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日本地図から消えた・存在しない島々――バラス島・スズメ北小島・瓜生島伝説の実像

地図に載っていない島がある。そのくせ、地図には載っているのに実在しない島もある。どちらもぞくっとする話だ。ただ、島が消えたり現れたりする理由は一つに絞れず、それぞれの島にまるきり違う事情が水面の下へ隠れている。

潮の満ち引き、測量のミス、軍事機密、それに天災。性質のまるで違うものが、「地図の謎」という一言だけでひとまとめに語られてしまいがちなんだよな。南の海の話から一件ずつ、確認できる事実と、そうとは言い切れない部分を切り分けながら順番に並べ直していきたい。

潮が引くたびに生まれ直す島――バラス島

沖縄県竹富町、西表島と鳩間島のあいだの海上に、直径十から二十メートルほどしかない無人の岩礁がぽつんとある。バラス島だ。国土地理院の地図を広げても、この位置に島の記号は描かれていない。

正体はサンゴの残骸である。地元でバラスと呼ばれるサンゴの欠片が、潮流で堆積してできた島だ。満潮の時間帯には水面下へすっかり沈み込んでしまい、潮が引いているあいだだけ、白い姿をゆっくり海の上に現す。一日のうちに陸になったり海へ戻ったりを繰り返す、ひどく落ち着きのない島なんだよな。

存在そのものは一九六三年の空中写真で確認されている。ところが、台風が来るたびに形も大きさもごっそり変わってしまう。だから国土地理院の地図には、固定した島として載らない。毎年、形が違う。

西表島の大原港からツアー船で二十分ほど。エメラルドグリーンに染まった海の真ん中に、真っ白なサンゴの欠片だけでできた島影がゆっくり見えてくる。船を降りれば、足の裏に当たるのは柔らかい砂ではなく、かさかさと乾いた音を立てるサンゴの破片だ。

訪れた観光客のブログにも、その手ごたえがはっきり刻まれていた。「満潮時と違ってかなりの部分が出現してます」。「人口密度も高くない環境でシュノーケリングを満喫できた」。干潮のタイミングにうまく合わせて行けたという喜びが、たった数行の短い文面の向こうからでもたっぷり伝わってくる。

近年は「新バラス島」という呼び名もよく聞く。正式には南バラス島と呼ばれ、本来のバラス島とは別の場所に自然発生した砂浜だ。船長に案内されて上陸したというブロガーは、条件が合わないと見られない幻の島だと記している。行っても会えない。

「この大海原の真ん中にポツンと存在する小さな砂浜に立っている」。その感覚に強い特別感を覚えたと、そのブロガーは綴っている。気持ちは分かる。

地図に固定した形で描けない原因は、測量ではなく島の側にある。サンゴの死骸が波と潮流で絶えず並べ替えられていく。自然現象そのものの証だ。

現在は西表石垣国立公園の海域公園地区に含まれていて、シュノーケリングの名所として年間数万人もの人が訪れる。同時に、サンゴの白化など気候変動の影響も懸念されている。島の寿命は海次第。

地図の中にだけ存在した島――スズメ北小島

こちらは自然の悪戯ではなく人間の手違いの話だ。舞台は海の上ではなく机の上だった。

鹿児島県南さつま市の沖、九州本土から西へ数十キロも離れた海の上に、宇治群島という小さな島の集まりがある。その中の雀島の北方に、国土地理院の地図では小さな島影がぽつんと描かれている。ところが、船で近くまで行っても上空から目を凝らしても、誰ひとりとして見つけられない島がそこにあった。スズメ北小島である。

発端は海上保安庁だった。昭和五十九年におこなわれた航空測量をもとにして、地図上で実際の位置より離して強調描画したのだ。その一筆が、のちのち騒ぎの種になる。

この謎が一気に話題になるのは二〇二〇年。読売新聞の取材チームが自社所有のセスナ機で現地の上空まで飛び、高高度からの撮影と目視による確認を試みた。取材班は地図の座標周辺を執拗に旋回した。そこには海面が広がるばかりで、島らしきものは影も形もなかったという。空振りだった。

この取材の結果は同年五月二十六日付の読売新聞朝刊で、一面を含む複数の面にわたって報じられた。MBSの「林先生の初耳学」でも特集される。「地図に載っているのに実在しない島」という扱いのもと、現地の海へ船を出して確かめる検証企画まで組まれた。

視聴者からは驚きの声が多数寄せられたという。「こんな身近な場所にまだ未解決の地理ミステリーがあったのか」。誰も疑わなかった。

ネット上でも盛り上がった。「日本の測量技術でこんなミスがあるのか」。「灯台下暗しとはこのことだ」。一時は正体不明の幻の島あつかいになり、真面目な地理の話題がちょっとした見世物のように消費されていった。

ところが、この話には続きがある。国土地理院は二〇二四年五月一日付で、地図上の島の位置を修正した。あわせて訂正した。雀島とスズメ北小島のあいだに記載されていたあの無名の島こそが、実はスズメ北小島そのものだったのだ。

真相はこうだ。島は最初からそこにあった。「地図上の位置が実際の島からズレていた」という、ずいぶん地味な測量ミスと転記ミスこそが今回の正体だった。

この取り違えには下敷きがある。航行安全を目的とする海図は、重要地点を強調して描く。その強調描画が、そのまま国土地理院の地図へ引き写された。

領海と排他的経済水域の基点になる島の実在確認は、国家にとって重い課題だ。この一件は、日本の離島行政の盲点をあぶり出した実例になった。笑い話では済まない。

地図から消された島――大久野島

軍事機密のせいで消された島もある。広島県竹原市の大久野島だ。こちらは誰かが手を滑らせたのではなく、国が意図して地図から島を抜いた。

瀬戸内海に浮かぶ周囲四キロの島。今はウサギがたくさん住む観光地で通っている。ところが一九二九年に旧日本陸軍の造兵廠忠海兵器製造所が開所して以降、終戦の一九四五年まで、この島ではずっと毒ガスが製造されていた。びらん剤や血液剤など、合計六千六百十六トンにのぼる。

ジュネーブ議定書で使用が禁じられていたにもかかわらず、この毒ガス製造は秘密裏に進められた事業だった。だから一九三八年に作られた地図では、周辺の島だけが描かれ、大久野島の位置はきれいに空白のままにされている。地図に載っていたものが、意図的に消されたわけだ。戦後の一九四七年になって、ようやく地図上に復活した。

従事者のうち六千七百人以上が後遺症に苦しんだ。一九九六年には土壌の砒素汚染が発覚し、洗浄が行われた。現在は毒ガス資料館が平和教育の場となり、年間十三万人を迎えている。傷は地図に載らない。

一夜で沈んだとされる島――瓜生島

ここからが、いちばん有名な「消えた島」の話だ。舞台は別府湾。

慶長元年閏七月十二日、西暦でいえば一五九六年九月四日の深夜。豊後国、いまの大分県にあたる別府湾の沿岸一帯を、後に慶長豊後地震と呼ばれることになる巨大地震が襲った。震源は日出断層帯とされ、その直後には大津波が湾内へなだれ込んだという。

当時、府内、いまの大分市の中心部にあたる場所の沖合には、瓜生島あるいは沖の浜と呼ばれる港町がひとつあった。貿易で栄えた賑やかな島だったという。

地震の夜、住民たちは寝入っていたところを激しい揺れで叩き起こされた。逃げる間もなく、津波と地盤の崩壊に飲み込まれた。江戸期に書かれた古文献「豊府紀聞」には、この災害で七百八人が溺死したという記述が、はっきりした形で残る。数字だけが残った。

一夜にして街ごと海に沈んだ。あまりにドラマチックなこの筋書きのおかげで、瓜生島は後世になってから「日本のアトランティス」と呼ばれた。

ただ、話はそう単純に終わらない。大分大学の加藤知弘教授らは、瓜生島調査会を組織した。一九七七年以降、音波探査機ユニブームを使って別府湾の湾底を調べた。独立した島がまるごと海の底へ沈んだことを示すような明確な地形や遺構は、いまだに発見されていない。

現在の学術的な見解はこうだ。瓜生島、いまでいう沖の浜は、陸から続いた土地の先にあったらしい。府内から約四キロ離れた岬状の陸地に築かれた港町だった。

地震による液状化現象と地盤沈下、そこへ津波が重なって町全体が水没したとみるのが有力だ。丸ごと海に消えた島という伝説のイメージ。液状化で沈んだ港町という地質学的な推定。両者のあいだには、確かに隔たりがある。

ちなみに、この事例を「宇留島」という耳慣れない表記で紹介している記事もある。ただ、正式な学術・民俗資料では一般に瓜生島とされている。同一事象の別表記か誤記と見るのが妥当だ。

出典が見つからなかった島――江州辺播磨小島

調べても実在が確認できなかった事例もある。名前だけが独り歩きした島だ。

ある記事に、江州辺播磨小島という名が登場する。「北海道村沖五百メートル、海面上昇と波の侵食で消失した二〇一八年消滅の小島」という、やけに具体的で手ざわりのある触れ込みだ。今回の調査では、この名称の島を裏付ける公的資料が一件も見つからなかった。北海道村という自治体名も同様だった。

「江州」は近江、いまの滋賀県を指す。「播磨」は現在の兵庫県だ。この二つの旧国名の組み合わせ自体が、地理的に不自然である。滋賀と兵庫をくっつけたような名前の島が北海道の沖に浮かんでいる、という時点でもう話の筋が通らない。

国土地理院や気象庁の公開資料でも、該当する消失事例は確認できない。実在の地理現象ではなく注目を集める目的で作られた創作的な事例。他の実在事例とは、はっきり分けて扱いたい。

日本各地に散らばる「沈んだ島」たち

瓜生島と似た構造の伝説は、各地に点在している。別府湾に限った話でもない。

伊勢湾に浮かんでいたとされる田引島。大地震で一夜のうちに水没したという言い伝えを持つ。地元の郷土史料に名前がわずかに出てくるだけで、それ以上のことになるとほとんど何も分かっていない島だ。

島根県沖に伝わる加島の伝説も、同じように地震か津波による水没を伝える、瓜生島と筋立てのよく似た話だ。瓜生島ほどの知名度はない。それでも地方の災害伝承として、細々と受け継がれてきた。

別府湾内には、久光島という島の伝承もある。瓜生島とは別に、同じ慶長豊後地震で沈んだという話だ。瓜生島の陰に隠れてあまり知られていないが、地元の郷土史家のあいだでは言及されることがある。

これらの沈んだ島の伝説に共通しているのは、いずれも実際に起きた巨大地震という史実の裏付けを持つ点だ。時代を経るにつれて、「一つの島がまるごと消えた」という劇的で分かりやすい物語のほうへ整形されていった。

地盤沈下や液状化という地味な地質学的現象よりも、島が一夜にして丸ごと消えたという筋書きのほうが、人の記憶にはるかに残りやすい。口承として生き延びやすかったのだろうね。覚えやすい話だけが残る。

「結局あったんかい」と言われた訂正報道

スズメ北小島については、初耳学が放送された直後から、SNSのタイムラインがしばらくのあいだ賑わい続けた。「地図の間違いをこんなに大々的に検証するなんて面白い」。「日本地図って意外とアバウトなんだな」。好意的な反応が多い。

地理に詳しい層や測量関係者のあいだからは、驚きの声よりも冷静な解説のほうが、はるかに数多く寄せられた。曰く、「海図と地形図では縮尺も目的も違うのだから、こういう転記ミスは起こり得る」。

二〇二四年に国土地理院が正式に位置を修正したというニュースが流れた。すると「結局あったんかい」「オチがちょっと寂しい」という反応もあった。幻の島として盛り上がっていたときの勢いに比べると、訂正の報せのほうはやや地味な扱いに終わった印象がある。謎が解けると熱は引く。

瓜生島の方は「日本のアトランティス」という呼び名がキャッチーだ。だからオカルト・古代文明系のコンテンツでも、たびたび取り上げられる。「本当は宇宙人の基地があったのでは」という方向へ飛躍していく考察が語られることもある。

ただ、歴史・考古学系の掲示板の反応は冷静だ。「音波探査でも遺構が見つかっていない以上、実在の孤立した島というより港町の水没と考えるのが妥当」。調査結果に基づいた指摘が、繰り返しなされている。

地図の空白が語っていること

ここまでの島を横に並べてみると、「地図にない島」を一括りの神秘談として扱うことの危うさが見えてくる。理由がばらばらなのだ。

バラス島は潮汐と地形の問題。スズメ北小島は測量と制度上の経緯で、島そのものは最初から海の上にあった。大久野島は軍事機密という人為的な理由。瓜生島は自然災害とその伝説化。そこへ、名前の組み合わせ自体が不自然なうえ、出典も一件として確認できない事例まで混ざり込んでいる。

バラス島が属する西表石垣国立公園の海域は、サンゴ礁の白化など気候変動の影響がまっさきに現れる最前線でもある。島の消長そのものが、海洋環境の変化を映す鏡だ。鏡は正直だ。

スズメ北小島を含む宇治群島はどうか。領海と排他的経済水域の基点となる離島が本当にそこにあるのか、という国家レベルの課題に直結する地域だ。

瓜生島が沈んだとされる別府湾の海底には、いまも活動を続ける断層群が、そっくりそのまま横たわっている。こちらは防災科学の側が真剣に追いかけている対象だ。海の下は動いている。

地図は本来、客観的な事実を描くはずのものだ。ところがその内側には、測量の誤差と、自然そのものの変動と、人々の記憶が生んだ伝説とが、分かちがたく入り混じっている。この列島がいかに動的で複雑な自然環境の上に成り立っているか。地図の空白は、そのことを黙って教えてくれる。

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