おむつを替えようとした母親が、最初に気づく。布地に、オレンジ色の細かい砂のようなものがついている。砂糖でもない、汚れでもない。指でこすると、ざらっとした結晶の手ざわりがある。病院で聞いても「濃い尿ですね」で終わることが多い。
実際そう言われて帰された家族は山ほどいる。だがあの砂は、体の奥で代謝がまるごと壊れているという、最初の、そしてほぼ唯一のわかりやすい合図だった。正体は尿酸の結晶だ。大人が痛風で苦しむときに関節にたまる、あの尿酸。それが生後まもない赤ん坊のおむつに、砂になって出ている。
この話は、レッシュ・ナイハン症候群という病気の話だ。医学史のなかでも、たぶんいちばん語られにくい病気のひとつ。理由は途中で書く。まずは、どうやって見つかったところから始めたい。
- 医学生が「これ、何かおかしくないですか」と言ったところから全部が始まった
- 犯人の名前がわかるまで、たった3年しかかからなかった
- リサイクル工場が止まると、なぜ人は歩けなくなるのか
- 子どもが痛風になる、という理不尽
- 生後3か月で「あれ、首がすわらない」が始まる
- 本人が「止めてくれ」と頼んでくる、という事実の重さ
- 痛みは、ちゃんと感じている
- 脳の中を60年探し続けて、たどり着いた場所
- 「ドーパミンが減ると自傷が出る」を、別の動物が証明してしまった
- アロプリノールは、勝った。ただし半分だけ
- 30年ぶんの「効くかもしれない」を並べてみた結果
- 脳に電極を入れる、という選択肢のリアル
- 遺伝子を直す話は、ずっと「もうすぐ」と言われ続けてきた
- 日本ではどう扱われているのか
- 家族が毎日やっていること
- しゃべりにくいことと、わかっていないことは、まったく違う
- 同じ遺伝子なのに、症状が全然違う人たちがいる
- 意志と行動が切り離される、ということ
- この病気が語られにくい、本当の理由
- それでも、ここまでは来た
医学生が「これ、何かおかしくないですか」と言ったところから全部が始まった
1964年。舞台はアメリカだ。マイケル・レッシュという名前の男が、まだ医学生で、ジョンズ・ホプキンス大学。彼は1939年生まれだから、当時20代半ばだ。指導する側にいたのがウィリアム・ナイハン。
小児科医で、生化学的な遺伝病を追いかけていた人だ。1926年生まれ。ふたりの名前が並んで病名になったのは、この年の共同報告のせいである。きっかけは、救急に来たひとりの男の子だったとナイハン本人が後年に語っている。6歳。
手には包帯がぐるぐる巻かれており、唇の一部が失われていた。研修医から「この子の尿のアミノ酸を分析してほしい」と頼まれたのが最初の接点だった、と。ナイハンは包帯をほどいた。すると子どもの手はまっすぐ自分の口へ向かったのだ。ナイハンはとっさにその手をつかんで止めた。
この一場面が、そのままこの病気の全部を要約している。レッシュとナイハンが1964年に報告したのは、兄弟ふたりの症例だった。タイトルは、尿酸代謝と中枢神経の機能に関する家族性の異常、というような硬い言い回しだ。血中の尿酸が異常に高い。尿に出る尿酸の量も桁が違う。
それだけなら代謝の病気で終わる。ところがこの兄弟には、運動の障害があり、知的な発達の遅れがあり、そして自分の体を傷つけてしまう行動があった。尿酸と脳が同じ一本の線でつながっている。当時の医学にとって、これはかなり気味の悪い報告だった。尿酸というのは老廃物である。
老廃物の処理の失敗が、なぜ子どもの運動と行動を破壊するのか。誰も説明できなかった。面白いのは、レッシュがこのあと神経の道に進まなかったことだ。彼は内科と循環器に行った。ハーバード、ノースウェスタン、ヘンリー・フォード病院、コロンビア。
心臓の専門家として長いキャリアを積んで、2008年、アルゼンチンへの釣り旅行の途中で亡くなっている。医学生のころに一度だけ触れた病気に、自分の名前が永久に貼りついた。ナイハンのほうはむしろ逆で、その後カリフォルニア大学サンディエゴ校に移り、代謝異常症の世界にどっぷり残り続けた。80代になってもフルタイムで働いていた人だ。彼は自分の患者たちのことを、こう表現している。
殴られたことも、蹴られたこともある、眼鏡を床に投げられたこともある、と。それでも彼らは魅力的で、ユーモアがあると。この落差こそが、この病気の核心にある。
犯人の名前がわかるまで、たった3年しかかからなかった
1964年の報告から3年後の1967年。シーグミラーらのグループが、この病気の原因になっている酵素を突き止めた。ヒポキサンチン・グアニン・ホスホリボシルトランスフェラーゼ。長い。医学の世界ではふつうHPRTと略す。
日本語の文献ではHGPRTと書かれることもあり、同じものだ。3年というのは、当時としてはかなり速い。理由はたぶん、この病気が生化学的にきれいすぎるくらいはっきりしていたからだ。尿酸が異常に多い。ということは、尿酸を作る側か、作らせない側のどちらかが壊れている。
プリン代謝という限られた回路のなかを探せばいい。そして見つかったのが、リサイクル担当の酵素だった。さらにその後、この酵素の設計図であるHPRT1遺伝子が特定される。場所はX染色体の長腕、Xq26のあたり。1980年代には遺伝子のクローニングも済んだ。
ここから先はもう、分子生物学の教科書に載る速度で話が進んでいく。HPRTという遺伝子は、実は分子生物学の実験系そのものにも深く食い込んでいて、細胞を選別するときの目印として長く使われてきた。だからこの遺伝子は、稀少疾患の原因遺伝子でありながら、世界中の研究室でいちばん扱われてきた遺伝子のひとつでもある。皮肉な話だ。
原因はとっくにわかっていて、遺伝子の配列も酵素の立体構造もわかっていて、それでも患者は治らない。
リサイクル工場が止まると、なぜ人は歩けなくなるのか
体の中で何が起きているのかを、なるべく雑に説明する。細胞のなかにはDNAとRNAがあり、その材料になるのがプリン塩基という部品だ。細胞は日々古いDNAやRNAを壊しているから、部品はどんどん出てくる。ここで人間の体は賢いことをしていて、出てきた部品を捨てずに拾い直して再利用する。ヒポキサンチンやグアニンといった部品を、もう一度使える形に戻す。
この回収作業をやっているのがHPRTだ。サルベージ経路、つまり救出経路と呼ばれる。HPRTがいなくなると、二つのことが同時に起きる。ひとつ、拾われなかった部品が行き場を失って、そのまま分解ルートに流れ込み、最終的に尿酸になる。ふたつ、リサイクルで足りていたはずの分が足りなくなるので、細胞は一から新品を作りはじめる。
新品を作る合成経路がフル稼働する。作れば作るほど、余った分がまた尿酸になる。入口と出口の両方から尿酸が増える。だから患者の尿酸値は「ちょっと高い」ではなく、桁で違う。尿中に出る尿酸の量が通常の数百倍という記述すらあり、ここまでは筋が通る。
問題はこの先だ。尿酸が増えることと、脳がやられることは、実は直接つながっていない。ここが60年間ずっと解けていない。
子どもが痛風になる、という理不尽
まず体のほうから見ていく。尿酸が過剰にあると、それは結晶になる。関節にたまれば痛風発作になる。腎臓にたまれば結石になり、尿路をふさぎ、感染を起こし、腎機能を削っていく。おむつのオレンジ色の砂は、すでにこの過程が生後数週間で始まっているという証拠だった。
痛風は本来、中年以降の男性の病気というイメージがある。ビールと肉と、そういう雑なイメージ。ところがこの病気の子どもは、幼児期から関節が腫れる。痛風結節ができる。石ができて血尿が出る。
生活習慣とはまったく関係のないところで、遺伝子ひとつのせいで、体がひたすら尿酸を作り続けている。かつてはこの腎臓の問題が、患者の命を直接削っており、腎不全で亡くなる子どもが多かった。あとで書くけれど、この部分についてだけは、医学ははっきり勝った。
生後3か月で「あれ、首がすわらない」が始まる
生まれたときは、たいてい何も気づかれない。見た目はふつうの赤ん坊だ。異常が表に出てくる順番には、かなり一貫したパターンがある。生後3か月から6か月のあたりで、体がやわらかすぎることに家族や医師が気づく。低緊張という状態だ。
首のすわりが遅い。寝返りをしない。抱いたときに、ぐにゃっとしている。運動発達の遅れとして小児科にかかることが多いのは、この時期だ。そのあと、生後6か月から2歳のあいだに、今度は逆の症状が出てくる。
ジストニアだ。筋肉が意図せず持続的に収縮して、体をねじったり、突っ張らせたりする。日本語の資料では不随意運動や筋硬直と書かれる。手足が勝手に動く。体幹が反り返る。
何かをしようとした瞬間に、その動作をしようとしたこと自体が引き金になって、全身がねじれる。動作性ジストニアと呼ばれるタイプで、この病気の運動障害の主役はこれだ、というのが2006年に発表された国際共同研究の結論だった。2歳から38歳までの44人を集めた研究で、それまで舞踏病アテトーゼだ、いや痙性麻痺だ、と報告によってバラバラだった記述に、ようやく決着をつけた仕事である。
結果として、ほとんどの患者は自力で歩けない。座位を保つのも難しいことが多い。車椅子が生活の中心になる。しゃべることはできるが、構音障害があって聞き取りにくい。ここで大事なのは、聞き取りにくいことと、考えていないことは、まったく別だという点だ。
この点はあとでもう一度書く。そして2歳前後、この病気を医学史上いちばん語られにくいものにしている症状が現れる。
本人が「止めてくれ」と頼んでくる、という事実の重さ
この病気の患者には、自分の体を傷つけてしまう行動が出る。典型的なのは口のまわりと指だ。医学的には自傷行動、あるいはこの病気に固有のものとしてレッシュ・ナイハン行動という呼び方をされる。古典型の患者のうち、およそ85パーセントに出るとされる。出ない人もおり、出る場合、始まるのはだいたい2歳から4歳。
ここでは具体的な様子は書かない。書かなくても、この症状の本質を伝えることはできるからだ。むしろ具体的に書くほうが、本質から遠ざかる。本質はここにある――本人が、やめたがっている。1994年にアンダーソンとエルンストが発表した研究がある。
40人の患者の親にアンケートをとって、自傷の性質を洗い出したものだ。そこで出てきた結論のひとつが、身も蓋もないくらい明快だった。患者は自傷を抑えることができない。しかし予測することはできる。そして、拘束具を自分から要求することができる。
読み返してほしい。抑えられないが、予測できる。予測できるということは、意識がある、ということだ。自分がこれから何をしてしまうかを、自分でわかっている。わかっているのに止まらない。
だから他人に止めてくれと頼む。臨床の記述にはもっと生々しいものがあり、拘束具を外すと、患者は怯えた表情になる。動きの障害があるはずなのに、その瞬間だけは素早く正確に手が口へ向かう。そして拘束具を戻すと、表情がゆるみ、機嫌がよくなる。この記述が意味しているのは、拘束が罰ではなく、本人にとって安心の装置になっている、という異様な事実だ。
2020年にイタリアのグループが発表した観察研究は、この点をさらに踏み込んで調べている。3人の子どもを、日常のさまざまな場面で、いつもの拘束具をつけたまま、介助者がそばにいる状態で追いかけた。60回のセッション、合計90時間以上。そのなかで292件の行動を記録して分類し、結論はこうだ。患者は痛みをふつうに感じており、感覚が鈍いから傷つけるのではない。
行動のあとに最も多く現れる感情は、後悔と、そしてショックで、満足は一度も記録されなかった。行動のあとには必ず不安が増えた。満足が一度もない、というのは、報酬として説明できないということだ。ふつう行動が続くのは、その行動に何らかの見返りがあるからだ。ところがここには見返りがない。
あるのは驚きと後悔と不安だけである。研究者たちは、この行動は本人にとって予期しない、侵入的なものだと書いている。侵入的、という言葉が正確だと思う。自分の中に、自分ではないものが入ってくる感じだ。
痛みは、ちゃんと感じている
誤解を先に潰しておきたい。この病気の自傷は、痛みを感じないから起きるのではない。痛覚も、他の感覚も、正常に保たれており、これは複数の資料が明記している。それから、これを「自分を傷つけたい気持ち」の話に翻訳しないでほしい。自殺の意図とも、感情の発散とも、注目を引く行動とも違う。
医学的な定義でも、自殺の意図を伴わないもの、として分けられている。もっと言えば、本人の性格や育て方や家庭環境とも関係がない。関係があるのは、X染色体の上にある一個の遺伝子の配列だけだ。もうひとつ、この病気では他人に対する攻撃的な言動が出ることもある。つばを吐く、つねる、ひどい言葉を投げる。
そしてそのあとで謝る。自分の意志ではなかった、と説明する。医学の記述はここを冷静に書いていて、加害的な行動もまた同じ神経学的な症状の一部として扱われる。この病気を診てきた医師たちは、患者を悪い子だと思っていない。ナイハンが、殴られたし蹴られたし眼鏡も投げられた、と言いながら、同じ口で彼らは魅力的だと言うのは、そういうことだ。
面白いことに、罰は効かない。というより逆効果になる。他の状況では自傷を抑えることがある嫌悪刺激を使うと、この病気ではむしろ自傷が増えるという報告がある。効果があると家族が答えるのは、ストレスを減らすこと、本人が快適かどうかに気を配ること、話しかけること、注意をそらして何か面白いものを見つけてやること。
無視したり、そっぽを向いたり、好きなものを取り上げたりという方向は、ほとんど使われていないし、使ってもうまくいかない。これは治療法の話であると同時に、この症状が何であるかの証明でもある。しつけの問題なら、しつけが効くはずだ。効かない。だからしつけの問題ではない。
脳の中を60年探し続けて、たどり着いた場所
では脳で何が起きているのか。まず、脳を解剖しても、見た目には壊れていない。目立った構造の異常が出てこない。同年齢の子と比べてやや小さいことはあるが、それだけだ。画像を撮っても、MRIが正常であることは珍しくない。
だから「異常なし」と言われてしまう。ところが、化学的に測るとまるで違う景色が出る。亡くなった患者の脳を生化学的に調べた研究で、大脳基底核のドーパミンが60パーセントから90パーセント減っていることがわかった。大脳基底核は、運動の開始と抑制、そして行動のブレーキに深く関わる場所だ。ジストニアが出る場所として、これ以上ないくらい筋が通っている。
1996年、二つのグループが生きている患者の脳を陽電子断層撮影で調べた。エルンストらは、ドーパミン神経の終末に取り込まれる標識物質の集まり方が、11人の患者で60から70パーセント減っていることを示したのだ。同じ年、ウォンらは別の7人で、ドーパミンを回収する輸送体への結合が同程度に減っていることを示した。
生きた人間の脳で、ドーパミン神経の線維が大幅に失われているという証拠が、二方向から出てきたわけだ。ここで妙なことがあり、中脳のドーパミン神経細胞そのものは、減っていない。細胞の数は保たれており、中脳でのドーパミン量も、そこまで下がっていない。減っているのは、中脳から大脳基底核へ伸びていく軸索と、その先の終末だけだ。つまり――細胞は生きているのに、配線が届いていない。
この差は決定的に重要だ。もし神経細胞が死んでいるなら、これは変性疾患ということになる。パーキンソン病のような、細胞が失われていく病気だ。だが細胞は生きている。ということは、これは変性ではなく、発生の問題である可能性が高い。
生まれる前後の段階で、ドーパミン神経が本来伸ばすべき先へ、うまく伸びていかなかった。あるいは伸びたあとで維持できず、この解釈を強く支持したのが、マウスだった。1987年、HPRTを欠損させたマウスが作られる。これは実は、人間の特定の病気のモデルとして狙って作られた遺伝子改変マウスの最初の例のひとつだ。ところがこのマウスは、見た目にはピンピンしており、自傷もしない。
歩ける。当初は失敗作扱いだった。ところが後になって詳しく調べると、脳の中では人間と同じことが起きていた。ジンナーらが1994年に発表した研究では、生後6週間のあいだに正常なマウスのようにドーパミンが増えていかず、成体で40パーセント低い。特に線条体で48から64パーセント低い。
ドーパミンを作る律速酵素の活性も落ちており、中脳のドーパミン神経細胞の数は正常。ノルアドレナリンもセロトニンも正常。つまりドーパミン系だけが狙い撃ちされている。そしてこのマウスは、HPRT欠損によるドーパミンの喪失が、変性ではなく代謝的なプロセスで起きていることを示した。細胞は死んでいない。
ただ、うまく働けていない。
「ドーパミンが減ると自傷が出る」を、別の動物が証明してしまった
それでも疑問は残る。ドーパミンが減ることと、自傷という奇妙に特異的な行動が、なぜつながるのか。ここで登場するのがラットの実験だ。ドーパミン神経を選択的に壊す薬物を、大人のラットに与えると、動きが減ってパーキンソン病に似た状態になる。ドーパミンの前駆物質を与えれば改善する。
ここまでは教科書どおりだ。ところが同じ操作を、生まれたばかりのラットに対して行うと、まったく違うことが起きる。ラットは活動過剰になる。そしてドーパミンの前駆物質や作動薬を与えると、症状が改善するどころか悪化して、自分を咬む行動と攻撃性が出てくる。人間のレッシュ・ナイハン症候群で見られるものと、驚くほどよく似た行動が出るのだ。
この実験が示したのは、単に「ドーパミンが減ると何が起きるか」ではない。いつ減ったか、が決定的だという話だ。大人になってから減れば運動が止まる。発達のごく初期に減れば、行動の制御そのものが違う形に組み上がる。脳は、足りない状態を前提にして回路を作り上げてしまう。
同じことは人間でも観察されている。大人で線条体のドーパミンが大きく失われるとパーキンソニズムになるが、子どもで同じことが起きるとジストニアになりやすい。ドーパミン合成に関わる別の酵素の先天性欠損症でも、症状はパーキンソニズムではなくジストニアとして出る。レッシュ・ナイハン症候群でジストニアが主役なのは、この文脈にきれいに乗る。とはいえ、だ。
ここまで来ても、いちばん大事な穴は埋まっていない。なぜプリンのリサイクルができないと、よりによってドーパミン神経だけが選択的にやられるのか。この問いに、2020年代の今もはっきりした答えは出ていない。仮説はいくつもある。細胞のエネルギー代謝の問題、神経突起の伸長の異常、プリン系のシグナル分子を介した発生調節の乱れ。
培養したHPRT欠損の神経細胞では、突起の数や形が異常になることが繰り返し観察されている。だが、一本の因果の線として全部をつなぐ説明は、まだ誰も書けていない。60年たっても、である。
アロプリノールは、勝った。ただし半分だけ
治療の話をする。まず、はっきり勝った部分から。アロプリノールという薬がある。キサンチンオキシダーゼという酵素を邪魔することで、尿酸が作られる最後の一歩を止める薬だ。痛風の治療で広く使われている。
この薬は、レッシュ・ナイハン症候群の患者の高尿酸血症を、きちんと下げる。腎結石を防ぎ、腎機能を守り、痛風発作を減らす。水分をたくさんとること、尿をアルカリ性に保つ薬を併用することも組み合わせる。その結果、何が変わったか。かつてこの病気の子どもたちの主な死因は腎不全で、今は違う。
腎不全で亡くなる人は大きく減り、代わりに呼吸器の合併症が主な死因になっている。誤嚥性肺炎だ。これは医学の勝利であると同時に、勝った分だけ次の問題が前に出てきたということでもある。生きられる年数も延びた。適切な医療を受けた場合、20代から30代、場合によっては40代近くまで生きる人がいる。
40歳を超える人は多くない。日本語の資料でも、20代から30代までの生存につながる、という書き方をしている。そして、ここからが半分の敗北だ。アロプリノールは、神経症状にまったく効かない。18人の患者を対象にした、比較的しっかりした研究で、経口のアロプリノールが神経症状に効果を示さないことが確認されている。
理由も推測されている。アロプリノールの標的であるキサンチンオキシダーゼは、脳の中にほとんど存在しない。脳脊髄液中の薬の量を測った研究も、この薬が脳の中で十分に働いているという像を支持しなかった。つまり、この薬は体の尿酸問題を解決するが、脳の中で起きていることには手が届かない。しかも副作用がある。
尿酸ができなくなる分、その手前の物質であるキサンチンが溜まる。キサンチンは水に溶けにくい。結果として、尿酸結石の代わりにキサンチン結石ができてしまう症例が報告されている。石の種類が変わっただけ、という結末になりうる。だから量の調整は慎重に行われる。
要するに、この病気の治療の現状はこうだ。体の代謝異常は管理できる。脳の症状には、まだ誰も届いていない。
30年ぶんの「効くかもしれない」を並べてみた結果
2024年に、神経症状に対する治療をまとめた系統的レビューが出た。世界中の文献から条件を満たす研究を集めた結果、残ったのはたった34本だった。60年の歴史のある病気で、34本。しかもその内訳が厳しい。18本が単一症例の報告。
前向きの臨床試験は6本。比較のある無作為化試験にいたっては1本しかない。34本のうち22本が、バイアスのリスクが高いと判定されている。ここで扱われた治療法を並べてみると、この30年、何が試されてきたかが見えてくる。脳深部刺激療法が8本。
S-アデノシルメチオニンという物質が6本だ。ボツリヌス毒素の注射が4本。レボドパとカルビドパの組み合わせが3本だ。バクロフェンが2本。あとはガバペンチン、リスペリドン、カルバマゼピン、選択的セロトニン再取り込み阻害薬、テトラベナジン、骨髄移植、臍帯血移植が、それぞれ1本ずつ。
レビューの結論は、遠慮なく厳しい。エビデンスにもとづく臨床推奨は現状存在しない。患者はしばしば、有効性が証明されていない複数の薬を同時に飲まされている。単一症例の報告と臨床試験がしばしば矛盾する結果を出す。そして治療の失敗は報告されにくい。
最後の一行が重い。うまくいった一例は論文になるが、うまくいかなかった十例は論文にならない。稀少疾患では、この出版バイアスが致命的に効いてくる。母数が小さいから、成功例が大きく見えてしまう。レボドパの話も示唆的だ。
ドーパミンが減っているのだから、ドーパミンを補えばいいのではないか。誰でも思いつく。実際に試されてきた。11人の患者の報告を並べると、やや改善が6人、やや悪化が3人、変化なしが2人だった。まちまちであり、しかも解釈が難しい理由がふたつある。
使った量や期間がきちんと記録されていないことが多いこと。そしてもうひとつ、この病気の不随意運動や自傷そのものが、ドーパミンに関係した動きである可能性が指摘されていること。つまりドーパミンを補うと、ジストニアは軽くなるが別の不随意運動が増える、ということが起こりうる。総合的な印象としては効かなかった、と記録される。実際には効いた部分と悪化した部分が混ざっているのに、だ。
だからこのレビューは、投与のタイミングをきちんと検証すべきだと書いている。発達のどの段階で入れるかで、まったく違う結果になるかもしれない。S-アデノシルメチオニンは、細胞の中でメチル基を渡す役をしている物質で、プリン代謝とも関係がある。自傷の減少を報告する研究が複数ある。ただしレビューの評価は、さらなる研究が必要、矛盾を解消する必要がある、というものだ。
決着はついていない。ボツリヌス毒素は、口のまわりの筋肉に注射して、咬む動きそのものを弱める発想だ。4本の研究すべてが有効と報告している。ただし低リスクと評価されたのは2本だけで、しかも咬む以外の形の自傷には効かない。そして条件を満たさず除外された研究のなかには、効かなかったと報告しているものもある。
ここでも出版バイアスが顔を出す。
脳に電極を入れる、という選択肢のリアル
いちばん研究されているもののひとつが、脳深部刺激療法だ。淡蒼球内節という場所に電極を植え込んで、電気で刺激する。ジストニアの治療としては確立された方法で、この病気にも試されてきた。2023年に出た系統的レビューは、8本の論文に載っている12人の患者を集めている。結果は、少なくとも自傷に関しては驚くほど一貫していた。
全例で、部分的または完全な自傷のコントロールが達成された。刺激を始めて数日で自傷が消えた例がある。刺激を切ると効果が消え、戻すとまた効くという例もある。拘束具が不要になった例もあり、ジストニアのほうは、ばらつきが大きい。標準的な評価尺度での改善率が、ある報告では55パーセント、別の報告では1.3パーセント。
同じ手術でこの差だ。そして問題は合併症だ。レビューははっきり書いている。合併症がかなり多く、この手術の安全性に疑問を投げかける、と。ある研究では86パーセントの患者が追加の処置を必要とし、感染が多い。
刺激装置の埋め込み部位が感染して、システムを全部抜かなければならなくなり、効果が消える。抜いて、抗菌薬で治して、3年後にまた入れる。転倒してリードが折れる。ケーブルの不具合で効果が突然消える。こうした記述が続く。
しかも、この病気の患者は、ほかの原因のジストニアの患者に比べて手術後の合併症の頻度が高い。なぜかは、まだわかっていない。もうひとつ大事な研究がある。患者と主たる介護者の視点から、手術の結果を聞き取った調査だ。論文になった前向きな症例報告と、長期に暮らしてきた家族の実感を突き合わせると、印象がかなり違ってくる。
この研究は、稀少疾患における出版バイアスの本質を突いている。手術直後の劇的な改善は論文になる。8年後、12年後の評価尺度上の改善がわずかだった、という事実は、あまり語られない。それでも、この選択肢を否定するのは違うと思う。自傷のコントロールという一点において、これほど一貫した結果を出している方法は他にないからだ。
必要なのは、もっと長い追跡と、合併症の理由の解明である。
遺伝子を直す話は、ずっと「もうすぐ」と言われ続けてきた
HPRT1は、遺伝子治療の話がいちばん早くから出た遺伝子のひとつだ。理由はわかりやすい。原因遺伝子が一個。X染色体上にあるから男性では一本しかなく、直すべき対象がはっきりしている。酵素の働きが少しでも戻れば効くはずだという理屈も立つ。
1980年代、ヒトの遺伝子治療という概念が語られはじめたころ、この病気は常に候補リストの上のほうにいた。それから40年、まだ実現していない。壁は明快だ。効かせたい場所が脳だからである。血液の細胞を直すだけの遺伝子治療は、他の病気ではすでに実用化されている。
ところがこの病気で困っているのは大脳基底核のドーパミン神経であって、血液ではない。血液脳関門という関所があり、薬も細胞も遺伝子の運び屋も、そう簡単には通れない。それでも、細胞移植の試みはあり、造血幹細胞移植だ。骨髄や臍帯血を移植して、正常な酵素を持つ細胞を体に入れる。
理屈のうえでは、移植された細胞の一部が脳に入り込んでミクログリア様の細胞になり、そこで酵素を供給してくれるかもしれない、という期待がある。これまでに、自傷が始まる前の段階で造血幹細胞移植を受けた子どもは、報告されているかぎり3例しかない。1991年の1例は骨髄移植で、移植後10日目に亡くなっている。2012年の1例は臍帯血移植で、生着はしたが移植直後は運動症状と易刺激性がむしろ悪化した。
ただしこの子は5歳の時点で自傷が出ていない。運動の遅れは残った。そして2025年、生後14か月で臍帯血移植を受けた男児の報告が出た。これまででいちばん若い。移植後32日目に完全なドナーキメラを達成し、血中のHPRT1タンパクの量が両親と同じくらいまで上がった。
ジストニアと痙縮が減り、表情が豊かになり、社会的なやりとりが増え、3歳の時点で自傷は出ていない。これを読んで期待するなというほうが無理だ。ただ、著者たち自身が慎重に書いている。標準化された神経発達の評価尺度は使っていない。対照群がない。
一例では一般化できない。そして何より、移植は骨髄破壊的な前処置を伴う、それ自体がリスクの大きい治療だ。倫理審査と多職種の合意が必要だと明記されている。それでもこの一例が示唆していることは大きい。早ければ、間に合うかもしれない。
神経の損傷が固定する前に酵素を入れれば、発達のポテンシャルを守れるかもしれない。これは、他の代謝疾患で確立している考え方でもある。そして必然的に、次の問いに行き着く。では、症状が出る前にどうやって見つけるのか。新生児スクリーニングの対象にするという話が、当然のように浮上してくる。
一方で、細胞をいじる技術のほうも進んでいる。患者由来のiPS細胞を作って、そこでHPRT1の変異を修正する研究がすでに行われている。ゲノム編集で塩基を直接書き換える手法だ。試験管の中で細胞の酵素活性が戻ることは示されている。だがそこから、生きている人間の脳の中の神経細胞をどうするかという問いまでは、まだ距離がある。
日本ではどう扱われているのか
日本での頻度は、男児出生10万人に1人程度とされている。世界的な推計は、出生38万人に1人、あるいは23万5000人に1人といった数字が並ぶ。国によってばらつきが大きいのは、見つかっていない患者がいるからだと考えられている。英国の推計は200万人に1人という、明らかに低すぎる数字だ。診断されずに終わっている人がいるということだろう。
日本でも実数がきちんと把握されているとは言いがたく、専門家の推計と症例報告の積み上げでおおよその像が語られている状態だ。制度としては、小児慢性特定疾病の対象になっている。区分は先天性代謝異常のなかのプリン・ピリミジン代謝異常症だ。疾患名は正式にはヒポキサンチン-グアニンホスホリボシルトランスフェラーゼ欠損症、括弧してレッシュ・ナイハン症候群、と書かれる。
小児慢性特定疾病の対象になるということは、18歳未満、条件を満たせば20歳未満まで、医療費の助成が受けられるということだ。公的な疾病概要の記述は、驚くほど正直だ。根治療法はない。高尿酸血症への対応は確立しているが、神経症状の進行は止められない。複数の薬剤が試みられているが、定まった治療はない。
完全欠損の場合は非常に重篤で寝たきりになる。適切な治療によって20代から30代までの生存につながる。この「定まった治療はない」という一文が、公的文書に堂々と書かれていることに、私はむしろ誠実さを感じる。書けないことを書かない。効くと言えないものを効くと言わない。
制度の話でもうひとつ触れておくべきは、成人期の空白だ。小児慢性特定疾病の助成には年齢の上限がある。医療の進歩によって20代、30代まで生きる人が増えたということは、制度の網から出たあとの期間が長くなったということでもある。成人した患者が、どの診療科で、誰に診てもらうのか。小児科医が診続けるのか。
神経内科なのか。腎臓内科なのか。稀少疾患に共通する移行期医療の問題が、この病気にも当然のようにある。
家族が毎日やっていること
治療の話ばかりしていると、この病気の実際が見えなくなる。日々の生活のほうを書く。まず、体を守るための装具がある。上肢の動きを制限する装具、口のなかに入れる保護具、車椅子や座位保持装置。歯科的な処置が必要になることも多く、ある資料では患者のおよそ6割に何らかの歯科的対応がとられていると書かれている。
これらは、痛みや損傷を防ぐための現実的な選択として使われる。誰も好き好んでやっていない。そのうえで、いちばん効果があると家族が答えているのは、装具そのものではない。ストレスを減らすこと。本人が何を必要としているかに気づくこと。
話しかけること。注意を別のものに向けること。快適さに気を配ること。専門的な用語で言えば環境調整と関係性の維持で、要するに、ちゃんと相手を人として扱うということだ。そして拘束の問題は、倫理的にとても複雑である。
ふつう、拘束は最後の手段であり、できるかぎり避けるべきものだ。それは正しい。ところがこの病気では、本人が拘束を求める。外すと怯える。つけると安心する。
「本人の意思を尊重する」という原則を素直に適用すると、拘束を続けるという結論になる。この逆説を、家族と医療者は毎日引き受けている。装具は活動を制限するし、心理社会的な面にも影響する。だから使わずに済むならそれがいい。だが重症例では、使用をためらって遅らせるべきではない、とも書かれている。
正解がない。あるのは、その人にとってのその日の最適解だけだ。介護の負担はきわめて大きい。日常生活のほぼ全面に介助が必要で、しかも目を離せない時間が長い。介護者が受けるストレスは、この病気を扱った論文がほぼ必ず言及するポイントだ。
医学の論文が介護者の消耗にわざわざ触れるというのは、それが臨床的な問題として無視できない大きさだということを意味している。
しゃべりにくいことと、わかっていないことは、まったく違う
この病気について、いちばん誤解されやすいところを書く。知的な障害はある。ただし、その程度は軽度から中等度であることが多い。低めの正常範囲に入る人もおり、ここを重度だと思い込むと、全部を見誤る。しかも、テストの点数はおそらく実力より低く出ている。
理由は明白で、運動障害があるからだ。手が使えない。しゃべると構音障害で聞き取りにくい。標準的な知能検査は、手を動かして答えることと、はっきり話すことを前提に作られている。この前提が成り立たない人に同じテストを当てれば、点数は下がる。
実際、運動の困難を考慮した検査で評価すると、言語以外の知能はかなり保たれているという報告がある。得意不得意にもパターンがある。弱いのは、注意の持続、複雑な視覚イメージの操作、長い文の理解、計算、複数の手順を踏む推論、そしてワーキングメモリ。特に、複数の要素を同時に頭に置いておく課題が苦手だ。逆に、新しいことを学び続ける力そのものは保たれていて、年月とともにできることは増えていく。
ただし同年代と比べた標準得点は下がっていく。伸びていないのではなく、周囲の伸びに追いつかないということだ。言葉づかいにも特徴がある。同じことを相反する形で繰り返す言い回しが多く、不安を伴うことが多い。汚い言葉が出ることもあり、これも症状の一部だ。
そして、機能の高い子どもは、自分の治療について自分の考えを述べることができる。ここが決定的に重要だと思う。自分の治療について意見を言える人間を、意思のない存在として扱ってはいけない。年齢が上がると、患者自身が自傷を防ぐ方法を工夫するようになる、という記述もある。周囲に協力を求める。
装具を外していいタイミングを自分から知らせる。自分の症状の管理者として振る舞いはじめる。
同じ遺伝子なのに、症状が全然違う人たちがいる
この病気は、一枚岩ではない。HPRT1にはこれまで600を超える変異が報告されていて、酵素の残った活性の量に応じて、症状はなだらかな帯のように広がる。酵素がほぼ完全に失われると、古典的なレッシュ・ナイハン症候群になる。高尿酸血症、重度の運動障害、認知の障害、そして自傷。酵素が部分的に残っていると、話が変わる。
高尿酸血症は必ずある。だが自傷は出ない。運動症状は、わずかな不器用さから、車椅子が必要なほどの重いジストニアまで幅がある。認知機能への影響も、まったくない人から中等度まで幅がある。ただし重度になることはない。
この部分欠損型は、ケリー・シーグミラー症候群とも呼ばれる。いちばん軽い側では、若い年齢で発症する重い痛風、あるいは繰り返す腎結石としてだけ現れる。46人の変異型患者を集めた国際的な研究では、91パーセントに何らかの運動の異常があり、67パーセントに認知機能への影響があった。だが重度の認知障害はゼロ。自傷もゼロ。
神経学的な異常がまったくない人は3人だけだった。つまり、痛風だと思われている人のなかに、実は軽い神経症状を持っている人がかなりいる可能性がある。自傷という症状が、酵素活性のあるしきい値を境にオンオフで出てくる、というのは示唆的だ。ここには、まだ誰も特定できていない生物学的なスイッチがある。女性の患者もおり、ごく稀だが、報告されている。
X染色体を2本持っている女性は通常は保因者にとどまるが、正常なほうのX染色体が偏って不活性化され、変異のあるほうが働く細胞ばかりになると、発症しうる。実際、そうした症例が複数報告されている。逆に保因者の女性を調べると、75パーセントで偏ったX不活性化が見られるという研究もある。古典型の保因者では83パーセントに達する。
ただしこの検査は保因者診断の道具としては精度が足りない、と研究者たち自身が書いている。それから、この病気のおよそ3分の1は、家族歴のない新規の突然変異で起きる。つまり、家系に誰もいなくても起こる。これは、家族が自分を責める理由がひとつもないということでもある。
意志と行動が切り離される、ということ
ここから先は、医学の外に少し出る。私たちはふだん、自分の行動は自分の意志の結果だと思って生きている。手を伸ばそうと思うから手が伸びる。やめようと思えばやめられる。この対応関係が、あまりに当たり前すぎて、疑ったことすらない。
レッシュ・ナイハン症候群は、その対応関係が壊れうるということを、いちばん残酷な形で見せてくる。本人の中に、やめたいという意志がはっきりあり、予測もできる。他人に助けを求める言葉も出てくる。それでも体が動く。ナイハンの言葉を借りれば、彼らは自分より大きい何かに駆り立てられている。
これは、意志が弱いという話ではない。意志と行動をつなぐ配線のほうが、生まれる前から違う形で組み上がっているという話だ。大脳基底核は、やろうとする動きを選び、やらない動きを抑える回路だ。そこのドーパミンが発達の初期から足りなければ、何を実行して何を抑えるかを決める仕組みそのものが、別の設計で完成してしまう。意志は上流にあり、配線は下流にある。
上流が正常でも、下流が違えば、出力は変わる。そう考えると、この病気が突きつけているのは、けっこう普遍的な問いだ。人が何かをするとき、そこに「その人の意志」という一枚岩があると思っているけれど、実際には意志と実行のあいだには何段もの機構が挟まっている。健康な人ではその機構が滑らかに働くので、途中があることに気づかない。この病気は、途中があることを可視化してしまう。
同時に、この見方には慎重さも要る。意志と行動が切り離されるという言い方を広げすぎると、あらゆる行動の責任を神経に押しつける話になりかねない。そういう話をしたいわけではない。ここで言っているのは、ひとつの遺伝子の欠損によって、特定の発達段階に、特定の神経回路に、特定の変化が起きたときの話だ。こういうことが起こりうる、という具体的な事実にすぎない。
一般論ではない。だからこそ重い。
この病気が語られにくい、本当の理由
冒頭で、この病気は医学史上いちばん語られにくいもののひとつだと書いた。理由を書く。ひとつは、症状の見た目が強すぎるからだ。強すぎる症状は、それだけで話題を独占する。この病気について語ろうとすると、真っ先に自傷の話になり、そこで話が止まってしまう。
プリン代謝の話も、ドーパミンの話も、家族の生活の話も、その後ろに隠れてしまう。ふたつめは、その症状が見世物になりやすいからだ。センセーショナルな見出しをつけたくなる誘惑が常にある。そして見世物として消費された瞬間、患者は「珍しい症状を持った存在」になり、人間ではなくなる。実際にこの病気を、奇病として面白おかしく紹介する文章はいくらでもある。
読んでいて気分が悪くなる。みっつめ、そして最も厄介なのは、この症状の説明が難しいことだ。本人がやめたがっているのに、本人の体がやる。この構造を短く正確に説明する言葉が、日本語にも英語にも、たぶんない。だから説明を諦めて、症状の描写に走る。
走った結果、また見世物になる。悪循環だ。だから私は、この記事で具体的な描写を避けた。避けても伝わるはずだと思ったからだ。伝わったかどうかは、読んだ人が決めることだけれど。
それでも、ここまでは来た
暗い話ばかりに聞こえたかもしれないので、最後に整理しておく。1964年、原因不明で、1967年、酵素がわかり、1980年代、遺伝子がわかり、1987年、モデルマウスができた。1990年代、脳のドーパミンが減っていることが、亡くなった患者の脳でも、生きている患者の脳でも確認されたのだ。2000年代、運動障害の正体がジストニアであることに国際的な決着がついた。
2010年代、脳深部刺激療法で自傷がコントロールできる例が積み上がってきたのだ。2020年代、iPS細胞とゲノム編集で細胞レベルの修正ができるようになり、症状が出る前の造血幹細胞移植が試みられ、少なくとも一例で自傷が出ないまま3歳を迎えた。そして、かつては腎不全で幼くして亡くなっていた子どもたちが、20代、30代を生きるようになった。これは前進だ。速くはない。
60年かかって、まだ根治には届いていない。だが確実に、一歩ずつ、前には進んでいる。ナイハンが救急室で少年の手を掴んだあの日から、この病気を追い続けてきた人たちがいたということだ。最後に、この記事でいちばん伝えたかったことをもう一度書いておく。この病気で現れる自傷は、本人の意思によるものではない。
本人はやめたがっていて、止めてほしいと訴えることさえある。神経の回路の異常によって起きている症状であり、性格でも、しつけでも、家庭環境でもない。ここだけは、誤解されてはいけない。ここまで書いてきたことを、もう一段掘り下げておきたい。記事の本体では流れを優先して省いた論点が、いくつも残っているからだ。
まず、この病気が医学に対して持っている意味を、あらためて整理したい。レッシュ・ナイハン症候群は、遺伝子と行動をつなぐ因果の鎖が、いちばんはっきり見えている数少ない例だ。ひとつの遺伝子。ひとつの酵素だ。ひとつの代謝経路。
そこまでは完璧に解明されている。ところが、そこから先が繋がらない。代謝の異常から、なぜ特定の神経回路の特定の発達異常が生じ、なぜそこから特定の行動が出るのか。この最後の区間だけが、60年間、空白のままだ。この空白は、実は医学全体の空白でもある。
私たちは遺伝子の配列を読めるようになり、タンパク質の構造を予測できるようになり、細胞を編集できるようになった。にもかかわらず、生化学の異常が行動として現れる過程については、ほとんど何も予測できない。レッシュ・ナイハン症候群は、その無力さを最も鮮明に示す標本になっている。原因が完全にわかっていることが、治せることを意味しない。
この当たり前だが忘れられがちな事実を、この病気は60年間ずっと突きつけている。次に、稀少疾患の研究がどれだけ不利な条件で行われているかを、もう少し具体的に書いておく。2024年の系統的レビューが集められた研究は、わずか34本だった。そのうち無作為化された比較試験は1本しかない。この事実は、医学研究の構造的な問題をそのまま反映している。
患者数が少なければ、統計的に意味のある差を出すのに必要な人数が集まらない。集まらなければ、比較試験ができない。できなければ、症例報告が積み上がるだけになる。症例報告は、うまくいったときにしか書かれない傾向がある。結果として、文献全体が実際より楽観的な方向に歪む。
この歪みが、患者と家族に直接の害を与えることがある。ある治療について肯定的な報告ばかりを読んだ家族が、期待を持って治療に踏み切る。実際には、報告されなかった失敗例が背後に何倍もあったかもしれない。脳深部刺激療法に関する患者と介護者への聞き取り調査が、論文の描く像と実生活での実感のあいだの落差を明らかにしたのは、この意味で決定的に重要な仕事だった。
稀少疾患の分野では、失敗を報告することが、成功を報告することと同じくらい価値を持つ。むしろそれ以上かもしれない。三つめの論点は、早期診断と新生児スクリーニングをめぐる、答えの出ない問いだ。2025年に報告された生後14か月での臍帯血移植の症例は、症状が固定する前に介入すれば結果が変わるかもしれないという可能性を示した。この可能性を最大限に活かそうとすれば、症状が出る前に診断する必要がある。
つまり新生児スクリーニングだ。だが、ここには重い問いがついてくる。スクリーニングで見つけたとして、次に何をするのか。現時点で確立した根治療法はない。造血幹細胞移植は、骨髄破壊的な前処置を伴い、生命に関わるリスクを持つ治療だ。
実際、報告されている3例のうち1例は移植の直後に亡くなっている。効くかどうかわからない、そして命に関わるリスクのある治療を、まだ症状の出ていない赤ん坊に対して行うかどうか。この判断を家族に委ねることの重さは、想像するしかない。しかも、スクリーニングで見つかった子が、古典型なのか、軽い変異型なのかを、生後すぐに正確に判別できるとは限らない。
600以上ある変異のうち、多くはこれまでに数例しか報告がない。ある変異が、どの程度の酵素活性を残し、どの程度の症状をもたらすのかを、事前に予測しきることは難しい。過剰な介入になるリスクと、間に合わないリスクが、同時に存在する。四つめに、この病気における「自傷」という言葉そのものについて考えたい。医学の用語としては自傷行動、あるいは自己傷害的な行動という表現が使われる。
だが、この言葉には「自分でやっている」というニュアンスが張りついている。実際には、本人はやめようとしていて、予測もしていて、助けも求めている。行動の主体は本人だが、意図の主体は本人ではない。この乖離を、日本語の「自傷」という二文字は表現できていない。だからこそ、この病気に固有の行動を、単なる自傷行動と区別して呼ぼうとする動きがある。
イタリアのグループが提案したように、この病気の行動を、自傷という狭い枠から解放して、より広い神経行動学的な症候群として記述しようという方向だ。292件の行動を分類した彼らの研究が示したのは、この症候群が自傷だけにとどまらないということだった。生活のさまざまな側面に、本人の意図しない形で干渉してくる。周囲の人への言動もその一部になりうる。
そしてそのすべてに共通しているのは、行動のあとに満足がなく、後悔と驚きと不安が残るという点だ。言葉の問題は、そのまま偏見の問題につながる。自傷という言葉から連想されるものと、この病気で起きていることのあいだには、大きな隔たりがある。にもかかわらず同じ言葉が使われるせいで、この病気の患者が、まったく別の文脈で語られる自傷の話に巻き込まれてしまう。名づけは、それだけで人の見え方を変えてしまう。
五つめ、患者の知的機能をめぐる誤解について、もう一度強調しておきたい。この病気の患者の知的障害は、多くの場合、軽度から中等度だ。そして検査上の数値は、運動障害と構音障害のせいで、実際の能力より低く出ている可能性が高い。この事実は、医学的な正確さの問題であると同時に、人としての扱いの問題でもある。考えてみてほしい。
動けない。しゃべっても聞き取ってもらえない。そして自分の意図しない行動が出る。この三つが揃うと、周囲は「わかっていない人」として扱いはじめる。ところが本人は、わかっている。
自分の状態を理解していて、次に何が起きるかを予測していて、治療について意見を持っている。この落差のなかで生きるということが、どういうことなのか。私にはうまく想像できない。想像できないということだけは、書いておきたい。年齢が上がるにつれて、患者自身が自分の症状の管理者として振る舞いはじめるという記述が、私はいちばん心に残った。
周囲に協力を求める。装具を外していいタイミングを自分から伝える。これは、症状に飲み込まれずに、症状と付き合う技術を自分で獲得しているということだ。医学がまだ治せない領域で、本人が自力で編み出した戦略が働いている。ここには、医学の記述が拾いきれていないものが確実にある。
六つめの論点は、制度と支援の実際についてだ。日本ではこの病気は小児慢性特定疾病の対象で、先天性代謝異常のなかのプリン・ピリミジン代謝異常症として位置づけられている。医療費の助成は受けられる。ただし、支援に必要なのは医療費だけではない。必要なものを並べてみると、その広さがわかる。
日常的な介助。装具と車椅子の調整だ。リハビリテーション。歯科的な管理だ。てんかんや誤嚥への対応。
学校での受け入れ体制だ。介護者のレスパイト。成人期に移行したあとの診療体制だ。遺伝カウンセリング。そして、家族が孤立しないための場。
稀少疾患では、これらが一箇所で完結しないことがほとんどだ。家族は自分で情報を探し、自分で制度をつなぎ、自分で医療者を探す。この作業そのものが巨大な負担になっている。医学の論文が介護者のストレスに繰り返し言及するのは、それが感傷ではなく、臨床の帰結に直結するからだ。介護者が消耗すれば、環境調整の質が落ちる。
環境調整の質が落ちれば、ストレスが増え、症状が増える。症状が増えれば、介護者がさらに消耗する。この循環を断つ手段が、実は薬よりも効くかもしれない。少なくとも、家族が最も効果的だと答えているのは、薬ではなく、ストレスの軽減と本人への配慮だった。七つめ。
この病気の研究史そのものが、ひとつの教訓を含んでいる。HPRT欠損マウスは、当初「失敗作」と見なされた。人間のような症状を示さなかったからだ。ところが、詳しく調べたら脳の中では人間と同じことが起きていた。このマウスは、HPRTの欠損がドーパミン系の機能不全を引き起こすという因果関係を確定させる、決定的な道具になった。
つまり、モデルは完璧である必要がない。部分的にしか再現しなくても、その部分については確かなことを教えてくれる。稀少疾患の研究では、この「部分的なモデル」の価値が過小評価されがちだ。全部を再現しないと使えないと考えてしまう。だが実際には、問いを絞れば、不完全なモデルからでも確かな答えが取り出せる。
新生児期にドーパミン神経を壊したラットが、自傷に似た行動を示したという実験も同じだ。あのラットはHPRTを持っており、この病気のモデルではない。それでも、発達初期のドーパミン喪失と行動異常の因果を示すという一点において、決定的な証拠を提供した。最後に、この記事を書いていて何度も戻ってきた一点を書いて終わりにする。
1964年、ナイハンが救急室で少年の包帯をほどいたとき、少年の手はまっすぐ口へ向かい、ナイハンはそれを掴んで止めた。あの瞬間、ナイハンがやっていたことは、その後60年にわたって世界中の家族と医療者がやり続けていることと、まったく同じだったのだ。原因が特定され、酵素がわかり、遺伝子が読まれ、脳の中のドーパミンが測られた。
電極が植え込まれ、細胞が編集されるようになった今でも、日々の現場でやっていることの本質は変わっていない。手を掴んで、止める――ただそれだけのことを。それは無力さの証明ではない。むしろ逆だと思う。治せないものに対して、人間ができることが確かにあるということの証明だ。
医学が届かない場所で、家族が届いている。その事実だけは、60年間ずっと変わっていない。そして、繰り返しになるが、これだけは書き落とせない。この病気で本人の体に起きてしまう行動は、本人の意思によるものではない。やめたいと思っている人が、やめられずにいる。
それを止めているのは、本人ではなく、周りの人間だ。ここを間違えたまま語られる話は、どれだけ丁寧に書かれていても、この病気の話にはならない。
