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本当の意味がわかると怖い童謡8選―遊び歌の来歴と、あとから生まれた怪談

明るい声で歌えるのに、意味を考えると急に怖くなる歌がある。輪の内側から出られない子、門をくぐったまま帰らない親子、遠くへ去った女の子。懐かしい童謡には、歌そのものの寂しさと、あとから重ねられた怪談が入り交じっている。

怖い意味を知った途端、昨日までと同じ旋律が違って聞こえる。そんな八つの歌を、遊びの動きや古い記録もたどりながら聴き直してみたい。ただし、わらべ歌には土地ごとの違いがあり、作詞者のいる童謡にも、作者が書かなかった続きを語る噂がある。

ひそかな告白を見つける楽しさはあるが、すべての歌に一つだけの正解が隠されているとは限らない。長い間に忘れられた言葉もあれば、聞いた人が怖い物語をつけ足したものもある。歌い手の口を離れたあとも、歌は少しずつ姿を変えてきたのだ。

かごめかごめ―背後の一人を見てはいけない輪

輪の中心で目を隠して友達の足音を聞き、歌が止まったところで背後の相手を当てるのが、よく知られたかごめかごめの遊び方だ。振り向いて確かめることだけは許されない。すぐ近くにある、いつもの声。知っている相手でも、姿が見えないだけで位置までわからなくなる。

何かが追ってくる遊びとは、怖さの向きが違う。逃げる相手は見当たらず、自分だけが周囲を見られない。目を開ければ終わる小さな不安を、歌の決まりに従って引き延ばす。その中心へ怪談が入り込む余地は、たしかに広い。

民俗学者の柳田国男は、昭和十六年の新聞連載をもとにした『こども風土記』で、この歌と遊びを取り上げた。輪の子供たちが一緒にしゃがみ、背後の人を当てる言葉を添える場合と、添えない場合があったという記録だ。今ある一つの遊び方だけでは、その頃の姿は捉えきれない。

柳田が注目したのは、歌と体の動きの結びつきだった。かごめという音を、身をかがめるよう促す言葉と読み、輪になってしゃがむ動作から歌を説明していた。まずは、しゃがむ子供たちの姿。柳田の解釈をたどると、言葉の謎に気を取られていた目が、遊びそのものへ戻っていく。

怖い読み方になると、輪は人を閉じ込める囲いに変わる。中の鳥を遊女に見立て、籠の中からいつ出られるのかと問う声を聞けば、外へ出たくても自由になれない人の暮らしが浮かぶ。見えているのに届かない外の世界。歌だけが陽気に先へ進むので、囲いの中の寂しさが取り残される。

妊娠した女性と、まだ生まれていない子を重ねる説も語られてきた。転ぶ場面を流産へ読み替え、背後を尋ねる声を突き落とした相手への問いにすると、輪の中心は子を失い、誰かの悪意を疑う人へ変わる。歌から組み立てられた、母と子の怪談。遊びの鬼だった場所へ、その人の悲しみが置かれた。

同じ短い歌から、閉じ込められた女性の話と、子を失う話が生まれる。両方を一つの事件の記録として重ねれば、誰が何をされた歌なのか、かえってわからなくなるだろう。怖い解釈の魅力は、その曖昧な隙間へ、聞き手が自分の知る悲しみを当てはめられるところにある。

時間を表す言葉も落ち着かない。朝と夜が接ぎ合わされたような場面は、日常の時計にうまく収まらず、遊びの輪だけが別の時間へ滑ったように感じられる。ただ、柳田の記録には、今とは音の違う歌い方も残った。現代の漢字だけを唯一の暗号表にすると、古い言い回しまで別の話に変えてしまう。

それでも、怖い話を聞いたあとの遊びは同じではない。目を隠す子には、最後の足音が自分の知る友達のものか、確かめられないからだ。周りの子供はいつもどおり笑っている。その声が一斉に止まる瞬間だけ、輪の内側に一人分の静けさができる。

降霊術に結びつける噂では、その静けさが別のものを迎える時間に変えられた。目隠しや円形の並びは遊びを特別な儀式に見せるために使われ、輪へ霊が入り、当てるはずの相手が人間ではなくなるという筋が生まれた。心霊遊びとしての後日談だ。古い歌の成立とは分けておきたい。

姿を見ないまま相手を信じる心細さ。かごめかごめの鬼は、背後を当てればただの友達へ戻れるが、答えられなければもう一度同じ輪の中へ座ることになる。怪談を知らなくても、この小さな繰り返しは続く。子供だけの世界にも、うまく答えるまで抜けられない厳しさがひそんでいる。

通りゃんせ―祝った帰り道で何が変わるのか

二人が腕を上げて門を作り、その下をほかの子供たちがくぐっていく。通してもらうための問答が続き、最後には門が下りる。軽やかに通れた子のすぐ後ろで、一人だけが捕まった。通りゃんせには、道を進む楽しさと、足を止められる不安が同居している。

歌の中では、子の七つの祝いに、天神様へお札を納めに来たと説明する。用事を告げて通してもらうのだから、親子は参拝の目的を果たせそうに見える。そこで予告されるのが、帰りの難しさだ。喜ばしい祝い事の歌なのに、家へ着く場面は最後まで描かれない。

川越市の三芳野神社も、通りゃんせの発祥の地と伝えられる場所だ。神社が川越城内にあったため、一般の人には参詣しにくく、その様子が歌になったという由来を市は紹介してきた。城の内側へ入る道。そう考えると、理由もなく通してもらえない問答が急に具体的になる。

この由来話で怖いのは、道の途中に権限を持つ相手が立っていることだ。本人には大事な祝いでも、門を守る側が認めなければ先へ進めない。帰り道でも事情を尋ねられたと想像すれば、同じ道が往路と復路で違って見える。土地の伝承には、そんな城と町の距離感が重なっている。

子供を祝うつもりの親が門の向こうへ渡ったあと、二人そろって帰れなくなるというのが、怪談として聴くこの歌の怖さだ。歌に残された空白は、子供だけを神へ差し出す話や、帰りには姿が見えなくなる話へつながっていった。人の世と異界を隔てる門。いつもの道を進むはずが、境を越える話へ変わっていた。

祝いの用事を説明して通行を願う親は、危険を知らず、怖がることもなく門へ近づいているように見える。迎える声は丁寧だ。露骨に脅される場面がないまま案内が進むからこそ、帰れないという結末が、そこまでの穏やかなやり取りから不釣り合いに浮き上がる。

七つという年齢からすぐ犠牲や処刑を導くと、幼い子の成長を喜び、神仏へ参る営みと、子を失う怪談が同じ話になってしまう。歌の出発点は祝いだ。明るい用事で来たからこそ帰りの不穏さが深く感じられ、最初から葬送の歌として聴くと、その落差まで薄くなる。

言葉の響きも、怖さを支えている。通行を促す声なのに、何度も繰り返されると、その場を離れられない命令のようにも聞こえる。道の持ち主が誰なのか、聞き手には見えないままだ。門の向こうに立つ相手の顔が描かれないことも、想像を広げる。

遊びで門を下ろす二人は、歌を聞きながら列になって進んでくる子供たちを、最後の瞬間に捕まえる。列からは抜け出せない。前の子は無事に通ったのに、次の自分まで同じとは言えないのだ。終わりが近づくほど強くなる、順番待ちの緊張。

帰りが怖い理由を、怪異だけで埋める必要はない。城の門、厳しい通行の決まり、暮れかけた道など、身近な景色を置くだけでも歌は十分に不穏になる。通りゃんせは、親しみのある道が、条件つきでしか歩けない場所へ変わる歌でもあるのだ。

聞き終えたあとに残るのは、門を通れた喜びより、戻るときの心配かもしれない。行き先は天神様と教えられたのに、帰路を保証する言葉はない。行けることと帰れることの違い。そのわずかな隔たりが、この歌を長く怖いものにしてきた。

はないちもんめ―欲しい子の名前が呼ばれるまで

向かい合う二つの列が、歌に合わせて前へ出たり後ろへ下がったりする。次に欲しい相手を相談し、名前を呼んで、じゃんけんで取り合う。勝った側は人数が増え、負けた側から一人が離れた。手をつないでいた友達が、今度はこちらを見ながら歌い始める。

この遊びを人身売買の場面として読む説は、よく知られている。勝つという音を買うことへ、負けるという音を値引きへ結びつければ、二つの列は売り手と買い手に見えてくる。欲しい子を選ぶ相談も、笑顔のまま行われる取り引きに変わる。そこへ昔の貧しさを重ねると、歌は一段暗くなる。

花を幼い娘に見立て、遊郭へ売られていく子の歌だと語る枝もある。華やかな呼び名の裏で、本人には行き先を選ぶ自由がないと読むと、相手の列へ歩くわずかな距離が、家や親から引き離される長い道に見えてくる。身売り説から広がった悲しい読み方だ。手を放して列を移る動きが、別れの場面になった。

題名に残る一匁は、重さを表し、銀の取引にも使われた古い単位。時代を問わず同じ額の安値だったと扱えば、特定の子がその値で売られたという話と、歌に古い単位があるというだけの話が混ざってしまう。古めかしい響きには、それだけで由来話を本物らしく聞かせる力があった。

子を求める問答遊びは、柳田国男も『こども風土記』に記していた。子供に限らず、猫や雀をもらう形や、雛人形を買いに行く芝居のような形もあり、そこに並ぶのは相手へ何かを求めるいくつもの声だ。理由を尋ねたり条件を出したりする応酬そのものが、子供たちの遊びとして発達していた。

これらは、そのまま今日のはないちもんめの唯一の原形だと言い切れる資料ではない。それでも、買う、もらう、欲しがるという言葉が、遊びの中で変化していたことは見えてくる。古い問答をすべて実際の売買の再現にしてしまうと、子供が言葉を作り替える面白さを見落としてしまう。

歌の途中のやり取りには、現在紹介される遊び方でも土地ごとの差がある。布団をかぶる、別の物を持ち出すなど、来てほしい側と断る側の応酬が長く続くこともあった。勝敗より言い合いの歌をよく覚えている人もいるかもしれない。記憶に残った歌が友達と少し違っても、土地の遊びを思えば不思議ではない。

怖さは、古い身売りの物語だけにあるわけでもない。相手の組が相談している間、こちらは誰の名が呼ばれるかを待たされる。真っ先に選ばれる喜びがある一方、いつまでも名前が出ない心細さも生まれる。どちらの気持ちになるかを、本人には決められない。

最後に一人残った子へ目を向けると、誰かを失う悔しさを歌っていた側が自分を選んでもらう立場へ移り、歌の景色がまた変わる。勝敗ははっきりしている。それでも、嬉しい気持ちも寂しい気持ちも、その場の人数だけでは割り切れない。

怪談は、その曖昧な感情へ過去の悲劇を重ねたのかもしれない。買い手を恐れる話として聞けば選ばれることが怖く、仲間から置いていかれる話として聞けば選ばれないことが怖くなる。同じ歌が呼び起こす、逆向きの怖さ。欲しいと歌われる側に立った瞬間、楽しさだけでは片づかなくなる。

どの子にするかを相談する時間は、歌が途切れる短い空白だ。その間だけ、欲しいと歌われる相手が、目の前の一人として意識される。無邪気な掛け合いの途中にある、人を選ぶ沈黙。はないちもんめは、由来の怪談を離れても、そこに少し冷たいものを残す。

てるてる坊主―晴れを願う声が脅しに変わる

丸い頭に白い体をつけた人形が、窓辺で風に揺れていると、遠足や外での催しを楽しみに待つ気分によく似合う。明日晴れてほしい。そんな願いを声にして託す相手なのに、歌を終わりまでたどると、願いを聞かない相手へ厳しい仕打ちを告げる言葉が出てくる。

首を切るという、約束の反転。晴れたら贈り物をすると歌っていた声が、天気が変わらなければ罰を与えると告げた途端、人形へ可愛らしく頼んでいたはずの子供が、相手を従わせる側に立ってしまう。後から怪談を足した暗さではない。願いと脅しが、もともとの歌の中でつながっていた。

作詞したのは、長野県池田町出身の浅原六朗で、浅原鏡村という筆名も使った。池田町の文学記念館が紹介するのは、大正十年に雑誌『少女の友』へ発表された作品で、広く歌われる曲をつけたのは中山晋平だ。作者の顔が見える近代の童謡。名も知れない処刑歌が、そのまま残ったという来歴ではない。

発表時には四番まであり、のちに題や形が変わった。池田町の解説に記されているのは、作品が発表され、歌として整えられていく間の変化だ。子供の噂で付け加えられた禁断の続きとは、事情が違う。幻という呼び方だけで並べれば、後に出てくるサッちゃんの怪談とも取り違えてしまう。

記念館は首のくだりを、どうか願いを聞いてほしいという、半ば脅すような気持ちから読んでいる。優しいお願いと、残酷な条件。二つが一人の子供の声に収まっていると気づけば、小さな人形に託した願いが強まるにつれて、相手を大切にするはずの約束まで反対へ向く身勝手さが生々しい。

雨を止められずに殺された僧の由来話を重ねると、窓辺の白い布は僧の衣になり、丸い頭は吊るされた首へ見えてくる。祈りが届かなければ処刑される。そういう筋が人形の姿と結びついたのだ。歌の罰まで合わせて聞けば、形も言葉も一つの恐ろしい出来事を指しているように感じられる。

ただ、その僧の話を、浅原が歌にした実際の事件として扱うことはできない。人形の姿から想像された伝説と、名のわかる作者の作品を、一本の伝記にしてはいけないのだ。歌に本当に残っている厳しい言葉だけでも、願いと罰が隣り合う怖さは十分に伝わる。

台湾の教育部の辞典が紹介する中国の掃晴娘は、箒を持った紙の女性を軒下に掛けて晴天を祈る風習で、日本の坊主姿とは形が違う。雨雲を掃き払う小さな人形。人々はそこへ天気を変える役を託していた。隣り合う地域にも、空の様子を人の形へ頼む営みが残ってきた。

掃晴娘の姿が似ているからといって、日本の歌の罰まで中国由来と決めることはできない。人形の習俗が伝わった道筋と、近代の作詞は分けて考える必要がある。箒を持つ女性と白い坊主を見比べると、形を変えながら残った願いの方がよく見える。

人形には、曇り空を晴らせない事情を説明する口がない。吊るした側が成功も失敗も決め、贈り物をするか、罰するかまで選んでしまう。可愛らしい願掛けの中にある、一方通行の関係。その冷たさに気づくと、白い人形を見上げる気分が少し変わる。

雨の日に揺れるてるてる坊主が、必ず悲劇の犠牲者をかたどっているわけではない。それでも、歌う側が笑ったまま怖い約束をしていることは、聞き過ごしにくい。人形が顔を持つほど、その約束の相手が近く感じられる。明日の空より、今その首に結ばれた糸が気になってしまう。

サッちゃん―知らない四番が寝床まで追ってくる

名前をうまく言えない小さな女の子がいて、好きなバナナもたくさんは食べられない。やがて遠くへ行ってしまうことを、歌い手が寂しがる。よく歌われる三つの節には、そんな幼さと別れが描かれている。身近な友達を思い出すような、小さな物語だ。

阪田寛夫の詞と、大中恩の曲。作者不明のまま伝わったわらべ歌とは違い、二人が創作した童謡として楽譜も出版されてきた。大中の公式記念館や出版社の案内でも、その作品として紹介されている。幼い女の子へ怖い噂を重ねる前に、誰が作った歌なのかは覚えておきたい。

噂は、歌の向こうへ去った女の子に、別の行き先を与えた。引っ越しの話を列車事故で命を落とした話に変えると、バナナを少ししか食べられない描写まで、体を失ったことの暗示へ読み替えられた。日常の小ささが、恐ろしい欠落に変わる。もとの歌を知っているほど、その読み替えは身近に響く。

歌ってはいけない四番。そこで語られる続きは学校や人によって違うが、事故で体の一部を失った少女が、足を求めて夜に現れる筋がある。最後まで歌うと、その子に居場所を知られてしまうのだ。元の童謡に結びついた怪談が、歌の終わりを、そのまま自分の寝床につながる入口へ変えてしまった。

原曲の女の子が小さいからこそ、怪談の少女も最初は弱く見える。助けを求めているように聞こえ、追い払う側にはためらいが生まれる。そのあとで、欲しがっているのが自分の体だとわかるのだ。親しさが危険に変わるまでが、ひどく短い。

電話が鳴る筋では、最初は家の外、次は玄関、やがてすぐ近くへ来ていると声が告げ、少女との距離が少しずつ縮まった。電話を切っても見えない相手。歌い終わったはずなのに、物語だけがこちらへ近づいてくる。声を頼りに居場所を思い浮かべる間にも、次の呼び出しが迫る。

この電話の筋は、少女の居場所を少しずつ告げる別の学校怪談とも似ている。歌の続きが一種類に定まらず、知っている怖い話を取り込みながら変化した様子がうかがえる。四番だけを探しても、別の人は五番以降の話を始めるかもしれない。終わりの位置まで、噂が動かしてしまう。

怖さの芯にあるのは、元の歌に残った別れの寂しさだ。遠くへ行った相手には、もう簡単に会えない。その距離を怪談は逆向きに使い、会えないはずの少女が、呼んでもいないのに来る話へ変えた。いなくなる悲しみが、帰ってくる恐怖に裏返る。

歌ったら来るという決まりには、聞き手を物語へ引き込む力もある。怪談を知った以上、続きを思い出さないでいるのは難しい。歌詞を確認したい気持ちと、確認したら危ないという気持ちがぶつかる。何もしなくても頭の中で旋律が鳴るのが、厄介なところだ。

ただ、噂の列車事故や怪異を、作詞者の知人の実際の運命にしてはいけない。名のある作者が書いた少女と、後の子供たちが語った怖い少女は区別される。怪談としての面白さは、事故を史実に変えなくても失われない。優しい歌が、まるで別の入口として働く意外さにあるのだから。

サッちゃんの怖い続きを聞いた人は、三つの節を歌い終えたところで、一度止まるだろう。そのあとの静けさに、誰かがまだ続けようとしている気がする。どこで歌を終えるかを決めるのは、自分のはずだった。噂は、その小さな主導権まで揺らしてくる。

赤い靴―海の向こうへ行ったはずの少女

赤い靴の女の子は、横浜から外国人に連れられて海の向こうへ去る。残された側は、その後どうしているかと少女を思い出す。歌は旅の喜びを詳しく語らず、いなくなった人の姿を追っている。遠い国にいるはずなのに、その生活がまったく見えないという寂しさだ。

詞を書いたのは野口雨情、曲をつけたのは本居長世だ。外国へ行った少女をただ恐ろしい目に遭わせる話として聴くより、連れられて去る短い場面に、本人が何を望んだのか描かれないことが気にかかる。船出のあとの空白。歌は行き先を遠い国に定めたまま、そこにいる少女の暮らしを見せてくれない。

その空白と結びついて、きみという少女のモデル物語が広まった。幼くして母と別れ、外国人宣教師の養女になったが、病気のため渡航できず、東京の孤児院で亡くなったという話だ。母は娘が外国で幸せに暮らしていると思っていた、と語られてきた。母子で違ってしまった、遠い国の意味。

歌の少女は海を越えたのに、そのモデルとされた子は渡っていなかった。遠い国での生活を想像していた母の思いと、日本にいたという娘の生涯がすれ違う。怖いのは外国の正体より、届かなかった知らせだ。生きて会える距離かどうかさえ、親子の間で見えなくなっていた。

この物語が広まる発端は、昭和四十八年の新聞への投稿。少女の妹だと名乗る人の話に北海道テレビの菊地寛が関心を持ち、取材を重ねた。昭和五十三年には番組になり、その後、本も出版された。雨情が歌を書いてから語られるまでの長い隔たりも、この物語を聴くときには心に留めておきたい。

麻布十番に置かれた、きみちゃんの像。当地の案内は母子の悲しい物語とともに、像の足元から始まった子供への支援を伝えてきた。歌に重ねられた物語に心を動かした人々が、実際の町へ一人の少女の姿を作った。そこでは、歌を聴くことと誰かを悼むことが重なっている。

きみが雨情の作詩の直接のモデルだったという見方には、異論もある。少女の生涯を調べる仕事と、雨情が誰から何を聞き、その詩を書くに至ったかをたどる仕事は、確かめる相手も経緯も違う。像が立っている町を歩いても、作詩の経緯まで一つには決まらない。その違いは、悲しい物語を消すためのものではない。

その違いを置いても、きみの物語が歌の聴こえ方を変えることはある。海の向こうへ行ったと信じる声が、帰ってこない人を思う声へ変わるからだ。見送った人が納得していた結末も、別の場所から眺めると、とても寂しく見える。戻れなかった時間の重さが残る。

ここへ、人さらいだった、外国人に殺されたといった筋を足せば、話は刺激的にはなるだろう。だが、それは歌やモデル物語から確かめられる内容を越えてしまう。外国人というだけで、誰かを犯罪者にする必要はない。赤い靴の暗さは、人の悪意を補わなくても、別れと消息の届かなさの中にある。

歌い手は、少女を忘れてはいない。赤い靴や外国の人を見かけるたび、姿の見えない相手へ考えが戻っていく。思い出すきっかけは、いつもの町にいくつも残る。それなのに、相手からの返事は歌の中へ一度も届かない。

赤い靴には、隠された犯行の告白だけには収まらない長い余韻がある。遠くで幸せにしているはずだという願いは、消息を知らないことを埋める優しさになった。もし、その願いと違う生涯があったなら、どう受け止めればよいのか。怪談とは少し違う、取り戻せない別れの怖さがここに残る。

シャボン玉―空へ上がれなかったものを見送る

光を映した丸い泡が空へ上がり、風に流されて消えていっても、遊んでいるときなら次の一つを吹けばよい。手元には、まだ泡が作れる。けれど、シャボン玉の歌をゆっくり聴くと、消えたものへ目を向ける時間が長くなり、楽しい遊びのはずが、見送る歌に聞こえてくる。

野口雨情が詞を書き、中山晋平が曲をつけた童謡だ。泡が高く飛ぶ様子だけでなく、生まれてすぐ、上へ届く前に消える姿も描かれる。同じ泡でも、空にしばらく浮かべるものと、ほとんど姿を残せないものがある。短い歌の中に、その違いが置かれている。

雨情が幼くして亡くした娘への思いを込めた、と読む解釈は広く知られている。子を失った親の歌として聴けば、泡が壊れる場面は命の短さへ重なる。上へ届かなかったことが、育つ時間を与えられなかったことのように感じられるだろう。単なる儚さより、ずっと身近な痛みになる。

ただし、この読み方だけが作者の告白として確定しているわけではない。聖徳大学の児童学科による解説も、娘への思いという解釈を紹介しつつ、それを示す資料はなく、雨情の悲しみや慈悲を、より広いものとして捉えている。一人の子の名前へ閉じ込めずに聴く余地があるのだ。

歌の中に、死んだ子供の顔は描かれない。だから、聞き手は自分の知る別れをそこへ重ねることもできる。大きくなれなかった命だけでなく、始まる前に途切れた願いや、会えないまま終わった時間。透明な泡には、そうしたものが映り込む。

てるてる坊主のように、消してしまう相手を罰する歌ではない。風を止めたいと願っても、歌い手にできるのは呼びかけることだけだ。泡の薄い膜を手で守ろうとすれば、自分で壊してしまう。大切にしたい気持ちと、触れられなさが同じ場所にある。

風は、最初から意地悪な敵として現れるわけでもない。空を動かして泡を運び、同時にその泡を壊してしまうものだから、悪意を持つ誰かを見つけて納得する話よりも、行き場を失った気持ちが残る。守ってくれたものに奪われる心細さ。優しく吹いた風の中でも、泡は一つずつ消えていった。

旋律に合わせて、泡を目で追うように言葉が進んでいく。そのため、失われたものを大げさに嘆く場面がなくても、聞き手の方が先を待ってしまう。もう少し高く、もう少し長く浮かんでほしい。そう願ったところで、次の泡も同じ空へ出ていく。

この歌を死者の歌だと教えられると、それまで気にしなかった一つ一つの泡が、急に数えられない命に見えるかもしれない。ただ、その見え方は聞いた人の解釈でもある。怖さを感じたからといって、子供が泡遊びを楽しむ声まで、悲しい合図に変えることはない。

シャボン玉の静かな怖さは、壊れた瞬間の激しさより、さっきまでそこにあったものが、拾える破片も元へ戻す手がかりも残さず消えてしまうところにある。空は同じ広さのまま。泡だけがいなくなった。優しい歌を聴いていたはずなのに、取り消せない変化が身近に感じられる。

もう一つ吹けば、別の泡は生まれる。それでも、何度でも楽しく続けられる遊びの中で、一度ずつしか存在しない泡のことを思うと、同じ旋律の繰り返しにも別の響きが生まれる。さっきの一つは帰ってこない。その違いに気づいてから見上げる空には、次の泡だけでは埋まらない場所が残った。

ロンドン橋―崩れる橋の下で捕まるのは誰か

二人で腕の橋を作り、その下を列になってくぐる。歌の終わりに腕が下り、通っていた一人が捕まった。日本でも親しまれるロンドン橋の遊びは、通りゃんせとよく似ている。橋が落ちるという明るい掛け声の下で、いつも誰かが逃げ遅れる。

英語圏には、壊れた橋を何で直すか、木や土、石や金属へと次々に材料を替えながら歌う形が伝わってきた。古い歌の橋は、それぞれ別の理由でうまくいかなかった。子供たちには楽しい言葉の応酬。それでも読み進めると、完成しない橋を造り続ける話が浮かんでくる。

英国の民俗研究者アリス・バーサ・ゴムは、十九世紀末の遊戯集で、各地の歌と遊び方を並べて記録した。橋の材料を問うだけで終わる形に加え、囚人や夜の見張りが登場する形も拾い上げた。よく知る短い旋律の先で待っていた、別の登場人物たち。遊びの橋の下には、歌い慣れた部分より長い物語が続いていた。

ゴムが説明した遊び方も一様ではなかった。腕を橋にして列の子を捕まえるほか、輪を作る形や、二列が進んだり下がったりする形もある。歌の題名が同じでも、子供の動作は土地によって違った。今知っている一つの遊び方を、すべての歌詞の説明へ当てはめるのは難しい。

なぜ橋を直す歌の途中で、人が捕まるのか。そこへゴムが結びつけたのは、建物の土台へ人を捧げ、その死者に橋を守らせるという、人柱の解釈だった。橋を保たせるために差し出される命。捕まった子は、列の最後に残ったただの敗者から、建物の代価へ変わってしまう。

この説を知ると、夜通し橋を見張る人まで不気味に聞こえる。生きた番人の仕事として読めたものが、動けなくなった死者の役目に見えてくるからだ。子供たちは橋を造っているつもりで、最後には守り手を選んでいた。そんな暗い物語が、遊びの終わりへ入り込む。

ゴムの説明は、十九世紀の民俗学者が各地の供犠伝承や遊びの類例を比べ、歌の中の囚人や見張りへ結びつけて組み立てた解釈だった。その橋で起きた事件の報告ではない。ロンドン橋の基礎から、歌の犠牲者だと特定された子供が出たという発掘報告として受け取れば、比較から生まれた説の性質が変わってしまう。

それでも、この人柱説には歌とよくかみ合う部分がある。何を使っても壊れる建物の話は、最後に普通ではない代価を求める昔話へつながりやすい。材料の名を増やしていたはずが、いつの間にか人を数え始める。その切り替わりが、理屈の通った怖さを生むのだ。

橋は向こう岸へ渡るためにあるのに、壊れれば先へ進めず、渡っている途中で落ちれば元の岸へも戻れない。毎日使う便利な道具だ。下に空間があると意識するだけで、歌の景色は落ち着かなくなる。門を通れない怖さとも違う、足元そのものがなくなる恐怖。

捕まる瞬間だけを見れば、遊びの橋は、列を止める罠でもある。先に通った子の数だけ安心していたところで、腕が下りてくる。誰も通れなければ最初から近づかないだろう。何人も無事に進んだからこそ、最後の一人になる怖さが強く感じられる。

人柱説を知らずに歌っても、橋が壊れるという出来事は変わらない。そこへ囚人や見張りの歌い方を重ねると、崩れたあとに置き去りになる一人の姿が浮かぶ。軽快な遊びの歌が、何かを保つために誰かを手放す話へ変わる。国を越えて似た怖さが生まれるのも、橋の下をくぐる体の記憶があるからだろう。

歌い終えたあとの静けさに残るもの

八つの歌の怖さは、同じ場所から生まれてはいない。てるてる坊主には歌自体の厳しい言葉があり、サッちゃんには後から語られた続きをめぐる噂がある。赤い靴やシャボン玉には、誰かの生涯や喪失を重ねて聴く余韻があった。違いを残しておく方が、一つ一つの歌は深く聞こえる。

子供の遊びでは、声をそろえることが楽しさになる。輪や列の中にいれば、次にする動きもわかる。ところが怪談は、その決まりの一か所だけを変えるのだ。背後にいる相手、門から帰る人、歌を終える位置が違うだけで、見慣れた遊びが急に遠くなる。

古い歌のすべてを、忘れられた犯罪の記録へ変えることはない。作者のいる歌にも、作者の知らない解釈が育ち、名のない歌には、土地ごとに違う記憶が残った。それを聴く人の側にも、別れや寂しさの経験がある。同じ旋律へ帰ってきたつもりでも、聞こえる声は昔と少し違う。

怖い意味を一度聞いたら、知らなかった頃とまったく同じには歌えないかもしれない。それでも、優しい響きや遊びの楽しさまで消えるわけではない。二つが一緒に聞こえる、童謡の不思議さ。明るい歌が終わったあと、すぐ次を歌わずにいると、その違いがいちばん近くに残る。

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