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朝のセロハンテープ、ぎょう虫検査が学校から消えるまで

起きてすぐ、トイレに行く前にやる。それが決まりだった。粘着性の透明なセロハンテープを、肛門のまわりにしっかりと貼りつける。貼ったテープは顕微鏡の下に置かれ、虫の卵がついているかどうかを、ひとつずつ確かめられた。

これが、ぎょう虫検査だ。学校保健法ができた1958年の前後から、日本の学校で半世紀以上も続いた。最後の年度は2015年度。2016年の春には、ほとんどの学校からこの朝の手順が消えていた。

消えた理由は、はっきりしている。虫が、ほとんど見つからなくなったのだ。見つからないものを探す検査に、子どもも親も学校も手間をかけ続ける意味があるのか。2013年に開かれた国の検討会で、その問いに答えが出た。

夜になると、メスが外へ出てくる

ぎょう虫は、漢字で書けば蟯虫。人の腸にすむ小さな寄生虫だ。成虫の大きさはオスが2ミリから5ミリ、メスが8ミリから13ミリ。乳白色で、白い糸の短い切れ端のようにも、ちりめんじゃこのようにも見える、と書く解説がある。

メスは大腸や直腸にいて、夜になって人が眠ると肛門の外へ出てきて、そのまわりの皮膚に卵を産みつける。産みつけられた卵は、わずか7時間から8時間で、人にうつる力を持つまでに育つ。

虫が動くときに出る粘着性の物質のせいで、強いかゆみが出る。夜のかゆみで寝不足になり、昼間も落ち着きがなくなる、と解説には書かれている。ただ、症状が軽くて何も感じない人も多い。見た目では見分けがつかない。

かゆい場所を掻いた手には卵がつき、その手が口に触れれば、卵はまた体の中へ戻っていく。自分で自分に、何度でも感染し直してしまうわけだ。厄介なのは、まさにそこにある。

卵は寝具や衣類、床にも落ちる。体の外でも、常温で3週間以上は生き延びる。舞い上がった塵を吸い込んで、口から入る道もある。家族や教室のように人が集まる場所では、ひとりの卵が全員に回りかねない。

肉眼では見えない、0.04ミリの卵

卵の直径は、約0.04ミリ。肉眼では見えない。だから顕微鏡が要る。検便でも調べられるが、判別しにくく、何度も検査を重ねなければならないこともあった、と報じられている。

そこで使われたのが、肛門のまわりから卵を直接拾う方法だった。夜のうちに産みつけられた卵は、朝になってもまだそこに残っている。透明なテープを押し当てて剥がせば、卵がテープに移る。単純な理屈だ。

トイレや風呂のあとでは卵が洗い落とされてしまうので、検査は朝いちばん、用を足す前にという決まりになる。検査の時刻は、虫の暮らしに合わせて決められていた。人の都合ではなく、虫の都合に人が合わせる検査だったわけだ。

法令にも、この方法がはっきり書かれている。学校保健安全法施行規則は、寄生虫卵の検査を直接塗抹法で調べるものと定めた。そのうえで、ぎょう虫卵はセロハンテープ法によると指定している。

2日続けて、朝に貼る

広島の検査会社の説明書によれば、検査用のセロファンの内側には丸い印がついていて、そこに特殊なのりが塗ってある。使うとき以外は開かない決まりだった。のり面に余計なものがつけば、肝心の卵が拾えなくなる。

採取は2日連続だ。朝起きてすぐ、トイレの前に、1日目と書いたセロファンののり面を肛門にあてる。指で2回か3回、強めに押しつける。カバーを貼り直して、その日は終わりになる。

翌朝は、2日目のセロファンで同じことを繰り返す。真ん中のセロファンを取り捨てて、1日目と2日目の採取面を貼り合わせ、袋に入れて提出する。1回で見落とすかもしれない卵を、2日ぶんで拾いにいく作りだった。

調べる側は、400倍に拡大した顕微鏡で卵の有無を判定し、結果は陰性か陽性かの2通りで返ってきた。説明書には、念を押す一文もある。大便を採取するのではないから、十分に注意するように。検査の相手が便ではなく卵だと、わざわざ書く必要があったわけだ。

藤原京の便所の跡から出てきた卵

人と寄生虫の付き合いは、学校ができるよりずっと古い。奈良の藤原京跡の発掘では、便所の跡から回虫、鞭虫、肝吸虫、横川吸虫などの虫卵が見つかっている。7世紀の終わりから8世紀の初めに都だった場所だ。

千年以上前の人々も、腸に虫を飼っていた。それを、土に残った卵が教えてくれる。人の暮らしのそばに、虫はいつもいた。

時代が下っても、事情は大きくは変わらなかった。人の糞便を畑の肥料に使う習慣が長く続き、野菜を通して回虫やぎょう虫が広がったと説明する解説がある。出した糞便が、また口に戻ってくる輪ができていたわけだ。

1949年、国民の73パーセント

昭和の初め、検便を受けた約85万人のうち、70パーセント以上から虫卵が出たという記録が紹介されている。1925年ごろの数字だ。そこから国が動いた。1931年に寄生虫病予防法が制定され、施行は翌年の8月になる。

対象は回虫病、十二指腸虫病、日本住血吸虫病、肝臓ジストマ病。自治体に健康診断や糞便検査をする権限を与え、市町村には予防のための施設を置く義務を課した。法律は、まず検便から始まった。1956年の改正では、日本住血吸虫の中間宿主であるミヤイリガイへの対策として、河川や水路をコンクリートの溝渠に変える基本計画が追加されている。虫を断つために、川の形まで変えようとした時代だ。

終戦後の1945年には、衛生環境の悪化で感染がふたたび増えた。1949年の寄生虫卵保有率は73パーセントだったと、日本寄生虫予防会の沿革は書いている。72.0パーセントと書く記事もあって、調べた対象や集計のしかたで、どの資料も少しずつ揺れる。ただ、7割前後という大きさは動かない。

同じ年に、国井長次郎と寄生虫学者の小泉丹が東京寄生虫予防協会を立ち上げた。

この協会は、1955年に財団法人日本寄生虫予防会として全国の組織になった。寄生虫学者の小宮義孝や森下薫も、その活動に加わっている。やったことは地味だ。学校や会社での検便と駆虫の事業、街頭での診断、検査技師の育成、雑誌やパンフレットの出版。虫を減らすには、人を動かす仕事が山のようにあった。

回虫の薬には、サントニンがあった。シナヨモギから取れる成分だ。国産化に成功したのは1940年で、日本新薬の創業者、市野瀬潜が約10年をかけた仕事だった。欧州産の品種に目をつけ、日本での栽培に成功して、ミブヨモギと名づけたと伝わる。

1953年には、大阪大学の村上信三が海人草から有効成分を見つけた。カイニン酸と呼ばれる成分だ。独特のにおいがあるため、チョコレートなどで風味をつけた薬が作られ、学童だった世代には忘れがたい味だそうだ。

数字は急に動いた。ある資料は、1950年に回虫を持つ人がおおむね60パーセント、1960年度に20パーセント台まで下がったと整理する。1970年度には0.2パーセント台。わずか20年で、国民病は消えかけた。官と学と民が組んだ予防活動の成果として、世界的にも注目された成功例だった、と下水文化の研究会の資料は書いている。

別の資料は、1960年の回虫の感染率を15.5パーセントと書く。20パーセント台とは数字が合わない。それでも、10年ほどで多数派から少数派へ変わったという筋は同じだ。

1994年11月に寄生虫病予防法は廃止され、内容は感染症の予防と患者への医療に関する法律に引き継がれた。60年以上続いた法律が、役目を終えた形だ。

1958年の法律と、4人に1人

学校保健法ができたのは1958年だ。この法律の施行規則に、寄生虫卵の検査が項目として入った。始まりの年は、資料によって揺れる。1958年とする解説もあれば、1959年や1961年とする解説もある。

東京都予防医学協会は、1959年にセロハンテープ法を本格的に始めた。この年の検査件数は2万1247件で、陽性率は25.6パーセント。検査を受けた4人に1人から、ぎょう虫の卵が見つかった計算になる。

人数に直せば、5400人ほどだ。1年の検査だけで、それだけの子どもから卵が見つかっていた。考えてみてほしい。いまの感覚では、ちょっと信じにくい数字だ。

別の資料の数字を並べると、1961年度の検査件数は7万971件で、寄生率は21.7パーセントだった。2年で件数は3倍以上になったのに、率はほとんど動いていない。

件数の伸びは、そこから凄まじかった。1971年には検査件数が75万9557件に達し、1959年のおよそ36倍になった。同じ年の陽性率は4.96パーセントで、3万7千人あまりに卵が見つかっている。

率は下がったのに人数は桁違いに多くなったのは、検査を受ける子どもの数が、それだけ急に膨らんだからだ。ぎょう虫検査は、学校の健康診断の定番になっていった。

国の資料に並んだ、3つの数字

文部科学省の検討会に出された数字を紹介した報道がある。1959年度の検出率は21.80パーセント。1984年度は3.36パーセント。そして2014年度は、0.13パーセントだ。半世紀あまりで、およそ170分の1まで落ちた。

東京の数字で比べても同じだ。1959年の25.6パーセントが、2013年には0.14パーセントになった。同じ1万人を検査したとして、見つかる子は2560人から14人へ減った計算になる。

この間に、検査のしかたはほとんど変わっていない。変わったのは、子どもの体と暮らしのほうだった。

ある記事は、もっと古い数字まで並べている。1949年の保有率は72.0パーセント、1959年は21.6パーセント、1975年は3.39パーセント。階段を下りるように、10年で3分の1、16年で6分の1の勢いで減った。

同じ年度でも、資料によって数字は少しずつ違う。出どころが違えば、小数点の下までは揃わない。ただ、どの資料も同じ方向を向いている。昭和30年代に20パーセントを超えていた率が、いまは1パーセントに届かない。

学年が下がり、検査も小さくなっていった

ぎょう虫検査の対象は、時代とともに狭まった。最後は小学校3年生以下だった。ある解説は、1973年の改正で中学以上が省略できるようになり、1995年4月から小学校3年生以下に絞られたと整理している。別の解説は、1958年から小学校3年生以下が対象だったと書く。対象学年の書き方にも、資料によって差がある。

2002年に糞便検査が学校保健法の検査項目から外れて、寄生虫卵の検査はぎょう虫卵に集まっていった。東京都予防医学協会の年報によれば、2003年度以降の寄生率は0.4パーセント台で横ばいだった。2008年度からは、少しずつ下がっている。

東京都の学校保健統計には、2001年度の学年別の数字がある。1年生が0.82パーセント、2年生が1.03パーセント、3年生が0.96パーセント。男女に分けると、どの学年も男子のほうが高い。2年生は男子が1.14パーセントで、女子は0.92パーセントだった。

2001年の時点で、ほぼ100人にひとり。いまの数字よりは、ずっと高い。それでも、昭和30年代の4人に1人とは比べものにならない。薬の解説は、都内では保育園や幼稚園、小学校の子どもを中心に、1パーセント台の割合で見つかると書いている。

東京では、2012年度に7万4248件を検査して陽性率は0.19パーセント。2013年度は7万3927件で、0.14パーセントだった。計算すると、見つかったのは100人あまり。75万件を超えた1971年とは、景色がまるで違う。検査の件数そのものが、10分の1ほどになっている。

衛生環境の変化は、数字の落ち方に出ている。昭和30年代の感染率は30パーセント近かったと書く記事があり、汲み取り式のトイレが感染のもとになっていたとも言われる。水洗トイレや温水洗浄便座が広がって、数字は大きく落ちたらしい。

検討会の席に並んだ言葉

2013年7月、文部科学省の「今後の健康診断の在り方等に関する検討会」が、第6回の会合を開いた。席に配られた資料には、児童生徒の定期健康診断の検査項目が並んでいる。寄生虫卵検査は、そのなかのひとつだった。

資料には、学校が検査を省略したいと考える理由が、言葉のまま載っている。発見されることが少ない。発見されたことがない。感染が広がるおそれも少なく、学校生活に特に支障がないと思われる。

もうひとつ、重い言葉がある。学校、保護者、子どもにとって負担が大きい割に、メリットが少ない。生活環境や食生活が良くなっており、寄生虫を心配する環境ではない。どれも、検査の中身ではなく、割に合うかどうかの話だ。

発見されたことがない、という言葉は重い。毎年きちんと検査をして、それでも一度も陽性が出ない学校があるということだ。そういう学校にとって、朝のテープは年々、空振りを重ねる作業になっていく。

検査キットの説明どおりにやれば、2日続けて朝に貼ることになる。手間をかけるのは、子どもと、それを手伝う家の人だ。負担という言葉の中身は、そこにもあったのかもしれない。

キットを配って集める学校の側にも、手間はあった。廃止を知らせた小児看護の書き手は、あの配布と回収の作業がなくなることに、はっきりと安堵を書いている。

省略を考える学校の割合は、校種で見ると小学校がもっとも高かった。18.8パーセントが、省略してよいと答えている。資料には、検査を続けるならぎょう虫検査のセロハンテープ法だけでよいのではないか、という意見も書かれていた。

議論はぎょう虫だけを扱ったのではなかった。座高の測定も、同じ席で話題になっている。座高は戦前から、内臓の発育を見る目的で測られてきた。検討会は、発育評価に役立つ面もあるが、現状ではほとんど活用されていないと指摘している。

2016年4月、検査は消えた

2014年4月30日、文部科学省は都道府県などへ通知を出した。学校保健安全法施行規則が改正されて、寄生虫卵の検査と座高の測定が必須の項目から外れる。施行は2016年4月1日。2年の猶予をつけた改正だった。

新しく加わったのは、運動器の検診だ。手足の運動機能を見る検査で、部活動での無理な運動や運動不足によるけがに目を向けたものだった。座高と寄生虫卵が消えて、運動器が入る。学校の健康診断は、その春に入れ替わった。

座高の測定も、ぎょう虫検査と似た道をたどっている。1937年の学校身体検査規程の改定で測定が加わり、1958年には学校保健法に定められた。2016年4月から、検査項目から外れた。

廃止の理由には、測定に意味がない、結果が活用されていないという指摘が並ぶ。座高が高い子どもが、短足と冷やかされる恐れも理由に数えられた。身長から座高を引いた数値は、下肢の長さの目安として使われてきたが、実際の脚の長さとは一致しない。

全国に目を向けた数字もある。ある解説は、2014年度の検出率を幼稚園児で0.08パーセント、小学生で0.13パーセントと整理して、過去最低と書いている。2015年の数字として、幼稚園で0.06パーセント、小学校で0.12パーセントを紹介する記事もある。千人にひとり、というところだ。

2015年度の東京都予防医学協会の検査は、327校の7万2208人が対象だった。陽性は72人で、寄生率は0.10パーセント。幼稚園と保育園では89園で4人、小学校では233校で68人だった。年報は、ほぼ終息に近い状態と書いている。

1校あたりに直せば、見つかったのは0.22人だ。5校回って、ようやくひとりに出会う。地区別に見ると、特別区が0.10パーセント、多摩地区が0.11パーセント、島しょ地区が0.22パーセント。数字はごく小さいが、島しょ地区は他の倍ある。ゼロになったわけではない。

学校の検査が消えたあとの家庭

学校の検査がなくなっても、ぎょう虫は家族のなかで広がりやすい。薬の解説には、ひとりに感染が見つかれば、家族にも感染していることがよくあると書かれている。そのため、家族全員の駆虫をすすめるという。

学校でやらなくなったぶん、見つける役目は家に移った。夜に何度も肛門のまわりを掻く、眠りが浅い、落ち着きがない。解説に並ぶこうした様子は、親が気づく手がかりになる。ただ、症状がまったくない子も多い。

駆虫の薬は、卵には効かない。解説では、1回目の服薬から2週間か3週間たったところで、もう一度飲むと説明されている。念のため断っておくと、飲み方は医師か薬剤師に確かめるのが前提だ。

2回目に間をあけるのは、卵が体に入ってから成虫になるまで数週間かかる、虫の暮らしに合わせてのことだ。卵は常温の部屋で3週間以上も生きている。布団やシーツ、下着を通じて、家のなかをぐるぐる回る。

症状が出たときだけ医療機関で調べれば十分で、重い病気になる心配は小さい。ある記事には、そう話す寄生虫学の教授の言葉が引かれている。学校の一斉検査をやめた判断の裏に、そういう見方もあった。

予防の方法として挙げられているのは、爪を短く切ること、爪を噛まないこと、肛門のまわりを直接掻かないこと、そして手洗いだ。トイレのあとや、食事と調理の前に洗う。道具は要らない。

九州と沖縄では、朝のテープが残った

国がやめても検査を続ける地域はあり、報道によれば、九州の一部の地域は2015年度以降も検査を残している。文部科学省も、改正の際の留意事項に、検出率には地域差があると書いた。一定数の陽性者がいる地域では、今後も検査や衛生教育に取り組む必要がある、という趣旨だ。

2014年の県別の数字を紹介した記事がある。鹿児島は0.1パーセントだったのに、沖縄は2.7パーセントに上り、九州本土で最も高かったのは佐賀の0.6パーセントだった。同じ国のなかに、27倍の開きがあった。

大分は、2014年に男子が1.15パーセント、女子が0.87パーセントで、県全体で1パーセントを超えるあいだは続ける方針を取っている。福岡は1パーセントを下回るものの、全国平均を超えていることなどを考えて、県立の学校では続けた。市町村の判断は、それぞれに任された。

沖縄は、1パーセントを超える市町村が多い。県の教育委員会は特別支援学校で検査を続けると報じられた。

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