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ベートーヴェン・バッハなどの肖像画

放課後の音楽室で、壁の顔がこちらを見ていた

音楽室の壁に、作曲家の肖像画が並んでいた学校は少なくない。ベートーヴェン、バッハ、モーツァルト。額に入った顔は、授業のあいだずっと教室を見下ろしている。

日が落ちると、その部屋は別の顔を見せる。壁の絵の目が動く。誰も触れていないピアノが鳴る。学校の怪談のなかで音楽室は、壁と楽器の両方から話が出てくる部屋だった。壁の顔と、夜のピアノ。

先に断っておく。この手の話は、学校名や死者の名が付いていても、一次資料がなければ裏は取れない。確かめられた範囲だけを書いて、分からないことは分からないと書く。

目が光る、目が動く、体の向きが変わる

肖像画の怪談の型は、驚くほど決まっている。目が光る。目が動いてこちらを見る。体の向きが変わる。『月刊ムー』2024年8月号の記事は、ベートーヴェンの肖像画についてそんな話が全国の学校で語られていると紹介した。

バッハやモーツァルトの絵にも、似た話があるという。ただ、ここには筋らしい筋がない。ピアノの怪談には、少女が撥ねられた、指を切られた、と細かい話が付くのに、肖像画のほうは、ただ目が動くだけだ。『ムー』の記事も、肖像画については具体的な事例を挙げていない。

夜中に笑う、という型もある。ネットの解説には、夕方17時半に音楽室のピアノでド・レ・ミと弾くとベートーヴェンが笑い出す、という噂が載っていた。次の日に絵の配置が変わっていた、という話も同じ解説にある。どちらも出典は示されず、子どもたちの間の噂として紹介されているだけだ。

異説も語られる。夜中に肖像画同士が会話する、という話。作曲家の人数が一人増えて、朝には元へ戻る、という話。どちらも、出典は確認できていない。

画鋲を抜いたら、呻き声が止んだ

個人ブログに「ぼくの記憶の中の学校の怪談」として載っている話では、夜な夜な、どこからか呻き声が聞こえていた。ふとベートーヴェンの肖像画を見ると、誰のいたずらか、目に画鋲が刺されていた。画鋲を抜くと肖像画の顔が和らぎ、それ以来、呻き声は止んだという。

怖がらせる話にしては、後味が違う。気づかれずに苦しんでいたものを、救ってしまった。そんな読後感が残る。加害と鎮魂の混ざった、少し珍しい結末。

同じブログには、別の型も出てくる。肖像画の目が光る。よく見ると、目に刺さった画鋲が反射していた、という話だ。画鋲が、一方では怪異の原因になり、もう一方では怪異の種明かしになっている。

夕方5時半に、ド・レ・ミと弾いた姉

ネットの解説記事に、ある姉妹の話が載っている。姉のほうが、先の噂を試した。夕方17時半に音楽室のピアノでド・レ・ミと弾き、下校時刻ぎりぎりまで残ったが、そのときは何も起こらなかったという。

翌日、リコーダー合奏の授業中のことだった。クラス全員が見ている前で、壁のベートーヴェンの肖像画の端が、ぺろんとめくれた。前日は何も起きなかったのに、一日置いて、噂が別の形で現実になったかのようだ。そう感じられたところが、この話の不気味さだ。書き手自身は、偶然の出来事だったと見ている。

楽器のおまけに付いたカレンダーだった

音楽室の肖像画には、意外な出どころがある。きっかけは、楽器のおまけだった。カレンダーの絵が、そのまま壁に居残ったのだ。

2018年12月14日放送のテレビ番組『チコちゃんに叱られる』が、この疑問を取り上げた。番組の説明では、始まりは昭和30年ごろ。全音楽譜出版社の社長が、学校に楽器を売り込む宣伝として、作曲家の肖像画つきカレンダーを配ったという。

最初に描かれたのはベートーヴェンで、翌年はバッハ、その翌年はヘンデルと、毎年顔ぶれを替えて配ったらしい。先生たちの中に、カレンダーの部分を切り取って、肖像画だけを音楽室に飾る人が出てきた。

ただ、年代には食い違いがある。国立国会図書館のレファレンス協同データベースの事例は、原画が1950年前後に、創業者の依頼で描かれたと伝えている。昭和30年ごろと、1950年前後。どちらが正しいのか、確かめられた範囲では決められなかった。昭和30年代とする文章もある。

描いたのは洋画家の大貫松三で、元になった肖像画を模写したものだという。原画は、いまも全音楽譜出版社にある。番組によれば、ベートーヴェンのカレンダーはヨーゼフ・カール・シュティーラーの肖像画をもとにしている。

そのシュティーラーの肖像画は、1820年の作だ。いまはボンのベートーヴェンハウスにある。赤いスカーフを巻き、荘厳ミサ曲の楽譜を手にした姿で、ブレンターノ夫妻の依頼で描かれた。シュティーラーはバイエルン王国の宮廷画家で、ゲーテらの肖像も手がけた。

制作の逸話も伝わる。ベートーヴェンがモデルとして椅子に座ったのは、3回だけだったという。4回とする資料もあって、回数は決められなかった。顔は本人を見て描き、手とポーズには別のモデルを使ったと説明する資料がある。数あるベートーヴェンの肖像画のなかで、最もよく知られた一枚だ。

バッハはエリアス・ゴットロープ・ハウスマンが1746年に、モーツァルトはヨーゼフ・ランゲが1789年から90年ごろに描いた肖像が知られる。ベートーヴェンは1827年、バッハは1750年、モーツァルトは1791年に亡くなっている。三人とも、本人が生きていた時代の絵だ。ただ、日本の音楽室にあったのは、その模写を印刷し、切り取って貼った複製の複製だった。

バッハの時代は鬘が流行り、ベートーヴェンの時代は地毛だった、と書くピアノ教室の先生もいる。髪型を見れば、時代の違いまで読み取れる。教材としては、よくできた絵だった。

昭和42年、おまけが教材の基準に入った

おまけの肖像画が全国の壁に並ぶには、もう一段あった。1967年、昭和42年のことだ。全国の壁が、同じ顔になった年。旧文部省の中学校の音楽教材基準に、世界の音楽家の肖像画が入った。番組も、この基準が決まったから全国の音楽室に広まった、と説明している。

基準に入れば、学校は備品として買いそろえる。全音楽譜出版社の肖像画は商品になり、『全音 世界大音楽家肖像画集』の名で売られた。いまも増補版が、36枚組の商品として出ている。ドイツ系の顔が多いのは、明治に日本が手本にした音楽教育がドイツのものだったからだ、と説明する解説もある。

ただ、誰を飾るかまで国が決めたわけではない。「必ずこの10人」という国の規定はない。文部科学省の学習指導要領にも、何々の肖像画を飾れという記載はなく、各学校や自治体の判断に任されている。だから顔ぶれは学校ごとに違ってきて、滝廉太郎が並ぶ音楽室もあれば、何も掲げない音楽室もある。

目が追ってくるのは、絵が動いたからではない

正面を向いた肖像の前で左右へ動くと、目がこちらを追ってくるように感じる。この現象は、モナリザ効果と呼ばれる。心理学の解説によると、理由は絵が平面だからだ。

立体の顔なら、向きが変わると、顔の各部分の重なり方が変わる。ところが絵では、顔の幅が狭く見えるだけで、重なり方は変わらない。黒目と左右の白目の比率もそのままなので、視線の向きが変わらないように知覚される。

絵そのものが動いたわけではない。見る側の知覚が作る現象だ。音楽室の肖像画で目が追ってくる話にも、この仕組みが働いているのかもしれない。錯視で説明できる可能性があることと、語り手が嘘をついたことは、同じではない。

怪談の側にも、種明かしの型がある。目が光ったのは画鋲の反射だった、という話。肖像画の端がめくれたのは偶然だった、と見る書き手。本人には本当に動いたように見えて、その驚きが、そのまま話になるのだろう。

作曲家ごとに「怖さ」を採点する遊び

ネットには、肖像画の怖さを採点する企画がある。「目が動いたら怖い肖像画は誰だ」という選手権形式のページでは、ベートーヴェンが24点で1位だった。目力、顔の怖さ、知名度、エピソード、曲の怖さの五項目で採点している。講評は、顔の怖さ、怖い曲や不気味な曲の多さ、呪いのエピソードを理由に挙げている。

呪いとは、第九の呪いのことだ。ベートーヴェンが交響曲第9番を完成させたあと、第10番を完成させないまま亡くなったことから語られる。二つの話がいつ結び付いたのかは、確かめられなかった。肖像画怪談の発祥の理由だと、決めつけることはできない。

同点の2位は19点で、モーツァルトと滝廉太郎だった。モーツァルトは、遺作の「レクイエム」を作曲中に亡くなったと言われる。滝廉太郎は若くして亡くなり、遺作の「憾」が他の曲と違う不気味な曲調だと評された。

個人ブログは、気むずかしく見える表情や上目遣いが、怪談の題材に向くと書いている。怪談のはずが、どこか品評会のような楽しみ方をされているわけだ。

「怖くない音楽室」という架空のニュース

2022年6月10日、虚構新聞に「音楽家の肖像画、今はマイルド 『怖くない音楽室』広がる」という記事が出た。大阪市の小学校が、音楽室は怖いという子どもたちの認識を改めるため、肖像画をやさしい絵柄に張り替えた、という趣旨だ。虚構新聞はフィクションのニュースサイトで、記事の末尾にも架空の話だと明記されている。

怖い肖像画が誰にも身に覚えのある学校あるあるだから、冗談として成り立つのかもしれない。

二次創作もある。ピクシブ百科事典の項目では、音楽室の肖像画がキャラクターになっている。モデルはベートーヴェン、モーツァルト、バッハ、シューベルト、ドヴォルザーク、カラヤンの6人で、担当楽器とあだ名がある。深夜2時に音楽室でピアノを弾くと現れる、という条件つきだ。

伝承そのものではなく、伝承を土台にしたネット発の創作文化だ。それだけ広く共有された題材だった、ということだろう。

二人目のベートーヴェンと、ヌーベルヒェンの札

札のついた肖像の話も、ネットにある。音楽室に同じベートーヴェンの肖像画が二枚掛かっていて、片方にだけ「ヌーベルヒェン」という正体不明の札が付いている。札は外すと別の悪いことが起きると言われ、そのまま残されている。視線を外すと絵の奥で木のきしむ音がして、振り返ると瞳だけが忙しく動いている。

ただ、これは創作として投稿された短い怪談だった。作者は、高校の同級生から聞いた話が元だと書いている。伝承として数えるわけにはいかない。

民話の手帖から、1990年の文庫へ

児童文学作家の松谷みよ子は、1978年に創刊された全国誌『民話の手帖』の紙面を大きく使い、読者から現代の民話を募った。集まった話をまとめたのが、立風書房の『現代民話考』で、1985年から86年にかけて全12巻で出ている。

ピアノの怪談の事例は、多くが『現代民話考』第7巻に載った話として、のちの本や記事に引かれていく。

節目は、1990年11月8日。講談社の文庫から『学校の怪談』の1巻目が出た。著者に常光徹の名が挙がる。内容紹介には、放課後の学校でコトコトと音がする、理科室のガイコツが動き出す、トイレには花子さんが現れる、人面魚、と書かれている。

1990年代に第二次オカルトブームが来ると、学校の怪談は七不思議とともに、映画やドラマ、小説、漫画、ゲームの題材になった。語り方が定型になったのも、この時代だと説明される。学校の怪談には、著者の定まった原典がない。児童同士の口承、採集本、テレビ、漫画、ネット投稿を行き来する話が多い。

映画のベートーベンは、楽団を指揮した

1995年、『学校の怪談』が映画になった。その年の邦画の第4位に入り、シリーズは全4作まで続いた。2作目は2位、3作目は5位、4作目は10位と、資料にある。

1作目の筋は、こうだ。美夏が絵の具箱を取りに学校へ戻り、旧校舎で怪奇現象に襲われて姿を消す。姉の亜樹が探しに入り、ほかの生徒たちと一緒に閉じ込められる。

この映画の音楽室には、ベートーベンの亡霊が出る。亡霊は楽団を指揮して、ムード音楽を演奏する。壁の額に収まっていた顔が、とうとう額から出てきた。そんな場面だ。

映画が当たれば、場面の絵は共有される。ただ、額から出てくる作曲家が子どもたちの語る怪談に混ざったのかどうか、確かめた記録は見つけられなかった。映画が噂を作ったのか、噂を映画が拾ったのかは、はっきりしない。

静岡の小学校。楽譜を取りに行った少女

ここからは、ピアノの話に入る。『ムー』の記事が『現代民話考』第7巻に載った話として挙げる事例の一つが、静岡県の小学校だ。

ピアノが得意な少女がいた。家に忘れた楽譜を取りにいこうとして、学校の裏門を出る。そこで車に撥ねられ、亡くなった。

少女の家族は、大好きだった音楽室が見える場所にと、裏山に墓を建てた。墓を建てたのは、音楽室からピアノの音が聞こえるようになったためだという。

死んだ場所ではなく、好きだった部屋に音だけが戻ってくる。亡くなった子の話の形をしたピアノの怪談は、ほかにもある。

昭和40年代前半、真岡小学校のステージ

栃木県真岡市の真岡小学校にも、ピアノの話がある。昭和40年代前半の話。ある女の子が、本堂のステージにあったピアノを弾いていると、突然ピアノの蓋が閉まった。蓋で指をすべて切断され、女の子は亡くなったという。

静岡の話と並べると、違いがはっきりする。静岡は車の事故による死で、真岡は楽器そのものが子どもを傷つけた話になっている。毎日さわる鍵盤の上に、怖さの出どころがある。

この話の舞台は、音楽室ではなく本堂のステージだった。ピアノの怪談は、音楽室の外へも出ていく。

1949年ごろ、群馬大学の真夜中の講堂

小学校の話だけではない。ピアノの怪談は、大学にも師範学校にもある。

群馬大学の学芸学部には、1949年ごろの話が伝わる。戦後まもない、大学の講堂の話。真夜中にピアノの音が聞こえるようになった。鳴らしているのは、亡くなった女性だという。彼女は結核を患い、周りから止められていたのに、こっそり弾くほどピアノが好きだった。

結核は、当時の日本で大勢の命を奪った病だった。病気の人間が人目を避けて楽器に触れていたという設定が、時代の匂いをまとっている。

亡くなったあとも、そのピアノでは音が鳴るだけでなく、血が滴り、引っかき傷のようなものが現れる。血の跡と、引っかき傷。そんな具体的な絵が付くと、噂は急に現実味を帯びる。見た者がいるかのように。見たという証拠は、確認できなかった。

盛岡の師範学校と、体育館のピアノ

岩手県盛岡市の師範学校にも、『現代民話考』に載った話がある。ピアノやオルガンの練習個室で、うまく弾けないのを苦にして、夜に命を絶った人がいた。夜になると、その部屋に幽霊が出るという話だ。

学校の怪談は子どもの話だと思われがちだが、大人に近い年齢の学生が通う学校でも、同じように怪談が育っている。師範学校は、先生を育てる学校だった。弾けないことがそのまま苦しみになる場所が、あったということだろう。

山岸和彦と恐怖委員会編の『怪異!学校の七不思議』には、体育館のピアノの話が載っている。3人が確かめようと体育館に侵入し、ピアノに近づくと、突然ピアノの音が鳴り響いた。3人は慌てて逃げ出したが、その後のことは覚えていないという。

この話にも、筋らしい筋がない。理由も犠牲者も語られず、現象だけが残る。音楽室の怪談には、筋のある型と、現象だけの型の二つがあるわけだ。

同じ部屋で、顔と音が重なった

肖像画が全国の音楽室に並んだのは、昭和42年の基準のあとだと番組は説明している。一方のピアノの怪談には、1949年ごろの群馬大学の話のように、それより早い事例がある。

静岡の小学校、群馬の大学、盛岡の師範学校、真岡の小学校。ばらばらの土地で、似た筋が別々に語られていた。同じ部屋の中で、音の怪談と顔の怪談が重なった。

鳴っていない音楽が聞こえる人たち

ピアノが勝手に鳴る話とは別に、実際には鳴っていない音楽が聞こえる状態が、医学の側で調べられている。音楽幻聴と呼ばれ、楽音性耳鳴とも言う。

2019年、聴覚医学の専門誌の62巻4号に、その臨床の検討が載った。2011年1月から2018年10月までに診た耳鳴りの患者のうち、23例が対象だ。高齢者と女性に多かった。1例を除く22例に、感音難聴が認められている。

全例で、本人は聞こえている音楽が実在しないと分かっていた。精神や神経の病気を合わせ持つ人は、0例だった。11例には、耳鳴りの詳しい説明と、補聴器を使った音響療法が行われている。治療のあと、耳鳴りの苦痛を測る指標などが、有意に改善したという。

念のため断っておく。これは学校の怪談の説明ではない。静岡や真岡の話がこの現象で説明できるとは、どの資料にも書かれていなかった。

ただ、誰もいない部屋から音楽が聞こえるという体験は、現実にある。怪談の形で語られる場合と、病気の形で語られる場合がある。この違いだけは、はっきり分けておきたい。

壁の額が、いつのまにか減っていく

いまの音楽室は、昔とは少し違う。ピアノ教室の先生の文章によると、いまの小学校や中学校では、肖像画はほとんど飾られていない。先生自身の子どもたちの学校にも、飾られていないという。

先生は、顔が見えれば遠い人が少し身近になるからと、肖像画の教育的な価値を認め、自分の教室に掛けることを考えていた。壁の額が減れば、肖像画の怪談も語られにくくなるのかもしれない。見上げる顔のなくなった部屋で、目が動く話がどこへ行くのかは、分からない。

言えることと、言えないこと

言えるのは、肖像画が楽器のおまけから始まり、1967年に教材基準へ入った経緯だ。ピアノの怪談に事例と出典があることも、言える。言えないのは、最初に肖像画の目が動くと言い出したのが誰で、どの学校で、いつだったのかという点だった。確認できた資料のどれにも、書かれていなかった。

肖像画の怪談には、特定の学校名や事件が結び付く事例が少ない。ピアノの怪談とは、そこが違う。学校名、死者名、事故日が示されても、一次資料がなければ未確認の情報として扱う。同系統の話が資料に載ることと、怪異や呪いが実在することは、別の話だ。

採録するなら、「目が動く」という短い核と、時刻、人数、音楽、逃げ方、翌日の変化を分けて記録する。同じ学校名で細部が違っても、一方を誤りとして消さない。聞いた年代と媒体を添えて並べるほうが、伝播を追いやすい。

実在校を名指しして、死亡事故が起源だと書くなら、公的記録や当時の報道が要る。裏付けのない児童名や教師名を足せば、現実の学校関係者を巻き込む。

放課後の音楽室で、ピアノの蓋が閉まっている。額の中の目は、まっすぐ前を向いたままだ。窓の外は、もう暗い。

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