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夜の蜘蛛は親に似ていても殺せ、朝の蜘蛛は福の神という日本の二枚舌

親に似ていても殺せ、と和歌山では言った

夜の蜘蛛は親に似ていても殺せ。和歌山で拾われた言い回しで、親の顔をした蜘蛛であっても、夜に出たなら迷わず潰せという。身内にさえ情けをかけるなと言わんばかりの、有無を言わせない凄みがある。蜘蛛一匹を相手に口にする言葉としては、どう聞いても穏やかとは程遠く、手加減というものが最初から抜け落ちている。初めて耳にすると、その強さに誰でも少したじろぎ、返す言葉を探してしまう。

同じ形の言い回しは、和歌山だけに残ったものじゃなく、西日本の広い範囲で拾える。愛媛では「夜蜘蛛は親の顔に似ていても殺せ」と言い、大阪では「夜蜘蛛は親に似てても殺せ」とくだけた調子になる。言葉は少しずつ違う。兵庫には「夜の蜘蛛は親の顔をしていても殺す」という、少し荒っぽい形が採られている。大分では「たとえ親の顔に似ていても殺せ」と、仮定の言葉をわざわざ前に置いてまで念を押していた。

近畿から四国、九州まで、海や山を越えて、ほとんど同じ形の文句が散らばっていた。偶然に似たと片づけるには、県の数が多く、広がりも大きすぎる。誰かが言い出して人づてに運んだのか、夜の蜘蛛を恐れる気持ちがあちこちで同じ形に固まったのか、どちらなのかは分からない。手がかりは乏しい。いつ頃から言われた文句なのかさえ、手元の材料ではっきりしない。

親は、人が何をおいてもいちばんにかばいたい相手だ。その親の顔を持ち出して情けを捨てろと迫るのだから、言い方としては最大級の念押しになる。兵庫だけは「殺す」と言い切り、ほかの土地は「殺せ」と命じる。言い切りと命令、語尾の違いはあっても、蜘蛛を許さない芯は変わらない。親という切り札。

拠りどころになるのは、国立歴史民俗博物館の俗信データベースだ。全国で採られた言い伝えが、採った土地の名と一緒に、ずらりと並んでいる。朝蜘蛛や夜蜘蛛の名で引けば、北海道から沖縄まで、ほぼ全国の言い方が拾えるらしい。ここに並べる文言も、そこに載った言い方を土台にして、地名の分かるものだけを選んで書き留めている。作り話は混ぜない。

朝の蜘蛛は御馳走の使者だった

朝になると、風向きが変わる。秋田では「朝の蜘蛛は御馳走の使者」と言い、新潟では「朝の蜘蛛は金蜘蛛」と呼んだ。金蜘蛛は「かねくも」と読む。愛知では「朝の蜘蛛は福の神」、山口では「朝蜘蛛に福あり」と、そろって景気のいい文句が並ぶ。どれも縁起物と呼ぶ以外にない扱いで、夜の言われようとは天と地ほども違う。

兵庫には、朝の蜘蛛を大事に懐へ入れる、という言い方まで残る。虫を懐に入れるとは、蜘蛛への扱いとしてなかなかの歓迎ぶりだ。福を運んでくる客人なのだから、手荒に扱うわけにはいかないという理屈だ。追い払うどころか、いちばん体温に近い場所へ招き入れるのだから、その扱いは客というより身内に近い。丁重な迎え方。

殺してはいけない、と真正面から禁じる形の言い回しもあった。長野に伝わる「朝蜘蛛を殺せば栄えない」が、まさにその形をしている。福をくれる相手を潰してしまえば、家の運まで一緒に逃げていくという、損得で言い聞かせる理屈になる。筋は通っている。栄えるか栄えないかまで言い切るのだから、蜘蛛一匹の扱いが家の運を左右する大事として語られていた。

沖縄の座喜味には、もう少し細かい言い伝えが採られている。朝、天井から蜘蛛が下りてきたら、その日は一日いいことがある。夜は事情が違う。夜に下りてきたなら、戸外へ出てはいけないという戒めに変わる。糸を伝って静かに下りてくる同じ蜘蛛が、時刻ひとつで福の使いにも凶の使いにも変わってしまう。

朝の言い伝えは、手を出さないことを求める。夜の言い伝えは、手を下すことを求める。蜘蛛を前にした人の動きが、時刻によって正反対になる。正反対の動き。切り替わる境目は日が落ちた瞬間なのか、それとも灯りをともした頃なのか、そこまで細かく決めた言い回しは見当たらない。

夜の蜘蛛は盗人の先立ちと呼ばれた

日が暮れて夜になると、同じ蜘蛛に別の札が貼られる。秋田では「夜の蜘蛛は盗賊の先立ち」と言い、先立ちとは先に立つ者を指す言葉だった。蜘蛛は先触れ。盗賊が現れるより一足早く蜘蛛のほうが顔を出すという見立てで、蜘蛛は盗人の露払いのような役を負わされた。蜘蛛にとっては、迷惑な役回りだ。

新潟は「夜の蜘蛛は泥棒蜘蛛」、愛知は「夜の蜘蛛は盗人蜘蛛」と呼んだ。長野の「夜の蜘蛛は盗賊が入る」は、もっと身も蓋もない。山口では「夜蜘蛛は盗人の先達」と言い、同じ山口に「夜蜘蛛は親の仇」という言い方まで残っていて、悪口の見本市のようだ。情けは無用。蜘蛛の側から見れば、たまったものじゃない言われようだ。

夜の蜘蛛を見かけたら、戸締まりを確かめる。そんなふうに言い伝えを使った家も、あったらしい。蜘蛛は何も盗まない。知らせに来る使いの役を一方的に背負わされただけなのに、夜の蜘蛛は盗人の仲間のような顔つきで語られてきた。盗人の気配に敏感だった暮らしが、その言い回しからうかがえる。

並べてみると、同じ県で朝と夜の言い回しが対になっているのに気づく。秋田は「朝の蜘蛛は御馳走の使者」に「夜の蜘蛛は盗賊の先立ち」、新潟は「金蜘蛛」に「泥棒蜘蛛」が組になる。愛知は「福の神」に「盗人蜘蛛」、長野は「栄えない」に「盗賊が入る」、山口は「福あり」に「盗人の先達」だ。どれも一対。朝と夜を別々に語らず、必ず並べて口にした跡が見える。

言葉を拾い直すと、使者、先立ち、先達と、先触れを指す言い方が目につく。どれも、あとから何かが来る前に姿を現す者のことだ。朝の使者と夜の先立ちが同じ秋田で並ぶのだから、蜘蛛は時刻ごとに別の使いを務めさせられていた。蜘蛛は福や盗人そのものとしてではなく、その前に立つ者として語られる場面もあった。先触れの虫。

ここまでの言い回しを並べ直すと、別の傾向も見えてくる。盗人の系統は、秋田、新潟、愛知、長野、山口の五つの県で拾えた。親の系統は、和歌山、愛媛、大阪、兵庫、大分の五つの府県に並ぶ。拾った数は限られるから、これで地図が描けるとは言わないが、盗人は東と山口、親は近畿から西という並びは目についた。偶然かもしれない。

山口の「親の仇」は、二つの系統の両方にかかって見える。夜蜘蛛を親の仇と呼ぶ言い方も、親に似ていても殺せという言い方も、どちらも親を引き合いに出して憎しみを強めている。根は同じなのか。別々に生まれて、たまたま重なっただけなのか。確かめる術は見当たらない。

理屈はあとから何通りも付いた

なぜ夜の蜘蛛だけが嫌われたのか。説明は何通りも付いている。盗人が来る前触れだ、という説明が一つ。不幸を運ぶ使いだ、という説明が一つ。蜘蛛は地獄の使いで朝の蜘蛛は天の使いなのだ、と二つを対にした言い方まで出回った。

夜という時間そのものが怖かった、という見方もある。灯りの乏しい家では、夜に動く虫はどれも不気味に見えたという。蜘蛛は足が8本ある。動きも独特で、壁や天井を音もなく渡っていく姿は、暗がりで影になればなおさら気味が悪い。昼の顔とは別物に映る。

朝の蜘蛛にも、理由が並ぶ。朝に見かける日は晴れが多いから縁起がいい、という説明がある。蜘蛛は神様の使いだから殺すな、という説明もある。ゴキブリなどを食べてくれる益虫だからという説明や、客を連れてきて商売が繁盛するという言い方もあった。説明の数だけ見れば、朝のほうがにぎやかだ。

どれも、あとから付けた理屈かもしれない。肝心の出どころを示す古い文献は、ここで調べた範囲では見つからなかったから、断定できる材料はどこにもない。確かなのは、全国で採られた言い回しが朝と夜できれいに裏返っている点だ。福と盗人、殺すなと殺せ。対になった形が、いくつもの県で揃っている。

夜のコブはよろこぶに通じた

九州の一部には、蜘蛛をコブと呼ぶ土地があり、夜に出る蜘蛛は夜コブになる。その響きから、よろこぶを思い浮かべて、夜の蜘蛛こそ縁起がいいと受け取る考え方も出てきた。九州には夜の蜘蛛を殺せと迫る言い回しがある一方で、夜の蜘蛛を喜びに結びつける考え方もあった。九州の一部、という言い方しかできないのは、手元の材料が土地の名まで伝えていないからだ。語呂の力。

語呂ひとつで、夜の蜘蛛は盗人から喜びへ札を貼り替えられる。中身は何も変わっていない。変わったのは、呼び名に添えた音だけだ。札を貼るのは、いつも人間のほうだった。

天井を歩いていたのは一種類の蜘蛛ではなかった

昼に見る蜘蛛と夜に見る蜘蛛は、同じ種類とは限らない。蜘蛛は昆虫じゃない。脚は8本で、体は前と後ろの2つに分かれ、触角もない。網を張って獲物を待つ姿が頭に浮かぶが、種の半数ほどは網を張らずに狩りをする。家の中で見かける蜘蛛にも、網を持たない連中がいる。

人に害を及ぼすほどの毒を持つ蜘蛛は、ごく少数に限られる。日本に昔からいる蜘蛛のほとんどは、人の皮膚を貫くほどの毒牙さえ持たない。夜に殺せと命じるほどの害を、蜘蛛の体は用意していなかった。家の中の蜘蛛は、毒で人を脅かす相手というより、虫を捕ってくれる同居人に近い存在だ。害の出どころは言い伝え。

家の中でよく出会うのはハエトリグモの仲間で、巣の網を張らず、歩き回りながら獲物を狩るという変わった暮らしをしている。目は全部で8つ。前列の4つが正面を向き、残る4つは頭と胸の背面の周りに並ぶ。前を向く目は視力が良く、物の形まで分かるという。網に頼らず、目で見て跳んで捕らえるという猟のやり方は、同じ蜘蛛でもまるで別の生き物を見ているようだ。

ハエトリグモは跳ぶのも得意で、狙った虫に一気に飛びかかる。足は比較的太くて短く、先には粘る毛があって、ガラス面でも歩けてしまうほど張りつきが強い。人家でよく見かける種として、アダンソンハエトリとチャスジハエトリの名が挙がる。小さな狩人。家の壁を歩く小さな蜘蛛の中にも、この仲間が混じっている。

夜の顔ぶれには、アシダカグモがいる。体長はメスで2センチから3センチ。左右の脚を伸ばすと、10センチから15センチほどにもなる。夜行性で、日中は物陰に潜み、夜になると隠れていた場所から這い出してきて、網は張らずに獲物を待ち伏せる。見かけは迫力がある。

主食はゴキブリで、ハエや蛾、蚊、ハサミムシも食べる。福島県以南の本州と四国、九州、南西諸島に住んでいる。基本的には逃げる蜘蛛だが、素手でつかむと防衛のために大きな牙で噛みつく場合がある。害虫の天敵。夜に家を歩く蜘蛛の中には、盗人の先立ちと呼ばれながら台所を守ってくれる役の者がいた。

アシダカグモは、記録の上では1878年に長崎県で初めて報告された。外来種として扱われる。だから「夜の蜘蛛」の言い伝えがこの蜘蛛だけを指しているとは言い切れず、夜に動く蜘蛛はほかにもいる。言い回しに出てくる蜘蛛が何者なのか、種類までは決められない。

オニグモは夜に網を張り、昼は網をたたんで物陰に隠れる。ただ、東北では畳まない、関西では夕方に張って朝に畳むといった地域差があるらしく、一概には言えない。メスの体長は約3センチで、網は直径1メートルを超えることもある。人家のまわりのほか、神社や寺の建物の外壁にも、大きな円い網を張る。大きな蜘蛛。

夜の社の壁に、1メートルの網が掛かる。その真ん中で、3センチの蜘蛛が獲物を待つ。同じ網を朝の光の中で見るのと、暗がりで見るのとでは、顔つきがまるで変わって見えるのだから、評判が割れるのも無理はない。日が高くなれば引っ込む。蜘蛛は網ごと物陰へ隠れてしまい、昼の壁には何も残らない。

衣通姫は蜘蛛の動きで帝を待った

古い書物には、夕べの蜘蛛が吉の知らせとして出てくる。『日本書紀』に収められた歌がそれだ。「わがせこが来べき宵なりささがにの蜘蛛のふるまひかねてしるしも」。『古今和歌集』の墨滅歌にも、ほぼ同じ形で入っている。蜘蛛が主役の歌。

詠んだのは衣通姫。允恭天皇に愛された人で、着物を透かして光るほど美しかったと伝わる。皇后の嫉妬を避けるため、天皇の居所とは別の場所に住まわされていた。天皇がやって来る夜を、独りで待つ身。先に動いたのは、蜘蛛のほうだった。

歌の意味は、今夜はあの方がいらっしゃる宵だ、蜘蛛の動きでもう分かる、というもの。蜘蛛が衣に止まったとも、巣を掛け始めたとも語られる。その動きが前触れだった。ささがには蜘蛛にかかる枕詞で、古くは蜘蛛をささ蟹とも呼んだという。知らせの出どころが蜘蛛の巣という小さな動きだったところに、独りで待つ人の目の細やかさが映る。

前触れの出どころには、説明が二つ並ぶ。一つは、蜘蛛が衣に付くと親しい人が訪ねてくるという言い伝えが、中国から入ったという説。もう一つは、蜘蛛が好天の前の夕方に巣を掛けやすいので、晴れた日に客が来る見込みが高い、という見方。どちらが当たっているのか、決め手は手元にない。

面白いのは、この歌の蜘蛛が夕方から宵にかけて現れる点だ。宵の蜘蛛は、歌の中では恋しい人を連れてくる。民間の言い回しでは、盗人を連れてくる。相手が正反対だ。書物の中と暮らしの中とで、同じ時刻の蜘蛛が別の顔をしていた。

和歌の用例を見ると、待ち人が必ず訪れるとは限らない。来ない男を待ち続ける女の歌のほうが多い、という指摘がある。戸口には誰も立たない。蜘蛛が巣を掛けても、肝心の人は現れず、知らせだけが空振りに終わる夜もあった。蜘蛛の知らせを頼りに待つ、心細い夜がそこにある。

八橋の名は蜘蛛の足から付いた

『伊勢物語』の第9段に、旅の一行が三河の八橋へたどり着く場面がある。物語は八橋の名の由来を「水ゆく川の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ八橋と言ひける」と説明する。川が蜘蛛の足のように八方へ分かれているので、橋を八つ渡した、という意味だ。名前の元は、蜘蛛。

蜘蛛は足が8本ある。昔の人は、蜘蛛の足の数を、橋の数にまで重ねて見ていた。蜘蛛手という言葉は、広がる形そのものを言い表す日常の語として使われていた。足を八方へ広げた蜘蛛の姿が、川の分かれ方を言い表す言葉の元になっていたのだから、観察の目は細かい。夜の盗人とも朝の福の神とも違う、蜘蛛の姿そのものへの眼差しがそこにある。

三河は、今の愛知県の東部にあたる。愛知では「朝の蜘蛛は福の神」と言い、「夜の蜘蛛は盗人蜘蛛」とも呼んだ。八橋の名を蜘蛛の足から引いた土地で、蜘蛛の言い伝えが朝と夜にきれいに割れている。『伊勢物語』が描いた旅の景色と、愛知で拾われた言い回しとが、蜘蛛という一つの虫でつながる。縁のある土地。

空を渡る蜘蛛の糸を雪迎えと呼んだ

蜘蛛の子を散らすよう、という言い回しがある。卵嚢の中で孵った子蜘蛛が、脱皮するまでそこにとどまり、やがて一斉に散っていく様子から来たことわざだ。散り方が変わっている。子蜘蛛は空中へ糸を出し、風をつかんで飛ぶ。糸一本で空に浮かぶのだから、小さな体でもたいした旅人だ。

この飛行は、バルーニングと呼ばれる。東北地方で秋に雪迎え、春に雪送りと呼ばれてきた現象の正体は、この飛ぶ蜘蛛の糸だったという。空に漂う白い糸を、人は季節の知らせとして眺めた。秋から春にかけて空を渡る糸が、雪を迎え雪を送る合図として受け止められたのだから、暮らしとの結びつきは深い。蜘蛛の糸は、前触れを運ぶ使いだ。

蜘蛛を助けた大泥棒に、極楽から糸が下りた

芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は、1918年に雑誌『赤い鳥』に発表された。主人公のカンダタは、人殺しも放火もした大泥棒。その男が、生涯でたった一つだけ善い事をしていた。道端の小さな蜘蛛を、踏み殺そうとして思いとどまり、そのまま命を助けてやったのだ。

極楽にいたお釈迦様は、その一事を思い出し、地獄の底へ一本の蜘蛛の糸を垂らした。夜の蜘蛛は盗人の先立ちだと言われた虫が、泥棒を地獄から引き上げる糸になる。蜘蛛を殺さなかった者が救われかける筋書きは、朝の蜘蛛を殺すなという言い伝えに、不思議なほど近い。響き合う筋。

土蜘蛛と呼ばれた人々

蜘蛛の名は、虫だけでなく人にも貼られた。土蜘蛛だ。古い時代の朝廷に従わなかった土地の豪族を指す、見下した呼び名で、『日本書紀』にも『古事記』にも出てくる。名の由来は「土隠」、土にこもる暮らしを指したという説があり、横穴のような住まいにちなむと語られる。

『日本書紀』には、神武天皇の話が載る。高尾張の村にいた土蜘蛛を、葛で作った網で襲った、という。村の名はそのとき葛城に改められた。蜘蛛を網で獲る話なのに、獲られるのは蜘蛛の名を貼られた人のほうだ。皮肉な話。

『日本書紀』の景行天皇の巻には、碩田国、今の大分県にあたる土地の話が出てくる。速津媛という人物から土蜘蛛のことを聞いた天皇が、討伐に向かった。同じ天皇の巻には、松浦郡で大耳と垂耳という土蜘蛛を討つ話も載る。親に似ていても殺せと言い伝えた大分で、蜘蛛を殺す話が時代を隔てて二つ並ぶ。

名の分かる土蜘蛛は、風土記なども合わせて45人にのぼるという。うち14人は女性の首長だった。神功皇后が筑後国の山門郡で田油津媛を討った話も、土蜘蛛の記録に数えられる。討たれる側に、女たちの名が目立つ。山に籠もる蜘蛛は、人だった。

中世になると、土蜘蛛は化け物の姿で語られ始める。能の『土蜘蛛』では、葛城山に年を経た土蜘蛛の精魂が名乗りを上げる。『平家物語』の剣巻には、源頼光が病に伏した夜、怪しい僧が縄で絡みつこうとする場面がある。頼光が刀の膝丸で斬りつけると、僧は逃げ去った。

翌日、頼光は4尺ほどの山蜘蛛を討ち取った。刀はそれ以来、蜘蛛切りと呼ばれる。14世紀の絵巻『土蜘蛛草紙』には、さらに巨大な山蜘蛛が描かれる。腹の中からは、死人の首がおびただしく出てきたという。恐れは膨らんだ。

古代の豪族に貼られた名が、虫の名と重なり、やがて化け物の名になった。蜘蛛という名には、人の恐れが何度も貼り直されてきた。朝は福の神、夜は盗人の先立ちという札も、その貼り直しのひとつに見える。札は剥がれない。

女郎蜘蛛と蜘蛛合戦

絡新婦と書いて、ジョロウグモと読ませる。細身で華やかな見た目から、花魁を連想して付いた名だという。蜘蛛の名づけは、恐れる側だけの仕事ではなかった。見とれる目も、そこに混じる。名づけの動機が恐れではなく美しさにあったという一点だけで、蜘蛛への見方はずいぶん広がる。

子どもたちの間には、コガネグモなどを戦わせる蜘蛛合戦という遊びもあった。夜は殺せと言われ、朝は殺すなと言われた虫が、子どもの手の中では闘士にもなる。遊びの名に、合戦という勇ましい字を当てるあたりに、蜘蛛を戦わせる子どもたちの熱がのぞく。闘士の顔。

糸を巻けばイボが治った

蜘蛛の糸には、薬のような使い道もあった。三重には、イボができたら蜘蛛の糸を巻いておく、という言い伝えが採られている。そうすれば翌朝には治る、という。糸を巻くというささやかな手当てからも、蜘蛛が暮らしの道具として頼られていた様子が見えてくる。手当てはそれだけ。

福の神にも、盗人の使いにも、イボ取りの道具にもなる。蜘蛛ほど役の多い虫は、そういない。朝に見れば殺すなと言われ、夜に見れば親に似ていても殺せと言われる。三重にはそんな蜘蛛の糸を、イボに巻く手当てが伝わる。

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