赤子とともに出てくるもの
胞衣(えな)とは、赤子がこの世に生まれ出た直後、母体からともに排出される胎盤とへその緒のことを指す。医学的にはただの後産だ。
ところが、かつての日本人はこれを医療廃棄物として扱わなかった。産婆が取り上げた赤子の産湯を支度する、そのすぐ横で、胞衣は白い和紙や布へ丁寧に包まれていく。素焼きの小さな甕や壺へ納められることもあった。
家の主や産婆、あるいは祖父母が、その甕を抱えて運ぶ。屋敷の床下、敷居の下、土間の隅、家の出入り口の真下。静かに土を掘って、そこへ埋めた。
胞衣納めという作法
これを「胞衣納め」、あるいは「胞衣送り」と呼ぶ。赤子が生まれたその日か、遅くとも数日のうちに執り行われる一連の作法だった。
疑問が残る。なぜ胎盤という生々しい器官を、わざわざ生活の場である家の真下へ埋めるのか。
その底には古い信仰が横たわっている。この世に生まれ落ちたばかりの命は、まだ完全にはこちら側へ定着していない。あの世との間を漂っている不安定な存在だ、という考え方になる。
胞衣は赤子の片割れ。それを土に還して、赤子はようやくこの世に根を張る。そういう理屈で作法は組まれていた。
踏まれるほど丈夫に育つ
埋める場所は地方によってずいぶん違うが、共通点が一つある。人がよく通る場所が好まれた、という点だ。
玄関の敷居の真下、土間の入り口、廊下の下。よく踏まれるところばかりが選ばれている。人に多く踏まれれば踏まれるほどその子は丈夫に育つ、という信仰に基づいていた。
踏まれることは穢れにあたらない。生命力を分け与えられる行為として受け取られていた。今の感覚からすると、ここがいちばん逆転して見える。
筆を入れるか、小銭を入れるか
一方で、埋める場所や副葬品によって子の将来を占う習俗も各地に伝わっている。甕の中へ何を一緒に納めるかが、そのまま願いの中身になった。筆と墨、あるいは小銭と米粒。
筆や墨を納めれば、学問に秀でる子に育つとされた。小銭や米粒を添えれば、裕福な人生を歩むとされた地域もある。だいぶ具体的だ。
占いはそれだけにとどまらない。埋める向きで次に生まれる子の性別を占ったという伝承もある。埋めた場所が家の中心に近いか外側に近いかで、その子が家に留まるか外へ出て活躍するかを占った例もあった。
胎盤の処理というより、新生児の未来そのものを土へ託す行為だった。だいぶ呪術的な作法になる。
『医心方』にすでにある
記録はずいぶん古い。平安時代中期、丹波康頼がまとめた日本最古の医学書『医心方』にまでさかのぼる。
この書物には出産についての詳しい記述があり、その中で胞衣の扱い方にも言及がある。高貴な身分の家では、専門の作法に則って処理されていたことが分かる。
慣習は貴族社会だけで終わらなかった。時代が下るにつれて一般庶民の間へも広く浸透していき、江戸期の産育書には胞衣の埋納に関する記述が数多く見られる。
明治が引いた線
風習が公的な転換点を迎えたのは明治時代になる。明治政府は近代的な衛生行政を整備する過程で、胞衣を含む人体由来の排出物の扱いについて規則を定めた。
従来のように各家庭が自由に敷地内へ埋めることは、そこで規制されていく。屋敷の下に胞衣を埋める光景は、都市部を中心に急速に姿を消した。
ただし全部が消えたわけでもないらしい。地方の農村部では、その後も長らく法律の網の外で、密やかに続けられていたらしい。
埋めた直後に笑う
派生形もある。「胞衣笑い」と呼ばれる儀礼だ。胞衣を埋める作業に立ち会った者、あるいは埋めた本人が、埋め終えた直後に大きな声で笑う。
理由もなく笑うこの所作には、笑い声によって赤子の将来へ幸運と健やかな成長を呼び込む、という信仰が込められていた。
想像すると、なかなか異様な光景になる。静粛であるべき出産直後の家の中で、誰かが土を埋めた直後に唐突に笑い出すのだ。傍から見ればぎょっとするしかない。
当事者たちにとっては違う。赤子の幸福を願う、真剣な祈りの表現だった。
エナワレーと呼ばれた地域
この風習が記録されているのは、沖縄をはじめとする南西諸島が中心になる。本土の一部地域でも確認されている。
地域によっては「エナワレー」などの方言名で呼ばれて伝わってきた。埋める場所や副葬品の違いと並んで、笑いという行為の有無や強弱もまた、地方ごとの胞衣信仰の幅を示す要素になる。
土間の隅から出てきた甕
体験談も残る。地方の旧家の解体工事に立ち会った建築関係者の話だ。築百年を超える家の床下を調査していたところ、土間の隅から小さな素焼きの甕が出てきた。
中身を見た作業員たちは騒然となった。黒く変色した布のようなものと、干からびて縮んだ塊。最初は何か生き物の死骸ではないかと思ったという。
立ち会っていた家の高齢の親族が、それを見るなり静かに言った。「ああ、これはお祖母さんの胞衣だ」。その場の皆が言葉を失ったという。
甕は長い年月を経て、土に還りきる寸前だった。地域の風習に詳しい郷土史家へ引き取られ、供養の後にあらためて別の場所へ埋め直されたという。
敷居をまたぐときの違和感
別の女性が語った話も印象に残る。彼女は幼い頃から、実家の玄関の敷居をまたぐたび、決まって足元がぞわりとする感覚に襲われていた。
大人になってから、その理由を祖母に尋ねてみた。「あなたの胞衣はそこの下に埋めてある。だから他の場所とは違うんだよ」。答えを聞いて鳥肌が立ったと振り返っている。
自分の体の一部だったものが、生まれてからずっと自分の足元に埋まったままだった。頭では理解できても、感覚としてはどうしても馴染めなかったと彼女は語る。
触れずに埋め戻してくれ
庭師の体験談もある。古い屋敷の庭の手入れを請け負い、植木の根を掘り返している最中に固い感触へ突き当たった。掘り進めると、小さな壺が現れる。
中身を確認する前に、依頼主の当主へ報告した。当主は顔色ひとつ変えずに告げたという。「それは触れずにそのまま埋め戻してくれ」。詳しい説明は最後までしなかった。
庭師はその後、地域の年配者から言い伝えを聞かされる。胞衣壺は掘り起こしてはならないもの。あのとき無理に開けなかったことに、胸をなで下ろしたと語っている。
産婆だった曾祖母
昭和初期まで地方で産婆をしていた曾祖母を持つ人物の話も、家族の間に残っていた。曾祖母は数えきれないほどの胞衣を扱っている。
中には難産の末に亡くなった赤子の胞衣もあった。そういうときは通常とは異なる作法で、ひっそりと弔うように埋めたケースもあったという。
曾祖母は生前、繰り返しこう口にしていた。「あの子たちの分まで、土の下で静かに眠っていてほしい」。医療行為の後始末というより、命そのものへの深い敬意が込められた作業だったことがうかがえる。
リフォームで掘り当てる人たち
この風習は今のインターネット上でも、しばしば話題に上る。古い実家をリフォームする際、床下や庭から出土した謎の壺について、Q&Aサイトや掲示板へ投稿が寄せられる。これは何なのか教えてほしい、と。
そこへ回答が付く。それはおそらく胞衣壺だ。このやり取りが、何年も繰り返されてきた。
反応は割れる。「自分の生まれた家の下に、自分の胎盤の成れの果てがずっと埋まっていたと知って震えた」と率直な恐怖を語る人がいる。
民俗学に関心を持つ層は逆だ。不気味な風習などではない、胎盤を自然へ還す一種のエコロジカルな知恵だった。そういう肯定的な再評価も広がっている。
掘り返してはいけない感覚
オカルト系のまとめスレッドでは、もっと怖い話も出てくる。胞衣壺を掘り当ててしまった後、原因不明の体調不良が続いたという体験談だ。
真偽はともかく、安易に掘り返してはいけないという感覚だけは、今も共有されている。都市伝説めいた緊張感とセットになって、今も残っているわけだ。
胞衣神という小さな神
民俗学の記録をたどると、信仰は埋葬の習俗だけにとどまっていない。「胞衣神(えながみ)」と呼ばれる小さな神格を生み出すところまで育っていた。
出産の穢れと神聖さ、その両方を司る小さな神。地域によって性格はずいぶん違った。胞衣を粗末に扱った家へ祟りをなす存在として恐れられた土地がある。丁寧に祀った家には、子の健やかな成長という恵みをもたらすとも語られている。
縄文の埋甕まで届く
考古学の分野からも裏付けが出ている。縄文時代の住居跡から、胞衣を納めたと推定される「埋甕(うめがめ)」が数多く出土しているのだ。
想像よりずっと古い。この風習がどれだけ長い連続性を持つのかを、出土品のほうが示してくれる。
柳田国男をはじめとする民俗学者たちが昭和初期に各地で行った聞き取り調査でも、胞衣納めの作法は地方色豊かな事例として数多く報告された。日本人の生と死、それに家という空間へ向けた独特の感覚を伝える手がかりになる。
足元に命を留め置く
この風習を貫いているのは、命の一部を生活の場のすぐ足元へ留め置くという発想そのものだ。もっと言えば、その発想への畏怖になる。
胎盤という赤子のもうひとつの分身を、他人の墓地でも寺社でもない、自分たちが日々歩き、眠り、暮らすその家の真下へ埋める。この選択には、家を単なる建物として見ない世界観がにじんでいる。
生と死が地続きになった、一つの生命体としての家。踏まれるほど子が丈夫に育つという発想も、埋めた場所や副葬品で運命を占うという発想も、そこから出てくる。
目に見えない回路
根底にあるのは一つの確信だ。土に還されたものと、地上で生きている者との間には、目に見えない回路が存在し続ける。
古い家の床下から胞衣壺を掘り当てたとき、現代の私たちが覚える戦慄も、見慣れないものへの驚きだけでは説明がつかない。その回路の存在を、無意識のうちに感じ取ってしまうからなのかもしれない。
法律によって表向きは姿を消したはずの風習が、今も解体現場やリフォーム現場で人を立ち止まらせている。胞衣という存在に日本人が託してきた重みは、それだけ大きかったということになる。
