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胸の名札を読まれた者から呼ばれる――「名前を答えるな」という学校怪談の背骨と、令和の校門から名札が静かに消えていった本当の理由

小学校の廊下ですれ違う子どもの胸には、かつて必ず白いプラスチックの板がぶら下がっていた。学年、組、そしてフルネーム。ひらがなで大きく書かれた自分の名前を、毎朝ランドセルを背負う前に安全ピンで留める。あの動作を覚えている人は多いはずだ。

そして同じ校舎の中で、子どもたちはこう言い合っていた。名前を呼ばれても返事をするな。振り向くな。名乗るな。誰に呼ばれたか分からないときは、絶対に「はい」と言うな。

この二つが同じ建物の中で同時に成立していたのが、昭和から平成にかけての日本の学校だった。胸に名前を掲げさせておきながら、名前を答えるなと囁き合う。この矛盾こそが、学校怪談というジャンルの一番深いところにある骨だと思っている。

そして令和のいま、その名札が全国の学校から静かに消えつつある。理由はもちろん怪談ではない。だが消えていった理由をたどっていくと、怪談が何百年もかけて言い続けてきたことと、驚くほど同じ結論に行き着く。名前を知られるのは、危ない。

「名前を答えるな」という一行が、学校怪談の背骨になっている

学校怪談を数十本並べてみると、舞台も怪異の姿もバラバラなのに、禁忌の作法だけが妙に揃っていることに気づく。呼ばれても返事をするな。名前を訊かれても答えるな。振り向くな。目を合わせるな。この四つはほとんどセットで、どの地域のどの怪談にも顔を出す。

なかでも「名前」がらみは扱いが特別だ。振り向くなとか目を合わせるなというのは、要するに距離の問題である。物理的に接触しなければ助かる。ところが名前の禁忌はそうじゃない。声を出した瞬間、相手が校舎の反対側にいようが屋上にいようが、もう捕まっている。名前は距離を無視する。それが子どもにとっては何より恐ろしい。

民俗学者の常光徹は、中学校の教員として現場に立ちながら子どもたちから直接この手の噂を集め続けた人物で、一九九〇年に講談社のKK文庫から『学校の怪談』を刊行している。全九巻になったこのシリーズは、創作をほとんど混ぜず、聞き取ったままの形で子どもの語りを並べるという方針で編まれた。第一巻だけは話と話のあいだに著者自身の解説が挟まれていて、児童書の体裁をしているのに中身は本格的な民俗学の分析になっている。ここで繰り返し指摘されるのが、学校怪談が「呼ぶ、答える、連れて行かれる」という問答の形式を持っているという点だった。同書を評した三浦佑之も、呼び声に応じることの危険という主題が、子どもたちの語りの中で自律的に育っていると書いている。

つまりこれは、誰かが作って流した設定ではない。子どもたちが自分たちで発見して、自分たちで守り続けたルールなのだ。だからこそ気持ちが悪い。

以下、この禁忌が具体的にどんな話として語られてきたのかを、ひとつずつほどいていく。

花子さん――呼ばれた側が「はい」と答えてしまう怪談

一番有名なのがトイレの花子さんだ。だがこの話、よく考えると呼びかけの方向が逆になっている。

作法はだいたい全国共通で、校舎の三階の女子トイレに行き、手前から三番目の個室のドアを三回ノックして、「花子さん、遊びましょ」と呼ぶ。すると中から「はい」と声が返ってくる。ドアを開けると、おかっぱ頭に赤いスカートの少女が立っている。あるいは血まみれの手が伸びてきて、便器の中に引きずり込まれる。地方によっては三つ首のトカゲが出てきて、花子のプライバシーを侵害したと責め立ててくる、という妙にコミカルな異伝もある。

ここで注意したいのは、名乗るのが呼んだ側ではなく、呼ばれた側だという構造だ。花子さんは自分の名前を呼ばれ、それに応じて「はい」と答え、そして出てくる。名前を呼ばれて返事をしたら現れなければならない、という縛りが怪異の側にかかっている。子どもたちが「返事をするな」と言い合っているルールを、花子さんはきっちり守ってしまっているわけだ。

発祥については諸説あって、はっきりしない。研究者のマシュー・メイヤーは一九五〇年代までさかのぼるとしている。国内では一九四八年ごろの岩手県が最初期の記録だという説がよく語られる。死因の説明もバラバラで、戦時中の空襲のさなかにトイレでかくれんぼをしていて死んだ、親か見知らぬ男に殺された、いじめを苦に自ら死を選んだ、といった系統が併存している。

なぜトイレの三階なのか。妖怪研究の側から出ている説明はけっこう身も蓋もなくて、戦後に鉄筋コンクリート三階建ての校舎が標準化したこと、そして三階のトイレが教師の目から最も遠く、休み時間以外はほぼ無人になる空間だったこと、この二つが効いているという。常光徹が言うところの「学校空間の周縁」だ。子どもにとって、校内なのに大人の管理が及ばない場所というのは、そこだけ法律の外側みたいに感じられる。そこで名前を呼ぶ。呼ばれたものが答える。

三階、三番目、三回ノック。三が三重に重なっているのも偶然ではない。日本の民俗的な呼び出し儀礼は、たいてい三度の反復で成立する。神を呼ぶにも死者を呼ぶにも三回。花子さんの作法は、そのフォーマットを子どもがそのまま流用したものになっている。

男子版として太郎くんという存在もいるにはいるが、こちらは知名度がまるで違う。呼んでも来ない。名前の力は、なぜか花子のほうに集まった。

カシマさん――名前そのものが問答の答えになる

学校怪談の中で「名前」の扱いが一番えげつないのがカシマさんだ。

基本の型はこうだ。まずこの話を聞いてしまう。あるいは読んでしまう。すると三日以内に、電話が鳴るか、夢に出るかして、女が現れる。両足がない、あるいは両手両足がない。そして問いを投げてくる。「足はいるか」「手はいるか」「私の名前を知っているか」。ここで正しく答えられなければ、答えたのと同じ部位を持っていかれる。あるいは死ぬ。

答えの型はいくつも流通していて、「足をよこせ」と言われたら「今使っています」、「手をよこせ」と言われたら「今必要です」と返せば助かる、というのが定番だ。そして名前を訊かれたときの正答が、あの有名な文字分解になる。カは仮面のカ、シは死のシ、マは魔のマ。カシマ。あるいはカは火事のカ、と言い換えるバージョンもある。

この「名前を分解して唱える」という作法は、怪談としてはかなり異質だ。ふつう名前の禁忌というのは、名前を言わないことで身を守る。ところがカシマさんの場合、相手の名前を正確に、しかも音節に分解して唱えることが護符になる。要するに、名前を知っていることが力になる側に回っている。相手の真の名を把握した者が、その相手を制御できる。名前をめぐる呪術の、もう一つの顔がここに出ている。

背景の物語も定型化していて、終戦直後に米兵に暴行された女性が鉄道に身を投げて両脚を切断された、というのがよく語られる。より詳しいバージョンでは、手足を失ったあと、容姿への強いこだわりから精神的に追い詰められて死んだ、とされる。もっとも、これは話に説得力を持たせるために後から接ぎ木された背景説明である可能性が高い。カシマレイコ、鹿島大明神といった別名も流通していて、名前のほうが先にあって物語が後付けされた気配が濃い。

初見健一は、一九七八年以降に口裂け女の噂が全国に広がったあと、その二番煎じの形式としてカシマさんが伸びたのではないかと指摘している。実際、口裂け女も「私、きれい?」という問いに正しく答えないと殺される、という問答型の怪異だった。問いを投げてくる怪異という枠が先に流行し、その枠の中に「名前」という中身が流し込まれたのがカシマさんだ、と読むと筋が通る。

地域差もあって、兵庫の加古川市と高砂市で死亡事件が報道されてパニックになった、という尾ひれのついた派生もある。都市伝説がニュース報道の形を借りて自分の実在性を補強しようとする、典型的な動きだ。

四時ババア――数字で呼び出され、名前で連れて行かれる

四時ババア、あるいは四次元ババアと呼ばれる系統も、名前の怪談として読むと面白い。

作法は数字尽くしだ。四月四日の午後四時四十四分四十四秒に、トイレのドアを四回叩く。すると四時ババアが出てきて、どこでもない場所に連れて行かれる。顔を撫でられるだけで済むバージョン、クイズを出してくるバージョン、一生つきまとわれるバージョンなど、地域ごとに微妙に違う。四次元ババアのほうはもう少し派手で、四月四日の四時四十四分にトイレに立っていると洗面器から水が流れ出し、それを見てしまうと四次元の世界へ連れ去られる。四年四組の黒板に大きな丸を描いて四時四十四分四十四秒を待つと、その丸の中から出てくる、という型もある。

大阪府枚方市の小学校、千葉県の給食室など、具体的な場所と結びついた語りも残っている。三時ババアという時刻違いの兄弟分もいて、時刻がずれるだけで名前が変わる。

ここで働いているのは、言うまでもなく「四」という忌み数だ。死に通じる音だから避ける。ところがこの怪談では、避けるどころか四を四つも五つも重ねる。禁忌の数字を過剰に積み上げることで、呼び出しのスイッチにしている。名前を呼ばないという禁忌の裏返しで、忌み数を呼びまくることで怪異を招く。禁忌を破る行為そのものが儀礼になっているわけだ。

そして連れて行かれる。四時ババアの怪談で一番よく語られる帰結が、この「連れて行かれる」である。殺されるのでも祟られるのでもなく、どこかへ行ってしまって帰ってこない。学校怪談における名前の禁忌が最終的に指し示しているのは、たいていこの神隠しの形だ。名前を呼ばれ、答え、いなくなる。

校内放送で名を呼ばれる型――「職員室まで来てください」

これは全国どこの学校にもある、と言っていいくらい広く分布している型なのに、名前がついていないせいでまとまった記録が少ない。放課後、あるいは補習中、あるいは部活の帰り際、校内放送が流れる。「三年二組の◯◯さん、職員室まで来てください」。

行く。誰もいない。職員室の電気は消えている。あるいは先生に「呼んでないよ」と言われる。教室に戻ると、机の上に何か置いてある。翌日から◯◯さんは学校に来なくなる。

派生はいくらでもあって、「校内を歩いている生徒は本校の生徒ではありません」という不気味な注意放送が流れる型、放送室に誰もいないのにマイクが入っている型、放送で名前を呼ばれた生徒が全員あとで事故に遭う型。共通しているのは、名前を呼ぶ主体が匿名の装置だという点だ。校内放送というのは、声だけが校舎じゅうに届き、話し手の姿は見えない。しかも学校という組織の権威をまとっている。呼ばれたら行かないといけない、という強制力がある。

考えてみると、これは近代の学校が発明した装置だ。出席簿で名前を読み上げ、返事をさせる。放送で名前を呼び、来させる。名簿という形で全員の名前を一覧化し、番号を振る。学校は、名前によって個人を捕捉して動かす仕組みそのものなのだ。だからこの型の怪談は、学校の日常業務がそっくりそのまま怪異に乗っ取られる。日常の手続きが、そのまま連行の手続きになる。

放送の怪談が怖いのは、返事をしなくても呼ばれてしまうからでもある。花子さんもカシマさんも、こちらが呼ぶか答えるかしなければ発動しない。だが放送は一方的だ。名簿に名前が載っている限り、誰にでも順番が回ってくる。

階段の踊り場で名を呼ぶ声――返事をした瞬間に段が増える

階段の怪談は数え切れないほどあるが、名前と結びついた型はだいたい踊り場が舞台になる。

日が落ちかけた校舎の階段を、一人で降りている。踊り場まで来たとき、下から自分の名前を呼ぶ声がする。友達の声に聞こえる。返事をして降りていくと、いつまでたっても一階に着かない。踊り場を過ぎ、また踊り場を過ぎ、同じ景色が続く。振り返ると上りの段も無限に伸びている。あるいは、返事をしなければ何ごともなく降りられるが、返事をしてしまうと段の数が一段増えている、という型。

四時四十四分四十四秒に踊り場の鏡の前に立つ、あるいは校内の鏡に映った状態で走ると消えてしまう、という鏡がらみの型も踊り場に集中している。踊り場というのは、上りでも下りでもない、階と階のあいだの宙ぶらりんな場所だ。どの階にも属していない。だから境界の空間として扱われる。

境界で名を呼ばれて返事をする、という構図は、実は日本の民俗の中でかなり古くから警戒されてきたパターンだ。峠、辻、橋、川原、そして夕暮れ。どっちつかずの場所と時間では、呼ぶ声の主が人間とは限らない。学校の踊り場は、その古い警戒心が校舎の中に持ち込まれた場所である。

赤マント、赤い紙青い紙――「どっちが欲しい」と問われる型

名前そのものではないが、問答形式の学校怪談として外せないのが赤マント系統だ。

赤いマントを着た男が子どもをさらう、という噂は昭和十五年、つまり一九四〇年の一月ごろに東京で爆発的に広まったとされる。昭和十一年の二・二六事件を起点とする説、昭和十年ごろの大阪の下駄箱にマント姿の男が出るという噂を起点とする説もあって、初出は確定していない。大久保あたりでは吸血鬼だという尾ひれもついた。北九州にも一九四〇年に伝わっている。神戸では一九七〇年代から八〇年代にかけて、赤い毛布の怪人という形で再燃した。

戦後、これが学校のトイレに移植されて「赤いマント、青いマント」になり、さらに縮まって「赤い紙、青い紙」になる。トイレに入っていると声がする。「赤い紙が欲しいか、青い紙が欲しいか」。赤と答えると血まみれになって死ぬ。青と答えると血を抜かれて青白くなって死ぬ。どちらを答えても死ぬ、というのがこの怪談の肝で、正解のない問いを突きつけられる恐怖が核になっている。

一部の地域では、黄色い紙と答えると小便まみれにされる、という笑いに逃がすオチもある。子どもたちは、どうしようもない二択に第三の選択肢をねじ込むことで恐怖を無力化しようとした。これはかなり健全な防御反応だと思う。

赤マント系の重要な点は、答えることそのものが破滅につながるという構造を、名前抜きで純粋に取り出していることだ。カシマさんは正答があった。赤い紙青い紙には正答がない。答えたら死ぬ。だから何も言わずに逃げるしかない。学校怪談における「返事をするな」の教義が、ここでは極限まで純化されている。

メリーさんの電話――名乗るのは向こうのほう

名前の学校怪談の中で、この話だけは向きが違う。

引っ越しのときに捨てられた外国製の人形。その少女のもとに電話がかかってくる。「あたしメリーさん。今ゴミ捨て場にいるの」。切る。またかかってくる。「あたしメリーさん。今駅前にいるの」。かかってくるたびに場所が近づいてくる。「今、あなたの家の前にいるの」。そして最後に、「あたしメリーさん。今、あなたの後ろにいるの」。そこで話は終わる。その後どうなったかは語られない。

ここでは怪異の側が、律儀に毎回フルネームを名乗る。名乗ることで自分の存在を確定させ、しかも位置情報を添えてくる。名前と位置がセットで通知されるという、いま思うとやたら現代的な形式だ。

派生も多い。捨てた日本人形が戻ってくる話、亡くなった恋人が公衆電話からかけてくる話。スペインの昔話「指輪」やイギリスの民話「エミリーの赤い手袋」との類似も指摘されていて、この型自体は日本固有ではない。玩具メーカーの電話サービスと結びついた噂も流れた。

メリーさんの怖さは、名乗りが接近の合図になっているところにある。名前を名乗るというのは、本来は関係を結ぶための行為だ。自己紹介である。だがこの怪談では、自己紹介が一歩ずつ距離を詰める儀式になっている。相手に名前を知られるのが怖い、という学校怪談の主題を裏返して、相手から名前を告げられるのが怖い、というところまで持っていった。

諱――名前は本体の一部だ、という古い理屈

ここまでの怪談を貫いている理屈は、実はまったく新しいものではない。

日本語には「諱」という言葉がある。忌み名、と読み下す。生前の実名のことで、これを避けて呼ばないという慣習が長く続いた。理屈は明快で、ある人物の本名はその人物の霊的な人格と強く結びついており、その名を口にすればその霊的人格を支配できる、と考えられていたからだ。だから実名は隠す。代わりに官職名や通称で呼ぶ。

中国ではこれが制度になった。避諱という。天子の諱と同じ字を使っている臣下は改名させられ、地名も官職名も変えさせられ、どうしても書かねばならない場合は漢字の最後の一画を欠いて書いた。国家がひとつの文字を追い回して消してまわるという、いま考えるとすごい話だ。

日本は中国ほど徹底しなかったが、平安時代には主従関係や師弟関係を結ぶ際に、自分の名を書いた名簿を差し出すというしきたりがあった。名前を書いて渡すことが、そのまま服属の意思表示になる。名前を預けることは、身柄を預けることだった。

法学者の穂積陳重は、フレイザーの『金枝篇』などを参照しながら、この種の名前のタブーが漢字文化圏に限らず世界各地に存在することを指摘している。実際、フレイザーは実名を秘匿する習俗を世界中から集めていて、人は自分の名を身体の一部と同じように扱う、という観察をしている。名前を掴まれることは、髪や爪を掴まれることと同じなのだ。

グリム童話のルンペルシュティルツヒェンも同じ理屈で動いている。名前を当てられた小人は、自分を裂いて消えてしまう。名を知られることが敗北であり、消滅である。洋の東西を問わず、人間は名前をそういうものとして扱ってきた。

学校怪談の「名前を答えるな」は、この途方もなく古い理屈が、鉄筋コンクリートの校舎の中で生き残ったものだ。子どもたちは誰にも教わらずに、諱の思想を再発明している。

魂呼ばい――名前で呼び戻せるなら、名前で連れ出せる

名前の力を示す民俗のうち、学校怪談ともっとも近い距離にあるのが魂呼ばいだ。

人が死ぬと、その家の屋根に登って、あるいは井戸に向かって、大声で死者の名を呼ぶ。魂を呼び戻すための呪術で、死をまだ確定していないものとして扱う信仰から来ている。古代には殯という期間を設けて、復活の望みを託した。屋根、枕元、井戸、庭、戸口、木の上、池や沼のほとり。呼ぶ場所には型があり、死者の着物を振りながら呼ぶのが定番だが、屋根で桝を叩きながら名を叫んだ例も、傘を開いた例も、鍋の蓋を使った例もある。

平安時代の記録にも登場していて、『小右記』や『栄花物語』に見える。藤原道長の娘である嬉子の事例がよく知られている。呼ぶ人は死者に近しい者がよいとされ、複数人で一緒に呼ぶほうが効くと考えられていた。沖縄では魂込め、魂呼びと呼ばれ、久高島にはマンブカネーという名で残っている。魂の出入り口が両肩の後ろあたりに想定されていたらしい所作も伝わっている。

ここが肝心なところで、名前を呼ぶことで魂を身体に戻せるのなら、その逆も原理的に成立してしまう。名前を呼んで、魂を身体から引き出せる。呼ぶ側が生者なら蘇生の儀礼になり、呼ぶ側が死者なら連れ去りの儀礼になる。同じ技術の向きが違うだけだ。

学校怪談で「呼ばれても返事をするな」と言われるのは、この向きが分からないからである。呼んでいるのが誰かを確かめる前に返事をしてしまうと、こちらの魂の位置を教えてしまう。返事とは、ここにいます、という自己申告だ。

山で名を呼ばれても返事をするな

山の民俗にも、同じ禁忌がそのままの形で残っている。

山で名前を呼ばれても返事をしてはいけない。振り向いてはいけない。呼んでいるのは天狗かもしれない、狐かもしれない、隠し神かもしれない。返事をすれば連れて行かれる。山で急に木が倒れる大音響がするのに、行ってみると一本も倒れていない天狗倒し。誰もいない谷から呼びかけられる呼び声。これらは山で働く人々のあいだで、迷信というより実務的な注意事項として共有されていた。

近年でも、遭難した二人組が自分の名を呼ぶ声から二十時間逃げ続けたという事例が報じられたことがある。実際にはそれは捜索隊の呼びかけだったのだが、当人たちは人を死へ誘う霊の声だと信じ込み、隠れ続けた。山の禁忌がいまも身体に染みついていることを、悪い形で証明してしまった話だ。

学校と山は、まったく違う場所に見えて、実は似た構造を持っている。どちらも広く、どちらも大人の目が届かない領域があり、どちらも夕暮れになると空気が変わる。子どもにとっての放課後の校舎は、大人にとっての日暮れの山と同じだ。だから同じ禁忌が働く。

産神と名付け、そして捨て子名

もう一段さかのぼると、そもそも日本では子どもの名前が特別扱いされてきた。

生後七日目の夜、お七夜に命名する。命名書を書いて神棚や床の間に貼り、産土の神に子どもの誕生と名を報告する。生まれてすぐには名前をつけない、というのがポイントで、七日間は名前のない期間が置かれる。乳児の死亡率が高かった時代、この世に定着するかどうかがまだ分からない存在に、いきなり正式な名を与えることを避けた。名前を持った瞬間から、その子はこの世の名簿に載る。

さらに古い習俗として、幼名にわざと粗末な名や汚い名をつけるというやり方があった。捨て子名と呼ばれる慣習では、いったん形式的に子を捨て、拾い親に拾ってもらってから名をつける。悪いものに目をつけられないよう、価値のなさそうな名を与えて誤魔化す。名前とは、悪意を引き寄せる標識でもあった。

産神は子どもの誕生に立ち会い、その子の生涯の枠組みを定めるとされる。名前はその契約書のようなものだ。だからこそ、外部の何者かに名前を握られてはいけない。子どもの名前だけがこれほど手厚く守られてきたのは、子どもがまだこの世とあの世の境目にいる存在だと考えられていたからだ。

学校怪談で狙われるのが、いつも子どもなのを思い出してほしい。花子さんも四時ババアも赤マントも、大人を襲わない。名前を答えて連れて行かれるのは、いつも子どもだ。この配役は、産神と名付けの民俗が言ってきたことと完全に一致している。

はないちもんめ――「あの子が欲しい」と名指す遊び

名前を名指すことの恐ろしさが、遊びの形で残っているのがはないちもんめだ。

二組に分かれて手をつなぎ、向かい合って一列に並ぶ。勝った組が歌いながら前へ出て、負けた組は後ずさる。「タンス長持ちあの子が欲しい」「あの子じゃわからん」「相談しよう」。そして両組がそれぞれ内輪で相談し、相手の組から誰をもらうかを決める。決まったら名指しする。「◯◯ちゃんが欲しい」。代表者同士がじゃんけんをして、勝った側の主張どおりに人が移動する。

名指しされ、勝負に負けると、自分の側から向こう側へ連れて行かれる。この遊びの構造そのものが、名前による連行だ。

起源については、江戸時代に広まった子とろ子とろ系の遊びから独立したものだろう、というのが有力な見方になっている。江戸から大正にかけては同じ遊びが確認できず、昭和初期に広がったらしい。京都市での記録が昭和十年に確認でき、大正末ごろに元歌があったと推測されている。

人身売買が起源だという説はよく語られる。花は若い女性の隠語で、一匁という値段で買われていった、あるいは鬼や異人にさらわれた中世の記憶が下敷きになっている、というものだ。この説には、子どもの遊びにしては内容が残酷すぎるという反論があり、支持する側は、大人には歌えない内容でも子どもは素直に伝承する、と返している。文献上の裏づけは示されておらず、推測の域を出ない。

ただ、起源が人身売買であろうとなかろうと、遊びとしてやっていることは変わらない。名前を呼び、その子を連れて行く。子どもたちは、名前で人を持っていける世界を、遊びの中で毎日リハーサルしていた。

胸の名札は、いつから当たり前になったのか

さて、現実の名札の話に移る。

学校で名札を着けるという習慣に、法的な根拠は何もない。法令で定められているわけではなく、各学校が独自に決めているだけだ。だから全国一律の導入時期というものが存在しない。近代学校の成立とともに名簿と出席簿が整備され、その延長で個人を識別する必要が生じ、いつのまにか胸に名前を掲げるのが当たり前になっていった。

そもそも名札は誰のためにあるのか。学校事務職員の柳澤靖明は、この問いを正面から立てている。子ども同士は名札がなくてもすぐに互いの名前を覚える。名札が本当に必要なのは学校側だ。複数の学級を担当する教員や、六学年で千二百人規模の学校の職員にとって、子どもの顔と名前を一致させるのは容易ではない。つまり名札は学校の業務用ツールである。

にもかかわらず、名札は保護者の私費で買わされてきた。三百円ほどの既製品を家庭が購入する。柳澤が勤めた中学校では、五十円ほどの安価な名札ケースを学校が公費で購入し、名前は学校が印刷する方式に切り替えた。義務教育なのに学校の都合で生じる費用が家庭に転嫁されている、という指摘は、名札という小さな板からずいぶん遠くまで届く。

名札が「学校が子どもを管理するための道具」だという事実は、怪談の側から見るとかなり重要だ。名札とは、名簿の携帯版なのだ。子どもは自分の名前を身体に貼り付けて歩いている。学校怪談の「名前を答えるな」という禁忌は、まさにその状態への抵抗として発生していた可能性がある。答えなくても、胸を見られたら終わりなのだから。

二〇〇一年、池田小事件が名札の意味を変えた

名札の扱いが本格的に問い直される最初の転機は、二〇〇一年六月の大阪教育大学附属池田小学校の事件だった。刃物を持った男が校内に侵入し、無差別に児童と教職員を殺傷。児童八名が亡くなった。学校という場所は安全だという前提が、この日に崩れた。

翌二〇〇二年、文部科学省が危機管理マニュアルを示し、以降、各校で安全管理の強化が進む。門を閉める。来校者に受付を通させる。来校者用の名札を配って着用させる。そして、校外での児童の名札着用をやめる学校が増えていく。登下校時は外すように指導する学校が多くなったのは、この時期からだ。ただし正確な全国統計は存在しない。学校ごと、自治体ごとに、ばらばらに進んだ。

面白い逆転がここで起きている。名札は「不審者を見分けるための道具」として来校者に着けさせるものになり、同時に「子どもを危険にさらす道具」として児童からは外させるものになった。同じ白い板が、大人の胸では安全装置になり、子どもの胸では危険物になる。名前を掲げるという行為の意味が、着ける人の立場によって完全に反転した。

二〇二一年、佐賀――名札から名前と学校が割れた

もう一つの決定的な転機は、二〇二一年に佐賀で起きた。

登校中の女子児童を複数回にわたって待ち伏せし、撮影して、その画像をインターネットの掲示板に投稿していた四十代の男が、県の迷惑防止条例違反の疑いで書類送検された。書類送検は三月二十六日。問題は、撮影された児童が名札を着けていたことだった。顔と名前、そして学校名まで、画像から個人が特定できる状態だったのだ。

これを受けて佐賀県警は三月末、県教育委員会に対し、登下校中の名札の外し方や校則の見直しについて協力を要請した。報道は四月二日。佐賀大学附属小学校の校長は、持ち物の名前が外から見えないようにするなどの配慮を検討すると表明した。

このとき示された数字も重い。県内で前年一年間に警察へ寄せられた声かけやつきまといは百六十七件。そのうち半数が小学生だった。

佐賀県内ではその後、対応が一気に進んだ。県西部のある小学校は、児童への盗撮被害をきっかけに、名札を学校に置いて帰る運用へ変更。同じ自治体内の全校が同様の措置をとった。佐賀市内のある小学校は、四月から登下校時の名札着用を全面的に禁止した。

保護者の反応も具体的だ。娘の友達が下校中に、見知らぬ男から名前を呼ばれたことがあった、という声が寄せられている。これは学校怪談ではない。現実に、下校途中の道で、知らない大人が子どもの名前を正確に呼んだのだ。

声かけ事案の手口としての「名前」

防犯の現場では、子どもへの声かけの手口がいくつかの型に整理されている。

誘惑型は、お金をあげるからついてきて、おいしいケーキ屋さんに行こう、といった具合に子どもの欲しがるもので引き寄せる。脅迫や詐欺の型は、私服警官だ、万引きしただろう、住所と学校を言え、と恐怖と混乱に乗じる。親切を装う型は、一緒に遊ぼう、家を知っているから送ってあげる、と接近する。そのほか、逃げると追いかける、身体に触る、無断で撮影する、といった行為が伴うケースもある。

このうち、名前が決定的に効くのは親切を装う型だ。名前を知っている大人は、子どもにとって自動的に「知っている人」になる。持ち物や名札で名前を確認してから、知り合いのふりをして話しかける。何年生? どこの小学校? と尋ねられ、答えているうちにランドセルを掴まれた、という事例も報告されている。

つまり現代の防犯マニュアルが警告しているのは、学校怪談がずっと言ってきたのと同じことだ。名前を知られるな。名乗るな。名前を呼ばれても、知っている人だと思い込むな。

違うのは、怪談が「返事をするな」と言うのに対し、防犯が「名前を見えなくしろ」と言う点である。怪談の時代には、名前は口から漏れるものだった。現代では、名前は胸から漏れる。だから対策も、口を閉じることから、板を外すことへ移った。

刺繍が消えた――神戸、富良野、そして各地

名札の見直しは、胸のプラスチック板だけにとどまらなかった。次に消えたのは、体操服とジャージの名前刺繍である。

神戸市では、二〇二一年の時点で市内の中学校の半数以上が、体操服の胸元に名前を入れなくなっていた。北区の大池中学校では、二〇一九年に制服の名札を廃止し、二〇二一年度から刺繍の名前も正式に廃止した。きっかけの一つは新型コロナの一斉休校明けだ。二〇二〇年六月、体育の授業で更衣室が密になるのを避けるため、体操服のまま登校させる運用が始まった。すると生徒の九割が体操服を選ぶ。つまり胸に名前を縫い付けたまま通学路を歩く子が、一気に増えてしまった。校長は、声かけ事案や不審者の発生が多い昨今、多少の不便はあっても生徒が安心して登校できるようリスクを最小限に抑えることが大切だ、という趣旨のコメントを残している。

北海道の富良野市立富良野東中学校は、二〇二三年度に制服をブレザーに変更するのに合わせてクリップ式の名札を導入し、登下校時の名札着用を廃止した。翌二〇二四年度にはジャージの名入れ刺繍も廃止している。判断の背景として、佐賀の事件が明示的に参照されている。名札から名前と学校名が割れて個人が特定された、というあの一件だ。

愛知県碧南市の日進小学校は、令和七年度から名札を正式に廃止した。理由として挙げられたのは、個人情報保護の観点、登下校中の安全面への配慮、そして経済的負担の軽減。移行期間として令和六年十月から令和七年三月までは着用を自由とし、新一年生については入学から夏の衣替えまでは従来どおりとする、という細かい運用まで示されている。緊急時に備えて、靴への記名は推奨された。

似た動きは各地で進んでいる。校内でのみ着用する。校外では裏返す。マグネット式やクリップ式にして着脱を容易にする。フルネームをやめて下の名前だけにする。姓だけにする。学年組と番号だけにする。刺繍そのものをやめる。学校ごとに選ぶ手段は違うが、向かっている方向は同じだ。子どもの名前を、外から読めなくする。

制服リユースという、もう一つの理由

刺繍廃止には、防犯とは別の追い風もあった。制服と体操服のリユースだ。

富良野市には「ふらの制服バンク」という回収と譲渡の仕組みがある。柏市の制服バンク、船橋市の制服バンク、市川市の制服リユースの取り組みなど、同種の事業は全国の自治体や社会福祉協議会、NPOへ広がった。制服は高い。成長期の子どもが三年で着られなくなる衣類に数万円かかる。使わなくなったものを回してもう一度着てもらえれば、家計も助かるし、廃棄も減る。

ところが、胸に名前が刺繍されていると、これが回らない。前の持ち主の名前が入った体操服を、次の子が着るわけにはいかない。ほどけば穴が残るし、上から縫い直せば不格好になる。刺繍を廃止した学校が「刺繍がなければ次の人にもわたりやすい」と語るのは、この事情だ。

つまり名札と刺繍の廃止は、防犯とリユースという二本の別々の動機が、たまたま同じ結論に向かって合流した結果だった。名前を刻まないほうが安全で、名前を刻まないほうが経済的で、名前を刻まないほうが環境にもいい。三方向から押されれば、慣習は動く。

名前は所有の印だった。持ち物に名前を書くのは、これは私のものだという宣言だ。その宣言をやめることが、いま合理的だとされている。所有からの離脱と、追跡からの逃走が、同じ動作になっている。

名札をやめると、困ることもある

ただ、名札の廃止には反対意見も根強い。これを無視すると話が薄っぺらくなる。

帰り道が分からなくなった低学年の子を、名札を見た近所の人が家まで送り届けてくれた、という経験談は多い。体調を崩して倒れた子の身元が名札で分かり、すぐ保護者に連絡がついた、という例もある。災害時、事故時に、その子が誰なのかが即座に分かることの価値は小さくない。

学校側の実務も回らなくなる。神戸の事例では、刺繍をやめたあと、教員が廊下で生徒に名前で声をかけられない、成績をつけ間違えるリスクが上がる、体操服の取り違えが増える、といった困りごとが実際に起きている。名札は業務ツールなのだから、外せば業務が滞るのは当然だ。

日本こどもの安全教育総合研究所の代表は、名前が分からないことは大切だとしたうえで、名札を裏返す器具など隠す工夫は可能だと提案している。同時に、事故や災害の際には血液型やアレルギー情報が必要になることも強調している。つまり、名前を完全に消すのではなく、必要な相手にだけ見せる仕組みが要る、ということだ。

中学生の縫い付けタイプの名札をどうにかしてほしい、という保護者の声もある。プラスチックの名札は外せばいいが、制服に直接縫い付けられた名前はそう簡単に取れない。地域とのつながりが薄くなることを心配する声もある。名前を呼び合える関係が地域の見守りを支えてきた面は確かにあって、それを一律に切り落とすと別の危険が入り込む。

名前は、守る道具でもあり、狙われる標識でもある。この二面性は、怪談が扱ってきたテーマそのものだ。名前を呼ぶことは呪いにもなり、蘇生にもなる。魂呼ばいと同じ構造が、防犯行政の議論の中で繰り返されている。

体験談その一――「下校中に名前を呼ばれた」

九州のある市に住む女性から聞いた話。娘が小学三年生だった年の、秋のことだという。

いつもの下校ルートは、住宅街を抜けて公園の脇を通る道だった。友達と二人で歩いていたら、公園のベンチにいた男が立ち上がって、娘の名前をフルネームで呼んだ。「◯◯ちゃんだよね」。娘は一瞬、誰だっけ、と考えたそうだ。ここが怖い。名前を呼ばれた子どもは、まず相手を疑わない。自分の名前を知っているのだから知っている人のはずだ、と脳が勝手に処理してしまう。娘は足を止め、男のほうを向いた。

一緒にいた友達のほうが機転が利いた。その子の家がすぐそこだったので、腕を引いて走った。二人で玄関に飛び込み、鍵をかけ、友達の母親に事情を話した。すぐに警察に連絡が行き、パトカーが来た。男は見つからなかった。

あとで娘に聞くと、自分は名札を着けていたことに気づいていなかった。学校では毎日着けるものだから、身体の一部みたいになっていて、外から読まれるという発想がなかったのだ。母親は、あの日から胸の名札が呪いの札に見えるようになった、と言っていた。学校に相談したら、翌年から登下校時は外す運用に変わったという。

この話が怪談と地続きなのは、娘が「足を止めて振り向いた」というところだ。名前を呼ばれて振り向く。学校怪談が何十年も「やるな」と言い続けてきた、まさにその動作である。禁忌が禁忌として語り継がれてきたのには、ちゃんと理由があった。

体験談その二――「放送で呼ばれた友達」

これは関東の中学校を卒業した男性から聞いた、真偽の判定が難しい話。本人も「たぶん記憶が混ざっている」と前置きしていた。

二年生の秋、部活動が終わったあとの午後六時過ぎ。もう職員室にも数人しか残っていない時間帯に、校内放送が入った。「二年三組の◯◯さん、至急職員室まで来てください」。呼ばれたのは彼の同級生で、その日は部活を休んで先に帰っていたはずの生徒だった。

体育館にいた数人が顔を見合わせた。あいつ今日いないよな、と。誰かが冗談で、幽霊が呼ばれてるんじゃないか、と言った。それで終わるはずだった。

翌日、その同級生が学校に来なかった。次の日も来なかった。三日目に担任から、家庭の事情でしばらく休むという説明があり、結局その子は二学期の終わりに転校していった。放送とは何の関係もない、単なる家庭の事情だった、と彼は言う。

それでも、あの放送が何だったのかは分からないままだそうだ。職員室で確認した生徒がいて、その時間に放送を入れた教員はいないという返事だったらしい。誰かのいたずらだろう。放送室の鍵は職員室で管理されていたが、日中は開いていることもあった。合理的な説明はいくらでもつく。

彼が今でも覚えているのは、放送のあとに体育館が急に静かになった感じだという。名前を呼ばれた本人がいない場所で、その名前が響く。そのとき初めて、名前というのは本人から独立して存在できるものなんだと気づいた、と。名前だけが校舎の中を歩き回っている。呼ばれた本人はどこにもいない。

体験談その三――「返事をしなかったから助かったと思っている」

三人目は、北関東で育った四十代の男性。小学校の高学年のとき、放課後の校舎で経験したという話。

図書委員だった彼は、閉館作業のために図書室に残っていた。作業を終えて廊下に出たのが午後五時前。冬の初めで、廊下はもう暗かった。階段を降りて二階の踊り場まで来たとき、下から自分の名前を呼ぶ声がした。名字ではなく、下の名前を呼び捨てにする声だったという。それができるのは親か、ごく親しい友達だけだ。

友達の誰かだと思って、返事をしようとした。口を開きかけたところで、彼は思い出した。当時クラスで流行していた話がある。踊り場で名前を呼ばれても返事をしてはいけない。返事をすると階段が終わらなくなる。

くだらないと思いながら、彼は返事をしなかった。黙って階段を降りた。一階に着いた。誰もいなかった。昇降口も無人で、外はもう真っ暗だった。職員室の明かりだけがついていた。

家に帰って母親に話したら、名前を呼ばれたのに返事をしなかったのはえらい、と褒められたそうだ。母親は山あいの村の出身で、山で名前を呼ばれたら絶対に返事をするな、と自分の親から言われて育っていた。息子が学校で聞いてきた話と、自分が村で聞かされた話が同じだったことに、母親のほうが驚いていたという。

彼はいまでも、あの声が誰だったのか分からないままだ。人の声だったかどうかも自信がない。ただ、返事をしなかったから何も起きなかったのだと、四十年近く経ったいまでも本気で思っている。それが迷信であることは分かっている。分かっていても、いまだに暗い階段で名前を呼ばれたら黙る自信がある、と笑っていた。

掲示板と考察界隈の反応、そしてその反証

ネット上でこの手の話題が出ると、必ず出てくる考察がいくつかある。

一つめは「名前禁忌怪談は、実際の誘拐事件への警戒が民話化したものだ」という説。子どもを守るための教訓話が、怪異の衣をまとって流通した、という読み方だ。これは分かりやすいし、部分的には正しい。ただし反証もある。名前の禁忌は、誘拐事件がほとんど報じられなかった時代にも、山や村の習俗として存在していた。魂呼ばいも諱も、犯罪防止とは無関係な文脈で成立している。教訓話として発生したのではなく、既にあった名前の観念が、たまたま防犯教育と相性が良かった、と見るほうが順序としては自然だ。

二つめは「学校怪談は戦争の記憶の変形だ」という説。花子さんの死因に空襲が出てくること、カシマさんの背景に終戦直後の暴行事件が置かれることを根拠にする。これも部分的には当たっている。ただ、戦争の記憶を背景に持つ怪談は、たいてい後年に追加された説明であることが多い。花子さんの死因のバリエーションが空襲、殺人、いじめと時代ごとに入れ替わっているのがその証拠だ。物語の核にあるのは「呼んだら答える」という形式のほうで、死因はその都度の社会状況に合わせて差し替えられている。核が形式で、内容が消耗品なのだ。

三つめは「一九九〇年代のメディアミックスが学校怪談を作った」という説。常光徹の書籍がヒットし、映画やアニメの『学校の怪談』が公開され、それが逆流して子どもたちの語りを標準化した、という見立てだ。これはかなり実証的に強い。全国で語られる花子さんの作法が「三階、三番目、三回ノック」に収斂していったのは、明らかにメディアの影響がある。ただし、収斂したというだけで、発生させたわけではない。メディア以前の一九七〇年代、八〇年代にも各地に類話は存在していた。メディアがやったのは、方言だらけだった怪談に共通語を与えたことだ。

四つめは「名札廃止と怪談を結びつけるのは牽強付会だ」という指摘。これは正論である。名札が消えたのは防犯行政と個人情報保護とリユース経済の帰結であって、怪談が影響を与えたわけではない。因果関係は存在しない。

ただ、因果がなくても構造の一致は観察できる。名前を知られると危ない、という同じ命題に、怪談も防犯もたどり着いた。片方は数百年の民俗の蓄積から、もう片方は事件統計から。出発点が違うのに答えが揃うのは、その命題が人間の生活の中でそれなりに真実だからだろう。

なぜ「名前」が怪異の入口になるのか

名前が怖いのは、それが身体の外に置かれた自分の一部だからだ。

髪も爪も、切り離せば身体から離れる。だが名前は、生まれたときから身体の外にある。他人の口の中にある。書類の上にある。名簿の中にある。自分では管理できない場所に、自分の一番大事な識別情報が置かれている。この根本的な無防備さが、名前を呪術の対象にしてきた。

そして名前は、呼ばれると応答してしまう。これは訓練の結果だ。学校は六年間かけて、名前を呼ばれたら返事をするという反射を子どもに埋め込む。出席をとり、指名し、放送で呼ぶ。返事をしないことは、そのまま反抗になる。名前を呼ばれて黙っているというのは、学校生活においてかなりの勇気が要る。

学校怪談の「返事をするな」が怖いのは、まさにその反射を裏切れと言ってくるからだ。学校が六年かけて作った回路を、たった一瞬で断ち切れと要求する。それができなければ連れて行かれる。子どもは、自分に埋め込まれた従順さそのものが罠になる、という理不尽を突きつけられる。

胸の名札は、その従順さの象徴だった。呼ばれる前から、名前を差し出している状態。返事をする以前に、もう答えてしまっている。名札を着けた子どもは、怪異に対して常時オンラインなのだ。

だからこの怪談は、学校という制度が存在する限り消えない。名前で個人を捕捉して動かす仕組みがある限り、その仕組みが乗っ取られる想像も生き続ける。

そして令和になって、大人たちがようやく名札を外し始めた。子どもが四十年前から言っていたことに、社会がやっと追いついた。

名前は呪いか、鍵か――禁忌を三つに割ってみる

ここからは、これまでの話を別の角度から編み直してみる。

まず整理しておきたいのは、学校怪談における名前の禁忌が、実は三種類にきれいに分かれるという点だ。一つめは、呼ばれて答えると捕まる型。階段の踊り場、廊下、山、放送。応答が敗北になる。二つめは、こちらから呼ぶと出てくる型。花子さん、四時ババア、こっくりさんの類。召喚が発動条件になる。三つめは、相手の名前を正確に唱えると助かる型。カシマさんの文字分解がこれにあたる。

この三つは矛盾しているように見える。名前を口にすると危ないのに、名前を口にすると助かる。だが呪術の理屈としては一本の線でつながっている。名前は制御装置なのだ。誰の名前を、誰が、どういう状況で唱えるか。この配置によって、制御する側とされる側が決まる。自分の名前を相手に渡せば、こちらが制御される。相手の名前を握れば、こちらが制御する。名前は権力のスイッチであって、善悪の記号ではない。

だからカシマさんは特異なのではなく、名前呪術の完成形に近い。ふつうの怪談は「渡すな」としか言わない。防御一辺倒だ。カシマさんだけが「握り返せ」と教える。カは仮面のカ、シは死のシ、マは魔のマ。この文字分解が呪文として機能するのは、名前をただ呼ぶのではなく、分解して構造を暴くからだ。相手の名前の内部構造まで把握しているという宣言になる。表面の音だけでなく、その中身を知っている。これは真名の呪術における、最も強い形の勝利宣言である。

次に考えたいのが、なぜ名前の怪談がここまで学校に集中したのか、という問題だ。

家にも名前はある。会社にも名札はある。だが「名前を答えるな」という怪談は、圧倒的に学校で語られる。理由はいくつか考えられる。

第一に、学校は名前が過剰に露出する空間だ。胸に名札、机に名札、下駄箱に名札、ロッカーに名札、体操服に刺繍、上履きに記名、給食袋に記名、雑巾にまで名前を書かされる。子どもは自分の名前に取り囲まれて一日を過ごす。これだけ名前が氾濫していれば、名前をめぐる恐怖が発生するのは自然だ。

第二に、学校は名前で人を動かす場所だ。呼ばれたら行く。呼ばれたら立つ。呼ばれたら答える。この訓練が徹底されているからこそ、その回路の乗っ取りが最も恐ろしい妄想になる。

第三に、学校は逃げられない。行きたくなくても行く。教室から出られない。名前を呼ばれても無視するという選択肢が、制度的に封じられている。禁忌が禁忌として機能するには、それを破ってしまう可能性が高くなければならない。返事をしてしまう確率が高いからこそ、返事をするなという禁忌が緊張を持つ。

第四に、学校には周縁がある。三階のトイレ、放課後の階段、体育館の裏、旧校舎、放送室。管理された空間の中に、管理の目が届かない小さな穴が点在している。この構造が、常光徹の言う学校空間の周縁だ。中心と周縁の落差が大きいほど、周縁は異界になる。家にはこの落差が薄い。会社にはこの落差を子どもの感覚で味わう人がいない。

ここまで来ると、名札の廃止が持つ意味も少し違って見えてくる。

名札を外すというのは、単なる防犯措置ではない。名前による捕捉を、部分的に解除するという判断だ。学校は名前で子どもを管理する装置だったが、その管理情報が外部に漏れることのリスクが、管理の利便を上回った。だから漏出を止めた。学校の管理そのものをやめたわけではない。名簿はあるし、出席はとる。ただ、外向きの表示だけを消した。

これは怪談の側から見ると、ずいぶん皮肉な光景だ。子どもたちは何十年も「名前を答えるな」と言い合っていた。そして大人たちは「名前をちゃんと書きなさい」と言い続けていた。ところがいま、大人のほうが「名前を見せるな」と言い出した。子どもが怪談で語っていたことを、行政文書が言っている。

碧南市の小学校の通知に並んだ三つの理由――個人情報保護、登下校の安全、経済的負担の軽減――を、そのまま怪談の言葉に翻訳してみると面白い。個人情報保護は、名前を知られるなという禁忌そのものだ。登下校の安全は、境界の時間帯に名を呼ばれるなという山の掟だ。経済的負担の軽減だけが、怪談に対応物がない。ここだけが純粋に近代の話である。

制服リユースの話は、もう少し掘る価値がある。名前の刺繍が邪魔になるというのは、名前が「所有の永続性」を前提にしているからだ。この服は誰それのものである、という宣言が布に縫い込まれている。一度縫い込めば、その服はその人のものであり続ける。ほどいた跡が残る。

ところが循環経済は、所有の一時性を前提にする。いま使っている人がいるだけで、次の人がいる。だから名前を刻んではいけない。名前を刻まないという判断は、モノと人の結びつきを緩めるという判断でもある。

これを人間の側に当てはめると、なかなか怖い話になる。名前とは、人と身体を結びつけている刺繍のようなものだ。魂呼ばいが成立するのは、名前が身体という器にしっかり縫い込まれているからだ。名を呼べば、その名の縫い目をたどって魂が戻ってくる。逆に言えば、名前の縫い目が緩んでいる存在は、魂が抜けやすい。

産神と名付けの民俗が、生後七日を無名の期間としたのは、この縫い目がまだ甘いことを知っていたからだろう。捨て子名や汚い幼名は、わざと粗い縫い方をしておく技法だ。目立つ刺繍を入れると、持っていかれる。

学校怪談で連れて行かれるのがいつも子どもなのも、同じ理屈で説明がつく。子どもの名前は、まだ身体に馴染んでいない。だから外から呼ばれると、そちらへ持っていかれる。大人は名前が身体に食い込んでいて、簡単には剥がれない。

さて、この記事の出発点だった矛盾に戻ろう。名札を着けさせておいて、名前を答えるなと囁く。この矛盾を、子どもたちはどう処理していたのか。

思うに、処理していなかった。矛盾したまま抱えていた。だからこそ怪談になった。

学校怪談というジャンルは、学校という制度への子どもの違和感が、物語の形をとって噴き出したものだと解釈されることが多い。それはおおむね正しい。だが「名前」の怪談に関して言えば、違和感というより、もっと単純な恐怖だと思う。自分の名前が、自分の意思と無関係にそこにある。剥がせない。読まれる。呼ばれる。そして呼ばれたら、身体が勝手に反応する。

これは自分の身体を自分で制御できていない感覚だ。思春期に近づく子どもが最も嫌う種類の無力感である。名札はその無力感を、白いプラスチックの板として胸に固定していた。

だから、名札を外すという決定は、防犯上の効果とは別に、子どもにとってひとつの解放でもあったはずだ。もっとも当の子どもたちは、そんな大袈裟な意味づけをしていないだろう。名札が消えて、朝の準備が一手間減った、くらいのものだ。

最後に、この怪談群がこれからどうなるかを考えてみたい。

名札は消えつつある。だが名前の露出は、まったく減っていない。むしろ増えている。子どもがオンラインゲームで使うハンドルネーム、学習用端末のアカウント名、部活の連絡アプリ、卒業アルバムの電子データ、保護者がSNSに上げる写真のキャプション。名前は胸から離れて、ネットワークの中に散らばった。

胸の名札には、少なくとも「外す」という操作があった。デジタルの名前には、外すという動作がない。一度どこかに書かれた名前は、こちらの意思とは無関係に残り続ける。呼ばれたことに気づかないまま、名前だけが遠くで応答している。

だとすれば、次の世代の学校怪談は、たぶん名札の話にはならない。アカウントの話になる。知らないうちにフォローされている、というのは、名前を知られているという恐怖の現代語訳だ。既読がついたのに返事が来ない。誰も入っていないはずの通話に自分の名前が表示されている。呼ばれてもいないのに応答してしまう自動返信。

名前を答えるな、という禁忌は、そのとき何と言い換えられるのか。返事をするな、では足りない。こちらが黙っていても、名前のほうが勝手に答えてしまう時代だからだ。

学校怪談が数十年かけて子どもに教えてきたのは、要するに一つのことだった。自分の名前と自分自身のあいだには隙間がある。その隙間から、何かが入ってくる。胸の名札が消えても、その隙間は消えていない。むしろ広がっている。

夕方の校舎で名前を呼ばれたら、黙っていればよかった。いまは、黙っていても届いてしまう。この違いは、たぶん思っているより大きい。

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