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アンビリバボー恐怖の神回7選――呪い面から、壁の中の男まで

呪いの面をテレビ越しに見たら、自分まで巻き込まれるのか。壁を叩いていたのは、本当に死者だったのか。『アンビリバボー』の恐怖は、放送が終わってからも、家の物音や見慣れた写真へ入り込んでくる。古い心霊企画から近年の怪奇回まで、七つの話をたどる。

番組の公式紹介や正規作品の案内を手がかりに、七つの企画の筋と余韻をたどってみたい。ここでの神回は、長く気になる怖さを残す企画を選ぶための呼び名だ。呪物が二つ登場しても一企画、同じ日に放送された別の事件は別企画として、話の中身で数えている。

霊のいる家にも、人が潜んだ家にも、似た物音が響いていた。最初の数分だけなら、どちらの話か分からない。そこから安心できる方へ進むとも限らず、説明が付いた瞬間、かえって家の壁を見たくなくなる回もある。

呪い面――知ってしまった側へ、怖さが渡る

古い恐怖企画の中から一つ挙げるなら、山口敏太郎が紹介した呪い面は外せない。面に関わった人や身近な相手へ、災いが及ぶという話だ。手に持った人だけでなく、取材した人まで巻き込むと聞くと、見ている側も距離を測りにくくなる。

二〇一二年八月二日の放送は、後に作られた映像作品の製作元の案内にも記されていた。翌年二月にも、同じ面が取り上げられたという。二度の放送と、その後の作品化を一つの来歴として数えると、面そのものよりも長く続いた話の姿が見えてくる。

二〇一四年に発売された作品の販売元は、面が関西の骨董店から山口の手へ渡ったと紹介した。もとは儀式や祭りに使われたらしいともいう。日用品でもおもちゃでもない、使われた目的のはっきりしない顔が、誰かの部屋へやって来た。

紹介文には、取材した記者のけが、出版社の倒産、関係者の身内の不幸などが並ぶ。面から伸びる、見えない糸。別々の場所で起きた出来事へ同じ原因を与えると、それまで遠かった事故まで、面の周りへ集まって見えるのが嫌なところだ。

人の顔をした物は、こちらへ視線を返してくるように感じやすい。仮面なら、なおさらだろう。裏側に誰もいなくても、誰かがそこへ顔を合わせたことだけは想像できる。置物を見る時とは少し違う、生々しい空席が残される。

その空席に、呪った人物の顔や、亡くなった誰かの事情を入れたくなる。けれど、面の由来を語る筋はいくつも育ちうるものだ。後から聞いた悲惨な物語を、番組で確かに説明された制作事情へ変えてしまうと、面より先に、噂の方が顔を得てしまう。

この企画が引っかかるのは、危険が物の大きさに見合っていないせいでもある。持ち運べる、たった一つの面。触らずに見ていただけの人や、近しい相手まで災いが届くという筋では、距離を取っても安全な場所へ出た感じがしない。

販売元の当時の案内では、面は京都の寺院へ納められたものとして紹介された。ようやく、置き場所が決まった。持ち主を移しても不安が消えない話だから、寺という行き先が付くこと自体に、物語を一度閉じる働きがあるのだと思う。

ところが、封じたと聞けば、今度は開く場面が気になってしまう。ここからが、実に厄介だ。もう触れない方がいいという説明が、もっと知りたい気持ちまで強め、誰かが新しい写真や後日談を探す理由になっていく。

呪いが実際に働いたと決める前から、面の話は聞いた人の暮らしへ入り込める。転んだ時や電話が鳴った時に、面を思い出す。物が家へ来なくても、あの話を知ってしまった側にはなれるので、テレビの枠に収まりにくい恐怖だった。

日本人形と掛け軸――大切にされた物が、部屋へ残る

二〇二四年八月二十一日の怪奇企画には、呪物を集めるはやせやすひろが登場した。扱われたのは、日本人形と掛け軸だ。同じ収集者を訪ねた一つの企画として見ると、物を怖がる人から、かわいがる人へ渡る道のりが、妙に心に残る。

人形の話は、青梅の骨董店から引き取りを頼まれたところへ続く。目を見せないように、布でくるまれた人形。もとの持ち主の家では、厳しかった祖母の部屋から、誰かと話す声が聞こえていたと、番組の紹介に書かれていた。

相手は、家の幼い娘だと思われていた。ところが娘は、横で眠っている。夜の部屋で祖母が話していたのは、人形だったという展開だ。同じ声を聞いても、話す相手が変わるだけで、家の様子がすっかり違ってしまう。

さらに娘が人形に引っかかれたと訴える話や、祖母を亡くした後にも声がしたという話が重なった。祖母の部屋だけが、まだ終わらない。そこにあった愛着が人形へ移ったようにも、家族の知らなかった付き合いが続いているようにも読める筋だ。

やがて人形は、骨董店へ渡った。その店でも話しかけられるようになったと語られ、はやせの元へ運ばれる。怖い物を遠くへ出したはずなのに、次の人が同じ物を手にするので、処分の話が、そのまま次の怪談の始まりにもなる。

はやせの受け止め方は、前の持ち主たちとは違っていた。人形を、かわいがる。長く愛された物に残った気持ちへ、目を向けている。怪異を語っているのに、ずっと追い出されてきた物を迎える話としても聞こえるのが面白い。

もう一つの掛け軸は、父親が骨董店で買い、家族の反対を押し切って飾ったという品だった。家の中へ入り込んだ、一枚の絵。そこから玄関の髪の毛、見知らぬ女性の気配、置いていないはずの線香の匂いへ、話が広がっていく。

描かれたものが、匂いや気配になって部屋へ出てくる。目で見れば済むはずの絵が、それで済まない。しかも、はやせ自身の語りには、家では普段から線香をたくので匂いの出どころは分からない、という受け止め方も含まれていた。

その一言があると、全部を一度に呪いへまとめる聞き方とは違う、人物の距離が見えてくる。怖いと感じた話を、丸ごと捨てなくていい。分かることと、手元では区別できないことを持ったまま、それでも物と暮らす人が、この企画にはいた。

私は、人形の目が動くという一瞬の話より、部屋に置き続けられることの方が気になる。夜が何度も、やって来るからだ。誰かを追いかける怪物でなくても、顔を上げればいつもそこにある物なら、見る側の気持ちが変わるまで待ててしまう。

面は遠ざける怖さで、人形は迎える怖さだった。かわいいという感情も、少し不穏だ。自分を怖がらせた物へ愛着が湧いたら、どうだろう。その後で手放したくなっても、こちらだけの都合で別れられるのか、そんな先まで考えたくなる。

見えないトモダチ――引っ越しても、遊びは終わらない

二〇二六年七月二十二日の企画で紹介されたのは、アメリカのジェシーという男性の家だった。幼い娘のいる、普通の暮らし。そこへ、押していないおもちゃが動き、家具や戸がひとりでに動くという、不思議な映像の話が入ってくる。

公式の紹介によれば、最初に気付いたのは、おもちゃの車の動きだった。撮影を止め、また構えると、再び動く。朝になって妻を呼んでも異変が続いたという流れなので、一晩だけの見間違いで終わらないところへ、不安が持ち越される。

やがて、ベビーサークルやドアまで動いたと紹介された。子供の周りの、見慣れた道具。危険な形をした物でなくても、いつも人の手に従うものが勝手に動くと、部屋の主導権を誰かへ渡したような感じがする。

ところが、本人はただ怯えていたわけではなかった。幼い頃にも、ミニカーがひとりでに動くような経験があったという。自分の気を引きたい相手がいるのかもしれないと捉え、怪異に向かって話しかける姿まで、番組は紹介した。

壁の絵が揺れる回数を、問いへの返事として受け取る場面もあった。遊び相手のような、気安さ。本人には会話の続きでも、外から聞く側には、いつから相手と決まりを共有したのかが見えない。少し置き去りにされた気分になる。

家へ何かが付いているのなら、引っ越せば話も終わりそうだ。私も、そこで区切りたくなる。けれど一家が別の家へ移った後にも、電灯やおもちゃの異変が続いたと紹介された。怪談の場所が、建物から本人のそばへ動いてしまう。

古い屋敷なら、そこへ近付かなければ済む。人に付いているなら、どこへ帰るのか。新居を用意するという普通の暮らしの選択が、いままでの説明を狭くしてしまうところに、この話の後半の怖さがあった。

番組側も、一家の承諾を得て四台のカメラを設置したと記している。夜の家を映した、観察記録。取材中には電灯が点滅し、問いかけへ応じるような場面が紹介された。その光を返事と聞き取る瞬間が、紹介文を読むだけでも、いちばん気になる。

点滅という出来事と、相手の言葉を受け取った感覚の間には、一人ずつの読み方が入る。本人と、そばの人の温度差だ。気味悪さを感じる人の横で、すっかり親しい相手のように話す人がいると、同じ部屋の物音さえ、別の意味になってしまう。

ジェシーは、白いフクロウと強い光に遭った夜の記憶も語った。番組は、それを守る存在かもしれないという方向へつないでいく。本人にとっての心当たりとして聞くと、怖い部屋の話が、自分のそばにいる誰かを探す話へ変わったところが分かる。

題名のトモダチは、やさしい言葉なのに、相手の姿は最後まで見えない。正直、それが落ち着かない。親しく呼ぶほど、何を考えているか分からない存在を家族の内側へ入れることにもなる。穏やかな結びにも、薄い緊張が残る企画だった。

壁の中の男――母の返事だと思った音の正体

同じ二〇二六年七月二十二日の別企画は、アメリカのボウエン家に起きた心霊騒動をたどった。こちらも、家の中の物音から始まる。母を亡くした姉妹が、もう一度話したいと願ったことへ、見えない相手の返事が重なっていった。

二人が地下室で降霊術を試すと、壁を叩く音がしたという。会えない母からの、ノック。最初の喜びがあるからこそ、後から音が激しくなり、呼びたくなかったものを呼んだと感じる変化が、いっそう残酷に見える。

番組の紹介では、姉妹がいない間に人形の位置が変わり、テレビがつき、家の物が動いた。父親も、異変に気付いた。家族全員が同じ説明へ近付くほど、身近な物音は、いよいよ家にいる悪いものの仕業へ結びついてしまう。

父親が家の中で襲われ、姉妹が拘束される場面で、物語の姿が変わる。そこにいたのは、人間だった。逃げた姉が助けを求め、警察が家の中の男を見つけたという展開は、霊が消える結末より、ずっと重たいものを部屋へ残す。

男は、ダニエル・ラプランテだった。姉のティナへ執着し、家へ入り込んでいたと番組は説明する。壁の狭い空間に潜み、家族が母の霊へ呼びかける様子を聞きながら、返事に見せて音を立てていたという筋だ。

怪談を聞いている間は、見えない相手のいる場所を、こちらも遠くへ置きがちになる。天井の上や、暗い部屋の奥。けれど、この話では、声を聞いている家族のすぐそばに、同じ空気を吸っている男がいたことになる。

音の正体が分かれば、母へ話しかけた時間まで変わってしまう。聞かれていたのか。怖がっていた顔も、家族にしか向けなかった言葉も、知らない相手へ渡っていたことになる。侵入されたのが建物だけでは済まなくなるのがつらい。

この事件を、結末の意外な怪談だけで閉じられない理由もある。ラプランテは後に、別の家の母親と二人の子供を殺害した。二〇一九年の州最高裁の判決にも、一九八七年の殺人と、その後の有罪判決が記されている。

壁の中の奇妙な話と、現実に失われた三人の命が、同じ人物の来歴へつながった。ここは笑って、安心できない。事件の被害を、怖い話を盛り上げるための新しい災いへ作り替えず、別の家族にも生活があったことを残して読みたい。

見えない相手を霊だと思う間は、戸締まりの心配とは別のところへ意識が向く。そこを人が使った、という恐ろしさだ。死者へ会いたい願いと、相手を支配したい執着が、一枚の壁を挟んで向かい合っていた。私は七つの中でも、特に嫌な余韻を覚える。

娘をさらった電話――誰も連れ去られていないのに

二〇二四年八月二十一日には、テキサスで娘と暮らすシェラタンの話も紹介された。始まりは、一本の電話だった。十歳の娘をワゴン車で誘拐したという男の声に、助けを求める声まで重なり、いつもの家が、追い詰められる場所へ変わっていく。

娘はその日、親族に送ってもらって体操教室へ出掛けていた。目の前には、いない。体操教室では不審なワゴン車の話が出ていたため、電話の中に出てきた車が、母親の知っている心配と結びついてしまった。

その時、シェラタンは肩を負傷していた。痛みと疲れのある日に、急に起こされた恐怖だ。落ち着いた場所から聞けば、変だと思える話かもしれない。けれど娘の命を今すぐ決めるように迫られると、確かめるための一呼吸さえ、取りにくくなってしまう。

電話の相手は、通話を切らせず、娘のために金を用意するよう要求した。母親は、相手とつながったまま外へ出た。誰かへ助けを求めたいのに、周りの人まで仲間に見え始めるという紹介を読むと、声一つで街の表情が変わることが恐ろしい。

離婚した元夫のブライアンへも、連絡を試みていた。彼は、別の場所から動いた。娘のいる体操教室へ向かい、そこで練習している姿を確かめる。同じ時間に、母親の見ている世界と父親のいる世界が、真っ二つに分かれてしまう。

娘は無事だった。電話の向こうに、誘拐された子供はいなかった。それでも母親が感じた恐怖も、失った金も、相手の指示に従って移動した時間も消えてはくれない。仕組みが分かってから振り返るほど、声の力が不気味になる。

これはバーチャル誘拐と呼ばれる詐欺の一種で、FBIも二〇一七年に説明を公表していた。子供をさらう代わりに、さらわれたと信じさせる。相手に事実を確かめる時間を与えず、急いで金を払わせるところへ、犯罪の中心が置かれていた。

番組の紹介には、発信元がメキシコの刑務所だったという捜査の話も出てくる。家の外には、いない。すぐそばで見張られていると思った相手が、遠く離れた場所にいたと知ると、恐怖のために自分で埋めてしまった距離まで見えてくる。

不審だと思われていたワゴン車にも、後から別の事情が分かったと紹介された。体操教室の関係者の父親が、そこに止めていた車。娘が出掛けたこと、車を心配していたこと、聞こえた声が、一つに重なってしまった日の話なのだ。

この回では、幽霊が現れなくても、見えている日常の方が信用できなくなる。そこが、私には怖い。誰かが娘の居場所を確かめに行くまで、一本の電話が現実を占領しており、声を切るという普通の動作が、ようやく帰り道になる。

呪われた石――砂漠へ戻される小さなお宝

二〇二四年九月四日の岩を巡る企画には、アリゾナの砂漠で拾った物を、後から返す人たちの話があった。きれいだから、持って帰った。それが不幸を運んできたと思うようになり、謝罪の手紙と一緒に送り返すという、手のひらほどの怪談だ。

番組が紹介したお宝は、珪化木だった。石になった、昔の木だ。見た目のきらめきに惹かれて家へ連れて帰ると、そこから先の暮らしへ災いが付いてくるという噂は、持ち帰った時の小さな後ろめたさとも、離れにくいところがある。

アメリカの国立公園局の説明では、この木は二億年以上前、川へ運ばれ、土砂に埋もれていた。酸素が届きにくくなり、腐敗が遅くなる。やがて水に溶けた鉱物が木の組織へ入り、長い時間の中で結晶を作ったと説明されている。

木なのに石で、石なのに宝石のように光る。はるかな時間を閉じ込めた、不思議な物。石英へ混じった鉄や炭素、マンガンなどが色を生み、元の木の形を残すので、何かが宿った物として眺めたくなる気持ちも想像できる。

返却の手紙を集めた写真集の著者ライアン・トンプソンは、二〇一一年に館内の展示と出会ったと書いている。二〇一二年には、保管された手紙を読みに戻った。その人たちの言葉と石の写真を集めた本が、さらに別の場所へ、石の話を運んでいった。

著者の説明には、車の故障や病気、家族の死を、持ち帰った石へ結びつける手紙があったという。石は、何もしゃべらない。それでも日々の不運を一つずつ眺め直すうち、棚に置いた物だけが、あの日から変わったものに見えてくる。

いちばん引っかかるのは、返せば前の暮らしへ戻れる、という願いだ。石を包む手が、浮かぶ。不幸の本当の原因を手で触れられなくても、持ち帰った物なら箱へ入れられるので、怖さを片付ける動作だけは、はっきり形になる。

ところが著者によれば、返された石は、もとの場所へそのまま戻されるわけでもなかった。どこから来たか、分からないためだ。出どころの違う物を混ぜれば研究する場所の情報を崩すので、返却された石は、別にまとめられるという。

元へ戻したかった人の願いは、そこでも少し宙に浮く。郵便は届いたのに、帰郷は終わらない。持ち主には区切りのための返却でも、公園にとっては来歴を失った標本になるという、同じ箱の意味のずれが、この話には残されていた。

公園の案内は、珪化木を含む自然物を持ち出さないよう定めている。呪いの話を聞く前から、大切に残す理由はある。番組も貴重な石を守るために噂が育ったのではないかという説へ触れたが、手紙を書いた一人ずつの気持ちまで、その一言で片付けたくはない。

石を拾うのは一瞬で、家へ帰ってから考える時間は長い。そこが、この回の静かな怖さだ。姿を現す相手がいなくても、きれいだと思った気持ちと、持ち去った後ろめたさが一つの物へ重なれば、もう以前と同じ飾りには見えなくなる。

アラスカのUFO――見た光より、地上の反応が残る

二〇二四年十月十六日の企画は、アラスカの上空で日本人の乗組員が見た光をたどっていた。一九八六年十一月の、貨物機の話だ。逃げる場所の限られた空に、正体の分からない光が付いてくるという始まりだけで、地上の怪談とは違う息苦しさがある。

機長の寺内は、長い飛行経験のある人物だった。番組は、その機長の書いた報告を紹介した。最初は軍用機かと思った光が、普通の飛行機とは違う動きを見せ、顔の前まで明るくなったという記述へ、話は進んでいく。

さらに、乗っているジャンボ機より大きな物が、左後ろへ付いてきたという場面が続いた。旋回しても、離れない。大きさを比べられる自分たちの機体がそこにあるため、暗い空の中のものに、妙に具体的な輪郭まで与えられてしまう。

報告は、着陸後の地上へ渡った。アメリカの航空当局による聞き取りと、その後の取材が続く。ここからは、未知の飛行物体に遭う怖さと、その後で人からどう扱われるかという怖さが重なる。一つの目撃談に、二つの緊張がある。

当時の調査に関わったキャラハンの語りには、レーダーの記録や、政府側との会議の話も含まれていた。番組は、それを紹介した。資料を持ち去られたという本人の説明が加わると、空を追っていた目は、地上で何が隠されたのかという方向へも向かう。

一方で、この企画には、目撃したものの違いも残っている。光は、乗組員で見たという。けれど、機長が描いたような形までは自分は見ていないと、副操縦士が杉江弘へ語った内容も紹介され、同じ空にいた人を、一枚の絵へまとめ切らなかった。

ここを飛ばすと、三人全員が同じ巨大な船を細部まで見た話へ変わってしまう。見た光と、描いた形。近い場所にいた人の言葉が少し違うと、その違いを聞き続ける方が、早く一つの答えを置くよりも、夜空の不気味さを長く残す。

米国立公文書館の資料案内にも、日本航空一六二八便に関するFAAの情報公開資料群が載っている。目撃の出来事は、記録を探せる来歴を持つ。そこから、光の性質やレーダーの読み方へ進む時には、証言を聞くことと、測定の内容を調べることが、それぞれに必要になる。

番組は、当時の惑星の位置を調べる試みや、機長が一度地上勤務になった後、操縦へ戻った経緯も紹介した。空の話が、人の暮らしを動かした。何を見たかが簡単に決まらなくても、その体験を語った後の時間は、本人の上へ確かに積もっていく。

機長が後の講演で、人間の反応に驚いたと振り返った言葉も、公式紹介には残っていた。私には、そこがいちばん重い。知っている人から信じてもらえるのか、仕事の場で何を言えるのかという不安は、未知の光が消えてからも、地上へ付いてきたからだ。

巨大な物が空から現れる怖さと、見たものを口へ出せなくなる怖さは、違うところを刺してくる。どちらも、この企画の中にあった。最後に操縦席より地上の人間関係が気になるところが、ただの目撃映像集で終わらない、忘れにくい回だった。

二枚の写真と、放送後に育っていく記憶

七企画のほかに、古い心霊特集を探すと、写真の断片だけを覚えている人の言葉にも出会う。二枚を重ねると、赤い顔になる。写真の題名や放送日が出てこなくても、その仕掛けだけで、昔怖かった場面を呼び戻そうとする語りだ。

二〇一五年の公開投稿にも、二枚の写真から赤い顔が現れるものが怖かった、という記憶が残っていた。十数秒で、持ち運べる怪談。どんな旅館で誰が撮ったかより、別の写真を重ねると顔ができる、という動作の方が、次の人へ渡りやすい。

自分で見付けたつもりになれることも、写真の怪談にはよく似合う。どこにいるのか、探してしまう。説明される前には普通の景色だったものが、一度顔に見えてからは、もう以前の見方へ戻せないので、一枚の中に前と後の時間ができる。

ただ、後年の記憶には、別の番組の名も入り込む。二〇二一年の公開の質問では、アステカの祭壇という写真を本当にアンビリバボーで放送したのか、と尋ねる人もいた。その人は、別の心霊番組の印象を挙げており、怖い写真の話と、放送を覚えている話が、そこでずれていた。

怪談が残ったことは、それ自体に面白さがある。だからこそ、別の題名を足すだけで、八つ目、九つ目の放送回が見つかったとは数えたくない。あの写真が原因で心霊企画が終わった、という後日談も、番組の編成の説明として聞くには、また別の根拠が要る。

それでも、部屋の明かりをつけたくなったという感想には、見た人の時間が残っている。どんな顔だったのか、思い出し切れない。その不鮮明さまで含めて誰かと怖がれるから、写真は失われても、写真を見たはずの夜の話は、長く続いていくのだと思う。

番組が終わった後、家の音が違って聞こえる

呪い面と珪化木の話は、何かを自分のそばへ持ち帰る怖さだった。大きさは、関係ない。面の顔も、きれいな石も、そこに置いた日を覚えられるので、後から起きた出来事を、その日へ向けて結び直せてしまう。

人形や見えないトモダチの話では、追い出す気持ちだけでは終わらなかった。かわいがる人、親しく呼ぶ人がいた。怖い物を大切にする相手を見ていると、安心したいのに、その人のやさしさがどこまで相手へ届くのか、見えないまま取り残される。

壁の中の男と誘拐の電話は、見えないものを人間が使った話でもある。母の声を待つ気持ちと、娘を助けたい気持ち。切実な願いへ入り込まれたので、仕掛けが分かった後にも、笑って済ませられる距離へは戻ってこない。

アラスカの空では、経験のある人たちも、正体の分からないものを見たと語った。その後に続いた、人の反応。未知の存在の話を聞いていたはずなのに、身近な相手へ何を話せるかというところへ帰ってくるので、現実から離れた気分だけでは終われない。

七つを続けて読むと、何かが映った瞬間より、普通の暮らしの説明が変わる瞬間の方が、私は気になる。壁は、部屋を守る境目だった。電話は家族へつながる道で、人形はかわいがる物だったのに、その役目が一つずつ、別のものへ入れ替わってしまう。

怖い回を探す時には、画面に現れた物の派手さだけで比べなくてもいい。あとで、何を見返したくなったのか。あの面か、娘の居場所か、自分の家の壁かを考えると、同じ番組の神回という言葉の下にも、かなり違う夜が並んでいる。

番組を覚えている人にも、昔の噂からたどり着いた人にも、同じ結末が違う怖さで届く。人形を抱えた人がいたこと、母へ返事を待った時間があったこと、その先に待つものを読み直せる。七つをつなぐのは、怪物の顔よりも、いつもの家へ戻った時に、もう一度気になってしまう小さな音なのだと思う。

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