読めない文字が続く本もあれば、読むほど世界の成り立ちが違って見える本もある。死者の行き先を案内する巻物、神を呼ぶ魔術書、燃え残った哲学書。古文書の不気味さは、昔の人が本気で見ていた世界へ、紙や布の向こうから手を引かれるところにある。
- 読めない本と、読めた途端に怖くなる本
- 01 ヴォイニッチ手稿 植物の名前さえ分からない本
- 02 ロホンツ写本 聖書らしい絵と、知らない符号
- 03 コーデックス・ギガス 悪魔と向かい合う巨大な聖書
- 04 リプリー・スクロール 龍と獅子で書かれた錬金術
- 05 ピカトリクス 星の力を地上へ呼び込む魔術書
- 06 ボルジア絵文書 日付の裏側にいる神々
- 07 リンド数学パピルス 秘密を解く道具は、計算だった
- 08 ギリシア語魔術パピルス121 日用品のすぐ隣にあった呪文
- 09 アニのパピルス 自分の心臓を、死後の法廷へ運ぶ
- 10 ファイユームの書 湖の中へ沈む太陽の神
- 11 デルヴェニ・パピルス 焼け跡から戻った神々の誕生
- 12 エルコラーノの炭化巻物 開けば壊れる本を読む
- 13 アルキメデス・パリンプセスト 祈祷書の下で消されていた数学
- 14 銅の巻物 金銀の隠し場所が、金属に刻まれていた
- 15 ナグ・ハマディ第二写本 この世界を作った者は、最高の神なのか
- 16 チャコス写本 ユダの役割が、読めるほど揺れる
- 17 シナイ写本 聖書が本になる途中の姿
- 18 ドレスデン絵文書 星を数える手が、運命も数えていた
- 19 メキシコのマヤ絵文書 偽物と疑われた金星の本
- 20 メンドーサ絵文書 征服された国が、自分の姿を描く
- 21 ズーシュ・ナトール絵文書 王の名が、絵になって進む
- 22 リベル・リンテウス ミイラを包んでいた、別の国の本
- 23 敦煌星図 千以上の星と、危険な雲の形
- 24 敦煌の金剛般若経 世界の実体を問い掛ける、印刷された巻物
- 25 永楽大典 失われた本が、別の本の中で生きている
- 26 バクシャーリー写本 樹皮の小さな点が、ゼロを問い直す
- 27 エヌマ・エリシュ 世界は、倒された神の身体からできた
- 28 ギルガメシュの洪水粘土板 聖書の外から戻った大洪水
- 29 竹内文書 古代日本へ、世界の歴史が集まってくる
- 30 東日流外三郡誌 正史の外に、もう一つの国を描く
- 31 椿井文書 失われた歴史を、後から書き足した男
読めない本と、読めた途端に怖くなる本
古い本を開いた先に、同じ謎が待っているわけではない。文字そのものが分からない場合も、言葉は読めるのに、何をするための本なのかで解釈が割れる場合もあった。消された文章や、遠い時代を装った偽書まで含めると、本の年齢だけでは秘密の深さを測れない。
中世の写本にも、近代の古史古伝にも、人を引き付ける力がある。天文学と占いを一緒に記した者も、自分の死後に必要な言葉を揃えた者も、目の前の暮らしを世界の仕組みへ結び付けようとした。知識を集める手と、神や怪物を描く手が、まだ同じ机の上に置かれていた時代だ。
01 ヴォイニッチ手稿 植物の名前さえ分からない本
妙な文字が、頁を埋め尽くしていた。一九一二年、古書商ヴィルフリド・ヴォイニッチは、その写本を手にした。植物らしい絵や星の図はあっても、説明する言葉は読めない。現在はイェール大学に収められ、古い材料と、なお意味の定まらない文章が同居している。
植物の根を眺めていると、薬草図鑑を開いた気になる。ところが先へ進むと、星を囲む図や、浴槽のような場所に入る女性たちが現れ、何の知識をまとめた本なのか分からなくなる。薬、身体、空、世界の形を、一冊の中でつないでいたらしい奇妙な組み合わせ。
羊皮紙は十五世紀ごろの材料と整合すると調べられた。だからといって、その測定だけで作者や言語、すべての絵の意味まで決まるものではなく、暗号として読む試みも続いた。読めそうな本の形をしているために、知らない世界の図鑑を、手元に一冊だけ残されたように感じてしまう。
02 ロホンツ写本 聖書らしい絵と、知らない符号
磔刑を思わせる絵がある。十九世紀に、見慣れない本の存在が知られた。ハンガリー科学アカデミーの図書館に伝わるロホンツ写本は、宗教的な図と符号の列で研究者を悩ませた。読んでいる世界の見当は付くのに、一行ずつの意味へ進めないというもどかしさがある。
紙の透かしからは、十六世紀半ば以後という手掛かりが論じられた。文字らしい印の種類が、多過ぎる。キリスト教の祈りや物語は見えるが、普通のアルファベットを別の形へ置き換えただけとは考えにくい。誰かが、自分の読むためだけに作った体系なのかと思わせる厚い本だ。
二〇一八年には、語や概念を表す符号として読む研究が公表された。キラーイとトーカイは、一文字ずつ音へ直す方法から離れ、図と繰り返し現れるまとまりを結び付けて、解釈を進めたという。すべてが解決した本と決め付けず、読むための鍵そのものを探す面白さが残る写本として眺めたい。
03 コーデックス・ギガス 悪魔と向かい合う巨大な聖書
頁そのものが、人の身体に迫る。九〇センチ近い高さの羊皮紙を使った本だ。十三世紀初めのボヘミアで作られたコーデックス・ギガスには、聖書や歴史、医学などが書き込まれた。現在はスウェーデン国立図書館に伝わり、悪魔の聖書という異名でも知られてきた。
一夜で書き上げると約束した修道士が、悪魔を呼んだという。魂と引き換えに、到底間に合わない仕事を終わらせてもらう。その礼に悪魔の姿を描いたという話は、あの大きさにふさわしい伝説になった。気になるのは、魔物の姿がただの余白の落書きでは済まない存在感を持つことだ。
悪魔の絵の向かいには、天上のエルサレムが描かれた。善悪を思わせる二つの頁の周りには告解や呪式も置かれ、医学や年代記まで収めた本の中へ、救済と恐れが入り込んでいる。途方もない知識を一冊へ集めようとした営みが、悪魔との仕事という噂へ変わったようにも思える。
04 リプリー・スクロール 龍と獅子で書かれた錬金術
長い巻物の中で、龍がヒキガエルを飲み込む。薬品の扱い方を読む感覚だけでは、追い付けない。リプリー・スクロールと呼ばれる錬金術の図巻には、動物と人間の奇妙な場面が並んだ。大英図書館にある十六世紀の一本は、六メートル近い長さに達する。
白、黒、赤の石が、姿を変えて現れる。展示の解説では、硫黄と水銀の働きが男女や獅子に重ねられ、ヘルメスの鳥は、工程の中で生まれる蒸気や再生を表すと読まれた。炉の上の器の中で起きる変化を、世界の生き物たちが演じているような図だ。
目指されたのは、賢者の石だった。金を作り、生命を延ばすという願いを背負った図像は、手順を隠すと同時に、それを知る者だけが読めるという雰囲気も生む。龍を一匹見つければ秘密が解けるのではなく、何を何に見立てたのかを辿る、長い絵解きの巻物。
05 ピカトリクス 星の力を地上へ呼び込む魔術書
空の星は、運命を眺めるためだけのものではない。中世アラビア語の『ガーヤト・アル=ハキーム』を祖とするピカトリクスでは、天体の配置と地上の物を結び付け、働き掛けようとする魔術が集められた。十三世紀には翻訳の流れに乗り、ラテン語の世界へ届いた。
護符を作る時にも、空の都合が付きまとう。材料、図像、星の位置を組み合わせる発想だ。地上の物質と惑星の霊的な力が、見えない対応関係でつながっているという宇宙観が通っている。人間は、その結び目を扱おうとした。護符一つに、空の力を迎え入れたいわけだ。
何かの印を描く行為が、宇宙への呼び掛けになる。そうした考え方を読んでいくと、薬や香り、天文学や祈りが、昔の一人の知識の中では離れていなかったと気付く。実際の効力を保証する処方集としてでなく、世界を動かす仕組みを信じた人間の、手の届く宇宙として読みたくなる本だ。
06 ボルジア絵文書 日付の裏側にいる神々
数字と絵の並びが、運命への入口になる。暦、天体、占い、祭祀に関わる内容を残した。バチカン図書館にあるボルジア絵文書は、十五世紀末ごろのメソアメリカに位置付けられる文書だ。文字だけの横書きの本に慣れた目には、どこから読むのかさえ秘密に見える。
頁には、神々や動物が繰り返し現れる。日付は、日々の順番を示すだけではない。その日に働く力や、行うべき儀礼と一緒に描かれた絵は、時間そのものへ顔を与えているようだ。明日が来るとは、昨日と違う数字になるだけでなく、別の気配を持つ一日に入ることだった。
この文書を、マヤの写本と一括りにはできない。古い本にも、神々との異なる結び付きがあった。メキシコ中部の宗教世界を伝える絵文書として読むと、同じ地域でも言語や習慣は一様でなかったと見えてくる。暦を開くたびに、目に見えない相手と向き合うための本。
07 リンド数学パピルス 秘密を解く道具は、計算だった
いきなり神を呼ぶ本ばかりでもない。紀元前二千年紀のエジプトから伝わる、リンド数学パピルス。書記アハメスがさらに古い手本から書き写したという、数学の記録だ。十九世紀に古物研究家リンドが入手し、その名で広く知られるようになった。
穀物の量や分数が、細かく計算された。掛け算では、数を倍々にして必要な分を足す。今の学校と少し違う手順を辿ると、古代の書記が、頭の中でどう量を扱ったかを感じられる。巨大建築を見て驚くだけでは近づけない、日々の計算を担う人の手元だ。
計算が読めると、古代人との距離が変わる。量を分ける時の困り事や、同じ答えを別のやり方で得る工夫には、今も仕事や勉強で出会うような手触りがある。遠い文明の知恵を全部、超常の力へ預けずとも、書記が積み上げた思考そのものに驚かされる。
08 ギリシア語魔術パピルス121 日用品のすぐ隣にあった呪文
恋をさせたいという願いまで、書き留められた。大英図書館のパピルス一二一は、魔術の手引きだ。四世紀ごろのエジプトから、保護や成功を求める言葉と、相手を引き寄せる術を同じ巻物に収めて伝える。人の暮らしに近いだけに、書かれた欲の生々しさが怖い。
貝殻や杯、灯火も、術の中へ入った。いつもの生活にある物へ特別な名前や印を書き、唱え、神へ願うことで、別の力を帯びると考えられた世界が見える。神殿の奥だけに魔術が閉じ込められていたのではなく、触れる物のすぐ先へ、見えない働きを置いた人々。
恋の呪文にも、穏やかなものばかりは並ばない。相手を眠れなくし、自分の所へ来させようとする言葉を読むと、愛と、相手を支配したい気持ちとの境目が薄くなる。呪文が現実に効いたかを離れても、何を願えばよいと思ったのかに、その時代の人間の心が残っている。
09 アニのパピルス 自分の心臓を、死後の法廷へ運ぶ
心臓が、秤に載せられた。書記アニのために、パピルスが用意された。紀元前十三世紀ごろのエジプトで作られた巻物には、死後の審判を迎える者と、神々の姿が鮮やかに描かれている。死者の書の一例として知られ、亡くなった人が、向こうの世界を進むための言葉を収めた。
秤の片方には、羽根が置かれる。生きている間に身体の内側で動いた心臓が、死後には自分を証し立てる相手にも、恐ろしい証人にもなり、神々の前で扱われる。身体を離れたら全部が自由になるというより、死んだ後にも、自分を失わず通るための決まりがあった。
死者の書は、全員へ同じ本文を渡した一冊の本ではない。アニのように名を入れ、必要な章や図を備えた巻物を用意した人々は、死後に何を言い、どの姿で進むかを、言葉と絵に託した。命が終わった先にも、自分の名前を持って歩ける道を求めた人の本。
10 ファイユームの書 湖の中へ沈む太陽の神
地図を見ていたつもりが、神話の中へ入ってしまう。ファイユームの書は、ギリシア・ローマ時代のエジプトに伝わり、ナイル川の西にあるオアシスを、繁栄と祭祀の中心として描いた。湖や土地が、神々の営みと重なり合う、不思議な土地の本だ。
そこでは、鰐の神ソベクが太陽の神と重なる。毎日老い、夜に若返る太陽の旅が、遠い空の出来事だけでなく、ファイユームの湖を通るものとして語られた。夕方に見える身近な水面が、神の身体を受け入れ、翌朝の光を送り出す場所へ変わっていく。
一九世紀には、巻物の主要部分が分けられた。巻物の一部は、後に別々の博物館へ入った。地上の風景と宇宙をつないだ一枚の世界が、近代の取引では切り分けられる物になったと分かる。神の住む景色と、人間が持ち運ぶ古物が、同じ紙の表裏に重なるようで落ち着かない。
11 デルヴェニ・パピルス 焼け跡から戻った神々の誕生
燃やされたために、言葉が残った。ギリシア北部で見つかったデルヴェニ・パピルスは、紀元前四世紀の巻物が、葬送の火で炭化した断片から読み直されたものだ。黒くなった紙の中には、死者や神々への儀礼と、世界の成り立ちを読む思考が閉じ込められていた。
中心にあるのは、オルフェウスに結び付けられた詩の解釈だ。神々の誕生や権力の移り変わりを、そのまま起きた出来事として読むのでなく、別の仕組みを隠した言葉として考えた者がいた。神話を信じることと、神話を解き明かそうとすることが、近い所で動いている。
現在の形へ戻すにも、長い作業が必要だった。並びの分からない断片をつなぎ、消えた部分を考えながら読んでいく営みは、古代の注釈者が詩へ向かった姿にも、どこか似ている。世界を説明する神話と、それをもう一度読み替える知恵が、火の中から一緒に戻った巻物。
12 エルコラーノの炭化巻物 開けば壊れる本を読む
黒い塊の中に、本があった。紀元七九年のヴェスヴィオ山の噴火で埋もれたエルコラーノには、巻いたまま炭化した文書が残り、無理に広げれば失われるという問題を抱えていた。頁を開くという当たり前の行為が、読むために最も怖い手段になる。
二〇二四年には、開かずに内側の文字を読む成果が公表された。対象となった一本には、哲学が記されていた。食べ物や音楽、快楽をどう考えるかという内容から、古代の誰かが人生の楽しみを吟味していたと分かる。災害の中で閉じられた本から、穏やかに生きるための思索が戻ってきたのだ。
危険な予言が書かれていた、と決めたくなる外見でもある。けれど、文字が読めるほど、そこにいた人の関心が、食べることや感じることへ近づいてくる面白さがある。二千年を隔てた相手の考えが、壊れやすい炭の層の内側で、まだ次の行を待っている。
13 アルキメデス・パリンプセスト 祈祷書の下で消されていた数学
新しい祈りの下に、古い文字が眠っていた。十三世紀の祈祷書として作り直された羊皮紙には、数世紀前の数学書などを消した跡があり、後にアルキメデスの文章が見つかった。書き写して保存する人もいれば、紙を使い直すために、古い文字を消した人もいたのだ。
表に見える本と、隠れている本が違う。読み出された文章には、他の写本からは得られないアルキメデスの著作も含まれ、ひとたび不要とされた頁が、科学の歴史を考えるための貴重な窓になった。何を残す価値があるかという判断が、時代を越えて反転した一冊。
古い数学だけが、下から出てきたわけでもない。演説や哲学の注釈も見つかったため、一冊の祈祷書の材料に、もとは別々に読まれた知識の断片が寄り集まっていたと分かる。消した人も、後に読む人が、その痕跡へ別の光を当てるとは想像しなかったかもしれない。
14 銅の巻物 金銀の隠し場所が、金属に刻まれていた
洞窟に残っていたのは、銅に刻んだ文章だった。一九五二年、死海近くのクムラン第三洞窟で見つかった巻物には、金や銀を隠した場所と、その量を列挙するような記述があった。死海文書の一つなのに、読者を待っていたのは、宗教的な物語とは違う宝の一覧だ。
腐食した銅は、そのままでは広げられなかった。切って内側を読む方法が選ばれ、二十三の湾曲した細片になった文字から、何を隠したかという秘密が姿を現した。宝のことを長く残すために丈夫な材料を選んだのだとすれば、その丈夫さが、後の読者を困らせたことになる。
読めれば、すぐ掘り当てられるわけでもない。古い呼び名や基準の分からない場所、今と対応させにくい量の表現があるため、文章を読むことと、地面の上で一点を指すことの間には大きな距離がある。地名を一つ失うだけで、正確そうな目録まで、帰れない場所を示す暗号に見えてくる。
15 ナグ・ハマディ第二写本 この世界を作った者は、最高の神なのか
目の前の世界を作った存在まで、疑う書物があった。エジプトで発見されたナグ・ハマディ文書群のうち、第四世紀の第二写本には、今の聖書とは違う角度から、救いと世界の起源を考える文章が集められた。宇宙の仕組みを知ることが、自分を救う道へつながっている。
世界を支配する者が、最も高い存在とは限らない。幾重もの天や、神的な存在が想像された。起源や支配者について語る文書では、人が日常で従う世界の外側にも、別の秩序があると考えられた。ここでの秘密は、遠い未来の予言より、自分がどんな場所に閉じ込められているかという知識だ。
物語の中の神を、ただ一枚の図へまとめるのは難しい。複数の考えが一冊へ集められていたことを知ると、古い宗教の世界も、初めから一つの声だけで話していたわけではないと感じる。失われた文章が戻ったことで、それを異端と呼んだ側の声とは別に、語っていた者の声が聞こえ始めた。
16 チャコス写本 ユダの役割が、読めるほど揺れる
裏切り者の名を持つ福音書が、ここにある。後期古代のコプト語文書を収めるチャコス写本には『ユダの福音書』があり、二〇〇六年の公表時には、イエスとユダの関係を変える本として注目された。裏切りと呼んでいた行為が、別の意図を持っていたのかと、人々を驚かせたのだ。
ただし、ユダが英雄に変わるという読みには、研究者から異論が出た。壊れた文章は、どのようにつながるのか。ある言葉をどちらの意味で訳すかによっても、救われる人物なのか、なお悲劇的な役割を負う人物なのかが変わる。昔の文字を読む仕事が、人物の善悪にまで触れてしまう怖さ。
この文書を、ユダ本人の日記のようには扱えない。後の人々は、イエスの死をどう考えたのか。その思いを伝える宗教文学として読むと、一人の名へ集められた責任や、秘密を知る者の孤独が違う姿を見せる。紙の上では同じ人物でも、読む者の前で、その顔が何度も変わってしまう本だ。
17 シナイ写本 聖書が本になる途中の姿
書き直しの跡が、たくさん残った。第四世紀の、ギリシア語の聖書だ。シナイ写本には、書いた者や後の読者による訂正が重なり、何世紀にもわたって読み継がれた時間が見える。完成した本文だけを受け取る時には見えにくい、人の手を通る聖書の姿だ。
収められた本の並びにも、違いがあった。現在の西方の新約聖書と同じ書物に加え、バルナバの書簡やヘルマスの『牧者』が置かれているため、当時どんな文章が大切にされたかを考えられる。どの本を一緒に読み、どの順番で開くかという、宗教の本棚が形を取る途中の記録。
訂正があると知って、急に遠い本が近づく。写し間違いを直す人、別の本文と見比べる人がいたと分かれば、言葉を正しく残そうとする営みも、頁の上の小さな跡に見えてくる。秘密の一文だけを探す読みとは違った、長い時間を生きた本そのものの迫力がある。
18 ドレスデン絵文書 星を数える手が、運命も数えていた
星の動きが、日付の列へ刻まれた。ドレスデンに伝わるマヤの絵文書は、後古典期のユカタン半島で作られたものとされ、折り畳まれた樹皮の紙に、儀礼や占い、天体に関わる表を残す。古い絵の本を開くと、時間を扱うための細かな仕組みに出会う。
その暦には、神々もいた。天体や気象を数えることが、どの日に何が起こり、どの行いを選ぶかという問題へつながるため、観測の正確さと宗教的な意味が、一つの頁で離れずに動いている。何が起こるかも知りたかった。空の周期を知るとは、人間の暮らしへ訪れる気配を読むことでもある。
一七三九年には、ウィーンで図書館員に買い求められた。その後、マヤの文書として認められた。文字や天文学を考える手掛かりになった経緯を思うと、長く海を渡った本が、再び元の文明を語り始めたみたいだ。単純な終末の日付探しに収まらない、空と暮らしをつなぐ人々の暦。
19 メキシコのマヤ絵文書 偽物と疑われた金星の本
本物かどうかまで、激しく争われた。一九六〇年代に姿を現し、長く真贋の議論に包まれた。一二世紀ごろのものとされるメキシコのマヤ絵文書には、グロリア写本という呼び名もある。金星の運行を扱う本が、まず自分自身の過去を問われることになったのだ。
材料にも、長い時間が残っていた。二〇一七年に、複数の調査が始まる。紙や顔料、虫や水による傷みなどが調べられ、古い材料を使った写本として、真正さが認められた。見た目が期待に合わない本でも、物そのものを調べ直すと、受け取られ方が変わる例である。
現存する頁では、日付と数と神の姿が組み合わされる。金星の周期の節目に、どんな神が働くと考えたかまで記すため、空に見える明るい星は、恐れや予兆を伴う存在になった。今の目で美しい星を眺める時とは違う、数えるほどに怖さも増す夜空が、その紙の中にある。
20 メンドーサ絵文書 征服された国が、自分の姿を描く
滅ぼされた世界を、絵で伝えようとした。十六世紀、スペイン支配の始まったメキシコで、メンドーサ絵文書が作られた。支配者や征服、貢納、暮らしが描かれる。絵にスペイン語の説明を添えた頁は、メシーカの社会を伝えつつ、異なる世界の間で話すための本にも見える。
布や食べ物を、どれほど納めたのか。政治の大きな仕組みだけでなく、日々の物と人の関係が記されるため、神殿や戦士だけでは見えない社会の手触りが戻ってくる。遠い文明の絵が、よそから来た者へ理解してもらうための、具体的な説明になっていた。
とはいえ、描かれた国の姿も、選び取られた姿だ。誰に見せ、何を分かってもらおうとしたかを考えると、古い絵文書は、過去をそのまま保存するだけの透明な窓ではなくなる。自分たちの世界が壊れた後にも、どう記憶されるかへ働き掛けた者たちの本。
21 ズーシュ・ナトール絵文書 王の名が、絵になって進む
八の鹿という名を持つ支配者が、歴史の中を進んでいく。スペイン到来前のミシュテカの世界を伝えるズーシュ・ナトール絵文書には、系譜や政治的な出来事が、絵と記号で記録された。メキシコの古い本でも、マヤの暦とは違う、人と血筋を辿る道が開く。
絵だけで、話のすべてを語ったとは限らない。歌い、踊り、口で伝えられた物語を知る者にとって、描かれた姿や並びは、長い話を思い出すための支えにもなった。紙の上に残る図は、かつてその前に立った語り手の声を、今も必要としているようだ。
同じ名の繰り返しも、読み慣れれば人の歩みに変わる。誰と結び付き、どこを支配したのか。どんな家へつながったかという筋まで追うと、意味の分からない模様だった頁に、争いや野心が動き出す。文字を読む習慣そのものを、少し違う場所へ連れていく歴史書。
22 リベル・リンテウス ミイラを包んでいた、別の国の本
包帯に使われた布に、文字が並んでいた。ザグレブに伝わるミイラの巻布には、文字がある。エジプトの文章だと思って眺めるだけでは読めなかったが、十九世紀にエトルリア語の文書として認められた。身体を守るための材料へ使い直され、別の文明の本が、こうして生き延びた。
もとの文章は、紀元前三世紀末から二世紀ごろに位置付けられる。日付や神々の名、繰り返される言い回しなどから、儀礼の暦と考えられ、月の名や行為の一部も読まれてきた。まったく意味のない文字列ではなく、分かる所から祭祀の姿が少しずつ戻る布の本だ。
どうして、その布がエジプトへ渡ったのか。布を、いったん書物として想像してみてほしい。書物として使った時と、ミイラを包んだ時の間には別の事情があり、残された姿だけから一本の経緯を語り切ることは難しい。名前の分からない身体と、読み尽くせない言葉が、同じ布を介して旅をしたという奇妙さが残る。
23 敦煌星図 千以上の星と、危険な雲の形
星の図の前に、雲を読む手引きがあった。二十世紀初め、敦煌の莫高窟から戻った巻物の一つだ。七〇〇年ごろに位置付けられる星図は、唐の空を細かく描いていた。千三百を超える星と、雲の形から吉凶を考える文章が、一つの巻物に並んでいる。
空を見上げる目が、二つに分かれていない。どこにどの星があるかを、丁寧に記していく。一方、雲の形や色、現れる時期を、戦いや病、幸運の予兆へ結び付ける考え方も、同じ紙へ集められた。雲が人の姿に見えるというだけで、道を進むか待つかを変える世界だ。
天文観測が、国家や人の運命と結び付いていた。近代の星座図を思って開いた先に、空の気配を見逃してはいけないという緊張があるため、遠い天体も急に身近な存在へ変わる。星を正しく置くことと、見えたものの意味を問うことが、隣り合っていた空の地図。
24 敦煌の金剛般若経 世界の実体を問い掛ける、印刷された巻物
八六八年という日付が、巻物に残された。敦煌から伝わる金剛般若経の一巻は、王玠が両親のために広く配る目的で作らせたと記され、日付を持つ古い印刷本として知られる。手で一冊ずつ写すだけでなく、木版で刷って言葉を広めるという、別の願いが紙へ刻まれた。
説かれるのは、揺るがない自分や物があるという見方への問いだ。仏と弟子は、対話を通して考えを深めていく。世界を固定した形でつかもうとする心を見直す内容は、古くて珍しい本という印象だけでは読み終えられない。目の前の物を、どう存在していると思っているかまで考えさせる経典。
同じ言葉を何部も送り出すことに、功徳が見いだされた。印刷の技術と信仰が結び付いた巻物を思うと、紙の上で世界を問い直す言葉が、人の手で繰り返し増やされていく様子が見える。秘密を一人で独占する本とは違う、広めることに願いを託した古い本だ。
25 永楽大典 失われた本が、別の本の中で生きている
世界の知識を、一つへ集めようとした。十五世紀初頭、明の永楽帝の命で編まれた永楽大典には、古い文献の一部から全体までが採り入れられ、二万を超える巻になった。日々の風俗や地誌、歴史、学問を、人間の手で書き写して収めた巨大な類書だ。
現存するものの多くは、十六世紀の副本にあたる。原本が失われ、副本も大きく散逸した一方、この本へ引用されていたために、今では元の本から読めない文章が伝わった。何を失ったかを知るために、他の本へ写された一行を探すという、倒れた図書館のような書物。
呪文のような符号がなくても、空白は大きい。かつて揃っていた時には、簡単に引けた項目だった。今では遠い国の一冊へ残っているかもしれず、集めようとした知の広さと、散った後の距離が重なる。なくなった本を思う時、別の本の中に、その声が一節だけ生きていることがある。
26 バクシャーリー写本 樹皮の小さな点が、ゼロを問い直す
小さな点が、大きな議論を生んだ。一八八一年、現在のパキスタンにあるバクシャーリー近くで見つかった樹皮の数学写本には、位を示すための点が使われ、数の歴史を考える上で注目された。今なら何気なく書くゼロの形へ、遠い書記の手元から近づく本だ。
難しかったのは、いつの文書かという問題でもある。筆跡や数学の内容から考える年代と、二〇一七年に発表された樹皮の測定結果との間には幅があり、材料がいつのものかと、文字を書いた時を分けて考える必要が出た。古代末から中世にわたる年代の議論まで背負った、壊れやすい写本。
点を見つけただけで、ゼロの発明を一日に決められるわけではない。空いた位を示すことと、数として扱うことには違いがある。その違いも、計算の問題を追いながら味わってほしい。何もない所へ打った小さな印が、当たり前の記号になるまでに、数を考える人間の見方も少しずつ変わってきた。
27 エヌマ・エリシュ 世界は、倒された神の身体からできた
初めから、静かな秩序があったわけではなかった。古代バビロニアの創世叙事詩、エヌマ・エリシュ。水に結び付く神々から次の神々が生まれ、争いの中で、世界の形が作られたと語られる。複数の粘土板へ残った文字が、穏やかではない宇宙の始まりを伝えている。
ティアマトとの戦いで、マルドゥクが勝った。倒した相手の身体を分け、天と地を整える。私たちの立つ場所そのものに、神々の戦争の名残が埋め込まれているという物語だ。大地はただ最初から用意された舞台というより、勝ち取られた秩序の一部なのだ。
どの神を頂点へ置くかにも、土地の考えが入り込む。都市の神を中心に世界を語り直す営みを思うと、宇宙の誕生を記す文章にも、それを語る人の住む町が重なっていると見えてくる。頭上の空と足元の土へ、壮絶な出来事の続きを感じさせる創世神話。
28 ギルガメシュの洪水粘土板 聖書の外から戻った大洪水
よく知る洪水の話が、別の文字で現れた。一八七二年、ジョージ・スミスが洪水物語を読んだ。大英博物館に届いた楔形文字の物語は、聖書と似た展開を持ち、当時の受け止め方を揺さぶった。ニネヴェの図書館から戻った古代の粘土板が、物語の来歴を問い直したのだ。
ギルガメシュ叙事詩では、洪水を生き延びた者が語る。友エンキドゥを失い、主人公は不死を求めた。そこで出会うウトナピシュティムの話を通して、人間を滅ぼす災厄と、その外へ逃れた命がつながっていく。洪水の恐ろしさだけでなく、なぜ生き続けられるのかという、死を怖れた者の問いがある。
残った板は、古代アッシリアの時代の写しでもある。作品の育った時間と、手元の粘土へ刻まれた時間を分けて読むと、一つの物語が、何世代もの人を通って届いた長さを感じられる。世界を覆う水が去った後に何が残るのかという話が、壊れた土の上から、もう一度始まった。
29 竹内文書 古代日本へ、世界の歴史が集まってくる
世界の聖人たちが、みな日本へ来たという。竹内文書の語る古史では、日本の天皇の祖先と世界の始まりが結び付き、遠い国の宗教家まで、その大きな系譜の内側へ入ってくる。昭和期に竹内巨麿らを通して広まった古史古伝は、普通の年表とは違う規模の世界を描いた。
神代文字や秘伝の記録が、秘密を支える姿になった。皇祖皇太神宮が伝える由来では、宇宙や地球の創造から歴史が始まり、今の世界の国々も、さらに古い物語の続きとして説明される。遠い異国の存在まで、自分たちの足元の土地へ集めてしまう物語の引力。
これは、古代に出土した確かな世界史として読む本ではない。近代に広がった信仰と古代史への想像として辿ると、知っている歴史の後ろへ、もっと古い秘密を置きたいという願いが見えてくる。隠されていた記録を一度手にすれば、自分のいる場所が世界の中心へ変わるという誘惑がある。
30 東日流外三郡誌 正史の外に、もう一つの国を描く
負けた側には、別の歴史があったという。東日流外三郡誌は、二十世紀後半に注目された。江戸時代に集められた記録などを称し、大和の歴史の外に、壮大な東北の物語を描き出した。長髄彦や安日、荒吐の世界へ、既存の古代史からこぼれたものを探したくなる本だ。
村史にも取り込まれた一方、偽書として厳しく批判された。古代をそのまま伝えた記録という受け取り方は、崩れていく。発見者の筆跡との共通点や文字の誤りなどを指摘する検討が、積み重なったためだ。面白い歴史の筋があることと、その文書が古い時代の証拠になることの、難しい距離が表れた。
それでも、反抗する北の物語が人を呼んだ理由は残る。中央から一つの歴史を見せられる時、その外にも自分たちの王や神がいたと思うことは、失われた居場所を取り戻す感覚に近い。古代の事実として採る道から離れても、近代の人が欲した古代を映す、強い物語の痕跡。
31 椿井文書 失われた歴史を、後から書き足した男
椿井政隆は、一七七〇年から一八三七年に生きた。後の時代に書かれた文書が、中世から伝わった史料の姿で届く。寺社や土地の来歴を求める各地の人々が、地図や家系図などを受け取った。江戸時代後期の一人の男が、近畿一円の過去へ入り込んでいく。
欲しかったのは、もとの建物や一族の来歴だった。失われた伽藍の絵図や、武将の名、家系のつながりを示す紙が届くと、土地に暮らす者の疑問へ、目に見える答えが与えられる。何も分からない空白より、筋の通った図を一枚持てることが、人を安心させたのかもしれない。
その紙は、後の歴史の書物にまで入り込んだ。偽物と分かると一枚の絵図が急に無意味になるようでいて、誰がそれを必要とし、どんな過去を信じたかという別の歴史は残る。古文書を開いた先で出会うのは、いつも古代人だけではなく、古代を自分の手で作ろうとした人間の顔でもある。
