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教育実習生が見た三週間――実習期間だけ現れる生徒と、教壇に立った者だけが知る学校の怪

三週間だけ「先生」になる、という奇妙な立場から始めよう

学校の怪談って、ふつうは子どもの側から語られるもんなんだよな。放課後に残ってた、トイレの三番目の個室を叩いた、夜の学校に忍びこんだ。語り手はだいたい生徒で、こわいものは大人の管理が届かないところに湧いてくる。ところがこのジャンルには、生徒でも教員でもない、どっちつかずの目撃者から語られる系統がひとつだけ存在する。教育実習生だ。

教育実習生っていうのは、制度としてかなり不思議な位置に置かれている。教育職員免許法施行規則の第六条で「教育実習」という科目が定められていて、免許を取るには幼稚園・小学校・中学校で五単位、高等学校で三単位が必要になる。そのうち事前事後指導が一単位で、残りが実際に学校に行って過ごす分だ。期間は法令で明記されていない。文部科学省が週数を数字で縛っているわけじゃなくて、実際の運用は各都道府県教育委員会と受け入れ校の裁量で決まっている。だから慣例として、幼稚園と小学校が四週間、中学校が三週間、高等学校が二週間というあたりに落ち着いている。この「三週間」という中途半端な長さが、この怪談の骨格になっているって話だ。

三週間というのは絶妙に嫌な長さでな。一週間なら「よそから来たお客さん」で終わる。半年いれば「新しい先生」として空間に馴染む。三週間は、馴染みかけたところで終わる。生徒が名前を覚えて、あだ名がつきはじめて、廊下ですれ違うと手を振ってくるようになって、そのあたりでいきなり消える。

実習生の側から見れば、自分は三週間だけこの学校の住人になり、三週間後には他人に戻る。学校という空間に対して、半分だけ内側に入って、半分は外側に立っている。民俗学の言い方を借りるなら、実習生はまさに「境界に置かれた人」なんだよな。境界に立つ者は異界のものを見やすい、というのは怪談の一番古い型のひとつだ。

しかも実習生には、生徒にも教員にもない特殊な作業がひとつ課される。名簿を覚えることだ。配属クラスの生徒全員の顔と名前を、三週間で一致させないといけない。座席表を渡されて、そこに顔写真がついていることもあれば、名前だけのこともある。実習生は毎晩それを見て、翌日の授業で誰を指名するかを考える。つまり実習生は、そのクラスの「人数」に対して、担任よりもむしろ神経質になる立場にある。ここに、この怪談が刺さる急所がある。人数を数えることを職務として与えられた人間が、数え間違いに気づいてしまったらどうするか。

語られている話の全体像――いわゆる「三週目の生徒」

この系統でいちばん流通している型を、まず頭からしっぽまで再話しておく。細部はバージョンごとに揺れるんだが、骨は驚くほど安定している。

語り手は大学四年の教職課程の学生で、六月に母校の中学校へ三週間の教育実習に行く。配属は二年三組、教科は社会科。指導教諭は四十代半ばの男性で、口数は少ないが面倒見はいい。初日、職員朝礼で挨拶をさせられ、それから教室に連れていかれて生徒の前で自己紹介をする。黒板に自分の名前を書いて、出身大学と、中学のときこの学校にいたこと、部活はバスケ部だったことを喋る。生徒はだいたい好意的で、後ろの方の男子が茶々を入れて、それで笑いが起きて空気がほぐれる。ここまではどこの実習でも起きる、ごくふつうの光景だ。

一週目は観察実習に充てられる。実習生は教室のいちばん後ろに椅子を持ちこんで座り、担当教諭の授業をひたすら見て、実習日誌にメモを取る。この「教室の後ろに一日中座っている」という時間が、この怪談ではとにかく効いてくる。生徒の後頭部を朝から夕方まで眺め続ける経験なんて、人生でそう何度もあるもんじゃない。

語り手は初日の三時間目に、後ろから数えて座席のかたまりを目でなぞりながら、なんとなく人数を数える。三十六。座席表を見る。三十五。もう一度数える。三十六。

このとき語り手はまだ怖がっていない。単純に、自分が数え間違えたと思う。実際そう思うのが正常だし、実習初日の緊張と睡眠不足を考えれば無理もない。休み時間に指導教諭に「二年三組って何人でしたっけ」と聞くと、三十五だ、と即答される。あ、じゃあ数え間違いですね、と笑って終わる。

ここで終わってくれれば話は成立しないんだが、二日目も、三日目も、後ろから数えると三十六になる。前から数えると三十五になる。この「前から数えると合うのに、後ろから数えると一人多い」という条件が、この話のいちばん特徴的なディテールでな。バージョンによっては「窓側の列だけ一列多い」「廊下側から数えたときだけ合う」といったふうに変わるが、方向によって答えが変わるという構造そのものは共通している。

二週目に入ると、実習生は部分実習を任される。授業の一部、たとえば導入の十分間だけを実習生が受け持つやつだ。ここで語り手は初めて教壇に立つ。そして立った瞬間に、後ろから数えていたときに感じていた違和感の正体が、視界の情報として入ってくる。教壇から見ると、教室の一番後ろ、掃除用具入れの横のあたりに、机がない場所に座っている生徒がいる。制服は同じ。体操着でもジャージでもなく、きちんと詰襟を着ている。ただ机がない。椅子もない。膝を揃えて、机に向かうのと同じ姿勢で、何もない空間に座っている。

語り手は授業を止めなかった。これは多くのバージョンで共通するポイントで、実習生は「ここで自分が取り乱したら授業が終わる」という職業的な圧に押されて、見なかったことにして喋り続ける。十分間の導入を終えて教壇を降り、後ろの席に戻って振り返ると、掃除用具入れの横には誰もいない。指導教諭は普通に授業を続けている。生徒も誰ひとりそちらを見ていない。

三週目は研究授業の週だ。実習の集大成として、実習生が一時間まるごと授業をやって、校長・教頭・指導教諭、それに大学から来た担当教員が後ろに並んで見学し、終わったあとに合評会をやる。語り手はこの日、教室に入る前から手が冷たかったと語る。教壇に上がって、深呼吸して、顔を上げる。掃除用具入れの横に、その生徒がいる。前回よりも近い。二列ぶんくらい前に出てきている。

そしてバージョンによって、ここからの落ちが分岐する。いちばん流通している版では、語り手は授業の途中でどうしても我慢できなくなって、その方向を指さして「そこの人」と言ってしまう。教室が静まりかえる。生徒たちが一斉に振り向く。誰もいない。後ろで見学していた大学の先生が咳払いをする。

合評会で語り手は散々な評価をもらい、その夜、実習日誌にその日の記録を書いていて手が止まる。日誌の出席欄に、自分の字で「三十六名」と書いてある。前の日も、その前の日も、初日から全部、三十六名と書いてある。語り手はその三週間ずっと、自分で三十六と書き続けていたのに、一度もそれに気づいていなかった。

発祥はどこか――初出をたどると意外と新しい

この話の系統をたどると、いくつかの層に分かれることがわかる。

いちばん古い層は、常光徹が一九九〇年代前半に採集して整理した学校怪談の基層にある「人数が合わない」型だ。常光は一九九〇年から講談社KK文庫の『学校の怪談』シリーズを出して大ブームを起こし、一九九三年に研究書として『学校の怪談――口承文芸の展開と諸相』をまとめている。そこでは学校の怪談を「非日常を生み出す文化装置」と位置づけて、学校制度がもたらす緊張の冷却と、子どもたちに残っている民俗的感覚という二つの条件から発生を説明している。この基層のなかに、遠足や修学旅行の集合写真に一人多い、点呼が合わない、班の人数が増える、といったモチーフ群が確かに含まれている。ただしこの層では、語り手は必ず子どもだ。実習生は出てこない。

次の層が、ネット掲示板の時代だ。二〇〇〇年代の2ちゃんねるオカルト板にあった「洒落にならないほど怖い話を集めてみない?」系のスレッド群、いわゆる洒落怖のなかで、学校を舞台にした投稿が大量に蓄積した。学校ものの洒落怖は「校内放送で校内を徘徊している生徒は本校の生徒ではありませんと流れる」型や「教師だけが知っている生徒」型が定番として繰り返し投稿されていて、老舗のまとめサイトに今も残っている。ここで初めて「学校の側の大人」が語り手になる怪談が増える。とはいえこの層の語り手は正規の教員であることが多くて、実習生というピンポイントの立場はまだ主役じゃない。

実習生が単独の主役になるのは、さらにあとだ。二〇一〇年代後半以降、おーぷん2ちゃんねるのオカルト板や、note、個人ブログ、投稿型怪談サイトに、実習生視点の投稿が散発的に現れはじめる。投稿型サイトには「最後の出席番号」という、クラス二十九人なのに三十番の席があって、そこに誰かが座っているという投稿が二〇二五年七月四日付で載っていて、投稿者名は「どこかで見た話」となっている。この投稿自体は実習生視点じゃないんだが、名簿と実人数のずれをネタにした話が今も新規に生産され続けていることの証拠にはなる。実習生型の初出をひとつのスレ、ひとつのレス番に特定するのは、正直むずかしい。同時多発的に、複数の場所で似た話が湧いたと考えるのが自然だ。

その「同時多発」が起きた理由もだいたい説明がつく。二〇一〇年代後半から二〇二〇年代にかけて、教職課程を取った世代がSNSで実習体験を大量に書くようになったんだよな。教育実習の週ごとのスケジュール解説記事、実習日誌の書き方、指導教諭との反省会のコツ、そういう実用記事が山ほど出た。教育新聞が二〇二四年十一月に載せた、学生団体が開いた実習生の座談会の記事みたいに、実習生の立場の曖昧さそのものを問題として扱う報道も出てきた。素材が整備されると、その素材を使った怪談が生まれる。学校の怪談というのは常にそういうふうに、その時代の学校のリアルを吸って形を変えてきたジャンルだ。

派生バージョンをひとつずつ

「実習日誌」型

さっき触れた落ちを、もっと徹底させたバージョンがある。この型では、そもそも教室に姿の見える生徒は出てこない。語り手はごく平穏に三週間を過ごし、研究授業も無事に終えて、最終日に生徒から色紙をもらって泣きそうになる、というところまで完全に幸福な実習の話として進行する。

異変は実習が終わったあとに来る。大学に提出するために実習日誌を清書していると、毎日の記録のなかに、自分が書いた覚えのない生徒の名前が繰り返し出てくる。「〇〇さんが挙手して発言」「〇〇さん、ノートの取り方が丁寧」といった、ごく普通の、教育的に何の変哲もない記述だ。字は間違いなく自分の字。母校に電話して名簿を確認してもらうと、そんな生徒はいない。過去にも在籍していない。ただ、電話に出た事務の人が最後に、その名前どこで聞きました、と妙に低い声で聞いてくる、というところで切れる。

この型が怖いのは、怪異が「見る」ではなく「書く」の側で起きているところでな。実習日誌というのは毎日提出して指導教諭の判子をもらう書類だから、指導教諭も三週間その名前を読んでいて、何も言わなかったことになる。

「もう一人の実習生」型

配属された実習生が四人のはずなのに、実習控室の机が五つ用意されている、という入り方をする型。控室というのは会議室や空き教室を実習期間だけ転用する場所で、実習生はそこで教材を作ったり弁当を食べたりする。

この型では、五つ目の机の上に湯呑みが置いてあって、毎日中身が減っている。四人はお互いを「〇〇さん」と大学名で呼び合っているんだが、あるとき一人が「五人だと思ってた」と言い出して、そこから記憶がずれはじめる。全員で撮った集合写真には四人しか写っていないのに、四人とも「撮ったときは五人並んだ」と証言する。

この型は明らかに、集合写真に一人多いという古典モチーフを反転させたものだ。古典は人数が増えるほうに壊れるが、こっちは減るほうに壊れる。減るほうが不気味だというのは、洒落怖以降の感覚だと思う。

「母校実習」型

日本の教育実習には、卒業生しか受け入れない学校が今でも少なくないという事情がある。だから実習生はしばしば、自分が中学生だった建物にそのまま戻ることになる。この型はその条件をフルに使う。

語り手は自分が三年生のときに使っていた教室に配属される。教壇に立って教室を見渡すと、当時自分が座っていた席のあたりに、自分と同じ制服の男子が座っている。顔を見ようとすると視界がずれる。実習が進むにつれ、その席の生徒の存在感だけがどんどん濃くなり、ほかの生徒がぼんやりしてくる。最終日、語り手は自分がまだ卒業していないんじゃないかという疑いに取り憑かれ、卒業アルバムを実家から引っ張り出す。自分のクラスのページに、自分が写っていない。しかも誰もそれを不思議に思わない。

母校実習型は、要するに時間のループと帰属の喪失を組み合わせたやつで、洒落怖の後期に流行った自己同一性が崩れる系の影響が強く出ている。

「校内放送」型

三週間のうち二週目あたりから、毎日決まった時刻に校内放送が入る。「二年三組の実習生の先生、職員室までお越しください」。行くと誰も呼んでいない。事務室に確認しても放送はかけていないという。放送室は無人。ところが三日目から放送の文言が少しずつ変わる。「二年三組の実習生の先生、教室にお戻りください」「二年三組の実習生の先生、まだ帰らないでください」。

この型は、学校の怪談における校内放送というアイテムの強さをそのまま流用したものだ。校内放送は学校空間で唯一、姿の見えない誰かが全員に一方的に語りかけられる装置で、洒落怖の定番になったのも当然だと思う。

「教科書に書きこみ」型

実習生は指導教諭から教科書を借りることがある。前年度まで使われていた見本用の教科書で、余白に前任者の書きこみが残っている。語り手はその書きこみを参考にしながら授業を組み立てるんだが、あるページの余白に「この段落を読ませるときは〇〇を指さないこと」と書いてある。〇〇は自分の配属クラスにいる生徒の名前。理由も何も書いていない。語り手は気にせず授業をやって、そのページでその生徒を指してしまう。

この型はここで切れるものが多くて、その後どうなったかは語られない。語られないことがそのまま怖さになっている、いい省略だと思う。

体験談・目撃談

一件目 中学校社会科、六月、三週間

いちばんよく引かれているのが、二〇一〇年代に個人ブログに書かれたという、地方都市の公立中学校で三週間の実習をした人の話だ。配属は二年生で、担当は歴史分野。語り手はこの実習中、特に幽霊らしいものは何も見ていない、と最初に断ってから話を始めるのが特徴でな。見たのは音だけだという。

実習生は毎朝、生徒より早く教室に入って黒板を消し、その日の日付とめあてを書く。七時二十分くらい、まだ誰もいない教室だ。語り手が黒板に向かって書いていると、後ろで椅子を引く音がする。振り返ると誰もいない。最初の数日は、上の階か隣の教室の音が反響しているんだろうと思っていた。

ところが日が経つにつれ、その音は明らかに教室の内側で鳴るようになる。しかも一脚じゃない。二脚、三脚、四脚と増えていって、二週目の終わりには、教室ぜんぶの椅子が一斉に引かれる音になる。語り手はそこで初めて怖くなって、朝の板書をやめて、生徒が来てから書くようにした。

最終日、生徒に色紙をもらって、指導教諭に礼を言って、荷物をまとめて教室を出るとき、廊下から教室のほうを振り返ったら、三十五脚の椅子が全部、きれいに机から引き出されて、こちらを向いていた。掃除は終わっていて、椅子は机の上に上げてあるはずの時間だった、と語り手は書いている。

この話が語り手自身の解釈をつけずに終わるところが、けっこう長く読まれた理由だと思う。誰の霊だとか、過去に事故があったとか、そういう説明を一切しない。ただ椅子が引かれる音が増えていくだけ。学校の怪談としてはかなり抑制の効いたつくりだ。

二件目 小学校四週間、図工室と準備室

こっちは小学校の四週間実習の話で、note系の投稿でよく見かける型。語り手は女性で、配属は四年生。小学校の実習は中高と違って全教科を見るから、教室以外の特別教室に出入りする機会が多い。この人は図工の時間に、図工室の準備室から材料を出す係を任された。準備室は北向きで窓が小さく、昼でも電気を点けないと何も見えない。

二週目のある日、準備室で画用紙の束を抱えて振り返ったら、入口のところに男の子が立っていた。図工室の児童の一人だろうと思って「どうしたの、教室戻ってて」と言うと、その子は何も言わずに準備室の奥を指さす。奥には、使われていない木工用の万力が固定された作業台があって、その下に段ボール箱が積んである。語り手が視線を戻すと、男の子はもういない。

気味が悪かったので指導教諭に話すと、指導教諭はしばらく黙ってから、「その箱、去年からずっと片づけようと思ってるんだけど、誰も手をつけないんだよね」と言った。中身は何ですか、と聞くと、「知らない」と返ってきた。四週間の実習が終わるまで、語り手はその箱を開けなかったし、指導教諭も開けなかった。

語り手はこの話を、怖い話というより後味の悪い話として書いていて、あの箱には結局何が入っていたのか、いまでもたまに考える、と締めている。学校という場所には、誰も責任者じゃないまま何年も放置される物が本当にあるという実感が効いていて、リアリティが高い一件だ。

三件目 高校国語、二週間、放課後の教室

高校の実習は二週間と短い。この短さが逆に効いた話として流通しているのがこれだ。語り手は男性で、担当は現代文。高校の実習生は授業の持ち時間が少なくて、空き時間が多い。語り手は空きコマにいつも、自分の配属クラスの教室で教材研究をしていた。放課後、生徒が部活に行ったあとの教室は静かで、集中できるからだ。

実習の八日目、いつものように放課後の教室で赤ペンを走らせていたら、後ろのドアが開いた。顔を上げると、制服の女子生徒が一人立っている。忘れ物かと思って「どうぞ」と言うと、その子は入ってきて、教室のまんなかあたりの席に座って、鞄から教科書を出して読みはじめた。語り手は特に気にせず作業を続ける。十分ほどして、そういえばこの子うちのクラスだったかな、と思って顔を上げると、その席は空だった。ドアは開く音も閉まる音もしなかった。

翌日、語り手は座席表を確認する。その席は、彼が二週間ずっと「欠席が多い子の席」だと思っていた席だった。指導教諭に「この席の子、まだ一度も来てないですけど大丈夫ですか」と聞くと、指導教諭は座席表を覗きこんで、「ここ空席だよ。三十九人だから一つ余ってるの」と答えた。

語り手はそこで、自分が最初の日から一貫して、そこに誰かが「休んでいる」と認識していたことに気づく。誰も座っていない席を、休んでいる席だと思いこむのは、なかなか変な誤りだ。この話は、目撃そのものよりも、自分の認識が二週間ずっと歪んでいたと事後にわかる構造で怖がらせにくる。

四件目 実習控室で聞いた話

これは体験談というより、実習生が実習中に先輩教員から聞かされた話として広まっているやつ。語り手は控室で弁当を食べているとき、ベテランの女性教諭にこう言われる。「実習生が変なもの見るのは、毎年のことだから気にしなくていいよ」。

え、毎年ですか、と聞き返すと、教諭はこう続ける。実習生って三週間しかいないでしょ、だから学校の側が実習生を覚えないの。覚えられてない人のことは、こっちのものも遠慮しないんだよ、と。

語り手はこの言い方がずっと引っかかっていて、実習が終わってから何年も、あの「こっちのもの」が何を指していたのか考えている、と書いている。この話の巧さは、怪異の描写がゼロなところだ。ベテラン教員が実習生に世間話として言っただけ。それだけで、その学校では毎年何かが起きていて、教員たちはそれを日常として処理している、という背景が立ち上がる。

掲示板とSNSでの反応、そして反証

この系統がまとめサイトや朗読チャンネルに載ると、コメント欄はだいたい三つに割れる。

一つ目は、実際に教職課程を取った人からの「わかる」系の反応だ。教室の後ろで一日中座っている時間の異様さ、名簿と実際の人数を毎日照合させられるプレッシャー、教壇に上がった瞬間に視野が変わる感じ。これらは実習経験者にとって共通言語で、怪異の部分を抜きにしても情景に説得力があると言われる。特に「前から数えると合うのに後ろから数えると合わない」というディテールは、実習経験者から「数えかたを変えると人数が違って見えるのは普通に起きる」という証言が寄せられていて、そのせいで話のリアリティが上がるという皮肉な効果が出ている。

二つ目は、まるごと創作だという指摘だ。実習生型の話にはいくつか、現場を知っていれば引っかかる穴がある。まず、実習日誌の出席人数欄というのは、書式によってはそもそも存在しない。日誌の様式は大学ごとに違っていて、時数と指導内容と反省を書かせるものが主流で、出席人数を毎日書く欄がある大学のほうが少数派だ。だから「日誌の全ページに三十六名と書いてあった」型は、様式を知らない人が書いた可能性が高いと指摘される。

次に、研究授業のとき教壇からいちばん近い後方にいるのは怪異じゃなくて見学者の列だ、というツッコミもある。校長・教頭・指導教諭・大学の担当教員がずらっと後ろに並ぶわけで、掃除用具入れの横に見慣れない人影がいたところで、実習生は「大学の人だな」と思って終わる可能性が高い。

三つ目は、心理的な説明を試みる層だ。実習生の三週間というのは、生活リズムが壊れる期間として悪名高い。指導案を毎晩書き直し、板書計画を作り、教材を切り貼りして、睡眠時間は三時間や四時間になる。そこに、慣れない環境で四十人近い視線を毎日浴びる緊張が乗る。この条件は、入眠時幻覚や周辺視野の誤認が起きやすい典型的な状態だ。特に「教室の後ろに座っている人影」というのは、周辺視野で捉えた掃除用具入れやコート掛けを、疲労した脳が人の形に補完したものとして説明しやすい。実際、都市伝説を扱う考察系サイトのなかには、学校の怪談の相当部分を錯覚と暗示で説明できると論じているものがある。

とはいえ、この三つの立場は思ったほど対立していない。むしろ実習生型の話が今も生き延びているのは、三番目の説明が成立するからだという見方が有力でな。錯覚だと説明できてしまうからこそ、体験者は自分の体験を「幽霊を見た」と言い切れない。言い切れないまま抱えている話は、断定した話よりもずっと長く語られる。

実在の制度と建築が仕込んでいる「怖さの下地」

この怪談が成立するために、実は現実の学校の側がかなり準備をしてくれている。

まず、教育実習の期間が法令で明記されていないという事実がある。中学校三週間というのはあくまで慣例で、受け入れ校の都合で二週間になったり四週間になったりする。つまり実習生は、自分がその学校に何日いるのかを、制度ではなく人間関係のなかで教えられる。学校空間における自分の存在期間が、契約ではなく口約束で決まっている状態だ。これは思っている以上に不安定な立場でな。実習生の「いつまでここにいていいのかわからない」感覚が、そのまま「いつからいるのかわからない誰か」の話に反転している。

次に、母校実習の慣行だ。卒業生しか受け入れない学校が少なくないという事情のせいで、実習生の多くは自分の記憶の中の建物に、大人の身分で戻ることになる。同じ廊下、同じ階段、同じ体育館。ただし目線の高さは違うし、入れる部屋の数も違う。職員室に自分の机がある。生徒だったころは絶対に入れなかった印刷室や更衣室に入る。この「知っている場所の裏側に入る」という経験は、怪談の装置としてほとんど反則級に強い。開かずの間の鍵を渡されるようなものだからな。

建築の面でも下地は充分にある。日本の公立学校の校舎は、戦後に鉄筋コンクリートの標準設計で大量に建てられていて、片廊下型で北側に廊下、南側に教室というレイアウトが多い。廊下は北向きだから昼でも暗く、しかも直線で長い。教室後方の掃除用具入れ、その隣の空きスペース、背面掲示板、コート掛け。この教室後方の一帯というのは、生徒からは背後にあたり、教員からは最も遠い場所で、視線の管理が最も薄いエリアなんだよな。学校の怪談が教室後方に集中するのは偶然じゃない。

そして特別教室の存在。理科室、音楽室、図工室、家庭科室、そのそれぞれに準備室がついている。準備室は窓が小さく、換気が悪く、備品が何年も動かないまま積まれている。誰が管理責任者かというと、たいていは学年ではなく教科の担当で、担当が異動すると引き継ぎが曖昧になる。だから「去年から片づけようと思ってる箱」が本当に存在する。二件目の体験談にリアリティがあるのは、この構造をそのまま使っているからだ。

さらに言えば、教員の多忙も下地のひとつだ。実習生の座談会で報告されているように、実習生は現場に出てはじめて教員の労働時間の実態を知る。指導教諭は自分の授業と担任業務と部活動と分掌をこなしながら実習生の面倒を見ている。だから実習生が「変なものを見ました」と言っても、まともに取り合ってもらえる時間的な余裕がない。怪異が放置されるという状況を、制度の側が自然に用意している。

なぜ怖いのか、なぜ広まったのか

この話の怖さの中心にあるのは、幽霊そのものじゃなくて、「数える」という行為だと思う。

学校というのは、人間を数えるための装置としてかなり徹底している。出席番号があり、名簿があり、座席表があり、朝の会で健康観察があり、遠足では点呼があり、避難訓練では人数報告がある。子どもが最初に叩きこまれる社会のルールのひとつが、自分は数えられる存在だということだ。学校の怪談に「人数が合わない」型が異常に多いのは、この数える文化への裏返しでな。数えて合うことが安全の証明になっている空間では、合わないことがそのまま最大の恐怖になる。

常光徹は学校の怪談を、学校制度がもたらす緊張を冷ますための文化装置だと説明していて、これは実習生型にもそのまま当てはまる。実習生の緊張はほとんど極限に近い。毎日見られ、毎日評価され、三週間後には成績がつく。その緊張の出口として、「自分が数え間違えたのではなく、数えられないものがいた」という物語が用意される。責任の所在が自分の外側に移る。怪談が持っている、この責任移送の機能はけっこう馬鹿にならないと思う。

もうひとつ、この話が広まった理由として大きいのは、語り手のポジションが読者にとって新鮮だったことだ。学校の怪談の語り手はずっと子どもだった。大人になった読者は、子どもの語りに対して距離を置いて読むしかない。ところが実習生というのは、二十代前半の、まだ完全には大人になりきっていない、学校の内側と外側の両方を知っている語り手だ。この視点は、かつて生徒だった読者にとっては懐かしく、今まさに教職を目指している読者にとっては生々しい。二〇一〇年代後半以降にこの型が増えたのは、教職課程を取った世代がSNSで発信するようになったタイミングと完全に一致している。

そして最後に、この話が扱っているのは幽霊よりも「消える」ということそのものだ。実習生は三週間で消える。生徒たちは色紙を書いて泣いてくれるが、二学期になれば誰も名前を思い出せない。学校というのは、毎年膨大な数の人間が通り過ぎては消えていく場所で、その痕跡はほとんど残らない。教室後方に机のない生徒がいるという絵は、要するに「かつてここにいたが、数に入らなくなった誰か」の象形だ。実習生が三週間だけそれを見てしまうのは、実習生自身が、あと三週間で数に入らなくなる人間だからだと思う。同類だから見える、というのは、怪談の理屈としてはかなり真っ当なんだよな。

語り手が子どもでなくなった、三番目の波

ここからは、この系統について、もう少し踏みこんで考えたことを書いておく。

まず整理しておきたいのは、実習生型の学校怪談が、学校怪談の歴史のなかで果たしている役割だ。学校の怪談は一九九〇年代前半に一度爆発的に流行して、そのあと供給元が変わっている。最初の爆発は講談社KK文庫の児童書と映画とテレビ番組が担った。次の波は二〇〇〇年代のネット掲示板で、これは口承から文字への移行だった。そして三番目の波が、二〇一〇年代後半以降の投稿型サイトと朗読チャンネルだ。

この三番目の波の特徴は、語り手が子どもではなくなったことにある。朗読チャンネルの主なリスナーは十代後半から三十代で、彼らにとって学校はもう自分の場所じゃない。だから「かつて学校にいた自分」を経由して怪異にアクセスする必要がある。実習生というのは、その経由地点としてほぼ理想的な役柄だ。学校に戻るが、生徒としては戻れない。この不可逆性が、話全体に喪失感の色をつけている。

次に、実習生型が使っている恐怖の技法をもう少し細かく見ておく。この系統の話は、ほとんどが「認知の訂正が遅れる」という一点で成立している。三件目の体験談を思い出してほしい。空席を二週間ずっと欠席者の席だと思いこんでいた、というやつだ。ここで起きているのは目撃じゃなくて、自分の頭のなかにあった前提が壊れる瞬間の眩暈でな。一件目の椅子の音も同じで、最初は外の音だと思い、次に隣の教室だと思い、最後に「これは教室の中で鳴っている」と訂正される。訂正のたびに安全圏が狭まっていく。

この構造は、正体を最後に見せるタイプの怪談よりも粘り強い。なぜなら、正体を見せる話は見せた瞬間に終わるが、認知が壊れる話は読者自身の記憶にも侵入してくるからだ。読み終わったあとで、自分が学生のとき、教室の人数をちゃんと数えたことがあっただろうか、と考えはじめる。そこが狙いだと思う。

三つ目に、この話に含まれている職業倫理の要素についても触れておきたい。実習生型の話で、語り手はほぼ例外なく、怪異に気づいたあとも授業を続ける。悲鳴を上げて逃げ出す実習生は出てこない。これは怪談としてはかなり珍しい態度でな。ホラーの主人公は普通、逃げるか調べるかのどちらかをする。実習生は、どちらもしないで職務を遂行する。

この「見なかったことにして仕事を続ける」という選択は、実は日本の学校という職場そのものの比喩として読める。現場の教員は日々、処理しきれない量の異常を「見なかったことにして」回している。学級のなかの小さな不和も、施設の老朽化も、誰も管理していない準備室の箱も。実習生型の怪談は、教壇に立った人間が最初に学ぶのがこの技術なんだ、と言っているように読める。だからタイトルにあるとおり、これは教壇に立った者だけが知る怪なんだよな。教壇に立つと視界が変わるというのは、物理的にも比喩的にも本当のことだ。

四つ目に、反証側の議論をもう一段だけ進めておきたい。さっき、実習日誌に出席人数欄がない大学のほうが多い、という指摘を紹介した。この指摘は正しいんだが、それでこの話が死ぬかというと、たぶん死なない。というのは、口承怪談における細部の誤りは、ふつう話の生命力にほとんど影響しないからだ。むしろ細部が現実とずれているほうが、地域ごと・大学ごとのローカライズが起きやすくなる。「うちの大学の日誌にはこの欄があった」「うちは週案表だった」という具合に、語り直すたびに細部が入れ替わる。常光徹が指摘した、七不思議が地域ごとに違う内容を持つのと同じ現象だ。怪異を回避する方法や、話の細部を自分の環境に合わせて作り替える力が、聞き手の側に備わっている。だから正確さで潰そうとしても、この手の話には効かない。

五つ目、これはやや醒めた話なんだが、実習生型の怪談が広まった背景には、教職の人手不足という現実的な不安も混じっていると思う。教員のなり手が減っている、労働環境が厳しい、実習に行って現場を見て諦める学生がいる。そういう話が二〇二〇年代を通じてずっと報じられている。教育実習は、教職を志す学生にとって最初の関門であり、同時に最初の脱落地点でもある。三週間で自分がここにいられるかどうかを判定される期間だ。そこに「あなたはここの人数に入っていない」というメッセージを持った怪異が現れるのは、心理的にはあまりにも出来すぎている。実習生型の怪談は、教職への憧れと、そこから弾かれることへの恐怖を、そのまま像にしたものとして読むこともできる。

最後に、この話をどう扱うのがいいかについて。この系統は、実在する学校名や個人名を伴って語られることが時々ある。「〇〇中学校で実際にあった」「実習生だった〇〇さんが」というやつだ。それはやらないほうがいい。学校は今も生徒が通っている場所だし、教員も実習生も実在の人間だ。怪談として面白いのは、名前が特定できないところ、つまり「どこの学校でもありうる」という一般性のほうでな。教室の後ろの、机のない場所に誰かが座っている。この絵に必要なのは固有名詞じゃない。読んだ人が自分の卒業した学校の教室を思い浮かべて、掃除用具入れの位置を思い出せること、それだけだ。思い出せた時点で、その教室はもうこの話の舞台になっている。三週間で消える先生と、最初から数に入っていなかった生徒。二人はたぶん、今もどこかの教室で、お互いだけを見ている。

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