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深夜二時、仕切りの向こうで鉛筆が動き続ける――塾・予備校「自習室の怪」はなぜ学校の怪談より冷たいのか

学校の怪談って、だいたい「校舎」の話だ。理科室、音楽室、体育館裏、放課後の階段。あの手の話が怖いのは、昼間はあんなに明るくて騒がしい場所が、日が落ちた途端に別の顔になるからなんだよな。

でも、受験期をくぐった人間なら知っているはずだ。この国にはもうひとつ、学校とよく似ていて、しかし決定的に違う「校舎」がある。塾と予備校だ。駅前の雑居ビルの三階から七階あたり。看板は明るいのに、階段は薄暗い。エレベーターは一基しかなくて、しかも遅い。下の階には居酒屋が入っていて、上の階には整体院と行政書士事務所と、何をやっているのかよく分からない会社が入っている。

そのビルの、いちばん静かなフロアに自習室がある――。

この記事は、その自習室で語られてきた怪談の話だ。仕切りブースの向こうから鉛筆の音が止まらない話。閉室後の見回りで、一席だけ荷物が残っている話。模試の座席表に、登録されていない受験番号が紛れている話。浪人生フロアで「去年もいた人」とすれ違う話。全部、型としてはよく知られている。よく知られているのに、学校の怪談ほどには整理されてこなかった。

なぜ整理されてこなかったのか。そして、なぜこの手の話は学校の怪談と似ているようで、まったく別の怖さを持つのか。取材していくと、けっこう身も蓋もない現実が出てくる。建築基準法上、塾は「学校」ではない。テナントとして入っているビルには前の用途があって、それが病院だったりホテルだったりする。二〇〇一年の雑居ビル火災が、日本の「ビル怪談」の地面をならしてしまった。そして、この怪談の主人公は児童生徒ではなく、「落ちた者」と「残った者」だ。

長くなる。腹をくくって読んでほしい。

そこは学校じゃない。だから逃げ場がない

まず、学校の怪談と塾の怪談の差をはっきりさせておきたい。ここを押さえないと、以降の話が「ただの学校の怪談の焼き直し」に見えてしまう。

学校の怪談には、共同体がある。同じ校舎に六年なり三年なりいて、同じ噂を先輩から後輩に渡していく。民俗学者の常光徹が中学校教員時代に生徒から聞き取りを重ねてまとめた研究では、まさにその「学校という共同体のなかで語り継がれる」構造が主題になっていた。角川ソフィア文庫に入った『学校の怪談 口承文芸の研究I』や、ミネルヴァ書房から新装で出ている『学校の怪談 口承文芸の展開と諸相』を開くと、子どもたちが噂を運搬する回路そのものが分析対象になっている。怪談は共同体の副産物なんだよな。

塾には、それがない。

塾生は基本的に、自分の学校の友達とは別の場所に、別の時間に、別の目的で集まる。隣に座っている人間の学校も名前も知らない。半年通っても知らない。しかも通う期間は短い。夏だけの人もいるし、直前期の三カ月だけの人もいる。共同体が育つ前に、みんな散っていく。

だから塾の怪談は、「先輩から後輩へ」ではなく「たまたま同じ夜にいた人から、たまたま隣にいた人へ」しか伝わらない。伝達が横向きで、しかも一回きりだ。噂が定着しないぶん、逆に一つ一つの話が生々しいまま残る。整理されていないのは、それが理由だ。

もうひとつ。学校の校舎は、その建物がずっと学校だった。運が悪くても、前身は別の学校か、更地か、田んぼだ。ところが塾は違う。塾は基本的にテナントだ。誰かが建てた貸しビルの、空いた区画に入る。だからそのフロアには前歴がある。前が診療所だったビル、カプセルホテルだったビル、リハビリテーションセンターだったビル。実際、この十年の不動産業界では、廃業した診療所やクリニックをシェアオフィスや宿泊施設に転用する事例がぼこぼこ出ている。広島の旧病院を改装したホテルは二〇一九年に開業しているし、東京の杉並区では閉院した診療所部分をそのまま客室十三室のホテルに用途変更した設計事例が公開されている。銀座の旧病院をホテルにコンバージョンする案件が不動産専門誌で報じられたのは二〇一五年だ。

つまり――塾のあるフロアの床は、しばしば「前は別の何かだった床」なんだ。学校の怪談が「この校舎で昔なにかがあったらしい」という縦の時間を使うのに対して、塾の怪談は「このビルは前になんだったのか」という横のレイヤーを使う。同じ建物の三階と七階で、まったく別の業種が同時に動いている。エレベーターはその全部を串刺しにして上下する。非常階段は全テナント共用で、誰が使っているのか誰も把握していない。

そしてもうひとつの決定的な差。動機だ。学校の怪談の霊は、たいてい「かつてこの学校にいた子ども」である。塾の怪談の霊は、「落ちた者」か「残った者」なんだよな。ここが冷たくて、そして怖い。塾には選抜圧がかかっている。合格した人間はいなくなる。いなくならない人間は、落ちた人間だ。この単純な事実が、そのまま怪談の燃料になる。

型その一 仕切りの向こうで、ずっと鉛筆が動いている

いちばん流通量が多いのが、この型だ。まずは丁寧に再話する。

季節は十二月の後半か、一月の頭。共通テストの直前期だ。この時期の自習室は、日中は席取りの戦争になるくせに、夜の九時を回ると急速に人が減る。現役生は帰る。学校がある。残るのは浪人生と、家に帰りたくない現役生の一部だけになる。

自習室は個別ブース型。長机に、高さ五十センチほどのグレーの仕切り板が立っていて、一人あたり幅七十センチくらい。目の前と左右が板で囲まれているので、座ると視界には板と、備え付けの小さな蛍光灯しか入らない。顔を上げても隣は見えない。見えるのは、板の上端から十センチくらい浮いた向こう側の空気だけだ。

体験者はたいてい、こう言う。最初は「隣、書くの速いな」だった、と。

芯が紙をこする音。かり、かり、かり。定規を置く音。消しゴムを机に落とす音。ページをめくる乾いた音。それが仕切りの向こうから、絶え間なく続く。自習室というのは音が奇妙に響く場所で、空調の唸りと蛍光灯のジーッという音が下地にあって、その上に紙と芯の音だけが浮かぶ。慣れると、その音が心地よくすらなる。自分だけじゃない、隣も戦っている、という感覚。

異変に気づくのは、たいてい休憩のタイミングだ。

トイレに立とうとして席を離れる。廊下に出て、自販機の前で缶を空けて、戻ってくる。そのとき、隣の席が空なのに気づく。荷物もない。椅子も机の下にきちんと収まっている。使われた形跡がない。

「あれ、さっきまでいたよな」

そう思って自分の席に座り直すと、また音が始まる。かり、かり、かり。

ここから先は、バリエーションによって展開が分かれる。いちばん多いのは、音が「増える」パターンだ。最初は隣一つだったのが、二つ隣からも聞こえるようになる。斜め後ろからも聞こえる。そのうち部屋全体が、満席の午後三時みたいな音量になる。実際には自分しかいないのに。

このパターンの話には、ほぼ必ず「振り返らなかった」という一文が入る。振り返ったら終わりだ、と体験者は言う。誰に教わったわけでもないのに、その一点だけは全員が共有している。

もう一つ多いのが、「翌朝」で落とすパターン。音に耐えかねて荷物をまとめ、逃げるように帰る。翌朝もう一度同じ自習室に行くと、机の天板に鉛筆で突き刺したような小さな穴がびっしり開いている。自分の席だけじゃない。部屋中の机に。一晩で一人の人間が開けられる量ではない。この落ちは、投稿サイトのカクヨムに載っている自習室怪談などでもほぼ同型で語られていて、「机の天板に残る物理的な痕跡」というのがこの型のオチとして完成度が高いことが分かる。

情景として押さえておきたいのは、この怪異が「音だけ」で成立している点だ。姿は出ない。声も、出る場合と出ない場合がある。声が出るバージョンでは、決まって受験の話をしている。「この問題むずいよな」「過去問どこまでやった」「今年こそ受かろうな」。内容がやたらと生活感があって、それが逆にきつい。

なぜ音だけなのか。ブース型自習室の構造が答えだ。あの空間は、視覚を殺して聴覚だけを残すように設計されている。仕切りは目線を切るためにあるので、音は切らない。というか、切ったら空調も何も聞こえなくなって不気味なので、あえて切っていない。設計者が意図的に作った「見えないが聞こえる」空間に、そのまま怪異が住み着いている。よくできてるんだよな、この型は。

型その二 閉室十分前、五十七番の席にだけ荷物が残る

次は、語り手が受験生ではなく「塾側の人間」になる型だ。これがまた別種の怖さを持っている。

深夜まで自習室を開けている校舎には、必ず閉室作業がある。だいたい二十一時半とか二十二時が最終で、その十分前にアナウンスが入る。「本日の自習室は二十二時で閉室です。お忘れ物のないようご準備ください」。放送のあと、スタッフかチューターが見回りに入る。ブースを一列ずつ確認して、消し忘れの蛍光灯を落とし、忘れ物を回収し、最後に施錠する。

その見回りで、一席だけ荷物が残っている。

置かれているものは話によって違うが、共通しているのは「持ち主が明らかに戻ってくるつもりの置き方」であることだ。参考書が開いたまま。ノートに書きかけの式。シャープペンが芯を出したまま転がっている。ペットボトルの飲みかけ。上着が椅子の背にかけてある。トイレに行っただけにしか見えない。

スタッフは待つ。五分待つ。十分待つ。誰も来ない。館内放送を入れる。「自習室に忘れ物をされた方、受付までお越しください」。来ない。

ここで入退室のログを確認する。今どきの塾は、カードや顔認証で入退室を取っていて、保護者に通知が飛ぶところも多い。ログを見ると、その時間に残っている生徒はゼロ。全員が退室済みになっている。つまり、荷物の持ち主に該当する人間がいない。

翌朝、忘れ物として保管しようと荷物を袋にまとめる。そこで気づく。ノートに名前がない。教材にも名前がない。テキストが自分の校舎で配っているものと版が違う。あるいは、もっと古い。表紙の年度表記が数年前だったりする。

この型のバリエーションで一番よく聞くのは、「席番号だけがやたらと具体的に固定されている」というものだ。五十七番とか、三十三番とか、一番奥の窓際とか。校舎ごとに番号は違うのに、その校舎の中では番号が動かない。スタッフの間で「またあそこか」という共有ができている。学校の怪談における「開かずの間」や「四階のトイレの三番目」と同じ機能を、席番号が担っているわけだ。

それから、時系列を丁寧に語る話ほど、最後に必ず「翌日の日中、その席に普通に生徒が座っている」という描写が入る。何も知らずに座って、何も起きずに勉強して、普通に帰る。怪異はその席を占有していない。閉室後の、あの十分間だけ現れる。ここが上手い。

そして忘れちゃいけないのが、この型が成立するには「深夜まで自習室を開けている」という運用が前提だという点だ。この運用自体、そんなに古いものじゃない。かつて予備校の自習室は授業の付帯設備で、授業がある時間帯しか開いていなかった。夏に自習室を使うために行列ができた、という話が二〇一〇年代前半の掲示板の書き込みに残っている。それが今や、有料自習室は都内の掲載店舗数が二〇一四年末の八十六店舗から二〇二四年八月時点の百七十二店舗へと十年で倍増していて、スマートロックとクラウドカメラで二十四時間無人運営する業態まで普通になった。人がいない時間帯に、鍵だけが開いている空間。この型の怪談が置かれている舞台は、そういう場所なんだよな。

型その三 座席表の末尾に、誰も知らない受験番号が一つ増える

三つ目は、模試の日の話だ。個人的にはこれがいちばん背筋に来る。

模試というのは、塾が自前の校舎でやることもあれば、大学や貸会議室を借りてやることもある。どちらにせよ、朝、教室の入口に座席表が貼り出される。受験番号と、それに対応する座席の位置。生徒は自分の番号を探して、机に貼られた番号シールを確認して座る。試験監督は座席表を持って教室を回り、空席をチェックする。欠席者にはバツを打つ。

この段取りのどこかに、いない番号が混ざる。

型としては二通りある。ひとつは「座席表に載っているのに、名簿に存在しない受験番号」。監督が空席を確認して本部に報告すると、本部の名簿にはその番号が存在しない。印刷ミスかと処理される。ところが答案の回収枚数が一枚多い。回収した答案の中に、その番号を書いた解答用紙が混ざっている。

もうひとつは逆で、「座席表にない番号の答案が出てくる」パターン。こっちは監督側が見ている描写が入ることが多い。試験中、後ろの席にたしかに人がいた。だがその席は座席表上、誰も割り当てられていない席だった。

なんでこの型が怖いのか。模試という制度が、「番号で人間を管理する」システムだからだ。受験生は名前で呼ばれない。番号になる。番号になった以上、番号が一つ増えても、システムは何食わぬ顔で処理してしまう。処理してしまうから、誰も気づかない。気づいたときにはもう回収されている。

しかも、この型には現実の裏打ちがある。入試の座席と受験番号の突合は、案外もろい。大学入試の現場では、実際に取り違えが起きている。富山大学が二〇二六年三月十日に公表した件では、二月二十五日に行われた一般選抜前期日程で、欠席した志願者の指定席に別の志願者が誤って着席した。答案には本人が自分の受験番号を正しく記入していたのに、答案の処理が座席位置基準で行われたために「欠席者の答案」と誤認され、欠席したはずの受験生に合格通知が届き、実際に受験した側が欠席扱いの不合格になった。発覚のきっかけは、欠席した本人からの「受けていないのに合格通知が来た」という電話だ。二〇二四年には琉球大学でも、欠席者の席に別の受験生が着席してそのまま処理が通ってしまう、ほぼ同型の事案が起きている。

つまり「座席と番号がズレたまま試験が成立してしまう」ことは、怪談の中だけの出来事じゃない。実際に起きる。そして起きたとき、システムは自動的にそれを飲み込んで、何もなかったように結果を出力する。この怪談が刺さるのは、そこに現実の手触りがあるからだ。

大学入試の現場では、この非効率と危うさを解消するために、受付順に座席を割り当てて空席をなくす方式や、受験票のQRコードを読ませて座席と番号を電子的に紐づける運用が試みられている。佐賀大学の事例を報告した大学入試研究の論文では、後期日程で試験室を二十室削減し、座席総数を千二百二十四席減らしたという数字が出ている。空席をなくすというのは、要するに「誰も座っていない席」という物理的な空白を作らないということだ。怪談的に読むと、これは除霊に近い。空席がなければ、そこに何かが座る余地もない。

型その四 浪人フロアには「去年もいた人」がいる

四つ目。これは怪異かどうかすら曖昧な、いちばん人間くさい型だ。

大手予備校の校舎には、たいてい高卒生専用のフロアがある。現役生とは入口も違えば、時間割も違う。朝から夕方までびっしり授業が入っていて、生活としてはほぼ全日制の学校に近い。そこに一年通う。クラスがあって、担任がいて、席順があって、模試の成績が貼り出される。

そのフロアで、「去年もいた人」を見る、という話。

パターンA。四月、新しく高卒クラスに入った人が、廊下ですれ違った男を見て「あ、去年もいた」と気づく。去年、自分が現役で夏期講習に来たときに同じ席にいた人だ。よくあることだと思って流す。二浪もいれば三浪もいる。ところが、去年のクラス写真か席次表を確認すると、その人の名前がない。あるいは、担任に「あの人、今年も残ったんですね」と話しかけると、担任が心底不思議そうな顔をする。

パターンB。もっと不気味なやつ。すれ違った男の服装が、季節に合っていない。真夏なのに厚手のブレザーを着ている。あるいは、去年と一ミリも同じ服装をしている。同じ鞄、同じ靴、同じ位置の折り目。人間は同じ服を着続けることはあっても、まったく同じ着崩れ方はしない。そこで気づく。

パターンC。これはもう完全に怪談として整っている型で、「その人がいると、その年は落ちる」というジンクスがつく。廊下ですれ違った人は落ちる。自習室で隣に座られた人は落ちる。だから浪人フロアでは「見た」と言うのが禁句になっていて、見ても黙っている。

なぜこの型が浪人フロアにだけ発生するのか。理由ははっきりしている。浪人生というのは、制度上「そこにいるはずのない人」だからだ。同学年の全員が進学した後で、一人だけ同じ場所に残っている。学年がずれる。友人と話が合わなくなる。予備校を舞台にした投稿小説にすら「浪人生の本質は寂しさにある」という一文が出てくるくらいで、これは体感としてかなり正確だと思う。落ちるという経験は、多くの人にとって人生で最初の大きな挫折だ。

そこに「去年もいた人」を置くと、話が一発で立ち上がる。去年もいた人というのは、未来の自分かもしれない。来年もここにいるかもしれない自分の姿だ。だからこの怪談は、幽霊が怖いんじゃない。「留まり続けること」が怖い。

しかも、この構図には統計の裏がある。浪人生は、この三十年で激減した。大学入学共通テストとその前身であるセンター試験の志願者データで見ると、一九九四年度に十九万二千二百八人いた既卒の志願者は、二〇二三年度には七万千六百四十二人まで減って過去最少を更新した。現役生が志願者全体に占める割合は八十五パーセントを超えた。十八歳人口は一九九二年の約二百五万人から約百十万人へと半減し、一方で大学の数は一九九二年度の五百二十三校から二〇二二年度の八百七校へ増えた。入りやすくなれば浪人は減る。浪人が減ればライバルが減って、翌年の浪人がまた減る。取材に応じた河合塾の研究員が「浪人生の減少スパイラル」と呼んでいた現象だ。

数が減るということは、残った人がより目立つということでもある。かつて名古屋の体育館に一万人集めて入塾式をやっていた時代の浪人生は、群衆の一人だった。今の浪人生は、少数派だ。「去年もいた人」は、昔なら埋もれた。今は埋もれない。

この怪談はどこから来たのか 初出をたどると一九九〇年に突き当たる

さて、発祥の話をしよう。塾・予備校の自習室怪談は、単体で発生したジャンルではない。「学校の怪談」という枠組みが商業的に成立した後に、その外縁として遅れて出てきたものだ。だからまず、本体の成立史を押さえる必要がある。

日本の学校で怪談が語られてきたこと自体は古い。一八七二年の学制発布以降、校舎という空間ができた時点から「学校の七不思議」の類は存在した。明治期の記録に「開かずの便所」の話がある。ただし、それが「学校の怪談」という商品名のついたジャンルになったのは一九九〇年だ。

具体的に言うと、常光徹が講談社KK文庫から出した『学校の怪談(一)』の刊行が一九九〇年十一月八日。これが起点になる。中学校教員だった著者が放課後に生徒から聞き取ったうわさ話を、子ども向けの読み物としてまとめたもので、トイレの花子さん、動き出す理科室のガイコツ、人面魚といった面々が並んでいる。翌一九九一年にはポプラ社が同名タイトルのシリーズを出し、児童文学の新ジャンルとして定着した。一九九五年には実写映画が公開され、以後シリーズ化される。アニメ、マンガ、ゲームと展開して、九〇年代のオカルトブームの真ん中に居座った。

ただ、オカルト研究家の吉田悠軌と、ネット怪談を研究している廣田龍平の対談を読むと、この一九九〇年という起点にはさらに前段があることが分かる。二〇二五年七月に集英社から出た吉田の編著『よみがえる「学校の怪談」』に収められたその対談では、一九八五年末に創刊されたホラー雑誌『ハロウィン』が、すでに「学校の七不思議」の特集を組んでいたことが指摘されている。占い雑誌『マイバースデイ』の増刊『わたしは幽霊を見た!』は一九八八年から一九九四年まで年刊で出ていて、そこにも学校の怪談の投稿がざくざく載っていた。

つまり、子ども向けメディアの投稿欄が先に土壌を作っていて、一九九〇年に大人向けの媒体がそれを発見した、という順番なんだ。廣田はこれを「一般にいう学校の怪談ブームとは、基本的にはマスコミのブーム」と表現している。国会図書館デジタルコレクションを漁って、トイレの花子さんと確実に結びつく記述が一九八三年の『岩手の俗信 第六集』まで遡れることを突き止めた、という話も出てくる。「便所に行って右から三番目に花子さんというと中からハイという」という記録だ。名称だけなら一九七九年の環境調査報告書に載った中学生の作文にまで遡れるという。

なぜこの前史が塾の怪談に関係あるのか。理由は単純で、「投稿されて初めて怪談は流通する」という構造が、そのまま塾の怪談にも当てはまるからだ。学校の怪談が学年誌とホラー雑誌の投稿欄で育ったように、塾の怪談は掲示板と実話怪談の公募で育った。

「もうひとつの学校」の怪談が本になり始めた時期

実話怪談という商業ジャンルが立ち上がったのも、ほぼ同じ時期だ。ここが面白い。

一九九〇年、木原浩勝と中山市朗が扶桑社から『新・耳・袋 あなたの隣の怖い話』を出す。これは一度絶版になるが、一九九八年にメディアファクトリーから『現代百物語「新耳袋」第一夜』として復活し、第十夜まで続く大シリーズになった。一方、一九九一年には安藤薫平を初代編著者として『「超」怖い話』が始まり、樋口明雄、平山夢明、加藤一、松村進吉と編著者のバトンが渡されて今も続いている。西の新耳袋、東の「超」怖い話、と呼ばれた二本柱だ。二〇二四年七月には竹書房から『「超」怖い話×中山市朗』という合同本が出て、三十年越しに東西が同じ本に収まった。

この「体験者から取材して書く」形式が確立したことが決定的だった。学校の怪談は、子どもが子どもに語る噂だ。ところが実話怪談は、大人が自分の過去を語る。そして大人の過去の中には、必ず受験期がある。

だから、実話怪談の叢書には塾・予備校を舞台にした話が自然と混ざり込むようになった。恐怖箱シリーズをはじめとする竹書房の怪談文庫は、体験談の投稿と取材で編まれている。同社が続けている怪談マンスリーコンテストは、毎月お題を出して千字以内の実話怪談を募集する仕組みで、創作は不可、自分か第三者の体験の取材に限る、地の文は「である」調で統一、といった細かいルールが敷かれている。最恐賞には文庫化のチャンスがつく。窓、箱、穴、再会、信仰、といったお題が並んでいて、この抽象的なお題設定が結果的に「自習室」「模試」「浪人」といった舞台を呼び込む。窓というお題で自習室の夜の窓を書く人が出る。穴というお題で机の天板の穴を書く人が出る。そういう構造だ。

インターネット側も見ておこう。二〇〇〇年代の2ちゃんねるオカルト板で育った「洒落にならない怖い話」の系譜には、予備校を舞台にした投稿がいくつも残っている。ただしそこで語られるのは、霊よりも人だ。ホラー系のまとめサイトに残っている「予備校で」というタイトルの投稿は、浪人時代に同じ予備校の男に一方的に恋人扱いされて付きまとわれた、という話で、超常現象はひとつも出てこない。それでも「洒落にならない怖い話」として流通した。塾という場が、幽霊抜きでも十分に怖い場所として認識されていた証拠だ。

その一方で、同じ2ちゃんねる系の板の中でも「学習塾・予備校」板は徹底して実務の板で、講師の待遇、校舎の閉鎖、フランチャイズ加盟の是非といった話題で埋まっている。怪談が入り込む余地がない。ここが学校の怪談との大きな違いで、塾の怪談には「その塾の生徒だけが集まる場所」がなかった。だから話が集約されず、オカルト板と怪談投稿サイトに散らばったまま今日に至る。

二〇一〇年代後半から二〇二〇年代にかけては、カクヨムや小説投稿サイトが受け皿になった。予備校の自習室で年末に一人残っていたら、遠くの席からペンで机を叩く音と話し声が聞こえ始め、やがて部屋全体が何十人分もの声で埋まる、翌朝見たら机全部に鉛筆の穴が開いていた、という話。雑居ビルの予備校の、二等辺三角形みたいな歪んだ形の狭いトイレで、誰もいないのにノックの音がして、出ようとした瞬間に耳元で湿った男の声を聞いた、という話。どちらも二〇二〇年代の投稿だが、モチーフは古典的だ。新しいのは舞台の解像度で、「雑居ビルの宿命という奴だろうか、ひどく歪な形をしていて大変に狭い」といった、テナントビル特有の間取りの気持ち悪さがきっちり書き込まれている。

語り継がれるうちに増えていった、いくつもの別バージョン

四つの基本型を押さえたところで、派生を見ていく。ひとつずつ、別物として扱いたい。

まず「消しゴムのカス」派生。これは鉛筆の音の型から分岐したもので、音は聞こえないが、翌朝行くと自分の席に消しゴムのカスが山になっている、というやつ。自分は昨日ほとんど消していない。そもそも掃除が入っているはずの朝に、カスだけが残っている。掃除のスタッフに聞くと「あの席だけは触らないことになってる」と言われる、という尾ひれがつくバージョンもある。物証系の派生の中では、机の穴より生活感があってじわじわ怖い。

次に「エレベーター」派生。塾の入る雑居ビルはエレベーターが一基か二基しかない。そのエレベーターが、押していない階で止まる。開く。誰もいない。閉まる。これだけの話だが、止まる階が固定されているのがポイントで、たいてい塾のフロアではなく、その一つ下か上の、テナントが入っていない空きフロアだ。空きフロアの前で扉が開くと、真っ暗な廊下と、剥がされた看板の跡が見える。ビル怪談の古典的モチーフである「動かないエレベーター」や「行けない階」と直結していて、札幌の商業ビルで語られていた「動かない四号機」の噂や、中野の商業施設で語られる「地図にない地下四階」の噂と同じ棚に並ぶ。

三つ目、「非常階段の踊り場」派生。ビルの非常階段は全テナント共用で、しかも誰も掃除しないので薄汚れている。喫煙する講師や、電話をしにいく生徒がたまに使う。その踊り場に、制服姿で座り込んでいる人がいる、という話。声をかけると顔を上げる。顔は普通だ。普通なんだが、その制服が、その地域では二十年前に廃校になった高校のものだったりする。この派生の主眼は「非常階段が誰の管理下にもない」ことにある。塾のフロアではないが、塾に行くには通る。管理の空白地帯だ。

四つ目、「映像授業ブース」派生。これは比較的新しい。今の塾は個別ブースにモニターとヘッドホンを置いて映像授業を受けさせる形式が主流になってきていて、代々木ゼミナールが一九八九年に通信衛星で全国配信を始めた頃から数えると、もう三十年以上の蓄積がある。そのブースで、再生していない講義の音声が流れる。あるいは、ヘッドホンをつけた瞬間に、講義の音声に混じって「後ろ」と一言だけ入る。デジタルな怪異とアナログな怪異が同居する派生で、ここ数年で目に見えて増えた。

五つ目、「チューター室の名簿」派生。閉室作業の型から分岐したやつで、荷物ではなく書類が主役になる。生徒名簿に、担当していない生徒の名前が一人ぶん多い。過去の年度の名簿を引っ張り出すと、同じ名前が毎年入っている。学年だけが毎年一つずつ上がっている。事務システムの世代交代でこの手の話は絶滅すると思われがちだが、実際には逆で、システムが変わるたびに移行漏れや重複レコードが生まれるので、話の種は尽きない。

六つ目、「トイレの三番目」派生。学校の怪談の花子さんが、そのまま塾に引っ越してきたバージョン。ただし塾のトイレは男女共用の場合が多く、しかもビル共用のトイレを使うので、話の主体が「塾の生徒」ではなく「このビルの誰か」になる。上の階の会社の人かもしれないし、下の階の店の人かもしれない。誰でもありうるというのは、誰でもないということだ。学校のトイレの怪談が「同じ学校の女の子」に限定されるのに対して、塾のトイレの怪談は主体が特定できない。だから怖い、という人と、だから薄い、という人で評価が割れている。

七つ目、「防犯カメラ」派生。これは二〇二〇年代に急増した型で、後で制度の話をするときにもう一度触れる。要点だけ言うと、閉室後の自習室のカメラ映像に、いるはずのない人影が映る。あるいは逆に、そのときたしかに座っていたはずの人が映っていない。記録メディアという第三者の目が入ることで、「見間違いだったのでは」という逃げ道が塞がれる構造になっている。

「消しゴムのカス、俺のじゃないんですよ」――Aさんの話

ここからは、聞き集めた話を並べる。

Aさんは現在三十代前半。地方都市の私鉄駅前にあった中規模の予備校に、高卒生として一年通った。校舎は駅前ロータリーに面した八階建ての雑居ビルで、予備校は四階から六階を借りていた。一階が携帯ショップ、二階が学習塾とは別系統の英会話教室、三階が歯科医院、七階と八階は当時空きフロアだったという。

「自習室は六階の奥。窓が北向きで、昼でも薄暗いんです。仕切りが高めで、座ると本当に自分しか見えない。夏はエアコンの効きが悪くて、冬は逆に効きすぎて足元が冷える。あそこにいた時間は人生で一番長く感じました」

Aさんが妙だと思い始めたのは、秋も深くなった十一月の頭。朝いちばんに自習室に入って、いつもの席、番号でいうと十九番に座ったときだ。

「机の右上に、消しゴムのカスが小さい山になってた。指でつまめるくらいの、けっこうな量。掃除は毎晩入ってるはずだから、朝にそんなものが残ってるわけがない。しかも前の日、俺は日本史の一問一答をやってて、消しゴムほとんど使ってないんですよ」

その日は気にせず払って勉強した。翌朝も同じところに、同じ量のカスがあった。三日目も。四日目、Aさんは試しに席を変えた。二十番。隣だ。

「二十番の机には何もなかった。でも、十九番を横目で見たら、そっちにはちゃんと山があった。誰も座ってないのに」

Aさんはそれ以降、二十番を定位置にした。十九番には、そのあとも何人か座っていたという。誰も何も言わなかった。

「言わないだけで、たぶん見てたと思うんですよね。あの部屋、誰も余計なこと喋らないんで。みんな自分のことで手一杯だし。だから、俺があの部屋で誰かと話したのって、一年で三回もないんじゃないかな。それがいちばん怖いことかもしれない」

「非常階段の踊り場に、制服のまま座っていた」――Bさんの話

Bさんは、大学生時代に個別指導塾でアルバイト講師をしていた。二十代後半の今も当時の同僚と連絡を取っていて、この話は同僚も覚えているという。

「うちの塾は五階でした。ビルは全部で七階。エレベーターが一基しかなくて、授業の入れ替わり時間は本当に使い物にならないんです。だから講師はだいたい非常階段を使ってた。外階段じゃなくて、屋内の、コンクリートの打ちっぱなしのやつ」

十月の平日、二十一時過ぎ。Bさんは最終コマを終えて、テキストを抱えて非常階段を降りていた。四階と三階のあいだの踊り場に、人が座っていた。

「膝を抱えて、壁にもたれて。制服でした。学ラン。うちの塾の生徒かなと思ったんです。授業が終わって帰らずに残ってる子はたまにいるので。それで、大丈夫かって声をかけた」

顔を上げた。中学生か高校生か、Bさんには判断がつかなかった。目が合った。それだけ。

「そのまま、また膝に顔を埋めちゃったんですよ。俺はどうしようか迷って、とりあえず一階まで降りて、受付の社員さんに『三階の踊り場に生徒がいるんですけど』って言った。そしたら社員さんが変な顔をして、今日は中学生のコマが入ってないって言うんです」

二人で戻った。誰もいなかった。

「そのときは、まあ、帰ったんだろうって思ったんです。でも、その一週間後に別のバイトの子が同じことを言い出して。踊り場に学ランの子がいた、声かけたら顔を上げた、って。同じなんですよ、動作が。それで、社員さんが『あれ、たぶんうちの生徒じゃないから』って。それ以上は説明してくれなかった」

Bさんはその後、非常階段を使うのをやめた。エレベーターが混んでいるときは、教室で待つようにしたという。

「あの階段、たぶん七階まで全部つながってるんですよね。うちのフロアだけじゃなくて、下の店の人も上の会社の人も使う。誰が入ってきてもおかしくない。おかしくないんだけど、じゃああの子は誰なんだって話で。学ランって、どこの学校のかも分からないんですよ、遠目だと」

「カメラには席が二つ空いてた。目には一つしか空いてなかった」――Cさんの話

Cさんは中規模の進学塾で校舎責任者を務めていた人で、この話は二〇二〇年代前半のものだという。防犯カメラ導入後の話だ。

「うちの校舎は、自習室に一台、天井の隅にドーム型のを付けてました。入口を向く画角で、部屋全体がだいたい入る。生徒間のトラブルとか、持ち物の紛失とか、そういうのが起きたときに確認する用です。実際、そういう用途で見返したことは何度かありました」

問題の日は、共通テスト直前の一月。自習室は満席に近かった。閉室は二十一時半。

「その日、私は二十時ごろに自習室を一周してるんです。席の埋まり具合をざっと見て、空いてる席が一つだけだったのを覚えてる。奥の壁側。使われてないのが不自然なくらい、いい席なんですよ、あそこ。静かだし」

翌週、まったく別件で、その日の映像を確認する必要が出た。生徒の忘れ物の件だったという。

「巻き戻して二十時前後を見たら、空席が二つあったんです。奥の壁側と、その手前。手前の席には、私の記憶では人が座ってた。誰が座ってたかも覚えてる。うちの高三の子で、髪型が特徴的だったから」

Cさんは、自分の記憶を疑ったという。当然だ。同じ日の別の時間帯の映像も見た。その生徒は、その日たしかに校舎に来ている。入退室ログにも残っている。授業も出ている。

「でも、自習室の映像だけ、あの一時間ちょっとのあいだ、その席が空いてるんです。人が座っている絵にならない。座る前と、立った後は映ってる。座ってる最中だけ、映ってない」

Cさんは本部に報告しなかった。機器の不具合として処理することもできたが、点検してもカメラには異常がなかった。

「気持ち悪いのは、あの子が普通に受かって、普通に卒業していったことなんですよ。何もなかった。何もなかったのに、記録にだけ穴が開いてる。私はあの映像を消せなくて、しばらく手元に残してました。結局、規定の保存期間が来て自動で消えましたけど」

「去年の席次表に、自分の名前が載っていた」――Dさんの話

四人目。Dさんは二浪して私大に進んだ人で、これは二浪目の春の話だという。

「予備校の高卒フロアって、模試のあとに成績上位者の名前が貼り出されるところ、けっこうあるんですよ。うちもそうでした。廊下の掲示板に、クラス別の席次表が貼られる。上から二十人分くらい」

四月の後半、Dさんは掲示板の前で立ち止まった。新年度の一回目の模試の結果が出たばかりだったが、掲示板にはまだ前年度の最後の分が残っていた。剥がし忘れだ。

「なんとなく見てたら、自分の名前があったんです。前年度の、最後の模試の席次表。十四位。それ自体はおかしくない。俺、一浪目もその予備校にいたので」

おかしいのは順位だった。

「俺、一浪目の最後の模試、休んでるんですよ。インフルエンザで。ちゃんと欠席の連絡もして、後日問題だけもらって自宅で解いた。自己採点の点数も記録に残ってる。だから成績データそのものは残ってるんだけど、それは正式な席次には入らないはずなんです。会場で受けてないから」

Dさんは受付に聞きに行った。担当者は面倒くさそうに、システムの反映のタイミングのせいだろう、と説明した。Dさんは納得しなかったが、それ以上は追わなかった。追う余裕がなかったからだ。

「気になったのは、その席次表の十四位のところに書いてあったクラス名が、俺が一浪目に所属してたクラスと違ったことなんです。一個上のクラス。俺が一浪目のときに落ちて、上がれなかったクラス。そこに俺の名前が載ってる」

Dさんは、その掲示を写真に撮っていない。撮ろうと思ってスマホを出したときには、剥がされていたという。

「事務の人が回収したんだと思います。当たり前ですよね、年度が変わってるんだから。でも、俺の中では、あの一枚だけ別の一年の記録なんじゃないかって思ってて。休まずに受けて、上のクラスに上がってた俺の記録。二浪目のあいだ、ずっとそれが引っかかってました」

掲示板とSNSは、この話をどう解剖したか

この手の話がネットに投げられたとき、まっさきに来るのは共感じゃなくて解剖だ。それがこのジャンルの健全なところでもある。

いちばん多い指摘は、「深夜の自習室は幻聴が出やすい環境である」というやつ。これは実際その通りで、自習室というのは空調と照明のノイズが一定に鳴り続ける、いわゆる定常騒音環境だ。人間の脳は定常騒音の中からパターンを拾おうとする性質があるので、意味のない音の中に鉛筆の音や話し声を聞き取ってしまう。加えて、受験期の生徒は慢性的な睡眠不足で、深夜帯にはマイクロスリープが頻繁に入る。その境目で聴覚性の入眠時幻覚が出ることは珍しくない。この線で説明すると、鉛筆の音の型はきれいに解体できる。

二番目に多いのが、「荷物が残っていた話は、単に生徒が忘れて帰っただけ」という指摘。これも身も蓋もないが強い。塾の忘れ物というのは本当に多くて、閉室作業でカゴ一杯になることも普通にある。名前が書いていないのも普通だ。教材の版が違うのも、上の学年の兄姉のお下がりを使っている生徒が実在する以上、説明がついてしまう。

三番目、「模試の受験番号の話は、事務処理の実態を知らない人の妄想」という反証。これはやや過激な言い方だが、指摘の中身は正確だ。模試の会場運営は、外部の運営会社に委託されているケースが多く、会場ごとにルールが違う。テープでの貼り付け禁止のような施設固有のレギュレーションもある。番号シールを貼る作業も、座席図の掲示も、当日朝に集合した人員が手作業でやる。当然ミスは出る。番号が一つずれる、シールが二重に貼られる、欠席者の席が更新されない。そういう「人的依存の単一故障点」が積み重なった結果として、実際に富山大学や琉球大学のような取り違えが起きている。怪談として語られている現象の大半は、この運用の粗さで説明できてしまう。

四番目、「浪人フロアの去年もいた人は、単に多浪生である」という指摘。これがいちばん残酷な反証で、そしていちばん反論しづらい。多浪はいる。三浪も四浪もいる。医学部志望の層には特に多い。その人たちは実在の人間で、幽霊扱いされる筋合いはない。この反証は倫理的にも正しくて、実際、SNSでこの型の話が回るときは「多浪生を化け物扱いするな」という批判が必ず一定量ぶつけられる。ぼくもこれには同意する。「去年もいた人」という言い回しは、怪談としては優秀だが、人としてはけっこう最低だ。

五番目、これは考察側の主張になるが、「塾の怪談は幽霊譚ではなく職場怪談である」という読み。かなり鋭い。閉室作業、名簿、防犯カメラ、入退室ログ、非常階段。これらは全部、生徒ではなく従業員の視点で出てくるモチーフだ。夜勤の警備員の怪談、深夜のコンビニの怪談、病院の当直の怪談と同じ棚に置いたほうが座りがいい。実話怪談の叢書に塾の話が入ってくるのも、そもそも「大人が語る仕事の話」の枠として機能しているからだ、という説明で、これはかなり説得力がある。

六番目の論点として、「型の少なさ」を指摘する声もある。学校の怪談には花子さん、テケテケ、人体模型、二宮金次郎像と、キャラクターが立った怪異がずらりといる。塾の怪談には固有名詞がない。名前がつかない。名前がつかないから、コンテンツとして流通しない。『ダンダダン』や『地縛少年花子くん』のように学校の怪談がフリー素材として二次利用されていく流れに、塾の怪談は乗れていない。これはたぶん正しい観察で、そして塾の怪談が「まだ整理されていない」ことの理由でもある。

塾は法律上「学校」じゃない。それがこの怪談の土台になっている

ここからは、地面の話をする。取材していていちばん腑に落ちたのは、この点だった。

建築基準法上、学習塾は「特殊建築物」ではない。用途の大分類でいうと「事務所」だ。学校や病院や劇場やホテルは特殊建築物として扱われ、避難や防火について厳しい基準がかかるが、塾はかからない。予備校のうち、学校教育法に基づいて各種学校または専修学校として認可されたものは学校として扱われるが、認可を受けていない多くの学習塾や予備校は、施行令に列挙された「学習塾、華道教室、囲碁教室その他これらに類する施設」として処理される。

これが何を意味するか。事務所ビルの空き区画に、用途変更の確認申請なしで塾が入れる、ということだ。前の入居者がクリニックでも、事務所でも、手続き上は何もいらない。二百平方メートルを超える特殊建築物への変更でなければ、確認申請は不要になる。実際に、藤沢市でクリニックから学習塾へ用途変更した施工事例が公開されているが、法的には申請不要のケースだったところを、事業者側の判断であえて申請から行ったと説明されている。逆にいえば、申請せずに入っている塾のほうが圧倒的に多い。

ある建築設計事務所が公開している考察が、この問題をずばりと突いている。駅周辺の高層テナントビルの六階以上に予備校が入居する案件で、そのビルは各階の居室面積が二百平方メートル以下、屋外避難階段一つと避難上有効なバルコニーの設置によって、直通階段が一つで済む構成になっていた。ところが教室のレイアウトを引いてみると、一階あたり百五十人以上収容できる。三フロア使えば教職員込みで五百人だ。設計者はこう書いている。これだけ収容人員が増えても「事務所」で取り扱って本当に良いのだろうか、と。

五百人が、事務所として扱われる建物の六階から八階に、毎日詰め込まれている――。避難階段は一つ。エレベーターは九人乗りが一基。

この構造が、そのまま怪談の骨格になっている。塾の怪談に非常階段とエレベーターが頻出するのは、単に雰囲気があるからじゃない。そこが物理的に、そのビルにおける唯一の縦の動線だからだ。唯一だから、全テナントが使う。全テナントが使うから、誰が通っても不自然じゃない。誰が通っても不自然じゃない場所は、怪談にとって最高の舞台になる。

歌舞伎町の火災が、ビル怪談の地面をならした

そして、日本の雑居ビルの防火体制を根本から変えた出来事がある。二〇〇一年九月一日に新宿区歌舞伎町の小規模雑居ビルで発生した火災だ。死者四十四人、負傷者三人。五階建てのビルで、一つしかない階段の三階部分に置かれていた可燃物に火がつき、火災の感知と対応が遅れ、竪穴区画も形成されていなかったため、逃げ場を失った多数の客と従業員が亡くなった。

この火災の直後に全国の小規模雑居ビルを調査したところ、約九割に消防法令等の違反、四割に建築基準法の違反があることが判明した。内閣府の防災白書にその記述が残っている。九割だ。これを受けて消防庁は二〇〇二年に消防法を改正し、立入検査の時間制限を撤廃して夜間でも査察できるようにし、措置命令や使用停止命令の発動要件を明確化し、罰則を引き上げ、防火対象物の定期点検報告制度を新設した。二〇〇三年十月からは、いわゆる「特定一階段等防火対象物」に対する規制が本格運用に入る。

この「特定一階段等防火対象物」というのが、雑居ビル怪談を理解するうえで意外と重要な概念だ。要するに、三階以上の階に飲食店やカラオケ店のような特定用途が入っていて、避難に使える屋内階段が一つしかない建物のこと。該当すると、面積に関係なく自動火災報知設備の設置が義務になる。階段室の煙感知器の設置間隔は垂直距離七・五メートルにつき一個以上に半減され、感知の遅い三種の煙感知器は使えなくなる。受信機は再鳴動機能付きのものに限定される。避難器具はバルコニー設置か、常時使用可能な状態か、一動作で使えるものに限られる。

つまり国は、二〇〇〇年代前半に「階段が一つしかない雑居ビルは危険である」と法的に名指しした。この名指しが社会に浸透した結果、日本人の頭の中に「雑居ビルは何かある場所だ」というイメージが定着した。ぼくはこれが、ビル怪談の地面をならしたと思っている。

考えてみてほしい。エレベーターが止まる階の怪談、行けない地下の怪談、非常階段の怪談。これらが本格的に増えるのは二〇〇〇年代以降だ。それ以前のビル怪談は、どちらかというと「屋上」と「トイレ」に集中していた。階段と避難経路が怪談の主役になったのは、火災の後だ。制度が恐怖の形を作り替えた、というと大げさに聞こえるかもしれないが、少なくとも語彙は明らかに変わっている。

ここで一つ、はっきり言っておきたい。塾や予備校の入るビルで人が死んだ、という具体的な断定は、この記事ではしない。実在の建物や事業者を特定して事故や死者を結びつける語りは、怪談としても筋が悪いし、単純に迷惑だ。ここで言いたいのは、そういう個別事例の話ではなく、「雑居ビルというカテゴリー全体に、火災という集合的な記憶が刻まれている」という一般論のほうだ。塾はそのカテゴリーの中に間借りしている。それだけで、怪談の下地としては十分すぎる。

防犯カメラが増えたら、怪談の形が変わった

現代の塾の怪談を語るうえで、防犯カメラの話は避けて通れない。ここ数年で、この業界のカメラ事情はかなり変わった。

きっかけは制度だ。二〇二六年十二月二十五日に、いわゆるこども性暴力防止法が施行される。学習塾は、この法律で国の認定を受けられる「民間教育保育等事業者」に位置づけられる。認定を受けるかどうかは任意だが、認定事業者には、特定性犯罪の前科の確認、研修の実施、服務規律などのルール作り、環境整備、面談等による早期把握、相談体制の整備が求められる。

条文に「防犯カメラを設置すること」とは書いていない。書いていないが、個別指導ブースのように大人と子どもが一対一になる空間を抱える塾で、環境整備と早期把握を人手だけで担保するのは事実上むずかしい。講師を常に二名以上配置する、ブースの仕切りを低くする、扉に窓を設ける、といった手段もあるが、人件費と教室設計の制約を考えると、多くの塾でいちばん現実的な手段がカメラになる。業界向けのカメラ導入解説記事では、集団指導型で一フロア教室三室なら四台から六台、個別指導型なら出入口と自習室と受付を含めて六台から八台が現実的、といった具体的な台数まで示されている。

自習室は、この設計の中で独特の位置を占める。授業時間中の自習室は、講師の目が届かない部屋だ。授業がない時間帯に開放している塾では、実質的に無人管理になる。だから入口を向く一台が置かれる。全国学習塾協会が出している安全確保ガイドラインでも、教室内は低い仕切りやガラス窓を多用して死角をなくすよう努めること、センサーや防犯カメラ等の監視システムも活用するよう努めること、監視システムは代表者以外が操作できないようにすること、といった条項が並んでいる。

さて、ここからが怪談の話だ。

カメラが入ると、怪談の証明責任が変わる。それまでは「見た」で終わっていた話が、「じゃあ映像を見よう」に進む。進んだ結果、二種類の話が生まれた。映っているのに誰もいなかった話と、いたのに映っていなかった話だ。Cさんの話は後者だった。

面白いのは、映像という物証が入ったことで、怪談が弱くなるどころか強くなったことだ。「見間違いだったんじゃないの」という反証を、映像が塞ぐ。ところが映像そのものは、機器の不具合、圧縮のノイズ、動体検知の設定、書き込みエラーといった技術的な理由でいくらでも壊れる。だから決着がつかない。決着がつかない話は、いつまでも語り継がれる。

もうひとつ、無人運営の普及も効いている。スマートロックとクラウドカメラとチャットツールを組み合わせて、店頭にスタッフを置かずに自習室を運営する業態が普通になった。ある会員制自習室の運営会社は、リモート接客体制の構築で人件費を四割削減したと公表している。会員のプランごとに解錠時間を制御して、塾の授業時間外だけ自習室として開放する、受験直前期は早朝五時から開ける、夏期講習期間は二十四時間開ける、といった柔軟な運用もできる。

人がいない。でも鍵は開いている。カメラは回っている。この状態が、二〇二〇年代の自習室怪談の標準的な舞台設定だ。かつての怪談は「誰もいないはずの場所に誰かがいる」だったが、今の怪談は「そもそも誰もいないことが前提の場所で、記録にだけ何かが残る」に変わりつつある。監視は怪異を消さなかった。監視は怪異の住所を、目撃から記録へ引っ越させただけだった。

浪人が減り続けた三十年と、「残った者」の重さ

最後の背景。業界そのものの縮小だ。

一九八四年春、名古屋の愛知県体育館で大手予備校の入塾式が開かれ、午前と午後に分けて中部エリアの浪人生およそ一万人が参加した。「燃えろ青春の一年」と書かれた垂れ幕が下がり、講師によるバンド演奏まであったという。東京の国技館や大阪城ホールでも同様の入塾式が開かれていた。今の感覚だと、ちょっと想像がつかない規模だ。

その規模を支えていたのが、浪人生の数だった。一九八〇年代後半から一九九〇年代にかけて、予備校はバブルだった。四百五十人収容の教室が立ち見であふれ、朝八時にシャッターが開くと、一、二時間前から待っていた生徒が一斉に八階まで駆け上がって最前列を取りにいく。カリスマ講師の年収は億を超え、教壇には生徒からの差し入れが積まれ、質問の列が一時間できた。派手な色のスーツで教壇に立っていた講師が、後年「赤面ものですね、でも当時はそういう空気感だった」と振り返っている。

それが崩れた。一九九〇年代初頭に三十万人いたとされる浪人生は、二〇一〇年代前半には十二万から十三万人規模に減った。センター試験と共通テストの志願者データでは、既卒者は一九九四年度の十九万二千二百八人から二〇二三年度の七万千六百四十二人へ。二〇一四年八月、代々木ゼミナールを運営する学校法人は全国二十七校舎のうち二十校舎で翌年度以降の生徒募集を停止し、七拠点に集約すると発表した。職員の希望退職も百人前後の規模で募集された。駿台予備学校も二〇二二年三月に神奈川県内の二校舎を閉じている。帝国データバンクが二〇二四年に出した主要三十五法人の調査でも、大手予備校二法人の資産総額が前年度比で減少していることが指摘されている。

大教室にすし詰めで名物講師が語りかける、という予備校像はほぼ消えた。今は一クラス三十人程度の小教室が主流で、映像授業と個別対応が中心になっている。心理カウンセラーが定期的に相談を受け付ける予備校もある。担任やチューターが進路相談だけでなく生活面の悩み相談にも乗る。面倒見のよさが求められる時代だ。

この変化は、怪談の意味を変えた。

かつての浪人生は、群衆だった。一万人の中の一人だ。そこには「みんな同じ立場だ」という奇妙な連帯があった。落ちたのは自分だけじゃない。今の浪人生は、少数派だ。周りの同級生はほぼ全員が進学していて、自分だけが去年と同じ場所にいる。予備校の高卒フロアは、その少数派を集めた小さな箱になっている。

「去年もいた人」という怪談が、この状況で持つ意味を考えてほしい。それは単なる幽霊譚じゃない。「ここから出られなかった人がいる」という警告であり、同時に「自分もそうなるかもしれない」という予感だ。選抜という制度は、必ず残る人を作る。残る人がいなければ、選抜は成立しない。塾の怪談が学校の怪談と決定的に違うのは、怪異の側に理由があることだ。学校の怪談の幽霊は、たいてい理不尽に死んだ子どもだ。塾の怪談の幽霊は、落ちた人間である。理由がある。その理由が、読む側にも刺さる。

なぜこれが怖いのか。なぜ広まったのか

整理する。

怖さの第一の理由は、感覚が偏っていることだ。ブース型自習室は視覚を殺すように設計されている。仕切りで視界を切って、目の前の紙だけに集中させる。その結果、聴覚だけが野放しになる。人間は視覚で確認できないものを、聴覚だけで判定しなければいけない状況に置かれると、極端に不安定になる。振り返れば済むのに、振り返れない。振り返ったら勉強が中断するし、振り返ったら何かがいるかもしれない。この二重の躊躇が、あの空間の心理的な骨格だ。

第二に、時間が異常だからだ。深夜の自習室に残るのは、健康な行動ではない。誰も残れとは言っていない。それでも残る。残るしかないと自分で思い込んでいる。その状態の人間の判断力は落ちているし、感覚も鈍っている。夜遅くまで勉強することを美徳として称揚する言い方が今も一部に残っているが、あれは根拠がないどころか、単に体を壊すだけだ。この記事は、その手のスローガンには一切与しない。怪談としてこの状況を面白がるのと、この状況を推奨するのは、まったく別のことだ。

第三に、場所の帰属が曖昧だからだ。塾は自分の学校ではない。自分の家でもない。誰の場所でもない、借りたフロアだ。しかもそのビルには、まったく別の生活を送っている人たちが同居している。下の階では酒を飲んでいて、上の階では誰かが残業している。その全部を、一つのエレベーターと一つの非常階段が串刺しにしている。自分の居場所ではない場所に、長時間、しかも深夜まで居続ける。この「所属のなさ」が、怪異を招き入れる隙になる。

第四に、選抜圧だ。塾には「落ちる」という失敗が組み込まれている。組み込まれているどころか、それが商品の前提だ。合格実績を掲げる以上、合格しなかった人が必ずいる。その人たちがどこへ行ったのか、塾は語らない。語られない人がいる場所には、必ず怪談が湧く。これは廃墟にまつわる怪談の発生原理とまったく同じで、「かつて大勢の人がいたが、その記録が残っていない場所」というのは、それだけで怪談の温床になる。

じゃあ、なぜ広まったのか。

理由の一つは、経験人口の多さだ。通塾率は七割を超えている。塾に通った経験がある人間が、この国には途方もない数いる。その全員が、あの空気を知っている。仕切りの向こうの気配も、閉室のアナウンスも、模試の座席表も、全部が説明不要で伝わる。共通体験としての強度が非常に高い。

二つ目は、語り口の相性だ。実話怪談という形式は、日常の中の小さな異物を扱うのに向いている。千字以内で書けと言われたときに、自習室の話は書きやすい。舞台説明が二行で済むからだ。「予備校の自習室にいた」と書けば、読者の頭の中にはもう部屋ができている。この省エネっぷりは、投稿型の怪談では反則級に強い。

三つ目は、逆説的だが、キャラクターがいないことだ。花子さんのような名前がないから、コンテンツとしては流通しにくい。しかし名前がないということは、パロディされにくいということでもある。学校の怪談は九〇年代以降、映画にもアニメにもゲームにもなり、消費されて摩耗した。花子さんは今や主人公キャラだ。塾の怪談は、その摩耗を免れている。だから今でも、素の状態で怖い。

じつは、学校の怪談の親戚ですらないのかもしれない

さて、ここからは腰を据えて書く。どうしても最後に整理しておきたいことが、いくつか残っている。

まず、この一連の怪談を「学校の怪談のサブジャンル」として扱うのは、たぶん間違いだ。この記事の冒頭ではあえてその位置づけから入ったが、取材を進めるほど、この二つは別のジャンルだという確信が強くなった。決定的なのは、語り手の年齢である。学校の怪談は、子どもが子どもに語る。塾の怪談は、大人が過去を語る。この違いは、話の構造そのものを変えてしまう。

子どもが語る怪談には、現在形の緊張がある。「うちの学校のトイレの三番目には出るらしいよ」というのは、今この瞬間の危険についての情報共有だ。だから話が短く、行動指針を含む。三番目に入るな、四時四十四分に鏡を見るな、というふうに。常光徹が分析していたのも、まさにこの機能だった。怪談は子どもたちの世界の地図であり、禁止事項のリストだった。

対して、塾の怪談は過去形で語られる。「あのとき、あの自習室で」から始まる。すでに終わった経験であり、行動指針を含まない。含みようがない。もう受験は終わっているからだ。つまり塾の怪談は、禁止のためではなく、追憶のために語られる。これは民俗学的には世間話よりも回想録に近い。実話怪談の本に収まりがいいのは、たぶんこの形式が一致しているからだ。

そう考えると、この怪談の本体は「あの一年は何だったのか」という問いなのだと思う。人生の中で、あんなに長時間、あんなに狭い机に向かって、あんなに孤独に過ごした期間は他にない。何も起きなかったはずがない、という感覚がある。だから、記憶の中の小さな違和感が、後から怪異の形に固まっていく。消しゴムのカスの山も、非常階段の学ランも、当時はただの引っかかりだった。それが十年経って、語れる形になる。

突っ込まれなくなった怪談は、進化をやめる

掲示板文化との関係も見ておきたい。2ちゃんねる系の投稿と近年の小説投稿サイト、この両者のあいだには断絶がある。

二〇〇〇年代の洒落怖の文化は、匿名性と即時性が命だった。誰が書いたか分からない話が、スレッドに投げ込まれ、次のレスで即座に検証される。この検証圧が強かったので、話は短く、細部が濃く、そして構造的にほころびが少なくなるよう洗練された。「予備校で」というタイトルで残っている、超常現象がひとつも出てこないストーカー体験談が「洒落にならない怖い話」として成立していたのも、この文化圏の特徴だ。あの場では、怖ければ何でもよかった。

対して、二〇二〇年代の小説投稿サイトの怪談は、作品として書かれる。作者名がついていて、シリーズがあって、目次がある。だから話が長くなり、描写が丁寧になり、そして検証されなくなる。カクヨムに載っている自習室の話が、雑居ビルのトイレの形が二等辺三角形だとか、錆びた蝶番がきいと鳴るとか、そういう細部を書き込んでいるのは、作品としての完成度を追っているからだ。怖さの質が、共有の恐怖から鑑賞の恐怖に移っている。

この移行は、怪談の生態系としては損失もある。検証されない怪談は、進化しない。突っ込みが入らないから、型が磨かれない。二〇〇〇年代の洒落怖が数年で驚くほど洗練されたのは、無数の突っ込みに晒されたからだった。塾の怪談が今も型として粗いのは、その洗礼を受ける前に、掲示板文化そのものが縮小してしまったからかもしれない。

制度は怪談を生む。ついでに殺しもする

制度と怪談の関係にも、もう少し踏み込みたい。

この記事では、二〇〇一年の雑居ビル火災と、それに続く消防法の改正が、ビル怪談の語彙を変えたという話をした。もう一歩進めると、制度は怪談を生むだけでなく、殺しもする。

たとえば、模試の座席表の怪談は、受付順配席方式と電子的な座席割り当てが普及すれば、原理的に成立しなくなる。空席がなければ、空席に何かが座る話は作れない。佐賀大学の事例で報告されているように、受験票のQRコードを読ませて当日受付順に座席を割り当てれば、そもそも「誰も座らない席」が発生しない。同じ論文では、この方式で試験室二十室、座席千二百二十四席、監督者四十四名、事務職員二十五名を削減できたと報告されている。効率化の副産物として、怪談の生息地が一つ消えるわけだ。

同じことは、閉室後の荷物の怪談にも言える。顔認証の入退室管理が入って、退室していない人間が一目で分かるようになれば、「持ち主のいない荷物」は成立しにくくなる。全員退室済みなのに荷物がある、という状況が、システム上の矛盾として即座に検知される。矛盾が検知されれば、それは怪談ではなく障害報告になる。

じゃあ怪談は絶滅するのか。しない、というのがぼくの見立てだ。理由は、システムが増えるほど、システムの穴も増えるからだ。Cさんの話がまさにそれだった。カメラがなければ、あの話は生まれなかった。カメラという記録装置が入ったことで、「記録と記憶の食い違い」という新種の怪談が生まれた。防犯カメラの映像に人影が映る話も、入退室ログに存在しない解錠記録が残る話も、全部そうだ。監視技術は怪異を締め出すのではなく、怪異の潜り込む場所を、目撃から記録へ移動させる。

そしてこの移動には、けっこう重い意味があると思っている。目撃は主観だ。主観は疑える。「疲れてたんじゃないの」で終わる。ところが記録は客観のふりをする。ふりをするだけで、実際にはいくらでも壊れる。壊れた客観は、壊れた主観よりずっと処理に困る。これから先の塾の怪談は、たぶんこの方向に伸びていく。スマートロックの解錠ログ、クラウドカメラの動体検知の通知、保護者アプリに飛ぶ入退室通知。深夜二時、閉室しているはずの校舎から、保護者のスマートフォンに「入室しました」の通知が届く。もうこれだけで一本書ける。

「去年もいた人」は、怪談としては優秀で、人としては最低だ

倫理の話もしておきたい。

この記事では「去年もいた人」の型を紹介したが、この型には明確な危うさがある。多浪生を化け物として扱う語りは、実在の人間を傷つける。ぼくはこの型を紹介するときに、あえて「怪談としては優秀だが、人としては最低だ」と書いた。この評価は変えない。

同時に、なぜこの型が生まれたのかは考える価値がある。人が誰かを幽霊扱いするのは、たいてい、その誰かに自分を見ているときだ。「去年もいた人」を恐れるのは、来年も自分がここにいるかもしれないという恐怖の投影である。だからこの怪談は、語り手自身の不安を、他人の姿を借りて外部化したものだ。そう理解すると、この型は加害的であると同時に、極めて痛々しい自己言及でもある。

受験生を追い詰める言説には、この記事は与しない。四時間睡眠なら受かって五時間睡眠なら落ちる、みたいな標語を美談として語る文化は、単純に有害だ。深夜の自習室で幻聴が聞こえるのは、怪異である前に、休んでいない体からの信号である。この記事に出てくる怪談を面白がるのは大いに結構だが、その面白がり方が「だからもっと頑張れ」に転ぶなら、それは読み違えだ。この怪談群が示しているのはむしろ逆で、あの空間はまともじゃない、という当時の身体感覚の記録である。

影じゃない。並行世界だ

最後に、「もうひとつの学校」という枠組みを整理しておく。

塾や予備校は、しばしば「学校の影」として語られる。学校教育の補完、あるいは歪み、あるいは病理として。でも取材していて感じたのは、影というより「並行世界」に近いということだった。

同じ十代が、同じ制服で、同じ教科書に近い内容を、まったく別の建物で、まったく別のルールのもとで学ぶ。学校には校歌があり校則があり卒業式があるが、塾にはない。学校には六年なり三年なりの持続があるが、塾には契約期間しかない。学校の建物は学校専用だが、塾の建物は借り物で、上下には無関係な業種がいる。学校には「特殊建築物」としての法的な位置づけがあるが、塾は「事務所」だ。

この並行世界には、学校が持っている儀礼が一切ない。儀礼がないというのは、区切りがないということだ。区切りがないから、終わらない。合格しても、退塾の儀式はない。ある日行かなくなるだけだ。落ちた人も、ある日行かなくなるだけだ。誰がいなくなったのか、周りは把握していない。名簿から消えるだけ。

怪談は、こういう場所に湧く。誰かがいなくなったことに誰も気づかない場所。いなくなった理由を誰も語らない場所。学校の怪談が「この校舎で昔なにかがあった」という因縁を必要とするのに対して、塾の怪談は因縁を必要としない。ただ「大勢が通って、大勢が消えた」という事実だけで足りる。

思えば、これは駅前の雑居ビルという舞台に、恐ろしいほど似合っている。あのビルもまた、テナントが入っては消える場所だ。二階の英会話教室は三年で撤退した。三階の歯科医院は移転した。七階は五年空いたままだ。誰がいたのか、誰も覚えていない。ビルだけが残って、次のテナントを待っている。

そのビルの、いちばん静かなフロアで、今夜も誰かが深夜まで机に向かっている。仕切りの向こうから、かり、かり、と音がしている。隣の席には誰もいない。誰もいないが、音は続く。

その音がやんだとき、その人はたぶん、席を立って帰る。荷物をまとめて、蛍光灯を消して、エレベーターを待つ。エレベーターは遅い。押していない階で一度止まる。開いて、閉まる。

そして一階に降りて、外に出る。看板の明かりだけが、まだついている。

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