白いシーツを巻いた男が、旧市街を歩いていく
エルサレム旧市街、ヤッフォ門からダマスカス門へ続く石畳の路地。ある朝、白いシーツを体に巻きつけただけの男が、素足で歩いていく。
長い髪を振り乱し、両手を大きく広げている。聞いたことのない言語のような叫び声を上げ、通行人に向かって悔い改めよと説教を始める。
まあ、落ち着いて聞いてほしい。これは映画の一場面ではなく、実際に繰り返されてきた光景だ。
周囲の観光客はスマートフォンを向ける。だが旧市街の商店主や警察官は、見慣れた光景だとでもいうように慌てない。そっと近くの警備員に目配せをするだけだ。数分後、彼は静かに保護され、然るべき医療機関へ連れていかれる。
これがイスラエルの精神医学の界隈で、エルサレム症候群と呼ばれてきた現象の典型的な一場面である。世界で最も多くの宗教が聖地と仰ぐ都市は、同時に、最も多くの人間を一時的な宗教的発狂へ突き落とす都市でもあるらしい。
中世の巡礼記にもあった「エルサレム熱」
聖地を訪れた者が宗教的な高揚のあまり精神に変調をきたす。この現象そのものは、近代医学が名前をつけるよりはるかに古くから記録されてきた。
中世の巡礼記には、エルサレムに到達した巡礼者が異常なまでの恍惚状態に陥る逸話がいくつも残る。涙を流しながら叫び、周囲が手をつけられなくなったという記述だ。
15世紀にエルサレムを巡礼したドイツ人修道士フェリックス・ファブリの記録にも、そうした描写がある。同じく15世紀イギリスの神秘家マージェリー・ケンプの自伝にも、聖地に触れた瞬間の恍惚と異常な情動が書き残されている。
当時の人々はこれを聖なる恍惚、あるいは一種のヒステリー発作として理解していた。フランス語では古くから、エルサレム熱という通称で語られてきた。
この現象が近代精神医学の文脈で臨床的に記述されたのは1930年代のことだ。報告したのは、当時イギリス委任統治下のパレスチナで活動していた精神病理学者ハインツ・ヘルマンだ。巡礼者や旅行者に見られる特異な精神症状をまとめている。ここが後の研究の出発点になった。
ただし本格的に体系立てて研究されるのは、まだ先の話だ。エルサレム症候群という名で国際的な議論の俎上に載るのは、そこからさらに半世紀以上あとになる。1980年代から90年代にかけてのことだ。
13年間で1200人、入院470人という数字
エルサレム市の郊外にあるクファル・シャウル精神保健センターは、この症候群の研究拠点として知られている。
イスラエルの精神科医ヤイル・バル・エルらの研究チームは、1980年から1993年までの13年間、記録を取り続けた。エルサレムを訪れた旅行者のうち、深刻な精神的問題を呈して同センターに紹介された事例だ。
その数はのべ1200人にのぼる。うち470人が実際に入院加療を受けた。年間平均にすると、およそ100人の観光客が診察を受け、そのうち40人ほどが入院する計算になる。
ただし、これを「エルサレムだけが異常だ」と読むのは早い。この都市には年間およそ350万人の観光客・巡礼者が訪れる。発症率そのものは、他の観光都市と比べて突出して高いわけではないのだ。
多くの研究者はこう分析している。エルサレムという土地が人を狂わせるわけではない。強い宗教的動機や既往の精神的な脆弱性を持った人間が、他のどの都市よりも高い密度でここに集まってくる。その結果ではないか、という見方だ。
発狂には三つの型がある
バル・エルらの研究チームは、この症候群を大きく三つの類型に分けた。
第一のタイプは、訪問前からすでに統合失調症などの診断を受けていた人だ。その妄想の中に、聖地の宗教的な意味づけを組み込んでしまう。自分はメシアや預言者、聖書の登場人物の生まれ変わりだ。そう確信してこの地を訪れるのだ。統計上、この型がもっとも多い。
第二のタイプは、医学的な精神疾患とは診断されない人々である。特異な宗教的信条や終末論的な世界観を、強く内面化した個人。あるいはそうした信仰を共有する集団の一員。彼らが示す、文化的に説明のつく強迫的なこだわりである。
そして第三のタイプこそ、この症候群を有名にした類型になる。訪問前には特筆すべき精神疾患の既往がまったくない、ごく健全な旅行者。その人がエルサレムに足を踏み入れてから数日のうちに、突如として急性の精神病状態を発症する。
ちなみに、いちばん有名なのはこの第三型である。もっとも劇的な型だ。ただし実際の発生数としては、三類型のうちもっとも少ない。メディアで繰り返し取り上げられるせいで、頻度の印象だけが独り歩きしている面がある。
七段階で進む発狂――潔癖、白い衣、そして説教
第三のタイプには、研究者たちも驚くほど一貫した進行のパターンが見つかっている。
まず旅行の初期段階で、原因不明の不安感や落ち着きのなさ、過度の興奮が現れる。次に、同行していたツアー仲間や家族から離れて一人になりたいと言い出す。
その後、極端な潔癖への執着が始まる。繰り返し体を洗い、爪を切りそろえる行動に没頭するのだ。ここまで来ると、周囲もさすがに様子がおかしいと気づく。
さらに進むと、ホテルのシーツやタオルを引きちぎって白い長衣を仕立て上げる。古代の聖書時代を思わせる衣装をみずから作り、それを身にまとうようになる。
最終段階が説教だ。大声で聖書の詩篇や賛美歌を朗唱しながら旧市街の通りを練り歩く。そして聖墳墓教会や嘆きの壁、神殿の丘といった聖地の一角に立ち、道行く人々へ語りかける。悔い改めよ、正しい生き方に立ち返れ、と。
研究チームが記録した第三型の42例には、はっきりした共通点があった。40名がプロテスタント、1名がカトリック、1名は戦時中に潜伏生活を送った経験を持つユダヤ人。いずれも聖書を週に一度以上読むほど信仰に篤い家庭の出身者だ。
研究者たちの推測はこうだ。幼少期から刷り込まれた理想化されたエルサレム像と、実際に目にする喧騒に満ちた現実の都市。その落差が、急性の精神的動揺の引き金になっているのではないか。
嘆きの壁の巨石を、素手で動かそうとした男
記録された症例には、後世まで語り継がれるほど鮮烈なものがいくつもある。
ある40代のアメリカ人男性は、自分が旧約聖書の怪力の英雄サムソンの生まれ変わりだと確信した。嘆きの壁の巨石を素手で動かそうと力任せに引っ張り続け、通報を受けた警察官に取り押さえられて入院となる。投薬治療を受けたのち、数週間で妄想は消えた。本人は自分の行動をほとんど覚えていない様子だったという。
南米から訪れたあるプロテスタントの男性は、もっと危うい。イスラム教の聖地を破壊し、そこにユダヤ教の聖地を再建するという壮大な計画を、単身で実行に移そうとして拘束された。精神鑑定の結果、犯行時の責任能力なしと判断されている。
南アフリカから来たある男性は、躁病エピソードの真っ只中だった。娘を性的に暴行した犯人を殺しに来た、という妄想に取り憑かれてエルサレムを訪れている。記録によれば、過去に四度の入院歴を持つ人物だった。
一方で、悲劇的な結末を迎えない症例もある。あるスイス人の弁護士は、到着後に真の宗教とは何かを説く説教を路上で始めた。だが専門施設に保護されてわずか7日で症状は完全に消える。退院後は少なくとも6年、健康な社会生活を送り続けたことが追跡調査で確認されている。
回復するケースが珍しくないのも、この症候群の不思議なところかもしれない。
急性発症例の多くは、聖地から離れるか、適切な休養と投薬によって数週間以内に驚くほど綺麗に回復する。これがエルサレム症候群を他の慢性的な精神疾患と分けている、最大の特徴だ。
現地の人たちは「またか」という顔をする
旧市街で長年タクシーを走らせてきた運転手の一人は、こんなふうに語っている。観光シーズンになると、ホテルからふらふらと歩き出す客を年に数回は見かける。シーツを体に巻きつけたような格好で嘆きの壁へ向かっていく。最初は宗教的なパフォーマンスかと思ったが、地元の人間はすぐに「またか」という顔をするのだという。だいたいは警官かボランティアのスタッフが優しく声をかけ、そのまま近くの施設に連れていく。
旧市街のホテルでフロント業務を担当してきたスタッフの女性の証言も生々しい。敬虔なキリスト教徒の団体客の中に、明らかに様子がおかしくなる人が年に一人か二人は出る。
最初は熱心に教会や遺跡を回っていたのに、二日目、三日目になると様子が変わる。急に部屋にこもり、聖書を大声で読み上げ始めるのだ。廊下で見知らぬ宿泊客をつかまえて説教を始めることもあるらしい。添乗員が早く気づけば大事には至らないが、放置されると素足で通りに飛び出してしまう。
現地のガイドの中には、兆候をいち早く見抜く勘を持つ者も少なくない。あるベテランガイドはこう言う。
団体客の中で急に目つきが据わり、一人だけ会話のテンポがおかしくなる。観光名所の説明より、自分の内面の啓示について語り出す。そういう人がいたら要注意だ。その日のうちに宿泊先のスタッフや添乗員と情報を共有し、無理に聖地を歩かせずに休ませるようにしている、と。
1969年、モスクに火を放った羊毛刈り職人
この症候群を語るうえで避けて通れないのが、1969年8月のアル・アクサ・モスク放火事件だ。
犯人はオーストラリア出身の羊毛刈り職人で、当時28歳。幼少期から精神的な不安定さを抱え、故郷では奇異な人物として扱われてきた。オーストラリアの精神科施設への入院歴もある。その後カリフォルニアのキリスト教系宗教団体に加わり、イスラエルへ移り住んだ。
1969年8月、彼は神の声に導かれたと確信した。そして神殿の丘に立つイスラム教の聖地アル・アクサ・モスクに、単身で放火する。
その内面には強固な妄想があったとされる。モスクを焼き払えば古代のユダヤ神殿を再建する道が開け、自分自身がその新しい神殿においてユダヤの王として聖別される、という筋書きだ。
事件発覚からわずか24時間ほどで、キブツに潜伏していた彼は特定・逮捕された。取り調べにためらいなく犯行を認め、その正当性を熱心に語ったと伝えられる。担当した複数の精神科医は一致して、行動の根底にあるのは宗教的信条そのものより深刻な精神疾患だという見解を示した。
事件はイスラム世界に強い衝撃と反発を引き起こし、各国首脳からの非難声明が相次いだ。国際問題にまで発展し、イスラム協力機構の設立が加速する一因になったとも言われる。イスラエル政府は、事件が国家の意思ではなく一個人の病理に起因することを示すため、裁判を公開する形をとった。
彼は精神科施設への終身収容という判断を受け、数年後に母国オーストラリアの施設へ移送された。1990年代半ばに生涯を終えている。宗教的妄想が個人の内面にとどまらず、国際政治すら揺るがしかねない。それを世界に印象づけた、最も重い事例だ。
「本当に新しい病なのか」という論争
エルサレム症候群は、国際的な診断基準であるDSMやICDに独立した疾患として正式収載されているわけではない。臨床現場の経験の蓄積から浮かび上がった症候群的な概念、という位置づけにとどまる。
しかも専門家の間では、これを独立した新しい病態として扱うべきかどうかで、根深い論争が続いてきた。
研究者カリアンとヴィツトゥムは、バル・エルらが発症前に健全だったと分類した第三型の患者について異議を唱えている。実際には見過ごされていた精神疾患の既往や潜在的な脆弱性が背景にあった可能性が十分にある。その事前の健全性は厳密には証明されていない、という指摘だ。
つまり、エルサレムという土地そのものが人を発狂させる特殊な力を持っているわけではない。もともと精神的な不安定さを抱えていた人がいる。その人が聖地という特殊な重みを持つ環境に置かれ、脆弱性が急性の形で表面化しただけではないか。そういう見方である。
この論争に決着はついていない。それでも現地の医療関係者や添乗員の間では、実務上の対応が共有されている。強い興奮、単独行動への固執、過度の潔癖行動。この初期兆候を早期に見抜き、聖地を無理に歩かせずに休養させる。これがいちばん有効な手立てだとされている。
都市伝説として、ひとり歩きする聖地
学術的な論争をよそに、この症候群はポップカルチャーとインターネットの世界で独自の広まりを見せてきた。
海外の人気アニメシリーズや、超常現象を扱うテレビドラマでもたびたびモチーフになる。聖地に足を踏み入れると誰もが自分を神やメシアだと思い込みかねない。そんな扇情的なイメージが、娯楽作品を通じて世界中に浸透した。
旅行者向けの掲示板やSNSでは、真偽不明の噂も繰り返し投稿されている。空港の入国審査の段階で怪しい単独行動の旅行者をこっそりチェックしている、という話。敬虔なプロテスタント圏の観光客が発症しやすいので添乗員は要注意人物リストを持っている、という話。どちらも裏付けはない。
オカルト愛好者の間ではさらに踏み込んだ解釈も語られる。これは精神医学的な現象ではないのだという。エルサレムという土地に宿る強力な霊的エネルギーが、感受性の強い人間の精神に直接干渉している証拠なのだ、と。
実際のところは、いくつもの現実的な要因が絡み合った結果だと考えるのが妥当だろう。事前の精神的脆弱性、慣れない環境、強烈な宗教的期待。そこに長時間の徒歩移動や睡眠不足が重なる。ただ、聖地で神になるという物語のインパクトが強すぎる。都市伝説としての魅力は、そう簡単には減らない。
静かに祈って帰る人と、路上に立つ人
今日もエルサレムの旧市街には、世界中から集まった無数の巡礼者と観光客がひしめいている。その大多数は敬虔な祈りと感動を胸に、静かに聖地を巡って帰路につく。
だが年に百人ほどは、その熱狂と現実の落差の中で理性の縁を踏み外す。自らを聖書の登場人物になぞらえ、白い衣をまとって路上に立つ。
信仰は、人間の内面にある最も深く強い力だ。それが時にどれほど脆く精神の均衡を崩しうるか。彼らの物語は、そのことを教えてくれる。それは静かに、しかし確かに語られ続けている。
