年の執行時に56歳だったことは報道で確かめられるが、生い立ちの細部は、ネット上の年譜に頼るしかない。その年譜は、父が自衛隊を辞めて自動車修理を始めたものの、暮らしは苦しかったと書く。念のため断っておくと、年譜の出どころは書かれていない。

逮捕のあと、実弟は週刊誌の記者に「親思いのいい姉でした」と話した。逮捕直前まで、高齢の両親の世話をしていたという。看護師の道に進んだのも「世話好きだから向いている」と薦められたからだと、姉から聞いていたそうだ。「信じられません」と、弟は言った。

女子校の同級生は、別の姿を覚えていた。「あの子が妊娠したから中絶費用をカンパして」と、十数人から金を集めていたという。被害者は十数人いる、と同級生は話した。ネット上の年譜は、これが原因で2か月の停学になったと書く。

別居していた夫の母は、記者に「泥棒たい」「恐ろしか女ですよ」と吐き捨てた。座布団を持ち去り、葬式の受付をしていて香典まで持っていった、という話だ。身内の口から出た言葉だ。

検察の冒頭陳述には、「金は嘘をつかない」「金さえあれば夢を実現できる」という言葉があった。幼い頃から家の貧しさを惨めに思い、金を得るために平気で嘘をつく術を身につけた、とも述べている。貧しさと、金への執着。

結婚後は、持ち家と土地を担保にした借金を重ねて、贅沢な暮らしをした。1989年からの1年で、借金は3000万円を超えた。先生が友人の前に現れたのは、同じ1989年の夏だ。

筆者の見立てだが、この二つは偶然ではないと思う。借金が膨らんだ年に、金を引き出す相手と、引き出すための人物が同時に現れた。作り話は、金に困ってから生まれたものだ。

配膳係の手を渡った手紙

2002年の暮れから2003年1月の半ばにかけて、拘置所の中で一通の手紙が動いた。主犯が、配膳を担当する受刑者を介して、夫殺しを打ち明けた友人に宛てて送ったものだ。ここからが、この事件の薄気味悪いところだ。

頼みは、保釈と無罪に協力してほしい、というものだった。弁護士にも法廷でも「自分は殺人にも殺人未遂にも指示や関与をしていない」と述べてほしい。保険金を渡したのは、「岡部」という別の架空の人物らに脅され、だまされたからだ、と。

見返りも書かれていた。無罪になったら雑誌社に売り込み、印税で友人一家の面倒を見る、という内容だった。返事は短く、「ここに来てまで馬鹿にするな」と突き放している。別の言葉もあり、「一番悪い人間が何故苦しまない」と書いたという。

法廷で主犯は、受刑者の側から接触してきたのだと弁解する。判決は、これを「手紙の記載内容に照らしても、全くそぐわず、極めて不自然で、到底信用し難い弁解」と退けた。弁解は、通らなかった。

手紙にも、作り話の人物が顔を出す。「岡部」だ。筆者の見立てだが、この女にとって人物を作ることは、癖というより道具だったのだと思う。捕まっても、拘置所の中でも、使えるものは使う。

判決文は、四人に別々の言葉を使った

初公判は2002年8月27日の午後2時、福岡地裁の301号法廷で開かれた。記者は、主犯が茶色のツーピースにフリルのスカートで入廷し、ほかの三人はみすぼらしい姿だったと記した。その落差が、四人の関係そのままだったという。

一審の判決は、被告ごとに日が分かれた。2004年8月2日に、いちばん近くにいた女へ無期懲役。求刑は死刑だった。8月9日、夫殺しを打ち明けた女に懲役17年。

求刑は無期懲役。9月24日、主犯には死刑が言い渡された。求刑どおりの量刑。

四人目の女は、判決を待たずに亡くなった。2004年9月1日、子宮がんで死去。死刑を求刑されていたが、公訴は棄却された。

判決は、三人の共犯にも厳しかった。主犯の嘘を前提にしても、殺害をやむなしと思わせる事情には当たらない。「越えてはならない一線を越えて」殺害を決意した以上、「強い非難を免れない」。三人の役割は「それぞれに重要不可欠」で、「重大な刑責を免れない」とも述べた。

それでも主犯については、「より一層強く厳しく非難されるべき」とした。嘘と執拗な働きかけで、実行行為をさせたからだ。「その行動は誠に卑劣で悪質というほかない」と、判決は述べている。

筆者の見立てを足しておく。判決は、操られた事情を考えに入れても三人を免責しなかった。それでいて、刑には差をつけている。死刑、無期、懲役17年。嘘で人を動かした側と、動かされた側の差が、刑の重さに出た。

公判が始まってから、主犯は柳川市の母親への計画について殺意を否認した。判決は、ほかの二人の証言と、捜査段階の主犯自身の供述から、殺意を認めている。否認は、通らなかった。

二審の福岡高裁は、2006年5月16日に主犯の控訴を棄却した。上告審の判決は、2010年3月18日。最高裁第一小法廷は、「看護師としての医療知識と経験を悪用し、殺害方法も残虐非道」と指摘した。結論は「死刑も是認せざるを得ない」。得た利益のほとんどすべてを取得し、首謀者であることは明らか、という理由も挙げている。

先に言っておくと、この最高裁の日付は資料で割れる。1月29日とする記述もあり、3月29日とする年表もある。ここでは、判決の当日に配信された日本経済新聞の記事に従って、3月18日とした。無期懲役と懲役17年の二人は、上告せずに刑が確定している。

主犯は二審の前、報道陣に手記を送ったという。「もちつ、もたれつの中、知恵を出し合い、共謀へと及んだ哀しい結果だったのです」と、その一節は伝わる。朝日新聞の記事から引いたとする個人サイトの記述で、筆者は原文を確かめられていない。孫引きだ。

「看護婦」と呼ばれた時代の事件

同じ事件に、呼び名は三つある。新聞は「久留米」の連続保険金殺人と書き、本は「福岡四人組」と名づけ、世間は「黒い看護婦」と呼んだ。

この事件の通称は「黒い看護婦」。婦人の「婦」を使う。2002年3月1日、法律が変わって、男女とも看護師と呼ぶようになった。保健婦助産婦看護婦法が保健師助産師看護師法に改められ、施行は3月1日。

殺人があった1998年と1999年は、まだ看護婦の時代だった。事件が表に出たのは、改称の翌月の4月。当時の新聞の見出しは「看護師4人」と書いた、と週刊誌の記者は記す。同じ記者は、四人を「白衣の天使」とも書いている。

「黒い看護婦」の使用例で、筆者が確かめられた一番古いものは、2004年11月25日に新潮社から出た単行本の書名。それ以前の報道で使われていたかは、確かめられなかった。まあ、通称の出どころを知らないまま広まる言葉は多い。

その本の副題は「福岡四人組保険金連続殺人」で、一審の死刑判決から2か月後に出た。文庫版は2007年6月で、302ページある。筆者の見立てでは、事件に顔を与えたのは、新聞の見出しより、この書名だった。顔が決まれば、話は何度でも売れる。

2015年2月13日には、フジテレビが同じ題でドラマにした。事件をフィクションとして再構成した特別番組で、看護婦という呼称は事件当時に準じたと断り書きがあった。プロデューサーは主犯の公判を傍聴し、「そこはまさに劇場でした」と語っている。視聴率は6.6パーセント。

放送枠の都合で、完成した92分の作品を74分に縮めることになり、監督が抗議してクレジットを外させた。そんな騒ぎも起きている。事件の話は、書籍とドラマと検索記事の中で、形を変えて何度も売られてきた。この文章も、その列に並んでいる。

現在を問う題名の記事が、個人サイトに何本も並ぶ。答えは、はっきりしている。2016年3月25日、福岡拘置所で死刑が執行された。56歳だった。

同じ日、大阪拘置所でも別の死刑囚への執行が行われている。女性への執行は2012年以来だった、と人権団体は指摘している。法務省は同日の午前11時に、二人の執行を公表した。当時の法務大臣は会見で、二つの事件を「誠に身勝手な理由から被害者の尊い人命を奪った極めて残忍な事案」と述べている。執行後に刑事施設に収容されている確定死刑囚は、124人。

執行の様子や最期の言葉は、公表されていない。「執行前に暴れた」と書く個人サイトもあるが、出どころは示されていなかった。死刑に反対する団体が2011年に確定者へ行ったアンケートの回答集『死刑囚90人』には、この死刑囚の名も載っている。中身は確かめられなかったので、ここでは引かない。

三人の共犯のうち、一人は2004年に病死し、一人は無期懲役、一人は懲役17年が確定した。後の二人の現在を伝える確かな報道は、探した範囲では見つからなかった。逮捕から17年なら、2019年の春にあたる。ネットの記事は、出所したのかと疑問の形で書くか、そう言われていると書くにとどまる。

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