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🪜 非常階段・避難階段にまつわる怪――使われない鉄の階段が上履きの音を返す理由

鍵のかかった扉の向こうに

非常階段の扉には、鍵がかかっているものだ。校舎の外壁に張り付いた鉄の階段も、渡り廊下の脇にある避難用の階段も、事情は変わらない。普段は誰も上らないし、誰も降りない。踊り場には錆が浮き、鳩の糞がこびりつき、割れた植木鉢や壊れた掃除用具が、隅に積まれっぱなしになっていたりする。

学校の中にあるのに、生徒の毎日の動きには入ってこない。足を踏み入れるのは避難訓練の日くらいで、それ以外の日は、鍵の向こうでじっと出番を待っている。使われないことを前提に作られた、変わり者の階段。

辞書の言い分と、法律の言い分

デジタル大辞泉は、非常階段を、火災や地震などの非常時に使う避難用の階段と説明している。通常の階段以外に設置したもの、という断り書きが付く。日本国語大辞典の言い回しは少し違う。平時の昇降用とは別に設けた階段、と書いてあり、やはり日常の階段とは切り離されている。

どちらの辞書も、ふだん使う階段とは別物だと最初に断っている。非常階段は、日常の外側に置かれた階段なんだよな。

法律の側では、避難階段という名前になる。百科事典の非常階段の項目も、避難階段の項目を見るようにと案内する形だ。二つの名前を持つ階段。避難階段には屋内、屋外、特別の3種類があり、そのうち屋外避難階段が、いちばんよく計画されるという。

解説によれば、避難階段が要るのは、5階から14階建ての建築物と、地下2階の建築物だ。3階や4階を物品販売店舗にした建築物も、床面積の合計が1500平方メートルを超えるものなら対象になる。15階以上になれば、特別避難階段の出番だ。

屋外避難階段の構造には、決まりが三つある。出入口以外の開口部から2メートル以上離すこと、屋内からの出入口に防火設備を付けること、耐火構造で地上まで直通させること、の三つだ。2メートルの離隔は、火災の煙や炎が噴き出しても、階段を避難に使えるようにするための決まりだという。

出入口の防火設備は、遮煙性能のある戸で、常に閉まっているか、煙感知器と連動して閉まるものに限られる。出入口の幅は、一般の建築物なら75センチ以上だ。途中に扉を挟まず、避難階まで一続きにつなぐことも条件になる。

屋外階段と認められるには、2面以上が外気に開き、周長のおおむね2分の1以上が開放されている必要もある。外へ張り出した鉄の階段は、見た目だけでなく決まりの上でも、風通しの良い階段なのだ。

火事のあとに義務になった屋外の階段

1932年12月16日、日本橋の百貨店、白木屋で火災が起きた。出火は4階の玩具売場。クリスマスツリーの豆電球を直していたときの火花が燃え移ったといい、火は階段とエレベーターを伝って5階から8階へ広がった。

消防はポンプ車29台、はしご車3台を出した。はしご車が届くのは5階までだ。逃げ遅れた人たちは、布やカーテンをつなぎ合わせて、ロープ代わりにした。

死者は14人。1人は修理中の男性社員で、一酸化炭素中毒。残る13人が、転落で亡くなった。

ポンプの送水圧力が上がらず、5階以上へは放水できなかった。外壁にはしごを立てかけ、ロープで固定して避難路を作った消防士もいる。この火災は日本初の高層建築物火災と呼ばれ、神田消防署には、特別救助隊の前身にあたる専任救助隊がつくられた。

翌1933年6月、警視庁は百貨店建築規則を定める。スプリンクラーや屋外の避難階段を設けることなどを義務付け、すでに建つ建物にも適用した。1936年9月には、内務省令として全国へ広がる。階段は避難階段とし、売場の各部分から歩く距離を30メートル以内にする、という内容も入っていた。

この火災には、いまも流布する俗説がある。和服の女性店員が、下着を着けていなかったために、裾を押さえて命綱から手を放し、転落死した、という話だ。検証した解説は、当時の新聞をこう整理している。

朝日新聞の12月23日付が伝えたのは、負傷した店員のことだった。2、3階まで降りてきて、野次馬に見られていると気づき、恥ずかしさから裾を直そうとして墜落したという。亡くなった店員とは別の人だった。

12月28日付の都新聞が、両者を結びつけて報じた。これが俗説のもとになったという。ズロースを履いていない女性が9割以上、と福岡日日新聞が報じたのは、火災から1年半後の1934年6月22日だ。火災で着用が広がったという説も、検証では、せいぜい1%程度の増加と見積もられている。新聞の取り違えが生んだ話のほうが、記録より先に広がった。

昇降口を通らない出口

日本の学校で、教室に入るとき履物を脱ぐ習慣が固まったのは、1872年の学制の発布のあとだ。当初の上履きは足袋や草履で、洋式の校舎には、日本の家にある玄関に当たる場所がなかった。昇降口と下駄箱が置かれ、靴の上履きが育っていく。

テレビ番組『チコちゃんに叱られる』は、2020年12月に、上履きの理由を出入口を一つにするためだと説明した。上履きに替えるなら、誰もが下駄箱のある昇降口を通る。土足でよいなら、昇降口以外の扉からでも校内に入れてしまう。見守るなら、出入口は一つのほうがいい。

神戸や沖縄の一部には、上履きを使わない学校もあるが、多くの学校は、校内の出入りを昇降口へ集めてきた。その中で、鍵のかかった非常階段の扉だけが、別の道へ通じている。

上履きという道具の来歴も、古くはない。ムーンスターは1873年の創業で、足袋づくりから始まり、1922年に地下足袋の生産を始めた。児童用の前ゴム靴は1927年から作られた。甲の部分にゴムをはめ込んだ靴で、もとは外履き用だ。上履きという表記は、その会社の資料に初めて現れるのが、1957年だ。

1954年以前に生まれた世代は前ゴムシューズ、それ以降の世代はバレーシューズが多かったという。バレーシューズが主流になった理由には、上履き専用に作られていたことと、1950年代半ばの学生のあいだでの流行が挙がる。1964年には、赤、茶、白、緑、青、黄、コバルトの7色のスクールカラーが出た。色があれば、学校別、学年別、男女別の見分けがつく。

午前3時、エレベーターが止まった

2001年2月16日の0時47分、掲示板に一つの書き込みがあった。題は「非常階段」。洒落怖の名作として、まとめサイトに今も並ぶ一編だ。

洒落怖の出発は2000年8月だった。2ちゃんねるのオカルト板に、洒落にならないほど恐い話を集めるスレッドが立った。最盛期は2001年から2010年ごろにあたる。同じ板からは、きさらぎ駅、八尺様、コトリバコ、巨頭オといった話も広まった。ネットの怪談は、口承よりずっと長く細かくなり、舞台に地域の歴史が足されることも多かった。

深夜3時すぎ、ビルの7階。職場はトラブル続きで、語り手を含む5人が、遅くまで事務所に残っていた。帰ろうとしてエレベーターが保守点検中だと知り、全員が腹を立てながら、非常階段へ向かった。普段は鍵がかかっている階段らしい。

廊下のつきあたりに非常口がある。蛍光灯の光も届かない薄暗さの中で、扉を開けると、異臭が鼻をつく。手すりも踊り場も、溶けた蝋のようなもので覆われていた。正体は鳩の糞だ。5人は6階、5階、4階と降りていく。

耳のすぐ後ろで笑う声

背後から、囁き声が聞こえ始めた。最初は同僚どうしの話し声だと思ったらしいが、耳を傾けているうちに、語り手の背筋は冷えていった。ぼそぼそとした、中年男の声だったからだ。

やがて、係長が子供のように無邪気な声で笑い出し、所長も楽しそうに笑った。振り返ってはいけない。語り手の中で、そんな直感が強く働いた。

階段を降りるほど、同僚たちの声は近づく。ついには、耳のすぐ後ろ、数センチのところから聞こえるようになった。「こっち向けよ」。「ねぇ、これ、ほら」。明るい声が、何度も繰り返された。

語り手は悲鳴を上げながら、それでも振り向かず、地下まで降りてゴミ出し口の鍵を開ける。扉が開いたとき、背後の笑い声がぴたりと止んだ。

最初に聞こえた中年男の声が、低く、はっきりと通る。「おい」。書き込みは、そこで終わっている。

後日談のない「おい」

質問サイトには、この話は本当に「おい」で終わるのか、続きはないのか、と尋ねる書き込みがある。ベストアンサーの答えは、終わりです、後日談はありません、というものだった。

語られなかったことは多い。声の主が何者なのか、笑い出した同僚たちはどうなったのか。階段の下に何が待っていたのかも含めて、書き込みは何も教えてくれない。あの切り方は、正直ずるいんだよな。

舞台は学校とは違う。ビルの7階にある職場だ。それでも、鍵のかかった階段、薄暗い踊り場、誰も使わない場所に溜まった鳩の糞は、学校の非常階段と同じ道具立てだ。

学校の怪談の側で、非常階段そのものが主役になる定番の一話は、確かめられた範囲では、見つけられていない。見つかるのは、階段と段数、階段と足音といった、部品のほうだった。

乾いた鳩の糞

洒落怖の階段を覆っていたのは、鳩の糞だった。埼玉県新座市のページは、ハトやカラスなど野鳥のふんには、菌やウイルスが含まれている可能性があると注意する。乾燥したふんが空気中に浮遊し、それを吸い込むと、感染症を引き起こすおそれがあるという。例に挙がるのは、オウム病とクリプトコックス症だ。

愛知県衛生研究所の解説によれば、オウム病は、乾燥した糞便が舞い上がり、吸い込むことで起きる。潜伏期は4日から14日、およそ10日だ。悪寒を伴う38度から39.5度の発熱、咳、頭痛、全身のだるさが出る。軽症だと、風邪との見分けが難しい。

厚生労働省の資料によれば、クリプトコックスは健康な人にも病気を起こす真菌で、鳥の堆積した糞で増えやすい。予防には、素手でふんに触れないことや、部屋の掃除をこまめに行うことが挙がっている。

12段が13段になる夜

学校の怪談を集めた一覧には、階段の怪がいくつか並ぶ。いちばん知られているのは、12段の階段が夜中になると13段に増える話だ。増えた13段目の天井からロープが下がっている型もあれば、13段目を踏むと冥界へ連れ去られる型もある。

民話を集めたサイトにも、中学校の七不思議の一つとして、同じ筋の話が載っている。3階から4階へ行く階段は12段しかないのに、夜になると1段増えて13段になるという。忘れ物をした生徒が夜に上ると、一段多い気がして、数え直したら、やはり13段あった。

夜の校舎へ忘れ物を取りに行った生徒が、階段を降りても1階に着かず、行方不明になる話もある。3階建てのはずの校舎に、なぜか4階へ上る階段があり、そこへ進むと戻れなくなる、という話も載っている。

誰もいない廊下を歩いていると、後ろで足音がする。振り返ると、足だけが廊下を歩いていた。そんな怪談も一覧に入っている。

数える階段、終わらない階段、足だけが歩く廊下。部品はそろっている。ただ、非常階段に上履きの足音を響かせる型は、確かめられた範囲の資料には出てこなかった。上履きと鉄の階段の取り合わせは、この記事の題に置いた見立てにとどめておく。

こうすると、こうなる

学校の怪談は、民俗学の整理では、うわさの一種に入る。こうすると、こうなる、という形で一般化された知識、いわゆる俗信として伝わるのが特徴だ。体験談よりも、口承の伝承が中心になる。児童や生徒のあいだで共有され、受け継がれてきた。

学校にまつわる怪談の記録は、20世紀初頭にさかのぼり、当時は学校の七不思議と呼ばれていた。トイレの花子さんや赤い紙青い紙は、遅くとも1940年代から知られていたという。カシマさんは1970年代から記録があり、テケテケは1980年代前半から広まったという。

1980年代に、民俗学者たちが児童や生徒の語る怪談を積極的に集め始めた。1990年から1991年にかけて、児童書の『学校の怪談』がベストセラーになり、大ブームが来る。各地へ同じような話が広がった道筋としては、ホラー漫画雑誌や学年誌への読者投稿が挙がっている。

怪異が出る場所の順位

教育社会学を研究する大学の准教授が、学校で怪異が起きるとされる場所を調べた。結果は、圧倒的にトイレが多かった。次いで普通教室が多く、理科室、音楽室、図工室といった特別教室は、それほど多くない。

階段や非常階段が何番目に来るのかは、報じられた範囲では分からない。分からないことは、分からないと書いておく。

その研究者は、怪談が学校で語られる理由を、子どもたちが毎日必ず行く場所に出るからだと考えている。トイレは毎日必ず行くのに、条件を付けて避けやすい。怪異を回避する方法がある点が、学校の怪談の特徴だとも話す。

かつて教師は、子どもたちにとって怪談の語り手でもあった。ブームの1990年代以降、教師は少しずつ怪談を語らなくなったという。2000年前後からは、教室で怖い話をしないよう自主規制する状況が見えてきた。雑談の時間がない、保護者の目が気になる、という声が多かった。

怪談は、教師どうしの間では続いている。校長や教頭が、学校の怪異を新任の教師に教えることもよくあるという。聞き取りには、戸締りのとき、いわくのある部屋のドアが大きな音を立てて勝手に閉まった、という経験も記録された。夜、街灯の下に白いものがゆらりと見える、という話もある。

放課後の聞き取りが本になった

常光徹は、中学校の教師だった。放課後に生徒から噂話を聞き取ると、いちばん多かったのが学校にまつわる怪談だったという。トイレの花子さんをはじめとする話を子ども向けにまとめ、1990年11月、講談社の文庫から『学校の怪談』として出した。挿絵は楢喜八。

翌1991年には、ポプラ社も同じ題名の読み物シリーズを出した。児童文学の新しいジャンルとして位置づけられ、一大ブームになる。講談社版は、1995年12月に『みんなの学校の怪談』の赤本と緑本も出し、1997年6月の第9巻まで続いた。2005年8月からは「新・学校の怪談」が始まり、2009年までに5巻を重ねた。

映画は1995年から1999年まで4作が作られ、配給は東宝だ。第1作は1995年度の邦画で4位、第2作は1996年度の2位だったという。舞台は少しずつ移った。第1作は旧校舎に閉じ込められた子どもたち、第2作は山間の小学校の肝試しだ。

第3作で、鉄筋コンクリートの校舎が初めて舞台になった。街全体で怪奇現象が起きる、洋風の作りだ。第4作では、幽霊が前に出る。夏休みの海辺の町の話だった。第3作は1997年度の邦画で5位、第4作は1999年度の10位だったという。

ほかに、民俗学の論集として『学校の怪談 口承文芸の展開と諸相』もある。子どもから直接採集した話を整理し、禁忌や、トイレなど特定の場所の怪異を論じた一冊だ。

花子さんの話の移り変わりも、記録に残る。1948年ごろの岩手県で語られていた話では、3番目の花子さん、という声がして、便器の中から白い手が伸びてきた。おかっぱ頭に白いシャツ、赤いスカートの少女の姿が固まったのは、1990年代に児童文学やマンガ、アニメへ広がってからだ。

典型的な展開は、こうだ。トイレのドアを3回ノックして、花子さん遊びましょと呼びかける。はいと返事がして花子さんが現れ、便器の中へ引きずり込まれる。

書名に非常階段が載った一冊

2010年6月、講談社から『学校の怪談』シリーズの一冊が出た。書名は「学校の怪談」のあとに、英字一文字を鉤括弧で挟み、「小学校の非常階段」と続く形をとる。168ページ。

版元の紹介文は、シリーズの累計が240万部を超えたと案内する。創刊20周年の記念版で、新しい怖さの要素を加えた作品集だという。創刊から20年の節目に出た巻だ。2011年から2014年にかけて、英字を一つずつ進めた巻が毎年続いた。

収録された話の筋までは、確かめられていない。書名に非常階段が据えられた、という点だけが確かだ。

見るなと言われた神

古事記の黄泉の国の場面。イザナミは火の神を産んで亡くなり、イザナギは妻を連れ戻しに、黄泉の国へ向かった。

イザナミは、黄泉の国の神と相談してくる、その間は決して私を見ないで、と告げた。待ちきれなくなったイザナギは、火を灯して中を見てしまう。妻の体には蛆がたかり、雷神が宿っていた。

逃げるイザナギを、黄泉の国の女たちが追い、八種の雷神が千五百の軍勢を従えて続く。黄泉の国との境が、黄泉比良坂だ。イザナギは、千人がかりでなければ動かせない大岩、千引の石で、その道を塞いだ。境で向き合った二人は、イザナミが毎日千人を殺すと告げ、イザナギが毎日千五百人が生まれるようにすると返して、生と死の釣り合いを決めた。

古事記は黄泉比良坂を、出雲国の伊賦夜坂と記す。島根県松江市東出雲町揖屋に伝承地があり、千引きの磐座と呼ぶ岩が据えられて、1940年に石碑が建った。近くには、イザナミを祀る揖夜神社がある。

見るなと告げられたのに見てしまい、もう元には戻れなくなる。この型は、鶴の恩返しや浦島太郎にも通じると解説する人がいる。洒落怖の非常階段が課すのは、振り向くな、のほうだ。禁の中身は違っても、破れば取り返しがつかないという置き方は、似て見える。

鉄の階段が鳴るとき

夜の建物が鳴る現象は、家鳴りと呼ばれる。解説によれば、基本は、木材が含水量の変化で膨らんだり縮んだりするときの音だ。温度や湿度の急な変化や、窓サッシの熱膨張も原因になる。湿気を含む夏と、乾いて縮む冬に起きやすい。鉄骨や鉄筋の骨組みでも、熱膨張で鳴る場合がある。

別の解説は、昼と夜の温度差で建材が伸び縮みし、ミシミシという音や、ときには足音のような音が出ると書く。静かな場所では小さな音が大きく聞こえ、脳が足音として受け取ってしまう、という説明も添えている。

どちらも主に家屋を対象にした解説で、学校の鉄の外階段を測った資料は、確かめられた範囲になかった。念のため書いておく。頻繁に鳴る音、地震のあとに増えた音、ひび割れや傾きを伴う音は、注意が必要な家鳴りの特徴に入っている。

荷物で埋まった階段

2001年9月1日未明、東京の新宿・歌舞伎町の雑居ビルで火災が起き、44人が亡くなり、3人が負傷した。3階から4階への階段には、物がぎっしり置かれていた。ゴミ袋が5つ、衣装ケースが3箱、店の制服が約150着、ジュースタンク、ビールケース。それらが、ほぼ隙間なく積まれていた。

3階から2階へ下りる階段も、荷物で埋まっていたという。階段とエレベーターホールの仕切りには防火扉があるが、荷物や看板が邪魔をして、閉まらない状態だった。3階のエレベーターホールには、階段への出入りを塞ぐように、発泡スチロール製の吊り看板まで掛かっていた。この火災のあと、消防法の罰則は引き上げられる。

避難に使うはずの階段が、物置になっていた。

手引きの副題

小学校施設整備指針は、避難経路を、可能な限り簡明で遠回りにならない動線にすることが重要だと書く。校舎の上層階を緊急避難場所にするなら、屋上への避難階段を整備しておくことが望ましい、という一節もある。

文部科学省は、学校施設の老朽化に起因する不具合が増え、外壁落下などの重大事故が断続的に起きていると書く。維持管理の手引きは、2020年5月にまとまった。2026年3月には、新技術の活用や官民連携による効果的で効率的な維持管理を盛り込んだ追補版が出た。

手引きの題には、「子供たちを守るために」という副題が添えられている。

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