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草加次郎事件――細長い筒が届いた朝から、時効の日までの15年

筒の中の紙を引くと、マッチが擦れた

1962年11月4日の午前11時ごろ、品川区にある歌手の後援会事務所へ、1本の細長い筒が郵便で届いた。開けたのは、事務所で働く23歳の男性職員。筒の中には紙が入っていて、職員はその紙を何気なく引っぱり出そうとする。

その瞬間、仕掛けが動く。

紙が筒から抜けるのに合わせて、中に仕込まれたマッチが擦れ、飛んだ火花が火薬に燃え移った。筒は爆ぜる。職員は右手に全治2週間の火傷を負う。命に別状はなかった。この朝の火傷が、足かけ15年に及ぶ長い事件の最初の一行になる。

花火をほぐした火薬と、赤リンの火種

火薬は黒色火薬で、花火をほぐして取り出したものだと伝わっている。発火の仕掛けには赤リンが使われていた。紙を引くという当たり前の動作が、そのまま引き金になる造りだ。

封を切る人間は、何が起きるのかを知らされない。開けた者だけが、火を浴びる。

爆発の規模は小さく、職員の怪我も2週間で治る程度だった。軽い悪戯に見えた人もいたかもしれない。ところが筒の中身は、悪戯の出来ではない。火薬と火種と、紙で動く引き金の三つが、ひとつの細い筒にきちんと収まっていた。

包みには、差出人の名も書かれていた。

草加次郎、あるいは杉加次郎

その名は、草加次郎。

読み方は分からない。そうかじろうとも、くさかじろうとも読めるし、世間は前者で呼ぶようになったらしいが、犯人がどう読ませたかったのかは、記録にない。

11月13日には、港区六本木のクラブで働く41歳の女性のもとへも、同じような筒が届く。こちらは怪我人を出さずに終わっている。この筒の差出人の署名は、草加ではなく杉加次郎だった。字は変えてあるのに、筆跡の鑑定では、同じ人物の手と断定される。

字は嘘をつけない。名前を変えても、字の癖までは変えられず、この癖が、のちに犯人像を考えるうえで最大の手がかりになる。

映画館の3階と、日比谷の洗面所

11月20日、有楽町の映画館の3階で爆発が起きた。観客の1人が火傷を負い、治るまでに1週間かかる。郵便で特定の宛先へ送りつけていた筒が、ここで初めて、不特定多数の集まる場所に置かれた。

宛名のない爆弾。

6日後の11月26日には、日比谷の劇場の洗面所でも爆発があった。この現場の筒からは、犯人のものと思われる指紋が検出されている。皮膚の脂が金属の上にたしかに残っていたのだから、警視庁にとっては大きな一歩のはずだった。ところがこの指紋は、犯人へ辿りつく道を、最後まで開かない。

電話ボックスに置かれた一冊

11月29日、世田谷区の公衆電話ボックスで爆発が起きた。会社員の男性が火傷を負い、治るまでに5日かかっている。仕掛けは本の中にあって、ボックスに置かれた本を手に取って開くと、それだけで作動した。

この現場にも指紋が残されていた。親指のものだったと伝わっている。

手に取る人を選べない仕掛けで、本を見つけて開いた通りがかりの誰かが、そのまま爆発を受ける、という置き方になる。郵便爆弾の段階では、宛先に後援会やクラブの経営者という誰かがいた。ここまで来ると、特定の標的はもう消えている。

浅草寺の境内に置かれた本

12月12日には、台東区の浅草寺の境内で、本に仕掛けられた爆弾の事件があった。この日の経過は、資料によって書かれ方が違う。推理小説の本に仕掛けられた爆弾を、夜警の警備員が見つけたと書くものがある。拾った人が1週間の火傷を負ったと書くものもある。

どちらが正確なのか、ここでは決めない。

浅草寺は、隅田川から引き上げられた観音像を祀ったのが始まりという伝承を持つ古い寺だ。その境内に、本が置かれていた。電話ボックスの本、境内の本と並べてみると、拾って頁を繰る人の手に、犯人が爆弾を預けようとしていたように見える。1962年の事件はここで途切れ、11月4日から12月12日まで、わずか5週間ほどの出来事だった。

半年のあいだ、何も起きなかった

1963年が明けても、草加次郎は動かない。冬が過ぎ、春が来る。

3月には、黒澤明監督の映画『天国と地獄』が公開された。誘拐犯が身代金を、走る列車から投げ落とさせる場面で知られる作品だ。列車の洗面所の窓がほんの少しだけ開く、という仕掛けが話題になった。この映画があとで事件に影を落とすことになるが、そのとき世間は、まだ何も知らない。

5月に入って、再び動きがあった。人気女優の自宅へ、脅迫状が郵送される。草加次郎という名前は、この日から、爆弾以外の形で現れ始めた。

上野駅横の喫茶店に、父親が来い

脅迫状の文面として伝わっているものは、驚くほど具体的だ。5月18日の午後7時に、上野駅正面の横にある喫茶店へ、現金100万円を持ってこい。持ってくるのは、あなたのお父さんだ。

ある資料が伝える文面には、7時20分に電話する、とも書かれている。受け取る側の呼び名は、田中と決めてあった。

場所も、時間も、運ぶ人間も、受け取る側の呼び名まで、犯人はあらかじめ細かく指定している。爆弾を作っていた犯人が、金を取る犯人へと姿を変えていた。筆跡は前年の爆弾事件で残されたものと一致し、半年の沈黙をはさんでも、草加次郎は字の癖を変えていない。

犯人は、来なかった。

緑の懐中電灯が点くところへ

次の脅迫状は、受け渡しの方法を変えてきた。

ある資料の引く文面では、上野を午後7時10分に出る青森行きの急行に乗れと指示している。進行方向の左側のデッキから外を見て、緑の懐中電灯が点いたところへ、現金100万円を投げ落とせという。走る列車から金を落とさせ、受け取る側は線路の外のどこかに潜んでいる。そういう筋書きだった。

3通目には、投下しなければ殺すという意味の言葉が赤いインクで書かれ、乗車する日が7月25日に改められていたと伝わっている。

警察は沿線に289人を張り込ませたという記述もある。それでも、金を取りに来る者の姿は見つからなかった。

上野公園の屋台で起きた銃撃

7月15日の午後7時45分ごろ、台東区の上野公園で、おでん屋台を出していた27歳の男性が撃たれた。全治3か月の重傷。10日後の7月25日には、上野警察署へ封書が届く。中には弾丸が入っていて、署名は草加次郎だった。

警察が屋台の男性の体から摘出した弾丸と、封書の中にあった弾丸を並べて比べると、材質も大きさも同じだと分かった。

撃たれたのが誰でもよかったのか、狙った相手がいたのか。それは今も分かっていない。爆弾を使っていた犯人が銃を持ち出したという点で、捜査にとっては、新しい種類の警戒を意味する出来事だった。

脅迫状に入っていた弾丸

屋台の男性から取り出された弾丸と、同じ弾丸。

それと同じ弾丸が、女優の自宅に届いた脅迫状にも、脅しの文面と一緒に入っていた。脅迫状の中身は、やはり100万円の要求だ。撃った人物と脅した人物は、同一である可能性が高く、爆破、銃撃、脅迫がひとつの線でつながる。

事件の輪郭は、この時点でようやく見え始める。だが屋台の男性は、そのあいだ病院で、3か月の療養を強いられていた。

名乗りだけがあって、顔がない。

渋谷のデパートに掛かってきた電話

7月24日の午後3時ごろ、渋谷の東横デパートへ脅迫の電話が掛かった。要求は500万円。午後3時50分には、西館9階の男子トイレで爆発が起きた。乾電池とタイマーを使った時限式の爆弾で、怪我人はいなかった。

8月11日には、東館の屋上でも爆発がある。こちらにも怪我人はいない。

8月14日、デパートの店長宛てに、親展の速達小包が届く。開けようとした男性職員が、軽い火傷を負った。筒を引けば火がつく郵便爆弾から、時計で動く爆弾へと、仕掛けは半年のあいだに様変わりしている。

京橋駅に停まった、渋谷行きの電車

1963年9月5日の午後8時14分ごろ、地下鉄銀座線の京橋駅に、渋谷行きの電車が停まっていた。車内で爆発が起きたのは、そのときだ。手製の時限爆弾で、予定の時刻まで時計の針が進むと火がつく造りだった。

乗客10人が負傷。重傷が2人、軽傷が8人。

銀座線は、1927年に上野と浅草のあいだで開業した、日本で最初の地下鉄だ。その歴史ある路線の、勤め帰りの時間帯の混んだ車内で、何の前触れもなく起きた。死者が出なかったのは、運が良かったというだけの話になる。草加次郎の名は、この夜を境に、新聞の見出しから離れなくなる。

電池に書かれた字か、時計の裏の字か

この爆弾に残された文字についても、伝わり方が分かれている。2つの乾電池に、それぞれ次と郎の字が書かれていたという記述がある。時計の裏ぶたに、次は十日と書かれていたという記述もある。

両方が事実だったのか、一方が違うのか、ここでは判断できない。

ただどちらの場合も、犯人が現場に文字を残していた点は同じだ。筆跡も、指紋も、名乗りも残したのに、顔だけが残らない。犯人は自分の名を捜査員に読ませたがっていたように見えるが、それは見えるという話にとどまる。

7通目の脅迫状と、走る列車からの現金

京橋の爆発の翌日にあたる9月6日、女優の自宅へ、7通目と数えられる脅迫状が届いた。文面は、9月9日または10日に、急行列車から現金を落とせと指示している。走る電車の窓から、金を投げさせる方法だ。

それは、半年前に公開された映画の筋と同じだった。この映画の公開後に、現実の事件で同じ手口が使われた最初の例とされる。

映画が犯罪の種を蒔いたのか、犯人が映画を借りて恐怖に形を与えたのか。どちらとも言い切れない。指定の日が過ぎても、犯人は金を受け取りに現れなかった。

資料ごとに、数字が食い違う

先に断っておくと、この事件の細部は、資料によってかなり揺れる。

脅迫状の通数は、4通とするものから6通とするものまである。最初の脅迫状の日付も、5月9日とするものと、5月14日とするものがある。8月30日に女優の自宅で脅迫状が見つかった、という記述もある。

日比谷の劇場の爆発では、怪我人がいなかったとする資料と、清掃の係が怪我をしたとする資料がある。どちらも、爆発物が仕掛けられた事実は共通している。

だから本稿では、複数の資料で食い違わない事柄を軸にして、食い違うものは、そう断って書いている。正直なところ、半世紀以上前の事件では、これが一番誠実なやり方だと思う。

7つの区にまたがる現場

現場を地図に置いてみる。

品川区の後援会事務所、港区六本木のクラブ、千代田区の有楽町と日比谷、世田谷区の電話ボックス、台東区の浅草寺と上野公園、渋谷区のデパート、中央区の京橋駅。事件は7つの区に散らばっていた。

被害の重さも、まちまち。全治2週間、1週間、5日、3か月。軽い火傷から重傷まで、怪我の程度は揃っていない。

ここからが厄介な話だ。場所にも、人にも、一貫した筋が見えない。見えるのは、事件のたびに新しい仕掛けを持ち出す、犯人の手つきだけだった。

警察が描いた男は、15歳から30歳だった

警視庁は、犯人像を描いてみせた。年齢は15歳から30歳で、台東区の西部か、常磐線の沿線に住んでいる。火薬と電気の知識があって、世の中に不満を持っている男だという。そう伝えられているが、範囲はずいぶん広い。

前科も前歴もない、とも判断された。指紋と筆跡が残っていたのに、警察のデータのどこにも一致するものがない。

罪を犯したことのない人物が、ある日から突然、これだけの爆破と脅迫と銃撃を、約10か月のあいだに続けざまに起こしたことになる。そう見るしかなかった。新聞や雑誌も、それぞれに犯人像を並べて、銃や機械いじりの好きな若者だとも、文学青年のようなタイプだとも書いている。

消印は、下谷郵便局の周りに集まっていた

手紙には消印があって、郵便物がどの局を通ったかは、犯人の行動範囲を示す大きな手がかりになる。調べると、下谷郵便局の周辺から投函されたと見られる。そう伝える記述がある。

犯人像の中に台東区の西部という言葉が出てくるのは、投函された局の場所が、そこに近かったからだと読める。

上野公園、浅草寺、上野駅と、事件の場所にも台東区の名がいくつも並んでいた。ただ投函の場所と住まいの場所は、同じとは限らない。警察も、投函の場所だけで犯人の住まいまで絞りきることは、最後までできなかった。

延べ1万9000人の捜査員と、9600人の名簿

警視庁は、火薬と電気に詳しい人間を端から当たっていく、大がかりな捜査に踏み切った。投入された捜査員は、延べ1万9000人に及ぶ。火薬や爆弾に詳しい愛好家を洗い出して、名簿に挙がった人数は約9600人だった。

その1人ひとりを調べても、草加次郎は見つからない。

東京オリンピックが開かれたのは、翌1964年の10月だ。街が祭りに向かって走っているあいだも、捜査は続いていた。筒、本、時計、そして銃と、使われた道具はいくつもあったのに、どれも犯人の顔を映さない。

1978年9月5日

時効は、1978年9月5日に成立した。

公訴時効が成立すれば、のちに犯人が見つかったとしても、その人物をもう起訴することはできない。京橋駅の車内で爆弾が破裂した日から、ちょうど15年がたっていた。最初の筒が事務所に届いた日から数えれば、15年と10か月になる。最後まで、名前も顔も分からない。何のために筒を作り、字を書き、電車に爆弾を置いたのか、語った者は誰もいなかった。

死者は出ていない。それは偶然に過ぎない。爆発のたびに、誰かの手は火傷を負い、誰かの屋台は撃たれ、乗客は夜の電車の中で怪我をした。

被害に遭った人たちの名前を、ここでは書かない。事件の名前だけが、犯人の名乗りとして世間に残った。

捕まらなかった男を、尊敬した犯人

草加次郎の名は、消えない。

1968年には、横須賀線の電車で爆破事件が起きている。逮捕された犯人は、捕まらなかった草加次郎を尊敬していたと供述したという。犯罪者が、別の犯罪者を手本にした。この供述は、未解決の事件が後の世へどんな影を落とすのかを示している。

週刊誌のウェブ記事は、この事件を無差別テロの元祖と呼ぶ。テレビもこの事件を何度も取り上げてきた。2009年6月23日には朝の情報番組が、2020年7月2日には公共放送の衛星番組が特集を組んでいる。

筒と本と時計と、銃弾

事件の骨組みだけを、最後にもう一度並べておく。

最初が1962年11月4日、品川区の後援会事務所に届いた筒。1963年に入って、5月から女優宅への脅迫状、7月に上野公園の銃撃、渋谷のデパートの時限爆弾、9月5日に京橋駅の電車内の爆発と続く。爆発物は筒、本、時計と形を変え、凶器は火薬から弾丸へ、そしてまた火薬に戻った。金額は100万円から500万円へ上がる。

どの場面にも、指紋、筆跡、名乗りがあった。顔と声だけが、最後までなかった。

草加次郎という名前は、読み方さえ決まらないまま、今も事件の通称として使われている。

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