SNSやオカルト系メディアで、たまに流れてくる画像がある。テキサス州の採石場から出土したという、化石化した「指」のような物体だ。
地層からの推定年代は約一億年前。恐竜が繁栄していた白亜紀にあたる。紹介記事の多くは、この化石に同心円状の内部構造や、関節・腱らしき形状が保存されていると強調する。そして示唆する。現生人類の直接の祖先が誕生したとされる約七百万年前をはるかに遡る時代に、指を持つ何かがいたのではないか、と。
結論から言うと、この手の「化石化した人体部位」の多くは、科学的な同定も査読論文としての発表も経ておらず、一次資料に乏しい。ただ、この種の主張が繰り返し語られる背景には、百年近く続いてきた「恐竜と人類の共存」をめぐる、根深くて妙に面白い論争の歴史がある。
乾季の川底に、二種類の足跡が並んでいた
論争の震源地は、テキサス州グレンローズを流れるパラクシー川だ。
普段は穏やかな流れの小さな川だが、乾季になって水位が下がると、白亜紀前期、およそ一億一千万年前に堆積した石灰岩の川床が広く露出する。ここからは、肉食恐竜アクロカントサウルスなどの三本指の足跡化石が多数見つかっている。
問題は、その近くに、人間の裸足の足跡のように見える窪みが点在していたことだった。
一九三〇年代のある日、化石ハンターとして名を馳せていたロランド・T・バードがこの地を訪れる。地元の人々は昔から、川底に点在する奇妙な窪みを「巨人の足跡」と呼びならわしていた。バードが川床を歩きながら目にしたのは、恐竜の巨大な足跡の列と、そのすぐそばに点在する、人間の裸足によく似た楕円形の窪みだった。
バードはこれを調査し、報告した。その発見は瞬く間に「恐竜と人類が同時代に生きていた証拠」として世界中の関心を集めることになる。
待ち望んでいた「物的証拠」
聖書の記述を字義通りに受け止め、地球の年齢をおよそ数千年から一万年程度とする「若い地球説」を掲げる創造科学の論者たちにとって、パラクシー川の足跡はまさに待ち望んでいたものだった。
一九七〇年代には、創造科学系の団体が制作した映画やパンフレットがアメリカ国内で広く配布される。この足跡はキリスト教系の学校や教会を通じて世界中へ紹介されていった。日本でも一九八〇年代のオカルトブームの中で、雑誌やテレビの特集を通じてこの「二種類の足跡」が紹介された。恐竜図鑑や超常現象特集の隅で、この川底の写真を目にした記憶がある人も少なくないはずだ。
地質学者たちが出した、そっけない答え
しかし主流の古生物学と地質学の側は、この「人間の足跡」に一貫して否定的だった。
一九八〇年代に入って詳細な現地調査が本格化すると、窪みの正体が次第に明らかになっていく。大きく二つのパターンに分類できることが判明したのだ。
一つは、恐竜の三本指の足跡が長い年月をかけて浸食や水流の作用を受け、指の輪郭が不明瞭になってしまった「浸食された恐竜足跡」。もう一つは、大型の獣脚類恐竜が歩行する際にかかとを引きずるようにして残す痕跡と、複数の足跡が偶然重なり合うことで、人間の踵と土踏まずのような輪郭が結果的に形成されてしまう「歩行痕の重複」だ。
身も蓋もない答えである。だが、この論争史にはもっと劇的な出来事が控えている。
支持者自身が、自説を撤回した日
一九八六年のことだ。
それまで創造科学の団体に所属し、パラクシー川の「人間の足跡」説を積極的に支持してきた研究者グレン・カズディンが、自ら現地の再調査に乗り出した。そして、自分がそれまで支持してきた足跡の多くが、実は恐竜の足跡が独特の浸食パターンによって変形したものだと認めざるを得ないという結論に至る。以後、彼は論争の場から離脱していった。
内部の支持者自身が、科学的な検証によって自説を撤回する。この出来事は疑似科学史における象徴的なエピソードとして、今なお繰り返し言及されている。研究者グレン・キューバンをはじめとする調査チームの徹底した現地検証もあって、パラクシー川の「二種類の足跡」説は根拠の大半を失った。現在では創造科学の陣営の中でさえ、この主張を積極的に持ち出す論者は少数派になっている。
石に彫られた恐竜、土偶になった恐竜
パラクシー川の一件は、決して孤立した事例ではない。よく似た構図の主張は世界各地で繰り返し登場してきた。
ペルーのイカ地方で発見されたとされる「イカの石」は、表面に恐竜と戦う人間や、恐竜に乗る人間の姿が刻まれた石として知られる。恐竜と人類が同時代に共存していた証拠として紹介されてきた。だが後の調査で、これらの石を売っていた現地の職人が自ら彫刻を施していたことを認めている。みやげ物として作られたものが、古代の遺物として流通してしまったわけだ。
メキシコのアカンバロで発掘されたとされる、恐竜を思わせる奇妙な生物をかたどった無数の土偶群も同様だ。近代に作られた模造品である可能性が高いという調査結果が積み重ねられており、発掘の経緯自体に不透明な点が多いと指摘されている。
冒頭のテキサスの「指の化石」も、この系譜に連なる。爪から第二関節にかけての部分が石化した状態で保存され、内部に同心円状の構造や、骨・関節・腱を思わせる形状が見られる、と紹介されることが多い。しかし、出土地点の具体的な座標も、発見者の氏名も、鑑定を行った機関の詳細も、一次資料として遡れる情報が乏しい。パラクシー川の事例のような組織的な現地調査や、査読を経た検証がなされた形跡も確認できない。
このほかにも、アフリカで見つかったとされる二億年前の巨大な靴跡、ロシアの三億年前のネジ状化石、中国の二億四千万年前のマイクロチップ状構造など、地層年代と人工物の存在が矛盾するとされるオーパーツの主張は世界中にある。その多くは、一次資料の追跡が困難だったり、鉱物の自然な結晶構造や化石化の過程で偶然生じた形状であることが、個別の調査で明らかになっている。
「これは大昔の巨人の足跡だ」と教えられた子ども
グレンローズ周辺には、この足跡にまつわる地元住民の記憶が世代を超えて残っている。
乾季になって川床が露出するたびに、地元の子どもたちが川に入り、足跡の窪みに自分の足を重ねて遊んだという逸話は複数の記録にある。ある地元住民は、子どもの頃に祖父から「これは大昔の巨人の足跡だ」と教えられ、恐竜という概念を知る前から、その窪みを畏怖の対象として見ていたと振り返っている。
バードが調査に訪れた際には、地元の案内人が誇らしげに「人間の足跡」の場所を案内し、観光名所としての側面も同時に育っていったという。
創造科学系の博物館を訪れた見学者の中には、展示されているレプリカの足跡型を前に「これで進化論が覆るのだ」という強い確信を得て帰っていったという体験談もある。
逆の証言もある。懐疑的な立場から現地を訪れた研究者や愛好家が、自分の目で川床を観察し、水流による浸食の跡や複数の足跡が重なり合っている様子を確認して、「なるほど、これは光の加減や思い込みで人間の足跡に見えてしまうのだ」と得心した、という述懐だ。古生物学系のコミュニティでは、しばしば語られる。
同じ窪みを見ても、何を信じてそこに立つかによって、まったく異なる「証拠」として体験されてしまう。この論争でいちばん興味深いのは、そこかもしれない。
川底の窪みが、法廷まで持ち込まれた
パラクシー川論争が単なる化石鑑定の是非にとどまらなかった最大の理由は、これがアメリカの公教育における「創造論対進化論」という、もっと大きな対立構造の代理戦争として機能してきたからだ。
テキサス州をはじめとする複数の州では、公立学校の理科教育で進化論と並べて創造論あるいはインテリジェント・デザイン論を教えるべきだ、という動きが繰り返し起こった。そのたびにパラクシー川の足跡が「物的証拠」として法廷や教育委員会の場に持ち出されてきた。
二〇〇五年に連邦地方裁判所で争われた、いわゆるドーバー裁判は、インテリジェント・デザイン論を公立学校の理科の授業で扱うことの是非が問われた象徴的な訴訟として広く知られている。この種の論争がアメリカ社会において、単なる学術的関心を超えた宗教と教育をめぐる政治的な火種であり続けてきたことを物語っている。
「これはパラクシー川の二の舞では」
日本語圏のオカルト系まとめサイトやSNSの考察コミュニティでは、この手の「恐竜と人類共存」系の話題が定期的に再燃する。
多くの場合、きっかけは古い画像や記事が改めて発掘・再投稿されることだ。「これが本当なら教科書が書き換わる」といった煽り文句とともに広まっていく。
一方で、こうした投稿には決まって冷静な指摘が寄せられる。「これはパラクシー川の二の舞では」「イカの石と同じパターンだ」。オカルト系のコンテンツを継続的に追っているコミュニティほど、この手のオーパーツ情報に対する検証のリテラシーが蓄積されていて、新しい話題が出るたびに過去の類例と照らし合わせるやり取りが、一種の様式として定着している。
同時に、真偽の検証結果とは無関係に「そういうロマンがあってもいい」という受け止め方をする層も根強い。だから科学的な反証が示された後も、この種の画像や逸話は形を変えて語り継がれ続ける。
人はなぜ、石に自分の身体を見てしまうのか
パラクシー川の事例が示しているのは、単純な捏造や誤認の話にとどまらない。人間の認知そのものに関わる、かなり面白い現象だ。
侵食や偶然の重なりで生まれた不定形の窪みに対して、人はしばしば身近な形を、とりわけ自分自身の身体の一部を、無意識のうちに重ね合わせて解釈してしまう。雲の形に顔を見出したり、木目に人の姿を見たりする現象と本質的には同じだ。心理学ではパレイドリアと呼ばれる現象の一種として説明されることが多い。
恐竜と人類の共存という物語が、百年近くにわたって形を変えながら語り継がれてきた背景には、科学的な検証の積み重ねだけでは片付かないものがある。宗教的世界観と科学的世界観のせめぎ合いという、もう一つの長い歴史だ。
テキサスの乾いた川床に刻まれた無数の窪みは、恐竜そのものの記録であると同時に、それを見つめる人間の側の欲望や信念の在り処を映し出す鏡でもあり続けている。
