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水が先で、湯はあと。死者を洗う夜の作法と、寺の隅にあった湯灌場

直径八十センチの小さなたらい

滋賀県の北のはて、余呉湖の村に、湯かん専用のたらいがあった。直径は八十センチほど。行水に使う普通のたらいより、一回り小さい。土葬の村を歩いたルポが、写真つきでこの道具を紹介している。使い道は一つ、死者を洗うことだ。

地方によっては、あぐらの姿の遺体を木のたらいに入れて洗った。伊吹山のふもとの村では、たらいに縄を十文字にかけ、その上に故人を座らせたという。洗ったのは、血のつながりの濃い近親の男たち数名。十文字の縄は、伊吹山の修験道が死者の霊魂を救うために使った呪術の影響だと、ルポは書く。

湯かんは女の仕事。そう思い込んでいる人は多いかもしれない。たらいの村では事情が違った。男たちの手が、直接、死者の身体に触れていた。女性だけの仕事ではなかったと、ルポははっきり読み取っている。

京都府の南山城村は、やり方がまるで違った。寝室から納戸へ遺体を移し、まわりに目隠しの屏風を立てまわす。その内側で、ひそかに湯かんをした。喪主の夫人は、近親の女性数名で衣服を脱がせ、身を拭ったと証言している。

同じ土葬の村でも、村が変われば洗い方も変わる。たらいに入れる村があり、屏風の中で拭き清める村があった。ルポは湯かんを、土葬の村で遺族が行う最も重要な弔いの作法と呼ぶ。火葬が当たり前になった今では、遺族が自分の手で死者を洗う場面そのものが遠くなった。

水が先で、湯はあと

湯灌でいちばん有名な作法が、逆さ水だ。ぬるま湯を作るとき、ふつうは熱い湯に水を足す。逆さ水は、先にたらいへ水を張り、あとから湯を足す。順番を入れ替えただけの話に見える。それが、死者の湯を作る決まりだった。

辞書にも項目がある。デジタル大辞泉は、普通とは逆に水へ熱い湯を入れてぬるくすることと説明し、死者の遺体を清めるときのやり方だと添える。辞書が拾うほど、広く通じた作法だったわけだ。

仕上がる湯の温度は、三十五度から四十度ほどと案内する解説がある。肌に触れて熱すぎも冷たすぎもしない、ちょうどよい湯だ。そのぬるま湯を作る順番だけが、日常の反対に決められていた。

理由として葬祭業者の解説がそろって挙げるのは、あの世はこの世の逆さまだという考え方だ。生きている人間の手順を反対にして、死者の側の作法にする。屏風を逆さに立てる。着物を左前に着せる。逆さ水も、その仲間に数えられる。

断っておくと、この説明が昔の文献に出てくるのか、近年の葬儀解説で定着した言い方なのか、手元の資料では確かめられなかった。通説だと書く記事ばかりで、出どころは示されない。確かなのは、水に湯を足す手順そのものが、江戸の作法を紹介する解説にも、沖縄の村誌の記述にも出てくることだ。

葬祭業者の案内には、湯灌を産湯になぞらえるものがいくつもある。生まれたばかりの赤ん坊を湯につけるように、来世で生まれ変わる身体を洗う、という言い方だ。別の解説は、逆さ水を新生児の産湯と正反対の手順だと書く。生の湯と死の湯が、同じ洗い桶の上で向かい合う。

左手の柄杓と、呼び戻される水汲み

江戸時代の湯灌の作法を紹介する、ある葬祭業者の解説には、逆さ水のほかにも決まりが並ぶ。柄杓ややかんを左手に持つ「左びしゃく」。湯灌に使う水を汲みに出かけた者を、必ず誰かが後から呼びに行く「声かけ水」。どれも地方によって違いがあった、と前置きされている。

声かけ水の理由は、その解説に書かれていない。呼ぶ相手は水汲みに出た人なのか、汲んだ水なのか。正直、ここは出典が何も言わないので分からない。分からないまま、作法の名前だけが記録に残った。

現代の案内にも、左手の柄杓は生きている。ある葬儀社のページは、故人の足もとから胸もとへ向けて湯をかけ、胸まで来たら残りの水を全部流して終わる、と手順を書く。別の解説は、足もとから始める順序も逆さごとを意識したものだと説明する。

湯灌をプロの湯灌師に任せる場合でも、逆さ水をかける所作だけは家族が行う。そう案内する葬儀屋がある。家族の手でかけることで、故人のこの世への未練を洗い流す意味合いがある、というのが言い分だ。ここも、出どころは現代の解説にとどまる。

裸になり、縄をたすきにして

江戸時代の作法には、洗う側の身なりの決まりもあった。近親者が裸になり、縄の帯と縄のたすきを掛けて洗う。解説はそう紹介する。死者に触れる人間の側にも、普段とは違う身なりが求められた。男の遺体なら髭を剃り、女の遺体なら死化粧をするという現代の定義とは、だいぶ景色が違う。

洗い終えると、経帷子を着せた。白麻か白木綿の着物で、近親の女性たちが共同で仕立てる。縫い終わりの糸は、玉に結んで止めない決まりだった。着せ方は左前。帯を締め、手甲や足袋、脚半をつけた。

頭陀袋には、五穀と六文銭を入れる。六文銭は、三途の川の渡し賃だ。ここまで整えて、はじめて納棺になる。糸を結ばず、着物を左前に着せる。どちらも、生きている人間の着物の作法を反対にした形だ。

湯灌には、儀式のほかに実用の面もあった、と案内する記事がある。湯で遺体を温めて死後硬直を和らげ、納棺しやすくした、という説明だ。清めと段取りの、二つの役目。

洗った湯は、日の当たらない場所へ

洗い終えた湯の始末にも、決まりがあった。使い終わった湯は、日の当たらない床の下や藪かげに捨てる。土に穴を掘って流す地方もあった。解説は、これらを江戸時代の多様な風習の一部として並べる。死者の湯の始末。

死者を洗った湯が、どこへ消えるのか。それが決まっている土地では、湯はただの汚れ水として扱われなかった。理由まで書いた資料は、今回あたった範囲には見つからない。日の当たる場所を避けた。確かめられるのは、そこまでだ。

桶の底を抜いた沖縄の村

沖縄の葬祭儀礼を整理した二〇〇五年の論文に、湯灌の細かな記述がある。沖縄の言葉でアミシーン。使う水は、産湯に使う井戸の水ではなく、ふだん使っている井戸の水だった。丸い桶に冷たい水を入れ、そのあとに湯を足して、逆水(サカミジ)を作る。

洗うのは、娘や孫など身近な女性。台所の近くで逆水を浴びせる村もあれば、裏座や仏壇のある部屋で浴びせる村もあったという。最初は顔を三度逆さに撫で、頭には碗で三回、逆水をかけた。下に古着を敷き、濡らした手拭いの水を素手に取って、死者の身体を拭いた。論文が引く村誌の記述だ。

残った逆水は、下水にこぼす。使った桶は、底を抜いた。爪と髪と髭は、死者といっしょに棺へ入れる。髪は結い、ひとしずくの油をつけ、髭も剃った。桶の底を抜けば、もう二度と水は溜まらない。

湯灌が終わると、後生衣(グソウジン)を着せた。あの世へ行く旅装束のことだ。枚数は奇数と決まっていて、貧しい者や若者は三枚、裕福な者や年寄りには九枚や十三枚を着せる例もあった。その上に、白衣を重ねる。

白衣の縫い方にも決まりがある。縫い付けた糸は玉結びにせず、歯ではなく手で切る。村によっては、白衣を裏返しに着せたり、逆さにかぶせたりした。袴には針を上向きと下向きに刺す。後生には水がないので、死者はこの針で水を買って飲め、という意味づけが、論文に記されている。

洗うのが娘や孫の女性だった沖縄の村は、近親者が裸になって洗う江戸の作法とも、男たちがたらいを囲んだ伊吹山のふもとの村とも、顔ぶれが違う。それでも、水に湯を足して逆さの湯を作る一点だけは、どこの記述にも出てくる。

屏風の内側と、剃られた髪

南山城村で最後に導師を務めた住職は、昔は湯かんの前に、死者の髪を全部剃って丸坊主にしたと語る。剃髪の儀礼だ。剃るのは寺の僧で、死んだ人が死後に出家したことを意味した。湯かんと剃髪は、ひと続きの宗教儀礼。

意味はだんだん忘れられ、剃髪は遺族の仕事になった。ルポはそう書く。僧の手を離れた儀礼が、家の中へ降りてくる。屏風の内側で近親の女性が身を拭う湯かんは、その流れの中にあった。

剃髪は、女性にも行われた。そんな話が、古典落語の「三年目」に出てくる。夫婦仲のよかった妻が、死ぬ間際に、幽霊になっても会いに来ると夫に約束する。待てど暮らせど出てこない。やっと出てきたのは、死後三年目だった。

湯かんのときに丸坊主にされたので、髪が伸びるまで出るに出られなかった。それが遅れた理由だ。笑い話の形で、剃髪が女性にまで及んでいた習慣が残った。

ゆかはあみと灌頂、由来の説明は三つに割れる

湯灌という言葉の由来には、説明が複数ある。一つは、日本書紀の記述だ。養老四年、七二〇年に完成した書物の中に、天皇が「沐浴齋戒」して身を清めたと読める箇所がある。この沐浴は「ゆかはあみ」と読まれ、そこから湯灌に転じたという説がある、と葬祭業者の解説は紹介する。

二つ目は、神道の水の考え方だ。死の穢れを忌み、禊と祓で取り除く。祓詞には、伊弉諾尊が亡くなった妻を追って黄泉の国を訪れ、死の穢れを浴びたあと、海水で身を清めたことが記されている。湯灌協会の解説は、日本には元から、水を浴びて心を清める発想があったと書く。

三つ目は、仏教だ。灌頂という儀式がある。古代インドで国王が即位するとき、海の水を集めて頭のてっぺんに注いだ。それが出家の儀式にもなり、中国を経て日本へ来た。日本では最澄が高雄山寺で初めて灌頂を行い、空海が本格的に始めたと伝わる。

真言宗では、入棺のときにも灌頂の儀式があった。それが葬儀の湯灌の始まりだという伝えもある。唐代に訳された経典の『仏説無常経』に、湯灌のいちばん古い記録があるとする解説もある。別の解説は、仏教でこれが盛んになったのは宋代、禅宗が勃興してからで、禅宗とともに日本へ入ったと書く。

江戸時代の末まで、天皇の即位式には「即位灌頂」という儀式があった、と葬祭業者の解説は付け加える。水を頭に注ぐ所作は、王の即位にも、僧の出家にも、死者の送りにも使われたわけだ。

奈良時代の聖や念仏者が、死後の救いの考えといっしょに、全国へ広めたという民俗学の研究もある。湯灌協会は、それを紹介している。由来の説明が、これだけ食い違う。正直、どれか一つに絞れる材料は手元にない。協会は、日本にもともとあった水で清める発想に、あとから仏教の儀式が重なったと整理する。

汚れを落とすだけでなく、死者の霊魂を復活させるという呪術的な意味があったとも言われる。そう書く葬祭業者の解説もある。平安時代には納棺前の遺体に水をかける形が整い、江戸時代には全国で行われたと書く解説もある。洗う理由は、時代ごとに積み重なる。

寺の隅に湯灌場があった

江戸時代の湯灌は、家の座敷だけの仕事ではなかった。寺の一画に、湯灌をするための場所が設けられていた。湯灌場(ゆかんば)と呼ぶ。『東海道中膝栗毛』の巻三之上には「湯灌場はどこだ」という台詞が出てきて、湯灌場はほとんど常設だったという。

湯灌場ができた理由は、解説で二通りに分かれる。一つは、地主や家持でない者は自宅で湯灌することを禁じられたから、というもの。もう一つは、湯灌を個人の家で行うことを嫌ったから、寺が場所を用意した、というものだ。

禁止があったのか、嫌ったのか。二つは両立するのかもしれない。ただ、どちらの解説も、根拠になった法令や文書を示していない。念のため書いておくと、この点は裏が取れていない。

江戸時代には、死体検案を口実にして、菩提寺の住職の立ち会いのもとで湯灌を行わせた、とも解説は書く。洗う場が、住職の目の届く場になっていた。寺の隅の湯灌場。

死者の着物を買って歩く商い

湯灌場には、客として出入りする商売人がいた。湯灌場買い(ゆかんばがい)という。湯灌場に出かけて、不用になった死者の着物を買い取って歩く古着買いだ。

洗い終えた死者には、経帷子を着せる。それまで着ていた着物は、もう使い道がない。そこへ買い手が現れたわけだ。買った着物は、ほどいて洗い張りをし、古着屋の店先に並んだ、と紹介する解説がある。古い着物の行き先。

当時の古着買いは、大きな商売だった。万治元年、一六五八年には、買い取りを専門にする古着買いが、江戸市中だけで五百人もいたという。紙くず買いや古鉄買いを兼ねる者が多く、湯灌場買いは、その中で死者の着物を専門に扱う、少し風変わりな業者だった。

古着屋に集まる衣類には、時には死者の着衣も混ざっていた、と江戸の暮らしを紹介する資料は書く。古着屋は柳原土手や富沢町に軒を並べ、大勢の人で賑わったという。

着物が貴重品だった江戸の暮らしでは、死者の着物も、ほかの古着と同じように商いの種になった。

病室で拭かれ、湯船を積んだ車が来る

今、湯灌が最初に行われる場所は、座敷ではない。ほとんどの人が病院で亡くなるので、アルコールで身体を拭くことを湯灌と呼ぶ場合もある、と葬祭業者は書く。病院では、エンゼルケアと呼んで、看護師が簡易な清拭をする。湯灌は、全国どこでも一般的な儀式とは言えない。地域差が大きく、行わない地域もあるらしい。

病院の処置には、傷の手当てや口の中のケアも含まれる。清拭やエンゼルケアで済ませた場合、湯灌の代わりになるので、逆さ水の儀が省略されることもある、と案内する記事がある。別の葬儀社は、病院の処置を、アルコールで拭いて綿を詰めるだけの場合がほとんどだと説明する。洗髪や洗体、顔そり、爪切り、化粧までするのが湯灌だ、という言い分だ。

湯灌には、大きく二つの形がある。アルコール綿で拭き清める古式湯灌と、実際に湯船へ入れて洗う洗体湯灌だ。後者では、遺体が専用の浴槽に入り、シャンプー、顔そり、爪切りまで済ませる。男性なら髭を剃り、女性なら死化粧をほどこす。

古式と洗体のどちらが主流かは、地域によって違う。ただ、どちらの形でも最初に逆さ水を使う点は共通すると、ある案内は書く。湯の作り方だけは、機械の湯船の時代になっても守られているらしい。

自宅や会場へは、給水と排水の装置を積んだ専用の車が来る。専用の湯船を運び込んで洗うやり方だ。ある葬儀社のページは、浴槽と給湯と排水の設備に、移動入浴サービスで使うものを使い、残り湯は持ち帰ると案内している。女性スタッフ二名で行う、という断り書きもある。

その移動入浴の側から湯灌へ踏み込んだ事業者もいる。ある上場介護事業者の沿革によると、同社は一九七〇年に、寝たきり老人の寝具の消毒と乾燥から始めた。一九八三年に在宅入浴サービスへ進み、一九九〇年には、エンゼルケアサービスと呼ぶ湯灌まで手がけたと報じられた。生きている人を湯に入れる仕事が、死者を湯に入れる仕事へ地続きに延びた形だ。

湯灌師は、葬儀会社の依頼を受けて、病院や故人の自宅、警察署へ出向く、と専門業者の解説は書く。湯灌から納棺まで通して請け負い、納棺師を兼ねる例もある。

湯灌が終わると、遺族が旅支度をつける。手甲、脚絆、足袋、天冠、六文銭、頭陀袋、数珠。ある業者のページは、そう並べる。納棺は遺族や近親者が中心になり、棺に愛用の品や花を納め、身内がふたを閉める流れだ。

費用は、古式だけで五万円前後、入浴から納棺まで行うと八万から十万円前後と案内する記事がある。通常は葬儀のプランに含まれず、オプションとして頼む形が多い。かかる時間は、着替えや化粧まで含めて一時間から一時間半ほどだという。

かつての湯灌は、遺族や近親者に加えて、近所の人の手伝いが中心になって行われた、と専門業者の解説は書く。今は、座敷の外で、バスタブとシャワーを使う湯灌師の仕事になった。

立ち会う人は、基本的に近親者だけだ。立ち会わず、納棺師に任せる家もある。かつて座敷でたらいを囲んだ家族の仕事が、葬儀社のサービスの一項目になった。家族の手と、業者の手。神式でも、納棺の前に沐浴と呼ぶ同じような儀式がある。

湯灌の儀は、あわただしく過ぎる通夜と葬式の前に、遺族が故人とゆっくり向き合える貴重な時間になる。そう説明する葬祭業者もいる。別の案内は、湯灌は必ずしも必要な儀式ではなく、体をきれいにするだけなら病院や葬儀社の処置で足りると書く。希望する人が多いのは、宗教的な意味を重んじる場合や、故人が風呂好きだった場合だという。

意味づけは、ほかにもある。毎日の疲れや汚れを落とす入浴の習慣を、一生を終えた故人にも当てはめ、最後の癒しとして湯に入れる、と説明するブログがある。ある案内は、浄土真宗には死を特別視する逆さごとの考えがなく、キリスト教も死を穢れとは捉えないと断る。それでも、感謝や敬意を込めて湯灌を望む例はある、という書き方だ。

洞爺丸のあとに生まれた名前

一九五四年、青函連絡船の洞爺丸が沈没した。函館市の海岸には、多数の遺体が流れ着いた。葬儀業者の依頼を受けて、函館の住民が、遺族への遺体の引き渡しを手伝ったという。

その手伝いをきっかけに、これはビジネスになると考えた人が、葬儀業者の仕事だった納棺の作業を様式化した。これが納棺師の始まりだと、ウィキペディアの項目は説明する。納棺師という呼び名は、葬儀業者の下請けとして名乗り始めた造語で、仏教や日本の伝統文化との直接のつながりはない、とも同じ項目は書く。

納棺師は、納棺夫や湯灌師とも呼ばれる。仕事は、火葬までの遺体の状態を管理することから始まる。ドライアイスなどで全身を冷やして腐敗の進行を抑え、表情を整え、臭いを抑える含み綿をほどこす。経帷子に着替えさせ、顔剃りと化粧をする。

変死体の場合は、死因に沿って、遺族のショックを和らげる処置もする。東日本大震災のときには、津波などで傷ついた遺体の顔や身体を時間をかけて修復し、遺族へ返す活動があった。二〇一二年に、テレビの特集番組が取り上げている。

著書を持つ納棺師の一人に、青木新門がいる。『納棺夫日記』は、一九九三年に桂書房から出た。

映画の前と後

二〇〇八年に、映画『おくりびと』が公開された。納棺師の存在が世間に知られたのは、この映画がきっかけだと、先の項目は書く。二〇〇九年には、アカデミー賞の外国語映画賞を受けた。ある葬祭業者のページは、劇中の納棺の技術指導をした専門業者と業務提携していると案内している。

別の葬儀関連のページは、この映画の公開で、納棺師や湯灌師という職業の存在と役割が注目されるようになった、と書く。同じページは、湯灌の儀に立ち会うのは基本的に近親者だけで、湯灌を行わずに納棺されることも多い、とも述べる。儀式の中身を知らない人は、少なくない。

二〇二六年現在、納棺に直接かかわる国家資格はない。民間の資格はあるが、仕事に就くのに必須ではない。

映画より前の二〇〇六年には、『死体とご遺体』という新書が平凡社から出ている。副題は「夫婦湯灌師と四〇〇〇体の出会い」。映画が来る前から、湯灌を仕事にする夫婦の記録が、本になっていたわけだ。

水に湯を足す手つき

葬祭関連の解説は、水に湯を足して温度を調整すると、弔事の逆さごとを連想してしまうので、日常では縁起が悪いと感じる人が多い、と書く。昔ながらの風習を重んじる人の中には、その反転した作法を絶対に避けるべきだと考える人もいる、という。

台所で、洗面器に水を張り、湯を足す。ただそれだけの手つきを、葬式と結びつけて嫌う人が、今もいる。

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