今も残る境界線
日本列島には今もなお、女性が足を踏み入れることを許されない場所が存在している。
奈良の奥深くには、三本の木で組まれた門がひっそりと掲げられている。大相撲の土俵を、千三百年にわたって女性が踏むことを許さない結界。坑道を掘る鉱山や、山を貫くトンネルの現場。
これらはすべて女人禁制と呼ばれる、女性だけを排除する禁忌でつながっている。
その境界線をもし女性が踏み越えれば、神の怒りが降り、山が崩れ、坑が汚れ、災いが降りかかるとされてきた。
これは単なる歴史の遺物ではない。今も現実に人々を拘束し続けている、生きた禁忌なのだ。
大峰山という例外
最も有名で、最も強固な例が奈良県の大峰山。
修験道の開祖とされる役小角が山を開いたとされる頃から、およそ一千三百年にわたって女人禁制が続いてきたという。
転機は明治。明治五年、西暦1872年に、明治政府が太政官布告第九十八号を発する。
神社仏閣女人結界ノ場所ヲ廃シ登山参詣随意トス。
この布告で全国の女人結界が廃止される。富士山も立山も白山も比叡山も、この前後で相次いで女性に開かれていく。
ところが大峰山だけは違った。
修験の寺院側と、地元の洞川集落の信徒たちはこれを拒否した。これは宗規であり、国の法律であっても侵すべきではない。そう主張して、今日もなお結界を守っている。
東西十キロ、南北二十四キロ
現在の結界は、山上ヶ岳を中心に広大な範囲へ設定されている。東西約十キロ、南北約二十四キロ。
1970年には、洞川側の結界門が清浄大橋まで二キロほど後退させられたという経緯もあった。
結界の門自体は、三本の木で組まれた簡素なものにすぎない。物理的には誰でも跨げる。実際、跨ごうと思えば何の障害もなく跨げてしまうよね。
ただ、その先へ足を踏み入れることを地元は強く戒めてきた。ぬすっと参り、つまり盗人のように忍び入る行為という呼び方が残っている。
血の穢れという観念
こうした女人禁制の根っこにあるのは、今日まで日本人の意識へ深く根を張っている「血の穢れ」の観念になる。
九世紀前半に編まれた『弘仁式』には、出産に伴う血穢が明文化されている。九世紀後半の『貞観式』には、月経に伴う血穢が記された。
いずれも古代中国の触穢観から強い影響を受けている。
面白いのは、神道と仏教で扱いがきれいに分かれた点だよね。
神道では、月経中や出産直後の女性が一時的に神社参拝や神事へ関われないとされても、それはあくまで一時的なものだった。
ところが日本仏教は、これを恒常的なものへと拡張していく。女性という存在そのものを、際限なく否定する方向へ展開していった。
女人五障と変成男子
出家者が守るべき不淫戒や触女人戒といった戒律の背後には、はっきりした発想があった。女性が修行者の快楽を刺激する存在であるという見方だ。
そこへ積み重なっていく教義。
まず女人五障説。女性は今のままでは仏になれない、という教えだ。
変成男子説もある。女性は一度男性に変じてからでなければ成仏できないという教えになる。
これらが女身垢穢説と相まって、女性を宗教的に一段下へ見る考え方が広がっていった。
山の女神は嫉妬する
修験道の世界には、別の信仰も広く見られた。山そのものが女神であり、しかも嫉妬深い存在なのだという考え方だ。
石長比売という女神の伝承に象徴される。山を抱いて住む女神は、人間の女性が踏み入ることで嫉妬し、災いをもたらすと信じられた。
柳田国男の『遠野物語』に記された遠野三山伝説も、同じ筋で出来ている。早池峰山と六角牛山を含む三座の山にはそれぞれ女神が住み、この伝承に基づいて長らく女人禁制が守られていたという。
熊野三山の周辺にも、同じ形の信仰がある。
男たちが松明を掲げて山を登るあいだ、女たちは闇の中で神火の戻りを待ち、持ち帰った男を迎えた。
神を尊びつつ、境界の内側で自分の役目を果たす女性の姿。それが今に伝わっている。
女人堂という妥協点
修験者たち自身は、半僧半俗の存在でありながら修行中は不淫戒を課されていた。
だから男性の修行場から、女性は締め出される。
古代では、もともと山が魑魅魍魎の住む危険な場所とされていた。子を産む女性は、安全上の理由から近づかないものだった。
ところが時代が下る。信心深い女性たちが修験者を頼って登山を志すようになった。
そこで修験者たちは折衷案をひねり出す。境界石を置き、その外側に女人堂を設けて祈祷や説法をするようになった。
女性は境界の内側へは入れない。ただ、境界の外側で信仰を実践する場は与えられた。
土俵という結界
大相撲の土俵も、この禁忌が今も強く生きている場だ。
大相撲の起源は江戸時代の勧進大相撲にさかのぼる。寺社仏閣の建立や修繕の費用を集める目的で開かれた行事だ。
問題は開催場所のほう。もっぱら女人禁制の神社仏閣の境内で行われたため、土俵上だけでなく観客席を含めた会場全体が女人禁制だったという。
明治五年の太政官布告で神社仏閣の境内への女性の出入りが解禁されて以降、女性客が相撲を観戦すること自体は許されるようになる。
それでも土俵上だけは、今日まで日本相撲協会が固く守ってきた。
蒸し返される議論
報道されるたびに議論が蒸し返される事例がある。
女性の知事が優勝旗を手渡ししようとして拒まれた事件があった。女性の子供が土俵での相撲取り組みへの参加を拒否された事例もある。
伝統と差別をめぐる議論が、そのたびに再燃する。
相撲協会はこの禁忌の根拠を神事性や伝統に求めてきた。
ただし反論もある。もともと相撲に確固たる宗教性があったわけでもなく、後付けの理屈ではないか。そうした指摘が絶えずなされてきた。
坑内に潜む神
鉱山やトンネル工事の現場での女人禁制は、山岳信仰とはまた別の文脈に立つ。
鉱山やトンネルという地下の世界には、山の神が棲むとされた。この神もやはり女性。
もし女性が坑内に入れば、神が嫉妬して怒る。落盤や落石、ガス爆発のような大事故を引き起こす。そう信じられてきた。
命を懸けて地下を削る鉱夫たちにとって、坑内は神の支配する神聖な空間だった。
そこへ別の女性、すなわち人間の女性が入ることで神の居場所が乱される。この発想は、命がけの現場にいる人間にとって切実な実感を伴っていたのだろう。
労働基準法の女性坑内業務禁止規定が改正されたのは2006年になる。これで妊産婦や危険有害業務を除いて、女性も坑内作業へ就けるようになった。
それ以前は長らく、法制度としても鉱山の禁忌が支えられてきた。
酒蔵に住む神
酒蔵における女性禁制も、これと同じ発想の上に組み立てられている。
蔵に住む酒の神が、女性の入室で機嫌を損ねる。すると酒造りが失敗したり、酒が腐ったりする。
そんな言い伝えが、各地の酒蔵に代々伝わってきた。
排除の強度は一様ではない
こうした禁忌のバリエーションとして面白いのが、地域によって女性を排除する強度が大きく異なる点だろうね。
ある地方の鉱山では、坑内のすべての区域が女人禁制になっていた。
ところが別の鉱山では、坑口周辺のやや限定的な領域のみが禁止され、他の区画では女性の出入りが黙認されていたという証言もある。
鉱山によっては、季節や行事の日に限って女性の入山が特別に許される例もあり、禁忌の形はけっして一様ではなかった。
石鎚山のような例もある。現在ではお山開きの七月一日だけを女人禁制とし、禁忌の記憶を行事の中へ細く残している。
門の前で胸が苦しくなる
体験談も多く語られてきた。
ある登山家の男性は、大峰山の女人結界門前で一人の女性登山客が不安そうに立ち尽くしているのを見かけたという。
声をかけてみた。すると、思わぬ答えが返ってくる。
彼女はこう話したという。この先へ行きたかっただけなのに、門の前に立った瞬間に胸が締め付けられるように苦しくなった。
結局、彼女は麓から対岸の山を眺めながら引き返したそうだ。
後日、男性は同じように門前で体調を崩した女性登山客の話を複数聴くことになる。これは単なる偶然ではないのではないか。そう思うようになったそうだ。
1999年の対峙
別の体験談もある。1999年に実際に登山を試みた女性教員グループの一人が、当日の結界門前での地元住民との対峙を回想したものだ。
零下に近い寒さの中、集まった住民たちの視線そのものは、決して険しいものではなかったという。
それでも、その場にいるだけで空気が重くなり、何か目に見えない圧力に包まれるような感覚に襲われたと語っている。
交渉は中断される。彼女たちは結局、山頂までは進めなかった。
この一件は後に大きな議論を巻き起こし、やがて女人禁制の存廃を問う一万人以上の署名活動へつながっていった。
山の神の怒り
鉱山の現場でも、先代の坑内作業員から孫にあたる世代へ語り伝えられた話がある。
ある鉱山では、規則を破って坑内に入った女性がいて、その直後に落盤事故が発生し、作業員数人が負傷したという。
当時の作業員たちは、これを山の神の怒りと受け取った。以後しばらくの間、その鉱山では女性の坑内見学すら厳しく禁じられたそうだ。
真相は地盤の採掘不良による崩落など、地質学的な要因だったとする見方もある。それでも当時の作業員たちの間では、長らく神罰の実例として扱われた。
伝統か、差別か
この禁忌について、インターネット上でも激しい議論が絶えない。
伝統保持の立場からは、こう主張される。長い歴史を背負った信仰や修行の形を、外部の価値観で丸ごと否定すべきではない。
差別を問題視する立場からは、別の批判が寄せられる。女性を不浄として排除する発想自体が、日本国憲法第十四条の平等原則に反する。
民俗学者の中には、女人禁制を性差別のクライマックスだと呼ぶ人もいる。
その正当化の論理を、正直に並べてみよう。女性は修行の障りである。五障により仏になれない。血穢により汚れた存在である。
現代の女性には、ほとんどリアリティを持たない理屈だ。
それでもなお存続するのはなぜか。禁忌というものが単なる制度ではなく、地域共同体のアイデンティティや信仰の中核になってしまっているからだ、という説明もある。
精進落としという裏側
洞川の集落には、さらに苦い一面も伝えられている。
修験者たちが下山後に「精進落とし」と称して、道中で女性と修行の反動を晴らす風習があった。1980年代まで公然と売買春が行われていたという。
この事実が示すものは重い。修行の禁欲と女性の排除が、表裏一体だったのだ。
修行の場から女性を遠ざけておきながら、下山後の裏経済の中では女性の身体を商品化することを黙認してきた。
この二重基準は、どうにも見過ごされやすい。それでも女人禁制の実態を考えるうえでは、重い事実として語られてきた。
山ごとに違う廃止の年
高野山も富士山も、今では女性が自由に登れる。
高野山が女人禁制を解いたのは1904年のこと。明治が終わる前だ。
出羽三山に数えられる月山は1997年まで女人禁制を保持しており、現代日本では際立って遅い例になる。
このように、女人禁制の廃止のタイミングは山ごとに大きく異なる。
その差の背後にあるのは、地域の宗教組織の弱体化や観光化の圧力という、きわめて世俗的な事情。
大峰山のように、一切の修正を拒む山がある。一方で龍泉寺のように、1960年の大火を契機に自ら進んで禁制を廃し、女性を受け入れた寺院もあった。
同じ修験の場でありながら、正反対の選択をした両者。この対照が、禁忌は固定的なものではないと教えてくれる。それぞれの地域や集団が、自らの意志で選び取ってきた生きた文化なのだ。
安全上の配慮という名目
もうひとつ押さえておきたいのが、この禁忌を支える実務的な反対理由、いわゆる安全上の配慮という名目だ。
登山や坑内作業は妊娠中の体調変化が事故につながりやすい。そういう現実的な事情を持ち出す人もいる。
ただ、この論理では、すべての女性を一律に排除する根拠にはならない。むしろ後付け的な説明ではないかという指摘が、学術とメディアの両方から根強く出されている。
それでもなお、この禁忌は受け継がれている。
山を抱え、土の中に潜り、土俵の上で足を踏ん張る人々の間では、単なる迷信以上の重みを持っている。
境界を越えるという行為は、この国では今も神々しさと恐れとが不可分に結びついた、重い意味を持ち続けている。
