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焼却炉の火が消えない夜――学校から消えた『焼き場』にまつわる怪談のすべて

学校の怪談には、建物がなくなっても話だけが残る、というタイプがある。宿直室、二槽式のプール、回転式のジャングルジム。どれも現役世代の子どもにはもう実物が分からないのに、怪談の中だけで生きている。その代表格が焼却炉だ。今の学校にはまずない。だが一九九〇年代までの学校には、必ずと言っていいほどあった。校舎の裏、プールの横、ゴミ置き場の奥。コンクリートと耐火レンガでできた、背の高さぐらいの箱。今回は、この焼却炉をめぐる怪談を、話の再話から発祥、派生、体験談、考察、そして実在の制度史まで、まるごと取り上げる。
## 深夜二時、煙突から細い煙が上がっていた
一番広く知られている形は、夜の学校から始まる。季節は秋から初冬。落ち葉が多い時期だ。宿直の先生、あるいは宿直室に寝泊まりしている用務員が、深夜に見回りをする。時刻は二時前後。校舎の裏手に回ったところで、焼却炉の煙突から細い煙が上がっているのに気づく。夕方に燃やした分の焼け残りかと思って近づくと、鉄の扉の隙間から橙色の光が漏れている。手をかざすと、はっきり熱い。だがその日の夕方、確かに自分が水をかけて火を落とし、鍵をかけたはずなのだ。
扉を開けて中を覗く。中ではちゃんと火が燃えている。だが何が燃えているのか分からない。薪も紙も入っていないのに、灰の上で炎が立っている。そして、炎の向こう側、焼けた耐火レンガの壁に、子どもが座っている。膝を抱えて、こっちを見ている。学生服か体操服で、全身が煙で黒い。声をかけようとした瞬間に炎が強くなって、見えなくなる。慌ててホースで水をかける。火は消えない。水をかけてもその部分だけ白い湯気が上がって、炎は同じ強さで燃え続ける。
翌朝、明るくなってから確認しに行くと、焼却炉は冷たい。中には前日の灰があるだけで、新しく燃やした形跡がない。だが鉄の扉の内側に、小さな手の形のすすの拭い跡が残っている。内側から押した形だ。ここで話は一度切れて、後日談に入る。先生が古い職員に聞くと、何十年か前、この学校で子どもが一人、焼却炉の中で見つかったことがあるという。事故だったのか、いたずらだったのか、いじめだったのか、そこは話されない。語り手によっては「詳しいことは誰も知らないことになっている」という言い方をする。この、意図的に伏せられた空白が、この怪談の一番の強みになっている。
そして結末だ。その学校では、以後、夜に焼却炉から煙が上がっていても誰も確かめに行かないことになっている。宿直の申し送り事項に、正式な文書ではなく口頭で「夜の焼却炉には近づかない」と伝えられる。何年か後、焼却炉は使用禁止になり、さらに数年後には解体されて、跡地はコンクリートで埋められ、駐輪場になる。それで終わりのはずだったのに、埋められたあとも、秋の深夜にそのあたりを通ると、焦げた匂いがする。雨の日でもする。ここで話は終わる。建物を消しても怪異は残る、というこの終わり方が、焼却炉怪談の典型だ。
## 発祥と初出をどこまで追えるか
この怪談の初出を一点に特定することは、やはりできない。ネット上のまとめサイトや動画の解説では「匿名掲示板の学校の怪談スレ発」と書かれることがあるが、具体的なスレッド名や投稿日時、レス番号まで示している例を確認できたことはない。これはむしろ当然で、焼却炉怪談はネット以前の口承段階ですでに存在していたと見るのが自然だからだ。なにしろ焼却炉自体が、ネットが普及する前に学校から姿を消し始めている。
民俗学者の常光徹が一九九〇年から講談社で刊行した児童向けの学校怪談シリーズ、およびその基礎になった口承文芸の研究は、学校を舞台にした現代の口承伝承を体系的に採集した仕事として知られている。この一連の採集の中には、校舎内の場所ごとの怪談が多数含まれている。トイレ、音楽室、理科室、体育館、プール、図書室、階段、旧校舎。焼却炉はこれらに比べると取り上げられ方が少ないが、「校舎の裏側」「夜に入ってはいけない場所」の一つとして、地域によっては着実に語られていた。
面白いのは、焼却炉怪談の量が増えたのが、焼却炉があった時代ではなく、なくなってからだという点だ。ネットの体験談投稿や回想ブログを見ていくと、焼却炉についての記事は二〇〇〇年代後半以降に集中している。ツイッターのまとめや回想系のノート記事でも、「昔は学校に焼却炉があった」という話題が定期的に盛り上がる。つまり焼却炉は、消えたことによって初めて「語るに値するもの」になったんだ。実物が目の前にあるうちは、それはただのゴミを燃やす装置だ。消えて初めて、あの黒い壁と、焼けた匂いと、夜に見たときのちょっとした不気味さが、怪談の器になる。
もうひとつ、この怪談の成立に不可欠な前提がある。それは、学校の焼却炉では実際に子どもが火を扱っていたという事実だ。これがなければ、子どもが焼却炉の中にいるというイメージは成立しない。しかもこの事実は、今の安全意識から見ると相当にとんでもない。後で詳しく書くが、一九七〇年代から八〇年代の学校では、児童生徒が当番でゴミを焼却炉に運び、自分たちで火をつけ、灰をかき出すという運用が普通に行われていた。この実態が、怪談にリアリティを与えている。
ピクシブ百科事典やニコニコ大百科の学校の怪談項目を見ても、焼却炉が単独の見出しとして立てられていることはほとんどない。学校の七不思議の一例として、あるいは「学校のいろんな場所の怪談」の中で言及される程度だ。固有の名前を持たないまま、地域と学校ごとに個別に発生している。これは学校怪談の典型的なパターンで、固有名詞がないからこそ、語る人が自分の学校の記憶に合わせて作り替えられる。
## 学校ごとに違う形で生えた、別バージョンたち
### 三つ目のゴミ袋版
掃除の時間、クラスから焼却炉に運ぶゴミ袋は二つと決まっているのに、焼却炉の前に着くと三つになっている、という版。三つ目の袋は、他の二つと同じ黒いポリ袋なのに、重い。中を見ようとすると、当番の子の手が勝手に動いて、見ないまま焼却炉に放り込んでしまう。放り込むと、一瞬だけ、炎が青くなる。この版は、掃除当番という日常のルーチンの中に異物が一つ混ざるという形で、人数が合わない系のモチーフと地続きになっている。何が入っていたのかは最後まで語られない。語らないことで持っている話だ。
### 灰の中から出てくる版
灰をかき出す当番が、スコップで底を探っていると、硬いものに当たる。引っ張り出すと、焼けて黒くなったランドセルだったり、上ばきの金具だったりする。学校の備品ではないし、最近燃やしたものでもない。翌日も、その次の日も、灰の中から同じような子どもの持ち物が出てくる。当番の子たちは気持ち悪がって、拾ったものをまとめて校庭の隅に埋める。すると翌週から、灰の中に何も出なくなる。この版は、子どもたちが自発的に供養めいたことによって怪異が鎮まるという構造になっていて、子どもの怪談としては珍しく、道徳的な解決が付いている。
### 焼却炉の前に立つ先生版
夕方、部活後に校舎の裏を通ると、焼却炉の前に先生が一人立っている。何も燃やしていないのに、じっと鉄の扉を見ている。声をかけると振り向いて「早く帰りなさい」と言う。翌日、その先生に「昨日焼却炉のところにいましたよね」と言うと、心当たりがないという顔をされる。この版は、学校という組織の側に何か知っている人間がいるという不気味さを帯びている。学校怪談にはこの手の「大人は知っているらしい」パターンが非常に多く、子どもから見た学校の不透明さがそのまま怪異の土壌になっていることが分かる。
### 煙が人の形になる版
夕方に焼却炉を使っていると、煙突から出た煙が、風がないのにまっすぐグラウンドのほうに伸びていって、人の形になる。形はグラウンドを横切って、校舎の中に入っていく。入った日は、夜に体育館や廊下で物音がする。この版は、焼却炉を「校舎に怪異を供給する装置」に位置づけていて、学校の他の七不思議との接続点になっている。七不思議は基本的にバラバラの怪談の寄せ集めだが、たまにこういう「発生源」を設定する変種が出てくる。焼却炉は、校内で唯一火を扱う場所であるという特殊性から、この役割を当てられやすい。
### 廃止後の物置版
使用禁止になった焼却炉が、取り壊されずに放置されている、という状況を前提にした版。これは実際に全国で起きたことで、使えなくなった焼却炉がしばらくそのまま学校に残っていた。鍵をかけられて、周りにコーンを置かれて、草が生えている。子どもたちにとっては、使われている時代を知らない、意味不明のコンクリートの箱だ。この版では、その箱から夜に煙が出る。あるいは、中を覗くと新しい灰がある。誰も使っていないはずなのに。廃止という制度の変化が、そのまま怪談の新しいネタになっている。制度史が怪談を生むという意味で、この版は実に興味深い。
### 解体後の地面版
焼却炉が取り壊されて、跡地が花壇や駐輪場、あるいは駐車場になってからの話。その場所の地面だけ、雪が積もらない。あるいは、花壇にしたのに何を植えても枯れる。さらに、雨の日にそこを通ると焦げ臭い。この版は地縛霊的な発想で、建造物がなくなっても土地に記憶が残るという、日本の怪談のもっとも古層の発想に連なっている。墓地を埋め立てて作った学校では校庭に人魂が出る、という定番の型と同じ回路だ。焼却炉というモダンな設備の怪談が、最終的に土地の怪談に回帰していくのは、なかなか興味深い現象だ。
## あの鉄の扉の前で、何を見たと言われているのか
### 体験談その一 消えない焼け残り
ネットの体験談投稿で読んだもので、投稿者は中部地方の公立小学校の卒業生を名乗っていた。時期は一九八〇年代後半。六年生の秋、掃除当番で焼却炉にゴミを運んでいた。当番は二人一組で、一人がゴミを入れ、もう一人がマッチで火をつける。今なら考えられないが、当時は普通だったと書いていた。ある日、火をつけてしばらくしてから、中から高い音がしたという。ビニールが燃えるときの音とも、スプレー缶が弾ける音とも違う、人の声に近い高い音だった。
二人とも驚いて、鉄の扉を開けた。中は普通に燃えていて、特に変なものはない。扉を閉めて、その日はそれで終わった。問題は翌日で、前日の当番が火を落としたはずなのに、朝登校して焼却炉の前を通ると、まだ焼け残りがあって煙が出ていた。夕方に燃やしたものが翌朝まで焼けていることは珍しくないので、そのときは何とも思わなかった。だがその週、毎日同じだった。何を入れても、何を入れなくても、朝には煙が出ている。用務員に言ったら、「ああ、そういう週はある」とだけ言われたという。投稿者は最後に「あの言い方だと、定期的に起きていたことになる。大人たちは知っていたんだと思う」と書いていた。
### 体験談その二 夜のグラウンドから
二つ目は、まとめサイト経由で読んだもの。投稿者は中学の野球部で、夏の合宿中、学校に泊まっていたという。合宿といっても体育館に寝袋を敷いて寝るだけで、夜は暗い。深夜、トイレに行こうとして一人で外に出た。体育館の横からグラウンドが見渡せて、その向こうに焼却炉がある。その焼却炉のところだけ、オレンジ色に光っていた。林に囲まれた場所で、街灯はない。投稿者は、誰かが燃やしているのかと思ったと書いていた。
しばらく見ていると、光の前を何かが横切った。人の影だった。しかも小さい。小学生くらいの背丈で、焼却炉の周りをぐるぐる回っている。一周して、また一周する。一定の速さで、休みなく。投稿者はトイレをやめて体育館に戻り、起きていた同級生に話した。二人で横の窓から見たら、もう光はなかった。翌朝、焼却炉を見に行ったら、中は空で、鍵もかかっていた。ただ、周囲の地面の雑草が、円を描くように踏み倒されていたという。この、一つだけ物理的な痕跡が残って終わる形は、体験談としては非常によくできている。
### 体験談その三 用務員の話
三つ目は、元用務員を名乗る人物の投稿として読んだもの。一九七〇年代から九〇年代にかけて、複数の小学校で働いたという。この人の話は、怪談としては地味だが、内容が具体的で印象に残っている。焼却炉の管理は用務員の仕事で、夕方に火を落とし、鍵をかけ、翌朝に灰をかき出す。灰はドラム缶にあけて、定期的に回収に出す。この作業を何年もやっていると、灰の量の感覚が体に入る。何をどれだけ燃やしたら、どれぐらい灰が出るか分かる。
で、年に一度か二度、灰の量が合わない日があるという。夕方に燃やした量からすればバケツ半分くらいのはずなのに、朝になるとバケツ一杯分ある。しかもその余分な灰は、色がちょっと違う。白っぽくて、細かい。この人はそれを「骨を焼いたときの灰に似ている」と表現していた。自分の親の葬儀で見たものに似ていたという。別に怖いことは何も起きないし、誰にも言わなかった。ただ、そういう日の灰は、ドラム缶に入れずに、校地の端の木の下にまいていたと書いていた。理由は、自分でもよく分からないと。この、説明しないまま作法だけが残るという語り口が、この手の話の中では抜群に怖い。
### 体験談その四 プール掃除の日
四つ目は短い。六月のプール掃除の日、デッキブラシで底をこすっていた児童が、プールの横の焼却炉から煙が出ているのに気づいた。平日の午前中で、用務員は別の作業をしているのが見えていた。先生に言ったら、見に行って戻ってきて「ついてないよ」と言った。だがプールにいた子は全員見ていた。しかも、その日のプールの水は、抜いたあとの底に、細かい灰のようなものが一面に沈んでいたという。プールの底に土埃が沈むのはごく普通だが、その日のは手につくと黒くなったと書かれていた。黒くなった手を洗ったら、洗面台が焦げ臭かった。ここで終わる。
## 掲示板とSNSの反応、主要な考察と反証
この手の話がスレッドやSNSで出ると、まず返ってくるのは「焼け残りなんて普通にある」というものだ。これはかなり強い反証で、実際、学校で使われていた小型の焼却炉は燃焼効率が悪く、灰の中で焼けが長く続くことは珍しくない。灰は断熱材のように働くので、表面が冷めても中は高温のままだし、風が入ると再燃する。水をかけても表面だけが冷えて、内部では焼けが残る。「水をかけても消えない」という怪談の中核部分は、実は物理的にごく普通に起こる。
同じく、灰の量が合わないという話にも現実的な説明がつく。学校の焼却炉は、当番や教職員が勝手に何でも投げ込む場所だった。部活の古い道具、壊れた備品、廃棄することになった書類、庭木の払った枝。夜間に地域の住民が入ってきて自宅のゴミを燃やすという例も、当時は実際にあったとされる。学校は夜間も完全に施錠されているわけではなく、校地には入れてしまうことが多い。つまり、灰が増えていたとしても、超常現象を持ち出す必要はない。
ではなぜこの話が怪談になるのか。考察界隈でよく指摘されるのは、焼却炉が学校の中で唯一、「ものを消す場所」だったという点だ。学校の施設は、基本的に何かを作ったり、学んだり、保管したりする場所だ。図書室は保管する、理科室は実験する、教室は学ぶ。その中で焼却炉だけが、持っていったものを完全になくす。しかも、子ども自身の手で。子どもにとって、自分の行為で何かが不可逆に消滅するという体験は、学校生活の中でここしかない。この特殊性が、焼却炉を怪談の核にしているという読みは、かなり説得力があると思う。
もう一つ、よく話題になるのが、焼却炉と火葬の連想だ。日本では現在、人が亡くなればほぼ全員が火葬される。つまり、ものを燃やして灰にするという行為は、この国では直接に葬送と結びついている。子どもでも、神社のお焚き上げや、正月のしめ飾りを燃やす行事、あるいは葬儀の場での経験を通じて、「燃やすことは送ることだ」という感覚をどこかで身につけている。学校の焼却炉は、その感覚を毎日の掃除当番の中に持ち込んでしまう装置だった。だからこそ、あの鉄の扉の向こうに人がいるというイメージが、異常に強い力を持つ。
一方で、この怪談に対する慎重な議論もある。この手の話は、しばしば「過去にこの学校で子供が死んだ」という後日談を伴うが、実在の事故や事件を具体的に指し示す形で語られることがある。これははっきりと問題がある。実際に子どもを亡くした学校や地域が存在する場合、その出来事を娯楽のネタにするのは、どう考えても適切ではない。ネット上でも、学校名や地名を伴った実名の話には批判が集まることが多いし、それは健全な反応だと思う。この怪談の面白さは、具体的な悲劇を特定しないところにある。誰か分からない子どもが、いつかも分からない時代に、そこにいたらしい。その曖昧さこそが、この話を語れるものにしている。
## 実在の背景――学校の焼却炉はなぜ消えたのか
ここからは怪談を支えている実際の制度史の話だ。まず、なぜ学校に焼却炉があったのか。答えは単純で、戦後の日本ではごみ処理のインフラが十分ではなく、学校だけでなく一般家庭も事業所も、自分のところのごみを自分で燃やすのが普通だったからだ。学校は人数が多くごみの量も多いし、校庭の落ち葉や剪定した枝などの植物性の廃棄物が大量に出る。これを持ち出すより、その場で燃やして体積を減らすほうが合理的だった。校舎の設計の段階で焼却炉が組み込まれていることも多く、プールの横や、校舎の裏手の、校舎からは見えにくい位置に置かれるのが定番だった。
運用は学校によって大きく二通りあったとされる。一つは用務員が専属で管理する形。児童はゴミ袋を渡すだけで、火の扱いには一切関わらない。もう一つは、児童生徒が当番で自分たちで燃やす形だ。ネット上の回想を見ていくと、後者の証言が非常に多い。マッチを使って自分で火をつけた、灰をかき出すのも当番制だった、という話が普通に出てくる。中には、落ち葉を集めて焼き芋をやったという回想や、こっそり何かを燃やして怒られたという話もある。今の安全基準からすればとんでもないが、一九七〇年代から八〇年代の学校では広く行われていた。
そして、消滅の経緯だ。一九九〇年代に入って、ごみ焼却に伴って発生するダイオキシン類の問題が社会的な大問題になった。低温での不完全燃焼や、塩素を含むプラスチック類を燃やすことでダイオキシン類が生成しやすいことが知られ、小型の焼却炉こそが条件的に悪いとされた。学校の焼却炉はまさにその典型で、小型、低温、分別なし、継続燃焼ではない、という四拍子揃った条件だった。しかも、その煙を吸うのは成長期の子どもたちだ。
制度上の動きは一九九七年前後に集中している。国の廃棄物行政の側では、ごみ処理に係るダイオキシン類発生防止のためのガイドラインが見直され、廃棄物処理の法令も改正されて、小型の焼却設備にも構造基準や維持管理基準が及ぶようになった。学校にあるような簡易な焼却炉は、この基準を満たすのが現実的に不可能だった。並行して、当時の文部省が全国の学校に対して焼却炉の使用を原則としてとりやめる方向を示し、平成十年前後には国公私立を問わず小中高の焼却炉を原則全廃する方針が打ち出されたとされる。さらに二〇〇〇年にはダイオキシン類対策特別措置法が施行され、規制は一層厳しくなった。
この結果、一九九〇年代末から二〇〇〇年代初頭の数年で、日本中の学校から焼却炉が一斉に消えた。これは学校という場所の歴史の中でも、かなり規模の大きい風景の変化だった。ゴミは一度校内の集積所に集められ、事業系の廃棄物として外部の業者に回収してもらう方式に切り替わった。同時に、分別回収とリサイクルの教育が学校に本格的に入ってきた。つまり、子どもたちは「燃やす」から「分ける」へ、ゴミとの関わり方を一世代で切り替えたことになる。
建築の話もしておきたい。焼却炉が置かれていた場所は、校地の中でも特殊な場所だった。教室から直接見えない位置、照明がないか弱い位置、人の動線から外れた位置。さらに、周囲には備品倉庫やポンプ小屋、飼育小屋といった、これまた学校怪談の定番スポットが集中していることが多い。学校の裏側というのは、子どもの行動範囲の境界線で、行っていいことになっているのに、実質的には行く理由がない場所だ。この半端な領域でこそ、怪談が一番濃く溜まる。どの学校でも、七不思議の半分くらいは校舎の裏手に集中しているはずだ。
もうひとつ、用務員と宿直制度にも触れておく。かつての学校には宿直室があり、教員が交代で学校に泊まる制度があった。防犯・防火のためで、夜に人が学校にいることが前提になっていた。この制度は機械警備の普及によって徐々に廃止され、今ではほとんど見られない。だが、この制度があったからこそ、「夜の学校に大人が一人だけいて、見回りをしている」という怪談の定番シチュエーションが成立する。焼却炉怪談の大半が宿直か用務員を視点人物にしているのは、制度的な裏付けがあったからだ。この制度がなくなった今、新しい焼却炉怪談は生まれにくい。夜の学校に、目撃者になれる人間がもういないのだ。
## なぜ怖いのか、なぜ広まったのか
焼却炉怪談の怖さは、三つの層でできていると思う。一つ目は、単純に火が怖いということ。人間は火を扱うことで文明を作ってきたが、同時に火は制御を失えば即座に命を奪う。しかも、焼け死ぬというのは、人が想像する死に方の中でも特に苦痛のイメージが強い。二つ目は、閉じた狭い箱の中に人がいるというイメージだ。焼却炉の中というのは、子ども一人やっと入るか入らないかの寸法だ。封入という恐怖は、日本の怪談ではトイレやロッカーと並んで伝統的に強いモチーフで、ここに火が加わると相乗効果になる。
三つ目が一番大事で、自分の手で火をつけていた、という部分だ。学校の怪談の多くは、子どもを完全な被害者の位置に置く。トイレに入ったら呼ばれた、鏡を見たら映っていた、という具合に。だが焼却炉の話では、子どもは自分でマッチをすり、自分で扉を閉めている。もし中に誰かがいたなら、それを燃やしたのは自分だ。この、自分が加害側になっているかもしれないという不安が、この怪談を他の学校怪談と違う場所に立たせている。実際、体験談の多くで、語り手は「自分は何もしていないはずだが」という一言をどこかで入れてくる。その一言が、この怪談の本質を語っている。
広まった理由は、皮肉なことに、実物がなくなったからだ。現役の子どもは焼却炉を見たことがない。だから、どんな形でも想像できる。もっと大きく、もっと黒く、もっと深く。一方、実物を知っている世代にとっては、これは懐かしさとセットになった怪談で、自分の子ども時代を語る口実になる。この二つの需要が重なって、焼却炉の話はネットで定期的に繰り返される。実物がないものの怪談は、検証されないという意味で非常に頑丈だ。今さら自分の母校の焼却炉を見に行こうとしても、それはもう存在しないのだから。
ここまで書いてきて、焼却炉怪談の一番面白いところは、これが「消えた建造物の怪談」の代表例になっていることだと思う。日本の怪談には、場所が先にあって話が後からつくものと、話が先にあって場所を後から探すものがある。焼却炉は前者だったはずなのに、場所のほうが先に消えてしまった。これは学校怪談の中でもかなり珍しい事態で、似た例は宿直室と、あとは二槽式の古いプールや、地域によっては飼育小屋くらいしかない。場所がなくなった怪談は、普通は消える。体験しようがないからだ。だが焼却炉の話は消えなかった。むしろ、消えてからのほうが量が多い。なぜか。
理由は、この怪談が実は場所の怪談ではなく、行為の怪談だからだと思う。効いているのはコンクリートの箱ではなく、「自分で何かを燃やして消した」という体験のほうだ。そしてその体験は、一九九〇年代末までの何十年分もの児童生徒の中に蓄積されている。彼らは今も生きていて、自分の子どもに話し、ネットに書く。場所は消えても、手の記憶は消えない。マッチを擦る感触、鉄の扉の重さ、炎が一気に上がったときの顔の熱さ、灰をかき出すときのさらさらした手応え。この身体的な記憶が残っている限り、焼却炉怪談は語り継がれる。逆に言えば、実際に火をつけた世代がいなくなったとき、この怪談はゆっくりと形を変えるだろう。たぶん、子どもが中にいることではなく、ちょっとした焼け臭いというだけの、もっとあいまいな形になっていく。
もうひとつ掘っておきたいのは、この怪談が不思議なぐらい「哀れみの話」になっていることだ。他の学校怪談の多くは、怪異が人を襲う。トイレの花子さんは引きずり込むし、紫鏡は命を取る。だが焼却炉の中の子どもは、基本的に何もしない。座っているだけ。見ているだけ。周りをぐるぐる回っているだけ。手を伸ばしてこないし、名前も呼ばない。この受動性は、怪談としては地味だが、情緒としてはだいぶ重い。何かをしてほしいのではなく、ただそこにいることを知ってほしいだけ、という風に読めてしまう。実際、灰を埋めたら怪異が鎮まったという派生バージョンがあるのは、語り手たちがこの話をどこかで供養の話として受け取っている証拠だろう。
そして、この怪談を支えているのは、実は制度史のもの寂しさだと思う。ダイオキシン規制による焼却炉の全廃は、公衆衛生上はもちろん正しい判断だった。子どもにマッチを渡してプラスチックを燃やさせていたかつてのほうが異常だったのであって、廃止は遅すぎたくらいだ。それは分かっている。だが、学校から焼却炉が消えたとき、同時に学校から「火」というものがほぼ完全に消えた。理科実験のアルコールランプも、調理実習のガスコンロも、安全基準の中でどんどん取り扱いが慎重になっている。キャンプファイヤーをやる学校も減った。子どもが学校で本物の炎を見る機会は、この二十年で劇的に減った。火は危険なので、遠ざけるのは正しい。しかし、火を知らないというのは、人間の経験としては相当に奇妙な状態でもある。この怪談が今なお読まれるのは、その奇妙さに、むかしの人間がちょっとだけ手を振っているからなのかもしれない。
最後に、この話を語るときの作法について。良い語り手は、中にいた子どもの正体を言わない。事故だったとか、いじめだったとか、戦争中の話だとか、具体的な背景を付けた瞬間に、この話は急につまらなくなる。つまらなくなるだけでなく、先に書いたとおり、実在の悲劇を娯楽にするという新たな問題を作ってしまう。この怪談は、誰か分からない子どもが、いつかも分からない頃から、そこにいたらしい、というところで止めておくのが一番怖い。夜の校舎の裏手で、鉄の扉の隙間からオレンジ色が漏れていて、近づくと熱い。消えているはずなのに。それだけで十分なんだよな。今の学校にはもうあの箱はないし、夜に校舎を見回る人間もいない。だからこの先、この話は誰にも確かめられないまま、ずっと語られ続けることになる。確かめられない話こそが一番長生きするというのは、怪談の世界ではよくあることだ。

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