歩いていて、急に足が前に出なくなる
カラコロと鳴っていた音が、片方だけ急に変わる。指が空を掻いて、足から離れた下駄が、数歩先の道へ飛んでいく。ぷつり。気づけば鼻緒が台の穴から抜けていて、緒だけが足の指にぶら下がっている。道の真ん中で片足立ちになったその姿は、誰が見ても決まりが悪く、どうにも間の抜けた、笑うに笑えない光景だ。
履物の緒が切れるのは、よくないことの前触れ。そう受け取る俗信は、下駄や草履が毎日の足だった時代から、日本のあちこちで聞かれてきた。朝の出がけに切れたなら、これから始まる一日の先行きまで、なんとなく気味が悪くなる。靴ひもが切れたときにも、同じ台詞を口にする人がいる。縁起が悪い、と。
切れた理由は、単純だ。古くなった麻は傷むし、無理に引けば結び目は抜けるのだから、誰の足にも起こりうる話にすぎない。それでも気味が悪いと感じる人がいて、その感覚が言い伝えになり、暮らしの中にずっと残った。ならばなぜ、数ある部品のなかで、よりによって鼻緒なのか。
答えの糸の先は、葬式の行列に結ばれている。墓へ向かう道の履物の作法まで遡ってみると、切れた草履を見た人の背筋がひやりとした理由が、少しずつ見えてくる。鍵を握るのは、墓へ向かう列の草履。
鼻緒は三つの穴で足を引いている
下駄の台には、穴が三つあいている。配置は、前に一、後ろに二。前の穴に通した緒は台の裏で結ばれ、後ろの二つの穴に通した緒は、足の甲を左右から包んで足を台の上に留める。三つの穴で、鼻緒は足と台をつなぐたった一本の命綱になる。
鼻緒は、足の指で挟む前坪と、足の甲を左右から押さえる後ろ側の緒でできている。指で挟むのは親指と人差し指のあいだで、この一点で足を台に引き寄せているから、前坪の根元には歩くたびに、ほかの場所より強い力がかかり続ける。荷重の集まる一点。
台の裏には歯がつく。二枚歯の下駄は、歯の高さの分だけ足が地面から浮いて、水たまりや泥から足の裏が遠ざかる。雨の日にぬかるみを避けられるのは、この高さのおかげだ。ゆっくり歩くための道具に見えて、泥から足を守る工夫がきちんと入っている。
台の材の主役は、桐。軽くて、繊維が長くて割れにくく、足あたりが柔らかいという三拍子がそろっている。杉の台も多く出回り、日田杉で作る杉下駄は、名の通った品として知られる。
現代の既製品の鼻緒は、麻縄を芯にして、心材とクッション材を巻きつけたものだ。見た目は布の帯でも、中身は縄。履く人の体重を受け止めているのは、布よりもむしろ、芯に入った麻のほうだった。
鼻緒という形になるまで
鼻緒の形は、昔は違った。事典の説明では、履物の爪先側にあけた前壺にすげて、両側に渡した横緒を固定する、紐や帯の形をした緒のことを、まとめて鼻緒という。
江戸時代の末期になると、横緒と前緒をひとつにした鼻緒が広まった。それより前の鎌倉時代には、太い横緒だけがついた草履もあったという。緒の形をたどるだけでも、時代ごとに履物の顔つきがだいぶ違っていたことがわかる。
草鞋は、律令の制度とともに入ってきた履物だという。藁などの植物の繊維で作る点は草履と同じで、足首まで紐で縛って固定する。その紐を簡略にして、爪先で挟む形に変えたものが、草履の始まりと考えられている。
平安時代の中ごろには、草履は庶民の履物として広まり、長い年月をかけて、足の指で挟む緒の形が少しずつ落ち着いていった。明治に洋靴が普及するまで、草履は日本の足元の主役だった。
草履には、ぬかるみでも滑りにくく、泥がはね上がらず、小石も入り込みにくいという良さがあったという。戦後の草履は、足の幅より台を狭くして、後ろの端から前壺へまっすぐ傾斜をつけた形に変わっていった。
装飾を凝らした鼻緒には、花緒の字を当てることもある。華やかな布を巻いた緒は、着物の装いの一部になった。足元に色を置く楽しみと、足を支える実用が、一本の緒の上で同居していたわけだ。
前坪を麻ひもで巻き止める職人の手
鼻緒を台に取りつける作業は、挿げと呼ぶ。鼻緒をすげる、とも言う。老舗の履物店の解説では、その手順を二十二の工程に分けて、一つずつていねいに紹介している。地味だが、腕のいる作業だ。解説には、二十二の手順のほかに、麻ひも一本の巻き方や前坪の長さにまで及ぶ、細かな気配りがぎっしりと並んでいる。
最初は、鼻緒の端の綿を抜く。続いて鼻緒をしごいて硬さをほぐし、後ろの緒の先を結んで止める。その結び目を金槌で打って平らにつぶすのは、台の穴を通るとき、結び目が引っかからないようにするためだ。
台の穴が狭くて緒が通らなければ、やすりくじりという道具で穴を広げる。左右の後ろ穴に緒を通し、前の穴にも通して、台の裏で結ぶ。ここからが腕の見せ所で、麻ひもをよって、結び目が簡単には抜けないように、何重にも巻きつけて止めていく。ここが勝負だ。
前坪の長さを決める道具は、つぼ引きという。前坪を引っ張って伸ばし、指の入り具合を整えてから、後ろの緒のゆるみを決めて、実際に手を入れて確かめる。きつければ鼻緒ずれになるし、ゆるければ歩くたびに脱げやすい。
巻きつけが終われば、余った麻ひもを切り落とし、台の後ろに刻印を打つ。最後に前坪のゆるみと後ろの緒の加減をもう一度確かめて、ようやく一足が仕上がる。
仕上げは、鼻緒の微妙なカーブ。足にぴったり沿うように、また鼻緒ずれを防ぐように、ほんの少しだけ曲げておく。
職人は、客の素足を見ただけで、ぴったり合う鼻緒をすげられるらしい。理屈より経験が成せる技だ、と店の解説には書かれている。台の穴に結ばれた一本の緒には、履く人の足の形が写し取られているわけだ。
朝の出がけに切れると、何が起きると言われたのか
この俗信は、全国で聞かれる。細かい言い方は土地ごとに違っても、中身はおおむね同じで、よくないことが起きるという予兆の扱いになる。
民俗学者の井之口章次は、俗信を、人間を超えた力の存在を信じて、それに対処する知識や技術と説明した。予兆の俗信は、何かが来るぞと先に知らせてくれる信仰にあたる。
世間でよく聞く解釈は、教訓めいたものだった。出かける前に履物をよく点検しなかったから切れるのだし、慌てて出るから事故にもつながる。だから日頃から気をつけなさい、という筋書きだ。
ところが井之口は、こうした科学的な解釈を、端的に誤りだと言い切った。鍵は、連想。彼が目をつけたのは、連想の糸のほうだった。
俗信は連想で成り立っている。切れた草履を見て葬式の日を思い出した人々の心の動きを、井之口は連想という一語で説明した。その理由を追うなら、その時代の人の気持ちになって、連想を働かせなければならない。井之口はそう述べて、鼻緒の切れた草履の話へ進んでいく。
鼻緒の切れた草履が、葬式の日を思い出させる
では、鼻緒の切れた草履を見た人は、何を思い出したのか。井之口が挙げた答えは、葬式の日の情景だった。人々は、切れた草履を見るたびに、あの日の野辺送りを心のどこかで思い出したという。
葬式では、近親者や棺をかつぐ人が、新しく作った草履をはいて野辺送りに出る。野辺送りとは、死者を火葬場や埋葬地まで見送る行列と、その儀礼のことだ。
墓での用が済んだ帰り道、その草履の鼻緒を切って、墓場に捨てて帰る。切った緒は、古くなって傷んだ破損とは違う。人の手でわざと、念入りに切ったものだった。
鼻緒の切れた草履を目にすると、人はこの光景を思い出す。葬式の日に、墓へ捨てられた草履。切れ方は違っても、形はそっくり同じだ。そこから、死の場面が目の前に呼び出される。
井之口の見方では、この連想がよくないことが起きるという予兆の信仰を育てた。しかも時代を越えて、草履や下駄から靴ひもへ受け継がれた。靴ひもが切れて顔をしかめる人は、墓に捨てた草履の記憶を、知らずに引き継いでいる。足元の一本の緒に目を落として、よくないことの前触れかと身構える仕草は、墓の草履と地続きなのだ。
新しい草履をはいて、墓まで歩いた日
野辺送りの行列には、決まった道具と役割があった。先頭に立つのは、松明を掲げる者。魔を払い、場を清める意味をもつ火だ。
先導役は、松明のほか、高灯籠を持つ土地もあった。小銭や散華を撒きながら歩く者がいて、旗を掲げる者がいる。僧侶は棺の先を行き、位牌、お膳、水桶、香炉、紙華、天蓋を、ご遺族が分担して運んだ。棺のあとには、一般の参列者が列をつくって続いた。
兵庫県の聞き取りでは、行列は高く掲げた旗から始まり、花、団子、菓子、燭台、香炉、供え膳、提灯と続いた。そのあとに導師の僧、輿に載せた柩、位牌、天蓋の順で進んだ。孫が持つ杖は、埋葬のときに故人と一緒に納めたという。
棺に鎌などの刃物をつけたり、道端の人に米や銭を撒いたりするのも、魔払いや清めの意味からだと説明される。天蓋は、棺を天日から遮るものだ。神社の前のような神聖な土地は、避けて通ることが多かった。松明や刃物、撒かれる米や銭、天蓋の覆いまで、行列の道具の多くは魔を払い、死者を守るために持ち出された物だという。
葬列の装いは、土地ごとに細かく分かれていた。棺や位牌、天蓋を受け持つ三役は、白い上着に草履という姿で歩いたという。山形では長男が白装束で棺を背負い、九州では小銭をばらまいて故人に徳を積ませた。新潟では松明や四華花を掲げて、村人が総出で見送った。
東北の聞き書きには、喪主が白装束を着て、紙でできた三角の冠をつけ、草鞋を履いた様子が語られている。草鞋のことを、素草鞋と呼ぶ口ぶりだった。白装束に三角の冠、足元は草鞋という喪主の姿は、愛媛の記録にある死者と同じ三角布の装いとも、よく重なって見える。
愛媛の民俗調査にも、野辺送りの装いが細かく書き留められている。死者と同じ三角の布や肩かけをつけ、草履を履いたという。細部は土地ごとに違うが、足元を特別に整える点は揃っていた。
墓で鼻緒を切って、そのまま捨てて帰る
埋葬を終えた参列者は、履いてきた草履をどうしたのか。鼻緒を切って、墓に捨てた。切って、捨てる。多くの土地で、そう伝わる。
愛媛の記録には、野辺送りで埋葬を終えた帰り道の作法として、役草履の鼻緒を切って捨てたり、塩で祓う呪的な行いが見られた、とある。履物を捨てることと、塩で祓うことが、ひと組になっていたわけだ。
井之口によれば、もとは、はだしで帰ったという。後には、別に用意した履物で帰る例も出てきたが、どちらにせよ、行きに履いたものは持ち帰らない。そこだけは動かなかった。
ある履物店の解説では、文化庁の日本民俗地図に、この種の例が全国で四十二件載っていると紹介され、作法の広がりを示す材料になっている。埋葬後に履物を墓地に捨てる、鼻緒を切る、はだしで帰る。作法は全国に散らばっていた。
なぜ持ち帰ってはいけないのか。死の場にいた履物をそのまま持ち帰ると、霊や魔が一緒について来る。そう説明されることが多い。事典の草履の項には、悪霊が草履を使って家へ戻るのを防ぐため、鼻緒を切って捨てた風習が、俗信の由来だと書かれている。
鼻緒を切れば、草履はもう誰の足にも収まらない。使えなくした履物を墓に残して、あの世とこの世の境に置いてくる。それが切って捨てる作法の中身だった。鼻緒を切って捨てることで、死の気配を断ち切る。そう説明する文章は、ほかの清めの作法と並べて、一続きの魔除けとして語っている。
行きと帰りで、道を変える
履物のほかにも、死の気配を家に連れ帰らないための作法は多かった。代表は、道を変えることだ。
火葬場や墓へ行く道と、帰ってくる道を、違う経路にする。故人の霊がこの世にとどまらないようにするための習わしだ、と葬儀社の解説にはある。行きと帰りは、別の道。
使った鍬を墓に置いて帰る土地もある。帰宅後には清めの塩をふりかけ、地域によっては、足を洗う、生の米を食べる、という手順まで加わった。
野辺送りから戻ると、まず喪家で風呂に入る、という記録も見える。風呂のあとは、膳の上座につく。清めに味噌を使う土地もあった。足元の草履だけでなく、体ごと穢れを落とす手順が組まれていたことがわかる。
ある履物店の解説は、履物を、死者の魂の依代にもなりうるものと見ている。本人の足の形を覚えた道具だから、という読み取り方だ。切って捨てる念入りさの説明として、筋が通っているわけだ。
死者の足元は、逆さにされた
葬式の履物には、もう一つ見落とせない作法がある。死者に履かせるほうの足元だ。
死装束は、左前に着せる。生きている人の着物は右前だから、その逆にして、あの世とこの世を区別する。これを、逆さ事と呼ぶ。
旅支度の装具には、草鞋や脚絆が入る。着物以外の装具も反対向きにつけさせる例が多く、死んだ人は、生きている人とは逆の向きで旅に出るのだという。
左前の理由は、ほかにも語られている。奈良時代の高貴な人が左前に着たから、故人を同じように送りたい。お釈迦さまが亡くなるとき、衣服を左前に着ていたという言い伝えがある。決め手になる一説はなく、複数が並んでいる。
仏教には、草履を蓮華座にたとえる見方もある。履物店の解説は、地蔵菩薩霊験記に、草履が蓮台となって剣樹の峰を飛ぶ、という記述があると紹介している。履物は、死んだあとの救いとも結びついた道具だった。
履物店の解説は、寺院の堂内で使う専用の履物を浄履と呼んだ例も挙げている。外で履いたものをそのまま堂に上げず、履き替えることが、清浄を保つ作法として定着していたという。
葬式の道具立ては、普段の逆をやる。そうして日常から切り離された物は、使い終えたら日常へ戻さない。墓に置かれた草履や、逆向きに結ばれた緒は、その種類の物だった。左前や逆向きの草鞋、切られた鼻緒。葬式で目にする履物のまわりの作法は、どれも普段のやり方をひっくり返す側にそろっていた。
同じ作法は、生きている側の節目にも使われた
鼻緒を切って捨てる作法は、葬式だけのものではない。厄落としにも使われた。
履物店の解説にある例では、新しい履物で氏神へ参る。帰りに十字路まで来たところで、新しい草履の横緒を切って捨てる。履物を厄の形代にして、厄を置いて帰るのだ。身代わりの草履。
嫁入りの場でも、似た作法が各地で確かめられる。ぞうりの緒を切って屋根に投げ上げるという作法が、複数の地域で確かめられると、履物店の解説は述べている。嫁が実家の人間から、嫁ぎ先の人間に移る節目を表す儀礼だと、解説は読んでいる。
葬式は死者との別れ、厄落としは厄との別れ、嫁入りは生家との別れ。三つとも、緒を切って捨てたあとは、もう元には戻らない場面だった。厄落としでは履物が厄の形代に、葬式では死者の魂の依代に、嫁入りでは嫁の新しい身分への移りを示す物に、それぞれ読まれている。
解説の著者は、考古学と民俗学のずれにも触れている。五世紀から九世紀の下駄が祭祀の遺物と並んで出土する一方、民俗学の文献には、下駄と信仰を結ぶ記述が少ない。そのすき間を、履物を捨てる作法から読むしかない、と書いている。
緒という字がもっていた重さ
緒、という言葉も、気にしておきたい。この一字は、履物の部品の名前にとどまらなかった。
玉の緒、という言い方が古くからあって、意味は命。魂を体につなぎとめている緒、という見立てだ。百人一首には、式子内親王の歌がある。玉の緒よ絶えなば絶えね、ながらへば忍ぶることの弱りもぞする。命よ、絶えるなら絶えてしまえ、と呼びかける歌だ。
緒が絶えるとは、命が絶えること。言葉の上で、緒と命は近い場所にいた。今も、我慢が限界に来ると堪忍袋の緒が切れると言い、人は緒の切れる音を思い浮かべるわけだ。
生まれたばかりの赤ん坊と母をつなぐ、へその緒もそうだ。切って初めて、一人の命になる。ただし、玉の緒やへその緒の連想が鼻緒の俗信を生んだと書いた資料は、見つかっていない。言葉の側の下地として、並べておくだけにする。
近い俗信は、同じ地方の記録にも並んでいる。愛媛の民俗調査には、夜に爪を切ると親の死に目に会えない、とある。北枕に寝てはいけない、左前に着物を着ない、茶碗に箸を立てない、といった禁忌も、同じ頁に載っている。
爪は、葬式でも使われた。サンヤ袋という袋に爪を入れる土地があり、多くの人から爪を切ってもらって、あの世で使う金にするという土地もある。どれも、生者の暮らしに死の作法を持ち込むな、という種類の禁忌だった。
下駄が町の足だった頃
下駄の歴史は古い。静岡の登呂遺跡からは、弥生時代の出土品がある。水田や湿地で足が沈み込むのを防ぐために使われたとみられる道具で、田下駄と呼ばれる。
履物としての下駄は、五世紀の遺跡からも出ていて、滋賀県長浜市の鴨田遺跡がその一つだ。ただし、そのころの鼻緒の素材はわかっていない。木の台は土に残っても、緒は朽ちてしまうからだ。
室町から江戸にかけて、下駄は支配者層を中心に使われた。庶民の履物として定着したのは江戸時代の後半で、それも、江戸や大坂など、都市に限られていた。
最盛期は、昭和三十年代ごろまで。長いあいだ、鼻緒の切れる場面は、日常のなかにあった。葬式のたびに草履の鼻緒を切る習わしも、同じ時代の暮らしのなかで動いていた。その最盛期の日本には、毎日の足元に下駄や草履が並ぶ暮らしが、確かに続いていたという。
江戸の風俗を記した書物、守貞漫稿には、携帯用の草履が出てくる。緒藁に白紙を巻いて縄にして取りつけた、太い鼻緒の中抜草履だ。今の細い鼻緒とは、顔つきがだいぶ違う。
台の形で、履く人の暮らしが見えた
下駄の台には、いろいろな形がある。駒下駄は二枚歯の代表で、台が細く、吉原で人気だったという解説がある。歩きにくそうに見えて、意外と安定している。
千両下駄は、横から見ると千の字に見えるから、その名がついた。前の歯に角度があって、前へ進みやすい。日和下駄は、薄い二枚歯で、おもに雨の日に使った。
後丸下駄は、後ろの歯が太くて安定する。女性向けのものは小町下駄とも呼ばれ、料理人に好まれたという。右近下駄は、小さな楕円の台で、底が丸く反っている。比較的新しい形だ。
舟形下駄は、草履のような舟の形をして、驚くほど軽い。ぽっくりは、底をくり抜いた形で、七五三の晴れ着に合わせた。西日本では、こっぽりと呼ぶこともある。高下駄には、歯が一本のものもあり、姿勢を鍛える稽古に使われる。
履物を選ぶ決まりはなく、装いに合わせて好きな形を選べばいい、と店の解説は結んでいる。どの形でも、足と台をつなぐのは鼻緒だ。緒が切れれば、台がどれほど凝っていても、その履物は役に立たなくなる。
天気を占った下駄
下駄は、履物であるだけでなく、占いの道具にもなった。下駄占いと呼ばれる遊びだ。
下駄を空へ飛ばして、落ちた向きで明日の天気を占う。晴れか、雨か。上下が正しければ、晴れ。逆さまになったら、雨。そう読む。
履物の向きを運に結ぶ遊びが、日常の遊びとして生きていた。足元の物が、天気という大きなものの先触れを引き受けていたわけだ。道具は足に履いた一足だけで、誰にでも、その場でできる遊びだった。
ちなみに、下駄占いと鼻緒の俗信を結びつけた資料は、見つかっていない。同じ道具が別の場面で占いにも使われた、という並びを示すだけにとどめる。
切れた緒は替えて、台はそのまま使う
切れた鼻緒は、捨てるものではなく、すげ直すものだった。挿げの職人は、切れた緒を新しいものに替えて、傷んでいない台はそのまま使い続けるので、一足の寿命は何度でも延びる。
履物店が挿げの技を大切に紹介するのは、使い続ける道具の文化だったからだ。緒の一本を替えれば、足に合った台が、また日常へ戻ってくる。
葬式の草履は、そうならなかった。直されずに墓へ置かれていく。同じ切れた緒でも、日常の破損と、儀礼の切断とでは、行き先が違っていた。
その違いが、いつのまにか溶けていく。日常の緒が切れたとき、人は儀礼の切断を思い出して、一瞬だけ手が止まる。その一瞬を、俗信と呼んだ。
下駄の台にあいた三つの穴は、今日も緒を通す日を待っている。切れた緒を替える店では、職人が麻ひもをよっている。
