- 大安殿に、何も知らない男が入ってきた 上巻第一縁の現代語訳
- 死んだ男の墓に、雷が仕返しに来る 上巻第一縁の現代語訳
- 雷を呼ぶ装いと、仏教の本の入口を読む 解説
- 雷丘の名をたどると、栖軽の道が見えてくる 解説
- 日本書紀では、大蛇を連れて帰ってきた 解説
- 狐だと分かっても、夫は妻を迎えた 上巻第二縁の現代語訳
- 正体が知れても、夫婦の縁は切れなかった 解説
- 雷の子が、元興寺の鐘堂で鬼を待つ 上巻第三縁の現代語訳
- 鬼の髪を残す寺で、怪力が僧の力に変わる 解説
- 桑の木から落ちた娘に、大蛇が絡みつく 中巻第四十一縁の現代語訳
- 母の願いが、次の世では妻の悲しみになる 中巻第四十一縁の現代語訳
- 蛇との縁と、娘を助けようとした手当てを読む 解説
- 初夜の部屋から「痛や」と三度聞こえた 中巻第三十三縁の現代語訳
- 花嫁の夜を、歌と婚礼の贈り物から読む 解説
- 腹を空かせた鬼には、干し飯が通じた 中巻第二十四縁の現代語訳
- 死者を迎える鬼も、罰を恐れていた 解説
- 同じ名の女が、二つの家へ帰る 中巻第二十五縁の現代語訳
- 名前が合っていても、迎える相手を間違える 解説
- 海へ落とされた僧の足を、亀が支えていた 上巻第七縁の現代語訳
- 助けた命が、岸へ帰る足場になる 解説
- 倉の下の牛が、父だと名乗った 上巻第十縁の現代語訳
- 借りを返す牛に、息子の許しが届く 解説
- 海の向こうの怪異ばかりを信じるのか 上巻序の現代語訳
- 現報と縁を手がかりに、三巻のつながりを読む 解説
- 仏像の「痛い」という声が、盗人を知らせる 中巻第二十二縁の現代語訳
- 傷ついた像を囲む人々の嘆きを読む 解説
- 天女のような妻を願うと、像が夢に来る 中巻第十三縁の現代語訳
- 願った相手と、夢で会った相手のずれを読む 解説
- 景戒は妻子を養えず、自分の火葬を夢に見る 下巻第三十八縁の現代語訳
- 因果を説く僧にも、家族を養う米がなかった 解説
- 序の年号だけでは、本の完成日は決まらない 解説
- 蛇の娘を救った薬が、後の本では主役になる 解説
- 三巻の物語は、一つの写本には揃わない 解説
- 塵の中の巻物は、裏側にも因果を抱えていた 解説
大安殿に、何も知らない男が入ってきた 上巻第一縁の現代語訳
雄略天皇は、后と大安殿にいた。夫婦の営みのさなかに、側仕えの少子部栖軽が何も知らずに入ってきてしまう。天皇は恥じて手を止めた。ちょうどそのとき、空で雷が鳴った。
天皇は栖軽に声をかける。「おまえは、鳴る雷を連れてこられるか」。栖軽が「連れてまいります」と答えると、天皇は「それなら連れてこい」と命じた。栖軽は勅を受け、宮から出ていった。
緋色の縵を額に着けた栖軽は、赤い幡と桙をかかげて馬を走らせ、阿倍山田の前の道を進んだ。豊浦寺の前を通る。やがて行き着いたのは、軽の辻だった。
栖軽は雷に呼びかける。「天に鳴る雷の神よ、天皇がお呼びだ」。それでも雷は降りてこない。馬を返しながら、「雷の神でも、天皇のお召しをなぜ聞かないのか」と言い放った。
豊浦寺と飯岡のあいだで雷が落ちているのを見ると、栖軽は神司を呼び、輿の中へ収めさせた。そのまま大宮へ運ぶ。「雷の神をお連れしました」と、天皇へ申し上げた。
目の前でまばゆく光る、雷の神。天皇は恐れ、多くの幣帛を供えさせて、雷をもと落ちた場所へ返させた。そこはいま雷岡と呼ばれ、古い京の小治田宮の北にあるという。
死んだ男の墓に、雷が仕返しに来る 上巻第一縁の現代語訳
やがて栖軽が死ぬと、天皇は七日七夜にわたって忠義を詠わせ、雷の落ちた場所へ墓を造らせた。碑の柱には「雷を取りし栖軽の墓」とある。この文字が、雷の気に障った。
怒って落ちてきた雷は柱を踏み荒らし、暴れるうちに裂け目へ足を挟まれ、また捕まってしまった。今度こそ動けない。生きていた栖軽ばかりか、死んだ栖軽の墓にも敵わない。
天皇はそれを聞き、雷を殺さずに放してやった。雷は慌て、七日七夜そこにとどまったという。天皇が建て直した碑には「生きても死んでも、雷を捕らえた栖軽の墓」と刻まれる。昔から雷岡と呼ぶのは、このような話があるためだ。
雷を呼ぶ装いと、仏教の本の入口を読む 解説
仏教の教えを説く『日本霊異記』は、冒頭から雷を捕まえに行く男の話で始まる。薬師寺の僧・景戒が集めたのは、こんな調子の怪異百十六話。上中下の三巻を開くと、神も鬼も、人間の家へ遠慮なく入り込む。
正式な書名は『日本国現報善悪霊異記』で、平安時代の初めにまとまった、現存する日本最古の仏教説話集だ。古事記や日本書紀より古い本、という意味ではない。恐ろしい話と救われる話が隣り合い、怪談だけの本にも収まらない。
ここで読むのは、物語の筋を中心にした現代語訳だ。歌や経典の引用が続くところは、取り上げる場面を選んでいる。訳文と、その話の読みどころや言葉を考える解説を分けて、雷や鬼のいる世界へ入ってみたい。
栖軽の装いを目で追うなら、頭を飾る緋色の縵、旗の幡、長い柄の武具である桙。縵は、かづらと読む。こうした品を身につけて馬を走らせる姿から、雷へ向かう道中の鮮やかな色が見えてくる。
神に関わる祭祀を担う神司を呼び、栖軽が雷を収めさせたのは、人が担いで運ぶ乗り物の輿。空で鳴っていたものが、宮まで運ばれる。さらに神への供物である幣帛を贈って帰す手順が、神とのやり取りを目の前の出来事に変えている。
雷を捕るまで、仏は出てこない。誰かが経を唱えたり、栖軽が悪行を悔いたりする話ではなく、神を使いに出したつもりの天皇が、連れてこられた神を怖がる。少し間の抜けた王と、やたらと仕事のできる臣下が、仏教説話集の入口に並んでいる。
雷丘の名をたどると、栖軽の道が見えてくる 解説
飛鳥川をはさみ、明日香村の甘樫丘の北に小さく盛り上がる雷丘には、いまも大字雷という地名が残る。大きな山に神を封じた話ではない。目に入りそうな小丘と、その名に結びついた雷捕りの伝承だ。
標高の紹介には少し幅があり、日本歴史地名大系は約百五メートル、別の案内では百十メートルと記す。奈良県の観光案内には、手すりを頼りに登れるとある。高さを競う山ではなく、土地の記憶が集まる小丘だ。
『万葉集』巻三に現れるのは、柿本人麻呂の「大君は神にしませば天雲の雷の上に廬りせるかも」という歌。題詞には「雷岳」とある。「かみおか」と読み、飛鳥の別の山にあてる説もあるため、歌の丘と現在の丘はすんなり重ならない。
丘の東の雷丘東方遺跡では、六世紀末から七世紀初めの遺構に加え、奈良時代の井戸から「小治田宮」と墨書した土器が見つかり、推古天皇の宮の有力な候補となった。土器に残る、宮の名。説話が栖軽の道の目印にした名が、すぐ近くの地面から顔を出している。
江戸の『大和名所図会』巻五の「栖軽逐雷」に描かれたのは、嵐の中を雷へ向かう騎馬の男。雷丘の所在には、雷土村とある。千年近く過ぎても、栖軽の話は地名から離れず、名所をめぐる人々へ伝わっていた。
二〇〇五年十一月には、丘の調査で埴輪片が出ている。栖軽の古墳かもしれないという紹介もあるが、伝承の主人公の墓と決まったものではない。丘と墓の関係は、別に考えるところだ。雷が柱に挟まった場面まで、発掘が証明したという話ではない。
江戸以来、どこにあたるか分からない地名として注釈へ引き継がれてきた飯岡を、奈良文化財研究所の山本崇が追っている。手がかりは、栖軽の道筋だった。二〇一三年に自ら歩き、研究所の文章にその結果を残した。
明治二十年代の地籍図より古い地名を追って飯岡らしい名を見つけた場所は、飛鳥資料館のすぐ近く、県道の北側だ。確定した比定地ではない。それでも、馬を返した栖軽の帰り道が、豊浦寺と山田道に沿って見えてくる。
日本書紀では、大蛇を連れて帰ってきた 解説
七二〇年に完成した『日本書紀』の雄略紀にも、栖軽へ神の姿を持ち帰るよう命令する天皇が現れる。相手は、三諸岳の神。臣下が捕らえた大蛇は雷のような音を立て、目をらんらんと光らせ、天皇を恐れさせた。ここでも、連れてこさせた側が怖がる。蛇を丘へ放させ、その丘に雷の名を与えたという。
少子部連すがると記された男が向かう三諸岳は三輪山で、霊異記の栖軽とは違う道を進んでいる。似た命令でも、行き先は違う。日本歴史地名大系も書紀の丘を雷丘へ直接結びつけておらず、地名まで溶かし合わせると道筋を見失う。
書紀では、蚕を集めるよう命じられた栖軽が「こ」の音を取り違え、子どもを集めてきてしまう。天皇は笑った。その子らを育てさせて少子部連の名を与えるが、雷は捕らえても蚕は間違える男を、役に立つかどうかで割り切れない。書紀の大蛇が霊異記では雷に変わり、死後の仕返しまで続いていく。神の姿の怖さと、臣下の妙なおかしさが同じ話に入っている。
雄略天皇から嵯峨天皇の世までほぼ年代順に並ぶ霊異記は、五世紀の天皇の話から始まり、九世紀初めの景戒より、およそ四世紀をさかのぼる。遠い過去から来る怪異。そのあとには狐の妻や雷の子が続き、ひとくくりにしにくい顔ぶれがそろう。現世の報いを説く本へ、人ならぬ家族が入り込んだ。景戒が聞き集めた日本の奇事は、仏教の教訓だけでは言い尽くせない。
狐だと分かっても、夫は妻を迎えた 上巻第二縁の現代語訳
欽明天皇の世の、美濃国大野郡。上巻第二縁では、妻を探す男が野原で美しい女に出会い、女もまたよい縁を求めていると答える。男は女を家へ連れ帰り、二人は夫婦になった。
夫婦に男の子が生まれたころ、同じ家で生まれた子犬が、妻を見るたび歯をむいて吠えるようになった。怯えた妻は殺してほしいと頼むが、犬は殺されない。米搗きのさなか、妻が働く女たちへ間食を運ぼうとすると、子犬が噛みつこうと追いかけてきた。逃げ場がない。女は狐の姿へ戻り、籠の上へ飛び上がった。
狐の姿を見た夫は、「おまえと私のあいだには子も生まれているから、忘れられない」と言った。さらに「いつでも来て、一緒に寝てくれ」と告げる。その言葉を受けた妻は、夜になると来て寝るようになった。
来て寝るという「来つ寝」の言葉から、狐の名が生まれたという。去っていく妻の姿を包むのは、桃の花のような色の裳。裾を引く後ろ姿を見た夫は、遠くへ去るあの人のために恋しさがわが身に降りかかった、と恋い慕う歌を詠んだ。
二人のあいだに生まれた子は岐都禰と名付けられ、狐直の姓を負い、強い力を備えていた。走れば、鳥が飛ぶように速かったという。美濃国の狐直の人々は、この子を祖先とする。
正体が知れても、夫婦の縁は切れなかった 解説
犬に追われて戻れなくなった妻へ、狐の姿を見た夫が夜だけでも会おうと呼びかけ、人と獣の境をまたいで縁をつないだ。正体を知っても、切れない夫婦の縁。獣の姿が現れる瞬間より、そのあとの言葉のほうが長く胸に残る。
人ならぬ相手と夫婦になる話は、異類婚姻譚と呼ばれる。狐の妻の話でも、犬が正体を見抜くところまでは、家へ紛れ込んだ獣を暴く筋に見える。だが夫は、子が生まれた年月までなかったことにはしなかった。相手を知ったあとの言葉が、この家の形を決めている。
「来つ寝」は来て寝るという夫婦の通いを狐の名へ重ねた語りで、語の歴史をそのまま説明するものではない。人名や家系に不思議な出会いを結ぶ、由来話の一つ。狐直へ続く結びがあるため、別れた妻も家の外の化け物だけでは終わらない。
雷の子が、元興寺の鐘堂で鬼を待つ 上巻第三縁の現代語訳
続く第三縁では、尾張国阿育知郡片蕝里の農夫が、田の水を引く最中に雷雨に遭う。木の下で金属の杖を構えていると、小さな子の姿をした雷が落ちてくる。男が打とうとすると、雷は命乞いをした。
雷は礼に強い子を授けると約束し、楠の船へ水を入れ、竹の葉を浮かべてほしいと農夫に頼んだ。用意が整うと人を遠ざけ、霧となって天へ戻る。のちに生まれた子の頭には、頭と尾を背へ垂らした蛇が二巻きしていた。
都の力自慢と張り合い、石をさらに遠くへ運び、追われれば垣を抜けて逃げるように成長した子は、まだ十歳あまりだった。雷に授けられた、怪力の少年。ついには元興寺の童子となり、寺の中の異変へ向き合う。
夜ごと童子が死ぬ元興寺の鐘堂で、自分が止めると申し出た少年は、四隅に灯火と四人の助け手を配した。夜半に、大きな鬼が来る。少年は鬼の髪をつかみ、堂の中へ引きずり込もうとした。
助けるはずの四人が慌てて灯火の覆いを開けられず、手はずどおりには進まなかった。夜明けが近づく。鬼は頭の毛を剥ぎ取られながら、ようやく逃げていった。
翌日、人々が鬼の血をたどって寺の辻へ行くと、そこは悪事を犯した奴を埋めた場所だった。鬼の正体は、その者の霊だと分かる。引き剥がされた髪は、元興寺の宝として収められたという。
少年はのちに優婆塞となり、元興寺にいたが、寺田への水をせき止める王たちと争うことになる。大勢で引くほどの石を水口へ置き、水を通した。王たちは恐れて妨げなくなり、やがて少年は出家を許され、道場法師と呼ばれる。
鬼の髪を残す寺で、怪力が僧の力に変わる 解説
景戒が前世の善い因縁の報いだと説明する怪力は、鬼を撃退するばかりか、寺の田を守る力にもなった。神の子として生まれた腕力の行き着く先。巻頭の雷捕りより、仏教の善い働きと因果の筋がはっきりと結びついている。
鐘堂に仕える若者として現れる童子は、そのあと優婆塞となり、得度して僧になるので、初めから出家していたのではない。優婆塞は、出家せず仏道を修める男性をいう。寺の中にいても、人々の立場にはそれぞれ違いがあった。
鬼の正体として記される奴は、古代の隷属身分に関わる呼び名だ。物語は、寺の辻に埋められたその者を、夜の死をもたらす霊と結びつけている。寺が仏の場所でも、恐ろしい過去まで消えたわけではない。朝になって残る血と髪が、怪異を寺の内側へ引き戻している。
桑の木から落ちた娘に、大蛇が絡みつく 中巻第四十一縁の現代語訳
中巻第四十一縁で蛇に襲われる娘が育ったのは、河内国更荒郡の馬甘の里にある、裕福な家だった。天平宝字三年、七五九年の四月。桑を摘む娘へ大蛇が木に巻きついて登り、道を行く人に教えられた娘が驚いて落ちると、蛇も一緒に落ちてくる。蛇は娘に絡みつき、交わった。娘は気を失い、その場に倒れてしまう。
医者を呼んだ両親は、娘と蛇を同じ板に載せて庭へ運び、指示どおりの薬を用意したという。黍の藁を焼いた灰と、猪の毛を細かくしたものだ。汁を飲ませると、蛇はようやく離れていった。
離れた蛇は殺され、捨てられたが、娘の身体からは、薬へ入れた猪の毛が突き立つ、蛙の子に似た白いかたまりが出た。蛇の子だという。目を覚まして言葉を取り戻した娘は、両親が様子を尋ねると、「夢のようでしたが、いまは醒めて、もとに戻りました」と答える。ところが三年後、娘はまた蛇と交わり、死んでしまった。
愛する心が深く入り込むと、人は死に別れるとき、夫婦や親子を恋い慕い、次の世でも必ず会おうと言う。その魂は行いの因縁に従い、蛇、馬、牛、犬、鳥などにも生まれる。以前のよくない契りから、蛇となって愛する者と交わることもある。愛欲の現れ方は、一通りではない。
母の願いが、次の世では妻の悲しみになる 中巻第四十一縁の現代語訳
昔、仏と阿難が墓のそばを通ると、死者へ飲食を供えて泣く人々の中から、妻の泣き声が聞こえた。仏も声を上げて嘆く。なぜ嘆くのかと阿難が尋ねると、女の前の世を語り始めた。
この女は以前、一人の男の子を深く愛し、病で死ぬ間際にもその子をなでて、生まれ変わるたびに一緒にいたいと願った。その後、隣家の娘に生まれ変わる。やがて、かつての息子の妻になり、いまは夫の骨を祀って慕い泣いているのだ。
「その女は、いま自分の夫の骨を祀り、恋い慕って泣いている。私はこの出来事の始めと終わりを知っているから、嘆いたのだ」。仏は阿難にそう答えた。
蛇との縁と、娘を助けようとした手当てを読む 解説
桑を摘む娘が突然蛇に襲われ、両親と医者が助けようと駆け回る話は、初めから決まっていた婚姻の話には見えない。そこへ重なる、前世の因縁。災難と切れない縁とが分かちがたくなり、逃れたはずの相手に三年後また戻される。
別れたくないという願いが、次の世では別の苦しみの種になり、生まれ変わりはめでたい再会に終わらない。そこが厄介だ。景戒にとって、人や獣の姿の違いより、次の生へ持ち越す心のほうが深い問題だった。
東京大学の研究紹介は、仏教で世を捉えようとしながら手当てを細かく語る蛇の縁に、医療への関心も読んでいる。教訓だけなら、あれほどの手当ての描写はいらない。家族が医者を呼ぶ慌ただしさまで、話は抱えている。
仏のそばで教えを聞く阿難が、泣く女の前世を尋ねると、母が隣家の娘へ生まれ変わり、かつての息子の妻になるという、姿だけでは分からない縁が語られる。死後に別の生を受ける輪廻。いまの家族と前の世の家族が重なり、母や妻という呼び方も一度では定まらなくなる。
蛇に襲われた娘を救おうと、両親が医者を呼び、処方どおり黍の藁の灰と猪の毛を用意する慌ただしさまで残した物語は、その身体をどう考えていたかも伝える。経を唱えてはいない。娘を助けたのは、具体的な品の名前とともに語られる手当てだった。
初夜の部屋から「痛や」と三度聞こえた 中巻第三十三縁の現代語訳
聖武天皇の世、国じゅうで一つの歌が歌われていた。おまえを嫁に欲しいと言うのは誰なのか、菴知のこのあたりの万の子よ、という歌だ。そのころ大和国十市郡の菴知村の東に、鏡作造という裕福な家があった。
鏡作造の娘・万の子は、高い家柄の男に夫婦になろうと求められても断り続け、まだ一度も嫁いでいなかった。そこへ、彩り豊かな布が車三台分届く。贈った男を受け入れた娘は、その相手と同じ寝所へ入った。
部屋から聞こえた娘の叫びは、「痛や」と三度。両親は初めてだから痛むのだろうと話し、そのまま寝たが、朝になっても娘は起きてこない。母が戸を叩く。返事がなく、不審に思って開けると、食われた娘の頭と指一本だけが残っていた。布だと思っていた贈り物も、獣の骨へ変わっていたという。
布を載せた三台の車も呉茱萸の木へ戻り、集まった人々は神の怪異だ、鬼に食われたのだと言い合った。娘の頭は箱へ収められ、初七日の朝に仏前へ置かれる。先に歌われていた歌も、災いの兆しだったのだろう。考えてみると、やはり前の世の怨みによるのだろう。これもまた、不思議な出来事。
花嫁の夜を、歌と婚礼の贈り物から読む 解説
異界の夫を迎える型は蛇の話と似ているが、万の子には薬で助かる場面がなかった。初夜が、そのまま終わりになった。頭と指を残す食われ方が、結婚の話を一晩で人食いの話へ変えてしまう。
『伊勢物語』の芥川では、女が鬼に食われたという話に、兄たちが連れ戻したのだという後日談が付く。霊異記には、その逃げ道がない。朝の部屋に残ったものを、家族も人々も見てしまうからだ。
万の子が男を受け入れるきっかけとなった彩帛は、美しい色の絹などを指し、車三台分も届いた。婚礼の贈り物が、朝には獣の骨。支度を整えたはずの品々が次々に姿を変え、夜の相手の異様さを示していく。
呉茱萸はごしゅゆと読む木の名で、立派な車がその木に戻る場面にも、化かされていた怖さがある。「痛や」は、痛いという訴えだ。遠い漢文から突然聞こえる短い声だからこそ、戸の向こうの夜が近く感じられる。
景戒は歌を災いの兆しとして置き、娘の死より前から世に出ていた声を振り返っている。下巻第三十八縁にも、似た歌の読み方がある。豊浦寺や桜井を歌った童謡を、光仁天皇の即位へ結びつけた箇所だ。
正徳四年、一七一四年の仮名抄本は、目録へ「慾心ヲ戒ム」という徳目を添えて、話の読み方を変えた。原題が記すのは、悪鬼に食われる女。欲心まで題に置くのは、結末から何の教訓かを見つけようとした読み方だった。
景戒が因果を忘れた話でもなく、原文の末尾では起きたことを前世の怨みとも受け止めている。目の前の娘の行いから、理由がきれいに見えるわけではない。報いを説明しようとする一言が付いても、花嫁の夜の恐ろしさは残った。
腹を空かせた鬼には、干し飯が通じた 中巻第二十四縁の現代語訳
中巻第二十四縁の商人・楢磐嶋は、平城京の大安寺の西に住み、寺の銭を預かって越前で商いをしていた。帰る途中で、病気になる。後ろから追いついた三人の鬼は、磐嶋を迎えに来た閻魔王の使いで、探し歩いて腹を空かせていた。商人が持っていた、旅の干し飯。まずそれを渡し、家へ着いてからは、さらに食べ物を用意してもてなした。
牛肉が好物だと聞いた磐嶋は、牛を差し出して命を助けてほしいと頼んだ。鬼も困ってしまう。恩を受けた相手を見逃せば、今度は自分たちが罰せられるからだ。
鬼は同じ年に生まれた別の者を身代わりにすると決めた。受けた罰を逃れられるよう、自分たちの名を呼んで金剛般若経を読んでほしいという。磐嶋が大安寺の僧に頼んで読経してもらうと、鬼はあとで礼を言いに戻ってきた。経の力で罰を免れたと喜び、これからも供養してほしいと頼んだ。
死者を迎える鬼も、罰を恐れていた 解説
食べるものも上役もあり、処罰を恐れ、恩に報いようとする鬼は、人食いの花婿とはずいぶん勝手が違う。評するなら、役所の小役人のような鬼。親しみやすくても、代わりに連れていかれる人を思うと笑い切れない。
炊いた飯を乾かした干し飯から始まる交渉で、鬼が恩と処罰に挟まれるのは、冥界の王・閻魔王に命じられ、死者を迎えに来た使いだからだ。勝手に襲う鬼ではない。旅の商人が持ち運べる食べ物で、その命令に従うはずの鬼の行動が変わってしまう。
同じ名の女が、二つの家へ帰る 中巻第二十五縁の現代語訳
中巻第二十五縁で讃岐国の衣女が病むと、家の門に疫神を祀る食べ物が供えられた。迎えに来た鬼が、それを食べてしまう。恩返しに見逃そうと別の郡の同姓同名の衣女を連れ去ったが、閻魔王の前で間違いが分かった。鬼は本来の衣女を連れ直す。別人の衣女は帰されても、すでに自分の身体が焼かれていたため、王からもう一人の衣女の身体を与えられた。
ここは自分の家ではないと訴えた娘がもとの家へ帰ると、そちらの親も、見知らぬ姿に驚いてしまう。事情を聞いた両家は、やがて娘を認めた。娘は二組の親と二つの家の財産を得たが、始まりは、鬼が門前の食べ物を口にしたことだった。
名前が合っていても、迎える相手を間違える 解説
磐嶋の話では、本人を逃がす代わりに、別の者を鬼が連れていく。衣女の話でも恩は返されるが、王の前へ行けば取り違えが明るみに出る。門に食べ物を供えた家と、同じ名を持っていた家が、死者の行き来でつながってしまう。鬼へ払った礼が、どこまで届くのか分からない。
山田郡の衣女の身体へ入って甦った鵜垂郡の衣女は、姿と記憶とが食い違い、二つの家へ帰ることになる。見知らぬ姿を認める、二組の親。身体の不気味さを抱えたまま、どちらの家も捨てずに家族が増える結末が、奇妙に温かい。
海へ落とされた僧の足を、亀が支えていた 上巻第七縁の現代語訳
百済から来て備後の三谷寺などを建てた弘済禅師は、仏像の材料を買い、難波から船で帰ろうとしていた。港に、大きな亀が売られている。人々に勧めてその亀を買い放し、童子二人と船に乗ったが、船人たちは僧の財物に目をつけた。夜が深まる。彼らはまず童子を海へ投げ、続いて僧にも海へ入れと迫った。
言い聞かせても船人たちは引かず、弘済が海へ下りると、石のようなものが足を支えて水は腰までしか来ない。明けてから見ると、生きた亀だった。僧は岸へ戻ることができたが、奪った材料を売ろうと寺へ来た船人たちは、そこで本人に会ってしまう。殺したつもりの僧が、目の前にいる。彼らは進むことも退くこともできなくなった。
弘済は船人たちを憐れんで罰を加えず、奪われた材料を、仏像や塔を荘厳するために使った。その後は海辺で人々を教え、八十余歳で没したという。獣でさえ受けた恩を忘れず返すのに、道を知る人が恩を忘れてよいものだろうか。
助けた命が、岸へ帰る足場になる 解説
子を殺された恨みを返す狐の母も、婚姻の約束を取り立てる蛇もいて、温かな恩返しばかりではない。生き物にも、忘れない過去がある。助けた命と傷つけた命が、人の暮らしの先で待っている。
弘済が売られていた亀の命を買い取り、放したように、生き物を逃がす行いを放生という。助ける側と助けられる側が入れ替わる海。暗い水の下で石だと感じたものが、生きた亀だと分かる瞬間、恩返しは僧の足裏の感触になる。
海辺に現れる僧の来歴には、百済から来た人々と寺の建立が含まれている。怪異だけを取り出すと、小さな恩返しの話にも見える。だが仏像の材料を買う旅と海路があり、盗品を寺へ売りに来る者までいる。仏教が人と物の移動の中にあったことも、話の背景に残っている。
倉の下の牛が、父だと名乗った 上巻第十縁の現代語訳
大和国の椋家長は、前の罪を悔いるため、寺を選ばずに出会った僧を招くよう使いへ頼んだ。使いが道で会った僧を連れ帰ると、家長は心を込めてもてなし、夜の礼拝を終えて寝る僧に寝具を掛ける。僧がそれを盗もうと思うと、姿は見えないのに、盗んではいけないという声が聞こえた。声の主は、倉の下の牛。牛は、家長の父だと名乗った。
父は前の世で息子の稲十束を黙って使い、その借りを返すために牛となってこの家で働いているという。だから僧が盗みをしてはいけないと戒めた。疑うなら人の座を敷いてもらえ、そこへ上がるとまで言う。翌朝、家長が藁を敷いて呼びかけると、牛は膝を折ってその席へ伏せ、家族は泣き出した。父だと認め、以前使ったものはもう返さなくてよいと告げる。
牛は涙を流し、大きく息をついた。その日の申の刻に、命が終わった。家長は寝具と財物を僧へ施し、父のためにも広く功徳を積んだ。因果の理を、どうして信じずにいられるだろうか。
借りを返す牛に、息子の許しが届く 解説
ただ欲張りを罰するだけでなく、盗もうとした僧が、かえって家族へ父を知らせる役になる。牛も、見知らぬ家畜ではなくなった。因果という説明が、同じ家の中の親子をもう一度結び直している。
いまの時刻ならおおよそ午後四時ごろにあたる申の刻まで記され、父を迎え直した一日の短さが際立つ。息子の稲は、人へ与えるために使われたもの。受け取る側には施しでも、持ち主へ知らせなかったことが次の生の借りになる。
罪を悔い改めることを、仏教では懺悔といい、さんげと読む。家長がそのために僧を招いた夜、僧自身が盗みに傾いてしまう。立派な僧が悪人を一方的に裁く話ではなかった。声を上げた牛が、僧の手を止め、家族にも別れを告げる役を担っている。
海の向こうの怪異ばかりを信じるのか 上巻序の現代語訳
身体に影がついてくるように善悪の報いは離れず、苦しみや楽しみが返る様子も、谷が声へ応える響きに似ている。善悪を示さずに、どうして曲がった考えを正せるだろう。因果の報いを示さず、どうして悪い心を改め、善い道を修められるだろうか。
昔、中国では冥報記が作られ、唐では般若験記が作られた。どうして他国の記録ばかりを畏れ、自分たちの国の不思議な出来事を信じ畏れないのか。私は聞き及んだ話を書き留め、日本国現報善悪霊異記と名付けた。上、中、下の三巻を作り、後の世へ伝えようと思う。
現報と縁を手がかりに、三巻のつながりを読む 解説
中国の本を追い払いたいわけではなく、景戒自身、教えも書き方も大陸から届いたものに学んでいる。その枠の中へ、自分たちの地名と人名を入れた。外国にも不思議があるように、ここにもある、と言いたかったのだ。
上巻三十五話、中巻四十二話、下巻三十九話を合わせた、百十六話。三巻にはそれぞれ序が付いている。上巻は仏教の伝来、中巻は聖武天皇の帰依、下巻は善悪と報いを語り出し、巻を開く人を物語へ導く。
題名の「現報」は、この世に現れる報いだ。死んでから遠いどこかで裁かれるだけでなく、いま生きている身体に出来事が起こる。善悪の報いは、形に従う影のようだという。苦しみや楽しみも、谷へ声を投げれば返る響きにたとえられた。
雷も、鬼も、妻となった狐も、何かと何かがつながって現れた出来事として、題が「縁」で結ばれる。仏の出ない巻頭にも、同じ呼び名。珍しい事件を並べながら、その奥へ因果の筋を通そうとする景戒の見方が、一話ずつの題にも残った。
使った稲と返す労働が結びつく牛の父の話と比べると、目の前の罪が語られない万の子の因果は、つかみにくい。結びに添えられる、前世の怨み。そう説明されても、なぜ娘が食われるのか、すべてが腑に落ちるわけではなかった。
上巻には、鷲にさらわれた赤子が他国で父と再会する話もある。生きた兎の皮を剥いで報いを受ける者もいれば、仙草を食べて生身で空を飛ぶ女もいた。救われる話と、身体を襲う災いの話が、同じ巻の中へ並んでいる。
英語圏の研究紹介でも、ばらばらに見える異常な出来事を因果と輪廻で理解しようとする試みとして、この本を扱っている。奇跡だけを集めた本ではない。説明の道をつけようとした一冊から、説明しきれない怖さまでこぼれ落ちる。
田へ引く水を争い、寺の金で商い、盗品を市へ運ぶ人々の暮らしが、怪異の背景で動いている。防人の負担や、秤と桝のごまかし。奇跡の舞台は立派な堂ばかりでなく、働き、食べ、家族を養う場所にも広がっていた。
東の上総から西の肥後まで、皇族や庶民、僧や商人の話が同じ三巻へ集まり、土地をまたぐ広がりを作っている。僧や人々が、遠くの話を運んだのだろう。景戒は巻末に、聞いたことから口伝を選び、善悪を分けて記したと述べた。
仏像の「痛い」という声が、盗人を知らせる 中巻第二十二縁の現代語訳
中巻第二十二縁で道を行く男が「痛い、痛い」と聞いて屋内をうかがうと、手足を壊され、首を打たれている銅の仏像があった。人の声だと思ったのだ。寺の銅を盗んで売っていた男の行いは、仏像の声から人々の知るところとなる。集まった僧や檀越は、傷ついた像を囲んで泣いた。大師にはどんな過失があって、この災難を受けたのかと嘆く。
僧たちは輿を整え、傷ついた仏像を載せて、泣きながら寺へ運んだが、盗人には自分たちで罰を加えなかった。そのまま手放す。だが道を行く人々が盗人を縛って役所へ送り、男は牢へ入れられたという。
傷ついた像を囲む人々の嘆きを読む 解説
失った手足を囲んで泣く人々にとって、像は災難に遭う存在であり、銅だと分かっていても、ただの材料には戻せない。傷つけられた、仏の身体。人を苦しめる盗人の手が、仏像から声を引き出してしまった。
傷ついた像を囲んで泣いた人々の中には、僧ばかりでなく、寺や僧を支える施主である檀越もいた。支えてきた像を失う嘆きが重なる。大師と呼ぶ言葉にも、その姿を見て教えを受ける相手が、災難に遭ったという悲しみがこもる。
天女のような妻を願うと、像が夢に来る 中巻第十三縁の現代語訳
聖武天皇の世、信濃から来た優婆塞が和泉の寺に住み、吉祥天女の像を見るうちに恋い慕うようになる。その像を見るたび、天女のように美しい女を授けてほしいと願う。ある夜、夢の中で天女の像と契った。
翌朝、修行者が天女像の裳を見ると、腰のあたりに汚れが付き、夢の夜のことが形になって残っていた。恥じて、人には話さない。だが弟子はひそかに知り、のちに師へ礼を欠いて追い出されると、里へ出てその話を言いふらした。
人々が寺へ来て事情を尋ね、像を見ると、修行者はもう隠せず、すべてを語った。深く信じる者には、応じないことがないのだろう。これもまた、不思議な出来事。
願った相手と、夢で会った相手のずれを読む 解説
天女のように美しい人間の女を願った優婆塞の夢へ来たのは、その願いの比べる相手だった天女像そのもの。願いと現れ方が、少しずれた。だから修行者は喜ぶより先に恥じ、像の奇跡にも人間関係のもつれと噂の運び手が入り込む。
出家していない修行者を主人公にしたことも、この話の肌触りに関わる。願いが叶ったと簡単に結ぶには、翌朝の像と弟子の振る舞いが生々しい。景戒はそれを不信の話にせず、深い信心に応じた怪異として語った。恋と信仰が、同じ像の前で分かれずにいる。
中巻第二十九縁では、女が髪へ猪の油を塗ったことを、行基が天眼で知ったとされ、姿に隠れたものを見抜く。行基が登場する、七つの話。化身の聖とも身を隠す聖とも呼ばれ、人も像も見た目だけでは測れないことが語られる。
景戒が行基の弟子だったと見る説もあるが、出会いの記録が見つかったという話ではない。景戒にとって理想の聖であったことと、直接の師弟関係は別だ。前者だけでも、行基が人々の素性を次々に言い当てる重みは伝わってくる。
景戒は妻子を養えず、自分の火葬を夢に見る 下巻第三十八縁の現代語訳
延暦六年、七八七年ごろ、私は俗世の家で妻子を養っていたが、食べ物も塩も、衣も薪も足りず、昼夜飢えと寒さに苦しんだ。前の世に施しをしなかったためだと思う。九月四日の夜の夢に現れた、紀伊国名草郡の沙弥鏡日。観音の化身と思われるその人も、養うものがないまま多くの子を抱えていた。私は夢の中で、善行から得る功徳について教えを聞く。
翌年、私は夢の中で自分の火葬に立ち会い、うまく焼けない身体の向きを、木を取って変えていた。そばにいる人の耳へ叫ぶ。それでも声は聞こえないようで、死者の声は人へ届かないのだと私は思った。
因果を説く僧にも、家族を養う米がなかった 解説
景戒の生涯を詳しく伝える別の伝記がないため、大きな手がかりとなる下巻第三十八縁では、編者自身の暮らしに出会う。因果を説く僧の、思うようにならない日々。他人の話を集めてきた本が、ここで語り手本人の家の内側へ入っていく。
長生きや官位の兆しなのか、夢の意味はすぐに決まらず、景戒自身も先の出来事を待っていた。延暦十四年、七九五年に受けた、伝灯住位。四段階ある僧位の、上から三番目にあたる位だった。
出身を紀伊国名草郡の大伴氏とする説が有力で、紀伊の説話十八話のうち名草郡の話は七話ある。知っている土地の濃さが、本にも残ったのかもしれない。序では「諾楽の薬師寺の沙門景戒」と名乗っている。
不幸を、うまく説明できた人でもなかった。延暦十六年、七九七年に、自分の建てた仏堂や家のそばで狐が鳴き続けると、その年には息子を失っている。のちには馬も二頭、相次いで死んだと書き留めた。
自分は災いを逃れる術を知らなかったという悔しさまで、景戒は本の中へ置いた。ほかの人の死を遠くから裁くだけの語り手ではない。読み進めた先で、家族を失い、わが身の夢におびえる僧本人に出会ってしまう。
沙弥は、僧として守る具足戒を、まだ受けていない修行者をいう。夢の鏡日も、多くの子を養う暮らしとともに現れる。景戒が仏教を語る場所には、寺の堂だけでなく、米や薪を工面する家もあった。飢えた日々から語られる因果は、他人を裁く理屈だけでは済まない。
序の年号だけでは、本の完成日は決まらない 解説
下巻の序は延暦六年まで、仏の入滅から一千七百二十二年、仏教伝来から二百三十六年を数えるが、同じ巻にそれより後の出来事も載っている。その年に全巻を書き終えた、とは読めない。最初の形を七八七年、その後の増補を経た完成を弘仁十三年、八二二年ごろと見る説がある。国文学研究資料館の示す完成の目安も、八二二年ごろだ。末尾の第三十九縁には、弘仁の年号が現れる。
寺川真知夫は、序の薬師寺の署名と景戒の暮らしを照らし、最初の原撰を七八七年とする説を疑った。薬師寺へ所属した時期も、延暦九年以後と推定する。その立場では、最初の編集ももっと後になる。
寺川は登場人物の任官と話の年紀を照らし、延暦十四年以後、さらに十六年三月以後へと最初の編集時期を絞った。一冊の中に重なる、収集と書き足しの時間。序の日付は、いまの本に押す完成日の印とは違う。
七八七年は、景戒が貧しい暮らしと夢に向き合い、強く恥じて発心し、生き方を考えた年でもある。その経験と本を編む仕事は、切り離しにくい。怪異を記すこと自体が功徳になるという願いは、最後の一文まで続いている。
蛇の娘を救った薬が、後の本では主役になる 解説
霊異記の話は、その本の中だけにとどまらなかった。『三宝絵』や『日本往生極楽記』、『法華験記』などを経て、後の説話集へ素材が運ばれる。やがて『今昔物語集』にも、多くの話が入った。語り継がれるうちに、目を向ける場所も変わっていく。
今昔の巻二十四第九話「蛇に嫁ぐ女を医師治する語」には、河内の馬甘の里、桑の木、大蛇、薬という霊異記の筋が移っている。郡の名は、讃良。霊異記で更荒と書かれていた土地の名にも、二つの本の違いが現れた。
二度目の蛇に娘が死ぬくだりを、前世の因縁だと考えて治療しなかったためだと説明する今昔は、結びで医術と薬へ目を向ける。娘を救えるかどうかの話。輪廻する魂に注がれていた目が、娘を助けた医者と、その手当てへ移っている。
一九九六年の比較研究は、霊異記では因果の理が強く、今昔では医術の徳が前へ出る違いに注目した。何を不思議と感じたかが、同じ話でも違った。再話は筋を運ぶだけでなく、どこに驚くかを選び直している。
今昔の巻十二では、四十話のうち十五話を霊異記に典拠があると数えた出典一覧もあるが、これは一覧の区分で数えた値だ。継承された説話全体の総数ではない。巻二十四の蛇のように、ほかの巻にも運ばれた話があり、一巻の中だけで継承は終わらなかった。
『法華験記』を扱った一九八三年の研究は、また別の変化を読んでいる。現世の報いを身近に語る霊異記に対し、法華験記には地獄へ堕ちる深い恐怖があるという。罪の意識が重くなる、という整理だ。仏教説話だから同じ調子、というわけではない。
三巻の物語は、一つの写本には揃わない 解説
景戒自身が書いた原本は残らず、後の人が書き写した伝本の本文をたどって、いまの読み手は三巻の物語へ届く。主な伝本は五つ。興福寺本、真福寺本、前田家本、三昧院本、来迎院本が、それぞれ異なる部分を伝えている。
どれか一つで、上中下がきれいに揃うわけではない。三昧院本は原本の所在が分からず、写しや校合の書き入れが手がかりになっている。上巻の最古本は興福寺本だ。中下巻の欠けたところは、来迎院本や真福寺本などを突き合わせて考える。
平安時代に写され京都へ伝わった来迎院本は、中巻と下巻の序をほぼ完全に残し、以前の本で欠けていた部分を補った。国宝指定は、一九七七年。話を読むだけでなく、景戒が何を書こうとしたかを考えるときにも大切な本となる。
名古屋の大須では、宝生院が真福寺本を伝えている。鎌倉時代の写本で、中巻四十二話と下巻三十九話が収められた。上巻はなく、中下巻も冒頭を欠いて序の途中から始まる。前田家本は下巻だけで、いずれも重要文化財だ。
享和三年、一八〇三年に屋代弘賢が影写した、真福寺本の忠実な模本。そこへ狩谷掖斎の考証や、ほかの系統の本文と異なる字句が書き加えられた。国学院大学の不忍文庫本は、写して終えるだけではない読み合わせの仕事を伝えている。
一冊を写しても、別の本を借りて字句の違いを比べ、考証を加える往復が続き、『校本日本霊異記』の成立につながった。別の本の余白に残された、失われた本の姿。いまは手に取れない本文の違いを、書き込みからたどることもできる。
一七一四年の仮名本は百十六話から七十話を選び、配列も変えて、別の読み手へ話を届けた。漢文を漢字仮名交じりへ抄出した本だ。明治十四年にも再版され、後の時代へ流れていった。
国文学研究資料館が示す一冊も原本ではなく、寛政十年、一七九八年に写された本だ。書き写す人が変わり、読む文字も変わった。景戒の知らなかった読み手が、そのたびに雷や鬼の話と出会ってきた。
塵の中の巻物は、裏側にも因果を抱えていた 解説
最も古い興福寺本は、縦二九・六センチ、長さ約八七〇センチの上巻で、大正十一年、一九二二年に東金堂の塵の中から見つかったという。三巻のうち、一巻だけの巻物。昭和二十八年、一九五三年に国宝となった。
巻末の「延喜四年五月十九日書写」を西暦九〇四年の写本と紹介する案内も、元本の書写年次と説明する解説もある。同じ年紀でも、指すものに違いがある。最古の伝本だということと、いまの紙へその年に書いたかという問題は、分けておきたい。
かつて本文を見ようとする人が頼ったのは、昭和九年、一九三四年に便利堂がコロタイプ印刷で刊行した影印版だった。その本さえ、手に入りにくかったという。いまは興福寺と奈良女子大学による画像公開で、巻物の表裏をたどれる。
裏の『衆経要集金蔵論』巻六は、中国の六世紀前半に釈道紀が仏典の説話を集めた本で、日本の怪異とは元の舞台が違う。善い因が善い果を生む教えを、物語で説く点は重なる。紙の使われた順序は、逆らしい。先に書いた金蔵論の裏へ霊異記を書写したと見られ、第十九話には裏の書き込みが混じった痕跡もあって、二冊が同じ紙の上で重なっている。あとで巻き返され、霊異記が表となった。
二つの本は題の付け方まで似ていて、どちらも「縁」で終わり、出来事を因果のつながりとして語っている。奈良女子大学の解説も、この表裏を単なる偶然とは考えにくいとする。他国の伝録に学んだ本が、その仲間と同じ紙の上を生き延びた。
かなり傷んだ巻頭から読み進めると、第三十話には、貼り紙で直した上へ文字を書き足した跡も残っている。破れを補って、先を読み継ぐ人の手。巻物はただ眠っていただけでなく、直されながら雷や鬼の物語を伝えてきた。
聞くにまかせて口伝を選んだ景戒は、この仕事の功徳を迷う人々へ施し、ともに西方の極楽へ生まれたいと願って、三巻を後の世へ伝えようとした。千年以上先に、狐の夫の言葉や花嫁の叫びを読む人の顔までは知らない。いま巻頭へ戻れば、栖軽が雷を連れに出ていくところだ。
