十月に入ると、体育館の空気が変わる。バスケットゴールが天井に畳まれ、ラインテープの上に平台が並び、赤い緞帳の裏側に段ボールの城が立つ。あの一か月だけ、学校の体育館は劇場になる。そして劇場になったとたん、そこは怪談の巣になる。
学芸会。あるいは学習発表会。地域によっては文化発表会とか、児童発表会とか、いろんな名前で呼ばれてきた行事だ。呼び方は違っても、やることはだいたい同じ。学年ごとに劇をやって、保護者が観にきて、ビデオを回して、終わったら片付ける。それだけの話なのに、この行事にまつわる怪談は妙に多い。しかも他の学校怪談と毛色が違う。トイレの花子さんみたいに「呼ぶと出る」のではないし、二宮金次郎像みたいに「夜になると歩く」のでもない。学芸会の怪談は、昼間の、明るい、保護者が大勢いる、あの一日のなかで起きる。
理由ははっきりしている。この行事だけは、子どもが「自分ではない誰か」になる行事だからだ。名前を捨てて、役の名前で呼ばれる。台詞をもらう。立ち位置を決められる。決められた瞬間に立って、決められた台詞を言い、決められた場所へはける。ふだんの学校生活で、あんなにきっちり「入れ替わり」を制度としてやる時間は他にない。そこに一人分の隙間ができたら、何かが入ってくる。学芸会の怪談は、全部そこから生えている。
この記事では、体育館の舞台で語られてきた話を一本にまとめる。配役が決まらない役の話。代役に立った子の話。台本にない台詞を言い出す子の話。幕が独りでに閉まる話。舞台袖に立っている知らない子の話。照明が一人だけを追う話。ビデオにだけ写る人物の話。そして、演目そのものが呪われているという噂。最後に、この行事が明治からどう変わってきたのかと、なぜこの話が広まったのかまで踏み込む。長い。覚悟してほしい。
体育館が「劇場」になる二週間
先に舞台まわりの話をしておく。ここを押さえておかないと、あとの話が半分しか怖くならない。
学校の体育館の舞台には、たいてい正面に緞帳がある。舞台を客席から隠すための、あの重い幕だ。手前に緞帳、その奥に引き割り幕、両脇に袖幕、いちばん奥にホリゾント幕。舞台の浅い体育館だと中引幕で場面を割る。上には吊りバトンが渡してあって、照明器具や大道具を吊る。動かし方は学校によってばらばらで、電動巻上機のところもあれば、手動のウインチのところもあるし、いちばん古いタイプだと舞台袖でロープを引っぱる。この「ロープを引っぱる」タイプが、後で出てくる話の主役になる。
照明もそう。プロの劇場みたいな設備は普通ない。ボーダーライトが何列か、サスペンションライトが何灯か、あとはピンスポットが一台か二台。ピンスポは舞台袖の高いところか、二階のギャラリーから当てる。調光卓は放送室にあることが多くて、そこを先生か放送委員の子が操作する。つまり、舞台上の子どもたちから見ると、光の出どころは暗くて見えない。誰が当てているかわからない光が、自分だけを照らす。この構造がそのまま怪談の材料になる。
音もやばい。体育館というのは音響的にはかなり難しい箱で、天井が高くて硬い面ばかりだから残響がやたら長い。マイクを使うとハウリングするし、生声だと後ろまで届かない。だから学芸会の練習では「もっと大きな声で」が延々くり返される。そして残響が長いということは、自分の声が遅れて返ってくるということだ。舞台の上で台詞を言うと、一拍遅れて自分の声が天井から降ってくる。他人が言ったみたいに聞こえる瞬間が、必ずある。これを子どものころに体験した人は多いはずだ。
さらに、客席が暗い。体育館の窓に暗幕を張ると、日中でも客席側は薄暗くなる。舞台の上は照明で明るいから、演者からは客席がほとんど見えない。真っ黒な壁に向かって喋っている感じになる。そこに三百人だか四百人だかが座って、こっちを見ている。見られているのはわかるのに、誰が見ているかはわからない。学芸会の怪談で「客席のいちばん後ろに立っていた」という型が異様に多いのは、この視覚条件が原因だと思う。
そして舞台袖。ここが一番の魔所だ。袖幕の裏は、本番中は真っ暗にする。次の出番の子が並んで待っていて、小道具係が道具を持って控えていて、先生が指示を出している。狭い、暗い、人が多い、みんな緊張している、そして全員が「自分ではない誰か」の格好をしている。人数を数えても正確に数えられる状況じゃない。ここに一人多くいても、たぶん誰も気づかない。
第一話 配役の決まらない役――「村人ろく」の話
いちばんよく聞く型から始める。関東の複数の地域で似た形が語られていて、細部だけが入れ替わる。ここでは通しで再話する。
四年生の学芸会で、そのクラスは「かさじぞう」をやることになった。担任が持ってきた台本は、市販のものを学校用に書き直したやつで、役の数がクラスの人数ぴったりに調整されていた。おじいさん、おばあさん、地蔵が六体、村人が何人か、それと語り手。よくある構成だ。
配役決めは学級会の時間にやった。やりたい役に手を挙げて、かぶったらじゃんけん。おじいさん役とおばあさん役は最初に決まった。地蔵は六人。これは動かないだけの役だから人気がなくて、じゃんけんに負けた子が順番に入った。語り手は声の大きい子。ここまでは順調だった。
問題は村人だった。台本には村人が「甲、乙、丙」まで名前がついていて、あとは「村人その他」でまとめられている。担任はプリントを配って、村人の欄に自分の名前を書かせた。書けた子から黒板に貼っていく。全員貼り終わって、担任が数えたら、一人分あまった。
村人の欄が七つあるのに、書かれた名前は六つ。クラスの人数は三十二人で、役の総数も三十二。計算は合っているはずなのに、村人の欄がひとつ空いている。
担任は最初、誰かが休んでいると思った。でもその日は全員出席だった。じゃあ誰かが二役やってるんじゃないかと思って、名簿と照らし合わせた。全員一つずつ役を持っていた。じゃあ役の数が一つ多いんだろうと、台本を数え直した。台本の役は三十二。クラスも三十二。合っている。なのに、黒板の上では一つ空いている。
「まあ、村人は増やしても減らしてもいいから」と担任は言って、その欄を消した。消して、三十一の役を三十二人でやることにした。つまり誰か一人が余る。それも変な話なんだけど、そのときは誰も突っ込まなかった。担任は余った子を「小道具係もやる村人」ということにして、話を終わらせた。
練習が始まって、二週間くらい経ったころ。放課後の体育館で通し稽古をしていたときに、地蔵役の子が変なことを言い出した。地蔵は舞台の上手側に六体並んで、笠をかぶせられるまでずっと動かない。目も開けたままで、瞬きも我慢する。その子が言うには、「地蔵、七体いる」。
もちろん地蔵役は六人しかいない。並んでいるのを数えても六人。でもその子は、自分の左隣にもう一体いる感じがずっとする、と言った。左端は自分のはずなのに、左からも息が聞こえる、と。担任は「集中しすぎだよ」と笑って、その日はそれで終わった。
次の週、今度は語り手の子が言い出した。台詞の頭を出すタイミングで、いつも誰かが先に言い始める。ワンテンポ早く、小さい声で。「むかしむかし、あるところに」の「む」だけが、自分より先に聞こえる。舞台の残響のせいだと担任は説明した。実際、体育館の残響は長いから、そういうことは起きうる。でも残響なら「後から」聞こえるはずで、「先に」聞こえるのはおかしい。誰も口には出さなかったけど、みんなそう思った。
本番の前日、体育館リハーサルがあった。全学年が順番に舞台に上がって、通しでやる。照明も音響もつけて、本番と同じ流れでやる日だ。かさじぞうの番が来て、緞帳が上がって、雪の場面から始まった。
途中まで問題なく進んだ。おじいさんが笠を売りに行って、売れなくて、帰り道で地蔵に笠をかぶせる。地蔵役の子たちが順番に笠をかぶせられる。六体。そこまでは台本どおりだった。
ところが、村人が出てくる場面で止まった。村人役の子たちが下手から出てきて、横一列に並ぶ。並んだところで担任が客席から「ちょっと待って」と声をかけた。人数が合わない、と。
担任が数えたら、村人が七人いた。
台本から一つ消したはずの村人が、七人並んでいた。担任は舞台に上がって、一人ずつ名前を確認した。全員、村人役の子だった。誰も余分にいなかった。もう一度数えたら六人だった。
「見間違いだ」と担任は言った。言ったんだけど、そのあと舞台の上でしばらく黙って立っていたらしい。何かを考えていた。
本番当日。かさじぞうの上演は問題なく終わった。地蔵は六体、村人は六人、拍手も普通に起きた。何も起きなかった。
起きたのは、その週の終わりだった。学校が学芸会の記録用に撮っていたビデオを、学級だよりの作成のために担任が見返していた。かさじぞうの村人が並ぶ場面で、担任は画面を止めた。
七人いた。
上手の端に、笠をかぶった小さい子が一人、村人の列に混じって立っていた。衣装は村人と同じ、灰色の着物。顔は笠の影に隠れて見えない。他の村人と同じタイミングで頭を下げて、同じタイミングで下がっていく。動きが完全に合っている。
担任は誰にも言わなかった。ビデオは学年で共有される予定だったけど、その場面だけ編集で切って渡した。そういう話。
この話には結末が二種類ある。「担任が黙って処理してそれっきり」で終わる型と、「その子が翌年も別の学年のビデオに写る」型だ。後者だと、翌年は白雪姫の小人の列に、その翌年は赤鬼の村人の列に、毎年一人ずつ増えている。学芸会のたびに、余った役に誰かが入る。そういう終わり方をする。
第二話 代役――赤鬼のお面をかぶった子
二つめは、演目が「ないた赤おに」のときによく語られる型。浜田廣介の童話で、初出は一九三三年、単行本は一九三五年。教科書にも長く載っていたから、学芸会の演目としては超がつく定番だ。赤鬼と青鬼と村人が出てきて、最後に青鬼が置き手紙を残して去る。子どもが泣くやつ。
その学校では、六年生が「ないた赤おに」をやることになっていた。小学校最後の学芸会だから、担任も子どもたちも気合いが入っていた。台本はオリジナルで、担任が書き足して上演時間を二十五分くらいにしていた。
主役の赤鬼は、オーディションで決まった。希望者が三人いて、台詞の一部を読ませて、学年の先生三人で選んだ。選ばれたのは、それまで目立つ役をやったことのない子だった。声が通るわけでも、演技が上手いわけでもなかったけど、最後の泣く場面の読み方が良かったという理由で決まった。
その子が本番の四日前に休んだ。インフルエンザだった。
学芸会は延期できない。会場も、保護者への通知も、他の学年の進行も、全部固まっている。担任は代役を立てることにした。オーディションで二番手だった子に頼んだ。その子は「やる」と言った。
ここからが話の本体になる。
代役の子は、赤鬼の台詞を三日で覚えた。もともとオーディションを受けているから、頭には入っていた。動きも一日で入れた。周りの子たちも合わせてくれた。前日のリハーサルは、驚くほどうまくいった。担任は「これならいける」と思った。
ただ一つだけ、おかしなことがあった。赤鬼のお面だ。
赤鬼の役は、紙粘土で作った大きなお面をかぶる。図工の時間に作ったやつで、もともとの主役の子のサイズに合わせて作られていた。代役の子は頭のサイズが違うから、当然合わない。ゴム紐を調整して、内側に布を詰めて、なんとかかぶれるようにした。
リハーサルのあと、代役の子が担任に言った。「お面、かぶってると、自分の声じゃない声が聞こえる」。
担任は、お面をかぶると自分の声がこもって違って聞こえるものだ、と説明した。実際そうだ。紙粘土のお面の内側は反響する。自分の声が耳の近くで返ってくるから、他人の声みたいに聞こえる。理屈としては完全に説明がつく。
でも代役の子が言っていたのは、そういうことではなかった。「自分が喋ってないときにも聞こえる」と言ったのだ。
本番当日。「ないた赤おに」は午後の部の二番目だった。緞帳が上がって、赤鬼が一人で立っている場面から始まる。代役の子は、ちゃんと立っていた。第一声も出た。序盤は完璧だった。
異変が起きたのは、中盤の、青鬼が村を襲う作戦を提案する場面だった。
台本ではこうなっている。青鬼が「ぼくが村で暴れる。きみがぼくを退治する。そうすれば村人はきみを信じる」と言う。赤鬼は「そんなことをしたら、きみが悪者になってしまう」と返す。ここで少し押し問答があって、最後に赤鬼が折れる。
代役の子は、「そんなことをしたら、きみが悪者になってしまう」と言った。ここまでは台本どおり。
そのあとに、続けてこう言った。
「ぼくが、かわりに、いくよ」
台本にない台詞だった。
青鬼役の子は固まった。次の台詞が出てこない。舞台袖の担任も固まった。客席の保護者は、たぶん誰も気づいていない。台詞が一つ増えただけだから、話の流れとしては不自然じゃない。むしろ自然に聞こえる。
青鬼役の子が、なんとか自分の台詞に戻した。「だいじょうぶだ、ぼくにまかせて」。そこから先は台本どおりに進んで、劇は無事に終わった。最後の、赤鬼が置き手紙を読んで泣く場面では、客席からすすり泣きが聞こえたという。
終わったあと、担任が代役の子に聞いた。「あそこ、なんて言った?」
その子は「言ってない」と答えた。
言ってないというのは、覚えていないという意味ではなくて、「自分は口を動かしていない」という意味だった。お面の中で、自分の声じゃない声が喋った、と。
その子はそのあと泣き出して、しばらく舞台袖から動けなかった。担任は本人が緊張しすぎておかしくなっていると判断して、保健室に連れて行った。
翌週、インフルエンザで休んでいたもともとの主役の子が登校してきた。学芸会に出られなかったことを気にしていたので、担任はビデオを見せた。その子は最後まで黙って見て、見終わってからこう言った。
「ぼく、あそこで『ぼくがかわりにいくよ』って言うつもりだったんだ」
台本にない台詞を、自分で足そうと思っていた、と。練習のときに一回だけ言ってみて、担任に「台本どおりにやろう」と言われて引っ込めた。だから誰にも言っていない。代役の子が知っているはずのない台詞だった。
この話の変異型はいくつかある。演目が白雪姫だと、代役が入るのは王子ではなく毒りんごを渡す魔女で、増える台詞は「あなたはだれ」になる。ごんぎつねだと、代役は兵十で、「おまえだったのか」の前に一言増える。共通しているのは、代役に立った子が、本来やるはずだった子しか知らない何かを口にする、という一点だ。
第三話 録画にだけいた子――閉幕後のビデオの話
三つめ。これは平成に入って、家庭用ビデオカメラが普及してから語られるようになった型で、時代がはっきりしている。学芸会をビデオで撮るのが当たり前になった時期と、この怪談が増えた時期はきれいに重なる。
学芸会の日、体育館の後方には撮影エリアが設けられる。三脚を立てていい場所と立ててはいけない場所が決められていて、保護者はそこに並ぶ。この配置自体が、怪談の舞台装置として優秀だ。カメラが何台も並んで、全部が同じ舞台を撮っている。同じものを撮っているのに、一台にだけ映るものがある、という構図が作れる。
その年、三年生が上演したのは「三年とうげ」だった。国語の教科書に載っている朝鮮の民話で、峠で転ぶと三年しか生きられない、という話だ。教材と劇をつなげる学習発表会らしい演目で、実際によく選ばれる。
上演は問題なく終わった。転んだおじいさんが寝込んで、子どもが「何度も転べば長生きできる」と教えて、みんなで峠を転がって、めでたく終わる。拍手。緞帳が下りる。次の学年の準備。
その日の夜、ある家庭で親がビデオを再生した。自分の子どもが出ているところを確認するためだ。よくある光景。
峠の場面で、親が手を止めた。
舞台の奥、ホリゾント幕の前に置かれた書き割りの峠道。その道の、いちばん奥に、子どもが一人立っていた。
その子は演技をしていない。動いていない。峠を転がる子どもたちの後ろで、ただ正面を向いて立っている。衣装らしいものは着ていなくて、白っぽい上着に見える。顔は解像度の関係でよくわからない。
親は最初、舞台袖から出そこねた子だと思った。学芸会ではよくある。次の出番を待っている子が、うっかり幕の陰から出てしまうことがある。だから翌日、担任に軽い調子で聞いた。「あの奥に立ってた子、誰ですか」と。
担任は心当たりがないと言った。学年主任にも聞いた。学年主任も知らないと言った。その場面で舞台に上がっているのは十四人で、全員が転がる役だった。奥に立っている役は台本に存在しない。
念のために、学校が撮っていた記録用のビデオを確認した。学校のカメラは体育館の正面、舞台の真ん中に向けて固定されている。同じ場面を再生した。
学校のビデオには、誰も立っていなかった。
峠道の奥には、書き割りしかない。転がる子どもたちだけが映っている。
角度が違うから見えないだけだ、という説明はできる。学校のカメラは正面、保護者のカメラは客席後方の斜め。書き割りの陰に隠れていれば、正面からは見えないこともある。ただ、その場合は「立っていた場所が書き割りの裏」ということになって、そこには人が入れる隙間がない。書き割りとホリゾント幕の間は、五十センチもない。
もう一つ、他の保護者が撮った映像も何本か集められた。撮影エリアの左寄りから撮ったものと、右寄りから撮ったものと。
どちらにも、立っている子は映っていなかった。
映っていたのは、最初の一本だけだった。
この話は、結末がついていないところがいい。学校側は「照明の加減で書き割りの模様がそう見えた」ということで処理した。実際、体育館の舞台照明は当て方によって書き割りに変な影を作る。人の形に見える影ができることは十分にありうる。三つの点が集まると顔に見えてしまう脳の癖――シミュラクラ現象と呼ばれるやつ――も、この手の話の説明としてよく持ち出される。だから合理的な説明はある。
ただ、映像を最初に見た親は、そのあと二度と学芸会のビデオを見返さなくなった。そこだけが、この話の変わらない部分だ。
学芸会という行事は、どこから来てどこへ行ったのか
怪談ばかり続けると胸焼けするので、ここで一度、現実の話をしておく。この行事そのものの歴史が、けっこう面白い。
学芸会のルーツは、江戸時代の寺子屋でやっていた「席書」だとされている。子どもが書いた字を、戸や障子を開け放して通りがかりの人に見せる催しだ。学習の成果を外部に見せる、という発想はここから続いている。
明治五年の学制以降、学校では「学習展覧会」のようなものが開かれるようになる。試験の答案、作文、習字、図画、裁縫。子どもの成果物を並べて親に見せる。一八八〇年代の後半になると「教育展覧会」に発展して、理科の器具や地図や標本まで並べるようになり、化学実験や幻灯の実演までやるところが出てくる。
一八九〇年代の半ばには「学芸練習会」という名前の催しが記録に残っている。子どもが各教科の内容を発表して、その横で別の子が黒板に地図を描いて説明を補う、というスタイルで、一時間に十二クラス分をこなした、なんて記述がある。かなり忙しい。この時点ではまだ「劇」ではなく、あくまで学習の実演だ。
そこに唱歌が入り、遊戯が入り、そして劇が入ってくる。明治末から大正・昭和初期にかけて、学芸会は徐々に舞台芸能の色を強めていく。学校教育を扱う辞典の類でも、学芸会は運動会よりだいぶ遅れて、明治末から大正期にかけて広まった行事として整理されている。運動会が明治十年代からあるのに対して、学芸会は三十年ほど遅い。体育の方が先に行事化されて、文化の方が後から追いついたわけだ。
戦後、この行事は「学習発表会」という名前に置き換わっていく。時期としては昭和四十年代から平成にかけて。名称変更の理由ははっきりひとつではないが、いくつか挙げられている。学芸会が劇の出来ばえを競う場になりすぎたこと。学習の成果を発表するという本来の目的に戻そうとしたこと。そして、教育課程上の位置づけを明確にしたかったこと。
現在の学習指導要領では、この手の行事は特別活動のなかの「学校行事」、そのうちの「文化的行事」に分類される。文部科学省の解説では、児童が日ごろの学習の成果を発表し合い、互いに鑑賞し、文化や芸術に親しむ態度を養う、というような書かれ方をしている。全員が何らかの形で参加できるようにすること、練習が過重な負担にならないようにすること、特別な支援を要する児童への配慮を怠らないこと、といった注意書きもついている。この「練習が過重な負担にならないように」という一文は、実際にはかなり重い意味を持っている。
平成に入ってからは、学芸会そのものが減っていく。理由は複数ある。学校週五日制で授業時数が圧迫されたこと。教員養成課程から演劇指導の科目が消えて、劇の作り方を知っている教員が世代交代で減っていったこと。そして、配役をめぐる保護者からの苦情が、学校運営上のリスクとして扱われるようになったこと。
この三つめは、笑い事ではない規模になっていた。神戸新聞が取り上げた記事では、配役の決め方をめぐる保護者の声が三つのパターンに整理されている。オーディション方式、立候補とじゃんけん方式、担任が決める方式。どれにも賛成と反対がついて、どれをやっても誰かが納得しない。記事のなかには、苦情に対応した結果ピーターパンを七人にした学校の例まで出てくる。主役が七人いるピーターパン。もはや別の話だ。
そして、練習時間の問題。劇をひとつ仕上げるには、最低でも二十時間くらいの練習がいる。それを特別活動の時間だけで賄うのは無理で、実際には国語や音楽や総合の時間を削ることになる。働き方改革の文脈で学校行事の精選が進むと、真っ先に候補に挙がるのがここだ。
さらに新型コロナウイルスの影響が乗った。二〇二〇年から二〇二二年にかけて、多くの学校で学習発表会は中止されるか、学年ごとの入れ替え制になるか、動画配信に切り替わった。二〇二三年に行われた小学生の保護者百人へのアンケートでは、コロナ前と同じ形式で開催した学校が五十六パーセント、形式を変えた学校が三十二パーセント、そして保護者の参加に何らかの制限がかかった家庭が七十三パーセントだった。
つまり今の学芸会は、劇一本勝負ではなくなっている。合唱と合奏と、社会科見学の報告と、群読と、短い劇を組み合わせた総合的な発表になっているところが多い。二十五分の劇を全力でやる学年は減った。
ここが面白いところで、怪談の側はこの変化にちゃんと反応している。「昔はうちの学校でも学芸会があった」「今はもうやってない」という前置きが、この手の話にはよくつく。行事そのものが失われつつあることが、怪談に懐かしさと不気味さの両方を足している。もう確認しに行けない場所の話になっているのだ。
派生した話たち
学芸会の怪談は、核になるモチーフごとに枝分かれしている。ひとつずつ見ていく。
幕が独りでに閉まる
いちばん物理的で、いちばん語りやすい型。上演中に、誰も触っていない緞帳が下りてくる。あるいは引き割り幕が閉じる。
語られ方は二通りある。ひとつは、劇の途中で幕が下りて、舞台が中断してしまう型。もうひとつは、劇が終わっていないのに、まるで終わったかのように幕が閉じて、客席が拍手してしまう型。後者のほうが不気味だ。演者だけが「まだ終わってない」ことを知っていて、客席全員が終わったと思っている。
原因の説明はいくらでもつく。電動巻上機の誤作動、リミットスイッチの不良、手動ロープの固定不良。学校の舞台設備は更新頻度が低いから、実際にこの手のトラブルは起きる。それでも話が残るのは、閉じるタイミングが良すぎるからだ。多くのバージョンで、幕が閉じるのは劇のなかで誰かが死ぬ場面か、誰かが去っていく場面だ。青鬼が旅立つところ、白雪姫がりんごを食べるところ、ごんが撃たれるところ。物語のなかで人が消える瞬間に、現実の幕が下りる。
もうひとつよくあるのが、「リハーサルでは閉まったが本番では閉まらなかった」型。逆に「本番では閉まったがビデオでは閉まっていない」型もある。同じ現象を、時間と媒体でずらしていく作り方だ。
照明が一人だけ追いかける
ピンスポットが、台本にない子を追う。これも定番だ。
学校の体育館にピンスポがある場合、それはたいてい一台か二台で、操作するのは先生か上級生。ギャラリー、つまり二階の回廊から当てることが多い。舞台上の子から見ると、光の出どころは真っ暗な高いところにある。誰が当てているかわからない。
話の型としては、群舞や群読の場面で、一人だけにスポットが当たり続ける、というものが多い。その子は主役でもなんでもなくて、後ろのほうにいる村人だったりする。当てている担当に確認すると、「そんな操作はしていない」と言う。あるいは「当てていたが、当てるように指示された覚えがない」と言う。
後者のバージョンだと、操作していた子が「先生に、あの子を追えって言われた」と証言する。でも誰も指示していない。放送室のインカムから声が聞こえた、というディテールがつくこともある。ここは放送室の怪談と接続する部分で、学校怪談の系統としてはかなり自然なつながり方をしている。
そしてもうひとつ、逆パターン。主役にスポットを当てているのに、光が主役から少しずれる。ずれた先には誰もいない。でも本番のビデオを見ると、ずれた場所に何かが立っている。これは照明系と録画系のハイブリッドで、比較的新しい型だと思う。
舞台袖に立っている知らない子
さっき書いたとおり、舞台袖は暗くて狭くて人が多い。だからこの型はいちばん成立しやすく、いちばんバリエーションが多い。
基本形は、出番を待って並んでいる列に、知らない子が混じっている。制服や衣装が微妙に違う。学校指定の体操着ではなくて、少し古いタイプの体操着だったりする。話しかけると答えない。あるいは「つぎ、ぼくのばん」とだけ答える。
変異形として、その子が「役をとられた子」だと説明される型がある。オーディションに落ちた子、あるいは配役で希望が通らなかった子の、悔しさが形になったもの、という解釈だ。この解釈が入ると、話の性質が変わる。怖い話から、教訓話になる。「だから配役でもめてはいけない」という結び方をされることがあって、それはそれで学校怪談らしい。
もう一つの変異形は、舞台袖の暗幕の裏。袖幕とホリゾント幕の間には、実際にほとんど隙間がない。人が立てる幅ではない。それでも「そこに立っていた」という語り方をする。物理的に不可能な場所を指定することで、話の異常性を担保するやり方だ。開かずの教室や、壁の向こうから点呼が聞こえる型と同じ構造をしている。
リハーサルでだけ起きること
この型が、学芸会の怪談のなかでいちばん独特だと思う。
本番当日の前に、体育館リハーサルがある。全学年が順番に舞台に上がって、照明と音響を入れて、本番と同じ流れで通す。客席には他の学年の子どもが座っていて、保護者はいない。つまり、劇としては完成しているのに、観客が「本物」ではない状態だ。
怪談は、この中途半端な状態を狙ってくる。リハーサルでだけ人数が合わない。リハーサルでだけ幕が閉じる。リハーサルでだけ台詞が増える。そして本番では何も起きない。
なぜリハーサルなのか。ひとつの読み方として、リハーサルは「本番ではない」から安全だ、という感覚がある。本番で怪異が起きたら大惨事だけど、リハーサルなら「まあ、リハーサルだし」で済む。子どもが恐怖を楽しむには、逃げ道がいる。怖い話を楽しむには「これは作り話だ」とか「自分は安全な場所にいる」という枠組みが必要だという指摘は、心理学の側からもされている。リハーサルという設定は、その枠組みそのものだ。
もうひとつの読み方は、もっと単純。リハーサルは実際にいちばんトラブルが多い。照明のきっかけが合わない、音響が出ない、幕のタイミングがずれる、出番を間違える。だから「リハーサルでおかしなことが起きた」という語り出しは、聞き手にとって現実味がある。現実味のある入口から、非現実へ引きずり込む。よくできている。
台本にない台詞
第二話で扱った型だが、単独でもよく語られる。
構造としては、台本という「決められた言葉の列」から、一語だけはみ出すのが怖い。学芸会の練習は、台詞を一字一句そのとおりに言わせる訓練だ。何十回も同じ台詞を言わされる。だからこそ、そこから外れた一言の異常度が跳ね上がる。
はみ出す台詞の内容には傾向がある。「ぼくもいれて」「まだおわってない」「つぎはだれ」「ここにいるよ」。どれも短くて、劇の文脈にぎりぎり収まってしまう言葉が選ばれる。客席が気づかないことが、この型の肝だからだ。舞台の上にいる子と、袖にいる子と、担任だけが異常を認識していて、三百人の観客は何も知らずに拍手する。この非対称が怖い。
語り手が「あとで台本を確認したら、その台詞が書いてあった」と結ぶバージョンもある。誰も書いた覚えのない一行が、印刷された台本に載っている。この場合、怪異の主体が子どもから台本そのものへ移る。次の項につながる型だ。
演目そのものが呪われているという噂
これが一番学芸会らしい型かもしれない。特定の演目をやると、必ず何かが起きる、という噂。
演劇の世界には、もともとこの手のジンクスがある。有名なのは『マクベス』で、劇場でその題名を口にしてはいけない、という迷信が英語圏の劇場に長く残っている。口にしてしまったら、外に出て回ってから戻る、といった解除の作法まで決まっている。演劇という営みは、そもそも「呪われた演目」という発想と相性がいい。
学校の学芸会にも、同じ形の噂が生えている。ただし対象になる演目は、あくまで学校の定番だ。
いちばんよく名前が挙がるのが「ないた赤おに」。青鬼が去っていく結末が原因とされる。「青鬼役をやった子は転校する」という噂が、複数の地域で語られている。実際には転校なんて毎年一定数あるわけで、後付けで結びつけられているだけなんだけど、この後付けの容易さが噂を強くしている。青鬼役は毎年いて、転校生も毎年いる。どこかで重なる。
次によく挙がるのが「かさじぞう」。地蔵役の子が動かずに立ち続けるという設定が、そのまま怪談になる。「地蔵役をやると、その年は一度も熱を出さない」という良い方向の噂もあれば、「地蔵の数を六体から増やしてはいけない」という禁忌型もある。地蔵は六体でないといけない。六地蔵という数の縛りが、そのまま学芸会の禁忌になっている。数の禁忌は学校怪談の基本文法だから、はまりがいい。
「白雪姫」は少し毛色が違う。ここで呪われるのは主役ではなく、毒りんごと、鏡だ。「小道具のりんごを本当にかじってはいけない」「舞台上の鏡を客席に向けてはいけない」。鏡を客席に向けると、暗い客席が舞台上に映り込む。実際にやると、演者から見て舞台上に「もう一つの客席」が生まれるわけで、これは物理的にちょっと怖い。鏡の学校怪談と、白雪姫という演目が、きれいに合流している例だ。
他にも「ごんぎつね」で撃たれる場面の音響が本番でだけ鳴らない、「三年とうげ」で転ぶ回数を間違えると三年経つ前に何かある、「泣いた赤鬼」の置き手紙を本物の紙で書くと文字が変わる、といった細かい噂がある。共通するのは、どれも演目の内容そのものが持っている「喪失」や「入れ替わり」のモチーフを、現実側に引き写している点だ。青鬼は去る。地蔵は動かない。白雪姫は一度死ぬ。ごんは撃たれる。全部、人がいなくなる話なのだ。学芸会の定番演目は、驚くほど死と別れの話が多い。
閉幕後の体育館
最後に、いちばん静かな型。
学芸会が終わったあと、体育館は片付けられる。平台がばらされ、書き割りが運び出され、暗幕が外され、バスケットゴールが下ろされる。だいたい半日から一日で、体育館は元の体育館に戻る。
怪談は、この「戻る途中」の時間帯を狙う。片付けの終わった夜、あるいは翌日の朝。誰もいない体育館で、舞台の上に立ってみると、まだ拍手が聞こえる。あるいは、緞帳の裏に誰かが立っている気配がする。あるいは、舞台の床に、片付け忘れた小道具が一つだけ残っている。それが、今年の演目には使っていない小道具だったりする。
この型の変異で好きなのは、「翌年の演目の小道具が残っていた」というやつ。今年やったのは「かさじぞう」なのに、舞台に白雪姫のりんごが落ちている。翌年の学芸会で、実際に白雪姫をやることになる。予言型と混ざっている。
そしていちばん多いのが、閉幕後の体育館で拍手が聞こえる型。舞台の上ではなく、客席から。誰もいない客席の暗がりから、まばらな拍手が続いている。近づくと止まる。離れると再開する。これは音響型の学校怪談の定型そのままだけど、学芸会という文脈に置くと、拍手の意味が変わってくる。拍手は、劇が終わったことを承認する行為だ。それが終わったあとも続いているということは、まだ終わっていない何かがある、ということになる。
語られてきた目撃談
ここからは、投稿や口伝の形で流れてきた話を、読み物としてまとめ直す。個人や学校が特定される部分は伏せ、話の骨格だけを残した。事実として検証されたものではない。
「かさじぞうの六人目」
一九九〇年代の後半、東北地方の小学校での話として語られていたもの。
その年の二年生は「かさじぞう」をやった。地蔵は六体。全員が動かない役で、舞台の上手に横一列に並ぶ。練習では、地蔵役の六人は開始の合図で舞台に出て、位置についたら本番中は一切動かない。笠をかぶせられても動かない。かなり過酷な役だ。
本番の三日前、地蔵役の一人が言い出した。「先生、地蔵の位置、動かした?」
担任は動かしていない。位置は床に貼ったバミリテープで決まっている。子どもたちは自分のテープの上に立つ。
その子が言うには、自分のテープの位置が右にずれている。もともと右から三番目のテープに立っていたのに、いつのまにか右から四番目に立たされている、と。つまり、自分の右に一人分の空きができている。
担任が確認したら、テープは六つ。子どもも六人。位置も合っていた。
その子は本番までずっとその話をしていた。「右にもう一人いる」と。
本番当日、地蔵役の六人は舞台に出た。上演は問題なく終わった。
問題は、片付けのときだった。バミリテープを剥がしていた担任が、テープを数えた。七つあった。
いちばん右の端に、剥がし忘れではなく、他と同じ間隔で貼られたテープがもう一枚あった。担任は貼った覚えがない。誰が貼ったかもわからない。
この話は、そこで終わる。誰も出てこないし、誰も何もされない。テープが一枚多かった、というだけの話だ。でも、床に貼られた印というのは「ここに人が立つ」という予約そのものだから、一枚多いというのは一人分の場所が用意されていた、ということになる。じわじわ効いてくるタイプの話だと思う。
「ピンスポットが動かなかった夜」
二〇〇〇年代の前半、中部地方の小学校での話として語られていたもの。語り手は当時六年生で、放送委員として照明の操作を担当していた、という設定になっている。
その学校の体育館には、二階のギャラリーにピンスポットが一台あった。操作は放送委員の仕事で、本番前に何度も練習させられた。台本に照明のきっかけが書き込んであって、そのとおりに当てる。
本番当日、六年生の劇は最後の演目だった。語り手は自分の学年の劇には出ずに、照明の担当として二階にいた。
劇の終盤、主役が一人で舞台中央に立つ場面がある。ここでピンスポを主役に当てて、他の照明を落とす。台本どおりに操作した。
ところが、スポットが主役に当たらなかった。ハンドルを回しても、光の輪が舞台の下手側に固定されたまま動かない。機械が引っかかっているのかと思って力を入れたが、動かない。
光の輪の中には誰もいなかった。舞台の下手側、袖幕のすぐ手前。何も置いていない床を、スポットが照らしていた。
そのまま二十秒くらい。主役は暗いまま台詞を言い続けた。客席からは、たぶん照明のミスに見えていた。
台詞が終わって場面が変わる瞬間、スポットは何の抵抗もなく動いた。もとの位置に戻して、あとは何事もなく進んだ。
終わってから、語り手は先生に怒られた。ちゃんと確認しなかったからだ、と。語り手は「動かなかった」と説明したが、信じてもらえなかった。実際、あとで機材を点検しても異常はなかった。
語り手が今でも覚えているのは、光の輪の中の床が、他の場所より白く見えたことだという。舞台の床は普通の体育館の床と同じ色で、そこだけ白いはずがない。でも、その二十秒間だけ、そこだけが白かった。
この話には後日談のバージョンがある。卒業アルバムの学芸会のページに載った写真の一枚に、その下手側の位置に立つ人影が写っている、というやつ。ただ、この後日談は明らかに後から足された感じがする。話としては、動かなかったスポットで止めておくほうが強い。
「保護者席のいちばん後ろ」
こちらは保護者側の視点で語られる型。二〇一〇年代、関西の小学校での話として流れていたもの。
学習発表会の日、体育館の後方は撮影エリアになっていて、三脚を立てた保護者が並ぶ。その日は入場制限があって、一家庭一名まで。だから席には余裕があった。
語り手は自分の子どもの出番の前に、体育館の後ろのほうで待っていた。前の学年の発表を眺めながら、順番を待つ。
そのときに、後ろの壁際に立っている人に気づいた。
保護者だと思った。ただ、他の保護者と少し違った。服装が地味で、カメラを持っていない。学習発表会に来る保護者は、ほぼ全員がスマートフォンかカメラを持っている。持っていないのは珍しい。
その人は、ずっと舞台のほうを見ていた。動かないし、隣の人と話さない。
自分の子どもの出番が来て、語り手は前のほうに移動した。撮影して、終わって、席に戻った。戻るときに、さっきの人がまだ同じ場所にいるのを見た。
全部の学年の発表が終わって、閉会の言葉があって、保護者が退場を始めた。語り手は出口に向かう列に並んだ。列は後ろの壁沿いを通る。その人が立っていた場所を通り過ぎる。
誰もいなかった。
出口は一箇所で、列はそこに向かって流れている。壁際から出口までは五メートルもない。列に加わっていれば、必ず見えるはずだった。
語り手はそのあと、学校に何も言っていない。言うようなことでもない。ただ、その日の写真を見返したときに、自分の子どもの写真の背景に、後ろの壁際が写り込んでいるものが一枚あった。その一枚には、誰も立っていなかった。撮影したのは、その人がまだ立っているのを見た直後だった。
「ビデオを止められなかった父親」
これはネット上でよく見かける型の合成版として書く。単独の投稿というより、複数の似た話が同じ骨格を共有しているタイプだ。
学芸会をビデオで撮っていた父親が、家に帰って再生する。子どもの出番のところで、画面の隅に妙なものが写る。舞台袖の暗がりに、何かが立っている。
父親は巻き戻す。もう一度見る。やはりいる。
そこから先が、この型の特徴だ。父親は、その場面を何度も再生する。十回、二十回。家族が寝たあとも、居間で一人で再生し続ける。翌日も見る。仕事から帰ってきて、また見る。
家族が「もうやめて」と言っても、やめない。「確認してるだけだ」と言う。
そして、ある日、父親が言う。「今日は三人いる」。
昨日までは一人だったのに、今日は三人になっている、と。
家族が見ても、何も写っていない。
この型の怖さは、映像そのものではなく、映像を見続けた人間のほうにある。同じ映像を繰り返し見ると、人間の脳は必ずパターンを見つけてしまう。三つの点が集まれば顔に見えるし、暗いところにある模様は人の形に見える。この癖を利用して、「見続けること自体が危険だ」という方向に話を持っていく。学校怪談としては新しめの構造で、家庭用ビデオという媒体が普及して初めて成立した型だと思う。
そして、この型には教訓的な結びがつくことが多い。「学芸会のビデオは、一度見たらそれ以上見返さないほうがいい」。禁忌の作り方として、かなりうまい。
掲示板とSNSでどう受け取られてきたか
学芸会の怪談は、匿名掲示板の怖い話系スレッドでは、正直そこまで人気の題材ではない。理由ははっきりしていて、地味だからだ。花子さんやテケテケのような分かりやすいキャラクターがいない。追いかけてこないし、殺してこない。人数が一人多いとか、台詞が一つ増えたとか、それだけの話が多い。
だから、この手の話が伸びるのは、怪談専門のスレッドよりも、雑談系のスレッドや、学校の思い出を語る流れのなかであることが多い。「学芸会でこんなことがあった」という書き込みに、「うちもあった」というレスがつく。その連鎖で伸びる。ここが重要なところで、学芸会の怪談は「怖がらせる話」としてではなく「共有される記憶」として流通してきた。
反応のパターンには、いくつか決まった型がある。
まず、圧倒的に多いのが「その気持ちわかる」系の共感レス。舞台の上で自分の声が遅れて返ってくる感じ、客席が真っ暗で誰も見えない感じ、舞台袖の暗さと緊張。怪異の部分ではなく、体験の部分に反応が集まる。学芸会に出た経験がある人の割合が高いから、こうなる。
次に多いのが、機材の話に持っていく現実派のレス。幕が閉まったのはリミットスイッチの誤作動だろう、スポットが動かなかったのは架台の固定ネジだろう、といった具体的な指摘が入る。舞台照明や音響の仕事をしている人が現れて、詳しく説明していくパターンもある。この流れは怪談としては水を差すのだけど、スレッドとしてはむしろ盛り上がる。
三つめが、教育現場からのレス。元教員や現役教員が「配役決めは本当に地獄だった」という話を始めるパターン。この流れになると、怪談は完全に脇に置かれて、学芸会という行事そのものへの愚痴大会になる。人気があるのはこっちだったりする。
四つめが、映像の話。ビデオに写った、という話には必ず「画像は?」というレスがつく。当然だけど、画像が出てくることはまずない。「実家に帰らないとない」「テープが再生できる機械がもうない」という返しになって、そこで話が止まる。この「もう確認できない」という状態が、逆に話を長生きさせている面がある。VHSからDVDへ、DVDからデータへと媒体が変わっていくたびに、過去の学芸会の記録は確認しづらくなっていく。
そして考察系。ここが一番おもしろい。学校怪談を趣味で整理している人たちのあいだでは、学芸会の話は「人数のずれ型」の一種として分類されることが多い。プールで一人多い、集合写真に一人多い、避難訓練の点呼が合わない、修学旅行の部屋が一人多い。この系統に学芸会も入る、という見方だ。
ただ、学芸会の場合は、ずれ方が少し違う。他の「一人多い」型は、実在する人数と実際にいる人数がずれる。学芸会の場合は、役の数と人の数がずれる。ここが独特で、人ではなく役のほうに空きができる。役という抽象的な入れ物に、空席ができる。この見立てを最初に言った人がいて、それがけっこう広まった。
反証の側もそれなりに厚い。
まず、そもそも学芸会で人数を数える機会はほとんどない、という指摘。運動会や修学旅行や避難訓練は、点呼という制度があるから人数のずれが発見される。学芸会には点呼がない。役と人が一対一で対応しているから、誰かが余っているかどうかは、配役表を見ないとわからない。つまり「本番中に人数が合わないことに気づいた」という話は、状況として不自然だ、という指摘。これはかなり鋭い。
次に、ビデオに写るという型への反証。学校の体育館の照明条件で家庭用ビデオカメラを回すと、暗部のノイズがかなり出る。特に古い機種は顕著で、舞台袖の暗がりや、書き割りの陰は、ノイズと圧縮の影響で人の形に見えるものが簡単にできる。心霊写真を検証している人たちが繰り返し指摘してきたとおり、この手の映像の大半は、光源のボケ、被写体ブレ、シャッターの遅さ、そして脳のパターン認識で説明がつく。学芸会の映像は、そのすべての条件が揃っている。暗い、動いている、長時間、しかも「知っている顔を探しながら」見る。
三つめに、台詞が増えるという型への反証。子どもは本番でアドリブを入れる。しょっちゅう入れる。緊張して台詞が飛んで、その場でつなぎの言葉を出すことは日常茶飯事だ。そして本人は、緊張状態のなかで自分が何を言ったかを正確には覚えていない。「言っていない」という証言は、記憶がないという意味でしかない可能性が高い。
四つめに、代役の型への反証。もともとの主役が「自分もそう言うつもりだった」と言うくだりについて、これは後付けの記憶ではないか、という指摘。ビデオを見せられてから「自分もそう思っていた」と感じるのは、記憶の再構成としてよくあることだ。特に、本番に出られなかった悔しさがある状態では、なおさら起きやすい。
こういう反証を並べていくと、学芸会の怪談はほぼ全部説明がついてしまう。でも、それでこの話が消えたかというと、消えていない。むしろ、行事そのものが減っていくにつれて、話のほうは残っている。
なぜ「舞台」と「役」はこんなに怖いのか
ここを整理しておきたい。学芸会の怪談が他の学校怪談と違うのは、装置が四つ揃っているからだ。
ひとつめが、配役という入れ替わりの制度。
学校生活のなかで、子どもが公式に別人になる機会は他にない。運動会は自分のまま走る。合唱コンクールは自分のまま歌う。学芸会だけは、自分の名前を捨てて役の名前で呼ばれる。「おじいさん、出て」「村人、下がって」。呼ばれ方が変わる。しかも、その役は自分が選んだとは限らない。じゃんけんで決まったり、担任に割り振られたりする。誰かの代わりに、誰かの役を引き受ける。
これは民俗的にはかなり古い構造で、祭りで面をつけて別の存在になる、という発想と地続きだ。面をかぶった瞬間に人格が入れ替わる、という話は世界中にある。第二話の赤鬼のお面の話が効くのは、この古い層を踏んでいるからだと思う。お面は、入れ替わりの装置として最強に近い。
二つめが、暗転。
劇には必ず暗転がある。場面が変わるとき、照明を落として、そのあいだに舞台の上の配置を変える。三秒か五秒か、体育館が真っ暗になる。その暗闇のなかで、子どもたちは決められた場所へ移動する。
この数秒間、誰がどこにいるかを、誰も把握していない。舞台の上にいる子も、袖にいる子も、客席にいる保護者も、担任も、全員が見えていない。学校という管理された空間で、これほど完全に「見られていない時間」が発生するのは珍しい。しかも、その時間は制度として、正式に用意されている。何か起きるとしたら、ここしかない。学芸会の怪談で暗転が繰り返し出てくるのは、必然だ。
三つめが、客席の闇。
さっき書いたとおり、舞台上からは客席が見えない。舞台照明で目が眩んでいるのと、客席側が暗幕で暗くなっているのと、両方が効く。演者から見ると、目の前には黒い塊があって、そこから拍手と咳払いと衣擦れの音がしてくる。
これは、視線の非対称だ。見られているのに、見返せない。学校怪談の主要なモチーフである「肖像画の目が追う」とか「鏡の中の視線」と、根っこは同じだ。ただ学芸会の場合、見ているのが本物の人間であることが確定している。三百人が確実にいる。そのうえで、誰が見ているかだけがわからない。この「実在は確かだが特定できない」状態が、たぶんいちばん気持ち悪い。
四つめが、録画媒体。
これが平成以降に加わった新しい装置で、学芸会の怪談を決定的に変えた。ビデオは、舞台の上で起きたことを、あとから、繰り返し、確認できるようにしてしまった。
それ以前の学校怪談は、基本的に「そのとき、その場で見た」話だった。目撃者の記憶しか証拠がない。だから話は伝聞のまま流れる。ところが録画があると、話に「物証」が入り込む。物証が入ると、話の性質が変わる。
まず、検証可能性が生まれる。これは怪談にとってはリスクだ。確認したら何もなかった、で終わってしまう。だから学芸会のビデオ怪談は、必ず「確認できない」方向へ話を逃がす。一台にだけ写っていて他には写っていない。テープが行方不明になった。再生機がもうない。編集で切られた。
そして、繰り返し見られるという性質が、新しい恐怖を作った。同じ映像を五十回見れば、必ず何かが見えてくる。人間の脳はそういうふうにできている。だから「見続けた人がおかしくなる」型が成立する。これは、録画がなかった時代には存在しなかった怪談の形だ。
もうひとつ。ビデオは、その場にいなかった人を目撃者にする。学芸会に来られなかった祖父母が、あとで映像を見て、そこに写っているものに気づく。その人は現場にいなかったのに、証言者になれてしまう。目撃という行為が、時間と場所から切り離される。学芸会の怪談が家族単位で語られやすいのは、この構造のせいだ。
なぜこの話は広まったのか
最後に、伝播の話をしておく。
まず前提として、学芸会は「全員が経験している」行事だった。運動会と並んで、参加率がほぼ百パーセントに近い。走るのが苦手な子は運動会をサボりたがるけれど、劇は逃げられない。全員に役がある。全員が舞台に立つ。この共通体験の広さが、話の土台になっている。「うちの学校でもあった」が成立しやすい。
次に、この行事は準備期間が長い。一か月から二か月、放課後も含めて練習が続く。その長い期間のあいだに、クラスのなかで話が育つ時間がある。学校怪談は基本的に上級生から下級生へ伝わるものだけど、学芸会の怪談は同学年のあいだで、練習期間中に生まれて完成する。これはちょっと特殊だ。
三つめに、この行事は失敗が織り込まれている。台詞を忘れる、出番を間違える、道具を落とす、照明がずれる。本番でも必ず何かしら起きる。だから「変なことがあった」という語り出しに、リアリティが最初から乗っている。他の学校怪談だと「そんなわけない」から始まるのに、学芸会の話は「わかる、そういうのある」から始まる。
四つめに、この行事は記録される。写真、ビデオ、学級だより、卒業アルバム。何重にも記録が残るから、あとから照合できる余地がある。照合できる余地があるということは、照合したら合わなかった、という話が作れるということだ。
五つめに、そして大きいのが、この行事が消えつつあるということ。
昭和四十年代から学芸会は学習発表会に名前を変え、平成に入って劇の比重が下がり、令和には短い発表と合唱と合奏の組み合わせになった学校が多い。もう「クラス全員で二十五分の劇をやる」学校のほうが少数派になりつつある。
失われつつある行事の話は、確認しにくい。確認しにくい話は、怪談として長生きする。旧校舎の怪談が強いのと同じ理屈だ。「昔はうちの学校にも学芸会があってさ」という語り出しは、それ自体がもう半分怪談の入口になっている。
そして、一九九〇年代の学校怪談ブームの構造も効いている。この時期に出版と映像が各地の口承を束ねて、全国共通の型を作った。研究の側では、このブームを「子どもが恐怖を安全に楽しむ機会が減っていた時代に、数少ない逃げ場として学校怪談が機能した」という見方で説明する議論がある。恐怖と楽しさは順番に来るのではなく同時に生じる、という心理学の知見をふまえた読み方だ。
学芸会の怪談は、そのブームの本流には乗らなかった。花子さんにも、テケテケにもならなかった。キャラクターが立たなかったからだ。でも本流に乗らなかったぶん、標準化もされなかった。地域ごと、学校ごとの語り分けが、そのまま残った。かさじぞうの地蔵が七体だった学校、赤鬼のお面が喋った学校、村人が一人多かった学校。誰かがまとめて一つの型にしなかったから、無数のバリエーションのまま生き延びた。
この記事でやりたかったのは、そのバラバラのままの話を、一度並べてみることだった。並べてみると、全部が同じところを指している。役という入れ物に空きができると、そこに何かが入る。学芸会の怪談は、突き詰めるとその一行しかない。
怪異が憑いていたのは、場所でも物でもなかった
ここからは総括と、本編に入りきらなかった考察を書く。
まず、学芸会の怪談を他の学校怪談と並べたときに、決定的に違う点をもう一度整理しておきたい。それは、怪異が「役」に憑くという点だ。
学校怪談の大半は、場所に憑く。トイレの三番目の個室、音楽室、理科準備室、階段の十三段目、屋上、プール。場所を指定して、そこへ行くと起きる。あるいは物に憑く。人体模型、骨格標本、肖像画、二宮金次郎像、デッサン人形。物を指定して、それが動く。
学芸会の怪談は、場所でも物でもない。舞台という場所は出てくるけれど、怪異の中心は舞台そのものではない。緞帳の怪談や体育館の怪談は別に立っていて、そちらは場所の怪談として完結している。学芸会の怪談が扱うのは、その場所で一時的に発生する「配役」という構造のほうだ。
配役は、モノでもなければ場所でもない。人と役の対応表でしかない。紙の上にしか存在しない。それなのに、そこに空きができると、実体を持った何かが現れる。この飛躍が、この怪談群の核心だと思う。
似た構造を持つ話は、他にもある。「一つ多い机」がそうだ。机という物はあるけれど、怖いのは机ではなくて「席次と人数の対応がずれている」という抽象のほうだ。「消えた転校生」もそう。名簿という対応表に名前だけが残っている。「卒業式、椅子が一脚多い」も同じ系統だ。
つまり学芸会の怪談は、学校という制度が持っている「対応表の文化」から生えている。学校は、とにかく人を数えて割り当てる場所だ。出席番号、座席表、班分け、係、当番、名簿、時間割。すべてが対応表で管理される。この管理密度は、社会のなかでも異常に高い。そして管理密度が高いほど、ほんのわずかなずれが目立つ。
学芸会の配役表は、そのなかでも特別だ。なぜなら、他の対応表は「人に何かを割り当てる」ものだけど、配役表は「人を別の人にする」ものだからだ。座席表は田中さんを三列目にする。配役表は田中さんをおじいさんにする。存在の水準が変わっている。
もう一つ、深掘りしておきたいのが、演目そのものの問題だ。
学芸会の定番演目を並べてみると、その内容の偏りに気づく。かさじぞう、ないた赤おに、ごんぎつね、三年とうげ、白雪姫、おおきなかぶ、スイミー、モチモチの木、大造じいさんとガン、注文の多い料理店。
このうち、誰も失われずに終わる話がどれだけあるだろうか。
かさじぞうは、動かない地蔵が動く話だ。ないた赤おには、友達がいなくなる話だ。ごんぎつねは、撃たれて死ぬ話だ。三年とうげは、寿命の話だ。白雪姫は、一度死んで生き返る話だ。モチモチの木は、じさまが倒れる話だ。大造じいさんとガンは、群れの頭領が傷つく話だ。注文の多い料理店は、食われかける話だ。
日本の小学校の学芸会は、驚くほど死と喪失を上演し続けている。そして、それを演じるのは八歳から十二歳の子どもたちで、演じる場所は自分たちが毎日体育の授業をしている体育館で、観ているのは自分の親だ。
この状況を冷静に見ると、けっこう異様だと思う。子どもが親の前で、死ぬ役や、消える役や、置いていかれる役をやる。しかも一か月かけて練習する。台詞を何十回も繰り返す。「ぼくはもう行くよ」「おまえだったのか」「あと三年しか生きられない」。そういう言葉を、子どもが何十回も声に出す。
学芸会の怪談が生まれる土壌は、たぶんここにある。演目の内容と、演じる子どもと、観る親のあいだに、ずっと薄い緊張がある。青鬼役をやった子が転校する、という噂が生まれるのは、その緊張が形になったものだ。演目のなかで消えた者が、現実でも消えるのではないか。そういう不安を、子どもも大人も、口には出さないけれど感じている。
演劇の世界にマクベスの迷信があるのも、根っこは同じだろう。物語のなかで起きたことが、外に染み出してくるのではないか、という不安。舞台という装置は、虚構と現実の境界を意図的に薄くする装置だから、その薄い場所から何かが漏れる、という発想が自然に出てくる。学校の体育館の粗末な舞台でも、それは変わらない。むしろ粗末なぶん、境界の薄さが露骨に見える。書き割りの裏はすぐ壁だし、幕の向こうにはバスケットゴールが畳んである。虚構の裏側が見えてしまう場所だからこそ、虚構が漏れてくる感じがする。
次に、この怪談群の時代的な変化を追っておきたい。
昭和期の学芸会怪談は、たぶん今より少ない。というより、記録が残っていない。この時期の学校怪談は口承が中心で、採集されたのは花子さんや二宮金次郎像のような「キャラクターのある」話が優先された。学芸会の話は地味だから、採集の網に引っかからなかった可能性が高い。
平成に入って、二つの変化が起きた。ひとつは家庭用ビデオカメラの普及。もうひとつはインターネット掲示板の登場。この二つが同時に来たことで、学芸会怪談は初めて記録される。ビデオが「証拠」を作り、掲示板が「共有の場」を作った。
このとき興味深いのは、ビデオという新技術が、古いモチーフを更新した点だ。「集合写真に一人多い」という古典的な型が、動画になると「その一人が動いている」に変わる。動くことで、話の説得力が跳ね上がる。写真の一人多いは静止しているから、汚れや影で説明しやすい。でも「他の子と同じタイミングで頭を下げた」となると、説明が急に難しくなる。
そして令和。今度は媒体がまた変わった。ビデオテープは消え、スマートフォンで撮って、クラウドに上げて、家族で共有する。画質は劇的に上がった。暗部のノイズは減った。手ブレ補正がついた。
画質が上がると、怪談は困る。暗がりのノイズが人影に見える、という余地が減るからだ。だから令和の学芸会怪談は、別の方向に進んでいる感触がある。「撮影データのタイムスタンプがおかしい」「クラウドから消えた」「共有した相手の端末では別のものが見える」。媒体が変われば怪談も変わる。逆再生のカセットテープが、開かずのフォルダになったのと同じことが、ここでも起きている。
もうひとつ、令和の変化として大きいのが、行事そのものの縮小だ。
前に書いたとおり、クラス全員で長い劇をやる学芸会は減った。合唱、合奏、群読、見学の報告。時間も短くなった。保護者の入場も制限された時期があった。
行事が短くなると、怪談の材料が減る。練習期間が短ければ、話が育つ時間がない。役の数が少なければ、配役の空きも生まれない。暗転が減れば、見られていない時間も減る。
だから、学芸会の怪談は、これから新しく生まれる量は減っていくと思う。そのかわり、すでにある話は「もう存在しない行事の話」として、別の重みを持ち始める。これは廃校の怪談や、旧校舎の怪談と同じ経路だ。実物が消えると、話は資料になる。
最後に、この怪談を扱ううえで気をつけておきたいことを書いておく。
学芸会の怪談は、配役をめぐる感情と、切り離せない位置にある。オーディションに落ちた子、希望の役をもらえなかった子、代役に立った子、裏方に回った子。この行事は、子どもにとって初めて「選ばれる」と「選ばれない」を公開の場で経験する機会でもある。その痛みは、けっこう本物だ。神戸新聞の記事が示していたように、大人になった保護者のほうもこれを引きずる。
だから、「役をとられた子の霊」というタイプの語りには、注意が必要だと思う。物語としてはよくできているけれど、それを実在の誰かに結びつけて語るのは、まったく別の行為になる。特定の年の、特定のクラスの、特定の配役をめぐる話として語ってしまうと、それは怪談ではなく噂話になる。学校怪談を扱うときの基本線として、実在の学校や個人と結びつけないというのは、この題材ではとりわけ重要だ。
同じ理由で、「あの学校の体育館には出る」というような語り方も避けたい。現役の学校を心霊スポット扱いすることには、何の意味もない。夜に忍び込むなんて論外で、それは怪談の実践ではなくただの不法侵入だ。学芸会の怪談は、そもそも夜の話ではない。昼間の、明るい、大勢の人がいる体育館の話だ。そこがこの題材のいちばん良いところなので、わざわざ夜に行く必要がない。
もし何か確かめたいことがあるなら、確かめる先は体育館ではなくて、実家の押し入れだと思う。VHSでも、DVDでも、SDカードでもいい。二十年前の学芸会の記録が、どこかにあるはずだ。
再生機があるかどうかは、また別の話だけれど。
そして、もし何か写っていたとしても、それを繰り返し見るのはやめておいたほうがいい。人間の目は、探しているものを必ず見つけてしまう。三つの点があれば顔に見える。暗がりに模様があれば人に見える。五十回見れば、いなかったはずの誰かが、確実に立っている。
学芸会の怪談がずっと言っているのは、たぶんそういうことだ。舞台には決められた数の人間しか立てない。でも、役の数はいつでも一つ増やせる。台本に一行足せば、そこに立つ人間が必要になる。誰も書いていない一行が台本にあったとき、その役を、誰がやるのか。
決まらない役は、いつまでも決まらないままだ。決まらないままの役は、誰かが埋めることになる。
それだけの話なのだが、十月の体育館でこれを思い出すと、なかなか眠れなくなる。
