カナダ東海岸に、二百三十年間ずっと人間を破産させ続けている穴がある。ノヴァスコシア州マホーン湾に浮かぶオーク島、そこにある「マネーピット」だ。名前の意味は「金を食う穴」。財宝が出る穴という意味じゃない。掘る側の金が消えていく穴、という皮肉で付いた名前が、そのまま二世紀以上定着してしまった。
そしてこの穴、掘るとほぼ確実に海水が噴き出す。深さ三十メートルくらいまで下りると、どこからともなく塩辛い水が湧いてきて、一晩で穴が水没する。ポンプで抜いても抜いても追いつかない。十九世紀の会社は次々倒産し、二十世紀には人が死に、二十一世紀にはテレビ番組になった。それでも誰も掘るのをやめない。今この瞬間も掘っている。
一七九五年の夏、十代の少年が見つけたのは、ただの地面のへこみだった
話は一七九五年にさかのぼる。ノヴァスコシアの本土からほんの数百メートル、マホーン湾に散らばる三百以上の小島のひとつがオーク島だ。面積にして五十七ヘクタールほど、歩いて一周できる大きさで、当時は入植が始まったばかりの半分野生の島だった。
そこに上陸したのがダニエル・マギニスという少年である。名前の綴りは資料によってマギニス、マッキニス、マクギニスと揺れる。年齢も十六歳だったとか十八歳だったとか諸説あるが、要するに農地に使えそうな土地を探していた若者だった。彼は島の東端、樫の木がまばらに生える一角で、地面が円形にへこんでいるのを見つけた。直径四メートルほど、すり鉢状に沈んだくぼみ。周囲の木は明らかに切り開かれた跡があった。
ここから先が、伝説の骨組みになる。後年の語りでは、くぼみの真上に張り出した樫の枝が水平に切り落とされていて、そこに船の滑車が吊るされていた、ということになっている。滑車。つまり重い物を上げ下げする道具だ。マギニスは即座に「海賊が宝を埋めた跡だ」と思った。当時のノヴァスコシア沿岸では、キャプテン・キッドが財宝を埋めたという噂が日常会話レベルで流通していたからだ。
ただし正直に言っておくと、この滑車の枝の話は初期の記録には出てこない。時代が下るにつれて盛られていった装飾の可能性が高い。最初期の証言に確実に含まれているのは「不自然な円形のくぼみがあった」というところまでだ。それでも、この一点だけで人生を賭けた人間が二百年分いる。
マギニスは友人二人を呼んだ。ジョン・スミスとアンソニー・ヴォーン。三人はスコップを持って戻り、くぼみを掘り始めた。地表から六十センチほどで、平たい敷石の層に当たった。この敷石、島では採れない種類の石で、数キロ離れた本土の海岸から運ばれたものだったという。人の手が入っている。三人は色めき立った。
十フィートごとに丸太。掘るほど正気を疑う穴
掘り進めると、粘土質の坑壁にツルハシの跡が残っていた。誰かが掘って、埋め戻した穴だ。そして十フィート、およそ三メートル下がったところで、樫の丸太を並べた床が出てきた。丸太は坑壁にがっちり食い込んでいて、明らかに施工されたものだった。
三人は丸太をこじ開けて、さらに掘る。次の十フィートで、また丸太の層。さらに十フィートで、また丸太。三十フィートまで下りたところで、三人は掘るのをやめた。理由は資料によって「道具も人手も足りなくなった」だったり「不気味さに耐えかねた」だったりする。英語の記録には「迷信じみた恐怖」という言い回しが残っている。夜中に穴の底から音がしたとか、そういう話も後に付いてくる。
とにかく、この「十フィートごとに丸太の層」というのが、オーク島伝説の心臓部だ。単なる自然の陥没なら、こんな規則正しい構造が出てくるはずがない。誰かが、途方もない労力をかけて、深い縦坑を掘り、丁寧に段階を刻みながら埋め戻した。何のために。決まっている、何かを隠すためだ。二百三十年間、世界中の人間がこの推論に取り憑かれてきた。
三人は島の土地を買った。特にジョン・スミスは実際に島に移り住み、家を建てて農場をやりながら、穴のことを忘れなかった。忘れられるわけがない。自分の農地の真ん中に、底の知れない人工の縦坑が口を開けているのだ。
そもそもこの話、いつ誰が言い出したのか
ここで一度、興奮を冷ましておきたい。というのも、オーク島の話には気味の悪い空白があるからだ。
一七九五年に発見された、と誰もが言う。だが、一七九五年前後の同時代文書には、この発見を記録したものが一枚も見つかっていない。日記も、書簡も、教区記録も、地元紙の三行記事すらない。半世紀以上、完全な沈黙が続く。
活字として確認できる最古のオーク島言及は、一八五七年、ノヴァスコシアの地方紙リヴァプール・トランスクリプトの記事だ。ただしこれも「キッドの宝を探して掘っていた連中がいて、掘り跡が残っている」程度の短い触れ方でしかない。
物語の輪郭がはっきりするのは一八六一年から六三年にかけてだ。一八六一年に「オーク島の愚行」と題した記事が出て、一八六二年十月十六日付のリヴァプール・トランスクリプト紙に、発見者の一人アンソニー・ヴォーン本人の回想が載る。これが、事の次第を語った最初のまとまった活字記録とされている。
翌一八六三年にはヤーマス・ヘラルド紙が「オーク島 ―― そこに宝があると期待すべき理由」という、もう投資勧誘みたいなタイトルの記事を掲載した。
つまり、記録が現れるのは事件から六十七年後である。しかもその中身は、当時まだ生きていた老人たちの記憶と、その孫世代の伝聞だ。批判的検証をやっている研究者たちが口を揃えて指摘するのはここで、「一七九五年から一八六〇年ごろまでの資料の欠落は、控えめに言っても厄介だ」という言い方をしている。厄介どころではない。物語の全部が、事後六十年の口述に乗っかっている。
さらに悪いことに、記事が集中して出てくる一八六一年から六三年は、ちょうどオーク島協会という掘削会社が株式を売り出していた時期と重なる。宝の話が新聞に載るとどうなるか。株が売れる。この構図は最後まで変わらない。オーク島の歴史は、掘削の歴史であると同時に、資金調達の歴史でもある。
とはいえ、だからといって全部が嘘だと決めつけるのも早い。島には確かに人工物が埋まっている。それは後で見ていく。
「四十フィート下に二百万ポンド」と読めた石板は、どこへ消えたのか
一八〇三年ごろ、シメオン・リンズという裕福な投資家が、この話を聞きつけてオンズロー・カンパニーという掘削隊を組織する。マギニスたち三人も参加した。本格的な資金と人手が入り、穴は一気に深くなった。十フィートごとの丸太の層はその後も規則正しく続き、途中には木炭の層、パテのような粘土の層、そして椰子の繊維の層が挟まっていた。
椰子の繊維。これがまた厄介な代物だ。椰子はノヴァスコシアには生えない。一番近い産地でも数千キロ南のカリブ海である。船の緩衝材や縄の材料として運び込まれた可能性が高いが、なぜそれが地下三十メートルに層をなして敷き詰められているのか。
そして九十フィート、およそ二十七メートルの地点で、平たい石板が出てきたという。長さ六十センチほど、厚さ三十センチほど、表面に見たこともない記号が刻まれていた。地元では見かけない、オリーブがかった暗色の石だったとも伝わる。
この石板が、オーク島伝説を一気に「解読可能なミステリー」に押し上げた。掘削隊は当然、暗号だと考えた。石はジョン・スミスの家に運ばれ、暖炉の炉石として使われていたという、なんとも生活感のある扱いを受ける。
「四十フィート下に二百万ポンドが埋まっている」という有名な解読文が世に出るのは、実はずっと後だ。一八九三年の株式募集の目論見書では「十フィート下に二百万ポンドが埋まっている」という文言で登場している。四十フィート版が定着するのは一九四九年、A・T・ケンプトン牧師という人物が、探検作家エドワード・ロウ・スノウに送った手紙が発端だとされる。
ケンプトンは記号の対応表をどこで手に入れたのかと問われて、「もう亡くなった学校教師から聞いた」とだけ答えた。出典として、これほど心もとないものもない。
しかも記号の対応表というのが、単純な置換暗号なのだ。三角形がA、点がB、といった具合の一対一対応。十八世紀に大掛かりな地下工事をやってのけた連中が、宝の在処を記した石板に、小学生でも解ける暗号を彫って現場に置いていく。理屈が通らない。
石板そのものの行方も怪しい。十九世紀後半、石はハリファックスのA・O・クレイトンという製本業者の店に持ち込まれ、ショーウィンドウに飾られた。目的は株の宣伝である。この頃には表面の記号はほとんど摩耗して読めなくなっていたと言われ、一九一一年に現物を検分したヘンリー・L・ボードイン船長は「記号など一つも無い」と断言した。
ボードインは、石が硬い玄武岩質であることを指摘して、本当に彫られていたのなら数十年で消えるはずがない、とも書いている。
石は一九一九年前後に行方不明になり、以後誰も見ていない。オーク島最大の物証は、写真も拓本もスケッチも残さずに消えた。
掘るたびに海水が噴き出す。負けるようにできている穴
オンズロー・カンパニーの結末はあっけない。九十フィートを超えたあたりで作業を終えて引き上げた翌朝、穴に戻ってみると、坑内が海水で満たされていた。水位は地表から約十メートルの高さ、つまり六十フィート分の水が溜まっていた。バケツで汲み出しても水位は一ミリも下がらない。隣に別の縦坑を掘って横穴で水を抜こうとしたら、そちらも即座に水没した。
この「掘り抜くと海水が噴き出す」現象が、マネーピットの最大の特徴であり、最大の呪いだ。潮の干満に合わせて坑内の水位が上下することも確認されている。要するに、穴の底は海と繋がっている。
一八四九年、今度はトゥルーロ・カンパニーが挑む。八十六フィートまで掘り返したところでまた水没。そこで彼らは掘るのをやめて、ポッドオーガーという手動の螺旋錐で、穴の底からさらに下へ試掘を始めた。ここで出た手応えが、その後の全てを狂わせる。
九十八フィートで、まず松材の板を貫いた。その下に三十センチほどの空間。そして錐の刃が「バラバラの金属片」の層を貫き、また木材、また金属片、また木材、そして粘土。錐を引き上げると、刃先に三つの金の鎖の輪が絡んでいた、という報告が残っている。肩章から千切れたもののように見えた、と。
金属片の層が二つ、木の箱に挟まれて重なっている。掘削隊の解釈はこうだ。地下三十メートルに、二段重ねの宝箱がある。中身は硬貨だ。錐が硬貨の山を掻き回した感触だった。
この一報がノヴァスコシア中を駆け巡った。以後、マネーピットは「たぶん何かある」ではなく「確実に二つの宝箱がある」場所になった。ちなみに、その金の鎖の輪は現存しない。誰も現物を見た記録がない。
スミス入江の砂浜が、実は人工の巨大フィルターだった
一八五〇年、トゥルーロ・カンパニーの誰かが、島の東端にあるスミス入江の砂浜で妙なことに気づく。干潮時、砂浜の広い範囲から水がしみ出してくるのだ。まるでスポンジを絞るように。
掘ってみた。すると、砂浜の下から石を組んだ排水溝が五本、扇状に広がって出てきた。溝には椰子の繊維とアマモが詰められ、水を通しながら砂の目詰まりを防ぐフィルターの役割を果たしていた。溝は一点に収束していて、そこから内陸へ向かう暗渠が伸びている。方向はマネーピットだ。
これが「フラッドトンネル」、洪水トンネル説の誕生である。宝を埋めた誰かは、単に深い穴を掘っただけではなかった。海と穴を結ぶ導水路をあらかじめ敷設し、一定の深さまで掘り抜くと海水が流れ込んで坑を水没させる罠を仕込んでいた。しかも入り口は人工の砂浜に偽装され、繊維フィルターで詰まらないようになっている。
もし本当なら、これは十八世紀以前の土木技術としては異常な水準の工事だ。数十人がかりで数か月、下手をすれば年単位の作業になる。海賊が一晩でやれる仕事ではない。
トゥルーロ隊はダムを築いて入江を締め切ろうとしたが、嵐で決壊した。彼らは百九フィートまで別の縦坑を掘り、そこから横に抜こうとして、大量の水と泥に押し戻された。一八五一年、資金が尽きて解散。この後、まったく同じ失敗が百七十年間くり返される。
破産の連鎖――十九世紀の掘削隊はどう散っていったか
一八六一年、オーク島協会が結成される。マネーピットを八十八フィートまで掘り返し、周囲に補助坑を二本掘り、蒸気ポンプを持ち込んだ。この時代の技術で考えれば相当な設備投資だ。
そしてこの年の秋、最初の死者が出る。排水用のポンプエンジンのボイラーが破裂し、作業員一人が死亡した。名前は記録に残っていない。オーク島の死者六人のうち、最初の一人は無名のまま数えられている。
さらに悲惨だったのは、九十八フィートにあるとされた「宝箱の載った床」が崩落したことだ。周囲を掘り回した結果、地盤が保たなくなり、坑底の構造物が百十九フィートまで落下したと記録されている。つまり、あるとすれば宝は、より深く、より泥まみれの場所へ沈んだ。以後の掘削隊が扱うのは「原状」ではなく「先人が壊した後の瓦礫」になる。
この点は本当に効いてくる話で、オーク島の地下は今や、二百年分の掘削隊が突っ込んだ木材、鉄材、コンクリート、ケーシングが混然一体となった人工地層になっている。何が出土しても「十八世紀の遺物」なのか「一八六〇年代の掘削隊の落とし物」なのか区別がつかない。
一八六四年、オーク島協会は資金枯渇で撤退。一八六六年にはハリファックス・カンパニー、別名オーク島エルドラド・カンパニーが引き継ぎ、洪水トンネルの封鎖を試みる。出てきたのは木片、また椰子の繊維、柔らかい粘土、青い泥。一八六七年に撤退。
一八九三年、フレデリック・ブレアという保険業者がオーク島トレジャー・カンパニーを立ち上げる。ブレアはこの島に人生の残り全部を注ぎ込むことになる男で、以後半世紀近く、掘削権を握り続けた。彼の時代に、あの奇妙な羊皮紙が出る。
一八九七年、羊皮紙の切れ端と、落ちて死んだ男
ブレアの隊は蒸気ポンプと回転式ドリルを投入し、百五十三フィート付近から不可解なものを引き上げた。人工のセメント状の層を貫いた後、ドリルの刃に付着していた、爪ほどの大きさの羊皮紙の断片。そこにはインディアンインクで二文字だけ書かれていた。読み方によって「vi」とも「wi」とも見える。
たった二文字。だがこれは決定的な意味を持った。地下に文書がある。硬貨だけではない、書かれた物が埋まっている。ここから、シェイクスピア写本説だの秘密文書説だのが一気に現実味を帯びていく。羊皮紙断片は現存し、後年の分析でも本物の羊皮紙であることが確認されている、というのが推進派の主張だ。懐疑派は、掘削現場に紛れ込む余地はいくらでもあったと反論する。
そして同じ一八九七年、三月二十六日。メイナード・カイザーという作業員が坑内で死んだ。バケツを引き上げる索が滑車から外れ、彼は坑底へ落下した。オーク島二人目の死者である。
この事故の後、地元の作業員たちの間で、島に対する態度が明確に変わったと言われる。金を出す人間は本土やアメリカから来る。だが実際に穴に下りるのは、チェスター周辺の漁師や農夫の息子たちだ。彼らにとってマネーピットは、ロマンではなく単に危ない現場だった。
一八九八年、ブレアの隊は洪水トンネルの経路を突き止めようと、坑内に赤い染料を流し込む実験を行う。染料は島の周囲三か所から海に流れ出た。導水路は一本ではなく複数ある、という結論になった。工事の規模はさらに膨れ上がった。
若き日のルーズベルトが、この穴に金を出していた
一九〇九年、オールド・ゴールド・サルベージ・アンド・レッキング・カンパニーという会社がマネーピットに乗り込む。技術責任者はヘンリー・L・ボードイン船長。そしてこの会社の株主名簿に、二十七歳の弁護士フランクリン・デラノ・ルーズベルトの名前がある。後のアメリカ合衆国第三十二代大統領だ。
ルーズベルトは本気だった。夏に実際に島へ渡り、泥まみれで作業を見物している。彼の祖父ウォーレン・デラノ二世が海運業でこの手の話に触れていたことも影響したと言われる。そして驚くべきことに、彼はホワイトハウス入りしてからもオーク島に興味を持ち続けた。一九三〇年代、掘削者ギルバート・ヘデンとの間で書簡のやり取りがあり、大統領は進捗を尋ねている。海軍時代の伝手で軍艦を寄越そうかと冗談めかした話まで伝わる。
同じ時代、俳優のエロール・フリンが出資を検討し、ジョン・ウェインが自分の掘削機材を貸そうと申し出て、タイタニック遺族としても知られる富豪ヴィンセント・アスターが受動的な出資者として名を連ねた。オーク島は、二十世紀前半のアメリカの富裕層と有名人にとって、一種の社交的な道楽になっていた。
ところがボードイン自身は、島から手を引いた後で完全な懐疑派に転向する。二十八本のボーリングを打って何も出なかった彼は、一九一一年八月十九日発行のコリアーズ誌に「オーク島の謎を解く」という記事を書き、こう断言した。オーク島に埋蔵金は存在しないし、かつて存在したこともない、と。石板の記号も見当たらない、丸太の層の証言も伝聞ばかりだ、と現地の主張を一つずつ潰していった。
ボードインの記事は、当時のオーク島業界では極めて評判が悪かった。彼が追加投資を集められず、ブレアとの契約更新も断られた腹いせに書いたのだ、という見方が今も根強い。ただ、彼の指摘した論点は百年以上経った今もそのまま有効である。
斧とアンカーと、コーンウォールのツルハシ
一九三一年、ウィリアム・チャペルという実業家が、マネーピット周辺に幅十二フィート、奥行き十四フィート、深さ百六十三フィートという大規模な縦坑を掘る。百二十七フィート付近で出てきたのは、斧一本、アンカーの爪一本、そしてツルハシ一本だった。
ツルハシは専門家に鑑定され、コーンウォール地方の鉱夫が使う型と判明した。イングランド南西部の錫鉱山の道具である。これは大発見に見えた。だが同時に絶望的でもあった。というのも、コーンウォール系の鉱夫は十九世紀の掘削隊にも普通に雇われていたからだ。誰の落とし物か、地層が撹乱されきった場所では永遠に決まらない。
一九三五年からはニュージャージー州の実業家ギルバート・ヘデンが島の南東部を買い取り、六回にわたる調査を行う。ヘデンは作家ハロルド・T・ウィルキンスの本に載っていたキッド船長の地図と島の地形が似ていると考え、島じゅうを測量した。石を三角形に並べた遺構や、穴を穿たれた岩をいくつも見つけている。彼は一九三九年に渡英した際、ジョージ六世に直接この話をしたとされる。国王が興味を示したかどうかは分からない。
一九三八年から四三年にはアーウィン・ハミルトンが引き継ぎ、掘れば掘るほど、島は先人の残した廃材で埋まっていった。
一九六五年八月十七日、二十七フィートの底で四人が死んだ
オーク島の歴史で最も暗い一日の話をする。娯楽として消費するには重すぎる出来事なので、事実関係を丁寧に書く。
ロバート・レストールは、カナダ生まれの元スタントライダーだった。妻ミルドレッドと共に「死のオートバイ球」というサーカス芸で欧州を巡業していた男である。一九五九年十月、彼は家族を連れてオーク島に渡り、掘削権を得て住み込みを始めた。粗末な小屋で、電気も水道もない生活。妻と、長男ボビー、それに幼い次男。ミルドレッドは後に、島に足を踏み入れた瞬間から一度も宝の存在を信じたことはない、と語っている。
それでも六年間、夫に付き合った。
レストールは慎重な男だった。派手な重機で島を掘り返すのではなく、スミス入江の海岸線で洪水トンネルの入り口を一つずつ潰していく地道な作業を選んだ。手作業で坑を掘り、記録を取り、地図を作った。六年で島の水系についての知識は誰よりも豊かになっていた。
一九六五年八月十七日は暑い日だった。ロバートは午後三時半、ハリファックスへ用事で出かけると妻に告げていた。その前に、スミス入江近くの深さ二十七フィートの角型の縦坑を点検しに行った。底には黒い水が一メートル前後溜まっていた。
彼は縁に立ち、そして、声も上げずに落ちた。目撃していた長男ボビーが梯子を駆け下り、途中で意識を失って落下した。近くにいた出資者のニューヨーク在住カール・グレイザーが続き、同じく倒れた。若い作業員シリル・ヒルツが下り、倒れた。
さらにアンドリュー・デモントが下り、意識を失いかけたところで、たまたま島を訪れていたバッファロー消防局の隊員エドワード・J・ホワイト・ジュニアが息を止めて梯子を降り、デモントを掴んで引き上げた。レナード・カイザーも辛うじて助かった。
ホワイトは後に、坑内から緑がかった重い蒸気が霧のように立ちのぼっていたと証言している。強烈な悪臭があった、とも。ガスの正体は今も特定されていない。硫化水素だったという説が最も広く語られるが、ポンプエンジンの排気による一酸化炭素、メタン、二酸化炭素の可能性も検討された。無風で気温が高い日に、狭い縦坑の底に重いガスが溜まる。理屈としてはありふれた事故だ。
遺体の引き上げは、ガスマスクを着けたジム・カイザーが行った。四人は溺死していた。ロバート・レストール、その息子ボビー、カール・グレイザー、シリル・ヒルツ。一日で四人。これでオーク島の死者は六人になった。
ロバートの娘リー・ラムは、後に父と兄の日記や手紙を編んで一冊の本にまとめた。そこに描かれているのは、財宝ハンターの武勇伝ではなく、極貧の中で家族が支え合いながら、それでも穴から離れられなかった六年間の記録だ。ミルドレッドが事故翌日に記者へ漏らしたという一言が一番刺さる。財宝なんて一度も信じていなかった。
島を削り取った男と、島に四十年住み着いた男
レストールの死からわずか数週間で、次の男が島に来た。カリフォルニアの石油技師ロバート・ダンフィールドである。彼のやり方は、それまでの誰とも違った。
ダンフィールドは七十トンのクレーンにクラムシェルバケットを付け、マネーピット一帯を根こそぎ掘った。深さ百三十四フィート、直径百フィートの巨大な擂鉢を地面に穿ったのだ。重機を運び込むために、島の西端と本土のクランドールズ・ポイントを結ぶ二百メートルの土手道まで築いた。この土手道は今もある。オーク島が「島」でなくなった瞬間だった。
結果は何も出なかった。そして代償が大きすぎた。レストールが六年かけて記録した遺構と地形は、クラムシェルバケットの一撃で消えた。マネーピットの正確な位置すら、この時に分からなくなったと言われている。現代の探索隊が「本物のマネーピットはどこだったのか」を延々と議論しているのは、ダンフィールドのせいだ。彼のリースは一九六六年八月に切れた。
入れ替わりに現れたのがダン・ブランケンシップ。フロリダの建設業者で、一九六五年一月号のリーダーズ・ダイジェストに載ったオーク島の記事を読んで人生の進路を変えた男だ。彼はモントリオールの実業家デイヴィッド・トビアスと組み、一九六七年にトライトン・アライアンスを設立して島の大半を買収した。
トライトンの代表的な仕事が、一九七一年のボアホール10-X である。鋼鉄ケーシングを打ち込みながら、水面下二百三十五フィートの岩盤まで到達させた縦孔だ。ここに水中カメラを下ろしたブランケンシップは、モニターに宝箱らしき物体、木の枠組み、道具類、そして人間の手を見たと主張した。映像は極端に不鮮明で、第三者が同じものを見て納得したという記録はない。ダイバーも潜ったが視界ゼロ。
坑は崩落し、掘り直して百八十一フィートまで戻したところで資金と提携関係の両方が崩れた。二〇一六年に改めてダイバーが潜ったが、何も見つからなかった。
ブランケンシップは島に家を建て、そのまま死ぬまで住んだ。二〇一九年三月、九十五歳で亡くなるまで、半世紀以上をこの穴に費やした。
もう一人、フレッド・ノーランという測量士がいる。彼は一九六三年に島の内陸部の土地を買い、トライトンと激しく対立した。互いに道を塞ぎ、訴訟合戦になり、何十年も口をきかなかった。ノーランは測量士の技能を活かして島の巨石を測り、五つの巨石が長さ八百六十七フィートの巨大な十字架の形に配置されていると主張した。これが「ノーランの十字」である。彼は二〇一六年に亡くなった。
「七人が死ぬまで宝は見つからない」という予言の出どころ
オーク島にはひとつの呪いが付いて回る。宝が見つかる前に、七人の男が死ぬ、というものだ。
この予言、出どころが実にはっきりしない。百年以上前から言われている、という説明が繰り返されるばかりで、初出の文献が特定できない。個人的な見立てを言うと、これは死者が増えるたびに後付けで整形されてきた民間伝承だと思う。一八六一年に一人、一八九七年に一人。この時点では「二人死んだ島」でしかない。ところが一九六五年に一気に四人が死んで六人になった瞬間、「あと一人」という強烈に据わりの悪い数字が生まれた。
物語としては完璧すぎる。
そして「あと一人」という状態は、恐ろしく人間を焚きつける。予言を信じるなら、七人目が死ねば宝は出る。信じないなら、そもそも呪いは関係ない。どちらに転んでも掘る理由になる。よくできた呪いだ。
テレビ番組の視聴者の間では、二〇一四年頃に亡くなった番組関係者を七人目に数えるべきかどうか、という議論が延々と続いている。当人や遺族に対して失礼な数え方だと思うが、ネット上ではこの種の勘定が止まらない。ちなみに現地では、この呪いを本気で信じている人はほとんどいない。ただ、地元の年配者に聞くと「あの穴には近づくな、と親に言われて育った」という証言はいくらでも出てくる。
理由は超自然ではなく、単純に危ないからだ。
キッド船長説――一番古くて、一番弱い
ここからは、地下に何が埋まっているかを巡る諸説を一つずつ見ていく。
最初に生まれ、今も一般には最も知られているのがキャプテン・キッド説だ。ウィリアム・キッドは十七世紀末に活動したスコットランド出身の船乗りで、一七〇一年にロンドンで処刑された。処刑前に莫大な財宝を大西洋のどこかに隠したという噂が北米東海岸中に広まり、十八世紀から十九世紀にかけて、東海岸の島という島が掘り返された。
マギニス少年が「海賊の宝だ」と即断したのは、彼が特別な直感の持ち主だったからではなく、当時それが最もありふれた発想だったからだ。
問題は、キッドがノヴァスコシアに立ち寄った記録が皆無なことである。彼の航路は主にインド洋とカリブ海で、ニューヨーク近郊のガーディナーズ島に隠した財産は実際に押収されている。そもそもキッドは私掠船長であって、生涯にわたる海賊としての稼ぎは伝説ほど大きくない。そして決定的なのは、海賊の行動原理と工事規模が合わないことだ。海賊は逃げる商売である。
数十人が数か月かけて三十メートルの縦坑と海底導水路を建設し、その全員に秘密を守らせるなど、根本的に不可能だ。
キッド説の派生として黒髭ことエドワード・ティーチ説もあるが、事情は同じである。
テンプル騎士団説――聖杯とアークが眠っているという話
現代のオーク島論壇で最も人気があるのがこれだ。一三〇七年、フランス王フィリップ四世によってテンプル騎士団が壊滅させられたとき、一部の騎士が財宝と聖遺物を持って逃げ、スコットランドを経由して大西洋を渡り、コロンブスより百年以上早く北米に到達した。彼らが持ち込んだのは聖杯、あるいは契約の箱、あるいはエルサレム神殿から持ち出した文書群である。それをオーク島の地下に隠した――という筋書きだ。
この説を推す材料はいくつかある。スミス入江から見つかった鉛の十字架は、フランス南西部ドンムの牢獄に幽閉されたテンプル騎士たちが壁に刻んだ図像と酷似している、というのが番組で強調された論点だ。鉛の産地分析はフランス南部を示し、その形式の製造は一三〇〇年頃に途絶えるとも報じられた。ノーランの十字を「騎士団の紋章だ」と読む研究者もいる。
ゼナ・ハルパーンという研究者が持ち込んだ「ラ・フォルミュル」なる古文書には、オーク島らしき島の地図が描かれているとされた。
反論も山ほどある。まず物証の来歴が弱い。鉛の十字架は攪乱された表土から金属探知機で出たもので、考古学的な層位を伴わない。ハルパーンの文書は原本の出所が不明で、専門家の検証を経ていない。そして最大の穴は時間だ。仮に一三〇〇年代に大工事が行われたなら、その痕跡は四百年以上の風雨と森林の再生を経ることになる。一七九五年に少年が地表のくぼみを見つけられるほど、目立った状態で残っているだろうか。
ここは騎士団説の常に痛いところだ。
ベーコン写本説――シェイクスピアの正体がここにあるという主張
一八九七年の羊皮紙断片が生んだ、最も文学的な説がこれである。フランシス・ベーコンこそがシェイクスピア戯曲の真の作者であり、その証拠となる原稿群がオーク島に隠されている、という筋書きだ。
一九五三年、ペン・リアリーという著述家が『オーク島の謎』でこの説を展開した。後にマーク・フィナンが増補している。ベーコンは薔薇十字団と結びつけられることが多く、そこから「地下の貯蔵庫は薔薇十字の秘儀の場だ」という発想も派生した。オーク島の地下に文書を保存するなら水銀を封入した容器を使うだろう、ベーコンは実際に水銀を使った文書保存法について書き残している、というのが推進派の切り札である。
ロマンとしては最高だが、成立には無理がある。ベーコンは一六二六年に死んだ。当時のイングランドから北米の無人島まで原稿を運び、大工事を行い、その事実を完全に秘匿する。動機がまるで見えない。原稿を隠したいなら、イングランド国内にいくらでも安全な場所がある。それに、羊皮紙断片に書かれていたのはインクの二文字だけだ。そこから戯曲全集にまで飛躍するのは、いくらなんでも遠い。
マリー・アントワネットの宝石説――誰も止められないロマン
もう一つ、女性人気の高い説がある。一七八九年十月五日、ヴェルサイユに民衆が押し寄せた夜、王妃マリー・アントワネットは侍女に宝石類を託して逃がした。侍女はロンドンを経由し、フランス海軍の艦に乗ってノヴァスコシアへ渡り、宝石はオーク島に隠された――という話だ。
魅力的なのは、時期が合うことである。一七八九年から一七九五年までは六年しかない。地表のくぼみがまだ生々しく残っているのも自然だし、フランス海軍の工兵ならば水利工事の技術もある。ルイブールやケベックを失った直後のフランス勢力がノヴァスコシア近海に残存していたことも事実だ。
だが史料は一行もない。侍女の名前も、船名も、航海記録も、目撃証言も存在しない。この話は二十世紀に入ってから語られ始めたもので、初期のオーク島文献には出てこない。フランス王室の財宝説をもう少し現実寄りに解釈するなら、一七五八年に陥落したルイブール要塞の軍資金や、七年戦争でイギリスが一七六二年にハバナから奪った戦利品が隠された、という筋になる。こちらは金額規模も時期も筋が通るのだが、やはり文書がない。
先住民説、入植者説、そしてタール窯説
もっと地味な説も紹介しておきたい。地味な説ほど、たいてい正しい。
まず先住民説。オーク島とその周辺はミクマク族の伝統的な領域である。実際、二〇二一年に島でミクマク族の土器片が出土して、州の文化遺産局とアカディア・ファーストネーション評議会が調査中の一時停止を命じる事態になった。マホーン湾一帯には数千年にわたる先住民の生活痕がある。ただし、先住民が三十メートルの縦坑を掘って財宝を隠したという説は成立しにくい。
むしろ効いてくるのは、「無人の秘密の島」という前提そのものが植民地目線の幻想だ、という指摘のほうだ。島は誰にとっても未知の場所ではなかった。
次に入植者説。一七九五年のオーク島は原生林ではない。マホーン湾一帯にはドイツ系プロテスタントの入植が一七五〇年代から進んでおり、島にも人が渡っていた形跡がある。誰かが井戸を掘りかけて放棄した、あるいは倉庫用の貯蔵穴を掘って埋め戻した。それが数十年後に「謎のくぼみ」として発見された。丸太の層は、坑壁の崩落を防ぐための単純な土留めだったのかもしれない。
そして最も現実的で最もつまらないのが、タール窯説だ。ジョイ・スティールという研究者が主張しているもので、十八世紀のオーク島はイギリス海軍の軍需物資、いわゆるネイヴァル・ストアーズの生産地だった、という論である。当時の帆船は大量の松ヤニとタールを必要とした。タールを採るには、松材を積み上げて土をかぶせ、地面に掘った窯でじっくり蒸し焼きにする。
窯の底には木炭が残り、周囲には粘土とパテ状の物質が残り、作業には縄と繊維が使われる。マネーピットで出土したとされる木炭、パテ、繊維の層と、気味が悪いほど一致する。スミス入江の石組み排水溝も、塩を作る施設の遺構だという説が別にある。
「ただの陥没穴だ」という、一番冷たい答え
物証の観点から最も強い説はこれだ。マネーピットは自然の陥没穴、シンクホールである。
オーク島の地下地質は、氷河が運んだ堆積物の下に石膏と硬石膏、そして石灰岩が横たわっている。これらは水に溶ける岩だ。地下水が長い時間をかけて岩を溶かし、空洞を作る。空洞の天井が薄くなると、上の土砂が落ち込んで地表に円形のくぼみができる。カルスト地形の教科書どおりの現象で、マホーン湾周辺の本土側には実際に陥没穴や洞窟がいくつも確認されている。
しかも、オーク島には他にも陥没穴がある。一八七八年、島に住んでいたソフィア・セラーズという女性が牛に鋤を引かせていたとき、突然地面が抜けて牛の脚が穴に落ちた。この穴は後に「ケイヴインピット」と呼ばれ、当然のごとく「洪水トンネルの通気口だ」と解釈された。だが素直に読めば、これは「この島では自然に地面が抜けることがある」という事実の証明でしかない。
丸太の層はどう説明するのか。陥没穴には長年にわたって流木や倒木が落ち込み、堆積物の層と交互に重なることがある。掘り下げていく人間の目には、規則的な人工の床に見える。実際、十フィートごとという間隔の正確さは、証言が世代を重ねるうちに整えられていった可能性が高い。
海水の噴出については、一九九五年にウッズホール海洋研究所が現地調査を行っている。オーク島に関して行われた唯一のまとまった科学調査だ。染料追跡の結果、彼らが出した結論はこうだった。坑内の浸水は、島の淡水レンズと潮汐圧力が地質を介して自然に相互作用した結果である。つまり、人工の洪水トンネルは要らない。石灰岩の空洞と潮位差があれば、掘り抜いた瞬間に海水が上がってくる。
懐疑論の代表格ジョー・ニッケルは、この説明を推している。彼の指摘で厳しいのは、堆積物の詰まった陥没穴は「誰かが掘って埋め戻した跡」に見える、という一点だ。緩んだ土、混ざり合った地層、崩れやすい坑壁。マギニス少年が「ツルハシの跡」と見たものも、実は自然の岩の割れ目だったかもしれない。二百三十年の物語が、たった一つの見間違いから始まった可能性がある。
それでも、変なモノが出てくるのはなぜなのか
ここまで散々冷や水を浴びせておいて何だが、オーク島から出土している物の全部が全部、説明済みというわけではない。
椰子の繊維は複数の掘削で繰り返し出土しており、放射性炭素年代測定で一二六〇年から一四〇〇年という結果が出たと報告されている。これが正しければコロンブス以前だ。皮革の靴の断片が一一四八年から一二一六年、という測定値も出たとされる。スミス入江の海面下から現れたU字型の木造構造物は、年輪年代測定で一七六九年に伐採された木材だという判定が出た。一七九五年の二十六年前である。
誰かが確実にここで何かを建造していた。
一六〇〇年前後のスペイン硬貨、チャールズ二世の肖像を刻んだイングランド硬貨、南米産に典型的な銅含有率を示す金と銅の合金片、船の鉄釘やマーリンスパイク、湿地の下から現れた石畳の道。ラギナ兄弟のチームが出した年代測定の結果は番組の演出を差し引いて読む必要があるが、島に十七世紀から十八世紀の人間の活動があったこと自体は、もはや疑いにくい。
問題は、それが「財宝の隠匿」を意味しないことだ。十八世紀のマホーン湾は交易と漁業と軍事の交差点で、島に船を係留し、木を伐り、桟橋を建て、タールを焼き、塩を作る理由はいくらでもあった。人工物が出るのは当たり前なのだ。そこから「三十メートル下に宝箱がある」まで橋を架ける材料が、二百三十年経っても一本も出ていない。
ラギナ兄弟がやってきて、島はテレビになった
一九六五年、ミシガン州の少年リック・ラギナは、リーダーズ・ダイジェスト一月号でオーク島の記事を読んだ。ブランケンシップの人生を変えたのと同じ記事だ。少年は大人になり、ガス田開発で財を成し、弟のマーティと共に二〇〇六年、デイヴィッド・トビアスからオーク島ツアーズ社の株の五割を買い取った。
二〇一四年一月五日、ヒストリーチャンネルで『オーク島の呪い』の放送が始まる。日本では『呪われた島 オーク・アイランドと財宝の謎』のタイトルで配信されている。番組は爆発的に当たった。二〇二六年時点でシーズン十三まで到達し、ヒストリーチャンネル史上最長寿級のシリーズになった。
番組が持ち込んだものは資本と技術だ。地震波探査、ボーリングコアの元素分析、水中ソナー、ドローンによる地形測量、そして専門機関への年代測定依頼。十九世紀の掘削隊が持てなかった道具が総動員された。マネーピット周辺には「ギャレット・シャフト」と呼ばれる大型の縦坑が新設され、人間が実際に下りて壁面を観察できる状態が作られた。
地下の「ソリューション・チャンネル」、つまり石灰岩が溶けてできた水みちの探索が、近年の主戦場になっている。
一方で、番組の作りには批判も多い。毎回、何かが見つかりそうになったところで次回へ引っ張る。専門家がカメラの前で「これは驚くべき発見です」と言った素材が、その後の回で一度も再登場しない。金属探知機で表土から出たボタンや釘に大げさな音楽が乗る。視聴者レビューには「二百時間見て出てきたのは硬貨数枚」「同じ穴を十年掘っている」といった声が並ぶ。
それでも視聴者は離れない。この番組の本当のジャンルは宝探しではなく、たぶん「執着」なのだ。
考古学者が降り、ミクマク族の土器が出た
二〇二一年、島の考古学に転機が来る。現場の考古学者レアード・ナイヴンが、ミクマク族の土器片を掘り当てた。ノヴァスコシア州のコミュニティ文化遺産局とアカディア・ファーストネーション評議会は、島の広い範囲での考古学活動を停止させ、独自の調査を行うと通告した。
その後、番組で活躍していた考古学者のミリアム・アミローらが契約を離れ、ナイヴンも助言役に退いた、と報じられている。ラギナ側は規制の手続きが複雑すぎたと説明した。専門家の側からは、テレビの撮影スケジュールと考古学の作業速度は根本的に相容れない、という指摘が以前から出ていた。遺構の記録は年単位の丁寧さを要求するが、番組は週単位で結果を求める。
この一件は、オーク島の物語に別の角度の光を当てた。この島は「誰も知らない秘密の場所」ではなく、先住民が数千年住み、入植者が農地にし、掘削隊が二百年荒らした、履歴の分厚い土地なのだ。テンプル騎士団の聖杯を探すために、ミクマク族の生活跡をバケットで削っていいのか。それはもう財宝の有無とは別の問題である。
州法が「オーク島だけ特別」になった理由
ノヴァスコシア州には、かつて一九五四年制定のトレジャートローヴ法という、北米で唯一の「宝探し法」があった。埋蔵金を天然資源のように扱い、鉱業部門が管理して免許を出す仕組みだ。
この制度は二〇一〇年に廃止された。考古学者や歴史家から、遺跡を商業的に掘る免許を州が発行しているのはおかしい、という批判が強まったためである。州内のすべての宝探し免許は二〇一〇年十二月三十一日で失効し、沈没船のサルベージ目的の掘削も原則できなくなった。
ところが、オーク島だけは別枠になった。二〇一〇年十二月十日に裁可され、二〇一一年一月一日に施行されたのがオーク島財宝法だ。この島に限って、免許制での探索が認められる。発見された貴金属と宝石の七十五パーセントは発見者の取り分、二十五パーセントは州が取る。どれを取るかは州が任命した考古学者が選ぶ。
二〇一四年には特別場所保護法が改正され、探索は文化遺産研究許可の枠組みに移り、貨幣的価値のない遺物は全て州の所有物と定められた。
要するに、州は「オーク島は例外」と法律に書いてしまった。二百三十年の掘削の歴史が、法体系のほうを曲げたのだ。これは世界的にもかなり珍しい。同時に、この法律は現代の掘削が完全に管理下にあることも意味している。勝手に上陸して掘ることは違法だし、島は私有地で、一般の立ち入りは有料のツアーに限られる。この話を読んで穴を掘りに行こうと考えた人がいたら、やめておいたほうがいい。
法律の問題以前に、あの島の穴は人を殺した実績がある。
掲示板とSNSは、この島に何を言っているか
ネットの反応は、大きく三つに割れている。
第一に、熱心な信者層。彼らはボーリングコアの写真を並べ、番組の年代測定結果を表計算ソフトにまとめ、ノーランの十字の座標を地図に落として幾何学的関係を検証している。この層の議論の解像度は驚くほど高く、番組より詳しい。彼らにとってのオーク島は、共同で解く超巨大なパズルだ。
第二に、疲れた視聴者層。「今シーズンこそ、と言い続けて十三年」「五百人の専門家が来て、出てきたのは釘」「掘る場所が毎年ずれていくのは、掘り当てられないからでは」といった書き込みが延々と流れる。彼らはもう宝を信じていないが、なぜか毎週見ている。
第三に、地質学者と考古学者。彼らの論調は一貫して冷たい。カルスト地形と潮汐で全部説明がつく、攪乱された地層から出た遺物に年代測定をかけても何も証明されない、そもそも「宝がある」という仮説は反証不可能な形で立てられている、と。層位を無視した金属探知機の発掘は考古学ではない、という批判は特に厳しい。
日本語圏の反応も面白い。オーク島は日本ではまだマイナーな部類だが、番組が配信されて以降、ゆっくり知られてきた。日本語のコメントで一番多いのは「掘り続けているおじさんたちが好き」という感想である。宝の有無より、二百三十年間バトンを渡し続けている人間の連鎖のほうが物語として強い、という受け止め方だ。これはたぶん、かなり本質を突いている。
三つの謎を、ひとつずつほどいてみる
ここからは総括と、もう少し踏み込んだ考察を書いておく。
まず、オーク島の謎を整理し直したい。実は「マネーピットの謎」と呼ばれているものは、性質の異なる三つの謎が束になったものだ。分けて考えないと、永遠に議論が噛み合わない。
一つ目は、地質の謎。地下三十メートルで海水が噴き出す現象は本当に起きるのか。これは答えが出ている。起きる。ただし人工の導水路は不要で、石灰岩と硬石膏の空洞、島の淡水レンズ、潮汐圧力の組み合わせで十分に説明できる。ウッズホール海洋研究所の一九九五年の調査結論がこれだ。この謎に関しては、科学の側が勝っている。
二つ目は、遺物の謎。島から出てくる人工物は本物なのか、いつのものなのか。これは部分的に答えが出ている。十七世紀から十八世紀の人間活動の痕跡は、ほぼ確実にある。一七六九年伐採と判定されたU字型構造物などは、その代表例だ。だが、それが「財宝の隠匿」を意味する証拠は一つもない。マホーン湾の島に十八世紀の桟橋や作業場があるのは、むしろ自然である。
中世の年代測定値については、試料の来歴が攪乱された地層であることを考えると、そのまま受け取るのは危険だ。この謎は「あるにはあるが、拍子抜けする答え」で決着しつつある。
三つ目は、物語の謎。なぜこの話が生まれ、なぜ死ななかったのか。実はこれが一番面白い謎で、そして唯一まだ解けていない謎でもある。
物語の側から見ていこう。一七九五年から一八五七年まで、記録が存在しない六十二年間がある。この空白を素直に読むなら、結論は二つに一つだ。事件そのものがなかったか、あったが記録に値しないほど些細だったか。一八六〇年代に急に物語が立ち上がるのは、株を売る必要が生じたからである。オーク島の伝説は、資金調達の必要から逆算して整形された可能性が高い。
丸太の層が十フィートごとという美しい規則性を持つのも、暗号石板の解読文が「四十フィート下に二百万ポンド」という具体的すぎる数字を持つのも、物語として売りやすい形だからだ。
しかしここで、ひとつ厄介な事実がある。もし全部が作り話なら、なぜ人は二百三十年も金を出し続けたのか。詐欺は普通、二世代ももたない。仕掛けた本人が死んだ時点で崩れる。オーク島は違った。仕掛け人が死んでも、次の世代が本気で信じて、自分の全財産を投じた。ブランケンシップは五十年以上島に住んだ。レストールは六年間、電気もない小屋で家族を養いながら掘った。これは詐欺の構造では説明できない。
答えはたぶん、この穴が「反証できない形」をしているところにある。掘って何も出なければ、それは「まだ深さが足りない」ことになる。海水が出てきたら、それは「罠が作動した」証拠になる。何も出ないことすらが、隠蔽の巧妙さの証明になってしまう。この構造に一度はまると、失敗が全部、成功の予兆に変換される。心理学でいう埋没費用の罠が、地下三十メートルの物理的な形をとって存在しているのだ。
そして掘削の歴史そのものが、証拠を消し続けてきた。ここが本当に残酷なところだ。一八六一年の崩落で構造物は百十九フィートまで落ちた。一九六五年のダンフィールドは百三十四フィートの擂鉢を掘って、マネーピットの位置そのものを消した。二百年分の木材と鉄とコンクリートが地下で混ざり合った結果、今そこから何が出ても、それが十八世紀の遺物なのか一九三一年のチャペル隊の落とし物なのかを層位で判定する手段がない。
つまり、探索の努力それ自体が、探索を不可能にしてきた。オーク島の最大の呪いは、幽霊でも海賊でもなく、この自己破壊的な構造だと思う。
各説を最終的に採点するなら、こうなる。キッド説は、動機と工事規模の不一致で落第。海賊は逃げる商売であって、土木業者ではない。テンプル騎士団説は、物証の来歴と四百年の時間差で落第。ロマンとしては最上級だが、史料が一枚もない。ベーコン写本説は、動機が説明できず落第。羊皮紙の二文字から戯曲全集までは遠すぎる。マリー・アントワネット説は、時期は合うが史料ゼロで落第。
フランス王室財宝説やハバナ戦利品説は時期も金額も筋が通るが、やはり文書がない。
残るのは地味な説だ。タール窯説、塩田説、入植者の放棄した貯蔵穴説、そして自然陥没説。この四つの組み合わせが、現時点で最も物証に忠実な回答になる。島には十八世紀の産業活動があり、地質的に陥没しやすく、掘れば海水が出る。それが一七九五年の少年たちには「海賊の隠し穴」に見えた。以上、終わり。
だが正直に言うと、この結論を書きながら、わたしは少し寂しい。そしてたぶん、これを読んでいるあなたも同じだと思う。
だからこそ最後に、この島の本当の主題を書いておきたい。オーク島の物語の主人公は、宝ではない。人間だ。
一八九七年に索が外れて落ちたメイナード・カイザーは、宝を信じていたかもしれないし、単に日当のために坑に下りていただけかもしれない。誰も彼の内心を記録していない。一九六五年八月十七日、ロバート・レストールが声も上げずに落ちたとき、息子ボビーは一秒も迷わずに梯子を駆け下りた。あの瞬間、彼の頭に財宝のことなど一片もなかったはずだ。父を助けに行っただけだ。カール・グレイザーもシリル・ヒルツも同じだ。
四人が死んだのは、宝に呪われたからではなく、人が人を助けようとしたからである。呪いだの予言だのの数え歌にこの四人を組み込むのは、わたしはあまり好きではない。
ミルドレッド・レストールの言葉も忘れがたい。財宝なんて一度も信じていなかった、と彼女は事故の翌日に言った。信じていなかったのに、六年間、電気も水道もない小屋で子供を育てながら夫に付き合った。彼女が付き合っていたのは宝ではなく、夫という人間だった。オーク島の記録の中で、わたしはこの証言が一番強いと思う。
ダン・ブランケンシップは九十五歳で死ぬまで島に住んだ。フレッド・ノーランは隣の土地の男と数十年口をきかず、巨石を測り続けて死んだ。この二人の反目も、傍から見れば滑稽だが、要するに二人とも同じものに人生を捧げていた。フランクリン・ルーズベルトは大統領になってからも掘削の進捗を気にしていた。世界恐慌と戦争を采配していた男が、である。
そして今、リックとマーティのラギナ兄弟が同じ場所を掘っている。リックがきっかけにしたのは一九六五年一月号のリーダーズ・ダイジェストの記事で、それはブランケンシップの人生を変えたのと同じ記事だ。一冊の雑誌が、六十年越しに二人の男を同じ穴に連れてきた。この連鎖の仕方が、わたしはどうしても好きだ。
なぜ二百三十年も人を狂わせるのか。答えを一つに絞るなら、この穴が「あと少しで届く」という感覚を絶対に手放さないからだ。九十八フィートで錐が金属を掻いた。百五十三フィートで羊皮紙が出た。二百三十五フィートのカメラに何かが映った。どれも決定的ではないが、どれも完全な空振りでもない。人間が最も抜け出せなくなるのは、完全な絶望でも完全な成功でもなく、たまに微弱な当たりが来る状況である。
マネーピットは、その条件を地形として満たしてしまった。
もう一つ言えるのは、この穴が「自分の代では終わらない」ことを許す点だ。普通の目標には期限がある。オーク島にはない。掘り切れなくても、次の誰かが掘る。ブレアからチャペルへ、ヘデンからレストールへ、ダンフィールドからブランケンシップへ、そしてラギナ兄弟へ。参加した時点で、自分は二百三十年の鎖の一環になる。個人の失敗が、系譜の一部に変換される。これは相当に強力な救済である。
地下に本当に何かあるのか。わたしの見立ては、金銀財宝はない、だ。あるのは、石灰岩の空洞と、潮の満ち引きと、十八世紀の誰かが作業をした地味な痕跡と、そして二百三十年分の掘削隊が落としていった鉄と木の残骸である。だがそこには、少なくとも六人分の命と、数え切れない人生と、家を売り、家族と喧嘩し、それでも翌朝またスコップを持った人間たちの意志が積み重なっている。
宝は出なかった。でも、確実に何かは埋まっている。二百三十年、誰もそれを掘り出せていないだけで。
