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呪われた宝石6選――王冠の光と、七重の箱に封じられた紫の石

手に入れた王が倒れ、手放したはずの石が戻ってくる。呪われた宝石の話では、欲しかった物を得た瞬間から、持ち主の暮らしが変わり始める。青いダイヤモンド、神像の目と呼ばれた黒い石、七重の箱へ封じられた紫の石へ、六つの来歴をたどる。

宝石は小さく、国境を越えても、何代もの人が死んでも残る。王冠から外されれば、次の持ち主の胸を飾った。同じ石の前を違う人生が通り過ぎていくため、人の不幸をつないだ一本の物語も、そこへ生まれやすい。

呪いの始まりとしてよく語られるのは、神にささげられた物の略奪だ。盗んだ者が、不幸になる。けれど話はそこで終わらず、事情を知らずに買った人、その家族、石を預かった人まで巻き込む。誰も引き取りたがらない贈り物へ、変わってしまう。

六つの石には、血なまぐさい王朝史も、持ち主自身の恐れも重なっていた。すべてが同じ種類の呪いではない。首を飾るには重すぎる来歴と、箱のふたを開けたくなくなる警告を、一つずつ見ていこう。

ホープ・ダイヤモンド――青い石に集まった不幸

呪われた宝石の代名詞を一つ選ぶなら、ホープ・ダイヤモンドだろう。重さは四五・五二カラット。深い青を持つこの石は、フランスの王の手から姿を消し、後に違う大きさと名前で現れたことでも知られている。

その前身は、商人ジャン=バティスト・タヴェルニエがフランスへ運んだ大きな青い石だった。ルイ十四世が買い、削り直させた。王の趣味に合わせて姿を変えた宝石は、フレンチ・ブルーとして王家の財産に加わり、やがて革命の時代を迎える。

一七九二年、王室の宝石が盗まれた。青い石も、その一つだ。王権を示した輝きが行方を失い、一八一二年には、ロンドンで小さくなった青いダイヤモンドの記録が現れた。

名前も形も変わった石を、どうつなぐのか。後にフレンチ・ブルーの鉛の型が見つかり、形を比べる研究が進んだ。計算機で再現した形の中へホープが収まることは、消えた王家の宝石と、目の前に残る石を結ぶ手がかりになった。

タヴェルニエの石、フレンチ・ブルー、ホープは、この来歴では同じ石の変化として続いている。三つの呪われた宝石があるわけではない。削られるたびに失われた部分と、削っても運ばれていった噂が、一つの青へ重なっているところが面白い。

伝説は、その出発点をさらに遠くの寺院へ置く。神像から奪われた石だった、という筋だ。神の物を人間が売り買いしたために災いが始まったと聞けば、革命や破産まで、ずっと前に決められた報いのように見えてしまう。

ところが、青い石の呪いが盛んに語られるようになったのは、もっと後の時代だった。二十世紀初めの、新聞の話題。スミソニアンの解説は一九〇八年の報道を挙げ、以前の持ち主の不幸を選んで並べる語りが広がった経緯をたどっている。

一人の不運な所有者が、次の不運な所有者へ渡す。そこには、物を売る人の語りも加わった。ピエール・カルティエの販売や、元所有者の妻だったメイ・ヨーヘの本と映画まで、石の評判を育てる側へ回っていたという。

噂の中では、誤った死亡記事まで呪いの証拠になった。所有していたセリム・ハビブが船の事故で死んだ、と伝えられたのだ。実際には別人との混同で、本人も石もその船におらず、その時には彼の手から石が離れていたと博物館は説明している。

死んでいない人の死まで、青い石の周りへ集まってしまった。正直、そこも怖い。宝石が何かをしたかとは別に、名前の似た人の事故まで一つの筋へ取り込むほど、呪いという説明が強くなっていたからだ。

マリー・アントワネットが身に着けた呪いの石、という言い方にも落とし穴がある。当時は、勲章の大きな装飾の一部だった。スミソニアンは王妃らが実際に着用した可能性を低いとし、悲劇の王妃という有名な顔だけで、首元の輝きを決めてはいない。

後の持ち主、エヴリン・ウォルシュ・マクリーンは、この石を愛用した。恐れながら隠した人だけが、持ち主ではなかったのだ。悪い評判を知っても、きれいな物を身に着ける喜びが勝つ人がいるので、手放せない石の話は、恐怖だけで進まない。

一九五八年、ハリー・ウィンストンは石をスミソニアンへ寄贈した。運ばれ方は、書留郵便だった。厳重な宝石箱の幻想とは違う、茶色の包みで送られたという話まで残り、何百年もの来歴が、郵便物一個の大きさへ収まってしまう。

ホープには、紫外線を当てた後に赤く光る性質もある。暗がりに残る、赤い燐光。青い石が赤へ変わると聞くと、血のようだと語りたくなる。その光は宝石の性質として調べられており、呪いの歴史とは違う入口からも、人を引きつけている。

コ・イ・ヌール――王の手に余る、光の山

コ・イ・ヌールの名は、光の山を意味する。白いダイヤモンドに付けられた、大きな呼び名だ。王がそれを持てば世界を得るが、男の持ち主には災いも来る、という伝説が、この石の奪い合われた歴史と並んで語られてきた。

こちらは、誰にでも同じ不幸が訪れる筋ではない。女性なら災いを免れるという、妙な抜け道がある。王を倒すほど強い物なのに、身に着ける人で力が変わるのか。王冠の選び方にまで、見えない条件が付いたように思えてくる。

インドに由来するこの石は、ムガルの皇帝、イランのシャー、アフガニスタンの支配者、シク王国の君主らの来歴へ結びついている。ひとところには、収まらなかった。持ち主の名を並べるだけで、国を越えた権力の移り変わりが、手のひらの中へ入る。

伝説には、頭へ巻いたターバンの中へ石を隠す場面もある。奪う側は、和平の作法を持ち出した。ターバンの交換を求められれば、隠していた側は断りにくく、その仕掛けで宝石が渡ったという、いかにも知恵比べらしい話だ。

この逸話は、ナーディル・シャーが石を得た時の話として伝わる。輝きを見て、光の山と呼んだという。大軍や武器より、小さな布の交換が決め手になるところに、巨大な富を身に隠せてしまう宝石ならではの危うさがある。

石を得た王たちの争いや失脚をつなぐと、伝説の筋はよく整う。王国を持っても、安らげない。宝石を奪えるほど強い人が、次の強い人から狙われるので、手に入れた喜びのすぐ隣に、いつ奪われるかという恐れが付いてくる。

ただ、イギリスへ渡った経緯を、気前のよい贈り物の一言にしてしまうと、大事な部分が抜ける。一八四九年の、パンジャブ。東インド会社は退位させられたドゥリープ・シンから石を取り、ラホール条約は、ヴィクトリア女王への引き渡しを条件にしていた。

手放す側は、自由に買い手を選んだのではなかった。そこに残るのは、勝者と敗者の差だ。宝石の呪いを語っているはずが、実際に人間が相手へ及ぼせる力の方を、急にはっきり見せられる来歴でもある。

その後、石は一八五二年に削り直され、一〇五・六カラットになった。より強い輝きを求めた、形の変更。ホープと同じく、歴史をたどる時には、昔の大きさを、そのまま現在の石の重さへ置き換えない方が、変化の跡がよく見える。

一九三七年には、後のクイーン・マザーとなるエリザベスの王冠へ組み込まれた。女性の王冠へ、収まったのだ。男を避ける呪いの話を知っていれば、その配置まで伝説の続きに見える。物を置く理由には、王室の来歴や宝飾の都合も重なっている。

コ・イ・ヌールは、黒太子のルビーとは別の石で、同じ王冠の同じ位置にあるものでもない。名前が有名なほど、混ざりやすい。白い石に託された帝国の威信と、赤い石が渡った中世の戦争を分けると、似た呪いの話にも違う時代が現れる。

この石の不穏さは、誰かが突然死んだ話だけでは終わらない。返してほしいという思いも、来歴の先に残った。持っている側が大切な文化財と呼ぶ物を、別の側は奪われた宝物と見るので、美しさへの賛辞だけでは、同じ話にならない。

仮に呪いという言葉を外しても、なぜこの石を欲したのかという問いは残る。自分の物にしたい、という願い。光の山はその欲望を何代も映してきたため、王を不幸にする宝石の話へ、これほど似合ってしまうのだろう。

ブラック・オルロフ――神の目から外された黒い輝き

ブラック・オルロフは、六七・四九カラットの黒いダイヤモンドだ。丸みを帯びた、クッション形。金属を思わせる暗い色が特徴で、透明な石のきらめきとは違い、光を奥へ飲み込むような姿を想像させる。

その別名は、ブラフマーの目。インドのポンディシェリ付近の神像に、はめられていたと伝わる。祈る人々を見下ろしていた目が、ある時抜き取られ、人の首へ下がる装飾へ変わったという、物騒な始まりを持つ石である。

目を奪われた神は、何を見ているのか。盗んだ者は、神から逃げられるのか。由来を知る前には美しい黒い石だった物へ、元の持ち主の視線が戻ってくる。神像の目という設定だけで、宝石の向こうに顔ができてしまう。

呪いの再話では、石を扱った宝石商や、ロシアの公女たちの死が続いたと語られる。高い場所から落ちる、という結末。異なる人の最期を同じ形へ並べることで、石が次の持ち主へ同じ運命を渡すような、冷たい繰り返しが生まれた。

名前を与えた女性として、ナディア・ヴィギン・オルロフという人物も登場する。黒い石に、貴族の名。神殿から宮廷へという移動が付くと、誰かが身を滅ぼすまで欲しがった宝物として、話の舞台がさらに広がっていく。

ところが、この石には、競売会社自身が古い由来を疑っているという、もう一つの面がある。売り物の、説明文だ。クリスティーズは研究を挙げ、インドでの古い黒ダイヤモンドの記録や、公女の身元、石の形が物語と合うのかを問い直していた。

由緒が怪しいのに、石そのものは残っている。そこが、妙に引っかかる。名前を失った物へ後から話が付いたのか、話を良く見せるために人物が加わったのか。黒い石に似合う経歴を、人が求めた可能性も見えてくる。

同じオルロフという呼び名でも、ロシアの王笏に付いた有名な別のダイヤモンドとは区別が要る。黒い石は、黒い石の来歴だ。よその宝石が持つ帝国の歴史まで借りれば、もともと不確かな古い部分が、妙に立派な系譜へ育ってしまう。

比較的たどりやすい来歴には、ニューヨークの宝石商チャールズ・F・ウィンソンが登場した。一九五一年には、博物館へ出た。後には展示会や競売を通り、石は人に見せる物、値を付ける物として、現代の社会を移動している。

呪いを解くため、石を三つへ分けたという話も伝わってきた。持ち主を替えるより、物の姿を替える。黒い部分を小さくすれば災いも弱まるのかという考えは、宝石を削る実際の仕事へ、まじないの意味を重ねたようで面白い。

ただし、三つに分けたという伝説を、三つの呪われた宝石として増やすことはできない。ここでたどるのは、一つの石の話だ。失われた部分の行き先まで怖くなるのは想像の働きであり、残った石へ付いた話の余白でもある。

クリスティーズの出品説明では、黒い石は白いダイヤモンドとプラチナの飾りに囲まれていた。黒を際立たせる、白い光。危険だと語られる物を、いっそうきれいに見せるために手をかけるところへ、持つ人の恐れとは別の執着がにじむ。

呪いを避けたいなら、遠くへ置けばよさそうなものだ。それでも、誰かが買った。黒い石の伝説は、災いに追われる人の話だ。同時に、悪い評判まで含めて欲しくなる物があるという、なかなか厄介な欲望の話でもある。

デリー・パープル・サファイア――運河から帰ってきた石

デリー・パープル・サファイアは、名前から少し外れている。石の種類は、アメシストだ。蛇を思わせる銀の台座や、星座を表す記号を伴った紫の石には、王の戦争とは違う、家の中へ持ち込まれた不幸の伝説が付いていた。

伝説は、インドのカーンプルにあるインドラ神の寺から、石が奪われたところへさかのぼる。神殿から、イギリスへ。運んだ軍人の家に財産や健康の不運が続き、子供へ渡しても、その重荷が消えなかったという話である。

ここでは、持ち主が倒れれば話が終わるわけではない。次の人へ、引き継がれる。売るにも譲るにも、別の誰かを不幸の続きへ招くことになる。石を受け取る手が、そのまま次の犠牲者を選ぶ手にも見えてしまう。

一八九〇年に石を得た人物として、エドワード・ヘロン=アレンが登場する。科学や文学などへ、多くの関心を持った人だ。その人物が、次々と起きる不幸を石へ結びつけたと語られるため、単に迷信を信じる誰かの話より、聞く側も身構えてしまう。

彼は、何度か石を人へ渡したという。けれど相手にも悪いことが起き、戻ってきた。歌手へ渡すと声を失った、という筋まである。きれいな装飾品として喜ばれそうな贈り物が、受け取った人の大切な物を奪う話へ反転する。

しまいには、ロンドンのリージェンツ運河へ投げ捨てた。水の底なら、もう会わない。そう思わせる展開の後、浚渫で拾われた石が宝石商へ渡り、見覚えのある品として元の持ち主へ返されたという。この伝説の中でも、いちばん嫌な場面だ。

帰ってきた道筋には、人の親切が挟まっている。落とし物を、持ち主へ返す。その行為だけなら、喜ばれるはずだった。ところが渡された側にとっては、ようやく切れたと思った縁を、見知らぬ人の手で結び直される結末になってしまう。

家の外へ出しても駄目なら、今度は閉じ込める。七つの箱と、銀行の金庫。ヘロン=アレンが娘を案じて石を封じたという話では、戸締まりを重ねるほど、箱の内側にある物の力も、大きく想像されていく。

警告には、自分の死後も、長く日の光へ出さないよう求める筋がある。三十三年という、待ち時間だ。ロンドン自然史博物館は、娘が一年ほどで石を寄贈したと紹介している。封じた本人の恐れと、引き継いだ家族の選択は同じではなかった。

物には、警告の手紙も添えられた。読み終えた人は、自由にしていい。ただし、海へ捨てることを勧める内容だ。運河では戻ってきた石を、今度こそ人の手が届かない場所へ送ってほしい、という願いのようにも聞こえる。

この石の話は、持ち主が作家でもあったところで、もう一度姿を変える。ヘロン=アレンは、怪奇小説も書いた。博物館は一九二一年の『紫のサファイア』の宣伝のために呪いを作ったのではないか、という話まで、来歴と並べて紹介している。

呪いの手紙か、読者を誘う仕掛けか。簡単には、箱を閉じられない。語り手に物語を作る力があったと知っても、怖さが消えるとは限らない。どこまでこちらの想像を動かすつもりだったのか、別の不気味さが出てくる。

王冠の宝石なら、国を動かす争いが周りにあった。こちらは、家族と友人と一個の箱だ。遠い宮廷よりも、善意で品を返す宝石商や、娘を案じる親の選択の方が身近に感じられる。手放しても帰ってくる物の話は、普通の家へ入り込みやすい。

紫の石自体は、博物館へ残された。箱の外へ、出たのだ。金銭的な価値や鉱物としての珍しさだけでは、集まる関心を説明し切れない。石の色より、これをそばへ置いた時の暮らしを、人が想像してしまうのだろう。

レジャン――傷口に隠した宝物と、消えていった王権

レジャンは、フランス語で摂政を表す名を持つダイヤモンドだ。ほとんど無色の、大きな石。ルーヴルの来歴では、一六九八年にインドのゴルコンダで見つかり、イギリスで削られた後、フランスの王家へ渡った。

発見の伝説に登場するのは、鉱山で働かされていた一人の男だった。見つけた石を、外へ出したい。そこで自分の脚の傷へ隠して逃れ、海辺で船乗りへ助けを求めたという、痛みを伴う宝探しの話が始まる。

男は、売った金を分けるから運んでほしいと頼んだ。ところが船乗りは、男を殺して石を奪ったという。自由へ出るための宝物が、逃げた先で命を奪う理由へ変わってしまうところに、この石の呪いらしい、身もふたもない始まりがある。

この筋は、ルーヴルが子供向けに作った物語の中でも語られている。小さな石を追う、逃亡と裏切り。鉱山から王冠までを一続きにする面白さがある一方、物語の中の会話を、その場に残された言葉として聞く話ではない。

石を得た商人の先には、マドラスの総督だったトマス・ピットがいた。ピット・ダイヤモンドという別名も、そこに由来する。同じ石が後の買い手の名や地位で呼ばれ直すため、名前を追うだけでも、誰が自分の物だと示したかったのかが見えてくる。

削る前の石は、四二六カラットもあったとルーヴルは紹介している。削った後は、一四〇・六四カラット。石を大きく残すより、光がよく輝く形へ整える方が選ばれ、失った重さとは別の美しさを求めて、宝石の姿が変わっていった。

大きすぎる宝物は、買い手を選ぶ。美しいだけでは、売れない。莫大な金を出せる相手を探した末、一七一七年、幼いルイ十五世に代わって国を治めていたフィリップ・ドルレアンが、フランスの王家のために手に入れた。

摂政の石は、やがて王の戴冠を飾った。ルイ十五世から、ルイ十六世へ。王冠の輝きを見れば、王の力が続くように思える。けれど同じ石が次の頭へ移れることは、王が永遠ではないことまで、静かに示してしまう。

革命のさなか、一七九二年にレジャンも盗まれた。一年後、建物の梁へ隠されていた石が見つかる。フレンチ・ブルーと同じ盗難の時代を通りながら、こちらは戻ってきたので、二つの石の来歴は、同じ場所から別々の道へ分かれた。

持ち主を不幸にするという再話は、王政の崩壊や、その後の皇帝の失脚へ石を結びつける。だが石は、王権と一緒には消えない。質に入れられ、取り戻され、今度はナポレオンの剣へ付くので、勝者が替わるたび、輝く場所まで変わっていく。

剣に付いた大きなダイヤモンド。飾りなのか、権力の宣言なのか。戦争に勝った人物が過去の王家の宝を自分の体の近くへ置く。昔の持ち主を倒した力まで、自分の側へ引き寄せようとする場面にも見える。

レジャンはその後も、王冠や皇后の髪飾りへ組み込まれた。一八八七年には、ルーヴルへ入った。宝石が長生きするほど、周りの国の形が何度も変わってしまい、石だけが前の体制を覚えているような、奇妙な時間ができる。

発見した男から最後の皇帝まで、みんな同じ呪いで倒れたと並べれば、話は簡単になる。けれど、この石の筋はもっと込み入っている。自由を買いたかった者、王家の威信を求めた者、戦費を必要とした者では、石へ願ったことが違っていた。

願いは違っても、石は渡る。その長い移動の始まりへ、殺された男の話が置かれている。王冠の美しさの下に、最初の一人の命が隠れていると思わせる。レジャンの伝説は、豪華な来歴を知った後にも、ざらりとしたものを残す。

黒太子のルビー――赤い石を渡した王の裏切り

黒太子のルビーは、名前の黒さとは違い、赤い石だ。しかも鉱物は、ルビーではなくスピネル。ルビーと呼ばれてきた歴史ごと残る名に、中世の戦争と、王が王を欺いたという、血なまぐさい伝説が付いている。

王室の宝物を管理するヒストリック・ロイヤル・パレスは、一三六七年の逸話を紹介する。カスティーリャ王ペドロから、黒太子エドワードへ。イングランド王エドワード三世の息子が石を受け取ったという筋が、よく知られる名前の由来だ。

ペドロは、その前にグラナダのイスラムの支配者から石を奪ったと伝わる。そこで語られるのが、和平の裏切りだ。争いを終わらせるために会いに来た相手を殺し、身に着けていた宝石まで取ったという話が、呪いの始点に置かれている。

神像の目を盗んだ話とは、少し違う。ここでは、人への約束を破った。平和を話し合う場所へ持ち込まれたはずの宝石が、そこへ来た人の死と結びつく。赤い色にも、勝利の華やかさより先に、流れた血を重ねたくなる。

呪いの再話は、ペドロのその後の争いと死へ続いていく。勝ったままでは、終わらなかった。強い味方を得て王位を守っても、対立が消えず、石を渡した王の運命が、かえって災いの最初の実例のように語り直される。

黒太子にとって、この石は戦争への助力に応えた贈り物だったという。報酬としての、赤い輝き。奪った人から受け取った人へ不幸まで渡るなら、戦場から遠ざかっても、石の周りに付いた血は洗えないことになってしまう。

その後の王たちの災難を長く並べる語りもある。王の死、追放、王権の崩壊。しかし、何百年も人の間を渡った石には、平穏だった時間も、別の理由で起きた戦いも含まれるので、名前の列だけで、一つの力が働いたとは決まらない。

赤い石には、逆向きの物語も残っていた。戦いで、王を守ったという筋だ。ヘンリー五世が一四一五年のアジャンクールで兜へ付けたと伝わり、災いを呼ぶ石のはずが、勇ましい王の姿へも結びついている。

呪われた宝石なのか、勝利の守りなのか。ここが、一筋縄ではいかない。後からどの人物の、どの場面を取り出すかによって、同じ赤は凶兆にも武勇のしるしにもなるので、石に付いた評判自体が、王の運命と一緒に揺れている。

赤いスピネルとルビーは、似た見た目でも違う鉱物だ。昔からの呼び名は、残った。名が変わらないために、知っている人だけが、王冠の中心にある有名なルビーが、実はルビーではないという、もう一つの秘密を持てるようになる。

現在知られる姿では、石は帝国王冠の正面を飾る。一目で目を引く、赤い場所。物の名前へ付いた黒太子という人物と、目の前の赤との違いからも、一個の宝石に、鉱物の名前だけでは足りない歴史が詰まっていると分かる。

コ・イ・ヌールの男を避ける呪いを、そのままこの石へ移すことはできない。二つは、別の伝説だ。こちらでは、男の王たちが身に着けたこと自体が話の中心なので、似た王室の宝物でも、怖がり方まで同じ型には収まらない。

この赤い石の話で残るのは、強い王がさらに強い王へ、宝石を渡していく光景である。約束の、重さ。最初の和平が裏切られたという筋を知れば、後から交わされる贈答にも、その人は次に何を失うのかという、不穏な予感が付いてくる。

石を手放す時、呪いの話は終わるのか

六つの宝石をたどると、不幸が始まる瞬間より、持ち主が別れようとする時の方が気になってくる。売る、贈る、投げ捨てる。どれも普通の物ならできるはずなのに、呪いを信じた瞬間から、その行為が別の誰かへ災いを渡す選択へ変わる。

紫の石は、運河から帰ってきた。黒い石は、削り分ける話になった。姿を変えれば逃れられるのか、遠くへ送れば忘れられるのかという問いは、何をしても過去を消せない人の事情とも重なり、物を捨てるだけの話に収まらなくなる。

ホープの来歴には、新聞や商人や映画が入っていた。噂を、運ぶ人たちだ。古い災いがそのまま残ったというより、新しい持ち主へ渡るたび、話す理由の違う誰かが、石の周りへ別の言葉を加えていたことが分かる。

レジャンやコ・イ・ヌールには、石を引き渡した人の側から見た歴史も残る。勝ち取った宝物か、奪われた宝物か。同じ輝きを見ているはずなのに、元の持ち主へ近付くほど、豪華な贈り物という説明だけでは済まなくなる。

神像から外した目、裏切りで奪った赤、箱へ閉じ込めた紫。色だけでも、違う話を呼び戻せる。それぞれを誰にでも不幸を起こす万能の呪物へまとめてしまうより、どこで、何を恐れたのかを残す方が、小さな石の向こうに人の顔が見えてくる。

宝石に付いた数字は、重さを測れる。人が感じた不安は、同じ秤へ乗らない。値段やカラットを知っただけでは、なぜ手放せなかったのか、なぜ触りたくなかったのかが分からず、そこを埋めるために、また次の人が話を続けていく。

もし何の来歴も聞かず、この六つの石を差し出されたら、まず何色を選ぶだろう。欲しい物を選ぶだけなら、気楽だ。けれど一個ずつの話を聞いた後では、同じ美しさの下へ、箱や運河や王の最期まで見えてしまい、手を伸ばす前に、少し考える時間ができる。

呪いの宝石は、人の目を引く。怖い話を聞いても、その輝きまで嫌いになれるとは限らない。その矛盾があるからこそ、もう誰も欲しがらないはずの石へ次の持ち主が現れ、幸せになるために手に入れた物の話が、不幸を連れてくる物語として残り続ける。

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