出産の場に神が降りる
日本には長く、出産の場に神が宿るという信仰があった。
その神は産神(うぶがみ)と呼ばれた。出産が始まると天から、あるいは村外れの祠から静かに舞い降りてきて、生まれてくる子の運命までも見届けてから去っていくとされている。
起源をたどると、ずいぶん古いところまで行き着く。『日本書紀』に記された、豊玉姫の出産神話。
海神の娘である豊玉姫は、地上で子を産むにあたって、夫である彦火火出見尊にこう言い残したという。
決して産屋の中を覗かないでください。
鵜の羽で葺いた産屋にこもる。ところが夫はその言葉を破り、産屋の中をそっと覗き見てしまった。
そこにいたのは、妻の姿ではない。
本来の姿である巨大な鮫、あるいは龍となって、苦しみながら子を産んでいる姿だった。見られた豊玉姫は深く恥じ、子を置いたまま海へ帰ってしまう。
この神話が示すとおり、出産という行為は古代日本で、常人が覗いてはならない神聖かつ異界的な出来事として扱われてきた。その神聖な場へ唯一近づくことを許された存在が、産神だったというわけだ。
産屋という結界
出産の場を母屋から切り離し、集落の外れに専用の小屋を建てて女性をそこにこもらせる。これが産屋と呼ばれる風習になる。
分布には偏りがある。瀬戸内海沿岸、そして日本海の若狭湾沿岸。暖流の流れる海岸部の集落に、この風習は特に濃く残っていた。
香川県観音寺市の伊吹島では昭和四十五年ごろまで、福井県小浜市の色浜集落でも昭和三十年代ごろまで、実際に産屋が使われていたという記録が残っている。
つい最近まで動いていた風習なのだ。
もっとも、当初の産屋の性格は少し違っていたという指摘もある。血の穢れを持つ女性を隔離するための施設というより、神聖な出産の場に男や不浄なものを近づけさせないための結界。そちらの性格が強かった、という読み方になる。
三不浄に数えられる
月経や出産の血をはっきりと不浄として忌み嫌う思想が強まったのは、室町時代以降のことだったとされている。
それ以前はむしろ逆だった。産屋は母系の力が発揮される聖域として捉えられていたらしい。
ところが江戸期に入ると、扱いが決定的に変わる。
出産による出血は「産の穢れ」と呼ばれ、死の穢れ、月経の穢れと並ぶ三不浄の一つに数えられるようになっていく。
産婦の生活は厳格に制限された。
家族の食事とは別に火を起こして煮炊きをする「別火」を強いられた。井戸の水を汲むことすら自分ではできない。そうした徹底した隔離生活を送らされるようになっていく。
箒神を招く作法
産婆が呼ばれ、産室の支度が整う。そこでまず行われたのが、産神を迎え入れるための一連の儀式だった。
地域によって形は違う。
代表的なのは、部屋の隅に箒を一本、逆さに、あるいはまっすぐに立てかけるという所作。
これは箒神(ほうきがみ)と呼ばれる神を産室へ招き入れるための、れっきとした作法にあたる。各地の伝承では、箒の神が集まらなければお産をすることはできない、とまで言われている。
なぜ箒なのか。
箒はもともと祓い清めの道具であり、埃や穢れを外へ掃き出す力を持つと信じられていた。だから出産という血にまみれる神聖な瞬間に、場を清めて悪いものを追い払う守り神として立てられたのだという。
宮城、長野、愛媛、岐阜、群馬。全国各地でこの習俗が記録されている。地方限定の奇習ではない。日本列島に広く根を張った信仰として、各地の記録に痕跡を残している。
神が「座る」場所
注目したいのは、箒神が単に祀られる対象ではなかった点だ。
実際にそこへ「座る」存在として語られている。
障子の桟の上。長持と呼ばれる衣類を収める木箱の上。そこに目には見えない箒神が腰掛けて出産を見守っている。だから産婆や家族は、その場所をきちんと空けておかねばならなかったという。
同時に、妊婦本人には強い禁忌が課された。
箒を跨いではならない。
箒を跨ぐと産が重くなる。難産になる。最悪の場合は死産。そこまで言われたこの禁忌は、全国的にほぼ共通して見られるものだった。
他方、箒には治療的な役割も伝えられていた。
なかなか子が生まれない難産の際には、産婆が箒でそっと妊婦の腹を撫でたという。産神の力を借りてお産を早めようとする、呪術的な処置。
子の運命を決めて去る
産神信仰でもう一つ欠かせないものがある。産神は生まれてくる子の運命そのものを決めて去っていく、という語りだ。
産神は出産が始まると産室に来臨する。三日目、あるいは七日目ごろにその役目を終えて去っていく。
問題はその間だ。
滞在しているわずかな日数のあいだに、子の寿命や幸不幸をすべて見定めてしまうのだという。生まれた瞬間には、もう決まっている。
この信仰を色濃く伝える昔話がある。東北から中国地方まで広く分布する「産神問答」だ。
二十歳で大蛇に食われる
ある男が急用で隣村へ向かう途中、峠の塞の神の社に一晩泊まることになった。
夜更け、妙なことが起きる。
よその土地の産神が馬に乗ってやってきて、社の外からこう頼み込んだのだ。今夜どこそこの家で産気がついた、代わりに行ってくれないか。
塞の神は男を宿の主として立てている手前、自分はその場を動けない。かわりに、頼みに来たその産神を送り出した。
しばらくして戻ってきた産神は、男に向かって恐ろしいことを告げる。
今夜生まれた男の子は、二十歳になったら大蛇にとって食われる運命にある。
この言葉を盗み聞いた男は、我が子ではないその子の未来を哀れんだ。あるいは、自分の子にも同じ運命があるかもしれぬと恐れたのかもしれない。
以後、生涯にわたって神仏への祈願を欠かさなかった。
二十歳を迎えた息子を、諸国の神社仏閣を巡る旅に送り出す。すると道中で巨大な坊主と出会い、蕎麦の大食い勝負を挑まれることになった。正体は大蛇の化身だ。
しかし日頃の信心の力によって、大蛇は息子を呑み込むことができなかった。運命は覆され、息子は長寿を得る。
この昔話が示すものは大きい。
産神が下した運命は絶対ではない。人の信心や祈りによって書き換えられる余地がある。救いを含んだ世界観がそこにある。
山の神、厠神、オカマサマ
産神の正体は地域によって大きく異なる。
東北地方では、山の神がそのまま産神とされることが多かった。山の神は女神であり、自らも出産をする。その伝承との結びつきだ。
便所の神である厠神(かわやがみ)や便所神を産神の一種として信仰した地域もあった。
理由は建物の構造にありそうだ。
古い日本家屋では、便所が母屋の外れ、あるいは土間の奥にあり、そこが出産の場所としても使われていた。だから厠の神が産に関わるのは、ごく自然な流れだった。
このほかにも道祖神、あるいはオカマサマ、シャモジガミサマといった神格が産神として祀られる地域もある。竈や台所道具に宿る神々だ。
共通点ははっきりしている。いずれも日常の道具や場所に宿る、身近だが軽んじてはならない神として扱われてきた。
産神は十二人いる
もっと変わった異説も、一部地域に伝わっている。産神は一柱の神ではなく、十二人いるというのだ。
理由は実務的で、どこか可笑しい。
一晩に何件もの出産が重なった際、一人の産神だけではとてもすべてに立ち会えない。だから十二人が手分けをして日本中を飛び回っている、という説明になる。
産神問答のような「代理を頼む」話が生まれる下地にもなっている。
箒が妖怪になる
箒神については、時代が下るにつれて変化していった系譜も見て取れる。
単に産室へ招く神という位置から一歩進む。家に長く置かれた古い箒そのものに霊魂が宿るという、妖怪譚の領域へ移っていった。
古道具が長い年月を経て精霊や妖怪になる。いわゆる付喪神の思想との合流。
粗末に扱われた箒が、座敷わらしのような小さな怪異として振る舞う。そういう語りに発展した地域もある。
箒は掃き清める力を持つがゆえに神にもなった。粗雑に扱われれば祟る妖怪にもなる。両義的な存在として、日本人の生活の中で長く恐れられ、また頼られてきた道具だよね。
箒の位置がずれていないか
ある女性は、昭和四十年代に瀬戸内海の島で生まれた自身の出産にまつわる話を、祖母から繰り返し聞かされたという。
祖母が嫁いだ集落には、当時すでに産屋は残っていなかったという。ただ、家の納戸を臨時の産室として使う風習のほうは、まだ生きていた。
出産の晩、祖母の姑にあたる女性が、部屋の隅に箒を一本、無言で立てかけたのだという。
あれは産神様の座る場所やから、絶対にどかしたらいかん。
そう言われたのだという。生まれたばかりの女性の母は、産後何日ものあいだ、その箒の位置がずれていないか気にしながら過ごしたと語っていたそうだ。
当時は迷信深いと思って聞き流していた。
ところが自分が実際に妊娠したとき、ふと理由もなく箒を跨ぐのをためらってしまったのだという。そんな自分に気づいて、背筋がぞっとしたと振り返っている。
家中の箒を集めた夜
ある助産師が地方の高齢者から聞き取った話もある。昭和三十年代に生まれた男性の、出産時のエピソードだ。
難産だった。三日間も続く陣痛。家族はもう半ば諦めかけていたという。
そのとき、近所の年配の女性がこう言い出す。箒神様がまだ座っておられんのやろう。
家中の箒をすべて集めて、産室の隅に立てかけ直した。
すると、その直後に急に産が進み、無事に子が生まれたという。
医学的には、陣痛が進んだだけの自然な経過にすぎないのだろう。それでも居合わせた家族の間では、箒神様のおかげという話として今も伝えられている。
三日間に見た夢
もう一つ別の証言がある。東北地方のある集落で生まれ育った、ある男性の話だ。
子供の頃、祖母から真顔でこう言われたことを覚えているという。
お前が生まれた晩、産神様がお前の運命を全部決めていったんだぞ。
当時は怖くて何も聞き返せなかった。大人になってから改めて尋ねると、祖母はこう答えたという。
三日の間は産神様がずっとおまえのそばにいた。だからその三日間に見た夢や、口にした言葉には気をつけなきゃいけない、って昔から言われてたんだよ。
この男性は今でも引きずっている。
自分の人生の節目で何か悪いことが起きるたびに、あの三日間に何か良くない兆しがあったのではないかと考えてしまうと語っている。
ネットで語られる奇習
インターネット上の掲示板やSNSでは、産神や産屋にまつわる話題が「地元の年配者から聞いた奇習」として時折話題に上る。
特に妊娠・出産系のコミュニティサイトでは、体験を持ち寄る投稿が目立つ。
祖母の代まで本当に産屋があったと聞いて驚いた。箒を跨ぐなと今でも実家の母に言われる。そうした投稿が並び、地方によっては令和の世になっても風習の名残がしぶとく生き続けている様子がうかがえる。
他方、批判的な視点も強く語られてきた。
女性の隔離や差別の歴史そのものだ、という指摘になる。月経や出産を穢れとして扱ってきた歴史そのものを、現代のジェンダー論の文脈から問い直す議論も少なくない。
オカルト・怪談系のまとめサイトでは、また別の角度から扱われている。
産神問答のような「運命を告げに来る神」というモチーフは、後の座敷わらしや口減らしの伝説とも通底する怖さを抱えている。だからこそ民俗ホラーの題材として好まれる傾向が強い。
生まれた瞬間に運命が決まっている。この設定は現代のフィクションでも繰り返し使われるテーマで、産神信仰がその原型の一つと見なされることもある。
生活史としての記録
産神・産屋にまつわる信仰の実態は、柳田國男をはじめとする民俗学者たちの丹念な聞き取り調査によって記録されてきた。
柳田の著作群に代表される出産習俗の研究には、全国各地の産屋の分布や、産神を迎えるための具体的な作法が細かく書き留められている。伊吹島や色浜のように、昭和中期まで実際に産屋が機能していた集落の事例も、複数の調査で報告されている。
産神問答についても同じだ。
昔話というジャンルの中でも特に広い分布を持つ話型の一つとして知られ、島根・山形をはじめ全国各地に類話が採集されてきた。
これらは単なる空想の産物ではない。
日本各地の農村・漁村社会で、女性たちが命がけの出産にどう向き合ったか。どのような信仰によって、恐怖と隣り合わせの現実を乗り越えようとしてきたか。生々しい生活史の記録でもある。
箒を一本立てる。ただそれだけの所作に、命を賭けた夜の祈りが託されていた。
