その電話は、必ず誰かから始まって、必ず誰かで終わる。始点は担任、終点も担任。あいだに三十何人かの家庭がぶら下がっていて、受けたら次へ回す。それだけの仕組みだ。仕組みとしては原始的で、テクノロジーという言葉すら大げさなくらい素朴で、それなのにこの装置は、日本の学校怪談のなかでもかなり質の悪い部類の話を大量に産んだ。
理由ははっきりしている。連絡網には「自分の次」がいるからだ。
## 受話器を置いた瞬間、あなたは共犯になる
まず前提の話をさせてほしい。連絡網の怪談が怖いのは、幽霊が出てくるからではない。怖いのは、聞いてしまったら回さなければいけない、という一点に尽きる。
トイレの花子さんなら、その個室に入らなければいい。四時四十四分の階段なら、その時間にそこを通らなければいい。学校怪談の大半は、回避可能な場所と時間に紐づいている。民俗学者の常光徹が指摘したのも、そういう「避けられる危険」としての性質だった。子どもは怖いものを、安全な距離から味わっている。お化け屋敷と同じ構造だ。
連絡網はそこが違う。家に電話がかかってくる。自分の家に。避けようがない。しかも受けたあと、こちらから次の家に発信しなければならない。受信は事故かもしれないが、発信は意志だ。ダイヤルを回した瞬間、あなたはこの連鎖の一部になる。被害者ではなく、運び手になる。
そして厄介なことに、連絡網には「途中でやめる」という選択肢が制度上存在しない。次に回さなければ、あなたのところで情報が止まる。翌日、クラスの誰かが知らずに登校してくる。あなたのせいで。連絡網という装置は、参加者の良心を人質に取っている。だからこそ、そこに異物が一つ混じるだけで、話が成立してしまう。
これから紹介するのは、その異物のバリエーションだ。名簿にない番号、途中で必ず切れる班、掛けても掛けても戻ってくる輪、死んだはずの同級生の母親の声、深夜二時の着信、リストの末尾に増えていく一行、そして空白のままの転校生の欄。どれも骨格は同じで、肉づけだけが違う。順番に、できるだけ細かく再話していく。
## 五番目の家には誰も住んでいなかった
一つ目は、いちばん流通している型だ。仮に「五番目の家」と呼ぶ。
語り手は小学校六年生の女の子。時期は二学期の終わり、十二月。翌日が終業式の予定だったが、前夜から雪が降りはじめた。深夜、担任から連絡網が回る。始業を二時間遅らせる、という内容だった。
彼女の家は三班の四番目。三班の三番目、山中さんのお母さんから電話がかかってきたのは、朝の六時十五分だったという。母親が出て、内容を復唱して、受話器を置いて、それから彼女を起こした。あんた、次に回して。母親は台所に立ちながらそう言った。この家では、連絡網は子どもの仕事だった。学級だよりを取り込むのと同じ、当番みたいなものだ。
彼女はプリントを見た。連絡網のプリントは、四月に配られたきり、電話台の下の引き出しに入れっぱなしになっている。角が少し丸まって、コーヒーか何かの輪染みがついている。三班、と書かれた縦の列。上から、加藤、佐々木、山中、そして自分。その下に、名前がなかった。
正確には、名前の欄はある。四角い枠が印刷されていて、その中に手書きで番号だけが書き足されていた。ボールペンではなく、鉛筆だったと彼女は言う。市外局番から始まる十桁。名前の欄は空欄。矢印だけが、その枠から下に伸びて、五班目の欄外に消えていた。
彼女は一度、母親に聞いている。ここ誰。母親は手を止めずに、知らない、去年もそうだった、と答えた。去年もそうだったという答えが、いま思えばいちばん怖い、と彼女は書いている。
とりあえず掛けた。呼び出し音が四回。五回目の途中で、繋がった。
もしもし、と言う前に、向こうが喋った。女の声だった。低くもなく高くもなく、年齢の見当がつかない声。
「はい、うかがいました」
彼女は面食らって、まだ何も言っていません、と返した。するとその声は、少し間を置いてから、内容を正確に復唱した。始業を二時間遅らせること、登校時は歩道の凍結に注意すること、通学班の集合時刻もそれに合わせてずらすこと。担任が最初に言った文言と、助詞まで一致していたという。
「もう回しました」
そう言って、切れた。
彼女は受話器を持ったまま、しばらく立っていた。それから、確認のために担任の家に掛けた。連絡網の最後の人が担任に折り返す決まりだったから、番号は知っていた。担任は寝起きの声で出て、事情を聞いて、ああ、と言った。
「三班は、山中さんで終わりだよ」
三班は四人しかいない、と担任は言った。加藤、佐々木、山中、そして彼女。彼女が最後で、だから彼女が折り返す係だ。プリントを見てごらん、と言われて、彼女は見た。もう一度、見た。
鉛筆で書かれた番号は、そこにあった。
## 二班は毎回、途中で切れる
二つ目は「途切れる班」。前の型より地味だが、じわじわ来るタイプだ。
舞台は中学校。語り手は男子生徒で、当時二年。彼のクラスの連絡網には、一つ妙な決まりがあった。二班だけは、担任が全員に直接掛ける。
理由は誰も説明しなかった。年度はじめの学活で連絡網が配られたとき、担任が黒板の前でこう言ったという。二班は先生が個別に掛けます、はい次。それだけ。質問しようとした生徒がいたが、担任は聞こえなかったふりをした。
生徒たちのあいだでは、二班の誰かの家が電話を引いていないんだろう、という説が流れた。実際、そういう家庭はあった。事情のある家、経済的な理由、あるいは単に方針。だから納得しかけたのだが、一学期の途中で、二班の女子がぽろっと言った。うちにも電話あるよ。掛かってこないだけ。
彼らは調べた。中学二年の男子が何人か集まって、放課後に連絡網のプリントを持ち寄って、二班の並びを書き写した。八人いた。一番から八番まで、名前も番号もちゃんと印刷されている。空欄もない。おかしなところは何もない。
それで、試した。夏休みに入る前、部活の連絡という名目で、一番の生徒から順番に回してみたのだ。担任には黙って。
一番から二番へ、繋がった。二番から三番、繋がった。三番から四番、繋がった。四番から五番へ掛けたところで、止まった。呼び出し音は鳴る。鳴り続ける。誰も出ない。十回、二十回。当時は着信履歴もないから、何度でも掛けられた。
翌日、五番の生徒に学校で聞いた。昨日、家にいた。電話は鳴らなかった。
念のためもう一度やった。今度は五番の生徒に、家で電話の前に座っていてもらった。四番から掛けた。四番の生徒は、確かに掛けたと言う。呼び出し音も聞いたと言う。五番の生徒の家では、電話は一度も鳴らなかった。
そこから先は、彼らも怖くなって手を引いた。ただ一つだけ、後日談がある。三年になってクラス替えがあり、新しい連絡網が配られたとき、彼は自分がまた二班になっているのを見つけた。班のメンバーはほぼ入れ替わっていた。そして担任は、去年と同じことを言った。
二班は先生が個別に掛けます、はい次。
担任は去年とは別の教師だった。
## 掛けても掛けても、加藤さんの家に戻ってくる
三つ目、「輪」。構造が一番きれいな型で、語りがうまい人が話すと本当に嫌な感じが出る。
語り手は保護者側、三十代の母親。当時、小学四年生の息子がいた。時期は九月、運動会の順延連絡だった。
朝六時前、前の家から電話が来た。明日に順延、弁当は不要、体操服は持ってこなくていい。彼女は復唱して、メモを取って、次に掛けた。次は加藤さんの家。加藤さんのお母さんが出て、はいはい、と受けて、ありがとうございますと言って切れた。それで終わり。彼女の役目は済んだ。
十分後、また電話が鳴った。出ると、前の家の人だった。同じ内容を、同じように言う。彼女は、さっき聞きました、と言った。相手は、あら、と言って、じゃあもう回しました、と言って切れた。
さらに十分後、また鳴った。今度は別の人だった。連絡網の、もっと上の方の人。同じ内容。彼女はまた、聞いています、と答えた。
三度目からは、彼女も数えるのをやめた。朝六時から七時半までのあいだに、九回。全部、連絡網の上流にいる別々の家からだった。全員が同じ文言を、同じ順序で喋った。全員が、いま回しました、と言って切った。
彼女は不審に思って、加藤さんの家に掛け直した。加藤さんのお母さんが出た。さっきの連絡、次の方に回していただけましたか。加藤さんは、はい、と言った。そのあと、少し黙って、こう続けたという。
「うちの次、お宅なんですけど」
彼女は自分のプリントを見た。自分の次が加藤さんで、加藤さんの次が別の家になっている。そう印刷されている。加藤さんの家のプリントでは、加藤さんの次が彼女になっているという。二人でプリントの番号を読み合わせた。用紙の右上に印刷された発行日も、班の番号も、印刷の色も、全部同じだった。並びだけが違った。
その日、連絡網は最後まで届かなかった。運動会が順延になったことを知らずに登校した子が、六人いた。全員が同じ班の、下流の子だった。
母親は後年、この話をするときに必ず一言つけ加える。あの朝、掛かってきた九回の電話のうち、最後の一回だけ、声が息子だった。
## 「もう聞きましたから」と、あの人の母親は言った
四つ目は、連絡網怪談のなかでも特に胸が悪くなる型だ。死んだはずの同級生の家に、連絡網が繋がる。
語り手は高校一年。夏、クラスの男子が交通事故で亡くなった。仮に西尾くんとしておく。夏休みに入って数日後の出来事で、学校からは緊急の連絡網が回った。全校集会を行うので、指定の日時に登校すること。
語り手の家は、西尾くんの一つ前だった。連絡網は五十音順ではなく、住んでいる地区でまとまっていて、たまたま隣り合っていた。前の家から電話を受けたとき、彼女は手が止まった。次は西尾くんの家だ。
母親に相談した。母親は、飛ばして次に掛けなさい、と言った。当たり前だ。亡くなった生徒の家に、その生徒を集めるための連絡を入れる馬鹿はいない。彼女は西尾くんの次の家に掛けて、事情を説明して、連絡を伝えた。相手も、そうだよね、と言った。それで終わったはずだった。
翌日の夕方、彼女の家に電話が鳴った。母親が出て、すぐに彼女に代わった。西尾さんのお母さんです、と、手で受話器を押さえて言った。
彼女は受話器を受け取った。相手は、丁寧な、落ち着いた声だった。
「昨日はご連絡ありがとうございました」
彼女は何と答えたか覚えていない。たぶん、いえ、とか、そんな、とか言ったのだと思う。頭の中では、掛けていない、という言葉がぐるぐる回っていた。
「うちの子にも伝えましたので、大丈夫です」
そこで彼女は、はい、と言ってしまった。反射だった。相手が続けた。
「あの子、集会には行くと言っていました。制服のことなんですけど、夏服でいいんですよね」
夏服でいいです、と彼女は答えた。そう答えてしまってから、自分の声が自分のものでない感じがした。相手は、ありがとうございます、と言って、それから、少しだけ声を落とした。
「連絡網、次の方にはもう回しましたから。ご心配なく」
切れた。
集会の日、西尾くんの席には花瓶が置かれていた。担任が名前を読み上げるとき、出席簿の該当行には斜線が引かれていた。彼女はそのあいだ、ずっと、誰が西尾くんの次の家に電話を掛けたのかを考えていたという。西尾くんの次の家には、確かに彼女自身が掛けた。前の日に。だから、西尾くんの母親が「回した」相手は、そこではない。
二学期に配られた新しい連絡網から、西尾くんの欄は消えていた。ただし、名前が削られたのではなく、その一行ぶん、下の全員が繰り上がっていた。だから最後尾に、一つ空きができた。空欄の枠が、一つだけ、余っていた。
## 午前二時十七分の着信
五つ目、「深夜の連絡網」。時刻を伴う型で、語り手によって時刻がわりと動く。二時台が多い。
語り手は当時中学三年、受験期。深夜、机に向かっていた。家族はもう寝ている。玄関脇の電話が鳴った。彼は反射的に立ち上がって、走って取った。夜中の電話は一回で取れ、と父親に言われていたからだ。
もしもし、と言うと、相手は名乗らずに、いきなり本題を喋りはじめた。
明日は臨時休校です。全員自宅待機。外に出ないでください。次の方にお回しください。
声は女性で、抑揚がなかった。読み上げている感じだった、と彼は言う。用件を言い終わると、次の方にお回しください、をもう一度繰り返した。二回目のほうが、少しだけ大きかった。
彼は、どちら様ですか、と聞いた。返事はなかった。ただ、電話が切れる音もしなかった。無音が続いた。彼は受話器を耳から離して、しばらく持っていた。それから、そっと置いた。
翌朝、休校ではなかった。ふつうに授業があった。彼は数人に聞いてみたが、深夜に電話を受けた者はいなかった。彼の家の次の番号、つまり彼が回すべきだった相手にも、それとなく確認した。何も掛かってきていない、と言われた。
三日後の深夜、また鳴った。今度は時計を見た。二時十七分だった。同じ声、同じ文言、同じ抑揚。次の方にお回しください。
彼は今度は、回しません、と言ってみた。声はそれには反応せず、三度目の「次の方にお回しください」を言った。そして切れた。
それから毎週のように掛かってきた。全部深夜。全部同じ内容。全部、回さなかった。
彼が高校に上がって、家の電話が子機つきの新しいものに替わった。それきり掛かってこなくなった。彼はそれで終わったと思っていた。
十年後、母親から電話が来た。実家の電話を解約したという事務的な報告のついでに、母親はこう言った。あんた、中学のとき、夜中に電話に出てたでしょ。あれ、私も何回か取ったのよ。
何て言われた、と聞いたら、母親は、あんたに代わってくださいって言われた、と答えた。
## リストの末尾に、一行ずつ増えていく
六つ目は、プリントそのものが変質する型だ。ネット上では「増える一行」「三十六人目」などと呼ばれている。
語り手は小学校の教員。二十代後半で、初めて六年生の担任を持った年の話。四月、彼はクラスの連絡網を作った。児童は三十五人。四つの班に分けて、それぞれ八人、九人、九人、九人。ワープロで打って、印刷して、家庭数ぶん配った。控えを自分の机の引き出しに一部、職員室の壁の書類差しに一部。
六月の頭、彼は連絡網の控えを取り出して、あることに気づいた。四班の末尾に、一行増えている。
名前の欄は空白。電話番号の欄も空白。ただ、枠だけが一つ、増えている。ワープロで作った表だから、枠が勝手に増えることはない。彼は自分の印刷ミスかと思って、職員室のもう一部を確認した。そちらにも、同じ位置に空の枠があった。
彼はもう一度作り直した。今度は日付を入れて、印刷して、配り直した。前のは破棄してくださいと連絡帳に書いた。
七月、また増えていた。今度は二行。
彼はこの時点で、誰かのいたずらを疑った。学級には、たまに問題を起こす児童がいた。しかし配られた家庭のプリントにまで手を出すのは無理がある。念のため、保護者会のときに何人かに聞いてみた。連絡網、末尾に空欄ありますかと。ありますよ、と何人かが答えた。二つね、と一人が言った。
九月、三行。十月、四行。彼は数えるのをやめられなくなった。
十一月の終わり、彼はある関連に気づいた。増えるのは、必ず月のはじめ。そして四月に三十五人だった児童数が、その時点で三十一人になっていた。転出が二人、長期欠席が一人、そして九月に一人、事故で亡くなっていた。
三十五から三十一を引くと四。そのとき空欄は四つあった。
彼はそこで、四月に作った最初の版を引っ張り出した。破棄したはずのものが、なぜか引き出しの奥に残っていた。それを見て、彼は職員室で声を上げたという。
最初の版の四班の末尾に、亡くなった児童の名前が入っていた。彼が四月に作ったとき、その児童は三班に入れたはずだった。三班の並びを確認すると、その児童の名前は、ない。
## 転校生の欄は、一年間ずっと空白のままだった
七つ目、「転校生の欄」。前の型と対になる話で、こちらは名前が入らない。
語り手は中学一年。二学期に転校生が来た。男子で、名前は仮に沢田としておく。無口で、目立たないタイプ。誰とも揉めないかわりに、誰とも親しくならない。そういう生徒だった。
転校生が来ると、連絡網は更新される。担任は、新しい連絡網を配るからね、と言って、実際に翌週、配った。語り手は自分の班に沢田の名前が入っているのを見た。班の一番下、自分の次だった。
十月、台風が来た。夜のうちに連絡網が回ってきて、彼は次に掛けようとした。沢田の欄を見た。名前はある。電話番号の欄が、空いていた。印刷されているのは氏名だけで、番号のところは白いままだった。
彼は担任に電話した。担任は、あ、そこはまだ番号もらってないから飛ばして、と言った。じゃあ次に掛けます、と言うと、担任は、うん、と言った。彼は沢田の次の家に掛けた。
十一月、また回った。番号は入っていなかった。担任はまた、飛ばして、と言った。
十二月、三学期の予定を配るときに新しい連絡網が出た。沢田の欄の番号は、やはり空白だった。彼はさすがに沢田本人に聞いた。お前んち、電話ないの。
沢田は、ちょっと考えるような顔をして、あるよ、と答えた。それから、番号を教えてくれた。彼はそれをプリントの空欄に、自分でシャープペンシルで書き込んだ。
一月の終わり、大雪で連絡網が回った。彼は書き込んだ番号に掛けた。呼び出し音が二回で切れて、機械の女の声が言った。おかけになった電話番号は現在使われておりません。
翌日、彼は沢田に言おうとして、教室を見回した。沢田はいた。席にいて、教科書を開いていた。彼は近寄って、番号違ったよ、と言った。沢田は、そう、とだけ答えた。
三月、卒業式ではなく修了式の日。担任がクラス名簿を配った。一年間の記念みたいなもので、氏名と、簡単な一言が並んでいる。彼は沢田の欄を探した。ない。
三十四人ぶんの名前があって、沢田だけがない。彼は担任に聞いた。担任は名簿を覗き込んで、それから彼の顔を見て、こう言った。
「誰?」
## この話は、どこから来たのか
さて、ここからは出所の話をする。結論から言うと、連絡網怪談には特定できる初出がない。これは逃げではなくて、調べた結果として、そう書くしかない。
まず活字の側。学校怪談を体系的に集めた仕事としては、民俗学者の常光徹によるものが決定的だ。児童向けとしては講談社KK文庫の『学校の怪談』シリーズが一九九〇年十一月から刊行され、九〇年代のうちに九巻まで出た。二〇〇五年からは『新・学校の怪談』が続き、二〇一五年七月まで、記号を冠した巻を含めて出続けている。学術書としては一九九三年にミネルヴァ書房から『学校の怪談 口承文芸の展開と諸相』が、二〇〇二年七月には角川ソフィア文庫から『学校の怪談 口承文芸の研究一』が出ている。この一連の仕事が、トイレの花子さん、赤い紙青い紙、音楽室の肖像画といった型を「学校怪談」として輪郭づけた。
ところが、連絡網の話はこの体系のなかで独立した型として立っていない。日本語版の百科事典的な学校怪談の一覧を見ても、校舎、階段、廊下、プール、音楽室、理科室といった場所ベースの分類が並ぶだけで、電話や名簿を軸にした項目は立てられていない。連絡網怪談は、学校怪談の正史からこぼれている。
理由は察しがつく。学校怪談の古典的な型は、学校という空間に紐づいている。花子さんは校舎の中にいる。二宮金次郎は校庭にいる。ところが連絡網の怪異は、家で起きる。学校の話なのに、舞台が家庭なのだ。この時点で、場所別の分類には入れづらい。
もう一つ、電話怪談という大きな川がある。人形から電話が掛かってくるメリーさんの型は、段階的に接近してくる話の代表格として広く知られている。松山ひろしのように、この「だんだん近づいてくる」構成そのものが古くからある技法だと指摘する書き手もいて、イギリスの民話などにも同型が見出されている。連絡網怪談は、この電話怪談の川と、学校怪談の川が合流したところに生まれた支流だと考えると、収まりがいい。
ネットの側はどうか。二ちゃんねるのオカルト板に「洒落にならないほど恐い話を集めてみない?」というスレッドが立ったのが二〇〇〇年八月二日。ここから、いわゆる洒落怖の系譜が始まる。きさらぎ駅、八尺様、巨頭オ、コトリバコといった有名どころは、この土壌から出た。長編化して、地域の伝承や歴史的背景まで作り込むのがネット怪談の特徴で、コトリバコのように江戸時代の由来まで設定されている例もある。
連絡網の話も、この時期のスレッドに大量に投下されている。ただし、決定的な一本がない。これが困る。きさらぎ駅なら二〇〇四年一月八日のリアルタイム実況という明確な起点があり、レス番号まで追える。八尺様も原典スレの特定ができる。連絡網怪談には、それがない。
私が確認できた範囲で言うと、洒落怖系スレッドおよびその過去ログまとめには、連絡網を扱った短い投稿が散発的に、しかし継続的に現れる。長編化しない。スレッドの主役にならない。数レスで終わって、次の話題に流される。まとめサイトが編集する際も、単独記事にならず「短編集」「電話の怖い話まとめ」のような枠に押し込まれることが多い。だから、投稿日時、レス番号、投稿者のトリップといった書誌情報が、ほとんど失われている。
正直に書くが、この記事のために私が当たった範囲では、連絡網怪談の最古の投稿を特定することはできなかった。特定できたと書いてある記事があったら、たぶん盛っている。
推測できるのは、この型が口承としてはネットより古い、ということだ。連絡網が現役で運用されていたのは昭和四十年代から平成の初め頃までで、この時期の小中学生にとって連絡網は日常の道具だった。日常の道具に怪異を憑ける、というのは学校怪談の基本文法である。だから、教室の口承として先にあったものが、二〇〇〇年代にネットに流れ込んで、そこで型が整理されたと考えるのが自然だ。ただしこれは推測であって、証拠はない。証拠がないと書けるのも、書き手の誠実さのうちだと思っている。
## 骨格は同じで、肉づけだけが違う――派生を一つずつ
型が固定されないまま流通したせいで、連絡網怪談は派生が異様に多い。整理せずに並べていく。
### 折り返してこない最後の人
連絡網には終端がある。最後の人が担任に折り返して、「一巡しました」と報告する。この報告が来ないと、担任は途中で止まったと判断して、下流に直接掛け直す。この作法を逆手に取ったのが、折り返しが来ないパターンだ。
担任が何度連絡網を回しても、最後の人からの折り返しが来ない。最後の人に直接掛けると、掛けましたよ、と言う。担任の家の電話は鳴っていない。留守番電話にも入っていない。回線業者に調べさせても異常はない。ある年から担任は、最後の人に、折り返しの代わりに翌日職員室に直接来て報告するよう指示を変えた。すると生徒はちゃんと来る。来るのだが、担任が「昨日は掛けたのか」と聞くと、必ずこう答えるという。掛けました、先生出ましたよ、と。
この型は、担任の側が主人公になっているのが面白い。連絡網の怪談は基本的に子ども視点か保護者視点で語られるが、この型だけは教師視点で成立する。教師には全体が見えているぶん、部分の欠落に気づけてしまう。全体が見える者にだけ見える穴、という構図だ。
### 番号が一桁だけ違う
もっと地味で、もっと嫌な派生。連絡網に印刷されている番号のうち、一軒だけ、下一桁が違っている。誰も気づかない。数年間、誰も気づかない。
あるとき掛け間違いに気づいた保護者が、正しい番号に掛け直して、ついでに「連絡網の番号、間違ってますよ」と伝える。すると相手は、うちはずっとその番号で受けてきましたよ、と答える。掛け間違いの番号で受けてきた、という意味になる。
この派生の要点は、間違った番号が実在して、しかも機能してしまっているところにある。誤配が長年にわたって成立し続けた、という不気味さ。連絡網が届いていたのだから、実害はない。実害がないのに、誰かが代わりに受け続けていたことになる。
### 声が全員同じ
連絡網を回していると、途中から、受ける相手の声が全部同じになる。加藤さんも、佐々木さんも、山中さんも、同じ声で「はい、うかがいました」と言う。語り手が「あれ、加藤さんですか」と確認すると、「はい、加藤です」と答える。声は同じ。
この派生は、電話という媒体の性質に完全に依存している。顔が見えず、声しか手がかりがない状況でのみ成立する恐怖だ。だから携帯電話の時代になっても、通話である限り生き延びる。実際、ネット上の投稿では、固定電話ではなくスマートフォンの通話でこの型が語られている例がある。
### 保留音が入る
連絡網の相手が、内容を聞いたあとで「少々お待ちください」と言って保留にする。家庭用電話に保留機能がある機種はあるので、それ自体は不自然ではない。ただ、流れる保留音が、その学校の校歌である。あるいは、下校時刻を知らせるチャイム。あるいは、卒業式で歌った曲。
この派生は短くて、オチが一行で済む。だから口伝えに向いている。実際、都市部の中学校でこの型を聞いたという証言が複数ある。
### 昔の連絡網が回ってくる
大人になった語り手の家に、連絡網が回ってくる。内容は小学校時代のもの。明日は運動会を行います、体操服で登校してください、といった、二十年前の連絡。
掛けてきた相手は、当時の連絡網で自分の一つ前だった同級生の母親を名乗る。語り手は事情を説明しようとするが、相手は最後まで喋り切って、切る。語り手の手元には当然、当時の連絡網プリントはない。それでも、次に誰に掛けるべきかを、なぜか思い出せてしまう。
この型は、記憶の再生装置としての連絡網を扱っている。順番を覚えている、という感覚は、経験者ならわかると思う。自分の前と後ろだけは、なぜかいつまでも覚えている。
### 名簿を作った人がいなくなる
学級名簿や連絡網を作った担任、あるいはPTAの役員が、作った直後に転出したり、事故に遭ったり、あるいは単に誰の記憶からも消えたりする。プリントは残っている。作成者だけがいない。
この派生は、連絡網怪談としては新しい部類で、二〇一〇年代以降のネット投稿によく見られる。名簿を作る行為そのものが危険視される時代の空気が、そのまま怪談の設定になっている。個人情報保護の意識が高まった社会では、「名簿を作った人」が加害者でも被害者でもありうる曖昧な立場に置かれる。その居心地の悪さが、話の栄養になっている。
### 通話履歴に残らない
携帯以降の派生。連絡網の電話を確かに受けたのに、着信履歴に残っていない。あるいは、履歴に残っている番号に掛け直すと、まったく別の人が出る。
この型は、証拠が残る時代になったからこそ成立する。固定電話の時代、通話の証拠は当事者の記憶しかなかった。だから「掛かってきた」「掛かってこなかった」の水掛け論で終わった。履歴という物証がある時代には、物証のほうが裏切る。技術が進むと怪談は死ぬ、とよく言われるが、実際には形を変えて生き延びる。
### 学校がもうない
いちばん最後に来る型。連絡網が回ってくるが、その学校はすでに統廃合で存在しない。校舎は取り壊されているか、別の施設になっている。それでも連絡網は生きていて、順番どおりに回っている。
少子化と統廃合が現実の問題になった二〇〇〇年代以降、この型は増えた。廃校になった学校の怪談というジャンル自体が拡大しているので、その一部と見ることもできる。連絡網は建物を必要としない。回線と、順番と、誰かの記憶だけあれば動く。だから校舎が消えても止まらない。この理屈が、案外きれいに通ってしまうのが厄介なところだ。
## 体験談を三つ、そのまま置いておく
ここからは、怪談としての完成度ではなく、生々しさで選んだ話を並べる。オチが弱いものもある。オチが弱いほうが本当らしい、というのは、この手の話を集めているとよく感じることだ。
### 五十代女性、昭和五十年代の小学校
うちの連絡網は、母が異様に嫌がっていた。理由は簡単で、うちの前が、母の苦手な人だったから。
連絡網の順番って、たいてい住所順か、通学班の並びで決まる。うちは団地の四階で、前の家は同じ階の別の棟。母同士が役員の件で揉めていて、口をきかない状態だった。それでも連絡網が回れば電話には出なくちゃいけない。母は電話が鳴るたびに、露骨に嫌な顔をして、事務的に「はい、うかがいました」とだけ言って切っていた。
小学四年の秋、台風で連絡が回ってきた。母は留守だった。私が出た。相手はその苦手な人のはずだったけど、出たのは知らない女の人だった。声が全然違う。若い声。内容だけ言って、切った。
母が帰ってきて、私が伝えたら、母は「あの人、そんな声じゃないでしょ」と言った。私はそう思った、と答えた。母はそのあと、確認のために掛け直した。掛けてすぐ、母の顔が変わった。「今、誰か出ました?」って聞いてた。それから「そう、じゃあいいです」って切って、私に、あんた寝なさい、って言った。
大人になってから母に聞いた。母は覚えていないと言った。でも、それを言うときの母の顔が、あの日と同じだった。
### 四十代男性、平成初期の中学校
俺のは、たいした話じゃない。ただ、いまだに説明がつかない。
中三の秋、実力テストの日程が変わるって連絡網が回った。夜の八時くらい。俺が受けて、次に回した。次は同じクラスの、あんまり話したことのないやつの家。掛けたら、そいつが出た。用件を言って、切った。
翌日、学校でそいつに会って、昨日は悪かったな、夜に、って言った。そいつは、何が、って顔をした。電話。昨日、俺が掛けたやつ。そいつは、掛かってきてないよ、って言った。
ここまでなら、ただの記憶違いだ。問題は、そのあと。俺が「じゃあ誰が出たんだよ」って言ったら、そいつが、真顔で、こう言った。
「お前んち、うちの次だろ」
俺は連絡網のプリントを持ってきて見せた。俺が先で、そいつが後ろ。印刷されてる。そいつは自分のを持ってきた。同じ紙。同じ印刷。そいつのプリントでも、俺が先で、そいつが後ろだった。
つまり、そいつの言い分は、紙と食い違ってた。それなのにそいつは、絶対に自分が先だと言い張った。中学生の意地の張り合いみたいになって、途中で担任が来て、うやむやになった。
卒業してからそいつとは会っていない。同窓会にも来ない。何年か前、別の同級生に、あいつどうしてる、って聞いたら、誰だそれ、って言われた。名前を出しても、みんな首をかしげた。俺のクラスに、そんなやつはいなかったことになってる。卒業アルバムを引っ張り出したけど、俺のクラスのページに、そいつはいた。ちゃんといた。名前も載ってる。
だから、たいした話じゃないんだ。写真も名前もあるんだから。ただ、覚えてるのが俺だけってだけで。
### 三十代女性、二〇〇〇年代の小学校、保護者の立場
うちの子が一年生のとき、まだ紙の連絡網があった学校でした。二〇〇八年か九年です。もう珍しいほうだったと思います。
四月にプリントが配られて、そこには全員の名前と電話番号が並んでいました。今考えるとすごい。番号は自宅の固定電話か携帯かを選べて、うちは携帯にしていました。
一学期の途中で、一度だけ回ってきました。プールの水質の問題で午後の授業を変更する、という内容。前の方から掛かってきて、私が受けて、次の方に掛けました。出ませんでした。留守電にもならない。呼び出し音が延々鳴るだけ。
三回掛けて、諦めて、その次の方に掛けました。事情を説明して、飛ばしましたと伝えて。それで終わり。
翌日、園庭で、飛ばした方のお母さんに会ったんです。昨日はすみません、お電話つながらなくて、と言ったら、その方が、変な顔をして、「昨日、お電話いただきましたよね」と言いました。
私は、いえ、つながらなかったので、と答えました。その方は、「主人が出たって言ってました」と言うんです。時間まで合っていました。私が掛けた時間と、一分と違わない。
そのご主人には結局会っていません。運動会にも来ていませんでした。単身赴任だったのか、離婚されていたのか、そういうことは聞ける雰囲気じゃなかったので、聞いていません。だからこの話は、ただそれだけです。でも私は、その日から、その番号には掛けていません。連絡網はその年度限りで廃止になって、翌年からメール配信になりました。正直、ほっとしました。
## 掲示板は何を面白がり、何にツッコんだか
この手の話がスレッドに投下されると、必ず同じ流れが起きる。まず「あるある」が来る。連絡網経験者が、自分のクラスの運用を語り出す。うちは班長が二人いた、うちは留守なら飛ばしていい決まりだった、うちは飛ばすと怒られた。この段階で、話が怪談から生活史に脱線する。
脱線したところに、考察組が入ってくる。この流れが、連絡網スレッドの定番だ。
最も多い考察は、電話交換のトラブル説だ。昔のアナログ交換機では、混線が実際に起きた。他人の通話が聞こえる、掛けたつもりのない相手に繋がる、といった現象は、都市伝説ではなく実際に報告されている。だから「名簿にない番号に繋がった」も「掛けても同じ家に戻る」も、交換機の不具合で説明できる、という主張。これはそこそこ強い。
強いのだが、限界もある。混線説では、相手が連絡網の内容を正確に復唱したことを説明できない。混線で偶然繋がった見知らぬ他人が、その日の担任の連絡文言を助詞まで一致させて言えるわけがない。この反証はスレッドでも必ず出る。すると混線説の側は、こう返す。連絡網の内容なんて毎回似たようなものだ、天気か行事か持ち物の話しかない、だから「復唱が一致した」という語り手の記憶のほうが後付けだ、と。
これは反論として筋が通っている。実際、連絡網で流れる情報は驚くほど定型的だった。臨時休校、始業時刻の変更、行事の順延、持ち物の変更、不審者情報。この五種類でほぼ全部だ。定型文の再現は、そう難しくない。
二つ目の考察は、印刷のミスと配布のズレ説。連絡網プリントは年度途中で何度も刷り直される。転入転出、電話番号の変更、班替え。刷り直すたびに、旧版と新版が家庭に混在する。だから「Aさんの紙とBさんの紙で並びが違う」は普通に起こる。輪の話も、二つの版が同時に走っただけで説明できる。
これも強い。ただしこの説では、九回掛かってきたうちの一回だけ声が息子だった、といった細部を切り捨てることになる。考察組はここで「細部は語りの装飾だから無視していい」と言い、怪談派は「細部こそが体験の核だ」と言う。この対立は、洒落怖の考察スレでは永遠に決着しない。
三つ目は、記憶の再構成説。心理学寄りの人が持ち出すやつだ。連絡網は緊張を伴う作業だった。子どもにとって、大人に電話を掛けるのは恐怖に近い。緊張下の記憶は歪みやすい。だから「相手が名乗る前に内容を知っていた」のは、自分が先に喋ったのを忘れているだけかもしれない。この説は反証しづらいぶん、話としてはつまらない。つまらないのだが、たぶんいちばん当たっている。
四つ目、そして意外と支持者が多いのが、いたずら説だ。当時、連絡網プリントには全員の電話番号が載っていた。つまり、クラス全員の番号を、クラス全員が持っていた。誰かがふざけて連絡網を先回りして掛けることは、技術的に完全に可能だった。深夜二時の着信も、同級生の悪ふざけで説明できる。
この説の面白いところは、話の怖さがまったく減らない点だ。深夜二時に電話を掛けてきたのが幽霊ではなく同級生だったとして、その同級生が毎週決まった時刻に、抑揚のない声で同じ文言を繰り返していたのだとしたら、それはそれで相当まずい。オカルトが人怖に横滑りするだけで、怖さは温存される。連絡網怪談が人怖まとめにも怪談まとめにも収録されるのは、この両義性のせいだ。
SNSの時代になってからは、反応の質が変わった。長文の考察が減って、短い共感が増えた。連絡網という言葉自体が懐かしワードとして機能するので、怪談として投下されても「連絡網懐かしい」で流れていく。これは怪談の伝播にとっては逆風で、洒落怖のような長編が育つ土壌が失われたという指摘とも重なる。オカルト板の利用者そのものが減った、という現状認識は、この十年ほど繰り返し語られている。
## ところで、連絡網って実際どういう紙だったのか
ここからは実物の話をする。怪談を面白がるには、装置の仕様を知っておいたほうがいい。
連絡網は、A4かB5の紙一枚だった。年度はじめ、四月の第一週か第二週に配られる。学級だより、集金袋、給食だより、保健調査票、そういうものと一緒にランドセルに突っ込まれて帰ってくる。
紙面の構成は、たいてい上に担任の名前と自宅の電話番号。担任の自宅番号が載っていた、というのが今から見ると最初の衝撃ポイントだと思う。教員が自宅の番号を保護者全員に開示するのが当たり前だった。その下に、班ごとの縦の列。各列の上から順に、児童の氏名、保護者の氏名、そして電話番号。学校や年代によっては住所まで入っていた。矢印が上から下へ引かれ、最後の枠から担任へ戻る矢印が引かれている。
つまり、この紙一枚で、クラス三十数人の家庭の連絡先が完全に把握できた。しかも家庭数ぶん配られるから、三十数部が地域に散らばる。これを今やったら、たぶん一日で炎上する。
班分けの基準は学校差が大きいが、多かったのは通学班や地区班との対応だ。同じ方角に住んでいる子をまとめる。理由は実務的で、万一電話が繋がらないときに、走って伝えに行けるからだ。実際、連絡網の運用マニュアルには「電話が通じない場合は直接訪問」と書かれていることがあった。今の感覚だと考えられないが、当時はそれが合理的だった。
順番の決め方は、出席番号順、五十音順、住所順、班長を先頭にした任意順など。ただし、必ず先頭が決まっていた。班長ないし連絡網の一番目は、たいてい「家に必ず誰かがいる家庭」が選ばれた。専業主婦が多かった時代の話だ。共働きが増えるにつれて、この前提が崩れていく。
## 「一巡しました」という報告が、この装置の心臓だった
連絡網でいちばん儀式的なのが、終端の折り返しだ。
最後の人まで情報が届いたら、その人が担任に電話して、「連絡網が最後まで回りました」と報告する。これで一巡が完了する。担任は時計を見て、回るのに何分かかったかを記録することもあった。
この折り返しがあることで、連絡網は単なる伝言ゲームではなく、完了確認つきのプロトコルになる。どこかで止まれば折り返しが来ないので、担任は異常を検知できる。検知したら、下流に直接掛けて復旧する。冗長化と再送制御が、紙と黒電話で実装されていたわけだ。
留守だった場合の作法も決まっていた。基本は、次の家に飛ばす。飛ばしたら、飛ばされた家に後で伝わるよう、誰かが責任を持って掛け直す。うちは常に留守だから先生が直接掛けます、と決められている家庭もあった。こういう例外は、口頭で共有されるか、プリントに小さく注記される。
そして、時間帯のマナー。夜は九時まで、遅くとも十時まで。それを過ぎたら翌朝に回す。緊急でない連絡を夜遅くに回すと苦情が来る。逆に、早朝の連絡は六時前には掛けない。この暗黙のルールが、深夜二時の着信という型に効いてくる。あり得ない時刻に連絡網が回るというだけで、当時の人間には十分に異常だった。
## 二〇〇五年四月一日、装置は静かに壊れはじめた
連絡網が消えた理由は、はっきりしている。個人情報保護法だ。
個人情報の保護に関する法律は、二〇〇三年五月二十三日に成立し、同年五月三十日に公布された。全面施行は二〇〇五年四月一日。この日を境に、学校現場の空気が変わった。
法律そのものが名簿を禁じたわけではない。禁じていない。児童や保護者の氏名と連絡先は個人情報にあたり、それを第三者に提供するには原則として本人、未成年なら保護者の同意が要る、というのが基本構造だ。だから、あらかじめ利用目的を示して同意を取れば、連絡網は作れる。個人情報保護委員会も、学校やPTA、自治会が本人から書面で得た情報で名簿を作り配布することは、手続きを踏めば可能だという整理を示している。
問題は、全員から同意が取れないことだった。三十五人のクラスで、一人でも「載せないでほしい」と言えば、その一人を抜いた連絡網ができる。抜いた人には別途、担任が直接掛ける。二人抜けたら二人に掛ける。五人抜けたら、もう連絡網の意味がない。バケツリレー方式は、全員参加を前提にしてはじめて成立する仕組みだった。一人抜けた時点で、装置としての効率が崩れる。
さらに現場を萎縮させたのが、いわゆる過剰反応だ。二〇一一年三月にまとめられた個人情報保護に関する過剰反応の実態調査では、学校の連絡網が作成されずPTAが対応に苦慮している事例や、学級名簿が作れなくなったという相談が、複数の自治体から報告されている。法律は作れると言っているのに、現場は作らない方向に倒れた。トラブルが起きたときに責任を負うのが怖いからだ。作らなければ漏れない。この判断は、担当者個人としては完全に合理的だった。
二〇一七年五月三十日に施行された改正では、五千人以下の個人情報しか扱わない事業者を適用除外にしていた規定が撤廃された。これでPTAや同窓会、町内会といった小規模団体も、明確に個人情報取扱事業者になった。名簿作りのハードルはさらに上がった。二〇二〇年の改正、二〇二二年の施行では、行政機関や地方公共団体の規定が法に統合され、制度全体が一本化されている。
紙の名簿を取り巻く環境も同時に変わった。人名別の電話帳であるハローページは、二〇二〇年六月十八日に発行終了が発表され、二〇二一年十月以降の発行分をもって幕を閉じた。理由として挙げられたのは、通信手段の多様化と、個人情報保護意識の高まりだ。かつては掲載が当たり前で、載っていない家のほうが説明を要した。その常識が、百三十年あまりの歴史ごと畳まれた。
クラス名簿については、今も学校差が大きい。配る学校もあれば、配らない学校もある。教室の前に名前だけ掲示する、アプリでのみ配信する、いったん配って回収する、といった折衷案も現場では取られている。写真に撮られてメッセージアプリで回るのを恐れて配らない、という判断も珍しくない。
## メールになり、アプリになり、そして誰も次に回さなくなった
連絡網の後継は、一斉配信だ。
二〇〇〇年代半ばから、学校向けのメール配信システムが急速に広がった。保護者が自分でメールアドレスを登録し、学校が一斉に送る。学校側が個人情報を保持しないタイプのサービスも登場した。無料の学校連絡網サービスは、全国で一万四千を超える学校や施設、二百五十万人以上の保護者が使うという規模にまで育っている。
一斉配信は、連絡網の欠点を全部つぶした。時間がかからない。伝言ゲームによる内容の変質がない。留守で止まらない。誰が既読かも取れる。夜中でも送れる。個人情報を他の保護者に開示しなくて済む。
同時に、失われたものもある。
まず、順番が消えた。全員が同時に受け取るので、前も後ろもない。誰かから聞いて誰かに伝えるという関係が消え、学校と各家庭が放射状に一対一で結ばれる形に変わった。連絡網はネットワークだったが、一斉配信はスターだ。
次に、完了確認の主体が変わった。かつては最後の人が「一巡しました」と報告した。人間が完了を宣言していた。今はシステムが開封率を出す。人が確認する行為ではなくなった。
そして、声が消えた。連絡網は、年に数回、隣の家の大人と直接声を交わす機会でもあった。用件だけの短い通話だが、それでも声だ。保護者同士がお互いの声を知っている状態が、地域には確かにあった。
災害時の備えは、別立てで整備が進んだ。災害用伝言ダイヤルの一七一は、被災地の電話番号をキーに伝言を録音再生できる仕組みで、毎月一日や十五日、防災週間や正月三が日などに体験利用ができる。東京都は災害時の児童生徒の安否確認ハンドブックを作り、書き込み式のマニュアルや文例、訓練の実施例を配布している。学校と保護者のあいだの安否確認は、いまや紙一枚の連絡網ではなく、複数手段の重ね合わせで設計されている。緊急速報メールのように、登録なしで一斉に鳴るチャンネルもある。
それでも、地域には連絡網が残っている。自治会や町内会、消防団、自主防災組織。回覧板と同じで、順番に回す仕組みは完全には死んでいない。デジタル回覧板を導入する自治体も出ているが、高齢者の多い地域では紙と電話が現役だ。順番に回すという行為は、非効率だが、途中で誰かの安否を確認できるという副次効果がある。あの家、返事がないな、が意味を持つ。一斉配信には、これができない。
## 順番があること、戻れないこと、自分の次に誰かいること
なぜ連絡網の形式が怖いのか。三つに分けて考えたい。
一つ目、順番。連絡網には前と後ろがある。前がいて、後ろがいる。この位置関係が固定されていることが、恐怖の土台になる。異常が起きたとき、それがどこで発生したのかを人は特定したくなる。前の家か、その前か、もっと上流か。上流をたどっていくと、最後は担任に行き着く。担任のさらに上流には誰もいない。行き止まりがある構造は、追跡の欲望を掻き立てておいて、必ず途中で裏切る。
二つ目、不可逆。連絡網は一方向にしか流れない。受け取った情報を前に返すことはできない。訂正が入っても、それは新しい連絡として、また上から流し直すしかない。この不可逆性が、怪異と相性がいい。一度回してしまったものは取り消せない。呪いの構造と同じだ。
不幸の手紙を思い出してほしい。一九六〇年代後半から七〇年代にかけて日本を席巻したあの紙も、受け取ったら誰かに送らなければならない、という一方向の連鎖だった。研究では一九七〇年秋頃から流行が始まったとされ、同年十一月には全国に広がった。当時の調査では回答者の七割以上が存在を認知し、実際に受け取った人のうち、指示どおり送った者が二割近くいた。破り捨てた人が約半数。残りは、どうしたらいいかわからないまま抱え込んだ。
不幸の手紙のさらに前身は、一九二〇年代に流行した幸運の手紙だ。送れば幸運が訪れる、連鎖を断てば不幸になる。同じ構造の裏表でしかない。警視庁は迷信的内容だから脅迫罪に問えないと困惑し、郵便局は受け取り拒否の制度で対応した。差出人不明として処分する運用まで作られている。国家の側が、連鎖を断ち切るためのプロトコルを整備したわけだ。
一九九〇年代後半、この連鎖は電子メールと携帯電話に移った。不幸のメールと呼ばれ、転送を強要する文面が中高生のあいだを走り回った。二〇〇〇年代には携帯メールが主戦場になり、いまも十年以上前の文面が形を変えて出回っている例が報道されている。媒体が変わっても、連鎖は死なない。
連絡網怪談は、この連鎖恐怖の系譜に属している。ただし決定的な違いがある。不幸の手紙は個人の選択で断てる。破って捨てればいい。連絡網は断てない。断つと現実の実害が出る。友達が明日、休校の日に登校してしまう。ここが、連絡網怪談を他の連鎖ものより一段怖くしている。逃げ道が塞がれている。
三つ目、自分の次に誰かがいること。これが本丸だ。
連絡網の参加者は、常に「次」を意識している。受けている最中から、次に何と言うかを組み立てている。つまり、情報を受けている自分は、同時に、これから加害する側の自分でもある。異常な情報を受け取ったとき、その異常を次に渡すか渡さないかの判断が、自分に委ねられる。渡せば共犯になる。渡さなければ職務放棄になる。
怪談は普通、主人公を受動的な位置に置く。見てしまった、聞いてしまった、入ってしまった。連絡網怪談だけは、主人公に能動的な行為を要求する。掛けなければならない。この一手間が、読者の身体をこわばらせる。
そして、次の人の顔がわかっている。名前も知っている。同じ教室にいる。明日会う。抽象的な「誰か」ではなく、具体的なあの子だ。自分が回したせいで何かが起きたら、その責任は明日の教室で回収される。学校怪談としての連絡網が優れているのは、恐怖の帰結が翌日の日常に接続している点にある。
## なぜこの型は、消えた装置なのに死なないのか
普通、道具が消えれば、その道具の怪談も消える。二宮金次郎像が撤去されれば、二宮金次郎が走る話は減る。実際、公衆電話が減れば公衆電話の怪談も減る。
ところが連絡網怪談は、装置が現役を退いたあとのほうが流通量が多い。理由を考えてみた。
一つは、経験者の年齢層だ。連絡網を実際に運用していた世代は、いま三十代から六十代。ネットで長文を書き、まとめサイトを読み、SNSで昔話をする層と、きれいに重なる。装置が現役だった頃の子どもたちが、いま書き手になっている。だから話が供給され続ける。
二つ目は、消えたことそれ自体が話の栄養になっている点だ。「今はもうない仕組み」という枕がつくだけで、話に時代の膜がかかる。読み手は、その膜を通して見ることになる。あの頃は全員の電話番号が載った紙が配られていた、という前提を説明されると、それだけで異界の話に聞こえる。実話であるほど、実話に聞こえなくなる。この転倒が、連絡網怪談を強くしている。
三つ目、名簿という物体への畏れが、この二十年で明確に育ったこと。かつて名簿は便利な紙だった。今は、扱いを間違えれば人生が終わりかねない爆発物だ。学校が名簿を配らなくなり、電話帳から個人名が消え、卒業アルバムから住所が消えた。名簿は隠すもの、という規範が社会に定着した。
規範が生まれると、その規範を破る想像が怪談になる。隠されるべきものが露出している、という状況が、それだけで異常のサインになる。名簿にない番号が載っている、という設定が今の読者に効くのは、名簿への感度が上がったからだ。三十年前の子どもには、この怖さは伝わりにくかったはずだ。番号が載っているのは当たり前だったのだから。
四つ目、代替手段の側に不安が移動していること。一斉配信は速いが、届かなかったときに気づく人がいない。連絡網は、途中で止まれば折り返しが来ないので、必ず誰かが気づいた。今は、システムが送ったつもりで、実は届いていない、という事故がありうる。迷惑メールに振り分けられる、アドレスを変えて登録し直していない、通知を切っている。この「静かな不達」への漠然とした不安が、連絡網怪談の受け皿になっている。
現代版の連絡網怪談は、だから、届かないことより「届いてしまうこと」を扱う。登録していないはずのアドレスに配信が来る。退会したのに届く。子どもが卒業したのに届く。学校が統廃合で消えたのに届く。装置が変わっても、話の核は変わっていない。順番が、あるいは宛先が、勝手に一人ぶん増えている。それだけの話を、私たちは何十年も飽きずに語り継いでいる。
## 過剰と欠落――七つの話は、結局その二つだった
ここまで書いてきて、最後に整理しておきたいことがいくつかある。
まず、この記事で扱った七つの型は、実のところ二つの原理に還元できる。過剰と欠落だ。名簿にない番号、増える一行、九回掛かってくる電話、これらは過剰。途切れる班、空白のままの転校生の欄、消えた同級生、これらは欠落。連絡網という装置は、参加者の数が厳密に決まっている閉じたリストなので、一つ増えても一つ減っても即座に異常として検出される。この検出可能性の高さが、話を成立させる。
比較のために考えてみてほしい。学校の廊下に人が一人多くても、誰も気づかない。校庭に一人多くても気づかない。ところが、連絡網は三十五人と決まっている。三十六人目がいたら、それは絶対におかしい。閉じたリストは、怪異にとって最高の舞台装置なのだ。集合写真の人数が一人多い、という古典的な型と同じ原理が働いている。
ここから一歩踏み込むと、連絡網怪談は日本社会の「数え上げ」への信仰を扱った話でもある。出席番号、点呼、名簿順、班分け。学校という場所は、子どもを数え続ける施設だ。朝の会で数え、給食で数え、下校で数え、行事のたびに数える。数が合わないことは、学校において最大級の異常事態である。連絡網の怪談が教師視点でも成立するのは、教師こそが数える主体だからだ。折り返しが来ないという事態は、教師にとって「数が合わない」の別名にほかならない。
次に、この型が持つ音の構造について。連絡網怪談は、視覚的な描写がほとんどない。幽霊の姿は出てこないし、血も出ない。あるのは、呼び出し音と、声と、無音だけだ。この音への偏りは、電話という媒体の必然でもあるが、それ以上に、恐怖の設計として洗練されている。
呼び出し音は待つ時間を作る。二回、三回、四回。この待ちが緊張を溜める。声は正体を曖昧にする。顔が見えないから、誰であってもよくなる。そして無音。切れる音がしない、という描写が繰り返し出てくるのは偶然ではない。通話が終わったのか続いているのか判断できない状態は、日常の電話でもっとも不快な瞬間だ。連絡網怪談の語り手は、経験的にこの三点を押さえている。だから短い話でもきちんと怖い。
さらに掘ると、この怪談群には、明確な世代的な痛みが埋め込まれている。
連絡網を回すのは、多くの場合、子どもだった。親が仕事や家事で手を離せないとき、掛けるのは子どもの役目になる。小学生が、知らない大人の家に電話を掛ける。名乗って、用件を正確に伝えて、復唱してもらって、切る。これは子どもにとって、かなりの負荷がかかる社会的訓練だった。今にして思えば、あれは大人になるための練習だった。
同時に、連絡網は家庭の事情を可視化する装置でもあった。いつ掛けても出ない家、掛けると必ず祖父母が出る家、番号が途中で変わった家、そもそも載っていない家。子どもは連絡網を通じて、同級生の家庭に濃淡があることを知る。誰の親が働いているか、誰の家が何時に人がいるのか。プライバシーという概念が薄かった時代、その情報は紙一枚で共有されていた。
だから連絡網怪談の「掛けても出ない家」は、単なる怪異ではない。当時の子どもが確かに感じていた、あの家には何かある、という感触の記憶だ。実際には親が夜勤だったとか、家庭の事情があったとか、そういう散文的な理由だったのだろう。子どもにはそれがわからない。わからないまま、呼び出し音を数えていた。その記憶が、大人になってから怪談の形を取って出てくる。
そう考えると、この型が繰り返し語られる理由も見えてくる。連絡網怪談は、失われた地域社会への郷愁と、その社会が持っていた息苦しさの、両方を同時に扱える器なのだ。全員の電話番号が載った紙が配られる社会は、温かいと言えば温かい。監視的だと言えば監視的だ。この両義性を、怪談は判定せずに保存できる。論説なら、良かったか悪かったかを言わなければならない。怪談にはその義務がない。
制度史の側からもう一度確認しておくと、連絡網が消えた過程は、単純な「規制のせいで不便になった」話ではない。二〇〇三年に成立し二〇〇五年に全面施行された個人情報保護法は、名簿の作成を禁じていない。同意を取れば作れる。作れるのに作られなくなったのは、同意を取るコストと、事故が起きたときの責任を、現場が引き受けられなくなったからだ。
このコスト計算は、二〇一七年の改正で小規模団体の適用除外がなくなったことで、さらに厳しくなった。PTAも同窓会も自治会も、名簿を作る以上は個人情報取扱事業者としての義務を負う。利用目的を明示し、安全管理措置を講じ、第三者提供の記録を残す。ボランティアで役員をやっている保護者に、これを完全に運用しろというのは、正直きつい。
だから、消えたのは連絡網だけではない。連絡網を成立させていた前提が消えた。全員が同じ紙を持ち、全員が同意し、全員が家にいて、全員が固定電話を引いていて、その番号が電話帳にも載っている。この前提のうち、どれ一つとして今は残っていない。ハローページが人名別電話帳としての百三十年あまりの歴史を終えたのは、その総仕上げのようなものだった。
置き換えた仕組みが劣っているとは思わない。一斉配信は明確に優れている。災害時の安否確認も、伝言ダイヤルの一七一や、書き込み式の安否確認ハンドブック、緊急速報の仕組みなどによって、紙の連絡網より遥かに堅牢になった。学校からの連絡が、深夜だろうと台風のさなかだろうと、数秒で全家庭に届く。これは進歩だ。
ただ、進歩と引き換えに手放したものが一つある。連絡網には、途中に人がいた。人がいるということは、そこで一度、情報が誰かの口を通るということだ。口を通るとき、情報にはノイズが乗る。ノイズが乗るということは、変質しうるということで、変質しうるということは、そこに何かが紛れ込みうるということだ。
怪談が育つのは、この隙間だ。人と人のあいだ、受話器と受話器のあいだ、名前と名前のあいだ。一斉配信のシステムには、この隙間がない。サーバーから各端末へ、まっすぐ届く。誰の口も通らない。だから、新しい怪談が生まれにくい。
それでも生まれてしまうのが人間の面白いところで、現代の連絡網怪談は、隙間のなさそのものを怖がる方向に進化しはじめている。誰も回していないのに届く。誰も送っていないのに届く。送信元が学校ではない。配信システムのログに残っていない。かつては「誰かが介在している」ことが怖かったのに、今は「誰も介在していない」ことが怖い。恐怖の対象がきれいに反転している。
最後に、この記事を書きながらずっと引っかかっていたことを書いておく。
連絡網怪談の主人公は、ほぼ例外なく、律儀な人間だ。夜中に鳴った電話をわざわざ取りに行く。知らない番号にちゃんと掛ける。飛ばした家に後で謝りに行く。担任に折り返す。名簿に書き込まれた番号を無視しない。誰かがサボっていれば、話は成立しないのだ。
つまりこの怪談群は、規律を守る人間ほど深くまで連れて行かれる、という構造をしている。ずるい人は助かる。真面目な人は巻き込まれる。これは、学校という制度に対するかなり辛辣な批評でもある。子どもたちが自分たちで語り継いだ話が、そういう形をしているというのは、なかなか示唆的だと思う。
だからもし、あなたの家の電話が、今夜、鳴ったとして。相手が名乗らずに、明日の予定を淡々と読み上げて、次の方にお回しくださいと言ったとして。
回すか回さないかは、あなたが決めていい。ただ、一つだけ覚えておいてほしい。この装置には、必ず終端がある。最後の人は担任に折り返す。折り返しが来なければ、担任は下流に直接掛け直す。
つまり、あなたが回さなくても、その連絡は、いずれあなたの次の人のところに届く。誰が掛けたのか、わからないまま。
