十二歳で、女の子だった子が男の子になる村がある
カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島の、ドミニカ共和国側。首都サントドミンゴから南西へ、乾いた道を何時間も走った先に、ラス・サリナスという小さな集落がある。塩田と漁で暮らしてきたような土地だ。そこには昔から、こういう子がいた。生まれたときは誰がどう見ても女の子で、女の子として名前をもらい、スカートを着せられ、女の子として学校に通う。ところが十二歳前後、思春期にさしかかるあたりで、体が変わりはじめる。
声が低くなり、肩幅が広がり、筋肉がつき、そして男性器が発達してくる。村の人はこれを驚かない。名前まで用意してある。ゲベドーセ、と呼ぶ。この現象は迷信でも都市伝説でもなく、きちんと病名のついた実在の状態で、しかもこの村の子どもたちの体から、世界中で何千万人が飲んでいるある薬が生まれている。
「ゲベドーセ」という言葉の身も蓋もなさ
まず名前の話をしておきたい。ゲベドーセは、ドミニカのスペイン語でウエボス・ア・ロス・ドセ、つまり「十二歳のタマ」がつづまったものだとされる。日本語に直すとかなり直球で、上品な言い方ではまったくない。日本語圏の紹介記事では「十二歳のペニス」と訳されることも多い。どちらにせよ、村人が日常会話でぽんと使う俗語であって、医学用語ではない。
ここが面白いところで、外の世界が「五アルファリダクターゼ二型欠損症」という長ったらしい名前を用意するずっと前から、村には呼び名があった。名前があるということは、その現象が例外ではなく、共同体の想定内に入っていたということだ。名前がなければ、人はそれを怪異として扱う。名前があれば、日常として扱える。
もうひとつの呼び名、マチエンブラ
この地域にはもう一つの呼び方もある。マチエンブラ、と記される言葉だ。表記ゆれでマチウェンブラと書かれることもある。スペイン語で男を意味するマチョと、女を意味するエンブラを合成した言葉で、現地では「はじめは女、のちに男」という意味あいで説明されることが多い。ゲベドーセが体の部位に注目したあけすけな呼び名だとすれば、こちらは時間の流れに注目した呼び名だ。
同じ現象に二つの語彙があって、片方は下ネタ寄り、もう片方は変化の記述。この二重性が、村がこの現象をどう受け止めてきたかを妙に正確に表している気がする。からかいの対象でもあり、同時に「そういうものだ」と了解されている出来事でもある、という具合だ。
まずは村の話から。ラス・サリナスという場所
ラス・サリナスは、ドミニカ共和国の南西部、バラオナ県のあたりにある小さな共同体だ。人口はおよそ六千人規模と紹介されることが多い。海と塩と乾いた低木の風景で、観光地でもなければ大都市でもない。舗装路が村まで届いていない時期も長かった。要するに、外から人があまり入ってこないし、中の人もあまり出ていかない場所だった。この「出入りの少なさ」が、後述する遺伝の話にそのまま効いてくる。
血縁が濃くなりやすい環境では、両親の両方が同じ変異を持っている確率が跳ね上がる。ゲベドーセがこの村に集中したのは、村の何かが特別だったからではなく、単に人の行き来が少なかったからだ。
九十人に一人、という異常な密度
数字を見ると、この集中ぶりはかなり際立っている。一九七〇年代の調査では、ラス・サリナスでは、生まれてくる男児のうちおよそ九十人に一人がゲベドーセだったと報告されている。別の言い方をすると、この村で生まれる男の子の一パーセント強がこの状態にあった、ということになる。世界全体で見れば、この疾患は極めて稀な部類に入る。ヨーロッパ系の集団ではほとんど報告がないほどだ。
それがこの村では、学校のクラスに一人いてもおかしくない頻度で存在していた。だから村人は、隣の家にも、いとこにも、同級生にも、実例を知っている。知っているから、驚かない。この「頻度が文化を作る」という現象は、あとでパプアニューギニアの話と比べるときに効いてくる。
一九七〇年代、ニューヨークから来た若い女性研究者
この村を医学の地図に載せたのは、ジュリアンヌ・インペラート=マッギンリーという内分泌学者だ。ニューヨークのコーネル大学医学部で研究フェローをしていた時期に、彼女はドミニカの奇妙な報告に食いついた。当時、女性の医師が単独で海外調査に出るのは今よりずっと珍しかったはずだ。彼女はのちに、自分の研究の進め方をこう説明している。ほとんどの研究はラボから病床へ、そして地域社会へ流れていく。
私は逆で、地域社会からラボへ戻って、なぜそうなるのかを調べる、と。この一言が、この人の仕事のすべてを説明している。彼女が最初に見たのは論文ではなく、村だった。
噂を聞きつけたきっかけ
きっかけとして伝えられているのは、ドミニカに「女の子として育った子が思春期に男になる」という言い伝えがある、という報告だ。当時の医学の枠組みでは、こういう話は民話か誤診に分類されるのが普通だった。実際、外国の研究者が最初にこの噂を聞いたとき、真に受けなかった人も多かったらしい。だが彼女は現地に行った。行って、実際にその人たちに会った。ここが決定的だ。
文献に書いてある内容を検証するのではなく、噂そのものを検証しに行った。医学史では、こういう「現場に行った人」が地図を書き換えることがたびたびある。
現地での聞き取りは、まず信用されることから始まった
外から来た研究者が、田舎の共同体に入っていって、性器の発達について詳しく聞かせてくれ、と頼む。これがどれだけ難しいことか、想像するだけで胃が痛くなる。しかも対象は子どもや若者を含む。診察には身体の観察も血液の採取も必要になる。それを何十家族分も集めるとなると、村の側に相当な信頼がなければ成立しない。彼女はのちに、ドミニカ共和国に自分のクリニックを構えることになる。開設は一九八二年とされる。
調査に来た外国人が、その土地に診療の拠点を作ったわけだ。長期にわたって同じ集団を追跡できたのは、この関係の作り方が効いている。一回来て採血して帰る、というやり方では、思春期をまたぐ変化は追えない。
一九七三年、大西洋岸の学会での発表
研究の成果が最初に公の場に出たのは、一九七三年、ニュージャージー州アトランティックシティで開かれた連合学会の場だったと伝えられている。海沿いのリゾート都市で、カリブ海の村の話が読み上げられた格好だ。この時点で、彼女のチームはすでに相当数の症例を押さえていた。当時の医学の常識では、外性器の形は生まれつき決まっていて、思春期にそれが大きく変わるなどということは考えにくかった。
だから発表は衝撃をもって受け止められた、というより、まず信じられなかったという反応が多かったはずだ。
一九七四年十二月、『サイエンス』に載った四人の名前
正式な論文は、一九七四年十二月二十七日付の『サイエンス』誌に掲載された。著者はジュリアンヌ・インペラート=マッギンリー、ルイス・ゲレーロ、テオフィロ・ゴーティエ、ラルフ・E・ピーターソンの四名。タイトルは、ヒトにおけるステロイド五アルファリダクターゼ欠損症、遺伝性の男性仮性半陰陽の一型、といった意味のものだ。ここで「仮性半陰陽」という古い用語が使われている点は覚えておいてほしい。
この語は現在では使われず、性分化疾患という枠組みに置き換えられている。当時の言葉づかいには今の目から見て問題のあるものが多いが、記録としての年号と著者名はこの通りだ。要旨としては、血中のジヒドロテストステロンが著しく低く、それは五アルファリダクターゼという酵素の活性低下によるもので、遺伝形式は常染色体劣性である、という内容だった。
何が起きているのか――テストステロンとDHTの分業
仕組みは、いったん理解するとかなりすっきりしている。男性ホルモンの主役はテストステロンだ。ただしテストステロンは、体の場所によっては、そのままでは効きが弱い。五アルファリダクターゼという酵素が、テストステロンをジヒドロテストステロン、略してDHTに変換する。このDHTのほうが受容体にがっちり結合するので、効き目が強い。そして胎児期に外性器を男性型に作り上げる仕事は、主にDHTが担当している。
一方、思春期に声を低くしたり、筋肉を増やしたり、身長を伸ばしたりする仕事は、テストステロンそのものがかなりの部分を担う。つまり、同じ男性ホルモンでも担当部署が違う。この分業がわかると、ゲベドーセの体に起きていることが一本の線でつながる。
妊娠八週目に起きなかったこと
胎児の性分化は、妊娠の初期に一気に進む。おおよそ八週目あたりから、Y染色体を持つ胎児では精巣が作られ、そこからテストステロンが出て、外性器が男性型へと変形していく。この変形の最終段階で必要なのがDHTだ。五アルファリダクターゼ二型が働かないと、DHTが十分に作られない。すると、外性器は男性型に育たず、女性型に近い形のまま生まれてくる。ただし染色体はXY、体の中には精巣がある。
子宮や卵巣は作られない。つまり、外から見える部分と、内側の構造が食い違った状態で生まれてくる。医療者が立ち会っていない出産で、外見だけを見て性別を決めれば、当然「女の子」と記録される。ラス・サリナスで長らく起きていたのは、まさにそれだ。
思春期に、体が「二回目の工事」を始める
ではなぜ十二歳前後で変わるのか。思春期になると、精巣がテストステロンを大量に出しはじめる。血中の濃度がぐっと上がる。DHTを作れないままでも、テストステロンの絶対量が増えれば、その一部は効いてくる。加えて、体には五アルファリダクターゼの一型という別のタイプの酵素もあり、こちらは思春期以降に活性が上がる。この二つが重なって、胎児期にできなかった男性化が、十年以上遅れて進みはじめる。
要するに、胎児期に一度不発だった工事が、思春期にもう一度始まる。人体の設計としては、なかなか粗い、というか力技だ。だがそれが実際に起きている。
声が低くなる、筋肉がつく、そして
思春期の変化そのものは、当事者の証言によればわりと短期間に、はっきり自覚できる形で起きる。声変わりが来る。肩や胸に筋肉がつく。体つきが縦にも横にも変わる。そして陰核のように見えていた部分が伸びて陰茎になり、鼠径部にあった精巣が下降して陰嚢が形成される。ただし、程度には大きな幅がある。全員が同じ形になるわけではないし、尿道の位置に違いが残ることも多い。
ちなみに、DHTが少ないままなので、この人たちには特徴的な共通点がいくつも残る。ひげがほとんど生えない。ニキビができにくい。生え際が後退しない。そして前立腺が小さいままだ。この最後の一点が、のちに製薬史をひっくり返すことになる。
診断はどうやってつけるのか
現在の診断は、いくつかの手順を組み合わせて行われる。染色体を調べて46,XYであることを確認する。血液中のテストステロンとDHTの比率を測る。この比が異常に高い場合、五アルファリダクターゼ二型の働きが弱いことが疑われる。おおむね十から二十を超えると異常と判断される、というのが一つの目安だ。
ただし思春期前だとホルモンの分泌自体が少なくて判定しづらいし、酵素の活性が部分的に残っている場合も判定は難しい。だから最終的にはSRD5A2という遺伝子を直接調べることになる。なおここに書いているのは一般的な説明にすぎず、実際の診断や方針は専門の医療者が個別に決めるものだ。この記事を自己判断に使わないでほしい。
SRD5A2という遺伝子と、島に閉じ込められた変異
原因遺伝子はSRD5A2という。二番染色体の短腕、2p23.1という位置にある。この遺伝子に生じる変異はこれまでに百二十種類以上が報告されていて、点変異、ナンセンス変異、スプライス部位の変異、小さな欠失や挿入など、壊れ方はさまざまだ。遺伝形式は常染色体劣性で、両親から一つずつ変異を受け継いだときに発症する。
ドミニカ共和国の集団については、一九九〇年代に遺伝子レベルの解析が行われ、この地域に共通する変異が同定されている。いわゆる創始者効果というやつで、遠い昔に一人か少数の祖先が持ち込んだ変異が、閉じた集団のなかで濃縮されていった、という筋書きだ。村の人が特別なのではなく、村の人口構造が特別だった。
一九七九年、もっと大きな論争を呼んだ論文
医学的な発見よりも、社会に波紋を広げたのは五年後の論文のほうだ。一九七九年、同じ研究チームが医学誌に発表した論文は、男性ジェンダー・アイデンティティの成り立ちにアンドロゲンがどう関わるか、というテーマを正面から扱っていた。対象となったのは三十八人の当事者で、そのうち十八人は、疑いなく女の子として育てられていた。
この十八人のうち、思春期以降に男性としてのジェンダー・アイデンティティへ移行したのが十七人、男性としての社会的役割に移行したのが十六人だった。論文の結論は、胎児期、新生児期、そして思春期に脳が正常な量のテストステロンにさらされることが、男性としての自己認識の形成に相当程度寄与している、というものだ。
十八人中十七人、という数字の扱われ方
この数字は、その後何十年にもわたって引用され続けることになる。当時の心理学や社会学では、ジェンダーは生後の育てられ方でほぼ決まる、という考え方が強い影響力を持っていた。そこへ「女の子として育てられた十八人のうち十七人が男性になった」という数字がぶつけられたのだから、議論が荒れないわけがない。生物学的決定論の証拠として持ち出す人が出てくれば、それに反発する人も出てくる。
実際にはこの論文自体、社会文化的な干渉がないときには、という条件をつけて書かれている。にもかかわらず、条件の部分は落ちて、数字だけが独り歩きした。ネットで今も見かける「性自認は生まれつき決まっているという証拠」という説明は、だいたいこの落ち方をしている。
反論――「文化がゼロだったわけがない」
批判は当時から出ていて、今も続いている。中心的な論点はこうだ。ラス・サリナスでは、この現象がすでに知られていて、ゲベドーセという呼び名まであった。つまり、そこで育つ子どもは「自分もそうなるかもしれない」という情報のなかで育っている。いとこや近所にも実例がいる。この状況を「女の子として純粋に育てられた」と言い切れるのか、という反論だ。
事実、後年の取材でも、当事者たちは自分の変化が起きる前から、その可能性を知っていたと語っている。文化的な下地がある場所での性別移行を、生物学だけで説明するのは無理がある。この批判は、けっこう強い。
フランスの調査では一割強しか変わらなかった
もっと決定的なのは、他の国のデータだ。同じ五アルファリダクターゼ二型欠損症でも、女性として育てられた人のうち男性へ移行する割合は、地域によって大きく違う。ドミニカ共和国のコホートでは十八人中十七人、つまり九割を超えた。中国での症例集積では、ほぼ全員が男性へ移行したと報告されている。ところがフランスの症例では、その割合は一割強にとどまる。
ヨーロッパの多施設研究でも、関連する別の酵素欠損症とあわせて、およそ一割強という数字が出ている。同じ遺伝子、同じホルモン環境で、これだけ結果が違う。つまり、ホルモンだけでも文化だけでも説明できない。両方が効いている、というのが現在の穏当な理解だ。
証言① 赤いワンピースを覚えている、ジョニーの話
二〇一五年に世界へ広く紹介された当事者に、ジョニーという二十代の男性がいる。生まれたときはフェリシタという女の子の名前をつけられ、そのように育てられた。彼が覚えているのは、小さな赤いワンピースを着ていたことだという。女の子用のおもちゃを買い与えられても、まったく遊ぶ気にならなかった、とも語っている。七歳ごろから、彼のなかで違和感がはっきりしてきた。スカートを着るのが嫌になった。
女の子と遊ぶ気がしなくなった。おもちゃの銃と、男の子たちと遊ぶことだけがしたかった、というのが本人の言葉だ。そして思春期に体が変わり、彼は男性として生きることを選んだ。振り返って彼は、女の子の格好をするのは一度も好きになれなかった、変わってからは自分の人生に満足している、と語っている。将来は結婚して子どもを持ちたいとも話していた。
ひとつ付け加えると、この人の語りは「女性だった人が男性になった」という筋書きでは正確に捉えられない。彼にとっては、外側の見え方がようやく内側に追いついた、という順序だったように読める。
証言② 「悪魔だと言われた」――村の子どもたちの残酷さ
一方で、村がすべてを穏やかに受け入れていたわけでもない。同じ人物の別の取材では、かなり厳しい言葉が出てくる。あいつは悪魔だ、と言われた。汚い言葉、ひどい言葉をぶつけられた。だから殴り合うしかなかった、線を越えてきたのだから、という趣旨のことを彼は語っている。大人たちが「よくあることだ」と受け止めていても、学校の教室では話が別だ。昨日まで同じ列に並んでいた子が、名前も服装も声も変わっていく。
子どもの集団はその変化にきわめて厳しく反応する。取材した側も、この点は率直に伝えていて、彼らはからかわれる、と述べている。ある子は、同級生が驚くのも無理はないと理解を示していた、昨日まで女の子だった子が今日から男の子なのだから、という言い方だ。共同体としての受容と、日々の対人関係での摩擦は、まったく別のレイヤーで起きる。
ここを混ぜて「村では祝福されている」とだけ書くと、当事者の経験を平らに均してしまうことになる。
証言③ 研究者自身が語った、村から実験室へ逆流する研究
当事者ではないが、研究者の側の語りも記録として重い。インペラート=マッギンリーは、五十年の研究生活を振り返って、自分のやり方を明確に言語化している。ほとんどの研究は実験台から病床へ、そして地域社会へと流れる。自分は逆で、地域社会から実験台へ戻って、なぜそうなるのかを解き明かす、と。この順序が、この発見のすべてを決めている。
彼女はまた、駆け出しのころに研究費の申請書がまったく通らず、書き直しの草稿をゴミ箱に捨てていたという話も残している。上司にそれを見つけられ、二十三稿目を出してみたらどうだ、と言われたそうだ。この人はその後、コーネルで内分泌部門を二十五年率い、一人だった部門を二十六人体制まで育て、臨床研究センターの初代所長として二十年にわたり多額の研究資金を獲得し、五千人を超える研究者を指導した。
カリブ海の村での聞き取りから始まった仕事が、そこまで伸びる。研究というのは、最初にどこへ足を運ぶかで決まる部分がかなり大きいのだと思う。
村はこの現象をどう扱ってきたのか
外から取材に入った人たちが一様に驚くのが、村の淡々とした態度だ。ドミニカ共和国では、ときどき女の子が男の子になる、そういうものだ、という空気がある、と表現されている。変化が起きたときに祝う場面が持たれることもあるという。子どもたちも、いとこや近所で前例を見ているから、自分にも起こりうると知っている。これは驚異的な適応だと思う。
医学の説明がまったくない時代から、この共同体は現象を分類し、名前をつけ、想定の内側に置いてきた。未知のものを排除するのではなく、語彙を与えて日常に組み込む。共同体が持てる知恵として、これはかなり高度なやり方だ。
「第三の性」と呼ぶことの功罪
外部の論者からは、ゲベドーセは第三の性として扱われている、という説明がなされることがある。ジェンダー研究の側からは、社会が実際には二つの性役割しか用意していないのに、実質的に第三のカテゴリーを認めているという矛盾が指摘されてきた。この見方には一理ある。名前があり、想定の内側にあるという点では、確かに独自のカテゴリーだ。
だが同時に、当事者の多くは成人後に男性として生きることを選んでいるわけで、彼らが自分を「第三の何か」だと思っているとは限らない。外の理論家が現地の現象にラベルを貼るときには、いつもこの危うさがつきまとう。当事者が自分をどう呼んでいるかと、研究者がどう分類したいかは、別のものだ。
女性として生きることを選ぶ人もいる
見落とされがちだが、押さえておきたい点がある。全員が男性として生きるわけではない。思春期以降も女性として生きることを選び、そのために手術を受ける人もいると報告されている。これは当然の話で、どう生きるかは体の変化が自動的に決めるものではない。同じ変化を経験しても、選ぶ道は分かれる。前述したフランスやヨーロッパのデータで移行率が一割強にとどまるのも、この幅を裏づけている。
医学的な管理としても、男性として生きる方針なら精巣の位置を戻す手術やアンドロゲン治療、女性として生きる方針なら別の対応、という具合に道が分かれる。どちらが正しいという話ではなく、本人と家族と医療者が一緒に決めていくべき領域だ。
パプアニューギニアの山中で、同じことが起きていた
同じ現象は、地球の反対側でも報告されている。パプアニューギニア東部高地に暮らすシンビリ(シンバリ)の人々のあいだで、同様の状態が知られてきた。人類学者ギルバート・ハートは、この集団に「サンビア」という仮名を与えて長期のフィールドワークを行い、一九八一年の著作をはじめとする一連の民族誌を残している。
彼が記録したのは、儀礼と性のありようを中心とした社会の姿だったが、そのなかにこの体の現象も含まれていた。ドミニカとパプアニューギニアという、まったく交流のない二つの土地で、同じ遺伝子の同じ壊れ方が独立に集積した。どちらも山や海に隔てられ、集団の外との婚姻が少なかったという共通点がある。
クウォル・アートモル――「男に変わりゆくもの」
現地の言葉では、この状態はクウォル・アートモルと呼ばれる。おおよそ「男へと変わっていくもの」という意味あいだと説明される。トク・ピシンでは「ターニム・マン」、つまり変わる人、という言い方もされてきた。ドミニカのゲベドーセが体の部位と年齢を指す露骨な言葉だったのに対し、こちらは変化そのものを名指す言葉だ。名づけ方が違えば、その社会がその現象の何に注目してきたかも違う。
ここを比べると、同じ疾患が文化によってまったく違う輪郭を持つことがよくわかる。医学的には同一でも、社会的にはまるで別の出来事になる。
サンビアでは祝福されなかった
そして押さえておきたいのは、パプアニューギニアでの扱いがドミニカとかなり違ったことだ。ドミニカでは「そういうこともある」と受け止められ、祝う場面すらあったのに対し、こちらでは強い偏見の対象になったと報告されている。男性の成人儀礼が社会の中心にあり、性別の境界が厳格に運用されていた社会では、境界の上に立つ存在は居場所を失いやすい。
同じ体、同じホルモン、同じ遺伝子でも、社会の設計によって当事者が受け取る扱いは正反対になる。この対比ほど、「生まれつきの体」と「社会の反応」が別物であることを明快に示す例もそうそうない。
トルコ、エジプト、レバノン――地図に散らばる同じ変異
集積地はこの二か所だけではない。トルコでは症例の報告が積み重ねられていて、家族内に複数の当事者がいる例も記録されている。エジプトでは、疑われた子どもたちの遺伝子解析から、特定の変異が高頻度で見つかることが報告された。レバノン南部でも地域的な集積が指摘されている。共通しているのは、血縁の近い者どうしの婚姻が文化的に一般的だった地域だという点だ。常染色体劣性の疾患は、こういう条件下で表に出やすい。
ヨーロッパ系の集団でこの疾患の報告が少ないのは、そういう婚姻の慣行が薄かったからだ、と説明される。
なぜ特定の土地に集まるのか
理屈をもう一度整理しておく。常染色体劣性というのは、両親の両方から変異を受け継いだときにだけ症状が出る、という遺伝の形だ。片方だけなら保因者で、本人には何も起きない。だから変異は、何世代にもわたって集団のなかに静かに残り続ける。人の行き来が多い集団では、保因者どうしが子をなす確率は低いままだ。ところが、島の端の村や、山に囲まれた谷や、いとこ婚が普通の地域では、この確率が跳ね上がる。
ゲベドーセの村は呪われていたわけでも、特別な体質だったわけでもない。地理と婚姻の統計が、そのまま体に表れただけだ。この見方に立てば、この現象はまったく神秘的ではなくなる。
ここからが本題。薄毛の薬が生まれる
さて、この話がただの珍しい症例で終わらなかった理由がここからだ。研究チームが記録した当事者たちの特徴のなかに、こういうものがあった。彼らはひげがほとんど生えない。ニキビができない。生え際が後退しない。そして前立腺が小さいまま、加齢しても大きくならない。この最後の一点に、製薬会社が反応した。前立腺肥大は、中高年男性のかなりの割合が悩まされる問題で、当時も今も巨大な医療ニーズがある。
もしDHTを作らせなければ前立腺が肥大しないのなら、五アルファリダクターゼを薬で止めてやればいい。しかも、この村の人たちが実例として示している通り、大人になってからDHTがなくても、すでに完成した男性としての体は保たれる。つまり安全性の見通しまで、人体が先に示してくれていた。
一九九二年のプロスカー、一九九七年のプロペシア
こうして開発されたのがフィナステリドだ。五アルファリダクターゼを阻害して、テストステロンからDHTへの変換を抑える。アメリカで五ミリグラム錠が前立腺肥大症の薬として承認されたのが一九九二年、商品名はプロスカー。その後、DHTが男性型脱毛にも関わることから、一ミリグラム錠が男性型脱毛症の薬として一九九七年に承認された。商品名はプロペシア。以降、世界中で膨大な数の人がこの薬を飲んでいる。
日本でも薄毛治療の定番として広く知られている。もちろん、この薬には性機能や精神面に関する副作用の報告があり、各国の規制当局が注意喚起を出してきた経緯もある。服用の是非は個人が医師と相談して決めるべきことで、この記事が判断材料になるものではない。
村の子どもたちが、世界中の頭髪を救った、という言い方について
この経緯は、しばしば「ドミニカの村の子どもたちが薄毛の薬を生んだ」という一行で紹介される。キャッチーだし、事実としても間違ってはいない。ただ、この言い方には少し引っかかるところもある。彼らは実験に志願したわけではないし、薬の開発を目指して調べられたわけでもない。ある村に生まれ、思春期に体が変わり、そのことで学校でからかわれ、その体を研究者に調べられた人たちだ。
そこから得られた知見が、遠く離れた国の中高年の生活の質を上げている。医学の歴史には、こういう非対称がいくらでもある。恩恵は世界に広がり、負担は特定の場所に残る。この構図を見なかったことにしないほうがいい、というのが正直な感想だ。
二〇一五年、BBCが世界中に届けた
この話が一気に一般に知られたのは、二〇一五年のことだ。英国放送協会が制作した番組で、人間の胎児期の発生とその後の人生を扱うシリーズのなかで、ラス・サリナスとゲベドーセが取り上げられた。案内役を務めたのは、医師の資格を持つジャーナリストのマイケル・モズリー。この放送のあと、英語圏の各種メディアが一斉に後追い記事を出し、ネット上でも一気に拡散した。
日本語圏でこの話題が知られるようになったのも、この時期の翻訳記事がきっかけになっている場合が多い。半世紀近く前に学術誌で報告されていた事実が、映像になった途端に世界へ届いた、という好例でもある。
マイケル・モズリーが見たもの
モズリー自身は、この現象を一九八〇年代の医学生時代に知っていたと語っている。番組の取材でようやく現地へ行けたわけだ。彼の説明はシンプルだった。彼らはテストステロンをジヒドロテストステロンに変える酵素を欠いているので、生まれたときには女の子に見える。思春期にテストステロンが大量に出て、それだけで男性器が育つ、と。
村の空気については、女の子が男の子になることもある、そういうものだ、という受け止め方が強い、と表現している。同時に、彼らはからかわれる、とも明言していた。取材で出会った少年の一人は、同級生が驚くのも当然だと理解を示していたという。番組の締めくくりとして彼が繰り返していたのは、胎内での性の分化がいかに複雑かということだった。なお、モズリー自身は二〇二四年に亡くなっている。
ネットでの受容――「性別が変わる村」というバズ
ネットに出たあとの展開は、想像がつくと思う。まず「女の子が男の子になる村」という見出しが一人歩きした。次に、性自認をめぐる論争の材料として、双方の陣営に引用された。生まれつきの生物学が決定的だという主張の証拠として使う人がいれば、性別が二つに割り切れないことの証拠として使う人もいた。当事者にとっては、どちらもあまり関係のない話だ。
彼らはある村に生まれた人であって、誰かの議論を補強するために存在しているわけではない。掲示板やSNSで盛り上がるとき、いちばん最初に消えるのは、たいてい当事者の顔だ。この記事でも証言を長めに取ったのは、そこを消さないためだ。
出回っている誤情報を潰す
いくつか、はっきりさせておきたい。まず「性別が自然に切り替わる」という表現は不正確だ。染色体は生まれたときからXYで、体内には精巣がある。変わったのは外から見える部分と社会的な扱いであって、遺伝的な性が入れ替わったわけではない。次に「村の水や食べ物のせい」という説。これは完全に誤りで、原因は遺伝子だ。「呪い」や「風土病」といった説明も、当然ながら根拠がない。
「全員が男性として生きる」も誤りで、女性として生きる人もいる。「ドミニカだけの現象」も違う。パプアニューギニア、トルコ、エジプト、レバノンなど各地に報告がある。そして「性自認は生まれつき決まっていると証明された」という断言。これは前述の通り、地域差のデータと真っ向からぶつかる。
医学用語の変遷と、言葉が人を傷つけるということ
一九七四年の論文タイトルには「男性仮性半陰陽」という語が入っている。当時の標準的な学術用語だ。だが、この種の言葉は当事者にとって侮辱的に響くという指摘が積み重なり、現在では使われなくなった。国際的には二〇〇〇年代半ばに用語の整理が行われ、性分化疾患という枠組みに置き換わっている。日本語でも、かつて使われていた語の多くが避けられるようになった。
これは単なる言い換えではなくて、当事者を「異常な例」として名指す語彙から、「体のつくりに幅がある状態」を記述する語彙へ、視点を移す作業だった。過去の論文を引用するときにはその時代の語を書かざるをえないが、今この現象について書くときにその語をそのまま使う理由はない。
見世物にしないで語るには
この題材は、放っておくと簡単に見世物になる。実際、拡散した記事のなかには、当事者の体をのぞき見するような書き方をしたものがある。だが、村の側からすればこれは日常だ。ある家庭では、生まれた子がいずれ息子になるかもしれないという可能性を織り込んで暮らしてきた。ある子は学校でからかわれながら、それでも自分の名前を選び直して生きてきた。ある研究者は五十年かけてその人たちと付き合い続けた。
ここにあるのは奇談ではなく、人と家族と共同体の話だ。書くほうが持つべき節度は、たぶんそれほど難しくない。体の変化ではなく人生の側から書く。それだけで、だいたい調子は整う。
四本の糸が、乾いた集落で一度に交差した
改めて全体を眺めると、この話は「一つの村の珍しい現象」という枠にはまったく収まらない。少なくとも四本の別々の糸が撚り合わさっている。第一に、遺伝と集団構造の話。第二に、ホルモンと発生生物学の話。第三に、ジェンダーがどう形成されるかという長い論争。第四に、創薬という産業の話だ。この四本が、カリブ海の乾いた集落で一度に交差した。だから、この話題を扱う人は自分の関心のある糸だけを引っ張ることになる。
遺伝学の記事は創始者効果の話で終わり、ジェンダー論の記事は十八人中十七人の数字で終わり、薄毛の記事はフィナステリドの話で終わる。それぞれ間違ってはいないのだが、全部を並べないと、この現象の本当の大きさは見えてこない。
まず遺伝と集団の話をもう一段掘っておく。SRD5A2は二番染色体の短腕にある遺伝子で、そこに生じる変異は百二十種類を超えて報告されている。これは「一つの決まった変異が世界に散らばっている」のではなく、「同じ遺伝子が各地で独立にいろいろな壊れ方をしている」ということを意味する。ドミニカの集団については地域特有の変異が同定されていて、創始者効果として説明される。
パプアニューギニアも、トルコも、エジプトも、レバノン南部も、それぞれ別の変異が地域内で濃縮している。共通しているのは変異の中身ではなく、集団の閉じ方だ。海に囲まれた漁村、山に隔てられた高地、いとこ婚が慣行として続いてきた地域。この三つのパターンが、劣性遺伝の疾患を表に出す装置として働いている。
逆に言うと、こういう集積地がなければ、この疾患は世界中に散らばった孤発例として、原因も分からないまま処理され続けていた可能性が高い。一九七〇年代の発見は、村の存在そのものに支えられている。
論争の中身を、もう少し正確に整理する
次に、ジェンダーをめぐる論争の中身をもう少し正確に整理したい。一九七九年の論文が示したのは、女の子として育てられた十八人のうち十七人が男性としての自己認識に移行した、という観察だ。ここで見落とせないのは、この論文が「社会文化的な干渉がない場合には」という留保をつけていることと、対象がラス・サリナスという特定の共同体だったことだ。
その共同体には、この現象を指す固有の語彙があり、実例が身近にあり、変化が起きることが前提として共有されていた。つまり、そこで育つ子どもが受け取る社会的メッセージは、「あなたは女の子だ」という単純なものではなかった可能性がある。この点を突く批判は当時から存在し、いまも有効だ。
そして決定的なのが地域差のデータで、フランスの症例やヨーロッパの多施設研究では、女性として育てられた人のうち男性へ移行するのは一割強にとどまる。一方で中国の症例集積ではほぼ全員が移行している。同じ遺伝子、同じホルモン環境で結果がこれだけばらつくということは、ホルモンが土台を作り、その上に文化が形を与える、という二層構造で考えるほうが実態に近い。
どちらか一方に軍配を上げようとする議論は、たいていデータのどちらか半分を無視している。
創薬の話を、副産物として片づけるのはもったいない
創薬の話も、単なる副産物として片づけるには大きすぎる。前立腺肥大は、高齢化した社会では極めて一般的な問題で、放置すれば排尿障害から生活の質が大きく落ちる。男性型脱毛も、命に関わらないとはいえ、当人にとっては切実な悩みだ。この二つに効く薬が、カリブ海の村の観察から生まれた。しかも、その論理は驚くほど単純だった。DHTを作れない人たちを見ると、前立腺が小さく、生え際が後退しない。
ならばDHTを作らせなければいい。人体が示した自然の実験を、そのまま薬理学に翻訳したわけだ。ここには研究のあり方についての教訓が含まれている。ラボの中だけで仮説を立てていたら、五アルファリダクターゼを止めても大人の男性としての機能が保たれる、という確信は得られなかっただろう。実際に生涯そうやって生きている人たちがいる、という事実の重みは、どんな動物実験にも代えがたい。
同時に、その事実を提供したのが自ら望んだわけではない人たちだったことも、記録しておく必要がある。
なぜこの話はここまで遠くへ飛ぶのか
そして、この話がなぜここまで広く受けるのかも考えておきたい。理由は複数ある。一つは、単純に驚きが強いこと。性別が固定されたものだという前提が、日常のなかでは疑われることがないからだ。二つめは、村という舞台装置。閉じた共同体、外から来る研究者、地元の呼び名。物語の型としてよくできている。三つめは、薬という落とし所。珍しい話が身近な商品につながることで、聞き手にとって他人事でなくなる。
四つめは、現代のジェンダー論争に接続しやすいこと。誰もが何かしら言いたいことを持っている主題に、実在の事例が投げ込まれる。この四つが揃うと、話は必ず遠くまで飛ぶ。だが飛ぶ過程で、必ず落ちるものがある。落ちるのは、いつも細部だ。移行率の地域差、当事者が学校で受けた仕打ち、女性として生きる選択をした人の存在、五十年かけて村に通い続けた研究者の姿勢。これらは要約に耐えないから、真っ先に削られる。
もう一点、この話の後日談として押さえておきたいのは、村そのものが変わりつつあるということだ。舗装路が延び、携帯電話がつながり、外部からの取材が繰り返し入るようになると、共同体の内側の受け止め方も変化していく。かつては村の内側でだけ通用していたゲベドーセという語が、いまや世界中の記事の見出しに載る。
当事者は、自分の身に起きたことが海外のドキュメンタリーで語られ、SNSで論争の材料にされる状況に置かれる。これは名誉なことでも屈辱でもなく、単に負担が増えるということだ。医学的な支援が届きやすくなる一方で、幼いころに診断がついた子が、思春期を迎える前に「どちらで生きるか」を決めさせられる圧力にさらされる可能性もある。かつては体の変化を待ってから社会が追いついていたのに、いまは診断が先に来る。
これは進歩なのか、それとも別種の負担なのか、簡単に答えの出る話ではない。少なくとも、外から来た知識が村の内側の時間の流れを変えているのは確かだ。
症例ではなく、人の話として
最後に、この題材を扱う側の姿勢について書いておく。ここに出てくる人たちは、症例でも、論争の駒でも、創薬のきっかけでもない。赤いワンピースを覚えている人であり、悪魔と呼ばれて殴り合ったことを覚えている人であり、変わってからの人生に満足していると語り、結婚して子どもを持ちたいと話した人だ。彼らの体に起きたことは医学で説明がつくが、彼らが誰であるかは医学では説明がつかない。
この記事では、その部分を消さないように書いたつもりだ。それから、性分化に関する事柄は、当事者と家族にとって非常に個人的な領域でもある。もし身近にこうした状況で悩んでいる人がいるなら、ネットの記事ではなく、性分化疾患を扱っている専門の医療機関や相談窓口につながってほしい。ここに書いたことは読み物としての整理であって、診断や治療の代わりにはならない。
最後にもう一度だけ言っておくと、この村の人たちが世界に与えたものは、話のネタではなく、知識だ。そのことへの敬意を持って読み終えてもらえたら、書いた甲斐がある。
