放課後の校舎で、いちばん最後まで人が残っている場所はどこか。職員室でも部活の部室でもなく、たぶんトイレの個室だ。誰かが必ず、日が暮れるころにあの狭い箱の中で膝を抱えている。泣いている子もいるし、単に人と喋りたくない子もいる。そして、その膝の高さの壁には、たいてい何か書いてある。
学校のトイレの落書きは、怪談としてもきわめて息が長い。花子さんほど有名じゃないのに、なぜか全国どこの学校にも「うちのトイレの落書きの話」がある。しかもそれが不気味なほど似ている。消しても戻る。名前が増える。自分の名前が書き足されている。書いてあった通りのことが起きる。そして、書き込んだ覚えのない返事がついている。
この記事では、その五つの型をひとつずつほどいていく。そのうえで、落書きという行為が日本でどれだけ古いのか、法隆寺の天井裏から中世の裁判制度、二条河原の落書、江戸の落首を経て、公衆便所の壁、大学の個室、そして「便所の落書き」というネット掲示板への蔑称に至るまでの系譜をたどる。最後に、いじめの名指し書き込みという笑えない現実と、清掃と改修という物理的な力によって落書きがどう消されるのかまで見ていく。
怪談としての「トイレの落書き」――まず基本形をおさえる
型を細かく見る前に、共通の骨格を確認しておきたい。学校のトイレの落書き怪談は、ほぼ例外なく次の要素で構成されている。
舞台は、たいてい旧校舎か、校舎のいちばん端の階段を上がった先にある、あまり使われないトイレだ。使われないから掃除の順番も後回しになる。個室は三つか四つ。いちばん奥の個室、あるいは手前から三番目の個室。ここでもまた「三」が出てくる。花子さんの「三階の女子トイレの三番目」と同じ数え方だ。
落書きは、便座に座ったときにちょうど目の高さに来る位置に書かれている。これが重要で、立っているときには見えない。しゃがんで、鍵をかけて、ひとりになって、はじめて視界に入る高さに文字がある。だからこの怪談は、必ず「ひとりでいるとき」に始まる。
筆記具は油性ペンかシャープペンシルか、あるいは鉛筆。色は黒が圧倒的に多い。赤で書かれているバージョンもあるが、赤はむしろ「後から誰かが書き足した部分」に使われることが多い。書体は「子どもの字」と描写されることが多く、これは書き手の年齢を特定できない、つまり生者か死者か判別できないというサスペンスを生むための装置になっている。
そして、そこに大人が介入する。先生が見つけて消す。用務員さんが消す。夏休みに業者が塗り替える。ここで消去という決定的なアクションが入ることで、次の朝の「また書いてある」が効いてくる。
型その一 消しても消しても、翌朝には戻っている
いちばん古典的で、いちばん多いのがこれだ。
話はだいたいこう進む。ある日、二年生の男子が三階の男子トイレの奥の個室で、壁に小さな字で書かれた一行を見つける。内容は他愛ない。「たすけて」だったり、「ここにいる」だったり、意味の取れない数字の羅列だったりする。彼は気持ち悪くなって担任に報告する。担任は「誰かのいたずらだろう」と言いながら、放課後に洗剤とスポンジを持って個室に入り、五分ほどでその一行を消す。塗装が少し剥げて、壁のその部分だけ白っぽくなる。
翌朝、同じ生徒が同じ個室に入ると、白っぽくなったその場所に、まったく同じ文字が、まったく同じ大きさで書いてある。筆跡も同じ。位置も一ミリと違わない。
ここからがこの型の面白いところで、対応がだんだんエスカレートしていく。二度目は消しゴムではなくシンナーで落とす。三度目は上からペンキを塗る。四度目は、ついに扉ごと、あるいは壁のパネルごと交換する。それでも新品のパネルの同じ位置に、同じ字が浮かぶ。ここで、消しているのは人間で、書いているのは人間ではない、という結論が確定する。
この型が怖いのは、幽霊が出てこないところだ。音もしない。姿も見えない。ただ、物理法則に反した「復元」だけが起きる。人間の側にできることが消すことしかなく、その消すという行為が完全に無効化される。手のかけようがない。学校という、掃除当番と清掃指導という形で「汚れは人が消すもの」と教え込まれる場所だからこそ、消せないという事実が異様に響く。
派生としては、消した回数だけ文字が大きくなるバージョン、消すたびに文字数が一文字ずつ増えるバージョン、そして「消した人の名前が書き足される」という、次の型に接続するバージョンがある。
型その二 日付と名前だけが、静かに増えていく
これは怪談としてはやや地味だが、じわじわ来る型だ。
トイレの壁に、名簿のようなものが書いてある。日付と、人名。それだけ。「四月十二日、やまだ」「五月三日、かとう」といった具合に、数行が縦に並んでいる。落書きらしい罵倒も、絵も、意味のある文章もない。ただ日付と名前が並んでいる。
生徒たちは最初、誰かが出席簿の真似をして遊んでいるんだろうと思う。ところが、しばらくしてまた見ると、行が一つ増えている。日付は、増えていることに気づいた日の少し前。名前は、聞いたことのない苗字。誰かに聞いても心当たりがない。
この型の怖さの核心は、リストという形式そのものにある。リストは「まだ続く」ことを含意する。表が一行増えるということは、その表がまだ運用されているということだ。誰かが何かを記録し続けている。何を記録しているのかは書いていない。
物語のなかで、多くの場合この謎は途中まで解かれる。図書室の古い卒業アルバムを引っぱり出して照合すると、書かれている名前の何人かが、その日付の前後に転校したり、亡くなったりしていることが分かる。つまりこれは「いなくなった人の名簿」だ。そう分かった瞬間に、まだ空いている次の行の意味が変わる。
さらに恐ろしい派生では、日付が未来になっている。「十一月九日」と書かれていて、その日はまだ来ていない。名前の欄だけが空白で、線が引いてある。読んだ生徒はその日まで、自分の名前が入るかどうかを毎日確認しに行くことになる。トイレに通うという行為自体が、恐怖のカウントダウンに変わる。
型その三 気づいたら、自分の名前が書き足されている
三つめは、傍観者だった読み手が、いきなり当事者に引きずり込まれる型だ。
主人公は、トイレの落書きを面白がって見ていた側の人間だ。友達と「これ書いたの誰だろうな」と笑いながら壁を眺めていた。ある日、いつものように個室に入って、いつもの位置を見る。すると、いつも並んでいた見知らぬ名前の下に、自分の名前が書いてある。
漢字も合っている。学年とクラスまで添えてあることもある。筆跡は他の名前とまったく同じで、つまり自分が書いたものではないし、悪ふざけで書きそうな友達の字でもない。
ここで主人公が取る行動は、たいてい二つに分かれる。ひとつは自分の名前だけを必死に消す。爪でこすり、消しゴムを削り、水で流す。翌日にはまた書いてある。しかも、今度は名前の横に赤い丸がついている。もうひとつは、放置する。放置していると、名前の横に少しずつ何かが書き足されていく。日付。時刻。場所。ある夜、最後に書き足されるのは、自分がそのとき本当にいる場所の名前だ。
この型がえぐいのは、「名前を書かれる」という行為の呪術的な重さを直撃してくるところだ。日本の民俗では、名を知られること、名を書かれることは、その人の支配権を明け渡すことに近い。人形に名前を書く、紙に名前を書いて釘を打つ、といった呪詛の作法は、いくらでも例がある。それが子どもの世界に降りてくると「トイレの壁に自分の名前が書いてあった」になる。呪詛の道具立てが、ペンと壁だけに省略される。
そしてこの型には、現実の影が濃い。トイレの壁に特定の生徒の名前が書かれるというのは、怪談以前に、日本中の学校で実際に起きていることだからだ。この点については後で正面から扱う。
型その四 書いてあったことが、そのまま起きる
四つめは予言型。これがいちばん物語として派手で、テレビドラマにもなりやすい。
落書きは、はじめは意味不明な単語の羅列に見える。「かさ」「あかいくるま」「にかいのまど」といった、脈絡のない名詞が並んでいる。それが、読んだ日から順番に現実になる。傘を忘れて濡れる。赤い車が校門前で事故を起こす。二階の窓ガラスが割れる。
的中率が上がっていくにつれて、主人公は壁を読むのが怖くなる。それでも読みに行く。読まなければ何が起きるか分からないからだ。この「怖いのに確認しに行かざるを得ない」というループが、予言型の駆動装置になっている。
そして最後の行に、決して起きてほしくないことが書いてある。多くの場合、それは主人公の身近な誰かに関わることだ。主人公はその行を消しにかかる。消せば起きないんじゃないか、という賭けだ。ここで話は二つに割れる。消したら起きなかった、という救済型。消したのに起きた、あるいは消したせいで起きた、という破滅型。学校で語られるときは圧倒的に破滅型が多い。子どもの怪談は、大人が思っているより救いに冷たい。
予言型の面白さは、落書きが「読み物」から「メディア」に格上げされる点にある。壁は、こちら側から向こう側へ書く場所ではなく、向こう側からこちら側へ送信されてくる装置になる。トイレの個室が受信機になるわけだ。この構造は、後で触れるテレビドラマ版でも中核として使われている。
型その五 書いた覚えのない返事が、下に書かれている
五つめは、いちばん寂しくて、いちばん心に残る型だ。
主人公は、誰にも言えないことを抱えている。いじめでも、家庭のことでも、進路のことでもいい。ある日、トイレの個室でどうしようもなくなって、シャープペンシルで壁に一行だけ書く。「もういやだ」とか「たすけて」とか、そういう短い言葉だ。書いた瞬間に自己嫌悪して、そのまま出てくる。
翌日、また同じ個室に入る。自分の書いた文字の下に、別の筆跡で返事がある。「どうしたの」。
そこから、壁越しの文通が始まる。相手は誰なのか分からない。同じ学年かもしれないし、上級生かもしれない。返事はいつも短くて、押しつけがましくなくて、少しだけ的確だ。主人公は、生まれてはじめて安心して弱音を吐ける相手を得る。数週間、その交換は続く。
終わり方には、大きく三つのバリエーションがある。
ひとつは救済で終わるもの。ある日「もう大丈夫そうだね」という一行を最後に返事が途切れる。後日、その個室は改修で壁ごと張り替えられ、文字は跡形もなくなっている。主人公は、あれが誰だったのかを一生知らないまま、それでも救われている。
ふたつめは恐怖に転じるもの。ある日の返事が「そっちに行こうか」に変わる。返事の位置が、だんだん低くなっていく。最初は目の高さだったのが、床すれすれになる。個室の下の隙間から書き込まれているとしか思えない位置だ。ある日、返事は主人公の背中側の壁、扉の内側に書かれている。書ける位置は、便座に座っている人間の真後ろしかない。
みっつめは、いちばん静かで、いちばん効く。ある日、主人公が思いきって「あなたは誰ですか」と書く。翌日、返事はない。代わりに、自分が今まで書いた文字が全部消えていて、壁は真っ白になっている。用務員さんに聞くと、そこは半年前に塗り直したばかりで、落書きなんて一度も見ていないと言われる。
この型は、他の四つと決定的に違う点がある。怪異が優しいのだ。トイレの落書き怪談のなかでこの型だけは、匿名の壁が孤独を受け止める装置として描かれる。実はこれ、後で触れる実際の便所落書き文化のありようと、驚くほど一致している。
体験談その一 ペンキ屋の父が塗り直した、白い扉のこと
ここからは、聞き取りや投稿の形で流通している体験談を、原型に近い形で三件紹介したい。細部は語られ方によって揺れるが、骨格は繰り返し語られてきたものだ。
一件目は、内装業をしていた父親を持つ人物の話として語られている。
一九九〇年代の後半、彼の父は地方の小さな塗装業者で、夏休みになると近隣の小中学校の営繕仕事を請け負っていた。教室の腰壁、廊下の手すり、そしてトイレの個室扉。子どもの落書きは、夏休みのあいだにまとめて塗りつぶすのが慣例だった。
その年、彼は中学一年で、小遣い稼ぎに父の現場を手伝った。三階の男子トイレの、いちばん奥の個室。扉の内側に、ぎっしりと文字が書かれていた。汚い言葉もあったが、大半は名前と日付だった。彼は父に「これ全部消すの」と聞いた。父は「消すよ。仕事だから」と言って、下地を軽くやすりで荒らし、シーラーを塗って、白い塗料を二度塗りした。扉は新品のようになった。
翌週、別の学校の現場に行く途中で、父がその中学に忘れ物を取りに寄った。彼もついていって、なんとなく三階のトイレを覗いた。塗ったばかりの真っ白な扉に、鉛筆で一行だけ書いてあった。彼が覚えていたなかの、いちばん短い一行と同じ言葉だった。夏休み中で、校舎には誰もいなかった。彼は父に言えなかった。父はその後もその中学の仕事を請け続け、毎年同じ扉を塗り直していたという。
彼がこの話をするとき、いつも付け加えるのは「怖いというより、悔しかった」という感想だ。父の仕事が毎年きれいに無効化されていくのを見ているのが嫌だった、と。この体験談が長く語り継がれているのは、たぶんその感情の生々しさのせいだ。怪異に対する感想として「悔しい」は、あまり出てこない。
体験談その二 出席番号だけが並んでいた、女子トイレの壁
二件目は、都市部の公立中学に通っていたという女性の回想として流通している話だ。
二年生の秋、二階の女子トイレの手前から二番目の個室に、数字が並びはじめた。名前ではなく、二桁の数字だ。「12」「7」「23」といった具合に、縦に十行ほど。誰かが「これ出席番号じゃない?」と言い出した。学年とクラスは書いていないが、二桁で三十を超えないという範囲は、たしかに出席番号らしかった。
問題は、その数字に該当する自分のクラスの生徒が、書かれた順番に、順番に学校を休みはじめたことだ。風邪だったり、家庭の都合だったり、理由はばらばらだった。誰も欠席そのものを不思議には思わなかった。ただ、休んだ生徒の出席番号が、壁のリストの上から順に消化されていくのを、何人かが黙って数えていた。
彼女の出席番号は、リストの下から三番目にあった。彼女はそれから毎朝、教室に入る前にそのトイレに寄って、自分の番号がまだ残っているかを確認するようになった。消えることはなかった。むしろ、下に一行増えていた。増えた数字は、そのクラスには存在しない番号だった。三十五人しかいないクラスで「38」と書かれていた。
十一月に、担任が事態に気づいた。学年集会でこの件が取り上げられ、「誰かの悪ふざけであり、偶然が重なっただけだ」と説明された。その週末に清掃が入り、壁は洗剤で磨かれ、数字は消えた。彼女の番号が呼ばれる前に終わった。
彼女がこの話で強調するのは、消えたあとの気まずさだ。何も起きなかったのだから何も語ることがないはずなのに、その学年ではその後三年間、誰もあの個室を使わなかった。空いていても、みんな並んで他の個室を待った。「私たちは、何も起きなかったことをずっと怖がっていた」という締めくくりが、この体験談の肝になっている。
体験談その三 「そっちはどう」と書かれた、閉鎖された旧校舎のトイレ
三件目は、校舎の建て替えを経験した学校の話として語られる。
彼が高校二年のとき、校舎の耐震改修が始まり、旧校舎の東棟が丸ごと立入禁止になった。渡り廊下にバリケードが立ち、鍵がかかった。だが、部活の連中は抜け道を知っていた。体育館側の非常階段から二階に上がると、旧校舎の廊下に出られた。
彼は写真部で、廃墟然とした旧校舎を撮りに何度か忍び込んだ。電気は止まっていて、昼でも廊下は薄暗い。二階のトイレは、水も止まっていて、便器が乾いていた。個室の扉は木製で、油性ペンの落書きが何層にも重なっていた。何年分もの言葉が、上書きされながら残っていた。
三度目に入ったとき、彼はふざけて、油性ペンで一行だけ書いた。「まだいる?」と。写真を撮って、帰った。
二週間後、また忍び込んだ。自分の字の下に、返事があった。「そっちはどう」。
彼はその瞬間、まず先輩か同級生の仕業を疑った。そこで、抜け道を知っている全員に聞いて回った。誰も知らなかった。次に、工事業者を疑った。だが、東棟は仮設足場を組む前の段階で、当時は業者も入っていなかった。決定打になったのは筆跡だった。返事の字は、その扉に何層も積み重なっていた古い落書きのうち、いちばん下の層、つまりいちばん古い層の字と、同じ癖を持っていた。「る」の書き終わりの跳ね方が独特だった。
彼はその写真を撮った。撮ったはずだった。現像したフィルムに、その一枚だけ写っていなかった、という締め方をする語り手もいるが、彼自身は「ちゃんと写っていたし、今も持っている。でも見せたくない」と言うそうだ。翌年、東棟は解体された。扉は産業廃棄物として運び出された。彼はそれ以降、公衆トイレの壁を読む癖がついたという。
落書きは日本最古のメディアだ――法隆寺の天井裏から始める
さて、ここから話を大きく振る。怪談の話から、落書きという行為そのものの歴史へ移る。結論から言うと、日本人は千三百年前から壁に落書きをしていて、その落書きは国宝の一部として保護されている。
一九四七年五月十四日、法隆寺五重塔の解体修理中に、初層の天井の組み木から墨書が見つかった。肉眼ではほとんど判読できないほど薄く、赤外線写真によってようやく読めるようになった。判読したのは建築史家の福山敏男。読み取れた文字は「奈尓」の二文字と、「奈尓波都尓佐久夜己」の九文字。合わせて十一文字だ。
これは万葉仮名で、「難波津に咲くやこの花」という有名な歌の書き出しにあたる。習字の手本として当時よく使われた歌で、各地の木簡からも同じ歌の断片が出土している。つまり、書き慣らしだ。二文字と九文字は別人の手によるものと考えられている。
書かれた時期は八世紀初め。年輪年代法によって五重塔の屋根材が六七三年伐採と判明し、再建が七〇八年から七一一年ごろとされることから、建てている最中に工人が書いたものと推定される。天井の組み木というのは、完成してしまえば誰の目にも触れない場所だ。そこに、大工が仕事の合間に、手本の歌を書いた。誰にも読ませるつもりがなかった文字が、千二百年以上たって国宝建造物の一部として研究対象になっている。
法隆寺にはもうひとつ有名な落書きがある。同じく解体修理の際に、天井裏の部材から見つかった人物画で、俗に「最古の春画」と呼ばれるものだ。素朴な線で描かれた男女の姿で、こちらも人目につかない場所に描かれていた。真面目な写経の裏に描かれた戯画や、正倉院に残る文書の余白の落書きも同種で、日本の書きものの歴史には、公式な記録の陰に必ず「書かなくていいこと」を書いた層がある。
歴史学者の三上喜孝は、寺社に残された落書きを歴史史料として読み解く研究をまとめている。山形県の若松寺観音堂に残る落書きを軸に、全国の寺社の壁や柱に書き付けられた文字を集め、「かたみかたみ」「あらあらこいしや」といった繰り返し現れる語句を分析した。参詣の記念、死者への思い、恋しさ。落書きは、公式の記録には決して残らない感情を、いちばん直接に伝える史料になる。
これが重要な前提だ。落書きは、はじめから「消されるべき汚れ」だったわけではない。むしろ、記録の制度から漏れた人間が、記録の制度の裏側に自分の存在を刻む手段だった。
落書起請――匿名の投書が、裁判の証拠になった時代
もっと驚くのは、中世日本で「匿名の書き付け」が正式な司法手続きに組み込まれていたことだ。
日本語には「落書」と書いて「らくしょ」と読む言葉がある。政治風刺や告発を目的として、人目につく場所に匿名で掲示、あるいは配布される文書のことだ。詩歌の形をとったものはとくに「落首」と呼ばれる。平安時代初期から貴族のあいだで広まり、鎌倉時代から江戸時代にかけて流行した。
当初は官僚どうしの政争の道具だったものが、中世に入ると変質する。匿名の投書によって他人の罪状を告発するシステムとして機能しはじめるのだ。そしてついには、制度化される。「落書起請」という手続きがそれだ。
これは、盗みなどの犯罪が起きたとき、関係者全員に匿名で「犯人だと思う者の名」を書かせ、集計して容疑者を決める、というやり方だ。しかも起請文、つまり神仏に誓う文書と組み合わせて実施された。嘘を書けば神罰が下るという枠をはめたうえで、匿名投票をさせるわけだ。
一三一〇年の法隆寺の盗難事件では、実に十七の村を対象にこの落書起請が実施され、六百通あまりの落書が集まって、容疑者が決定されたという記録が残っている。六百通の匿名の紙片を数えて、多数決で犯人を決める。現代の感覚からすると相当に乱暴だが、当時としては神判の一種として合理性があると考えられていた。
ここで押さえておきたいのは、匿名という形式が「無責任」と結びつけられるようになったのは、そんなに古い話じゃない、ということだ。中世の日本では、匿名であることによってはじめて言える真実がある、という前提が制度に組み込まれていた。名前を伏せさせるのは、報復を恐れて口をつぐむことを防ぐためだ。要するに、内部告発の匿名保護と発想が同じだ。
二条河原の落書――八十八行の炎上ログ
匿名の掲示物として日本史上いちばん有名なのが、二条河原の落書だろう。
成立は伝統的に建武元年、一三三四年の八月とされてきた。歴史学者の森茂暁は雑訴決断所の機能や伝奏結番の制度化を根拠に建武二年八月説を提唱しており、そこは決着していない。いずれにせよ、後醍醐天皇による建武の新政が始まって一年か二年のうちに、京都の二条河原に立て札の形で掲げられたとされる文書だ。
書き出しは有名だ。「此頃都ニハヤル物、夜討、強盗、謀綸旨」。このごろ都で流行っているものは、夜討ち、強盗、にせの綸旨。綸旨というのは天皇の命令書のことで、それが偽造されて出回っている、と最初の三行でいきなり新政権の根幹を殴りにいっている。
以下、八十八節の七五調で、当時の京都の混乱をひたすら列挙していく。訴訟を求めて上京してくる連中、成り上がった武士、にわか仕込みの連歌や茶寄合、田楽への熱狂、禅宗のブーム。政治批判と流行風俗のあげつらいがごちゃまぜになっている。文体は軽快で、リズムがよく、悪意がある。
これが『建武年間記』に収録されて後世に伝わった。作者は特定されていないが、太田時連の可能性を指摘する説がある。相当に教養があり、宮廷の事情にも通じ、しかも新政権に距離を置いていた人物だ。
ここで注目したいのは、この文書の形式だ。匿名で、公共の場所に掲示され、時事を列挙し、リズムに乗せて笑いものにする。書いた本人は名乗らず、読んだ人間が写して広める。読み手が書き手になるかもしれない。これはもう完全に匿名掲示板だ。六百年以上前に、日本人は同じフォーマットを完成させていた。
江戸の落首と、壁に書くことの罪
江戸時代に入ると、落首と落書はさらに大衆化する。宝永年間の「宝永落書」をはじめ、大きな政変や災害、失政のたびに落首が出回った。作りは狂歌の形が多い。三十一文字に政治批判を仕込んで、名を伏せて世に出す。
幕府はこれを取り締まった。高札という形で公式の法令を掲示する仕組みがあり、法は上から下へ、板に書いて掲げるものだった。落書はその逆流だ。同じ「板に書いて掲げる」という様式を使って、下から上へ言い返す。だからこそ、幕府にとっては単なる悪口以上に厄介だった。形式が公式のものを模倣しているぶん、権威を毀損する力が強い。
当時の記録には、落首の作者が探索され、処罰された例がいくつも残っている。逆に言えば、探索しなければならないほど効いていたということだ。封建制のもとで言論の自由が存在しない社会において、読み書きができる者なら誰でも参加できる唯一の言論回路が落首だった、という評価がされるのはこのためだ。
ここまでで、日本の落書き文化には二本の柱があることが分かる。ひとつは法隆寺の天井裏に代表される「誰にも読ませない、自分のための書きつけ」。もうひとつは二条河原に代表される「名を伏せて世に投げる、公共への発言」。この二本が、近代以降、公衆便所の壁で合流する。
公衆便所の壁が、都市の掲示板になるまで
明治以降、日本の都市に公衆便所が整備されていく。駅、公園、繁華街。そして必然的に、その壁は書かれる。
なぜ便所なのか。条件が揃いすぎているからだ。第一に、個室は完全な匿名空間だ。誰が入ったかは分かっても、誰が書いたかは特定できない。第二に、滞在時間がある。数分間、手持ち無沙汰で座っている。第三に、壁が視界の正面にある。第四に、他人が必ず読む。全員が同じ姿勢で同じ壁を見る。第五に、管理者はいるが常駐していない。この五条件を満たす公共空間は、実はそんなに多くない。
戦後日本の便所事情も無視できない。一九六三年の時点で、水洗便所の普及率は全国で九パーセント台だった。一九六五年になっても、東京都心の一部の区が八割を超えるかどうかという段階で、周辺区は二割を切っていた。全国の水洗化率が五割を超えるのは一九八〇年ごろだ。つまり戦後の長いあいだ、多くの日本人にとってトイレは薄暗くて臭くて、できるだけ早く出たい場所だった。その空間に長く座らされる時間が、落書きを生んだ。
書かれる内容は、驚くほど類型的だ。まず猥雑なもの。次に排泄そのものについての報告。それから恋愛や失恋の吐露。政治や社会への悪態。落書き同士の応酬。そして、誰にも言えない告白。この配分は国や時代を越えて似ている。
日本の学校でも同じことが起きた。校舎が鉄筋コンクリート三階建てで標準化されていくのは一九五〇年代以降で、一階に職員室、上の階に高学年の教室、トイレは各階の端、という配置が定型になった。教師の目からいちばん遠く、休み時間以外は無人になりやすい空間。子どもにとっては、身体がむき出しになる場所であると同時に、共同生活のなかで唯一ひとりになれる場所でもあった。この二重性が、学校のトイレを怪談と落書きの両方の温床にした。
大学のトイレで交わされた、真剣すぎる論争
一九六〇年代の終わりから七〇年代にかけて、日本の大学は騒然としていた。全共闘運動があり、バリケード封鎖があり、大学のあらゆる壁がビラと立て看板とスプレーで埋まった。そのとき、トイレの個室の壁も例外ではなかった。
大学のトイレの落書きは、中高生のそれとは質が違った。ひとつには、書き手が長い文章を書ける。ひとつには、書き手同士が議論のルールを共有している。そしてもうひとつ、政治的な立場の違いが、実名を出せない状況でぶつかっていた。
だから、大学の個室の壁では、ちゃんとした論争が起きた。誰かが持論を書く。翌日、別の筆跡が反論を書く。さらに別の色のペンが割り込む。矢印が引かれ、引用符が使われ、「二行上の意見について」といった参照が発生する。スレッドだ。完全にスレッド構造をしている。
政治色が薄れた七〇年代後半以降も、この文化は残った。ある大学のあるトイレの、ある個室が、いつのまにか「交換日記」のような場所になる、という現象は各地で報告されている。「今日もいいうんこが出た」といったどうでもいい報告に、見知らぬ誰かが返事を書く。先輩なのか後輩なのかも分からない。その分からなさが、逆に妙な連帯感を生んだ、と当時を知る人は書いている。
ここが決定的に重要だ。便所の落書きは、必ずしも攻撃や猥褻だけの空間ではなかった。むしろ、名前も立場も年齢も剥ぎ取られた状態でしか成立しない、奇妙に優しいコミュニケーションが、そこには確かにあった。さっき紹介した怪談の型その五、「返事が書かれている」という話が全国の学校で語られてきた理由は、たぶんここにある。壁越しに誰かが返事をくれるという経験は、怪談である前に、実話だったのだ。
ラトリナリアという学問――海外の便所落書き研究
便所の落書きは、海外ではきちんと学問の対象になっている。
アメリカの民俗学者アラン・ダンデスは、一九六六年にカリフォルニア大学バークレー校で、この種の落書きを指す言葉として「ラトリナリア」という造語を提唱した。ラトリン、つまり便所に、集合を意味する接尾辞をつけたものだ。それ以前は詩の形をした落書きを指す別の語が使われていたが、実際には詩の形をとらないものも多いため、より広い語が必要だとダンデスは考えた。
もっと古い研究もある。アレン・ウォーカー・リードは一九二八年、アメリカ西部を旅して公衆トイレの落書きを片っ端から記録した。内容があまりに卑猥だったため、その研究は一九三五年にパリで私家版として出版され、アメリカで一般に読めるようになったのは一九七七年、『クラシック・アメリカン・グラフィティ』としてだった。落書きを記録した学術書が、四十年以上も母国で出せなかったわけだ。
その後の研究の中心テーマのひとつは、男女差だった。男性用トイレと女性用トイレでは、落書きの内容が明確に違う。オーストリアのノルベルト・ジーグルらが一九九〇年代から二〇〇〇年代にかけて行った研究では、テーマの分布や攻撃性の度合いに差があるとされた。ざっくり言えば、男性側は性的な内容と競争的、攻撃的な内容が多く、女性側は人間関係や感情の相談、そしてそれに対する応答が多い、という傾向が繰り返し報告されている。応答が多いというのは重要で、女性用トイレの壁のほうが「会話」になりやすい。
現代でも、公衆トイレの落書きを収集して分析するプロジェクトはいくつも走っている。壁に書かれた言葉は、アンケートでは絶対に取れないデータだからだ。誰も見ていないと信じている人間が、何を書くか。社会調査としてこれ以上に正直な標本はなかなかない。
「便所の落書き」が、インターネットの蔑称になった日
そして、この言葉は二十世紀の終わりに、まったく別の意味を獲得する。
一九九九年、東芝クレーマー事件が起きた。前年の十二月にビデオデッキを購入したユーザーが、修理対応をめぐって東芝と揉め、担当者から「お宅さんみたいのはね、お客さんじゃないんですよ」と言われた。その通話を録音していたユーザーが、一九九九年六月上旬に音声を公開するウェブサイトを開設した。これが爆発的に読まれ、アクセスは一千万を超えた。七月下旬には東芝の副社長が直接謝罪する事態になり、同社が申し立てた仮処分は取り下げられた。
企業がインターネット上の個人に屈した、日本で最初の大きな事例だった。当時、開設されたばかりの匿名掲示板がこの事件の特設板を設けてアクセスを伸ばし、その後の躍進の足がかりにしたことも知られている。
このとき、テレビの側から強い反発が出た。同年七月、ニュース番組のキャスターだった筑紫哲也が、この件をめぐって、インターネット上の書き込みは恣意的で「トイレの落書きに近い」という趣旨の発言をした。地上波の全国放送で、インターネットの匿名言論が便所の落書きに喩えられた瞬間だ。
この比喩は、なぜあれほど刺さったのか。第一に、正確だったからだ。匿名で、署名がなく、責任の所在が不明で、公共空間に無許可で書かれ、しばしば下品で、管理者に消される。掲示板の書き込みと便所の落書きは、構造的にほぼ同型だ。第二に、侮辱として効いたからだ。便所という言葉には、不潔と恥の含意がべったりついている。第三に、当時のマスメディア側の危機感が、この一言に凝縮されていたからだ。編集も校閲も署名もない言葉が、報道より速く広く届いてしまった。その屈辱が「便所の落書き」という五文字に圧縮された。
なお、この表現を最初に使ったのは元アスキー代表の西和彦だったという説も、ネット上の辞典類には記されている。いずれにせよ一九九九年前後に、テレビと出版という既存メディアの側から、匿名掲示板に対する評語として投げつけられたのが起点だ。
面白いのは、罵倒されたはずの側が、この言葉をむしろ喜んで引き受けたことだ。「ここは便所の落書きだから」というのは、掲示板の住人が自分たちを名乗るときの定型句になった。真に受けるな、という予防線であり、免責の呪文であり、同時に一種の矜持でもあった。便所の落書きだからこそ書けることがある、という開き直りだ。
そして現在、この言葉は掲示板だけを指さなくなった。動画サイトのコメント欄、短文投稿サイト、レビューサイト、匿名で誰でも書ける場所すべてに向けて使われる。二十六年たって、罵倒語としての射程はむしろ広がった。
匿名表現論として読む――なぜ人は壁に書くのか
ここまでの流れを整理すると、ひとつの筋が見えてくる。
人間は、名前を外されたときにだけ書ける言葉を持っている。それは告発かもしれないし、猥褻かもしれないし、政治批判かもしれないし、助けを求める声かもしれない。名前がついていたら書けない。名前がついていたら、書いたあとの生活が壊れるからだ。
だから、あらゆる社会は「名前を外して書ける場所」を必要とする。中世日本はそれを落書起請という制度にした。京都の人々は二条河原の立て札にした。江戸の町人は落首にした。近代の都市生活者は公衆便所の壁にした。大学生はトイレの個室をスレッドにした。そして現代人はインターネットの匿名掲示板にした。
媒体は変わったが、機能は同じだ。むしろ機能が同じだからこそ、二条河原の落書と匿名掲示板が構造的に瓜二つになる。時事の列挙。リズムと定型。悪意と笑い。読み手がすぐ書き手になる回転の速さ。書いた人間が特定されないことによる過激化。そして、あとから読むと当時の空気がいちばん濃く残っているという史料的価値。
匿名表現の本質は「無責任」ではない。「非対称」だ。書き手は名を隠し、読み手は名を知らない。この非対称が生むのは、二つの相反する効果だ。ひとつは、無限に残酷になれること。相手は自分を特定できないのだから、いくらでも刺せる。もうひとつは、無限に正直になれること。誰にも言えないことを言っても、社会的な立場が傷つかない。
同じ壁に、その両方が並んで書かれる。えげつない悪口の三行下に、真剣な悩みの相談がある。そしてその相談に、まったく別の誰かが真面目な返事を書いている。便所の壁というのは、人間の善意と悪意が、無署名で、等しい重みで並列される、たぶん人類が持っている唯一の場所だ。
学校のトイレの落書き怪談が、あんなに多様な型を持っているのは、この二面性がそのまま反映されているからだと思う。名前を書き足される恐怖と、返事をもらえる救いは、同じ壁の裏表だ。
名前を書かれるということ――笑えないほうの現実
ここで、真面目な話をしなければならない。
学校のトイレの壁に特定の生徒の名前が書かれる、というのは、怪談として消費する前に、いま日本中の学校で実際に起きていることだ。しかも、いじめの類型としてかなり悪質な部類に入る。
なぜ悪質か。理由をいくつか挙げる。
まず、書き手が特定できない。加害者が分からないのだから、指導のしようがない。名前を書かれた側は「誰かに嫌われている」ことだけを知らされ、誰にか、なぜかは分からないまま放置される。この宙吊りが精神的に相当きつい。
次に、公開性が高い。教室での陰口と違って、トイレの壁の文字は、そのトイレを使う全員が見る。書いた側は一人でも、読む側は学年全員になりうる。しかも、読んだ人間はそれを「見なかったこと」にしやすい。壁の文字に対して抗議する相手がいないからだ。結果として、名指しされた生徒だけが孤立する。
さらに、逃げ場を奪う。トイレは、学校のなかで唯一ひとりになれる避難所だ。教室にいたくない子は、休み時間のたびに個室に逃げ込んでいる。そこに自分の悪口が書いてあると、避難所そのものが汚染される。逃げる場所がなくなった生徒が学校に来られなくなるのは、当然の帰結だ。
各地の教育委員会がまとめているいじめ対応の資料でも、落書きによる誹謗中傷は繰り返し取り上げられている。名誉毀損や侮辱にあたりうること、悪質な場合は警察との連携も検討されるべきこと、書かれた本人が申し出るまで発覚が遅れやすいこと。指摘される論点はおおむね共通している。
学校側の対応で最も大事なのは、実はスピードだ。発見したら即座に消す。これは「なかったことにする」ためではなく、露出時間を最小化するためだ。同時に、消す前に記録は残す。写真を撮る。日時と場所を記録する。継続性の証拠になるからだ。この二つを両立させるのが難しく、現場では「とりあえず消す」だけになって記録が残らないケースが多いとされる。
そしてもうひとつ、重要なのが「消して終わりにしない」ことだ。落書きは症状であって病気ではない。壁に名前が出てくるということは、その集団のなかで、その生徒への攻撃がすでに常態化している可能性が高い。壁を白く塗り直しても、教室の空気は塗り直せない。
なお、この記事では実在の個人名を伴う具体的な書き込み例は一切挙げない。挙げること自体が二次被害になるからだ。それは怪談の作法でもある。名前は、書かないほうが怖い。
学校はどうやって落書きを消してきたか――圧倒的な物理の話
怪談では、消しても戻ってくる。現実では、消せば消える。この身も蓋もない差が、実は怪談の輪郭を決めている。
学校のトイレの落書きは、基本的に三段階で消される。
第一段階は日常清掃だ。掃除当番の生徒か、あるいは用務員が、洗剤とスポンジで落とす。鉛筆やシャープペンシルなら消しゴムで済む。水性ペンも洗剤で落ちる。この段階で処理される落書きが圧倒的多数で、ほとんどは誰にも記憶されずに消える。
第二段階は薬剤による除去だ。油性ペンやスプレーは水では落ちない。溶剤を使う。ただし、扉や壁の塗装も一緒に溶ける。だから消したあとが、うっすら白く、あるいはまだらに残る。この「消した跡」が残るというのが、怪談的にすごく重要だ。跡があるということは、そこに何かが書かれていたという事実だけが残るということだからだ。内容は読めないのに、書かれていたことは分かる。想像力にとっては、これが最高の燃料になる。
第三段階は塗り替えと交換だ。夏休みや長期休業中に、業者が入って塗装をやり直す。あるいは扉のパネルごと交換する。近年は落書きが定着しにくい防汚塗装や、耐落書き性のある樹脂パネルも使われる。海外では、落書きが止まらないという理由で個室の扉そのものを外した学校の事例まで報道されている。極端だが、効果は確実だ。書く場所がなくなるのだから。
日本の学校トイレは、そもそも改修需要がとんでもなく高い。学校のトイレ研究会の調査では、学校施設で最も改善が必要な場所として、小中高いずれでもトイレが一位に挙げられ続けている。長年「臭い、汚い、怖い、暗い、壊れている」の五つで語られてきた。洋式化率は二〇一六年に四割強だったものが、二〇二〇年には六割近くまで上がったが、商業施設やオフィスに比べればまだ遅れている。全国およそ三万校に約三百万の便器があり、耐震化、空調、情報機器の整備といった他の優先課題と予算を奪い合う。更新周期は二十年から三十年で、老朽化に追いつかない。
つまり、学校のトイレは物理的にも「古い層が残りやすい」場所なのだ。二十年前の落書きが、塗り重ねの下に生きている。それが改修のときに一気に剥がれて出てくることがある。旧校舎の扉に何層も落書きが積み重なっている、という体験談その三の描写は、実は建築的にきわめてリアルな話だ。
そして改修は、怪談を殺す。壁ごと新しくなったトイレには、怖い話が付着しない。落書き怪談が語られるのは、いつも古い校舎、古い個室、消し跡だらけの扉だ。逆に言えば、日本中の学校トイレが順次きれいになっていくにつれて、この系統の怪談は静かに数を減らしている。
映像化――『世にも奇妙な物語』「トイレの落書」という決定版
トイレの落書きを扱った映像作品で、日本でいちばん知られているのは間違いなくこれだ。
一九九五年四月三日に放送された『世にも奇妙な物語』の春の特別編、「トイレの落書」。主演は木村拓哉、脚本は鈴木勝秀、演出は落合正幸。
あらすじはこうだ。終電を逃した建築デザイナーの男が、深夜の地下鉄駅の公衆トイレに入り、そのまま閉じ込められる。壁は落書きだらけだ。そしてその落書きが、次々に現実になっていく。「夜の十二時に扉が閉まる」。実際に閉じ込められる。「水玉のネクタイをした男は、四角い部屋で首を吊る」。男は自分が水玉のネクタイをしていることに気づく。
男は狂乱する。落書きを消せば予言が止まるのではないかと考え、必死に壁をこすり、実際にそれで一部の事象が止まる。しかし壁の文字は多すぎる。彼はあらゆる手段で脱出を試み、そのたびに新しい落書きの通りに事態が転がっていく。
夜が明ける。清掃員が来て、彼は救出される。そこで判明する事実がえげつない。扉は引き戸で、そもそも施錠などされていなかった。彼はひと晩じゅう、開く扉を押し続けていただけだった。
これで終わりではない。外に出た男は、待っていたタクシーに「259」という数字の落書きを見つける。壁にあった数字だ。彼はそのタクシーを避け、別の車に乗る。直後、避けたタクシーは事故に遭い、彼が座るはずだった座席が潰れる。
この作品が名作として語り継がれているのは、木村拓哉の全力の狼狽演技もさることながら、構造が徹底しているからだ。落書きは、書き手が誰かも分からず、いつ書かれたかも分からず、誰に向けられているかも分からない。にもかかわらず、読んだ者にだけ作用する。そして最後に、扉が最初から開いていたと分かる。つまり、彼を閉じ込めていたのは壁の文字であって、扉ではなかった。
匿名の書き込みが人間を檻に閉じ込める、という寓話としてこれ以上のものはない。放送は一九九九年の「便所の落書き」発言の四年前だ。インターネットがまだ一般家庭に入りきる前に、匿名テキストの支配力を正面から描いていたことになる。
学校を舞台にしたものでは、常光徹の『学校の怪談』シリーズと、それを土台にした映画版、テレビアニメ版などが、トイレの怪異を繰り返し扱ってきた。落書き単体を主役にした回は多くないが、「壁に書かれた文字が動く」「消したはずの文字が戻る」という演出は、児童向けホラーの定番として今も使われ続けている。
なぜ、個室という密室の壁が怪異を呼ぶのか
最後に、根本の問いに戻る。どうしてトイレなのか。どうして壁なのか。
第一に、トイレは境界の場所だ。民俗学的には、便所は古くから異界と接続する場所とされてきた。厠神という神を祀る習俗が各地にあり、便所は生まれる場所とも死ぬ場所とも結びつけられてきた。体内のものが体外に出ていく場所であり、清と不浄が入れ替わる場所だ。境界には必ず何かがいる、というのは怪談の基本文法だ。
第二に、姿勢の問題がある。個室では、人は座っている。動けない。逃げにくい。服が乱れている。防御力が最低の状態で、しかも視界が狭い。この身体的な無防備さが、恐怖の受け入れ態勢を作る。同じ文字が廊下の壁に書いてあっても、たぶん怖くない。座っているから怖い。
第三に、視線の構造だ。個室の中では、自分は誰にも見られていない。同時に、誰も見ることができない。この完全な相互不可視のなかで、壁の文字だけがこちらを向いている。文字は、書いた人間の視線の代理物だ。誰もいない密室で、こちらを見ているものが一つだけある。それが文字だ。
第四に、時間のずれがある。落書きは、書かれた瞬間と読まれる瞬間が離れている。手紙もそうだが、手紙には宛先がある。落書きには宛先がない。だから、読んだ人間が自動的に宛先になる。「たすけて」と書かれていたら、それは読んだあなたに向けられたことになる。書いたのが十年前でも、書いた人間がもう死んでいても、読んだ瞬間に宛先が発生する。この時間差のある呼びかけが、怪異の構造そのものだ。
第五に、消去可能性だ。落書きは消せる。消せるということは、消える前に読んだ人間だけが知っているということだ。あなたが見たものを、もう誰も検証できない。翌日には塗り潰されているかもしれない。証明できない目撃、というのは、怪談が最も好む形式だ。
第六に、そしてこれがいちばん大きいと思うのだが、学校のトイレは子どもにとって「大人の管理が届く最後の一歩手前」の場所だからだ。教室は管理されている。廊下も管理されている。校庭も、下駄箱も、部室も、大人の目がある。個室の中だけは、鍵をかけたら誰も入ってこない。子どもが自分の意思で外界を遮断できる、学校で唯一の空間だ。
その唯一の自由な空間の壁に、自分の知らない文字が書かれている。管理されていないということは、守られていないということでもある。その裏返しに、子どもは本能的に気づいている。だからトイレの落書きは怖い。
あの壁は、たぶん日本でいちばん長く動いているメディアだ
ここまで書いてきて、あらためて感じるのは、トイレの落書きという題材が、怪談としては異様に「メディア論的」だということだ。
普通の学校の怪談は、何かが「いる」話だ。花子さんがいる。人体模型が動く。ベートーヴェンの目が動く。音楽室のピアノが鳴る。主体がいて、主体が何かをする。ところがトイレの落書き怪談には、主体がいない。あるのはテキストだけだ。誰が書いたか分からない文字が、ただそこにある。それだけで、日本中の子どもが怖がってきた。
これは考えてみるとかなり特殊だ。怪談における「テキストだけの怪異」の系譜は、実はそう多くない。不幸の手紙、チェーンメール、怪文書、そして掲示板の呪いのスレッド。ざっと数えてこれくらいだ。そしてこの系譜は、そのままメディア史と重なる。郵便が普及すれば不幸の手紙が生まれ、電子メールが普及すればチェーンメールが生まれ、掲示板が普及すればそこに呪いが宿る。人間は、新しい書字メディアが登場するたびに、そのメディア専用の怪談を必ず作ってきた。
だとすれば、トイレの壁というのは、日本で最も長く稼働し続けている書字メディアだということになる。法隆寺の天井裏から数えれば千三百年。落書起請から数えても七百年。二条河原から六百九十年。壁に文字を書くという行為は、紙より、活字より、電波より、はるかに古くて、はるかにしぶとい。だからそこに宿る怪異も、古い。
ここで、この記事の中盤で見た二つの潮流を、もう一度重ねてみたい。ひとつは、法隆寺の大工が天井の組み木に書いた「難波津に咲くやこの花」。誰にも読ませるつもりのなかった、純粋に自分のための文字だ。もうひとつは、二条河原の立て札。読まれるためだけに書かれた、宛先が世界そのものである文字だ。
学校のトイレの落書きは、この二つが同居している。「たすけて」と書く子は、読まれることを期待していない。書かずにいられないから書いている。法隆寺の大工と同じだ。一方で、誰かの名前を書く子は、確実に読まれることを計算している。読まれなければ意味がない。二条河原と同じだ。同じ壁の、同じ高さに、この二種類の文字が並んでいる。
怪談の型その五、返事が書かれる話がなぜあんなに切ないのかが、これで分かる。あの話は、法隆寺型の文字に、二条河原型の応答が返ってくる話なのだ。誰にも読ませるつもりのなかった呟きに、誰かが答えてしまう。本来交わるはずのない二つの回路が短絡する。その短絡が、優しさにも恐怖にも転ぶ。
さて、匿名という形式についても、もう少し踏み込んでおきたい。
現代の日本では、匿名表現はほぼ一貫して否定的に語られる。実名なら責任を持つが、匿名なら無責任になる。だから匿名は悪だ。この論法は、一九九九年に「便所の落書き」という比喩が地上波に乗った時点で完成していて、以後二十六年、ほとんど更新されていない。
だが、歴史を見ると話がまるで違う。中世日本において、匿名は「無責任」の同義語ではなかった。むしろ、匿名でなければ真実は出てこない、という前提のもとに制度が組まれていた。落書起請がそれだ。名を伏せさせるのは、報復を恐れて誰も証言しなくなるのを防ぐためだった。一三一〇年の法隆寺の盗難事件で十七の村から六百通あまりの匿名の書き付けを集めたのは、無責任を推奨したかったからではなく、責任を負える立場にない人間からも情報を取るためだ。
匿名は、権力勾配を無効化する技術だ。名前がついていると、発言の重みは発言者の地位で決まる。名前を外すと、内容だけで判断されるようになる。これは弱者にとって決定的に有利だ。だからこそ、封建制のもとで唯一の言論回路が落首になった。だからこそ、大学の個室の壁で、一年生と教授が対等に議論できた。だからこそ、学校で最も孤立している子が、壁越しにだけ本音を言えた。
同時に、匿名は暴力の技術でもある。特定されないから、いくらでも殴れる。この二面性は分離できない。匿名の良い部分だけを取り出す方法は、たぶん存在しない。落書起請だって、恨みを持つ者が無関係な人間の名を書けば、それで冤罪が成立してしまう。六百通の多数決というのは、要するに集団リンチの制度化と紙一重だ。
だから、匿名表現の議論において「便所の落書きだ」という切り捨ても、「匿名だからこそ言える真実がある」という擁護も、どちらも半分しか見ていない。壁には両方が書いてある。同じ壁に、同じペンで、同じ高さに。それが便所の落書きという媒体の、動かしがたい本質だ。
学校のトイレの怪談に戻る。
五つの型を並べてみて気づくのは、そのうち四つが「書かれる側」の恐怖であることだ。消しても戻る文字は、消そうとする自分に抵抗してくる。増えていく名簿は、自分の番を待っている。自分の名前が書き足される話は、言うまでもない。予言型ですら、書いてあることが自分の生活を侵食してくる。
つまり子どもたちは、匿名の書き込みに対して、圧倒的に受け手の立場で怯えている。これは実感として正しい。学校という閉じた集団のなかで、自分の知らないところで自分について書かれる、という経験は、いじめの有無にかかわらず、ほとんどの子が持っている。ノートの端、机の裏、教科書の余白、そしてトイレの壁。書かれる側は常に受け身だ。
そして現代の子どもは、この構造をトイレの壁だけで経験しているわけではない。匿名の投稿サイト、学校裏サイト、鍵付きのグループチャット、質問箱。名前を伏せて誰かについて書ける場所は、今のほうがはるかに多い。物理的な壁が改修で消えても、書かれる側の恐怖は消えていない。むしろ移設されて、拡張されている。
一九九九年に「トイレの落書きに近い」と評されたインターネットは、その後、比喩の側であるトイレの壁を追い越した。追い越しただけでなく、消せなくなった。壁ならペンキで塗れる。扉なら交換できる。夏休みが来れば業者が入る。しかしタイムラインは塗り替えられない。スクリーンショットは物理法則に従わない。消しても翌朝また出てくるというのは、いまや怪談ではなく、デジタルタトゥーという名前のついたごく普通の現象だ。
この観点から見直すと、型その一「消しても消しても戻ってくる」は、ほとんど予言的な怪談だったことになる。あの話が全国の学校で繰り返し語られていた一九八〇年代、九〇年代の子どもたちは、まだSNSを知らなかった。にもかかわらず、彼らは「消せない書き込み」という恐怖を、正確に想像していた。壁のパネルを交換しても同じ位置に同じ文字が戻ってくるという描写は、サーバーに残ったログの比喩として、あまりに出来すぎている。
怪談というのは、しばしばそういうことをする。まだ来ていない社会の恐怖を、手元にある道具立てで先取りしてしまう。トイレの壁しか知らない子どもが、ネット社会の中心的な恐怖の形を、先に語り終えていた。
もうひとつ、供養の話をしておきたい。
学校の怪談の多くは、最終的に「誰かの霊を鎮める」という結末に着地する。花子さんの話にも、慰霊や成仏の要素が付随することが多い。ところが、トイレの落書き怪談には、供養の回路がほとんどない。文字は成仏しない。誰の霊なのかも分からない。だから鎮めようがない。せいぜい、消すか、消さないかだ。
ただ、寺社に残された落書きを歴史史料として読む研究は、この点について示唆をくれる。全国の寺社の壁や柱に書かれた中世から近世の落書きには、「かたみ」「こいし」といった語が繰り返し現れる。参詣した誰かが、失った誰かを思って、名前と言葉を刻んでいる。それは記念であり、追悼であり、要するに私的な供養だった。公式の記録にも、家の系図にも残らない人間の存在を、壁に刻んで残す。それが落書きの本来の機能のひとつだった。
そう考えると、学校のトイレの壁に日付と名前が並んでいくというあの型は、恐怖の裏側に、供養の形式を保存しているのかもしれない。いなくなった誰かの名前を、誰かが壁に書き続けている。それは呪いにも見えるし、名簿にも見えるし、そして、卒塔婆にも見える。
改修が済んで、白くて明るくて臭わない学校のトイレが増えていくのは、間違いなく良いことだ。子どもがトイレを我慢しなくてよくなるし、逃げ込める場所が清潔になるのは、それだけで救いになる。誹謗中傷の書き込みも、書きにくく、消しやすくなる。
ただ、そのぴかぴかの個室で、どうしても誰にも言えないことを抱えた子が、書く場所を失っているんじゃないか、というのが、この題材を調べていて最後に残った引っかかりだ。壁がなければ、その言葉はどこへ行くのか。たぶん、画面の中へ行く。画面の中には、返事を書いてくれる見知らぬ誰かもいるし、名前を書き足してくる誰かもいる。同じ壁だ。ただ、ペンキでは塗り潰せない。
学校のトイレの落書きが怖かったのは、あれが世界の縮図だったからだと思う。狭い密室に、善意と悪意と孤独が、全部無署名で並んでいた。座って、鍵をかけて、ひとりになったときにしか読めない高さに。
そして今夜も、日本のどこかの校舎で、誰かが膝を抱えて、壁に一行だけ書いている。翌朝それが消されているのか、それとも返事がついているのかは、書いた本人にしか分からない。
