六月のあの朝、先生たちは水に向かって何を詫びていたのか
思い出してほしい。六月のはじめ、朝の会が終わったあたりで、担任が妙に改まった声を出す日があった。「今日はプール開きです」。それだけならただの行事だ。でも実際に外に出てみると、いつもと空気が違う。プールサイドに白い紙みたいなものが置かれていたり、教頭が小さな瓶を持って四隅を歩いていたり、なぜか校長が長々と喋っていたり。子どもは「早く入りたい」としか思っていない。けど大人の側は、明らかに何かの手続きを踏んでいた。
あれ、なんだったんだろう。
体育の授業が始まるだけなら、こんな儀式は要らない。跳び箱開きも鉄棒開きもない。マット運動の前に塩をまく学校は聞いたことがない。なのにプールにだけ、なぜか「開き」がついて、なぜか「清め」がついて、なぜか神主が来る学校まである。しかもこれ、一部の変わった学校の話じゃない。全国のあちこちで、しかも何十年も、当たり前の顔をして続いてきた。
つまり日本の学校は、プールという設備だけを、他の設備と違う扱いにしてきたわけだ。あそこは祓わないと使えない場所だ、と。誰も声に出しては言わないけど、手続きだけが残っている。この記事は、その手続きを端から端まで見ていく。実際にどんなことをやっていたのか。誰がやっていたのか。地域や学校でどう違ったのか。そして、なぜ学校のプールだけが、そんな扱いを受けることになったのか。
先に言っておくと、答えは一つじゃない。宗教の話でもあるし、行政の話でもあるし、水難事故の歴史の話でもある。そして最後には、いま全国で学校のプールが次々に消えていっているという、生々しい現在の話につながる。祓われてきた場所が、祓う人もいないまま埋められていく。その気持ち悪さまで含めて書く。
完全再話――ある年の、あるプール開きの朝
まずは情景から入ろう。特定の学校の話ではなく、各地の記録や証言に共通して出てくる型をつなぎ合わせた再話だと思って読んでほしい。
六月の第一週。前の週の土曜にプール清掃が終わっている。五年生と六年生がデッキブラシを持たされて、緑色のぬめりを剥がした日だ。そのぬめりが最高に気持ち悪くて、誰かが必ず滑って尻もちをついて、笑い声が上がる。底のタイルは、水を抜くと想像より広い。二十五メートルというのは、上から見るより、底に立ったときのほうが圧倒的に長い。壁は思ったより高くて、プールサイドの縁が自分の頭よりずっと上にある。あの感覚。「ここ、水があるときは自分の頭の上まで来てるんだ」というのが体でわかる瞬間。
清掃が終わると、その日のうちか翌日に注水が始まる。縦二十五メートル、横十二メートル前後、深さ一メートル強で、だいたい三百立方メートル前後。プールがいっぱいになるのに丸一日から二日かかる。夜のあいだも水は入り続けている。誰もいない校庭で、ホースの音だけがずっとしている。この「夜通し水が満ちていく」時間が、実はいちばん不気味だという人は多い。
そして当日の朝。一時間目が始まる前、あるいは全校朝会の直後。児童は体操服で、まだ水着ではない。プールサイドは裸足禁止で、上履きのまま外に出る学校もあれば、体育館履きに履き替える学校もある。並び方も学校によってバラバラで、プールを囲むようにコの字に並ぶところもあれば、二十五メートルの長辺に沿って学年ごとに整列するところもある。
前に立つのは校長だ。ほとんどの学校で、この日は校長が喋る。「今日から水泳の学習が始まります」。ここまでは普通。問題はこの次だ。「昔から、水には神様がいると言われています」。この一文が、公立小学校の校庭で、真顔で発される。
それから清めが始まる。よくある形はこうだ。教頭か体育主任が、小さな器に盛った塩と、一合ほどの日本酒を持つ。プールの四隅を、時計回りに歩く。角に来るたびに立ち止まって、塩をひとつまみ水面に散らし、酒を少し垂らす。塩は白い点になって一瞬浮き、すぐ見えなくなる。酒は水面に薄い膜を作って、ゆっくり広がって消える。子どもたちはこの「消える」ところをじっと見ている。何も起きないのに、なぜか目が離せない。
四隅を回り終えると、残りの塩と酒をプールの真ん中あたりに向かってまく学校が多い。角は結界で、中心は本体だ、という理屈らしい。誰もそう説明しないけど、動きだけ見ればそうなっている。
そのあと、代表児童が出てくる。六年生の男女一名ずつが多い。手に持たされるのは、洗面器かバケツか、学校によっては柄杓。プールの水を汲んで、自分の足に、腕に、最後に胸にかける。「水に慣れる」ための所作という説明がつくこともあるし、何の説明もないこともある。ただ、これが「水に体を差し出す」動作であることは、見ていればわかる。
そして誓いの言葉だ。「わたしたちは、先生の話をよく聞き、決まりを守り、安全に水泳の学習をします」。これを代表児童が読み上げて、全員で「はい」と返す。テープカットをやる学校もある。プールサイドの入口に紅白のテープを張って、代表児童がはさみを入れる。切れたテープが風でひらひらして、それを誰かが拾いにいく。
最後に、その年いちばん最初に水に入る学年が、シャワーを浴びに行く。冷たい。悲鳴が上がる。ここで初めて、いつもの学校の音になる。儀式が終わった合図みたいに、急に空気がゆるむ。
書き出してみると、これ、けっこうな手数だ。清め、供物、代表者による接触、宣誓、開通。祭りの構造そのものである。
塩と酒と、四隅という作法
塩と酒。この二つがセットで出てくるのには理由がある。日本の清めの作法で、塩は穢れを祓うもの、酒は神に供えるものだ。つまり四隅を回るあの動作は、「祓う」と「供える」を同時にやっている。相撲の土俵で塩をまくのと、地鎮祭で四隅に酒をまくのと、根っこは同じところにある。
面白いのは「四隅」という発想のほうだ。四隅を押さえると、その内側が特別な区画になる。地鎮祭では敷地の四隅に斎竹を立てて注連縄を張る。あれで「ここから中は工事のための清浄な土地です」と区切る。プール開きの四隅回りは、注連縄を張らないぶん簡略化されているけど、やっていることは同じだ。この水面から中は、これから子どもが入るための、清められた区画ですよ、と宣言している。
で、ここが引っかかるところなんだけど。区切るということは、区切る前は違ったということだ。塩と酒を打つ前のプールは、清浄ではなかった。じゃあ何だったのか。ただ汚かったという話なら、それは清掃の仕事だ。デッキブラシと塩素で片がつく。わざわざ酒を垂らす必要はない。
塩と酒が要るのは、物理的な汚れではないものを想定しているときだけだ。この作法が残っているという事実だけで、日本の学校は無意識に「プールには物理以外の何かが溜まる」と認めていることになる。誰もそこまで言語化しないだけで。
供え物の中身も土地によってブレる。塩と酒に加えて米を足す学校、水と塩と米の三点にする学校、榊の枝を一本だけ持ってきて水に浸す学校。地域の神社に相談すると「では米も」と言われて増えた、という話はよく聞く。逆に、酒は問題があるので塩だけにした、という学校もある。児童の前でアルコールを扱うのはどうか、という配慮だ。これはこれで現代的な理屈で、儀式が現場の都合で削られていく過程が見えて生々しい。
神主を呼ぶ学校、教頭がやる学校
ここからが地域差と学校差の本番だ。プール開きの祓いは、大きく三つの型に分かれる。
第一の型は、神職が実際に来るパターン。これは私立や幼稚園、こども園に多いけど、公立でもPTAが主体になれば起きる。実際、東京の下町の小学校では、PTAの会長と本部役員が地元の八幡宮に赴いて、水泳学習期間中の安全を祈願する神事を毎年やっている。学校が主催すると政教分離の問題が出るから、PTAという任意団体が神社に出向く形にする。この抜け方はかなり広く使われている。
神職が学校に来る場合の流れは、一般の出張祭典と変わらない。まず修祓。大麻という、榊の枝や木の棒に紙垂と麻をつけたものを振って、参列者と場を祓う。次に降神で神を招き、献饌で米、酒、塩、水、海のもの、山のものを供える。それから祝詞奏上。ここで「本年の水泳学習期間中、児童生徒に一切の水難なからしめ給え」というような内容が読み上げられる。続いて玉串奉奠。校長、PTA会長、体育主任あたりが順に榊を捧げて二礼二拍手一礼。最後に撤饌と昇神。全部やって二十分から三十分。神饌をおろした酒を、そのまま四隅にまく学校もある。
第二の型は、教職員だけで簡略にやるパターン。これがいちばん多い。朝早く、児童が登校する前に、校長と教頭と体育主任の三人くらいでプールに行く。四隅に塩と酒を置いて、頭を下げて、終わり。五分もかからない。栃木のある小学校の記録には、朝に関係の先生だけでお清めの儀式を行い、プールの四隅に塩と酒を置いて安全祈願をした、とはっきり書かれている。子どもには見せない。行事としては別に、児童向けのプール開きの会がある。祓いは大人の担当、というわけだ。
この「子どもに見せない」というのが、けっこう重要な手がかりになる。見せない理由は二つ考えられて、一つは宗教的な行為だから公にしにくいという事情。もう一つは、単純に、子どもに変な想像をさせたくないという配慮だ。塩と酒をまいている大人を見たら、子どもは必ず「なんで?」と聞く。「昔、事故があったから」と答えるわけにはいかない。だから朝早くに済ませる。
第三の型は、宗教色を完全に抜いたパターン。塩も酒も使わない。校長の話と、代表児童の誓いの言葉と、テープカットだけ。神様という単語も出さず、「水は怖いものだから、ルールを守ろう」という安全指導に振り切る。近年はこれが増えている。清めの部分だけが抜け落ちて、宣誓と開通の部分だけが残った形だ。
面白いのは、第三の型の学校でも「プール開き」という名前は捨てないことだ。「水泳学習開始式」に改名した学校もあるにはあるけど、圧倒的少数派。「開き」という言葉が持つ、閉じていたものを開けるというニュアンスだけは、しぶとく残る。
そもそも「開き」ってなんだ――山開き・海開きの子ども
プール開きという言葉は、山開きと海開きの構文をそのまま借りている。で、山開きのほうがずっと古いし、意味もはっきりしている。
昔の日本では、山は神が降りる場所だった。だから普段は入ってはいけない。禁足地だ。それを、季節のいい時期にかぎって、安全を祈願したうえで「今日から入っていいですよ」と解禁する。これが山開きの本義だ。富士山の七月一日の開山祭がその代表で、いまでも神事をやる。海開きはこれを真似た近代の制度で、海水浴が明治期に広まったあと、神主を呼んで海上安全を祈願する形が定着した。
つまり「開き」がつく行事には、必ず前提がある。そこは普段、人が立ち入る場所ではない。神のものである。だから期間限定で、断りを入れて、借りる。
この構文をプールに適用すると、とんでもないことになる。学校のプールは、普段は神のもので、夏のあいだだけ人間が借りている場所だ、ということになってしまうからだ。
冗談みたいだけど、日本の学校は実際にそういう運用をしている。プールは一年のうち、実質六月から九月の三か月しか使わない。残りの九か月、あそこは立ち入り禁止だ。フェンスに鍵がかかり、誰も入らない。水は張られたまま、緑色に濁っていく。落ち葉が浮き、藻が生え、ときどき鳥が降りる。人間の管理下にありながら、人間が触らない領域が、校庭の一角にずっとある。
九か月間、誰のものでもない水が校庭にある。それを六月に「開く」。この構造は、山開きの構造と、気味が悪いくらい一致している。
なぜ学校のプールにだけ、祓いが要るのか
市民プールやスイミングスクールでも安全祈願はやる。温泉施設のプール開きで神事をやったという記録もある。だから学校だけが特別というわけではない。ただ、学校のプールには、他の施設にはない条件がいくつも重なっている。
一つめ。使う人間が全員、泳げるとは限らない子どもであること。しかも参加は任意ではない。授業だから、逃げられない。水が怖い子も、入る。この「逃げられない子どもが水に入れられる」という構図が、学校のプールを他のどの水場とも違うものにしている。
二つめ。管理者が水の専門家ではないこと。監視するのは体育教員や担任で、ライフガードではない。三十人以上を、一人か二人の目で見る。市民プールなら考えられない比率だ。
三つめ。年に一度しか動かさない設備であること。ろ過装置も、排水口も、給水設備も、九か月止まっている。動かす前に点検はするけど、動かしてみないとわからないこともある。
四つめ。ここが本題に近いんだけど、学校のプールには「過去」がついてくること。同じ場所を、何十年も、何千人という子どもが通過している。市民プールなら利用者は入れ替わるだけだけど、学校は違う。卒業生という形で、その水を知っている人間が地域に蓄積されていく。そして何かがあれば、それは地域の記憶として残り続ける。
祓いというのは、本来、そこに何かがあると認めた場所にしかやらない。何もない場所は祓わなくていい。だから、プール開きの祓いが全国的に残っているという事実は、日本の学校が集合的に「あそこには何かある」と判断してきた、ということの現れだ。誰も明言しないまま、手続きだけが伝承されてきた。
学校にプールがある国――昭和三十年の夏から始まった話
ここで歴史の話に入る。世界的に見ると、小中学校に自前の屋外プールがある国というのは、そんなに多くない。日本のあの光景は、かなり特殊だ。そして特殊になった理由が、はっきりしている。
昭和三十年、つまり一九五五年の五月。瀬戸内海で連絡船同士の衝突事故が起きた。修学旅行中の児童生徒を大勢乗せた船が数分で沈み、百六十人以上が亡くなった。救命胴衣は全員に行き渡らず、渡っても使い方がわからないまま沈んだ子が多かったと記録されている。
この年の七月には、三重県の海岸で、中学校の水泳訓練中に女子生徒が大勢溺れる事故が起きている。参加した生徒の大半が泳げなかった。三十六人が亡くなった。同じ年の夏だ。
この二つが並んだことで、国の空気が決定的に変わった。子どもは泳げなければ死ぬ。だから泳ぎを教えなければならない。教えるには場所が要る。海や川では危ないから、管理された場所が要る。それがプールだ、と。
一九六一年にスポーツ振興法ができ、国の補助金で学校にプールを作る流れができる。一九六八年の学習指導要領改訂で、水泳が体育の中にきちんと位置づけられた。ここから全国的な建設ラッシュが始まる。昭和四十年代、日本中の小学校の校庭の隅に、次々と長方形の穴が掘られていった。
だからあのプールは、レジャー施設として作られたものじゃない。子どもが溺れて死んだから作られた設備だ。出自が水難事故なのだ。
これはけっこう重い事実だと思う。校庭にあるあの明るい長方形は、初めから死者を背負って設置されている。設置の動機に死がある。そう考えると、毎年その水に塩と酒を打つ行為が、急に筋の通ったものに見えてくる。あれは事故の予防だけじゃなくて、そもそもの由来に対する挨拶なんじゃないか。
水を抜いた日に見えるもの
学校プールの怪異の話をするなら、水が張られている日より、抜かれている日のほうが圧倒的に濃い。
年に一度か二度、プールの水は抜かれる。だいたい五月の下旬、清掃のときだ。前の年の九月から溜まったままの水は、この頃には完全に緑色になっている。透明度はゼロに近い。底が見えない。この状態のプールに、排水ポンプが入る。
水位が下がっていくときの光景は、経験者なら覚えているはずだ。まず水面が下がって、壁のタイルに水位の跡が輪になって残る。何本もの輪。年輪みたいに。次に、水の中にあったものが順番に現れる。落ち葉の層、泥、コケの塊、たまに死んだ鳥、たまに誰かの上履き。ゴーグル、髪ゴム、消しゴム。前の年の夏に落として、誰も気づかなかったもの。
そして底が出る。ここが妙な瞬間で、水があるあいだ、プールの底は「見えないけどある」場所だ。それが「見えるけど入れない」場所になる。まだぬめっていて、足を踏み入れるとまず滑る。空気の匂いが変わる。生臭いような、土のような匂いが、乾いたコンクリートの匂いに混じる。
このタイミングで生き物が出てくる。ヤゴだ。トンボの幼虫。九か月放置された水は、生態系として立派に成立していて、ヤゴやアメンボやミズムシが繁殖している。全国の学校でヤゴ救出作戦というのがやられていて、一校で四千匹以上を救い出した記録もある。命の教育としてはいい話なんだけど、裏を返すと、学校のプールは九か月かけて別の生き物の世界になっているということでもある。人間が入る前に、そこを一度、明け渡していた。
「水を抜いた日の話」が怪談として強いのは、この明け渡しと回収の構造があるからだと思う。九か月ぶりに人間が底に立つ。そのとき、そこには自分たち以外の何かの痕跡が必ず残っている。ヤゴの抜け殻。鳥の羽。持ち主のわからない靴。「これ誰の?」と聞いても、誰も名乗り出ない。名乗り出ないものが、必ずいくつか出る。
そこから先は、想像の領分だ。でも想像が働くだけの余白が、あの日の底には確実にある。
排水口という穴の話
これは慎重に書く。実際に人が亡くなっている話だから、扇情的にはしない。
プールの底や側面には、水を循環させるための吸水口と排水口がある。ポンプで水を吸い込むから、蓋が外れているとそこに強い吸引力が生じる。人間の体が吸い寄せられると、水圧で自力では離れられなくなる。
この形の事故は、日本で長期にわたって繰り返されてきた。記録を追うと、一九九〇年代から二〇二〇年代まで、断続的に発生している。二〇〇六年の夏、埼玉県のある市営プールで小学生が吸い込まれて亡くなった事故は、社会的に非常に大きく報じられ、国会でも取り上げられた。この事故を受けて、翌二〇〇七年に文部科学省と国土交通省が共同で「プールの安全標準指針」を策定している。
指針の中身はかなり具体的だ。排水口には蓋を設置し、蓋はネジやボルトで固定すること。それに加えて、吸い込み防止金具を設けること。つまり二重の安全対策を義務づけた。金具は丈夫な格子状にして、いたずらで簡単に外せない構造にすること、とまで書かれている。プールの使用期間前には必ず確認し、不備があれば、措置が済むまでそのプールの使用を中止すること。
いま、全国の学校でプール開きの前に必ずやっている点検作業は、この指針にぶら下がっている。教員が水を張る前に排水口の蓋を確認して、ボルトを増し締めして、写真を撮って記録に残す。あれは事務手続きに見えるけど、実際には過去の死から生まれた手順だ。
ここで気づくことがある。プール開きの前には、二種類の点検が行われている。一つは制度としての点検。蓋、ボルト、金具、水質、塩素濃度。もう一つは、塩と酒による点検。前者は物理的な穴を塞ぎ、後者は物理じゃない穴を塞ぐ。学校は、この二つを同じ週にやっている。
そして子どもの側から見ると、あの排水口の格子は、常に「向こう側」への入口として存在している。潜って底まで行くと、四角い格子があって、その奥は暗い。何も見えない。水は明らかにそこへ吸い込まれている。どこへ行くのかは知らない。この「行き先のわからない穴が、自分の泳いでいる空間の底にある」という感覚は、子ども時代に一度でも潜ったことがあれば忘れられないやつだ。
冬も水を張ったままの、身も蓋もない理由
「なんで使わない冬もプールに水が入ってるの?」という疑問は、日本の子どもの定番の疑問だ。答えは意外と即物的で、防火用水である。
学校のプールは、消防水利として位置づけられている場合が多い。近隣で火災が起きたとき、消防が水を取る場所として当てにされている。だから抜けない。清掃で抜くときは、あらかじめ消防に連絡を入れて、注水が終わったらまた連絡する。地域によっては、災害時の生活用水としても計算に入っている。学校は避難所になるから、トイレを流す水が要る。
もう一つ、構造上の理由もある。空のコンクリート槽は、地下水位が高い土地だと浮き上がることがある。水を入れておくと重しになる。これはプールに限らず、地下貯水槽全般の話だ。
で、この理屈は完全に合理的なんだけど、結果として何が起きているかというと、学校の敷地に一年じゅう、三百トンの水が置きっぱなしになっている。誰も泳がない。誰も近づかない。緑色に濁って、何が入っているかもわからない。それが子どもの生活圏のど真ん中にある。
災害用の備蓄という説明で納得はする。でも納得したところで、あの冬のプールの見た目が変わるわけじゃない。フェンス越しに見る、鉛色の空を映した緑の水面。落ち葉が固まって、島みたいになっているやつ。あれを見て何も感じない子どもはいない。
学校の怪談でプールが強いのは、この「一年じゅうそこにあるのに、一年のうち大半は禁じられている」という構造のせいだと思う。教室は毎日入る。体育館も入る。プールだけが、見えるのに入れない。見えるのに入れない場所は、必ず物語を生む。
プールの底に沈んでいるとされるもの
ここからは伝承の話に入る。学校プールにまつわる噂の中で、最も広く分布しているのは「底に何かある」系だ。
いちばん多いのは、プールを作るときに何かを埋めた、という話。井戸を埋めた。池を潰した。沼を埋め立てた。墓地だった。処刑場だった。バリエーションは無数にあるけど、構造は共通していて、「水のある土地を、人間が別の水で上書きした」という話になっている。
これ、面白いのは、実際にそういう土地は多いということだ。学校用地は広い平地が要る。日本の平地で広く空いている場所というのは、たいてい何かの理由で使われていなかった土地だ。低湿地、河川跡、池沼、氾濫原。そういう場所を埋めて学校を建てるケースは普通にある。そのうえプールは、敷地の中でも隅っこ、しかも地面を掘る施設だ。「掘ったら何か出た」という話が生まれる土壌は、物理的に整っている。
関西のある公園のプールには、元は釣り堀だった場所を、ろくな調査もせずにプールにしたという説がついた怪談がある。行方不明になった子どもの手が出る、という話で、地元では有名な部類だ。真偽はともかく、この「調査せずに水の上に水を作った」というモチーフは、全国の学校プール怪談に繰り返し出てくる。
もう一つ多いのが、底の模様が顔に見える系。プールの底には水深表示やコースラインが描かれていて、経年劣化でタイルが剥がれたり、補修跡が残ったりする。それが人の顔に見える、という話。これは心理学的にはパレイドリアで説明がつくけど、説明がついたところで、実際に見た子どもの恐怖は減らない。
そして「沈んでいるもの」系の最終形が、名前のない誰かがずっと底にいる、というやつだ。これは、その学校で実際に事故があったかどうかとほぼ無関係に発生する。事故があった学校には当然ある。事故がなかった学校にも、なぜかある。この非対称性が重要で、つまりこの噂は、事故の記憶から生まれているのではなく、プールという場所の構造から自動的に生成されている。
体験談その一――四隅の塩が、動いていた
ここからは、集めた体験談を三つ、それぞれ読み物として置く。細部は語り手の記憶に依るもので、裏取りができる性質の話ではない。そのつもりで読んでほしい。
北関東の小学校で、二十年ほど前に教員をしていた人の話。
その学校のプール開きは、児童向けの式とは別に、大人だけの清めをやる方式だった。前日の夕方、日が落ちる前に、校長と教頭と体育主任で行う。四隅に、小皿に盛った塩を置く。まくのではなく、置く。そのまま一晩置いて、翌朝回収する。地元の神社に相談したとき「一晩お供えしてください」と言われたのが始まりらしく、いつからか慣例になっていた。
その年、語り手は体育主任だった。夕方、三人で四隅に小皿を置いて、頭を下げて、鍵をかけて帰った。プールのフェンスの門は南京錠で、鍵は職員室の一か所にしかない。誰も入れない。
翌朝、七時前に回収に行った。二人はまだ来ていなくて、一人だった。門を開けて、プールサイドに入る。朝の水面は、風がないと鏡みたいになる。何の音もしない。
四隅を順番に回る。一つめ、そのまま。二つめ、そのまま。三つめで手が止まった。
小皿が、動いていた。置いた位置から、三十センチほど水際に寄っていた。しかも、塩が小皿の縁の片側に寄って、山が崩れている。何かが皿に触れて、押した、という感じの寄り方だった。
風かもしれない、と最初に思った。でも小皿は陶器で、そこそこ重い。それに他の三つは微動だにしていない。鳥かもしれない、とも思った。カラスは学校のプールによく来る。でも塩をつつく理由がないし、つついたなら皿はひっくり返るはずだ。
四つめを見に行った。四つめは、そのままだった。塩の山も崩れていない。
で、語り手が本当に嫌だったのはここからだという。四つの皿を回収して、職員室に戻って、校長に「三つめが動いてました」と報告した。校長は皿を見て、少し黙ってから、こう言ったそうだ。
「あそこの角、去年もだったよ」
それ以上は説明しなかった。翌年、語り手は異動になったので、その後どうなったかは知らない。ただ、その学校では、その角のあたりが最後まで水泳のコースとして使われず、いつも余白になっていたことを、あとから思い出したという。理由を聞いたことはなかった。深さの関係かと思っていた。
体験談その二――水を抜いた日、底に残っていた跡
こちらは、九〇年代に西日本の小学校に通っていた人の話。当時六年生。
その年のプール清掃は、六年生二クラスが担当だった。前日までに水は抜かれていて、当日の朝、底には五センチくらいの泥と藻が残っている状態。デッキブラシとタワシを持たされて、班ごとに区画を割り振られる。
語り手の班は、深いほう、飛び込み側の底だった。作業を始めて三十分くらいで、班の一人が「変なのある」と言った。
底のタイルに、模様があった。泥をこすり落とすと出てきたもので、色が変わっている部分。形は、はっきりした輪郭のある楕円がいくつか。並び方に規則性があった。楕円が五つ、扇形に並んで、その手前に大きめの楕円が一つ。
手形だった。
正確には、手形の形に泥が残っていた、というほうが近い。周りは全部こすれて白いタイルが出ているのに、そこだけ色が抜けない。何度こすっても薄くならない。班の全員でこすったけど、変わらなかった。
面白がって、みんなで自分の手を重ねてみた。小さい。六年生の手より明らかに小さくて、低学年か、それより下の大きさだった。この学校に、そんな小さい子は通っていない。プールに入るのは一年生からで、一年生の手なら、まあこれくらいかもしれない、という微妙なサイズ感。
先生を呼んだ。若い男の先生で、来て、しゃがんで、しばらく見て、「補修跡だな」と言った。昔ここのタイルが割れて、埋めたときに色が違うのが残ってるんだろう、と。それで納得しかけたんだけど、一人が「なんで手の形なんですか」と聞いた。先生は答えず、「もういいから、こっちやって」と別の区画に移らせた。
その年のプール開きは普通にあった。塩と酒はやらない学校だったから、校長の話と誓いの言葉だけ。水が入って、その手形は当然見えなくなった。
語り手が印象的だったと言っているのはここからで、その夏、飛び込み側の深いほうで、下級生が二回、パニックを起こしている。溺れたわけじゃなくて、足がつったとか、急に怖くなったとかで、大声を出して監視の先生が飛び込んだ。二回とも同じあたりだった。
もちろん、深いほうで下級生が怖がるのは普通のことだ。統計的にも深い側で起きるに決まっている。語り手もそれはわかっていると言う。ただ、あの手形をこすった感触だけは、大人になっても指に残っているそうだ。何度こすっても、薄くならなかった感じ。タイルの中に染みているのではなく、タイルの上に置かれているのに落ちない、という妙な手応え。
体験談その三――お祓いをやめた年のこと
三つめは、東北のある町の学校の話。伝聞の伝聞になるので、いちばん怪談らしい形をしている。
その学校では、長いこと、プール開きに神主を呼んでいた。町の神社の宮司が来て、プールサイドに小さな祭壇を組んで、祝詞をあげる。二十分くらいの神事で、児童も並んで見ていたという。かなり本格的な部類だ。
それが、ある年からなくなった。理由ははっきりしていて、宗教的行事を公立学校でやることへの指摘が、外部から入ったからだと言われている。実際、公立学校が公費で神事を行うのは、政教分離の観点で問題になりうる。学校としては真っ当な判断だった。翌年から、校長の話と誓いの言葉だけの、シンプルな式になった。
やめて最初の年の夏に、大きな事故は起きていない。これは大事なところなので先に書いておく。誰も亡くなっていないし、救急車も呼ばれていない。
ただ、細かいことが続いた、と語られている。ろ過装置が壊れて、途中で二週間ほど授業ができなくなった。復旧してすぐ、今度は水質検査で基準を外れて、また止まった。八月の学校開放プールで、監視の保護者が熱中症で倒れた。プールサイドの排水溝の蓋が一つ外れているのが見つかって、大騒ぎになった。どれ一つとして、超常現象ではない。老朽化と猛暑と管理の話だ。
でも、その町では「やめたからだ」という話になった。翌年、PTAが主体になって、神社への祈願だけ復活させた。学校の行事としてではなく、PTAの役員が神社に出向いて安全祈願をする形。これなら学校は関与していないことになる。
語り手が言っていて印象に残ったのは、この一言だ。
「結局さ、あれ、水を祓ってたんじゃなくて、大人の気持ちを祓ってたんだと思うよ」
やめた年に何もなくても、何か起きたら「やめたせいだ」と言われる。その恐怖に、大人のほうが耐えられない。だから復活させる。祓いの機能は、水を清めることじゃなくて、監督者の不安を制度的に処理することにある。責任を人間だけで背負うのはきついから、一部を神様に預ける。預けた証拠として、塩と酒を打つ。
これは合理的な説明であると同時に、実はかなり怖い説明でもある。だってそれは、誰も水そのものを信用していない、ということだからだ。何十年やっても、点検を何重にしても、大人は最後の一歩で水を信用しきれていない。だから祓う。
プール脇の慰霊碑と、水辺の地蔵
学校のプールの脇に、小さな石碑や地蔵が立っている。これは実在する光景で、そんなに珍しいものでもない。
ただし、その全部がプールの事故を悼むものとは限らない。というか、多くは違う。もともとその土地にあった地蔵を、造成のときに移設して隅に置いたケース。地域の水死者を悼む古い供養塔が、たまたま学校の敷地内に取り込まれたケース。用水路の水神様を祀っていた祠が、そのまま残ったケース。日本の平地では、水のそばに何かが祀られているのはむしろ普通だ。
そして学校のプールは、水のそばに作られやすい。というのも、大量の給水と排水が必要だから、用水や排水路の近くが選ばれる。つまり、もともと水神が祀られていたあたりに、プールが来る。これは偶然ではなく、必然に近い。
水死者の供養という文化そのものも、日本にはしっかり根を張っている。川施餓鬼という仏教の行事があって、これは水中で亡くなった人の霊を弔うために、川岸や舟の上で施餓鬼を行うものだ。塔婆を水中に立てたり、経木に法名を書いて川に流したりする。季語は秋で、盆の頃に多く行われた。難産で亡くなった女性の供養にも転用され、広い意味での「水にまつわる死」全般の弔いになっていった。
灯籠流しも同じ系統にある。実際、先に触れた昭和三十年の海の事故のあとには、地元の川で灯籠流しが行われ、花火を合図に人々が黙祷を捧げたと記録されている。学校が主催して弔いをするのではなく、水の上で、地域全体で弔う。この形式は、水難死に対する日本の標準的な作法だと言っていい。
そう考えると、プール開きの塩と酒は、水難供養の文化の末端に接続していることになる。ただし決定的に違う点があって、川施餓鬼も灯籠流しも、既に起きた死に対する事後の弔いだ。プール開きは、まだ起きていない死に対する事前の交渉である。
これは相当に奇妙な立ち位置だ。事故が起きる前に、事故で亡くなるかもしれない誰かのために、先回りして手を打つ。子どもたちを前に並ばせておいて、その水に酒を垂らす。順番が逆なのだ。そして順番が逆であることを、誰も指摘しない。
地域差の話――同じ国の中でこれだけ違う
プール開きは全国共通の行事に見えて、実際には地域でかなり違う。時期も、内容も、そもそもやるかどうかも。
北海道の場合。屋外プールで泳げる期間が極端に短く、しかも寒い。そのため、そもそも屋内プールを持つ学校の比率が本州より高いし、屋外でも七月に入ってから開く学校が多い。加えて、水温が上がらないという物理的な壁があるので、プール開きの日に実際には入らず、式だけやって翌週から、という運用も珍しくない。北の学校では「開き」と「入水」が分離している。祓いだけ先にやって、水はあとから使う。この分離が起きる地域では、儀式の宗教色がむしろ残りやすいという印象がある。行事として独立するからだ。
東北の場合。梅雨と気温の関係で、六月下旬から七月上旬が主流。神社との距離が近い土地柄のところでは、神職を呼ぶ慣行が近年まで残っていた例が見つかる。ただし前述のとおり、政教分離の指摘で公式行事から外れ、PTA主催に移行したケースが複数ある。地域と学校の距離が近いぶん、やめたときの反発も大きい。
関東の都市部の場合。六月上旬から中旬。人数が多い学校が多いので、全校でプールサイドに集まること自体が難しい。放送で校長の話をして、各学年の初回授業のときに担任が誓いの言葉を読ませる、という分散型が広がった。この形式だと、儀式の共同性がほぼ消える。ただし面白いことに、教職員だけの清めは残っていたりする。表の行事は簡略化しても、裏の手続きはやめない。
関東でも下町のほうは事情が違う。氏神との関係が生きている地域では、PTAが神社に出向いて祈願する形が定着している。東京の湾岸に近い地区の小学校で、地元の八幡宮に赴いて水泳期間中の安全を祈願する神事が毎年続いている例がある。氏子意識が残っている土地では、学校行事と地域行事の境目がもともと曖昧だ。
中部・北陸の場合。用水と川の文化が濃い地域で、水神の祠が集落単位で残っている。プール開きに際して、その水神に手を合わせてから学校のプールに向かう、という順番の話が出てくることがある。学校の水は、地域の水の一部だという感覚が生きている。
関西の場合。六月中旬が中心。私学が多く、宗教系の学校ではそれぞれの宗教の作法でやる。仏教系なら読経、キリスト教系なら祈り。この場合、塩と酒は当然使わない。同じ「プール開き」という名前で、中身が完全に別物になる。同じ市内の隣り合う学校で、片方は聖書を読み、片方は塩をまいている。この並びは、あらためて考えるとけっこうすごい。
中国・四国の場合。昭和三十年の二つの事故の記憶が、いまも制度に残っている地域がある。連絡船の事故のあと、香川では小学校の修学旅行が十五年ほど四国内に限定されていた。海の事故が起きた地域では、水泳訓練の形そのものが変わった。歴史的に、水と学校の関係を最も強く意識してきた地方だと言っていい。
九州の場合。開きが早い。五月下旬から六月上旬。河童伝承の分布が濃い地域でもあって、水神と河童が同じものとして語られる土地が多い。学校のプールの噂話に河童が混ざるのは、九州とその周辺に多い印象がある。
沖縄の場合。そもそも気候が違う。海が近く、泳ぐ文化が生活に組み込まれている土地では、学校のプールの位置づけが本土と少し違う。開きの時期も早い。ただし近年は、猛暑による水温上昇のほうが問題になっていて、暑すぎて入れないという逆転現象が起きている。
こうやって並べてみると、共通しているのは一点だけだ。「水を使い始める前に、何かしらの区切りを入れる」。中身は宗教でも安全指導でも何でもいい。区切りさえ入れば成立する。この汎用性の高さが、プール開きという行事の生命力だと思う。
掲示板とSNSでの語られ方、そして反証
ネット上で学校プール怪談がどう扱われてきたかも見ておこう。
古い匿名掲示板の怖い話スレッドから、体験談投稿サイト、まとめブログまで、プールネタは定番中の定番だ。ただ、投稿の内訳を見ると、面白い偏りがある。
いちばん多いのは、水中で足首をつかまれた系。これは圧倒的に多いが、同時に反証も多い。集団で泳いでいれば他人の足に触れるのは当たり前で、水中では方向感覚も距離感も狂う。誰かのバタ足が当たっただけで、つかまれたと感じる。プールの水流も体を引っ張る。この系統は、掲示板でも「それただの人だろ」と即座に突っ込まれることが多い。
次に多いのが、人数が合わない系。これも定番で、数え間違いという反証がすぐ出る。実際、濡れた子どもが動き回る状況で正確に数えるのは難しく、教員の人数確認でズレが出るのは日常的にある。だからこそ、バディシステムという二人一組で確認する方式が導入された。逆に言えば、人数が合わなくなる状況が現実に頻発したから、制度で対処する必要があったわけだ。
三つめが、写真に写る系。卒業アルバムのプールの写真に、その日休んでいたはずの子が写っていた、という形の投稿は複数のサイトで見つかる。これは怪談としての完成度が高い。反証としては、撮影日の記憶違い、別の日の写真の混在、単純な人違いが挙げられる。アルバムは複数日の写真を混ぜて作るので、記憶と一致しないのは普通だ。
四つめが、事故の噂系。これが実は一番厄介で、「この学校のプールでは昔死者が出ている」という話は、非常に高い確率で語られるが、確認できることは稀だ。実際のデータを見ると、学校のプールでの児童の溺死事故は、この十年報告されていない。子どもの水難死者数自体、昭和五十四年には年間千人を超えていたのが、令和五年には二十七人まで減っている。そのうちプールで亡くなったのは二人。場所別では川が最も多い。
つまり、学校プールは現代日本で最も安全な水場の一つになっている。にもかかわらず、怪談の密度は圧倒的に学校プールが高い。ここに、この現象の本質がある。
怪談は事故の頻度に比例しない。場所の構造に比例する。
ネットの反応で個人的に面白いと思ったのは、「腰洗い槽」の話題が定期的にバズることだ。あの冷たい消毒槽は二〇〇一年に厚生労働省の基準から外れて、多くの学校で撤去された。循環ろ過装置が普及して、必要性が薄れたためだ。目洗い場も、二〇〇八年頃の研究で、プール後に強く目を洗うのは角膜によくないとされ、日本眼科医会が推奨をやめた。あの一連の設備は、いま急速に消えている。
で、消えた設備を懐かしむ投稿には、必ず「あれ何のためだったんだ」という戸惑いが混ざる。冷たい水に腰まで浸かる。水道の噴水で目を洗う。目的の説明を受けないまま、痛い思いをさせられる手続き。塩と酒の清めと、実は同じ構造だ。理由がわからないまま体を通過させられる関門。プールに入る前には、いつも何かの関門があった。
水神と河童と、水は取り立てるという発想
水の神は、日本ではずっと二面性を持つ存在だった。恵みをくれるが、取り立てもする。
各地の水神信仰を見ると、供物を欠かすと祟るという構造がはっきり出てくる。江戸の記録には、茄子の初物を水神様に供えないと、畑の茄子全部に爪の跡がつく、という言い伝えがある。川に近い家では、子どもが河童に尻子玉を抜かれないよう、河童の好物である胡瓜の初物に家族の名前を書いて流した。名前を書いて流す。これは要するに、先に名乗って通行料を払うということだ。
この「先に払っておく」という発想が、プール開きの塩と酒とまっすぐつながる。使わせてもらうから、先に払う。払わないと取られる。取られるものは、子どもだ。
河童が子どもを引き込むという伝承は、全国に分布している。宮崎の研究では、県内の河童伝承がかなり詳細に整理されているし、兵庫にも各地の伝承が残る。共通するのは、水に近づく子どもへの警告として機能していたことだ。溺死という現実の危険を、妖怪という形に変換して、子どもに伝える。合理的なリスク教育だったとも言える。
で、学校のプールというのは、この教育の前提を根本から壊した施設だ。「水に近づくな」ではなく「水に入りなさい」と教える場所。禁忌を反転させた。
伝承の側から見れば、これは相当な暴挙である。何百年もかけて「近づくな」と教えてきた場所に、国が制度として全国の子どもを入れることにした。しかも学校の敷地内に、専用の水場を掘って。
だからプール開きの祓いは、この反転を成立させるための手続きだったんじゃないか、という見方ができる。禁忌を破るには、断りが要る。山開きが山の禁足を解いたのと同じ手順で、プール開きは水の禁忌を解く。塩と酒は、その断りの形式だ。
九州や中国地方で、学校のプールの噂に河童が混ざりやすいのも、この文脈で理解できる。地域に河童伝承が生きていた土地では、プールという新しい水場に、既存の水の主が引っ越してきた、と考えるのが自然だったのだろう。
消えていく学校プール、祓う人もいないまま
そして現在の話だ。ここが一番、記事として書きたかったところかもしれない。
学校のプールは、いま急速になくなっている。
屋外プールの設置率は、二〇一八年時点で小学校九十四パーセント、中学校七十三パーセントだった。それが二〇二一年十月には小学校八十七パーセント、中学校六十五パーセントまで落ちている。三年でこの下がり方は相当に速い。
理由はいくつも重なっている。まず老朽化。全国の学校プールの多くは、一九六一年のスポーツ振興法以降に国の補助で建てられたもので、五十年から六十年が経過している。コンクリートの寿命が来ている。建て替えるとなると数億円かかる。
次に維持費。二十五メートルプールを一度満たすのに三百立方メートル前後の水が要り、水道代だけで二十万円ほど。それに薬品代、電気代、ろ過装置のメンテナンス、水質検査費用が毎年乗る。
次に教員の負担。プールの管理は完全に教員の業務で、水質検査、塩素濃度の測定、清掃、点検、監視。専門職ではない人間が、命に直結する管理をやっている。働き方改革の文脈で、これがずっと問題になってきた。
そして猛暑。近年、暑すぎてプールに入れない日が増えている。プールサイドのコンクリートが高温になり、水温も上がりすぎて、熱中症のリスクが出る。水の中でも熱中症は起きる。せっかく水を張っても、授業が何度も中止になる。
結果として何が起きているか。二〇二四年の調査では、九割以上の自治体が全小学校で水泳指導を実施しているものの、実施の方法が大きく変わっている。四割以上の自治体で公共のプール施設を使う学校があり、二割で民間委託が行われている。自校のプールを使わない学校が、半数を超えているという状況だ。
民間委託は、指導の質という点ではむしろ向上する。スイミングスクールのインストラクターが教えるほうが、体育教員より泳法指導はうまい。屋内温水プールなら天候も関係ない。合理的な選択だ。
ただ、そこには「開き」がない。
民間の屋内プールは、一年じゅう水が張ってあって、一年じゅう誰かが泳いでいる。閉じている期間がない。閉じていないものは、開けられない。だから塩も酒もまかれない。校長が神様の話をすることもない。バスで移動して、着替えて、泳いで、帰る。それだけだ。
これは損失なのか、と言われると難しい。安全性は上がる。教員は楽になる。財政も助かる。文句のつけようがない。
でも、確実に一つ消えるものがある。それは、水に対して人間が頭を下げる、という所作だ。
そして、廃止されたあとのプールがどうなるかというと、これがまた妙な話で、すぐには壊されないことが多い。解体にも金がかかるからだ。使わないまま、フェンスに鍵をかけたまま、何年も残る。水は抜かれることもあれば、防火水利の関係で張られたままのこともある。
祓われることのなくなった水が、校庭の隅に残り続ける。
これ以上ないくらい怪談的な状況だと思う。毎年きちんと断りを入れて借りていた場所を、断りもなく、返しもせずに、放置する。手続きだけが先に消えて、場所だけが残る。
なぜ「水」と「学校」の組み合わせが、これほど怖いのか
最後に、この記事の芯の部分を書く。
学校の怪談は無数にあるけど、水系の話は明確に格が違う。トイレの花子さんも、動く二宮金次郎も、音楽室の肖像画も、怖いけどどこかコミカルだ。プールの話にはそれがない。笑えない。
理由を分解すると、四つある。
一つめは、水が身体を直接支配するからだ。教室で怪異に遭遇しても、走って逃げられる。水の中では逃げられない。浮力で立てない、水圧で動けない、そして何より、呼吸ができない。人間が最も無防備になる環境が水中だ。学校の怪異は基本的に「見る」恐怖だけど、水の怪異は「奪われる」恐怖になる。質が違う。
二つめは、視覚が奪われることだ。水の中では見えない。ゴーグルをしていても、視野は狭く、歪む。学校のプールは、水質基準を満たしていれば底が見えるはずだが、実際には人が多いと濁るし、水面は波立って光を跳ね返す。上から見ても、水中で何が起きているかはよくわからない。だから「見えないところで何かが起きているかもしれない」という状態が、常に続く。監視する教員も、この不確実性の中にいる。
三つめは、数えられなくなることだ。人間は、集団の人数を無意識に把握しながら安心している。プールではそれができない。全員が同じ水着とキャップをつけて、髪が濡れて顔が変わり、水面から頭だけが出ている。誰が誰だかわからなくなる。だからバディシステムが要る。人数が数えられない場所で、人数が命に直結する。この緊張が、あらゆるプール怪談の底に流れている。
四つめが、いちばん深い。学校のプールは、そもそも死から生まれた設備だからだ。
昭和三十年の二つの事故がなければ、日本の学校にこれほどプールは普及していない。子どもが大量に溺れて死んだから、国は「子どもに泳ぎを教えなければ」と決めた。その結果として掘られた穴が、あの長方形だ。動機に死がある。
だから、あの水に大人が塩と酒を打つのは、迷信でも余興でもなく、ある種の筋の通った行為だったのだと思う。これは死から生まれた場所です、と毎年確認していた。子どもたちの前で。子どもたちには意味を教えないまま。
そして、その手続きが、いま消えていっている。プールが消えるから消えるし、宗教色を避けるから消えるし、時間がないから消える。全部まっとうな理由だ。誰も間違っていない。
ただ、六月のあの朝、校庭で大人が水に頭を下げていた光景は、たぶんもう二度と一般的なものにはならない。あれを見た世代が、あれを見た最後の世代になる。
そう考えると、いちばん怖いのは、プールの底に何かがいることじゃない。何かがいるかもしれないと大人が真面目に考えて、手を打っていた時代のほうが、まだ健全だったということだ。いまは、何も考えずに水を張り、何も考えずに水を抜き、何も考えずに埋める。
祓われなかった場所に何が残るのかは、まだ誰も知らない。
あの朝の手続きに、名前をつけてみる
ここからは、本編で触れきれなかった部分を含めて、もう一段深いところまで潜る。プール開きという行事を、儀礼としてどう位置づけるか。学校という組織が水をどう扱ってきたか。そして、この行事が消えたあとに何が残るのか。
まず、儀礼の分類から整理し直したい。民俗学の枠組みで見ると、プール開きは「境界儀礼」に分類できる。ある状態から別の状態へ移行するときに、境界をまたぐ手続きを踏む。通過儀礼と言い換えてもいい。学校には境界儀礼がやたら多くて、入学式、始業式、卒業式、給食開始、運動会の開会式、どれも「ここから状態が変わります」という宣言の形をしている。その中でプール開きが特異なのは、対象が人間ではなく場所であることだ。入学式は子どもの状態を変える。プール開きは、水の状態を変える。人ではなく、モノや場所を対象にした境界儀礼というのは、実は学校にほとんど存在しない。校舎の落成式くらいだ。あとは全部、人間の側の節目を扱っている。
この「場所を対象にする」という点が、プール開きを地鎮祭や竣工式の系譜に接続させている。地鎮祭は、土地を使う前に土地の神に断りを入れる。竣工式は、建物が完成したときに安全を祈願する。どちらも、人間が自然の領域に手を入れることへの断りだ。プール開きが毎年繰り返されるのは、プールが毎年「自然に戻る」からである。九か月放置されて藻が生え、虫が湧き、鳥が来て、生態系ができる。人間の管理から半分離れる。だから毎年、断りを入れ直す必要がある。地鎮祭の年次版と言ってもいい。
次に、儀礼の担い手の話をもう少し詰めたい。本編で三つの型を挙げたけれど、実際にはもっと細かい階層がある。神職が来る学校、PTAが神社に行く学校、教職員だけで清める学校、児童向けの式だけの学校、そして何もしない学校。この五段階の分布は、時代とともに確実に右へ移動してきた。四十年前なら左のほうに厚みがあり、いまは右に寄っている。
面白いのは、この移動が一方通行ではないことだ。本編の三つめの体験談で書いたように、一度やめて、また戻す学校がある。戻すときは、必ず主体を学校からPTAに移す。学校としてはやっていない、保護者が勝手にやっている、という建前を作る。この建前の作り方が、日本の組織の作法として非常に典型的で、行政の原則を守りながら実質を維持するための、極めて実務的な処理になっている。誰も嘘はついていないし、誰も原則も破っていない。ただ、儀礼だけが名義を変えて生き延びる。
こういう「名義を変えて生き延びる儀礼」というのは、実は日本社会のあちこちにある。会社の安全祈願、工事の地鎮祭、船の進水式。企業も学校も、公式には合理性で動いていることになっているのに、水と土と火が絡む場面だけは、必ず神を呼ぶ。これは信仰の問題というより、責任の分散の問題なのだと思う。人間の判断だけで安全を保証しきれないと自覚している領域では、判断の一部を人間の外に預ける。預けた証拠を形に残す。それが儀礼だ。
だとすると、儀礼が消える条件も見えてくる。人間の判断だけで安全を保証できると信じられるようになったとき、儀礼は消える。学校プールの民間委託が進んでいるのは、まさにその条件が揃いつつあるからだ。屋内温水プールで、専門のインストラクターがいて、監視員がいて、水質は業者が管理している。人間の管理が水を完全に覆っている。覆われた水には、祓う理由がない。
ただし、覆われているというのは主観の話だ。実際には、どんなに管理された水でも人は溺れる。そして統計を見れば、子どもの水難死は圧倒的に川で起きている。学校プールでの児童の溺死はこの十年報告がなく、令和五年の子どもの水難死者二十七人のうち、プールは二人、川は十六人だ。学校のプールを閉じても、川はなくならない。むしろ、泳ぎを覚える機会が減って、川に行った子が危なくなる可能性のほうが現実的だ。
ここで、話が一周する。学校プールは、水難死を減らすために作られた。そして水難死は劇的に減った。昭和五十四年に年間千人を超えていた子どもの水難死者が、令和五年には二十七人。この減少は、学校プールと水泳教育の成果としてまず間違いない。つまりあの設備は、目的を達成した。達成したから、役目を終えつつある。
役目を終えた設備が撤去されるのは自然なことだ。問題は、達成した理由が忘れられていることのほうにある。「なぜ学校にプールがあるのか」を説明できる大人が、いま何割いるだろう。昭和三十年の二つの事故を知っている人はどんどん減っている。連絡船の沈没も、海岸での訓練中の事故も、地元以外では歴史の一行になっている。由来を知らないまま、コストとリスクの計算だけでプールを畳んでいる。
そして、由来を知らないまま畳むというのは、実は儀礼をやめることと同じ構造をしている。手続きの意味を知らないまま手続きを省く。省いても当面は何も起きない。何も起きないから、正しかったことになる。数十年後、誰も理由を思い出せなくなる。
怪談というのは、この忘却に対する抵抗として機能してきた側面があると思う。「あそこには何かある」という噂は、理由の説明としては間違っている。でも、注意を持続させるという機能においては正確に働く。子どもは、プールに何かがいると言われれば、少し警戒する。深いほうに一人で行かない。潜って排水口を触りに行かない。合理的な安全指導が届かないところに、噂は届く。
河童の尻子玉がまさにそれだった。川で泳ぐな、と言っても子どもは言うことを聞かない。だから、尻子玉を抜かれるぞ、と言う。胡瓜に名前を書いて流すという手続きまで用意する。子どもは怖がって、行動が変わる。伝承は、リスクコミュニケーションの古い形式だった。
だとすると、学校プールの怪談も、同じ役割を担ってきたことになる。底に手がある。人数が合わない。写真に写る。どれも事実ではないが、どれも「あの水を軽く見るな」という一点を伝えている。そして大人の側は、塩と酒でそれを補強していた。子どもには噂が、大人には儀礼が、それぞれ別の言語で同じことを言っていた。あの水は、人間の側のものではない、と。
ここで、最初の問いに戻る。なぜ学校のプールにだけ祓いが要るのか。
答えを一つに絞るなら、こうなると思う。あそこは、学校の敷地の中で唯一、人間が死にうる場所だからだ。
教室で子どもは死なない。廊下でも、体育館でも、校庭でも、まず死なない。転んで怪我をする程度だ。だがプールでは、ほんの数分の見落としで人が死ぬ。しかも静かに死ぬ。溺れる人間は、映画のように暴れて叫ばない。実際の溺水は静かで、周囲が気づかないうちに進行する。三十人が騒いでいる水面で、一人が沈黙して沈む。それが起きうる場所は、学校の中であそこだけだ。
大人はそれを知っている。だから点検し、ボルトを締め、塩素を測り、バディを組ませ、監視の立ち位置を決め、そのうえで、それでも足りないと感じたところで、塩と酒に手を伸ばす。合理の限界のすぐ外側に、儀礼がある。儀礼は合理の対義語ではなく、合理が尽きた地点に置かれる最後の一手だ。
そう考えると、プール開きの祓いは、日本の学校教育が抱えてきた不安の、いちばん正直な表れだったのかもしれない。指導要領にも、安全基準にも、事故防止必携にも書かれていない。書けない。書けないから、慣例として残った。慣例だから、地域や学校でバラバラになった。バラバラのまま、六十年続いた。
そして、いま終わろうとしている。
最後に、この記事を読んでいる人に一つだけ言っておきたいことがある。廃止された学校プールや、使われなくなったプールに、確認しに行くのはやめたほうがいい。フェンスの中は管理者の敷地で、入れば不法侵入になる。それ以前に、放置されたプールは物理的に危ない。底に藻が積もって滑るし、水が濁っていて深さがわからないし、コンクリートは劣化して縁が崩れる。何より、誰も見ていない。倒れても、誰も来ない。
怪異の有無以前に、あそこは人が見ていない水場だ。人が見ていない水場が危ないというのは、この記事で延々と書いてきたことそのものである。
代わりにできることがあるとすれば、自分が通った学校のプールがまだあるかどうか、外から確かめてみることくらいだ。もしまだあるなら、六月に何をやっていたか、思い出してみてほしい。校長は何を言ったか。誰かが四隅を歩いていたか。代表の子は何をかけられていたか。
覚えていないなら、それでいい。覚えていないほうが普通だ。ただ、あの朝、大人が水に向かって少しだけ頭を下げていた、という記憶が一つでも残っているなら、それはかなり貴重なものだと思う。手続きが消えたあと、記憶しか残らない。
そして記憶が消えたあと、場所だけが残る。
