お経が終わっても誰も立ち上がれない座敷
法事の読経が終わった。住職が数珠を置き、座敷の空気がゆるむ。ところが誰も、すぐには立てない。
膝から下の感覚が消えている。足の裏に触れているはずの畳が、ひどく遠い。無理に腰を浮かせると、ふくらはぎから先が他人の足のように言うことをきかず、膝が笑う。
そんなとき、指先を舐めて額に塗りつける人がいる。眉のあたりをなでる人もいる。何かを唱えるでもなく、半分は癖のような手つきだ。
「しびれには唾をつけるといい」。この言い方に聞き覚えのある人は少なくなく、場所は額だったり爪先だったりして、語る人によって揺れる。
座敷の隅で交わされる小さな知恵は、わざわざ文字にされる機会が少なかったが、それでも細い記録なら拾える。辞書、市史、一覧表、研究論文。順に当たってみる。ちなみに先に断っておくと、拾えた形は思ったより少ない。
「痺が切れる」が辞書に載ったのは1603年だった
精選版の日本国語大辞典は、「痺が切れる」に2つの意味を並べる。1つ目は、長くすわっていたために血液の循環が悪くなり、足の感覚がなくなること。2つ目は、待ち遠しくて我慢ができなくなること。
足がしびれる、しびれを切らす、という言い方も、同じ意味の仲間として挙がっている。初出として示されているのは、日葡辞書の1603年から1604年の記述で、慶長8年から9年にあたる。日葡辞書は、日本語の語をポルトガル語で説明した辞書で、本編が1603年、補遺が1604年に出た。
慶長8年は、徳川家康が征夷大将軍になった年だ。江戸の世が始まった頃には、足のしびれはもう辞書に載る言葉になっていた。語釈にあるのは「長くすわっていた」で、正座という語は出てこない。
しびれる、と言わずに、切れる、と言った。ことばの上では、感覚の糸がぷつりと切れたように扱われている。
2つ目の意味は、いまも生きていて、待たされて我慢できなくなると、人は「しびれを切らす」と言う。足の話が、気持ちの話へ移ったわけだ。
辞書が拾えるのは、言葉まで。足がしびれたら、何をしたのか。その手の動きは、別の資料に当たるしかない。
多摩の市史はムカデの毒を「しびれるような痛み」と書いた
東京の多摩市史の民俗編に、まじないの記録が載っている。第八章「ことばの民俗と芸能」のうち、「ことばのはたらき」という節で、見出しは「まじない・俗信・民間医療」だ。657ページから658ページに、ハガチ、蜂、マムシへの対応が並ぶ。
ハガチとは、ムカデのことだ。刺されると「しびれるような痛み」が出る、と市史は書く。手当ては、3通りが並んでいる。
1つ目は、蕨の根をすって傷口に当てながら、「ハガチよ、ハガチ、蕨の恩を忘れたか」と唱える方法。2つ目は、蕨を叩きつぶして傷口につける方法だ。3つ目が、唾をつけておけばよい、という手当てになる。
唾の理屈は、ハガチは唾が苦手で、唾をかけると苦しがる、というものだった。地区名は、落合と貝取。蜂については、「大蜂小蜂さすな」と唱えれば、蜂の巣のそばへ行っても平気だという。
マムシには、乞田に、マムシの首を切ってその血を傷口につける、という先祖伝来の方法もあったそうだ。ムカデ、蜂、マムシ。毒のある相手が、順に並ぶ。
ムカデに向かって蕨の恩を忘れたかと詰め寄り、蜂には、刺すなと頼み込む。相手が人の言葉を聞き分ける、という前提に立った唱え言。
しびれるような痛みを出す虫に、向けられた唾。足のしびれとは別の話だが、しびれという語と唾が同じ頁に出てくる点は、見逃せない。
富山では手に唾をつけて眉毛をなでた
まじないを一覧表にまとめたサイトがあり、蒼雲草という名で、管理人が伝承や文献から集めた呪文や呪術を並べている。表の中では、すぐにできるものを呪術、大掛かりな儀式を伴うものを呪法と分けている。
その表に、足がしびれたときのまじないが2行だけ載る。1行目の出典は、神秘術研究会の1914年で、大正3年にあたる。内容は「額に十字を3回書く」。
2行目の出典は、根岸の1991年で、平成3年にあたる。富山の例として、唱えごとか、手にツバをつけて眉毛をなでる所作か、2通りの形が書かれている。
唱えごとは「しいびれしいびれ治れ、草鞋買うてはかしょや」。字面を追うと、しびれ自体に呼びかけていて、治れと言い、草鞋を買って履かせてやろうと持ちかける口ぶりに読める。
しびれを、小さな生き物のように扱う口調。なだめすかして、出ていってもらう。そんな呼びかけに聞こえる。
額に十字を3回書く1914年の記録には、唾が出てこない。指で書く動作だけが残る。唾を使う形と使わない形が、同じ項に並んでいた。
出典欄の「根岸、1991」だけでは、書名までは分からない。同じ1991年に、群馬の民俗学者の根岸謙之助が『医療民俗学論』を雄山閣出版から出している。表の出典と同じ本かどうかは、表からは確かめられなかった。
表が拾った記述の元の文面にも、まだ当たれていない。だから、富山のどの地域の話か、いつ頃の話かは書けない。爪先に唾をつける形も、確かめられた記録の中に見当たらなかった。確かめられたのは、眉をなでる所作と、額に書く十字。
狐は眉毛の数を数える、だから眉に唾をつける
なぜ眉なのか。「眉に唾をつける」という言い回しが手がかりになる。
この表現は、狐や狸に化かされない、という俗信から生まれたとされる。いまは、騙されないよう用心することや、真偽の怪しいものを指して使う。「眉唾物」は、信用できない話の代名詞。
狐は人を化かす前に、相手の眉毛の本数を数える、と言い伝えられていた。あらかじめ眉を唾で濡らして固めておけば、本数を数えられず、化かされずに済む。
唾液には、魔的なものから身を守る力があると考えられていた、と辞書の解説は書く。眉を濡らす所作は、邪気を追い払う手当てだった。
文献にも名残があり、江戸時代の『東海道中膝栗毛』に、この表現が出てくる。1703年、元禄16年の俳諧『広原海』には、「眉に唾付ける篠田の森見へて」という句が記録されているという。
一方で、精選版の日本国語大辞典が初出例として引くのは、1923年の矢田挿雲『江戸から東京へ』だ。辞書の初出例と、古い文献に残る使用例は、別々に数えられているらしい。
いま確かめられた範囲では、眉と唾の組み合わせは、足のしびれの呪いの記録より古い。富山の「手にツバをつけて眉毛をなでる」は、この眉唾と同じ形をしている。しびれの呪いが魔除けの型を借りたようにも見えるが、借りたという証拠は、手元の資料にない。
愛媛の呪い療法は、唱えごとの終わりが同じだった
愛媛県の郷土資料のデータベース『えひめの記憶』に、県史の民俗編の下巻が収められている。第六章の民俗知識に「呪い療法」の項があり、症状ごとに各地の手当てが並ぶ。同じ章には、神仏祈願、祈祷、箕加持、民間薬、石風呂の項も続く。呪い療法は、その入り口にすぎない。読めた範囲に、足のしびれは見当たらなかった。
眼病には、小田町で寺から甘茶をもらって目につける。石鎚山の山頂の閼伽の水をつける地域も多い。目に埃が入ったときは、「カラスカラス、目のボクとってくれ」と言いながら吹いてもらう。南宇和郡御荘町の例だ。
ものもらいをメボと呼び、井戸に小豆を落として「小豆かと思うたらメボが落ちた」と唱える土地もあった。久万町ではヘソに塩をのせ、御荘町では、人に見られないようにヘソへ塩をすり込んだ。
疣には、御荘町で箒を使い、「うりゃ盗人」と言いながら疣をなでる。初雷のときに「イボ落ち」と3回唱えて箒でなでる土地もある。「イボイボうつれ」と石にこすりつけて、その石を積む手当てまで載る。小石を年の数だけ集めてこすりつけ、道へ捨てる手もある。薬師には、治ったら蛸の絵を描いて納めます、と願をかける。
蜂に刺されたら、墨で九の字を書く。御荘町では、刺された所へ何度も書き、「八より九が偉いから腫れない」と言った。城川町では患部の周りに九の字を9回書き、百足に食われたときは七の字を7回書く。久万町には、「我も弁慶、彼も弁慶、五条の戦い忘れたか」と唱えれば蜂に刺されない、という唱えごともある。
字を書く数まで虫の種類で決まっていて、額に十字を3回書く1914年の記録も、この「書く」系統の仲間に見える。ただ、関係があるかどうかは、資料からは言えない。
歯痛にも、細かな手当てが並ぶ。旧喜多郡の横林村では、節分の炒り豆を年の数だけ紙に包み、「この豆が芽を吹くまで痛まぬように」と言って土に埋めた。小田町には、紙の上に両足をそろえて立ち、足もとに円を描いて顔に見立てる手がある。痛い歯を大きく描き、鬼の字を10個書き、折って柱に釘で打ちつける。痛くなるたびに、また釘を打つ。
乳歯が抜けたときの唱えごとも載る。上の歯は床下へ、下の歯は屋根の上へ投げる。上の歯には「鼠の歯より先に生え」、下の歯には「雀の歯よりはよう生え」と言った。脚気には、松山市の古三津町で、南瓜に向かって盃をさし、人間であるかのようにやりとりをしてから南瓜を川へ流したという。
熱病には、箕加持という手当てもある。中島町では、原因不明の熱病をカザフレと呼び、箕の中に庖丁、しゃもじ、やかんの蓋を入れて唱える。久万町では、箕にすりこぎとしゃもじを入れて振りながら、「アビラウンケンソワカ」と唱えると熱が下がるという。
刃物を使う手当てもある。おたふく風邪には、広田村の高市で、「北の男、五尺にも足らぬ小男で頬八丁とは出が太いぞ」と唱えながら、出歯庖丁の刃を頬に当てた。火傷には、大洲市で、「猿沢の池の大蛇がやけどして、水に溺れて火に焼けた」と唱えながら、庖丁を患部の上で振り回す。
息を使う手当てもある。切り傷には、久万町で息を吹きかけながら唱える。手首が痛む「そらで」には、障子の破れから手を外へ出して手招きし、「ソラデが痛うて招かれません」と言う。男なら女児の末子に、女なら男児の末子に、手首を白糸で縛ってもらう土地もあった。
唱えごとの終わりに「アビラウンケンソワカ」が付くものが目立つ。眼病も、歯痛も、血止めも、蝮よけも、この言葉で締める例が多い。足のしびれに何を唱えたかは、この県史の読めた範囲では分からなかった。
しびれにも虫にも疣にも、人は話しかけた
ここまで並べた唱えごとには、共通の癖がある。相手に話しかけるのだ。
富山では、しびれに「治れ」と言った。多摩では、ムカデに「蕨の恩を忘れたか」と問い、蜂に「さすな」と頼んだ。愛媛では、カラスに目のゴミを取ってくれと言い、疣に「イボイボうつれ」と呼びかけ、南瓜と盃を交わし、おたふく風邪の頬には、出が太いぞ、と文句をつけた。
蕨の名も、東京と愛媛の両方に出てきて、多摩のハガチには、蕨の根を傷口に当てながら唱えた。愛媛の御荘町には、「遠山のにしきまだらの虫おらば、トウダガタキのチカヤグサ・ワラビナの恩を忘れなよ」という唱えごとがある。ワラビを親指につければ咬まれない、と言う土地もあった。
離れた土地で、同じ植物の名が虫除けの唱えごとに顔を出す。その理由は、資料には書かれていない。
足がしびれたときの唾も、この系統に並べると収まりがいい。言葉をかけるか、唾を塗るか、字を書くか。手元にあるもので、見えない相手に働きかける。
足の病の神には、草鞋を納めた
同じ県史には、神仏への祈願の項もある。足の病には、足の神。そこに塞の神が出てくる。足の病や咳の神として信仰され、草履を供える、と書かれている。
中島町神浦や、長師と小浜の境の塞の神は、転んだら足半草履をつくって納める。越智郡の魚島の塞の神は足病に験があり、わら草履が奉納された。川之江市金生町の塞の神は「たごりの神」とも呼ばれ、治ると男子は草鞋を、女子はコマゼを納めた。
中島町の饒には、大きな白蛇がお使いだという歯痛の神がいて、草鞋の片方を供えて願をかける。治ったら、もう片方を供える。願をかける側が片方を差し出し、叶ったらもう片方を渡す。取引の形をしている。
松山市の石手寺の韋駄天堂には、多数の草鞋が奉納されているという。足の神に履物を捧げる習わしは、県史の中で何度も顔を出す。
富山の唱えごとに戻る。「草鞋買うてはかしょや」は、しびれに草鞋をやるから治れ、と持ちかけているように読める。足の神へ履物を納める愛媛の習わしと同じ筋かどうかは、手元の資料では言えない。並べると、どこか似ている、というところまでだ。
のろいとまじないは同じ字を書く
呪うと書いて、ノロイとも、マジナイとも読む。神戸大学のサイトに置かれた民俗学事典の項目は、この2つが時代とともに使い分けられるようになったと説明する。
ノロイは、神仏や霊の力を秘かに使って、他人に危害を加えようとすること。「人を呪わば穴二つ」の格言が、その負の向きをよく表す。
マジナイは、古い「蠱物」、マジモノの考えから広がった。邪悪な意図が薄れ、所作や道具を使って福をもたらす方面で使われるようになった、と同じ項は述べる。
足がしびれたときの唾は、後者の側に入る。誰かを傷つけるためではない。自分の足を、元の足に戻すための手つきだ。
正座は座敷の作法として生まれたわけではない
ここから、しびれる側の事情に移る。正座という座り方そのものは、江戸時代より前からあったらしい。『日本諸事要録』の1583年の記載から、16世紀後半にはすでに、下級武士や農民にまで広がっていたという指摘がある。
一方で、元禄から享保にかけて広まったと推測する見方もある。どちらの説も百科事典の記述の中に並んでいて、どちらが正しいかは、その記述からは決められない。
「正座」という語は、もっと新しく、江戸時代以前は、かしこまる、つくばう、と呼ばれていた。1889年の辞書『言海』には、正座という語が出てこない。
いま確認できる最古の使用例は、1882年、明治15年に出た『小学女子容儀詳説』の上編だという。名前のなかった座り方が、明治の世で「正しい座」の名を得たわけだ。
江戸の初めに、幕府は小笠原流の礼法を採用したという。参勤交代が決まり、全国から集まった大名が、全員で将軍に向かって正座することになり、それが各領地へ広まった。そういう説明も紹介されている。
足のしびれを「痺が切れる」と呼んだ1603年の辞書は、この話よりも前に出ている。正座という語が使われ始めるのは、それよりずっとあとで、足のしびれのほうが、先に名前を持っていた。
血が戻るときに痛みが走る
京都大学の研究チームは、2016年3月24日、正座のあとのしびれの仕組みを科学誌サイエンティフィックレポーツで発表した。平成28年のことだ。
痛みに近いしびれの引き金は、血流が止まっている間ではなく、血流が戻ったあとに出る活性酸素だった。その痛みに近いしびれは、皮膚の近くにある感覚神経のたんぱく質が、血流の再開後に出る活性酸素で刺激されて起きる。そのたんぱく質の名が、ティーアールピーエーワンだ。
流れはこうだ。血流が落ちて低酸素になると、このたんぱく質が過敏になる。血流が戻ると活性酸素が出て、過敏になったたんぱく質を刺激する。痛みの情報が脳へ伝わる。
実験に使われたのは、マウス。後ろ足を糸で縛って血流を止め、血流を戻すと、マウスは足の裏を激しく舐めた。このたんぱく質を欠いたマウスでは、その行動が見られなかった。
足の裏を舐めるマウスと、指を舐めて額につける人。並べたくなる絵だが、この研究に唾は出てこない。しびれと痛みの仕組みを調べた研究で、まじないは対象ではなかった。
臨床側の説明も、骨格は近い。正座で足が圧迫されると血流が悪くなり、末梢神経に酸素が足りなくなって、異常な電流が流れ、ピリピリした感覚が出る。東京の医療情報サイトの記事は、そう説明している。
説明の細部は書き手によって違うが、京都大学の研究は、そこに具体的な分子の名前を挙げた。しびれの引き金になる側の話を、一歩だけ先へ進めた形だ。
同じ記事は、しびれにくい座り方も挙げる。かかとを開いて、お尻を直接かかとに乗せない。背筋を伸ばして、重心を前に置く。足首にかかる圧迫を減らす考え方だ。
百科事典の正座の項は、正座が脚を痺れさせ、一時的に血流を低下させることが研究で明らかになっている、と書く。プロの棋士のあいだでは、膝の痛みが職業病になっているという記述もある。椅子に比べて疲れる、という対局者の報告も紹介されている。
日本整形外科学会のしびれの解説は、別の方向を向く。糖尿病やアルコールによる末梢神経の障害、脊髄や馬尾神経や神経根の圧迫を、しびれの原因に挙げる。正座のあとのしびれは、そのページに出てこない。病気のしびれは、この文章の範囲の外にある。
唾液そのものについて分かっていること
唾液の99パーセントは水で、残る1パーセントに有機成分と無機成分が含まれる。歯科医院の解説は、そう書く。
1日の分泌量は、正常なら1リットルから1.5リットルほどで、安静時の唾液は、700から800ミリリットルほどになる。百科事典の記述による。
成分には、ナトリウム、カリウム、カルシウム、塩化物イオン、重炭酸イオン、無機リン酸が入る。抗菌の働きをする分泌型免疫グロブリンや、殺菌性の酵素リゾチームも含まれる。
唾液には、デンプンをマルトースやデキストリンに分解する消化酵素、プチアリンもある。唾液アミラーゼとも呼ばれる。ヒスタチンは、抗菌作用に加えて、口の中の止血と傷の治りを早める効果があると記される。
歯科医院の解説は、神奈川歯科大学の教授の見解を紹介している。唾液による傷の修復は、小さい切り傷や擦り傷に限られ、大きな傷は治しにくいという。2019年には、肯定的な論文も出たという。
自分の唾液と他人の唾液は、扱いが違う。他人の唾液をつけてはいけない、と同じ解説は明記していて、唾液の中に感染性のウイルスがいることがあるからだという。
埼玉の宮代町史の民俗編にも、止血の民間療法が出てくる。ドクダミの葉を火であぶり、ねちょねちょしたものを紙に塗って傷口に貼る。もう1つは「血を飲んでしまう」で、括弧の中に「唾液で治す」と添えてある。
多摩のムカデの話も、宮代の止血の話も、傷や毒が相手だった。足のしびれは傷ではない。いま挙げた資料の範囲に、唾液がしびれに働くと述べたものは出てこない。
唾をつける場所は足ではなかった
ここまでで確かめられた形を並べる。富山では、手に唾をつけて眉毛をなでた。唱えごとで済ませる形もある。1914年の記録では、額に十字を3回書いた。
どちらの形でも、手が向かう先は、しびれた足ではない。眉であり、額だ。感覚の消えた足をそのままにして、顔に近い場所へ手が伸びる。
爪先に唾をつける形は、手元の資料では確かめられなかった。座敷で語られる形と、紙に残った形のあいだには、まだ隙間がある。
