深夜の投稿欄で組み立てられた思考実験
coredake!ミステリーという匿名投稿掲示板には、定番の心霊体験や事件簿とは毛色の違う投稿が、まれに紛れ込む。「狂った未来」もそのひとつだ。
投稿者自身が「戦史とオカルトを無理やり混ぜた」と自嘲しているとおり、これは目撃談でも怪異譚でもない。ひとりの匿名の書き手が深夜、画面の前で組み立てた思考実験の記録である。
文体からは、書き手の素性がうっすら見えてくる。世界史や太平洋戦争史にかなりの知識を持ちながら、同時に予言・オカルトにも関心を寄せている。いわゆる歴史考察系の住人だろう。
冒頭で語られる「修道士」のくだりには、はっきり「うろ覚え」と書かれている。特定の書籍や番組を典拠として示したものではない。投稿者の記憶の中で、ファティマの聖母伝承やヨーロッパの終末予言の断片が混ざり合い、ひとりの人物像に結晶化したものだと考えるのが自然だ。つまりこの修道士は、実在する誰か一人を指すというより、複数の予言者伝承が習合してできた集合的なイメージなのである。
物語の骨格を、最初から辿ってみる
ヨーロッパのどこかの修道院に、若い頃から不思議な力を持つ修道士がいた。
彼は戦争の勃発や国の経済破綻を次々と言い当て、周囲の修道士や信徒から畏怖される存在になっていく。しかし彼自身は、自らの予言の重みに耐えかねるように、大戦の趨勢が定まる前に病を得て世を去ってしまう。
死の床で、あるいは晩年の説教の中で、彼はこう言い残す。この戦争のあとに、もっと恐ろしい戦争がヨーロッパで起きる。その規模は、第一次・第二次のいずれをも上回るとされていた。
ところが史実では、一九四五年以降のヨーロッパで新たな世界大戦は起きなかった。冷戦下の緊張、ベルリン封鎖、キューバ危機。一触即発の局面は幾度もあったが、全面戦争には至っていない。
普通ならここで「外れた予言」として話は終わる。投稿者は筆を止めない。もし予言が本物だったなら、歴史のどこかで軌道が変わったはずだ、と大胆に踏み込む。そしてその分岐点を、太平洋の彼方、日本の戦争指導部の選択に求めるのだ。
「本土決戦をしなかった日本」というもう一つの分岐
投稿者が組み立てる歴史ifは、こんな筋書きになる。
真珠湾攻撃で燃料タンクを破壊し損ねた史実の穴を埋め、ミッドウェーでの空母四隻喪失という大敗を避け、レイテ沖海戦で栗田健男中将率いる第一遊撃部隊、いわゆる栗田艦隊が「謎の反転」をせずにレイテ湾へ突入し、上陸中のマッカーサー麾下の輸送船団を痛撃していたとしたら。
ここで投稿者は冷静に釘を刺す。それでも日本が最終的に勝つことはなかっただろう、と。国力・生産力の差は覆しようがない。北からソ連、南から米国が上陸し、下手をすれば戦後の日本列島は米ソによって分割統治されていた可能性すらある。
だが史実の日本は、広島・長崎への原爆投下を経て無条件降伏を受け入れた。推論の核心はここにある。もし日本が徹底抗戦を貫き、本土決戦――想定されていたオリンピック作戦、コロネット作戦――に突入していたら、米国は原爆を投下する動機も口実も持たなかったかもしれない。
逆に言えば、玉砕戦術や特別攻撃による凄惨な遅滞戦、そして最終的な原爆投下による早期終戦こそが、その後の世界を全面核戦争から遠ざけたのではないか。投稿者は「日本人の犠牲が、皮肉にも人類を救ったのかもしれない」という、居心地の悪い仮説を自嘲気味に提示して筆を置いている。
反事実的歴史という、学問の側の議論
この推論は、歴史学における「反事実的歴史(カウンターファクチュアル・ヒストリー)」の手法とも重なっている。
学界でも議論は続いている。原爆投下が本土上陸作戦による数百万人規模ともいわれる犠牲を回避したとする立場と、日本はいずれにせよ早晩降伏に追い込まれていたはずで原爆投下は不要だったとする立場。この対立に決着はついていない。
栗田艦隊の反転についても同じだ。燃料不足、通信の混乱、米空母機動部隊の脅威を過大評価したため、と複数の説明が試みられてきた。だが「なぜ反転したのか」という核心部分は、栗田自身が多くを語らずに没したこともあり、今も歴史ファンの間で活発に論じられ続けている。
もし反転せずレイテ湾に突入していたら。この仮想戦記は、太平洋戦争史ファンのあいだで繰り返し語られてきた定番の「もしも」である。投稿者の話が独自なのは、この伝統的な系譜に「予言」というもう一つの軸を接続した点だ。
ファティマ第三の秘密――六十年間、封をされていた紙
投稿者のいう修道士のモデルとして真っ先に連想されるのが、ファティマの聖母出現である。
一九一七年五月十三日、ポルトガルのファティマで、羊飼いの三人の子供の前に聖母が現れたと伝えられる。ルシア・サントス、フランシスコ・マルト、ジャシンタ・マルトの三人だ。
このとき伝えられた三つの秘密のうち、第二の秘密は第一次世界大戦の終結と、それに続いてさらに悪い戦争が起きるという内容を含んでいたとされる。ルシアがこれを文書として書き記したのは一九四一年で、この記録が確認されていることが、ファティマの予言伝承に強い説得力を与える要素として、カトリック信者のみならず広く語られてきた。
一方で第三の秘密は長らく秘匿された。一九六〇年に公表されるはずが歴代教皇の判断で見送られ続け、公式に発表されたのは二〇〇〇年。実に発見から六十年近くを経てからのことだった。
この長期の秘匿こそが、憶測を膨らませる最大の要因になった。本当はもっと恐ろしい内容――第三次世界大戦や核戦争についての記述があるのではないか、と。
実際に公表された内容は、白い衣をまとった司教が険しい山を登り、十字架のもとで兵士たちに撃たれるという殉教の幻視だった。直接に第三次世界大戦を予告する文言は含まれていない。それでも発表後もなお、本当の第三の秘密は別にある、教皇庁はまだ何かを隠している、という説はオカルト愛好家やカトリック伝統主義者の一部で根強く語り継がれている。
一九八一年五月十三日、聖母出現からちょうど六十四年後の同日にヨハネ・パウロ二世が狙撃された事件も、この予言と結び付けて語られることが多い。
「戦争は起きない」と語った少女たち
もうひとつの重要な系譜が、ガラバンダルの聖母出現である。
一九六一年から六五年にかけて、スペイン北部カンタブリア州の寒村サン・セバスチャン・デ・ガラバンダルで起きたとされる出来事だ。コンチータ・ゴンザレス、マリ・ローリ・マゾン、ヤシンタ・ゴンザレス、マリ・クルスの四人の少女たちのもとに、大天使ミカエル、続いて聖母マリアが繰り返し現れたと伝えられ、四年間で約千回にも及ぶ出現が報告されている。
時代背景を思い出してほしい。一九六二年のキューバ危機のさなか、世界中が核戦争の恐怖に包まれていた時期である。
視像の中では共産主義による教会迫害や核戦争の脅威が語られたとされる。一方で少女たちの証言には、大きな試練は来るが世界の破滅には至らないという趣旨の言葉が含まれていたと伝えられ、これが後年「第三次世界大戦は起こらない」という形で広く語り直されるようになった。
ガラバンダルの聖母出現は、ファティマやルルドと違ってバチカンの公式承認を得ていない。真正性については今も懐疑的な立場と支持する立場が併存している。それでも現実の核戦争の危機と時期が重なったことで、この出現譚は「世界が土壇場で戦争を回避した」という物語として、冷戦下の人々に一定の心理的な安堵を与えたと考えられている。
終戦四か月後、日本でも同じ構造の予言が語られていた
投稿者の話には直接登場しないが、日本で語られる「第三次世界大戦を予言した人物」として外せないのが、大本教の教祖・出口王仁三郎である。
伝えられるところによれば、王仁三郎は終戦からわずか数か月後の昭和二十年十二月二十二日、亀岡の吉岡温泉で信徒たちを前に語った。これからが大変だ。北海道や東北地方は侵略をうけるようになる。琵琶湖を境に、以北はソ連が、以西は中国が奪おうと企む。
さらに、アメリカとソ連は必ず戦争する、カンボジアに火がついたら第三次世界大戦になる、とも語ったとされる。後年のインドシナ戦争やベトナム戦争の拡大を連想させるものとして、大本教関係者や霊能・予言研究者の間でしばしば引用されてきた。
結果としてソ連軍による北海道占領も日本分割統治も起こらず、米ソの直接戦争も回避された。だが王仁三郎の予言は「当たらなかった」というより「土壇場で回避された未来を示していた」という文脈で語られることが多い。この扱われ方の構造は、coredakeの投稿者が語る修道士の予言と驚くほどよく似ている。
掲示板の住人たちは、真偽より構造を面白がった
この種の「実現しなかった大戦予言」は、歴史考察系やオカルト考察系のまとめサイト、掲示板のオカルト板や日本史板、太平洋戦争関連の事典サイトのコメント欄で、繰り返し議論されてきた。
典型的な反応がひとつある。予言そのものより、なぜ人はこうした話を作りたがるのかが興味深い。話の真偽ではなく、物語の構造そのものへ関心が向くのだ。
一方で、投稿者の推論の妥当性を正面から検証しようとする書き込みも一定数ある。本土決戦をしていたら原爆は投下されなかった、という前提自体が怪しい。本土決戦をしても米国は原爆投下を選んだのではないか。太平洋戦争史に詳しい住人ほど、感傷的な物語としては面白いが史実の因果関係としては単純化しすぎている、という冷静な指摘を加える傾向がある。
逆に、ファティマやガラバンダル、出口王仁三郎といった予言伝承に馴染みのある層からは、複数の予言伝承をひとつの太平洋戦争ifに接続する発想自体が新しい、と物語の組み立てを評価する声も見られる。
外れた予言は忘れられ、当たった部分だけが残る
「大戦は回避された」という物語は、この投稿の専売特許ではない。二十世紀の予言史を振り返ると、似た構造の言説は繰り返し現れている。
ノストラダムスの『諸世紀』をめぐっては、一九九九年七の月に恐怖の大王が降ってくるという一節が、長らく核戦争や第三次世界大戦の到来を意味すると解釈された。日本でも一九七〇年代から九〇年代にかけて一大ブームを巻き起こした。しかし実際には何も起こらず、多くの論者は後になって、解釈が誤っていた、そもそも詩自体が曖昧でどのようにも読める、と結論づけている。
アメリカの予言者エドガー・ケイシーもまた、生前に大規模な地殻変動や戦争の到来を繰り返し語ったとされる。予言の一部は的中したという評価がある一方、大部分は実現しなかったと見なされている。
大予言のうち当たった部分だけが強調され、外れた部分は忘れられていく。この選択的な記憶のメカニズムは、心理学でいう確証バイアスの典型例としてもしばしば取り上げられる。修道士の逸話も、この大きな系譜の中に置いて眺めると、個々の予言の真偽よりも、人類がなぜ繰り返しこの種の物語を必要としてきたのかという、より普遍的な問いに接続していく。
仮想戦記の土壌があったから、予言も溶け込めた
日本のネット掲示板文化には、「もし―だったら」を出発点にした仮想戦記・歴史IFスレッドという独自のジャンルが古くから存在する。
日本近代史板や軍事板では、ミッドウェーで日本が勝っていたら、本土決戦になっていたら、といったスレッドが幾度となく立てられてきた。史実の兵站・国力比較に基づいた緻密な考証から、荒唐無稽な空想戦記まで、幅広いレベルの議論が交わされている。
こうした土壌があったからこそ、投稿者が持ち込んだ「予言」という異質な変数も、違和感なく歴史IFの語りの中に溶け込むことができたのだろう。一次資料に基づく検証と、検証しようのないオカルト的直感が、同じ文章の中で同居している。そこにこの投稿の奇妙な魅力がある。
この話が触れている痛みについて
最後に、この話が扱っている題材の重さを書いておきたい。
広島・長崎への原爆投下では、推計十数万人ともいわれる人々が命を落とした。その後も多くの被爆者が、長きにわたり後遺症と偏見に苦しんできたと伝えられる。
本土決戦が回避されたことによって救われた命があった可能性がある。一方で原爆によって奪われた命、そして本土決戦の準備のために動員され、失われかけていたであろう命もまた、等しく重い。
投稿者が「狂った未来」というタイトルに込めたのは、おそらくそのどちらの犠牲も安易に正当化してはならないという、ある種のためらいだったのだと思う。予言や歴史ifという形式を借りながら、この話の根底には、戦争という不条理の中でどれだけの命が失われ、あるいはかろうじて守られたのかを、あらためて想像してみようとする静かな眼差しが流れている。
