手術室の照明の下で、摘出されたばかりの袋がステンレスの受け皿に置かれる。大きさは握りこぶしより少し大きいくらい。表面はつるりとしていて、見た目はただの水風船だ。執刀医がメスで壁を切る。中から出てきたのは、黄色い脂の塊と、そこにびっしり絡みついた髪の毛だった。
長い。十センチ以上ある。しかも根元には毛穴があり、皮膚がある。さらに奥を探ると、硬いものが指に当たる。取り出してみると、それは歯で、臼歯だ。
噛む面の凹凸まではっきりしている。これは怪談ではない。世界中の産婦人科で、今日もどこかで起きている、ごく普通の手術風景である。腫瘍の名前を奇形腫という。医学の世界ではテラトーマと呼ばれることのほうが多い。
卵巣の腫瘍のうち、良性のものの相当な割合をこれが占めている。つまり珍しくない。珍しくないのに、中身が異常すぎる。だから昔から人間はこれを見るたびに震え上がり、そして必ず同じことを言ってきた。「これはもう一人の自分ではないのか」と。
この記事では、その「もう一人の自分」の正体を、できるだけ丁寧に、そして怖がりながらも冷静に追いかける。医学の話も、歴史の話も、民俗の話も、ネットの反応も、全部入れる。ただし一つだけ約束しておきたい。この腫瘍を抱えて生きてきた人たち、抱えたまま今も治療している人たちを、見世物にはしない。中身が怖いのと、その人が怖いのは、まったく別の話だからだ。
- 袋の中に「体の材料」が全部入っている、という異常
- 「怪物の腫瘍」――名前をつけた人間の正直さがすごい
- なぜ髪が生えるのか――受精していない卵子が、勝手に体を作りはじめる
- ロキタンスキー結節――袋の中に一箇所だけある「本体」
- 「成熟」と「未熟」――この一語の差が、全部を決める
- 新生児にもっとも多い腫瘍は、実は奇形腫である
- 脳の真ん中に、髪と歯が生えている
- 咳をしたら、痰に髪が混じっていた
- 甲状腺が、卵巣に引っ越してくる
- 男の体でも、同じことが起きている
- 症例をひとつずつ――三十代女性、腹の中に油が漏れた日
- 症例をひとつずつ――歯が三百本を超えた腫瘍
- 症例をひとつずつ――二十六歳、脳の中の「邪悪な双子」
- 症例をひとつずつ――三十六年間、腹の中に「弟」がいた男
- それは本当に「吸収された双子」なのか
- 「人形のような塊」――胎児形奇形腫という中間項
- 人格が変わる腫瘍――腹の中の髪の毛が、脳を攻撃しはじめる
- 証言――二十三歳の女性の、五か月間
- 証言――時計を描かせた医師
- 証言――十九年後に自分の病理報告書を読んだ人
- 悪魔憑きと呼ばれてきたもの
- 腹の中の子、鬼子、そして「体の中の他者」という想像力
- ネットはこの腫瘍をどう受け取ったか
- 「見世物」にしない、という線引きについて
- 取ったあと、その体はどうなるのか
袋の中に「体の材料」が全部入っている、という異常
まず何が起きているのかをざっくり掴んでおこう。奇形腫というのは、胚細胞――つまり将来的に精子や卵子になる予定だった細胞――が腫瘍になったものだ。胚細胞というのはとんでもない能力を持っていて、条件さえ揃えば体のあらゆる組織になれる。皮膚にも、神経にも、骨にも、腸にも、甲状腺にもなれる。その万能さがそのまま暴走したのが奇形腫だと思えばいい。
人間の体は、受精卵から発生する過程で、外胚葉と中胚葉と内胚葉という三つの層に分かれる。外胚葉からは皮膚や毛や神経や脳ができる。中胚葉からは骨や軟骨や筋肉や脂肪ができる。内胚葉からは腸や気管や甲状腺ができる。奇形腫の定義は、この三つの胚葉のうち二つ以上、多くは三つ全部の組織を含んでいること。
要するに「体を作るための材料が一式そろっている」わけだ。ただし決定的に足りないものがある。設計図の順序だ。本物の胎児が育つときには、どの組織をどこにどの順番で配置するかという、気が遠くなるほど精密な段取りがある。奇形腫にはそれがない。
だから材料だけが、でたらめな配置で、勝手に育つ。髪は袋の内側に向かって伸びる。歯は壁のどこかに一本だけ生える。骨は板状のかけらになってどこかに埋まっている。脂は分泌され続けて袋の中に溜まる。
誰も指揮していないオーケストラが、それぞれ好き勝手に自分のパートだけ演奏している状態、と言えば近いかもしれない。ここが大事なところで、奇形腫は「未完成の人間」ではない。「人間の部品倉庫」なのだ。この区別を頭に入れておくと、このあとの話が全部きれいに繋がる。
「怪物の腫瘍」――名前をつけた人間の正直さがすごい
テラトーマという言葉は、ギリシャ語のテラスに由来する。意味は怪物、あるいは異形のもの。そこに腫瘍を意味する接尾語がついて、直訳すると「怪物の腫瘍」になる。医学用語というのはたいてい持って回った言い方をするものだが、これに関しては身も蓋もない。名づけた人間が、標本を目の前にして完全に気圧されていたことが伝わってくる。
この名称を医学用語として定着させたのは、十九世紀ドイツの病理学者ルドルフ・ウィルヒョウだとされる。一八六三年のことだ。ただし現象そのものの記録はもっと古い。卵巣の皮様嚢腫として最初に記述したのは、一六五九年のヨハネス・スクルテトゥスだと言われている。十七世紀だ。
麻酔もなければ顕微鏡もろくにない時代に、腹を開けたか、あるいは亡くなった人を解剖したかして、袋の中の髪と歯を見てしまった人がいる。その人が何を感じたかは記録に残っていないが、想像はつく。さらに遡ると、話はもっとおかしなことになる。紀元前六百年から九百年ごろ、古代メソポタミアのニネヴェにあった王立図書館の粘土板に、奇形腫の特徴らしき記述が残っているという指摘がある。粘土板だ。
楔形文字だ。人類は文字を持った時点で、もうこれを見て記録していたことになる。そして当然ながら、当時それは病気としては理解されなかった。神託だったり、凶兆だったり、あるいは呪いだったりした。一八五六年には、三つの胚葉すべてを含む異常な腫瘍として奇形腫の定義がほぼ固まる。
つまり「材料が全部入っている」という核心に、人類は百七十年前にはたどり着いていた。ただし、なぜそんなことが起きるのかという問いに答えが出るまでには、そこからさらに百年以上かかることになる。
なぜ髪が生えるのか――受精していない卵子が、勝手に体を作りはじめる
さて本題だ。どうして体の中で髪が伸びるのか。もっとも有力な説明は、卵巣の奇形腫については「単為発生」に近い現象が起きている、というものだ。卵子は減数分裂という特殊な細胞分裂を経て作られる。染色体の数を半分にして、精子と合体したときにちょうど元に戻るようにするための仕組みだ。
ところがこの減数分裂が途中で失敗したり、分裂したあとにもう一度複製が起きたりすると、精子と出会っていないのに染色体が二セット揃った細胞ができあがってしまう。染色体が二セット揃うというのは、細胞にとっては「受精した」というのとほぼ同じ合図になる。そこでこの細胞は、律儀に、体を作りはじめる。ただし精子由来の情報が一切ないので、まともな個体発生のプログラムは走らない。走るのは、組織を作る部分だけだ。
皮膚を作れ、毛包を作れ、歯を作れ、脂腺を作れ、軟骨を作れ。命令はどんどん実行される。でも「全体としてどういう形になるか」を決める指揮系統が存在しないので、材料だけが延々と積み上がっていく。この説を裏づける証拠が、染色体の解析から出ている。ある大規模な細胞遺伝学的研究では、百件を超える卵巣奇形腫を調べたところ、その圧倒的多数が正常な女性型の染色体構成を示した。
にもかかわらず、遺伝的な目印の出かたが食い違っていた。患者本人ではヘテロ接合、つまり父由来と母由来で違っていたはずの目印が、腫瘍のほうではホモ接合、つまり同じものが二つ揃った状態になっている。これは腫瘍が患者自身の卵子由来であり、外から来た誰かの細胞ではないことを、かなり強く示している。
研究者たちはそこから、減数分裂の第一段階で失敗した場合と、第二段階で失敗した場合を推定し、後者のパターンが多数派だと結論づけた。
つまり、腹の中の髪の毛は、双子の残骸でもなければ、憑いた何かでもない。本人の卵子が、受精していないのに勘違いして体を作ろうとした結果なのだ。もっと乱暴に言えば、自分の細胞が自分だけで暴走したもの。「もう一人の自分」という呼び名は、実は比喩としては半分正しくて、由来としては完全に正しい。ただし「別人格」でも「双子」でもない。
なお、卵巣以外の場所にできる奇形腫については、話が少し変わる。体の正中線上にできるものは、少し事情が違う。尾骨、後腹膜、縦隔、頸部、脳の松果体部や鞍上部といった場所だ。ここにできるものは、発生の途中で本来行くべき場所へ移動していた原始胚細胞が、道に迷ってその場に居ついてしまった結果だと説明される。胚細胞は発生初期に卵黄嚢のあたりから性腺の予定地まで長距離を移動する。
その旅の途中で脱落した細胞が、何年も何十年も経ってから腫瘍化する。
だから奇形腫は、体の真ん中の線に沿って現れやすい。この分布の偏りを知ると、症例報告の並びが急に腑に落ちる。
ロキタンスキー結節――袋の中に一箇所だけある「本体」
卵巣の成熟嚢胞性奇形腫、いわゆる皮様嚢腫を解剖すると、ほとんどの場合そこには特徴的な構造がある。袋の壁の一部だけが分厚く盛り上がっていて、そこから髪が生え、そこに歯が埋まり、そこに骨や脳らしき組織が集まっている。この盛り上がりをロキタンスキー結節、あるいは皮様嚢腫の乳頭状突起と呼ぶ。画像診断の世界では、この結節が見えるかどうかが診断の決め手のひとつになる。袋の残りの部分は、拍子抜けするほど普通だ。
壁の厚みは一ミリから二ミリ程度で、つるりとしている。異常が一箇所に集約されている。この「一点集中」がまた不気味さを増幅させていて、標本写真を見ると、まるで袋の中の一点だけが誰かに占領されているように見える。実際には、そこに分化能の高い細胞が集まって組織を作っただけの話なのだが、目で見た印象はどうしても違う。袋の中身は、体温では液体で、体外に出て冷えると固まる。
脂腺から出る皮脂と、剥がれ落ちた角質と、抜けた髪が混ざったものだからだ。手術室で切開すると、黄白色のドロドロが流れ出てくる。そこに髪が浮いている。摘出直後の写真がしばしばネットで拡散されるのは、この見た目のインパクトのせいだ。大きさは十センチ以下のものが八割程度で、十五センチを超えるものは少ない。
ただし超えるときは派手に超える。両側の卵巣に同時にできることも一割から一割五分ほどある。年齢のピークは二十代から四十代あたりだが、十代でも見つかるし、七歳の子で見つかった報告もある。
「成熟」と「未熟」――この一語の差が、全部を決める
奇形腫の話をするときに絶対に外せないのが、成熟型と未熟型の区別だ。成熟型というのは、含まれている組織が「完成した大人の組織」になっているものを指す。ちゃんとした皮膚、ちゃんとした毛包、ちゃんとした軟骨。見た目はグロテスクでも、生物学的には落ち着いた組織である。だからこれは良性腫瘍として扱われる。
取ってしまえば基本的にそれで終わる。悪性に転化する例は数パーセント未満で、しかもその多くは中年以降の、大きく育った腫瘍で起きる。未熟型は違う。含まれている組織のなかに、胎児期にしか見られないような未分化な成分――とくに未熟な神経上皮――が混じっている。この未熟成分がどれだけ含まれているかで段階分けがなされ、段階が上がるほど悪性度が高いと判断される。
未熟型は化学療法や、場合によっては放射線治療の対象になる。年齢層も若く、十代から二十代で見つかることが多い。同じ「髪と歯が入った袋」でも、顕微鏡を覗いたときに未熟な神経成分が見えるかどうかで、その後の人生の設計がまるごと変わる。手術室で摘出した瞬間には、外科医にもまだ分からない。だから多くの施設では術中迅速診断を行い、病理医が氷で固めた組織を数分で染めて、その場で「成熟です」「未熟です」と返す。
この数分間の緊張は、当事者にとっては相当なものだと想像がつく。ちなみに、脳にできた奇形腫については、成熟型には放射線も抗がん剤も効かないとされている。組織が完成しきっているので、増殖する細胞を叩く治療が刺さらないのだ。だから摘出できるかどうかがすべてになる。逆に未熟型や、他の悪性成分が混ざっている場合には、化学療法と放射線を組み合わせた集学的治療が組まれる。
同じ名前の腫瘍なのに、治療戦略が正反対になる。ここも奇形腫のややこしさだ。
新生児にもっとも多い腫瘍は、実は奇形腫である
これは知られていない事実だと思うのだが、生まれたばかりの赤ん坊に見つかる腫瘍として、単独でもっとも多いのは仙尾部奇形腫だ。尾骨のあたりにできる奇形腫で、おおよそ二万七千人から四万人に一人の割合で生じる。男女比は一対四で、圧倒的に女児に多い。見た目のインパクトは強烈で、赤ん坊のお尻から、ときには赤ん坊の頭ほどもある塊がぶら下がっている状態で生まれてくることがある。
腫瘍の内訳は、九割以上が嚢胞成分の嚢胞型、九割以上が充実成分の充実型、そのどちらでもない混合型に分けられる。さらに骨盤内にどれだけ入り込んでいるかで発育形態の分類がなされる。骨盤の中だけに収まっているタイプは外から見えないので、診断が大幅に遅れることがある。問題はここからだ。腫瘍が大きく、しかも血流が豊富だと、胎児の心臓がその腫瘍に血を送るためだけに酷使される。
高心拍出性の心不全になり、全身がむくむ胎児水腫に至り、母体側にも症状が出ることがある。腫瘍内部で出血したり、破裂したりもする。妊娠中に超音波で見つかった段階から、産科と小児外科と麻酔科が総出で作戦を立てる。母体にステロイドを投与したり、娩出の時期と方法を練ったり、分娩の途中で気道を確保してから臍帯を切る特殊な手技を準備したりする。
数字を挙げるのは気が引けるが、胎児期に診断された仙尾部奇形腫は、新生児期になってから診断されたものに比べて死亡率が約三倍高いという報告がある。胎児期に見つかるということは、それだけ大きくて重症だということだからだ。逆に言えば、産まれてから見つかったものの多くは、切除して治る。基本的には良性腫瘍なのだ。口の中や上顎から生えてくるタイプもある。
三万五千人から二十万人に一人という頻度で、女児のほうが三倍多い。生まれた瞬間から口の中を巨大な塊が塞いでいるので、そのままでは息ができない。だから分娩の途中で気道を確保する手技が生死を分ける。予後は決して明るくないが、出生前に見つけて、麻酔科と耳鼻科と小児外科が同時に待ち構えていれば、救命できる例がある。医療体制の進歩がそのまま生存率に直結する領域だ。
脳の真ん中に、髪と歯が生えている
奇形腫は脳にもできる。日本の脳腫瘍統計では脳腫瘍全体の〇・二パーセントほどとされていて、決して多くはない。だが場所が場所だけに、症状の出方が独特だ。松果体部にできると、脳脊髄液の通り道が塞がって水頭症になる。頭痛と嘔吐が出て、意識が落ちる。
上を見上げる眼の動きが麻痺する特徴的な所見が出ることもある。鞍上部――下垂体の上のあたり――にできると、尿崩症といって、大量の薄い尿が止まらなくなる症状が六割から九割の患者に出る。視野が欠ける。成長ホルモンが足りなくなって背が伸びなくなる。基底核にできると、片側の手足が麻痺したり、知的な機能に影響が出たりする。
シーティーやエムアールアイで撮ると、石灰化と脂肪が混ざった、いかにも不均一な塊として写る。脳の画像の真ん中に、脂肪と骨の信号が並んでいる。それだけで診断がつくこともある。ただし確定には組織を採るしかない。成熟型なら完全に摘出できれば治癒が期待できる。
未熟型でも放射線を併用すれば十年生存率が七十五パーセントという報告があり、脳腫瘍としては比較的良い数字だ。ただし摘出は簡単ではない。とくに放射線をかけたあとの成熟奇形腫は線維化して極端に硬くなり、周囲との境目が分からなくなる。悪性化はしないのに、手術としては最悪に難しい塊が残る。医師の側から見た奇形腫の厄介さは、たぶんこのあたりに集約されている。
咳をしたら、痰に髪が混じっていた
奇形腫にまつわる症状のなかで、個人的にいちばん背筋が寒くなるのがこれだ。トリコプチシスという。日本語にすると毛髪喀出。咳をして痰を吐いたら、そこに髪の毛が混じっているという症状である。なぜそんなことが起きるのか。
縦隔――胸の真ん中、心臓や気管が入っているスペース――にできた奇形腫が、大きくなる過程で気管支の壁を破ってしまうことがある。腫瘍と気道のあいだに穴が開き、通路ができる。すると腫瘍の中に溜まっていた髪や脂が、気道側に流れ込む。あとは咳をするたびに、それが外に出てくる。モロッコの二十三歳女性の例が報告されている。
彼女の主訴は、繰り返す咳と、粘り気のある痰。その痰に黒い毛が混じっていた。撮影したところ、前上縦隔に、縦と横と高さがそれぞれ七・五センチ、七センチ、六・五センチほどの塊があった。内部には脂肪の濃度を示す部分があって、しかも気管支と直接つながっている。気管支鏡を入れると、気管支の内腔に、白っぽい粘液に混ざって黒い色素の毛が何本も浮いているのが見えた。
彼女は最初、手術を断っている。
そして三年後、症状が悪化して戻ってきて、摘出された腫瘍は成熟奇形腫、つまり良性だった。もうひとつ、十七歳の美容師の例もある。この人は六か月にわたって血痰と、チョークのような白い物質と、髪を吐き出し続けていた。左の上葉に、七センチ、五センチ、六センチという大きさの塊があり、その先の肺は潰れている。摘出された腫瘍の中には皮脂と白い毛が詰まっていた。
吐き出されていた毛が白かったのは、腫瘍内の色素を作る細胞が未熟だったせいではないかと推測されている。美容師という職業と、自分の痰から出てくる毛。この符合の悪さは、本人にとってどれほどのものだったろう。三十五歳の男性の例では、慢性の咳と血痰があり、痰に細い白い毛のようなものが混じっていた。この人は六か月にわたって結核として治療されていた。
効かないはずだ。病気が違うのだから。トリコプチシスは、肺の中の奇形腫のうち一割から二割程度でしか起きないとされる。だがこの症状が出たら、それはもう奇形腫だと言い切っていいくらい特異的な所見だとされている。医学の世界には「これが出たらこれ」という決定打がいくつかあるが、痰から髪が出るというのは、そのなかでも屈指の分かりやすさだろう。
分かりやすいが、当事者にとっては悪夢だ。
甲状腺が、卵巣に引っ越してくる
奇形腫は内胚葉由来の組織も作る。腸の粘膜、気管の粘膜、そして甲状腺。ここで妙なことが起きる。腫瘍の半分以上が甲状腺組織で占められるものを、卵巣甲状腺腫と呼ぶ。卵巣の奇形腫のうち二・七パーセント、卵巣腫瘍全体では約一パーセントという頻度だ。
つまり、卵巣の中に、本物の甲状腺の濾胞ができて、コロイドを溜めている。組織学的には首の甲状腺と区別がつかない。面白いのは、これだけ立派な甲状腺組織があるのに、実際に甲状腺機能亢進の症状が出るのは五パーセントから八パーセント程度でしかないという点だ。ホルモンを作る能力はあるのに、大半はおとなしくしている。
逆に言えば、動悸や体重減少や発汗といった甲状腺機能亢進の症状で受診した人の腹に、原因が転がっていることが稀にある。首を調べても異常がないのに、骨盤を撮ったら卵巣に甲状腺があった、という展開だ。診断がついた瞬間の医師の顔が見たい。約四割は無症状で、他の目的で撮った画像に偶然写って見つかる。悪性化する例が五パーセント前後あり、その場合は卵巣がんとしてではなく甲状腺がんに準じた治療方針が取られる。
首の甲状腺を全部取って、放射性ヨウ素で叩く。卵巣の腫瘍なのに、治療は甲状腺がんのプロトコルで走る。体のルールが、腫瘍のせいで一箇所だけねじれている。
男の体でも、同じことが起きている
奇形腫は女性だけの話ではない。精巣にもできる。精巣の胚細胞腫瘍は、十代後半から三十代あたりに好発する。年間十万人あたり一人から三人程度で、がんとしては稀な部類だ。ただし若い男性のがんとしては最多クラスで、しかも治療によって治癒が十分期待できる。
痛みのないしこりとして気づかれることが多い。小児の精巣奇形腫と成人の精巣奇形腫は、性質がかなり違う。小児期に見つかるものは概して良性の経過をとる。ところが思春期以降に見つかる精巣奇形腫は、たとえ組織学的に成熟していても、転移する能力を持ちうると考えられている。同じ「成熟奇形腫」という診断名でも、卵巣にできたものと精巣にできたものでは、扱いがまったく違う。
ここは奇形腫の話でもっとも誤解されやすい点のひとつだ。そしてもうひとつ、奇形腫を語るうえで外せない現象がある。グローイング・テラトーマ・シンドロームだ。日本語では増大奇形腫症候群などと訳される。抗がん剤治療を行うと、腫瘍マーカーは下がって正常化する。
ところが画像で見ると、腫瘍そのものはむしろ大きくなっている。普通に考えれば治療が効いていない、悪化していると読む場面だ。だが実際に起きているのはその逆に近い。抗がん剤は、増殖の速い悪性成分をきれいに叩き潰す。ところが奇形腫の成熟成分は増殖が遅く、分化しきっているので、抗がん剤がまったく効かない。
結果として、悪性成分だけが消えて、成熟した奇形腫成分だけが残る。そしてそれが、ゆっくりと、しかし確実に体積を増やしていく。だから治療が成功しているのに腫瘍は育つ。この場合の対応は、化学療法を追加することではなく、手術で取り切ることになる。判断を誤ると、効かない抗がん剤を追加投与し続けることになりかねない。
治療によって悪いものが消えた結果、残った良性のものが育ちはじめる。この現象を初めて聞いたとき、なんとも言えない気分になった。奇形腫は、叩いても死なない。ただそこに在り続ける。
症例をひとつずつ――三十代女性、腹の中に油が漏れた日
ここからは、実際に報告されている症例を、ひとつずつ丁寧にたどっていく。数字の羅列としてではなく、その場で何が起きたのかとして。三十代の女性が、発熱と腹痛を訴えて救急外来にやってきた。実はこの人、十五日前にも同じような症状で近所の医療機関を受診していた。そのときは大事に至らず帰されている。
だが今回は明らかに様子が違った。体温は三十八度六分。脈は一分間に百十六回。腹全体に押すと痛みがあり、手を離した瞬間にさらに痛む反跳痛があった。そして腹壁が板のように硬くなっていた。
腹膜炎の典型的な所見だ。画像を撮ると、子宮の左側に、脂肪と石灰化を含む嚢胞性の病変が二つ見つかった。この時点で奇形腫が強く疑われる。だが決定的だったのは別の所見だった。肝臓の表面や、子宮の腹側に、正常な脂肪組織とは違う吸収値を示す脂肪性の病変が散らばっていたのだ。
つまり、袋の外に脂肪が漏れている。奇形腫が破れて、中身が腹の中にばらまかれている。手術に踏み切った。腹を開けると、腹腔内には黄色っぽい油性の腹水が溜まっていた。左の付属器が鶏卵大に腫れている。
摘出された腫瘍は長径十一センチで、内部には毛髪と、油脂と、歯だと思われる骨組織が入っていた。それが、破れて、腹の中に流れ出していたわけだ。奇形腫の中身が腹腔内に漏れると、化学性腹膜炎という状態になる。細菌感染ではない。皮脂という異物に対して腹膜が猛烈に炎症を起こす。
だから発熱もするし、腹も板のように硬くなる。血液培養を取っても菌は出てこない。この患者も血培は陰性で、手術で洗浄して腫瘍を取り除いたら、炎症の指標は劇的に下がり、五日で退院した。合併症もなかった。破裂は奇形腫の合併症のなかでは頻度が低く、一パーセントから四パーセント程度とされる。
もっと多いのが茎捻転で、三パーセントから二十一パーセントという幅のある数字が報告されている。卵巣が腫瘍の重みで根元からねじれ、血流が途絶える。突然の激烈な腹痛と嘔吐が起き、呼吸が速くなり、意識が遠のくようなショック状態になることもある。緊急手術になる。奇形腫が「良性だから放っておいていい」とは単純に言えないのは、こういう合併症があるからだ。
症例をひとつずつ――歯が三百本を超えた腫瘍
奇形腫のなかに歯が入っているという話をすると、たいてい「何本くらい?」と聞かれる。平均的には一本から数本。四本の臼歯が見つかった標本の記録がある。ところが記録には上限がある。
三百本を超える歯を含んでいた巨大な卵巣成熟嚢胞性奇形腫の報告が存在する。三百本だ。人間の永久歯は三十二本しかない。その十倍近い数の歯が、卵巣の中の袋にぎっしり詰まっていたことになる。さらに古い記録もある。
一九四一年の病理学の教科書には、すでに「三百本に達する歯を含む症例」という記述があると指摘されている。つまりこれは現代の特殊例ではなく、少なくとも八十年以上前から知られていた現象だ。歯がどうやってできるかを考えると、この数字の異常さがよく分かる。歯というのは、上皮と間葉という二種類の組織が相互作用して初めて作られる。
上皮側が「ここに歯を作れ」と信号を出し、間葉側が応じ、両者が交互に信号をやりとりしながら、エナメル質と象牙質を積み上げていく。恐ろしく手の込んだプロセスだ。奇形腫の中では、この手の込んだプロセスが、誰にも制御されないまま何百回も繰り返されている。歯胚を作る号令だけが、延々とかかり続けている。
そして見逃せないのは、その歯にはちゃんと歯根があり、エナメル質があり、噛む面の形態まで再現されているという点だ。
歯として完成している。ただし、噛むべき相手がいない。上顎も下顎もない。生えた瞬間から用途がない歯が、暗い袋の中で、三百本。腫瘍の中に本当に歯や骨といった器官らしい構造が現れるのは、卵巣の成熟嚢胞性奇形腫のうち三割程度と見積もられている。
残りの七割は、皮膚と毛と脂だけで構成されている。つまり「歯が入っている奇形腫」は、奇形腫のなかではむしろ少数派なのだ。それでも記憶に残るのは歯のほうだけだが。
症例をひとつずつ――二十六歳、脳の中の「邪悪な双子」
ヤミニ・カラナムは、コンピュータ科学の博士課程に在籍する二十六歳の学生だった。インドから渡ってきて、アメリカで研究をしており、最初の異変は、激しい頭痛と、尋常でない疲労感である。彼女は当初それを研究のストレスのせいだと思っていた。誰でもそう思うだろう。博士課程の学生が疲れているのは、それ自体は病気の証拠にならない。
ところが休暇に入ったとき、彼女は二週間ぶっ通しで眠り続けてしまった。二週間だ。そこから頭痛が居座るようになった。三か月にわたる検査の末、脳腫瘍が確認された。場所は松果体部。
診断は奇形腫だった。骨と髪と歯を含む、胚細胞由来の腫瘍。乳幼児の脳腫瘍としては最も多い部類に入るが、二十六歳の脳の中で見つかるのは、それなりに珍しい。手術は二〇一五年四月十五日に行われた。執刀したのはロサンゼルスの施設に所属するフレイル・シャヒニアン医師で、後頭部に小さな切開を入れ、内視鏡を使って腫瘍を摘出した。
開頭して脳を大きく引っ張る従来の方法ではなく、細い経路から入っていく術式だ。腫瘍は良性で、完全な回復が見込まれると術後に告げられた。カラナムは自分の腫瘍を、こう表現した。二十六年間ずっと自分を苦しめてきた「邪悪な双子の妹」だと。この一言が、記事になった瞬間から世界中に拡散された。
分かる。あまりにも的確で、あまりにも詩的だからだ。ただし医学的には、これが本当に吸収された双子だったのかどうかは確認されていない。奇形腫であることは確かでも、双子由来である証拠はない。むしろ、これまで見てきた遺伝学的な研究を踏まえるなら、彼女自身の細胞に由来する可能性のほうがずっと高い。
それでも彼女がその言葉を選んだこと自体は、責められるようなことではない。二十六年間、正体不明の何かに体を蝕まれていた人が、それを名づける権利は本人にある。医学的正確さと、当事者の言葉は、別の階層にあっていい。
症例をひとつずつ――三十六年間、腹の中に「弟」がいた男
ここで、奇形腫の話をするときに必ず持ち出される、そして必ず誤解される事例を扱う。サンジュ・バガットの件だ。彼は一九六三年にインドのナグプールで生まれ、農民として働いており、子ども時代には特に問題はなかった。ところが二十代の後半あたりから、腹が膨らみはじめた。食べる量は多くない。
肉体労働もしている。それなのに腹だけが出てくる。三十代に入るころには、周囲の人間から「妊娠九か月の女みたいだ」とからかわれるようになっていた。彼はそのことをずっと恥じている。腹はさらに大きくなり、背中が痛みはじめ、そして三十六歳になったころ、ついに呼吸が苦しくなった。
腹の中の何かが横隔膜を押し上げていたのだ。一九九九年、彼はムンバイの病院に緊急搬送された。医師団は巨大な腫瘍を疑った。当然の判断だ。執刀したのはアジャイ・メータ医師だった。
開腹して、内部の構造に手を差し入れた。そして、そこで起きたことを、彼はのちにこう語っている。「驚いたし、恐ろしかった。中にいる誰かと握手ができたんだ。あれは私にとってもかなりの衝撃だった」
同席していた別の医師の証言も残っている。「先生はただ手を中に入れて、そして言ったんです。中に骨がたくさんある、と。まず手足が一本出てきて、それからもう一本出てきました」
メータ医師はさらにこう続けている。「我々は恐れおののいており、混乱し、そして驚嘆していた」
取り出されたのは腫瘍ではなく、よく発達した足と手があり、長く伸びた爪があり、毛があり、生殖器の形も認められた。これがフィータス・イン・フィートゥ、日本語で言う胎児内胎児である。一卵性双胎の発生の途中で、片方がもう片方の体内に取り込まれ、そのまま宿主の血流に寄生する形で、部分的に発育を続けてしまった状態だ。医学文献に載っている報告は世界でごくわずかしかない。
おおよそ五十万出生に一例という頻度が言われている。手術後、バガットの呼吸困難と痛みは消えた。彼は取り出されたものを見ることを拒んだ。当然だと思う。三十六年間、自分の腹の中で何かが育っていたと知らされて、それを見たいと思う人間がどれだけいるだろう。
彼はその後、これ以上の解析も断った。この事例は「腹の中に双子がいた」という話として世界中に広まる。そして、そこから「奇形腫とは吸収された双子である」という誤解が爆発的に広がった。ここを正確にほどく必要がある。
それは本当に「吸収された双子」なのか
結論から言えば、ほとんどの奇形腫は、吸収された双子ではない。まず用語を整理しよう。ヴァニシング・ツイン、消失双胎という現象は実在する。多胎妊娠のうち片方の胎児が子宮内で死亡し、部分的または完全に吸収されてしまうことを指す。頻度は決して低くなく、多胎妊娠のおよそ八件に一件で起きるという推定がある。
研究によっては、双子として生まれてくる一組の背後に、双胎として始まったのに単胎として生まれた妊娠が何倍もある、という推定さえある。妊娠初期の超音波で二つの胎嚢が見えていたのに、数週間後には一つしか見えない、という経験をした人は少なくない。だが、消失双胎の「消えた側」が奇形腫になるわけではない。消えた側は、多くの場合そのまま吸収されて跡形もなくなるか、圧迫されて紙のように薄くなった状態で残る。
それは奇形腫とは別の現象だ。そして先ほど触れた遺伝学的研究が、決定打を提供している。卵巣奇形腫の染色体を調べると、患者本人ではヘテロ接合だった遺伝的な目印が、腫瘍ではホモ接合になっている。もし奇形腫が双子だったなら、それは別個体なのだから、患者本人とは異なる、しかし本来の受精卵らしい多様な遺伝的構成を示すはずだ。
実際に観測されるのはそうではなく、患者自身の卵子が単独で倍加したことを示すパターンなのだ。言い換えると、腹の中の髪と歯は、外から来た他人ではない。自分の細胞が、自分だけで、勝手に組織を作ったものだ。では胎児内胎児はどうなのか。ここには今も議論がある。
ひとつの立場は、これは本物の寄生性双胎であり、一卵性双胎の発生異常だとする。もうひとつの立場は、これは極めて高度に分化した奇形腫の一形態にすぎないとする。両者を分ける実務的な基準としては、脊柱の形成があるかどうか、そして左右対称性があるかどうかを見ることが多い。
背骨があり、それを軸に左右対称に手足が配置されているなら、それは単なる組織の寄せ集めではなく、体軸を持った発生が起きた証拠になる、という考え方だ。いずれにせよ、胎児内胎児が独立した個体として生きることは絶対にない。機能する脳も、心臓も、肺も、消化管も、泌尿器もないからだ。宿主の血流にぶら下がって、組織として育つことしかできない。
だから「腹の中で弟が生きていた」という表現は、情緒としては強烈だが、事実としては正しくない。生きていたのではなく、育っていた。この二つは違う。
「人形のような塊」――胎児形奇形腫という中間項
胎児内胎児と、普通の奇形腫のあいだに、もうひとつ厄介な存在がある。胎児形奇形腫、フィタフォーム・テラトーマと呼ばれるものだ。ホムンクルスという通称で語られることもある。これは成熟奇形腫の一種でありながら、内容物がただの寄せ集めにとどまらず、胎児らしき形を取っているものを指す。手足に見える突起があり、頭部らしき膨らみがあり、毛が生えている。
摘出された標本の写真を見ると、確かに小さな人形のように見える。七歳の女児の卵巣から見つかった報告もあれば、三十八歳の未産の女性から見つかった報告もある。高度に分化したホムンクルスを含む成熟嚢胞性奇形腫の症例報告も出ている。この胎児形奇形腫について、遺伝子を調べた研究がある。結果は単為発生由来、つまり成熟した卵子から生じたものだった。
形は胎児に似ていても、由来は本人の卵子。双子ではない。このあたりが、奇形腫という現象のいちばん奇妙な部分だと思う。設計図の順番がないはずなのに、たまに、なぜか、うっすらと人の形になってしまうものがある。指揮者のいないオーケストラが、偶然、数小節だけ揃ってしまうようなものだ。
そしてその数小節が、見た人の記憶に一生残る。
人格が変わる腫瘍――腹の中の髪の毛が、脳を攻撃しはじめる
ここまでは「体の中に異物ができる」という話だった。ここからは、その異物が「その人自身を変えてしまう」という話になる。奇形腫の合併症のなかで、もっとも異様で、もっとも怪談じみていて、そしてもっとも救いのある話だ。抗エヌエムディーエー受容体脳炎という病気がある。二〇〇七年に、ペンシルベニア大学のジョセップ・ダルマウらのグループによって疾患概念が確立された。
原因は自己抗体だ。患者自身の免疫が、脳の神経細胞にあるエヌエムディーエー受容体という重要な受け皿を攻撃してしまう。なぜそんなことが起きるのか。ここで奇形腫が登場する。腫瘍のなかに神経組織が含まれていると、免疫系はそれを「体の外にある異物」として認識してしまうことがある。
本来、脳の中の神経組織は免疫からある程度隔離されている。ところが卵巣の中に神経組織があると、免疫は普通にそれを見つけて、抗体を作る。そして、その抗体が血流に乗って脳に届き、本物の脳の受容体を攻撃しはじめる。つまり、腹の中の腫瘍が原因で、脳が壊れる。腫瘍を合併している症例は全体の半分程度で、そのうちの九割以上が卵巣奇形腫だという報告がある。
患者の八割前後が女性で、診断時の年齢の中央値は二十一歳。若い女性に集中する。症状の出方には決まった順番がある。まず前駆期。発熱、頭痛、吐き気、下痢といった、風邪としか思えない症状が数日から数週間続く。
次に精神病期。急に人格が変わる。妄想が出る。幻覚が出る。異常な行動を取る。
眠らなくなる。この段階で精神科に運ばれる人が非常に多い。そして無反応期。意識が落ち、昏睡に近づき、中枢性の呼吸障害まで出て、人工呼吸器が必要になる。続いて不随意運動期。
顔面と口のまわりが勝手にうごめく特徴的な運動が出る。舌が出たり引っ込んだり、口が意味なく動いたり、四肢が捻れたりする。最後に緩徐回復期。数か月から数年かけて、ゆっくりと意識と機能が戻ってくる。この経過を、医学の言葉を知らない人間が見たら、何だと思うだろうか。
急に人が変わり、暴れ、意味の分からないことを喋り、口を異様に動かし、そして反応しなくなる。答えは決まっており、憑かれた、と思うだろう。
証言――二十三歳の女性の、五か月間
日本で報告された症例を、時系列でたどる。個人が特定されないよう、報告に記載された範囲だけを扱う。その女性は二十三歳だった。十七歳、二十一歳、二十二歳と、過去に三回、卵巣腫瘍の手術を受けた既往がある。二十代前半で三回だ。
それだけでも十分に大変な人生だった。きっかけは風邪だった。感冒症状を自覚したあと、入院の五日前から、短期記憶に障害が出はじめる。さっき言ったことを覚えていない。近所の医療機関を受診したときに簡易な認知機能の検査を受け、三十点満点で二十二点だった。
二十三歳の点数ではない。そこから急速に事態が悪化する。死にたいという言葉が出るようになり、行動が明らかにおかしくなり、自分がどこにいて今がいつなのかも分からなくなった。辺縁系脳炎が疑われ、神経内科に入院となる。入院して十日目、中枢性の無呼吸発作が出た。
自分で息をするという、脳幹が担っている最も基本的な機能が止まる。人工呼吸器が装着され、髄液を調べると、抗エヌエムディーエー受容体抗体が検出された。骨盤の画像を撮ると、右の卵巣に十七ミリほどの嚢胞が二つ見つかった。十七ミリ。二センチにも満たない。
それが、この人の脳を壊しており、入院十一日目、開腹手術が行われた。術中の迅速病理で、一つ目は未熟奇形腫、二つ目は成熟嚢胞性奇形腫と診断され、右の付属器が摘出される。最終的な診断は未熟奇形腫の段階二で、術後は血漿交換、ステロイドパルス療法、大量免疫グロブリン静注療法が組まれた。それでも呼吸器から離れられたのは、術後四十二日目だ。四十二日。
そして自宅に退院できたのが術後百三十七日目。発症からおよそ一年半をかけて、彼女は社会に戻った。この経過を、当事者やご家族の側から想像してみてほしい。風邪をひいた。物覚えが悪くなり、人が変わった。
息が止まる。機械につながれ、医師から「腹の中に二センチの塊があって、それが脳を攻撃しています」と説明された。取ったら、少しずつ戻ってきて、四十二日で機械が外れ、百三十七日で家に帰る。一年半かけて元の生活に戻った。この物語には、明確な原因と、明確な処置と、明確な回復がある。
だから救いがある。だが同時に、原因が判明するまでの数日間、周囲の人間が何を見せられていたかを思うと、たまらない気持ちにもなる。別の報告では、二人の若い女性の例が並べられている。一人目は急性の精神症状で精神科に入院となり、発症から十九日目に発熱と痙攣が出た。画像で卵巣に微細な石灰化が見つかり、奇形腫が疑われて緊急手術になった。
二人目は発熱に続いて歩行障害と意識障害が出て、救急搬送される。画像で卵巣腫瘍が確認され、入院の翌日に卵巣が摘出された。二人とも術後急速に改善し、後遺症なく社会復帰している。この報告の書き手が繰り返し強調しているのは、一点だけだ。若い女性が急に精神症状を起こしたとき、最初から精神疾患だと決めつけないこと。
腹を調べること。それだけで結末が変わる。
証言――時計を描かせた医師
もうひとつ、世界的に有名になった経過をたどる。スザンナ・キャハランのケースだ。彼女は一九八五年生まれで、発症したのは二〇〇九年、二十四歳のとき。新聞社の記者として働いていた。最初の異変は感覚だった。
世界が明るすぎ、うるさすぎ、痛すぎる。彼女はのちに、そう表現している。左半身が痺れはじめ、南京虫がいるという妄想に取り憑かれ、眠れなくなった。行動がおかしくなった。恋人の部屋で、彼女は大発作を起こす。
搬送された病院で、彼女につけられた診断名は次々に変わった。アルコール離脱。統合失調症ではないか、とも言われる。双極性障害。ある医師は、遊びすぎだと言った。
パーティのしすぎだと。二十四歳の女性が急におかしくなったとき、周囲がどういう物語を当てはめようとするか、これ以上ないほど分かりやすい記録だ。彼女の両親は諦めず、精神科病棟ではなく、てんかんを診る病棟に入れてほしいと動いた。そこで彼女を診たのが、神経病理を専門とするスヘル・ナジャール医師である。ナジャールが行ったのは、拍子抜けするほど原始的な検査だった。
紙と鉛筆を渡し、時計の絵を描いてくださいと頼んだ。認知症のスクリーニングで昔から使われる方法だ。彼女が描いた時計には、一から十二までの数字が、すべて右半分に押し込まれており、左側が空白だった。これで決まりだった。右半分にしか数字を書けないということは、左側の空間を認識できていないということ。
そして左側の空間認識を担うのは右脳だ。つまり彼女の右脳に炎症が起きている。精神の問題ではなく、脳の問題だ。そこから脳の生検が行われ、抗エヌエムディーエー受容体脳炎と診断された。この病気が世界で初めて記述されてから、まだ三年しか経っていない時期だ。
彼女は、この病気と診断された二百十七人目の人間だった。ステロイド、免疫グロブリンの点滴、血漿交換が行われ、彼女は長期的な脳の損傷を残さずに回復した。彼女自身がのちに書き残した数字が重い。二〇〇九年当時、この病気の患者のうち、正しく診断されていたのは一割ほどだったという。九割が、別の何かとして扱われていた。
精神疾患として。薬物の問題として。あるいは、性格の問題として。彼女の記録が世に出たあと、同じ病気の診断が世界中で急増した。一冊の記録が、何千人という人の運命を変えた。
医学の進歩というのは論文だけで起きるものではないのだと、この件は教えてくれる。
証言――十九年後に自分の病理報告書を読んだ人
三つ目は、まったく違う種類の証言だ。深刻な病でも劇的な救命でもない。ただ、静かに気味が悪い。メーガン・クリケレアはペンシルベニア州の看護師で、三十五歳のときにある事実を知った。彼女は背中に痛みを伴うしこりを長年抱えていて、二〇〇五年、尾骨を骨折した事故をきっかけに、そのしこりを二つとも手術で取っていた。
当時、医師から中身について詳しい説明は受けていない。それから長い時間が経って、彼女は患者用のオンラインの窓口から、自分の過去の病理報告書にアクセスできることに気づいた。開いてみる。そこには、摘出されたしこりの中身が記載されていた。人の爪が一枚。
毛。そして歯が四本あった。つまり皮様嚢腫、奇形腫だった。彼女は最初の反応を「しばらく気味が悪かった」と表現している。そして「ずっとそこにあったことを知らないでいた、というのが自分をおかしくさせた」とも語っている。
何十年も痛みを抱えていて、その原因が自分の背中の中で歯を生やしていた。しかもそれを知ったのは、切り取ってから十九年後だ。彼女は最終的に、こう受け止めた。これは体の中で暴走した細胞に起きる、ただの現象なのだと。この着地の仕方が、個人的にはすごく好きだ。
怖がって終わりでもなく、神秘化して終わりでもなく、事実として飲み込んで日常に戻る。もうひとりの証言も紹介したい。サバンナ・スタザースは二十歳のとき、卵巣にできた大きな腫瘍が見つかった。数か月にわたって腹の痛みと出血に悩まされ、救急を受診したところ、すぐに手術が必要な状態だと告げられている。摘出された腫瘍には、髪と歯と、そして眼球らしき組織が入っていた。
彼女はこう語っている。「それがずっとそこにあったのに、自分は知らなかった。そのことを考えるとしばらく参ってしまった」。そして同時に、こうも言っている。「間に合うところで見つかったから、自分は運が良かった。
ひどいことにはならなかった」
この二つの言葉が同居しているのが、当事者のリアルだと思う。気味が悪いのと、助かって良かったのは、両方本当なのだ。彼女はその後、自分の体験を発信するなかで、寄せられた誤情報の訂正にも取り組んでいる。奇形腫は性行為でできるとか、流産した子どもがそうなるのだとか、そういう説が広まっていたからだ。どちらも違う。
奇形腫は生まれる前から存在する先天性の腫瘍であり、本人の行動とは何の関係もない。ここを彼女が繰り返し言わなければならなかったという事実そのものが、この病気にまとわりつく偏見の根深さを示している。
悪魔憑きと呼ばれてきたもの
さて、民俗と怪異の側に話を移す。抗エヌエムディーエー受容体脳炎の症状経過を、もう一度並べてみよう。急に人格が変わる。意味不明なことを口走る。攻撃的になったり、幻覚を見たりする。
顔と口が勝手に不気味な動きをする。体が捻れる。そして反応しなくなる。周囲の呼びかけが届かない。これは、洋の東西を問わず、憑依とされてきた現象の記述と、驚くほどよく一致する。
医学の側からもこの指摘は繰り返し出ていて、歴史上「悪魔憑き」として記録された事例の一部は、自己抗体による脳炎だった可能性があると論じられている。急性の認知機能低下、新規に発症した痙攣、急速に現れる精神症状、異常な運動パターン、自律神経の不安定さ、極端な不眠。この症状の束は、宗教的な枠組みしか持っていなかった時代の観察者にとって、超自然的な現象としか解釈しようがなかっただろう。
聖書の記述や、聖人伝に残る「泡を吹き、痙攣する」という描写についても、神経学的な現象を記述したものではないかという読み直しがなされている。この読み直しには慎重さが必要だ。過去の記録を現代の病名で断定的に診断するのは、方法としては危うい。カルテもなければ検査値もない。あるのは、宗教的な解釈のフィルターを通った文章だけだ。
だから「これは奇形腫による脳炎だった」と言い切ることは誰にもできない。それでも、確実に言えることが一つある。それは、現代においてこの症状を宗教的な枠組みだけで処理すると、人が死ぬということだ。医療側から実際に警告が出ている。祓いの儀式に頼って診断と治療が遅れると、状態は悪化する。
過去に、精神疾患を抱えた人が治療ではなく儀式を選び続けて悪化した記録も残っている。腹の中の二センチの塊を取って、免疫を抑える治療をすれば、多くの人は帰ってくる。この事実の前では、他のどんな解釈も後回しでいい。同時に、逆方向の注意も要る。急に精神症状を起こした人がみんなこの脳炎だと考えるのも危険だ。
実際の発生頻度は年間十万人あたり一人程度とされていて、一人の医師が生涯に何度も出会うような病気ではない。ある医師の記事では、まさにこの過剰診断への注意が強調されていた。奇形腫の存在を知ったからといって、身近な誰かの不調に当てはめて考えるようなことはしないほうがいい。この記事はそういう目的で書いていない。
腹の中の子、鬼子、そして「体の中の他者」という想像力
日本の側の受け取られ方も見ておきたい。鬼子という言葉がある。辞書的には三つの意味を持つ。ひとつは、生まれたときにすでに歯が生えていたり、髪が伸びていたりする、通常とは異なる姿の子。ふたつめは、親に似ていない子をいう。
みっつめは、気性の荒い子。もっとも古い記録は十二世紀の日記に見え、江戸時代の滑稽本にも「親に似ぬ子を鬼子といふ」といった記述が残っている。注目したいのは一つ目の意味だ。歯が生えて生まれてくる。髪が伸びて生まれてくる。
奇形腫の内容物と、驚くほど重なる。もちろん、両者に直接の因果関係はない。新生児に歯が生えている現象自体は先天性歯として実在するし、それは奇形腫とは無関係だ。だが、「歯と髪が、本来あるべきでないタイミングとあるべきでない場所に現れると、人はそれを異界のものとみなす」という感受性は、間違いなく共通している。そして日本には、この種の異常を「捨てる」ことで無効化する習俗が残っていた。
生まれた子をいったん道端や川辺に置き、あらかじめ示し合わせておいた知人に拾い上げてもらう。形式上いったん縁を切り、拾い子として迎え直すことで、災いを断ち切るという発想だ。この習俗のロジックは、実はけっこう合理的だ。異常なものを排除するのではなく、いったん外に出して、手続きを踏んで、また内側に入れ直す。共同体の側が、異常を抱えたまま生きていくための知恵と言っていい。
憑きものの伝承も同じ場所に立っている。特定の家系に何かが憑いているという言い伝え、狐が憑いたという解釈、そこから来る差別。これらはすべて、説明のつかない身体的・精神的異変を、共同体が処理するための枠組みだった。枠組み自体は、しばしば残酷に機能し、憑きもの筋とされた家は縁組を断られ、村八分にされている。
医学的な原因が分からない時代の説明装置は、当事者を守るよりも、共同体の不安を鎮めるほうに寄っていた。
だから、民俗の側の解釈を「昔の人は迷信深かった」と笑って済ませるのは、二重に間違っていると思う。ひとつは、彼らが持っていた道具では、それ以上の説明が原理的に不可能だったから。もうひとつは、その解釈が実際に人を傷つけたという事実を、笑いで流してはいけないから。そして今、我々には別の道具がある。腹の中の髪の毛は、鬼の仕業でも、憑いた狐でも、腹に宿った他者でもない。
本人の卵子が、受精しないまま体を作ろうとした結果だ。人格が変わったのは呪いのせいではなく、二センチの塊が作らせた抗体のせいだ。そして両方とも、切って取れば決着がつく。この説明のほうが、あらゆる伝承より、はるかに当事者を救う。一方で、腹の中の異物について、日本の記録に別種の伝承がないわけではない。
妊娠に関連した石のような塊についての古い記述などがそれにあたるが、それは今回の主題である胚細胞由来の腫瘍とはまったく別の現象なので、ここでは立ち入らない。混ぜて語ると、せっかくほどいた誤解がまた絡まるからだ。
ネットはこの腫瘍をどう受け取ったか
現代の反応も見ておこう。奇形腫が話題になるたび、ネット上には決まったパターンの反応が並ぶ。まず、純粋な恐怖。摘出された腫瘍の写真を見て「腕に鳥肌が立った」「画像を検索してしまって後悔した」といった声が出る。これは非常に多い。
奇形腫の画像は、検索してはいけないものの定番として定着している感すらある。次に来るのが、ブラックユーモアだ。ある投稿に寄せられたコメントで印象的だったものがある。「それ、見せてもらえる?無理。
じゃあそれはこっちを見てくる?はい」。眼球様の組織が入っていたという話に対する反応だ。悪趣味と言えばそうだが、この手の冗談が生まれるのは、正面から受け止めるには怖すぎるからでもある。笑いは防御でもある。
三つめが、当事者同士の呼応だ。「私にも同じことが起きた、卵巣ごと取られた」といった書き込みが必ず現れる。これが実は一番重要な反応だと思っている。奇形腫は珍しい病気ではない。だから体験を語る人が出てくると、同じ経験をした人が次々に集まってくる。
怖い話のスレッドが、いつのまにか経験者の情報交換の場に変質していく。四つめが、誤情報だ。これが厄介だ。性行為が原因だとか、流産した胎児が腫瘍化したものだとか、双子を吸収したのだとか、根拠のない説明が繰り返し湧いてくる。とくに「吸収された双子」説は強力で、有名症例が報道されるたびに再燃する。
実際、当事者が自分で発信して訂正しなければならない状況が起きている。恐怖と神秘は、事実より速く伝播する。五つめが、「もう一人の自分」という言い回しへの共感だ。これはネットの反応というより、人類共通の感受性に近い。二十六歳の患者が自分の脳腫瘍を「邪悪な双子の妹」と呼んだとき、その表現が国境を越えて広まったのは、我々全員がその比喩を直感的に理解できるからだ。
体の中に自分ではない何かが育つ、という恐怖のイメージは、たぶん人間の想像力のかなり深いところに埋まっている。
「見世物」にしない、という線引きについて
ここで、この記事を書きながらずっと考えていたことを書いておく。奇形腫は、間違いなく面白い。医学的にも、歴史的にも、怪談的にも、素材として強すぎるほど強い。だがこの腫瘍を抱えている人、抱えていた人は、実在の人間だ。標本の写真が拡散されるとき、その標本は誰かの体から出てきたものだ。
手術を受け、麻酔から覚め、病理の結果を待ち、その後の人生を送っている誰かがいる。医学史の博物館には、この種の標本が数多く収蔵されている。フィラデルフィアの博物館は三万五千点を超える標本と資料を持ち、その多くは十九世紀半ばから二十世紀初頭のものだ。骨の標本、液浸標本、乾燥標本。教育と研究のために保存されてきた。
同時に、こうした人体標本の展示については、倫理をめぐる議論が今も続いている。同意を取れない時代に集められた人体を、公開し続けていいのか。この議論に簡単な答えはない。英国の大学の病理コレクションについて書かれた記事のなかに、印象的な一節があった。
書き手は、卵巣の奇形腫の標本と、世界各地に伝わる「歯のある女性器」の神話を並べて論じている。ただし両者に因果関係があるわけではないと明確に断ったうえで、こう締めている。これらの標本が示しているのは、人間が自分の体をどれだけ多様に理解しようとしてきたか、その複雑さと豊かさなのだと。この態度は正しいと思う。標本は怪物ではない。
標本は、人間が自分の体を理解しようとしてきた歴史の断面だ。
そして今この瞬間も、どこかの手術室で、誰かの体から同じものが取り出されている。取り出されて、その人は元気になっている。それが一番大事な事実だ。
取ったあと、その体はどうなるのか
最後に、経過の話をしておく。ただし念のため書いておくが、これは一般的な知見の紹介であって、個別の判断の材料ではない。体のことで気になることがある人は、この記事を読んで自己判断するのではなく、医療者に相談してほしい。成熟型の卵巣奇形腫は良性腫瘍なので、切除すれば基本的にそれで治る。ただし再発はある。
ある解説では、二年後に二割、五年後に四割から五割という数字が挙げられていた。もっとも、これは元の腫瘍が戻ってきたというより、卵巣に残った組織から新しく生じるものと考えたほうが実態に近い。だから術後の定期的な確認が勧められる。腫瘍が小さいうちは、必ずしも手術しないという選択もある。閉経前で、大きさが一定以下、成長も年に数ミリ程度なら、経過を見るという方針が取られることがある。
一方で、ある程度以上大きくなると捻れやすくなるので、手術が勧められる。手術の方法も、腹腔鏡で嚢胞だけを取って卵巣を温存する方法から、卵巣ごと取る方法まで幅がある。単孔式や経腟の腹腔鏡といった、傷をさらに減らす術式を採用している施設もある。卵巣の機能が温存できれば、その後の妊娠も十分に可能だとされる。
英国の統計では、成熟奇形腫の五年無イベント生存率が九十二・二パーセント、未熟奇形腫で八十五・九パーセント。全生存率はそれぞれ九十九パーセントと九十五・一パーセントと報告されている。悪性転化した場合は話が別で、進行の程度によって予後は大きく変わる。胚細胞腫瘍全般について言えば、たとえ転移していても、適切な治療によって治癒が期待できるとされている。これは固形がんのなかでは際立った特徴だ。
若い患者が多い領域で、治療によって治りうる。だから早く見つけて、正しい枠組みで扱うことに、途方もない意味がある。ここまで読んでくれた人には、たぶんもう伝わっていると思う。奇形腫は怖い。中身は本当に怖い。
だがそれは、人が怖いということではまったくない。腹の中に髪が生えていたとしても、その人はその人だ。取り出せば、それは受け皿の上の組織になる。そして本人は、家に帰る。ここからは総括と、本編に収めきれなかった追加の考察をまとめて置いておく。
奇形腫という現象をもう一段深く掘ると、単なる「怖い腫瘍」の話では終わらなくなる。むしろ、人間の体とは何か、自分とは何かという問いに、まっすぐぶつかっていく。
なぜ我々はこの腫瘍にだけ、特別に怯えるのか
冷静に考えると、奇形腫は人間の体に起きる異常のなかで、格別に危険というわけではない。多くは良性で、切除すれば治る。もっと危険な病気は山ほどある。それなのに、奇形腫の話を聞いたときの反応の強さは異常だ。生々しい嫌悪、鳥肌、そして忘れられなさ。
この落差はどこから来るのか。ひとつは、カテゴリの侵犯だと思う。人類学の古典的な議論に、汚穢とは「本来あるべき場所にない物質」だという定式がある。土は畑にあれば土だが、食卓にあれば汚れになる。髪も同じだ。
頭にあるあいだ、髪は美の対象ですらある。ところが排水口にあると、途端に嫌悪の対象になる。では、卵巣の中にあったらどうか。答えは、想像を超える嫌悪だ。奇形腫は、この「場所の侵犯」を一度に大量にやってのける。
髪が体内にあり、歯が顎の外にある。皮膚が袋の内側を向いている。脂が閉じた空間に溜まり続けている。しかも、それらは全部「自分の体の材料」だ。異物ではないから排除もされない。
免疫は基本的に見過ごす。だから何十年でもそこにいられる。もうひとつは、意図の錯覚だろう。奇形腫は誰にも命令されていない。ただ細胞が持っているプログラムが、抑制を外れて走っているだけだ。
にもかかわらず、結果だけを見ると「何かが意図的に体を作ろうとしている」ようにしか見えない。人間の脳は、目的のない過程に目的を読み込むのが得意すぎる。だから我々は、そこに意志を、そして人格を見てしまう。「もう一人の自分」という表現が世界中で自然発生するのは、この錯覚が普遍的だからだ。
「材料はあるのに設計がない」という状態の恐ろしさ
本編で、奇形腫は未完成の人間ではなく部品倉庫だと書いた。この違いをもう少し掘り下げたい。胚の発生というのは、位置情報の芸術だ。どの細胞も、自分がどこにいるかを、周囲から拡散してくる信号物質の濃度勾配で読み取っている。前か後ろか、背中側か腹側か、右か左か。
そのすべてを、化学物質の濃度差という驚くほど頼りない手がかりで判断し、そのうえで自分が何になるかを決める。左右の対称性も、体節の数も、指の本数も、全部この位置情報のシステムが決めている。奇形腫には、この位置情報のシステムが存在しない。あるいは、あってもごく局所的にしか働かない。だから細胞は「自分が何になるか」は決められても、「自分がどこにいるべきか」は決められない。
結果として、組織としては完璧なものが、配置としては完全にでたらめな場所に生まれる。歯として完璧な歯が、顎ではないところに。皮膚として完璧な皮膚が、袋の内側に。そう考えると、胎児形奇形腫の存在がいっそう不気味に見えてくる。あれは、位置情報のシステムが部分的に立ち上がってしまった痕跡だからだ。
手足らしきものが、頭らしきものが、粗いなりに配置される。指揮者のいないオーケストラの数小節。人体という楽曲の断片が、偶然、意味のある形に並んでしまう。この偶然が、標本として残っている。胎児内胎児をめぐる議論が今も決着していないのも、この延長線上にある。
背骨があり、左右対称性があるなら、それは相当に高度な体軸形成が起きたということだ。単なる組織の寄せ集めではない。では双子なのか、それとも極端に分化した奇形腫なのか。両者を分ける線は、思ったより曖昧だ。そして曖昧であること自体が、発生という現象の連続性を示している。
免疫という観点から見ると、話はさらに込み入る
抗エヌエムディーエー受容体脳炎の話を、免疫の側から整理し直してみたい。ここには、体という仕組みの根本的な脆さが露出している。人間の免疫システムは、自分と自分でないものを見分けることで成り立っている。この見分けの訓練は、主に胸腺という臓器で行われる。自分の体の成分に反応してしまう免疫細胞は、そこで淘汰される。
だから通常、免疫は自分を攻撃しない。ところが、この訓練には抜け穴がある。胸腺で提示されなかった自己成分については、免疫は「自分」だと学習していない。脳の中の神経細胞が持つ特定のタンパク質は、血液脳関門で隔離されているため、免疫にとっては馴染みが薄い。普段はそれで問題ない。
両者は出会わないからだ。奇形腫は、この出会わないはずの二者を、強引に引き合わせる。卵巣の中に神経組織がある。そこには脳と同じ受容体がある。しかも卵巣は免疫の監視下にある。
免疫はそれを見つけて、異物だと判断して、抗体を作る。抗体は血流に乗る。血流は全身を巡る。そして脳に届く。つまりこれは、免疫の失敗ではない。
免疫は正しく仕事をしている。あるべきでない場所にあるものを見つけて、対処しようとしただけだ。問題は、その「あるべきでないもの」が、脳と同じ部品でできていたことにある。腫瘍の位置がおかしいせいで、免疫の正しい判断が、脳への攻撃に化ける。ここに、この病気の一種の悲劇性がある。
誰も悪くない。細胞も、免疫も、自分の役割を果たしただけだ。それなのに、二センチの塊が原因で、二十三歳の人が息を止める。そして解決策は、驚くほど単純だ。原因を取り除き、免疫の反応を鎮める。
抗体を作る工場を潰し、すでに出回っている抗体を洗い流す。血漿交換というのは文字通りそれをやっている。腫瘍を早く取ったほうが予後がいいという知見も蓄積されつつあり、手術の時期と術式が転帰にどう影響するかを調べる多施設共同の研究も進められている。かつて憑依としか説明できなかった現象が、今は手術の日程調整の問題になっている。この落差を、もう少し噛み締めていい。
誤解がなぜ何度でも復活するのか
「奇形腫は吸収された双子だ」という説は、何度否定されても復活する。この粘り強さそのものが興味深い。理由はいくつかある。第一に、この説明は圧倒的に分かりやすい。腹の中に髪と歯があり、人間の材料がある。
だからそれは人間だったに違いない。この推論は直感的で、説得力があり、そして間違っている。単為発生という説明のほうがずっと正確だが、こちらは減数分裂の仕組みを理解していないと腑に落ちない。分かりやすさの勝負では、誤情報のほうが有利なのだ。第二に、実際に「腹の中に双子がいた」事例が存在するからだ。
胎児内胎児は実在する。有名な症例は世界中で報道された。だから「そういうことは起こりうる」という前提が広く共有されてしまっている。頻度が五十万出生に一例と、卵巣奇形腫が卵巣腫瘍の二割前後を占めるという事実の差は、報道からは伝わらない。極端に稀な現象と、ありふれた現象が、同じ棚に並べられてしまう。
第三に、物語として強すぎる。自分の中に、生まれなかったきょうだいがいた。この一文の情緒的な破壊力は尋常ではない。医学的な正確さでこれに対抗するのは、正直かなり分が悪い。だからこそ、当事者が自分で訂正しなければならない状況が生まれる。
腫瘍を取った本人が、性行為が原因ではないと説明し、流産とは関係ないと説明し、双子ではないと説明する。本来なら本人がやらなくていい仕事だ。それを引き受けなければならないほど、誤情報の圧が強い。こういうときにできることは限られている。事実を、正確に、繰り返し置いておくこと。
その一点だけだと思う。奇形腫は本人の胚細胞に由来する。生まれる前から存在する先天性の腫瘍である。本人の行動とも、過去の妊娠とも、双子の有無とも、原則として関係がない。これだけは何度でも書いておく価値がある。
医学史として見ると、奇形腫は「解釈の変遷」の見本市だ
この腫瘍をめぐる説明の歴史を並べると、人間が体をどう理解してきたかの変遷が、そのまま見えてくる。粘土板の時代、これは兆しで、神の意思の表れ、あるいは災厄の予告として記録された。中世からルネサンスにかけては、怪異譚と医学記録の区別自体が曖昧である。異常な出生や異常な腫瘍は、驚異の記録として蒐集された。十七世紀に卵巣の皮様嚢腫が記述され、標本として保存されはじめる。
ここで初めて、それは「観察の対象」になる。十九世紀、顕微鏡と病理学の時代が来る。組織を切って、染めて、覗く。そこで初めて、袋の中に何種類の組織があるのかが正確に分かった。一八五六年に三胚葉性という定義が固まり、一八六三年に「怪物の腫瘍」という名前が与えられる。
名前は禍々しいが、この命名は科学の勝利だ。分類され、定義され、名前がついた瞬間に、それは怪異ではなく疾患になる。二十世紀後半、細胞遺伝学が来る。染色体を数え、遺伝的な目印を追跡する。ここで「双子ではない、本人の卵子だ」という決着がついた。
二十一世紀に入ると、幹細胞生物学が奇形腫を別の角度から照らし出す。多能性幹細胞が本物の多能性を持っているかどうかを確かめる標準的な検定として、動物に移植して奇形腫ができるかを見るという方法が使われている。かつて怪物と名づけられたものが、今は多能性の証明書として機能している。この転倒は痛快だ。そして二〇〇七年、抗エヌエムディーエー受容体脳炎が定義され、腫瘍と精神症状のあいだに橋が架かる。
憑依という古い解釈が、免疫学の言葉で書き直された。奇形腫の解釈史は、まだ終わっていない。
当事者の言葉と、医学の言葉は、両方要る
この記事を書きながら、繰り返し戻ってきた問題がある。当事者が自分の腫瘍を「邪悪な双子」と呼ぶことと、それが医学的には双子ではないということを、どう両立させるかだ。答えは、両立させなくていい、なのだと思う。この二つは違うレイヤーの話だからだ。医学の言葉は、何が起きているかを記述し、どうすれば良くなるかを決めるためにある。
この用途において、正確さは絶対だ。双子ではなく本人の細胞だと分かっているから、遺伝的なリスクを不要に心配しなくて済む。神経組織があると分かっているから、精神症状が出たときに脳炎を疑える。正確さは、そのまま人の救命に直結する。当事者の言葉は、体験を自分の物語に統合するためにある。
二十六年間の不調に名前をつける。十九年後に病理報告書を読んで、自分の背中に何があったかを知る。何か月も苦しんだあとで、取り出されたものを見せられる。そのとき、教科書的な説明だけでは処理しきれないものが残る。だから比喩が要る。
「邪悪な双子」も、「もう一人の自分」も、その処理のための道具だ。問題が起きるのは、この二つが混線したときだけだ。当事者の比喩が、医学的事実として広まってしまう。あるいは逆に、医学的正確さの名のもとに、当事者の表現が封じられる。どちらも良くない。
この記事で心がけたのは、比喩は比喩として尊重し、事実は事実として何度でも書く、という分業だった。
結局のところ、これは「自分の輪郭」の話だ
最後に、いちばん言いたかったことを書く。奇形腫が我々をこれほど揺さぶるのは、それが「自分の輪郭」という前提を壊してくるからだと思う。我々は普段、自分の体を一つのまとまりとして扱っている。皮膚の内側が自分で、外側が世界。この境界は明確だと信じている。
ところが奇形腫は、その内側に、自分ではないように見える何かを作る。しかもそれは、遺伝的には完全に自分だ。自分の細胞が、自分の材料で、自分ではないもののように見える何かを作る。内と外の境界は破られていない。破られたのは、もっと内側にある境界だ。
「私の体は、私という一つの計画に従って作られている」という感覚。奇形腫はそこに穴を開ける。同じ材料と同じ命令のセットから、まったく別のものが生じうる。その可能性が、自分の中にずっと畳まれていた。考えてみれば、我々の体は最初からそういうものだった。
受精卵という一個の細胞から、目も心臓も指も全部が作られる。同じ遺伝情報を持った細胞が、位置と時間の情報だけを頼りに、まったく違うものになる。この事実自体が、正気を疑うほど不思議だ。奇形腫は、その不思議さを別の順序で再生してみせているにすぎない。異常なのは奇形腫ではなく、そもそも人体が異常なのだ。
だから最後は、この記事の結論も、そこに落ちる。腹の中の髪と歯は、怪異ではない。それは、我々全員の中に折り畳まれている、体を作る力そのものの、行き場を失った形だ。怖い。間違いなく怖い。
だがそれは、我々自身が何でできているかを、いちばん正直に見せてくれる形でもある。そして繰り返しになるが、それを抱えた人は、ただの人だ。手術を受けて、麻酔から覚めて、痛みが引いて、病理の結果を聞いて、そして帰っていく。受け皿の上の組織と、帰っていくその人は、まったく別の存在だ。この線だけは、どれだけ話が面白くなっても、絶対にぼかしてはいけないと思っている。
