数が合わない卒業式
卒業式の前日、体育館に卒業生の人数分だけ椅子を並べる。名簿を見ながら数えたはずなのに、最後にもう一度確認すると一脚だけ多い。余分な椅子を端へよけて帰り、翌朝に来ると、今度はきっちり人数分しかない。誰が片づけたのかは分からない。
学校の怪談には、こんな「卒業式の椅子」の話がある。特定の学校で起きた事件ではなく、語る人によって人数も場所も変わる定番の小話だ。椅子が一脚多い学校もあれば、反対に一脚足りない学校もある。それでも、名簿と現物が合わないという芯だけは変わらない。
多い椅子には、途中で転校した生徒や、式へ来られなかった生徒が座るのだという説明が付く。亡くなった生徒が最後に出席した、という悲しい結末になることもある。誰かの実話として確かめられた話ではない。卒業式で強く意識される「ここにいる人」と「もうここにいない人」を、空席で表した怪談と見るほうが自然だ。
椅子から声へ広がる
別の型では、卒業証書を渡すために名前を呼んでいると、空席から小さく「はい」と返事が聞こえる。名簿に残っていた転校生の名前を、担任が誤って読んでしまった。その瞬間、体育館の後ろから声がした。そう語られる。
さらに卒業アルバムの写真へ話が続くこともある。式にはいなかったはずの顔が後列に写っている。逆に、出席していた一人だけがぼやけている。椅子、呼名、集合写真と、卒業式で人数を確かめるものが順番に怪異へ変わっていく。
こうした体験談には学校名や撮影データがなく、投稿者も分からないものが多い。複数の話をまとめ直したような文章が「実話」として紹介されることもあるが、そのまま事実とは受け取れない。怪談が語られるたび、聞き手が自分の学校の記憶を少し足し、別の話へ育っていったのだろう。
どうして一脚が怖いのか
教室なら、予備の椅子が一脚置いてあっても気にならない。卒業式では事情が違う。椅子の数、証書の枚数、呼ばれる名前の順番まで、すべて卒業生の名簿に合わせて準備される。ぴったりであるはずの場所に一つだけずれがあると、単なる数え間違いが急に不気味になる。
準備をする時間帯も怪談向きだ。放課後の体育館は広く、人が少なく、物音が響く。在校生や教員が慌ただしく椅子を運び、何度も列を作り直す。数え間違いや予備の混入は現実に起こりうるが、薄暗い体育館で気づけば、その場では妙に重大なことのように感じられる。
卒業式が別れの行事であることも大きい。同じ教室にいた生徒が、それぞれ別の場所へ進む。転校した人、長く休んでいる人、当日来られなかった人のことも思い出す。余った一脚は、そうした不在を置いておくのにちょうどいい形をしている。
「もう一人」を作る怪談
学校怪談では、プールの人数を数えると一人多い、机が一つ増えている、集合写真に知らない顔がある、といった話が繰り返される。卒業式の椅子も同じ仲間だ。数を合わせれば安全だと思っている場所で、その数が狂うから怖い。
実際には、予備の椅子、配置変更、数え直しの勘違いで説明できるだろう。誰かが黙って片づけた可能性もある。それでも話のなかでは、一脚だけが「来られなかった誰か」の席になる。派手な幽霊は出ない。空の椅子がそこにあるだけだ。
だからこそ、卒業式が近づくたびに思い出される。名簿には載らないけれど、確かに同じ時間を過ごした人がいる。椅子が一脚多いという怪談は、その寂しさを少し怖い形へ変えて残している。
