健康診断の聴診器を胸の左側に当てても、心音がまったく聞こえない。医師が首をかしげ、右胸に聴診器を当て直した瞬間、そこに規則正しい鼓動が響く――。これは怪談じゃない。
世界に一定数いる「内臓逆位症」、通称「鏡像人間」と呼ばれる人たちの身に、実際に起きること。心臓だけでなく、肝臓、脾臓、胃、腸に至るまで、体内の臓器配置がまるごと鏡に映したように左右反転して生まれてくる。本人は病人じゃない。たいていは健康そのもの。ただ、体の設計図だけが世界の大多数と正反対に組まれている。
- 教科書と反対側に、全部が入っている
- 五分五分の確率で、配置が決まる
- 聴診器が空振りするまで、誰も知らない
- 掲示板とコピペが作った「鏡像人間」
- 統計の上に、ちゃんと載っている
- ホルマリンの匂いのなかで、班が黙った
- 宝暦四年、京都の刑場に立った医者
- 小塚原の夕暮れ、ターヘル・アナトミアを抱えて
- 徴兵検査の列で、軍医が首をかしげた
- 健診車のレントゲンを、技師が二度見た
- 左の下腹を押さえて運ばれてきた
- 執刀医が、途中で立ち位置を変えた
- 赤と黄のクリップを入れ替える三秒
- 内視鏡の先が、覚えているのと逆へ曲がる
- 胚のくぼみで、繊毛が回っている
- 聖帝の名前をもらったハエ
- 痰の切れない子ども
- 水に湯を注ぐ
- 左大臣のほうが偉かった国で
- 鏡写しの双子
- 「どっちですか」と毎回聞かれる
- 妊婦健診の画面で、左右を確かめる数秒
教科書と反対側に、全部が入っている
通常、私たちの体の中では、心臓は左寄りに、肝臓は右側に大きく張り出し、脾臓は左に、盲腸は右下腹部にというように、臓器の配置は左右非対称に決まっている。この標準的な配置を医学用語で「内臓正位(situs solitus)」と呼ぶ。
これに対し、心臓を含むすべての主要臓器の位置が完全に左右反転している状態を「内臓逆位(situs inversus)」と呼ぶ。そのなかでも心臓の位置まで含めて完全に反転している場合は、特に「完全内臓逆位(situs inversus totalis)」と呼ばれる。
さらに厄介なのが、臓器の一部だけが不規則に配置される「内臓錯位(heterotaxy、内臓錯位症候群)」と呼ばれる中間的な状態だ。こちらは臓器同士の位置関係が矛盾を起こし、複雑な心奇形を伴うことが多い。生存自体が困難になるケースも少なくない。
完全内臓逆位そのものは、ほかに合併症がなければ日常生活にほとんど支障が出ない。体の中身がまるごと鏡写しになっているだけ。配管の左右が入れ替わった家と同じで、機能はきちんと働くわけだ。
とはいえ、いざ虫垂炎になったときに右下腹部ではなく左下腹部が痛み出すというように、医療現場では思わぬ混乱を引き起こす原因にもなる。内臓逆位を知らずに腹痛を訴えた患者が、痛みの位置が教科書と逆なせいで診断が遅れ、危ない状態まで行きかけた。そういう例が世界各地の医学論文に載っている。
五分五分の確率で、配置が決まる
この左右反転はなぜ起こるのか。謎が解けはじめたのは、そんなに古い話じゃない。ヒトの胚は発生初期の段階では左右対称な構造をしているが、やがて「原始結節」と呼ばれる部分に生えた無数の微小な繊毛が高速で回転し始める。
この繊毛の回転が、胚を包む体液に一定方向の水流を生み出し、その水流が特定の遺伝子の発現パターンを左右非対称にスイッチする。そこでようやく、心臓は左、肝臓は右という配置が決まる。
ところが、この繊毛の運動に関わる遺伝子――代表的なものにDNAH5などがある――に変異があると、繊毛がうまく回転できず、水流の向きが定まらない。その結果、臓器の配置は文字通り「五分五分の確率」でランダムに決定されてしまい、およそ半数の確率で完全に反転した内臓逆位が生じる。
病として最初にはっきり記録されたのは18世紀。1788年、医師マシュー・ベイリーが内臓逆位を伴う症例を報告した。それが最初期の一本になる。
その後1933年、スイスの医師マンネス・カルタゲナーが、ある患者群を報告している。内臓逆位、気管支拡張症、慢性副鼻腔炎という三つの症状が同時に現れる人たちだ。これは後に「カルタゲナー症候群」と名付けられた。
繊毛の運動障害というひとつの原因で、体の左右決定と呼吸器の粘液排出という無関係に見える二つが同時に狂う。この症候群は、それを医学界へ突きつけた。原発性線毛運動不全症と呼ばれるこの病気を持つ人の約半数が、内臓逆位を合併する。あとの研究でそう分かった。
聴診器が空振りするまで、誰も知らない
この体の怖いところは、本人が気づかないまま何十年も暮らしている場合が少なくない点。日本の実業家として知られるある人物は、若い頃の軍隊の身体検査で、聴診器を当てた軍医が困惑した顔をするのを見た。そこで初めて、自分の心臓が右にあると知ったらしい。
それまで本人は、自分の体が普通と違うなどと夢にも思っていなかった。ある精神科医は、就学前の小児科受診でたまたま見つかったという。多くの当事者たちに共通するのは、「たまたま」レントゲンや聴診、あるいは緊急手術の際に発覚するケースが大半だという点だ。
医療現場からは、こんな体験談も語られている。ある患者が突然の激しい腹痛を訴えて救急外来に運び込まれた。教科書通りなら虫垂炎を疑うべき右下腹部ではなく、左下腹部を押さえてうずくまる。その患者を前に、当直医は当初、別の疾患を疑い診断に時間を要した。
CT検査の画像が読影されて初めて、患者の内臓がすべて反転していることが判明した。虫垂は左側に、まさに反転した位置に存在していたという。常識が通用しない体を持つ人にとって、自分の体質を医師へ先に伝えておくかどうかは、いざというとき命に直結する。
双子の一方だけに内臓逆位が生じる例も報告されている。いわゆる「鏡像双生児」だ。一卵性双生児が発生の過程で体を分割する際に、片方の胚だけ左右の情報が反転してしまうのではないかと考えられている。顔立ちや利き手まで鏡写しに逆になる例も報告があり、双子研究では昔から人気のあるテーマ。
掲示板とコピペが作った「鏡像人間」
この実在の医学的現象は、フィクションや都市伝説の題材としても好んで使われてきた。海外ドラマの医療サスペンスでは、内臓逆位が診断の決め手となるどんでん返しの伏線として繰り返し登場する。漫画やアニメの世界でも「心臓が右にある特殊な人間」というモチーフは、しばしば超常的な力や特別な血統の象徴として描かれた。
オカルト系の掲示板やまとめサイトでは、こうしたフィクションの影響もあってか、俗説が語られることもある。鏡像人間は前世からの生まれ変わりの証。パラレルワールドから来た存在。
古来から世界各地に伝わる「ドッペルゲンガー」や「鏡の中のもう一人の自分」と結び付けて語られることも多い。実際の医学的知識を持たない書き手によって過剰にオカルト的な脚色が加えられたコピペやまとめ記事が、SNSで拡散される例も後を絶たない。
当事者からすれば、こうした扱いに複雑な思いを抱く人も多いという。その一方で、自分の体は特別だと前向きに捉えるコミュニティもあり、SNSで体験談を交換し合っている。
統計の上に、ちゃんと載っている
内臓逆位症は都市伝説の産物じゃない。現代医学がきちんと定義していて、統計データもある先天的な状態。発生頻度はおよそ出生1万人から2万5千人に1人。極端に稀な奇病というほどでもない。
単独の完全内臓逆位なら健康寿命への影響はほとんどない。内臓錯位を伴う複雑型は重い心奇形を合併しやすく、出生後の生存率がはっきり下がる。そこも医学的に確認済み。
近ごろは出生前の超音波検査で見つかる例も増えた。見つかったら、将来の手術や検査に備えて、体の左右が反転している前提で医療体制を組んでおく。臓器移植や心臓手術のように、体内の構造を正確につかんでおく必要がある場面で、この体の地図の違いは軽視できない。正直、かなり実務的な話になる。
解剖実習室の匂いは、たぶん一生忘れない。ホルマリンと、金属と、わずかに甘い脂。十一月の午後だった。
三年生の班が胸骨を外し、心嚢に鋏を入れたところで手が止まった。開いた教科書と目の前の遺体のあいだで、班長役の学生の視線が三往復ほど行き来する。
「先生、これ、逆です」
呼ばれた助教も最初は取り合わなかった。肋骨の数を数え違えたか、遺体の頭と足の向きを取り違えたか、そのどちらかだろうと思って覗き込み、そのまま黙り込んだ。
心尖が、右を向いている。
肝臓は左に大きく張り出し、脾臓は右の奥に沈んでいて、胃も腸間膜も揃って鏡写しになっていた。
ホルマリンの匂いのなかで、班が黙った
献体してくれた方の生前の記録には、その話が一行も出てこなかった。九十を超えて亡くなるまで、本人も家族も気づかないまま暮らしていたらしい。
似た出来事は海外にもある。オレゴンの医学部で九十九歳の女性の遺体を開いた学生が、「下大静脈はどこですか」と教授に尋ねた話が二〇一九年に報じられた。
教授は最初、学生の勉強不足を疑った。ところが自分で覗き込んだ途端に声が変わり、近くにいた教員を次々と呼び集めはじめる。
大静脈が脊柱の左を走り、横隔膜のわきを抜けて心臓へ繋がっていた。担当していた准教授は、この配置にもう一度出会う確率を五千万分の一と表現している。
日本の解剖学教室でも、この種の遭遇はたまに起きる。白菊会や篤志解剖全国連合会を通じて登録した人の体が、実習台の上で初めて素性を明かす。
生きているあいだ、誰にも言わずにいた体。
解剖学の教科書は左右の位置とセットで臓器の名前を覚えさせるので、逆位の体は学生からその前提ごと取り上げてしまう。全部が覚え直し。
医学生の感想文集を読むと、その日の動揺がそのまま文章に残っていることがある。自分が半年かけて暗記した図が全部裏返しになる感覚を、うまく言葉にできないまま書いている。
指導教員はたいてい、ここで実習をいったん止める。ほかの班を全部呼び寄せて、順番に覗かせる。六年間の課程で一度あるかないかの教材だから、見逃す手はない。
学生のひとりが、帰り道でずっと自分の左胸を触っていたという話も聞いた。
献体は生前に本人が申し込み、亡くなったあとで遺族が承諾して初めて成立する仕組みになっている。登録してから実際に解剖台へ上がるまで、二十年三十年と間が空くことも珍しくない。
登録用紙には既往歴や手術歴を書く欄があり、そこに書かれた情報が解剖学教室の手元に残る。ただし本人が知らない体の特徴は、当然どこにも書きようがない。
遺骨が遺族のもとへ返るのは、実習が終わって一年から二年ほど経ったころ。返骨式の席で教員が「貴重な体でした」とだけ伝える場合、その裏に何があったのかを遺族が知ることはあまりない。
宝暦四年、京都の刑場に立った医者
日本人が人体の内側をきちんと見たのは、世界の水準からすると意外なほど遅い。宝暦四年、西暦でいえば一七五四年の閏二月、京都所司代の許しを得て山脇東洋が刑死者の腑分けに立ち会った。
東洋は古方派の医者で、中国伝来の五臓六腑説をずっと疑っていた。漢方の書物には肝が左にあると書いてある。ところが実物を開けば、肝臓は右に大きく張り出していて、書物の記述とまるで噛み合わない。
弟子の浅沼佐盈が、その場で図を描いた。成果は五年後に『蔵志』として世に出た。
ただ、この本を持ち上げすぎるのは違う。載っている解剖図はごくわずかで、観察そのものも粗い。大腸と小腸の区別をつけようとして、とうとうつけられなかった記録が残っている。
膵臓にいたっては、図に描かれてすらいなかった。当時の医者にとって、腹の中はまだ開かずの箱に近い。
それでも一発は当てた。書物の権威だけで決まっていた体の中身が、見て議論する対象へ変わった。
この転換がなければ、左右の逆転という概念そのものが生まれない。何が正しい配置かを決めないかぎり、逆さまの体も定義しようがないから。
刊行の直後には『非蔵志』のような反論の書も出ている。人の腹を割くとは何事か、という道徳的な非難も遠慮なく混ざった。
東洋はその批判を浴びながら、弟子たちに次の腑分けを続けさせた。彼が見たのは一体だけ。その一体がたまたま逆位だったら、日本の解剖学の出発点はまるごと裏返っていたことになる。
『蔵志』の現物は今も残っていて、日本歯科大学の医の博物館や京都大学の貴重資料のなかで見ることができる。図を開くと、線の少なさと余白の多さにまず驚く。
東洋の墓は京都にあり、観臓の跡を示す碑も建てられた。生まれ故郷の亀岡では、解体新書に先んじた男として今も紹介され続けている。
『蔵志』が出たあと、各地の藩医が競うように腑分けの願いを出し、幕末までに百を超える解剖の記録が積み上がっていった。数だけは増えた。
小塚原の夕暮れ、ターヘル・アナトミアを抱えて
明和八年、一七七一年の春。江戸の小塚原刑場に、杉田玄白と前野良沢と中川淳庵が集まった。良沢が長崎で手に入れたオランダ語の解剖書を抱えている。
腑分けの手を動かしたのは医者ではなかった。刑場で死体を扱う仕事をしていた老人が、慣れた手つきで腹を開いていった。玄白たちは横で図と実物を突き合わせるだけ。
この分業が、日本の解剖史のいちばん妙なところ。体の内側を誰より見慣れていたのは、医学書を一冊も読んでいない人たちだった。
老人は臓器を指しながら、これまで何度も同じものを見てきたという趣旨のことを話した。いつ開いても同じ場所に同じ物がある、とも言っている。
この一言が、あとから読むと妙に重い。数十体を開いて「いつも同じ」だったなら、その老人は逆位の体に一度も当たらなかったことになる。
頻度から逆算すれば、それはそれで自然な話。ただ、当たっていたらどうなっていたか。
書物を持たない者が見た一例の奇形は、誰にも記録されずに消える。日本の解剖史に内臓逆位が現れないのは、逆位の人がいなかったからではなく、記録する側と見る側が分かれていたからだろう。
処刑された人の体を使う以上、腑分けの許可は身分と刑罰の制度に丸ごとぶら下がっていた。医学の外側にある話。
翌年、河口信任が『解屍編』を出した。こちらは東洋より踏み込んで、自分の手に刀を握っている。日本人として初めて脳を開いた記録も残っていて、茨城の古河ではその業績をたどる企画展が開かれた。
信任の観察はかなり細かい。五臓六腑説の誤りをいくつも指摘しながら、膀胱については旧来の説をそのまま残した。新しい目と古い頭が、一冊のなかに同居している。
そして安永三年、一七七四年に『解体新書』が出た。日本語で読める体の地図が、ようやく揃う。
その地図はもちろん、心臓が左にある体のもの。逆さまの体が日本の医学の文字に現れるには、レントゲンが入ってくるまで待たなければならなかった。
玄白がこの日のことを書き残したのは、四十年以上あとの『蘭学事始』のなか。記憶で書いているぶん脚色もあるはずで、老人が何を言ったかの細部までは確かめようがない。
それでも、書物と実物が食い違った瞬間の衝撃だけは、文章から生々しく伝わってくる。日本の医学が体の左右を語れるようになったのは、この衝撃の延長線上でのこと。
徴兵検査の列で、軍医が首をかしげた
明治から昭和にかけて、日本の成人男性はほぼ全員が徴兵検査を受けた。裸で並ばされ、身長と体重を測られ、胸を叩かれて聴診器を当てられる。
この検査が、日本で内臓逆位が見つかる最初の網になった。医療機関にかかる習慣のない人でも、二十歳になれば必ず胸を診られたから。
軍医が胸の左に聴診器を当て、何も聞こえずに眉をひそめる。位置を変え、また変え、右の乳頭の下でようやく鼓動を捉える。列に並んだ次の青年が、その様子をぼんやり眺めている。
戦後に大企業を築いた実業家のひとりが、軍隊の身体検査で初めて自分の心臓の位置を知ったという話が残っている。それまで二十年、体の中身が人と違うとは考えたこともなかった。
学校の身体検査や結核の集団検診が広まると、見つかる経路はレントゲンへ移っていく。大正期以降、胸部写真は日本の公衆衛生の中心にあった。
結核を探すために全国で撮られた何百万枚の胸部写真のなかに、心陰影が右に寄った一枚が一定の割合で混ざっていたことになる。
読影する医師の手が止まる。その瞬間が、全国の保健所で繰り返し起きていた。
徴兵検査では体格や視力や疾病の有無で甲種から丁種まで等級がつけられ、その結果が本人の人生を左右した。心臓が右にあると分かった青年が、その場でどう記録されたのかを示す資料はほとんど残っていない。
軍医のなかには、珍しい所見として学会誌に書き送った者もいたはず。ただ、戦中戦後の混乱で多くの検査記録は失われ、たどれる線は途中で切れている。
健康診断という言葉が日本に定着したのは、この徴兵検査と学校での身体検査が土台になっていたから。網はやたらと細かかった。
健診車のレントゲンを、技師が二度見た
ここからは日本で実際にあった話をいくつか並べる。実名は伏せて、聞いた形のまま書く。
四十代の会社員が、職場に来た巡回健診車で胸部写真を撮った。狭い車内、朝からの流れ作業、一人あたり数十秒。
現像された写真を見て、技師の手が止まった。心陰影が、はっきり右に寄っている。
技師が最初に疑ったのは自分のミスだった。フィルムを裏返しに掛けたか、左右を示すマーカーを反対側に置いたか、そのどちらかしか考えられない。
撮り直しを申し出て、もう一度撮った。やはり右。
受診者本人は、待合の椅子で不思議そうにしていた。どこも悪くないし、毎年の健診で何か言われた記憶もない。
この人の場合、前年までの写真は別の業者が撮っていた。画像そのものは保存されていたのに、誰も左右を気に留めないまま年数が過ぎていたらしい。
技師は判定医を呼び、判定医が本人に直接尋ねた。「心臓が右にあると言われたこと、ありませんか」
四十年以上、誰にも言われていなかった。
その日の帰り道、本人は自分の左胸に手を当てながら歩いたという。確かに、ずっと何も感じない。感じないのが普通だと思っていた、とあとで話している。
翌週、紹介された総合病院でCTを撮り、完全内臓逆位と確定した。肝臓も胃も脾臓も、揃って反対側に納まっていた。
治療は何もいらない。代わりに渡されたのは、診療情報提供書のコピーが一枚だけ。財布に入れて持ち歩いてください、と念を押された。
胸部写真には撮影時に左右を示す金属のマーカーを入れる決まりになっていて、これを裏返しに置くと画像だけでは真偽の判断がつかなくなる。だから技師の教育では、逆位を疑う前にまず自分の手順を疑えと叩き込まれる。
現場で逆位が確定するのは、たいてい撮り直しの二枚目を並べて見たとき。同じ向きに二回写った心陰影は、もう言い訳のしようがない。
集団健診の現場では一枚の写真に許される時間が数秒しかないので、見落としは最初から確率の問題として扱われている。速さが敵になる。
左の下腹を押さえて運ばれてきた
夜中の救急外来。二十歳前後の男性が、腹が痛いと言って搬送されてきた。
押さえているのは左の下腹。当直医は最初、尿管結石か憩室炎のあたりを頭に浮かべた。虫垂炎は候補から外れる。痛む場所が反対だから。
問診で経過を聞くと、朝から胃のあたりがむかつき、昼過ぎに痛みが左下へ移ったという。この移動の仕方は虫垂炎の典型なのに、場所だけが教科書と噛み合わない。
採血では白血球がはっきり上がっていた。腹部エコーを当てた研修医が、まず肝臓を確認しようと右の肋骨の下にプローブを置き、何も映らないまま固まった。
ここで全員が気づく。
CTを撮ると、腹の中が丸ごと反対だった。盲腸は左の下腹にあり、その先の虫垂が腫れて周囲に膿がたまりかけている。発症から十時間ほど経っていて、穿孔の一歩手前だったらしい。
本人は自分の体質を知らなかった。子どものころ喘息で何度か通院したが、胸のレントゲンを撮った記憶はないと話した。
日本の消化器外科や大腸肛門病の学会誌には、この種の症例報告がいくつも載っている。完全内臓逆位に急性虫垂炎を合併して単孔式の腹腔鏡で切除した例。内臓逆位のS状結腸癌を腹腔鏡で切除した例。胆嚢炎や胆石症の例も並ぶ。
どの報告も、冒頭に似たような一文を置く。日本での完全内臓逆位の頻度は報告によって幅があり、三千人に一人から二万数千人に一人まで開きがある、と。
数字がこれだけばらつくのは、見つからないまま一生を終える人が相当数いるから。分母が確定しない病気の統計は、いつまでも揺れ続ける。
救急隊が現場から病院へ入れる第一報でも、この体質は必ず引っかかる。胸に手を当てても拍動の位置が合わないので、隊員が無線の途中で言葉に詰まることがあるという。
搬送先で医師が最初にやるのは、患者の家族への確認。「昔、心臓が右にあると言われたことは」という質問が、暗い待合室で唐突に飛んでくる。
腹痛の患者を診るとき、医師の頭には痛みの場所と臓器を結ぶ地図が入っていて、その地図が裏返っている可能性は普段まったく考えない。だから遅れる。
執刀医が、途中で立ち位置を変えた
島根の病院から出た報告が、手術室の空気をよく伝えている。六十代の男性で、幼いころから内臓逆位を指摘されていた人。
血液検査でCEAが高く、大腸カメラでS状結腸に腫瘍が見つかった。生検の結果は高分化型の腺癌。CTでリンパ節の腫れも確認され、腹腔鏡で切ることになった。
問題になったのは、手の動きだった。
腹腔鏡の手術では、右手と左手の鉗子が担う役割が、体の構造とセットになって術者の体に染み込んでいる。左右が反転すると、その対応が全部ひっくり返る。頭で分かっていても、指が覚えた順番と合ってこない。
執刀医は最初、患者の左側に立った。中枢のリンパ節を郭清するあいだは、その位置からのアプローチが無理なく運ぶ。
直腸側を剥離して吻合する段になって、立ち位置を変えた。患者の右側へ回り込む。
そうすると、通常の解剖で慣れた手の動きにようやく近づく。ポートの配置も途中で組み替えている。左上と右下を太い口径にして、ガーゼやデバイスの出し入れが詰まらないようにした。
手術記録にこうした工夫が細かく書き残されるのは、次に同じ体に当たる誰かのため。日本の外科系の学会誌には、「立ち位置を変えた」という一文が繰り返し現れる。
慣れた身体感覚がまるごと通じない相手に、自分の体ごと合わせにいく。手術というより、ダンスの練習に近い作業。
胆嚢を腹腔鏡で取る手術でも、同じ話が出てくる。胆管の走行が鏡になっているせいで、通常なら迷わない分岐で一瞬詰まる。蛍光色素を静脈に入れて術中に胆道を光らせ、走行を確かめながら進めた報告もあった。
若い外科医の教育でも、この反転はやっかいな課題になっている。手術支援ロボットや腹腔鏡のシミュレーターには左右を鏡にしたモードがあり、あえて反転した設定で練習させる施設も出てきた。
やってみると、数分で汗が出るらしい。自分の手が自分の意図と食い違う感覚は、文章で読むのと実際にやるのとでまるで違う。
外科の手技は、教科書を読んで覚える部分より、手が勝手に動いてくれる部分のほうが圧倒的に大きい。だから反転がここまで効く。
赤と黄のクリップを入れ替える三秒
検査室での実務は、もっと地味で、もっと即物的。
十二誘導の心電図では、四肢に赤、黄、緑、黒のクリップを付ける。右手が赤、左手が黄。右胸心の人にこれを普通どおり付けると、Ⅰ誘導のP波とT波が下向きに出て、aVRが上向きになる。
胸部誘導ではR波が育たず、V1からV6へ進むにつれてQRSがだんだん小さくなっていく。
ここで厄介なのは、電極の付け間違いでもよく似た波形が出ること。四肢誘導の所見だけでは、どちらなのか区別がつかない。
見分けの手がかりは胸部誘導にある。単なる付け間違いなら、R波の増高は正常なまま保たれる。右胸心なら、Sばかりが目立って振幅が尻すぼみになっていく。
分かってしまえば話は早い。左右の四肢電極を入れ替え、胸部の電極を胸骨の右側へ鏡に置き直すだけ。かかる時間は三秒ほど。
記録用紙には必ず「右側胸部誘導で記録」と書き添える。これを書き忘れると、後日その波形だけを見た医師が、本物の異常と読んでしまう。
心電図の自動解析ソフトも逆位を想定していないので、機械が吐き出すコメント欄は電極の装着誤りという警告で埋まる。機械も間違える。
急性心筋梗塞を疑う胸痛でこの取り違えが起きたとき、結果は笑い話にならない。日本の臨床検査技師の認定研修でも、右胸心の波形は繰り返し出題される定番になっている。
とはいえ、技師の多くはキャリアを通じて一度も当たらない。教科書のなかでだけ知っている波形。
その一度が、夜中の救急にやってくる。
日本には学校心臓検診という制度があって、小学一年、中学一年、高校一年の全員が心電図をとる。この網にかかって、小学校の体育館で内臓逆位が初めて見つかる子どもが毎年いる。
検診の結果票に「要精密検査」と印字され、親が青くなって病院へ駆け込む。胸のレントゲンを撮って、心臓が右にあるだけで何の病気でもないと説明されて帰る。
心肺蘇生の講習でも、この体は問題になる。AEDのパッドは右の鎖骨下と左の脇腹に貼るのが標準だが、逆位の人には左右を入れ替えて貼るほうが理屈に合う。
もっとも、実際の現場では標準どおりに貼っても電気は心臓を通る。迷って時間を失うほうがよほど危ない、というのが救命講習の指導者たちの共通した言い方。
内視鏡の先が、覚えているのと逆へ曲がる
大腸カメラも難儀な検査になる。札幌のあるクリニックは、内臓逆位の人の大腸内視鏡を五例こなしたと書いていた。
大腸のカーブは、そもそも左右で形が違う。S状結腸を越え、脾彎曲を回り、横行結腸を渡って肝彎曲へ抜ける。術者は手元のダイヤルと腸の曲がり方の記憶を結びつけながら、先端を少しずつ進めている。
鏡像の腸では、その記憶が全部裏返る。右へ曲げるつもりの場面で左へ曲げないと、先端が壁を突きにいく。
完全に空間認識の勝負になる。経験の浅い術者がやると、余計なループを作って患者に痛みを与えるばかりで、先へ進めないまま時間だけが過ぎる。
内視鏡の操作は、右手でスコープを押し引きしながら左手でアングルを切るという二重の作業ででき上がっている。指は嘘をつかない。
心臓のカテーテルにも似た事情がある。大動脈弓の向きが逆なので、カテーテルの形状を選び直すところから始まる。冠動脈の入口を探す手順も鏡になる。
透視画面の左右を反転表示させる機能を使う術者もいるらしい。画面のほうを裏返して、手が覚えた動きをそのまま使う発想。
胎児の心臓を診る小児循環器の医師は、そもそも左右の確認から検査を始める。母体の体位、プローブの向き、胃泡がどちら側にあるか。この順に確かめて、初めて心臓の位置を口にできる。
臓器移植の現場では、話がもう一段ややこしくなる。逆位の人がレシピエントになると、血管を繋ぐ位置関係が鏡になるので、ドナー臓器の向きをどう据えるかで頭を使う。
肝移植では、グラフトの形と受け手の腹腔の形が合わなければならない。肝静脈や門脈の走行が反転していると、通常の手順書がそのままでは使えなくなる。
だから術前のCTを三次元に組み直し、血管の一本ずつを紙に描き起こしてから手術に入る。逆位の症例報告が細かく記録されるのは、この紙を次の誰かが使うため。
腎臓の移植では、もともと左右どちらの腎臓も骨盤の中へ入れるので、逆位でも手順の変更は比較的小さい。心臓の移植になると話は別で、胸腔の形そのものが鏡になっているぶん、縫い合わせる角度が根本から変わる。
日本では脳死下の臓器提供そのものが少ないので、逆位のレシピエントが順番を待つあいだに条件がさらに絞られていく。体の左右が反対というだけで、待機の列は静かに長くなる。
血管の吻合は角度が数度ずれただけで血流が落ちるので、鏡の解剖では事前の計算がそのまま結果に跳ね返ってくる。紙と鉛筆の仕事。
胚のくぼみで、繊毛が回っている
なぜ左右が決まるのか。この問いに具体的な答えを出したのは、日本の研究者たちだった。
マウスの胚は受精後七日半ほどで、腹側にノードと呼ばれる浅いくぼみを作る。直径にして十分の一ミリにも満たない、ごく小さな窪み。
くぼみの底の細胞には、一本ずつ繊毛が生えている。この繊毛が回る。軸が尾側へ傾いた状態で時計回りに回転するので、押し出される水の流れは左へ偏る。
これがノード流。大阪大学から理化学研究所へ移って研究を率いた濱田博司のグループが、この仕組みを一段ずつ確かめていった。
繊毛が傾く理由も分かっている。ノード底部の細胞には頭と尾の方向の情報が入っていて、Wnt5とSfrpの濃度勾配が細胞の極性を作り、基底小体を尾側へ寄せる。
ノードの周縁部には、動かない繊毛も生えている。こちらはセンサー役。Pkd2というイオンチャネルが、繊毛の背側に偏って並んでいる。
左向きの流れを受けると、左側の繊毛は腹側へ、右側の繊毛は背側へ曲がる。チャネルが背側にあるせいで、実際に開くのは左側だけになる。
膜の張力が一メートルあたり1.6ミリニュートンに達したところでカルシウムが流れ込む、という数字まで出ている。東京大学の加藤孝信を筆頭に、顕微鏡の技術を新しく組み上げて確かめた成果。
共同研究者の名前には、濱田博司、岡田康志、石川拓司、大森俊宏、岩根敦子、西坂崇之が並ぶ。生物学と流体力学と光学が、一本の論文のなかで合流している。
カルシウムが入ると、Dand5という遺伝子のメッセンジャーRNAが左側で壊される。Dand5はNodalの働きを邪魔する役だから、邪魔が消えた左側でだけNodalが動き出す。
続いてLeftyが正中線に壁を作り、右側へ信号が漏れないよう押さえ込む。最後にPitx2が、左という情報を臓器の形へ翻訳していく。
この連鎖のどこかが狂うと、配置が乱れる。繊毛そのものが回らない場合、流れが生まれないので左右の情報が作られない。
そうなると、配置はサイコロになる。およそ半数が正位、半数が逆位。
ノードの繊毛は一秒間に十回前後の速さで回っていて、その回転が数時間続くあいだに体の左右が決まってしまう。一度きりの数時間。
繊毛の運動に関わる遺伝子は五十種類以上見つかっている。DNAH5やDNAI1、KIF3Bといった名前が並び、いまも新しい候補が追加され続けている。
ノード流の研究が日本で進んだのには、顕微鏡の技術が国内で育っていた事情もある。生きたままの胚の内部で、髪の毛の数百分の一の太さの繊毛が回る様子を撮るには、専用の装置を自分で組むしかなかった。
理化学研究所の発表を読むと、カルシウムの流れ込みや膜の張力といった物理量が一つずつ数字になっていく過程が追える。左右という抽象的な話が、力学の言葉へ翻訳されていった十数年。
左右を決める仕組みが繊毛という一本の毛に預けられているのは、生き物の設計としてずいぶん頼りない。壊れやすい装置。
聖帝の名前をもらったハエ
二〇〇四年、東京理科大学にいた松野健治の研究室で、消化管が逆巻きになったショウジョウバエが出た。
遺伝子の発見者には命名権がある。松野は『北斗の拳』の大ファンだった。
付いた名前が、サウザー遺伝子。正式な表記はMyo31DFで、変異体にsoutherという呼び名が与えられている。作中の聖帝サウザーは体の構造が左右反転していて、急所を突かれても倒れない設定になっていた。
この遺伝子はミオシンという運動タンパクの仲間で、細胞ひとつの単位で左右のねじれを作る。繊毛を使わない左右決定の仕組みとして、いまも研究が続いている。
ハエの遺伝子に漫画の悪役の名前を付ける。こういう遊びが論文に残ること自体、この分野の空気をよく表している。
日本の開業医のブログでも、この命名は定期的に話題になる。内臓逆位の患者を診た循環器の医師が、診察室を出たあとで聖帝を思い出してしまう、という具合。
当事者にとっては少し複雑なところ。特別な体として面白がられるのは、嬉しくもあり、面倒でもある。
遺伝子の命名には、こういう遊び心がしばしば入り込む。ショウジョウバエの分野はとくに自由で、変異体の見た目や性質から取った奇妙な名前が大量に登録されている。
日本の研究者が付けた名前が国際的なデータベースに残るのは、それ自体が小さな記録。聖帝の名は、これからも世界中の論文のなかで生き続ける。
遺伝子の名前は一度データベースに載ると原則として変えられないので、命名者の趣味が半永久的に世界へ残る。責任は地味に重い。
痰の切れない子ども
内臓逆位の人のおよそ一割に、繊毛がうまく動かない病気が隠れている。逆に、その病気を持つ人の半分ほどが内臓逆位を伴う。
一九三三年にスイスのマンネス・カルタゲナーがまとめた三徴が有名で、慢性副鼻腔炎と気管支拡張症と内臓逆位が同時に現れる。日本では指定難病三四〇、線毛機能不全症候群として登録されている。
推定される国内の患者数は五千人ほど。ただし実際に診断がついている人は、その数よりずっと少ない。
症状は生まれた直後から出る。新生児が妙に速い呼吸をする。咳が出る。肺炎や無気肺を起こして保育器に入る子もいる。
親はたいてい「風邪をひきやすい子」と説明されて帰される。鼻が詰まり、滲出性中耳炎を繰り返し、痰の絡んだ咳が季節を問わず続く。
軽い風邪のはずが、いつまでも抜けない。学校を休みがちになり、体育を見学する回数が増える。
痰を外へ押し出す力が弱いせいで細菌が気管支の奥に居座り、そこが少しずつ壊れて気管支拡張症へ進んでいく。時間のほうが敵。
確定診断には、鼻や気管支の粘膜から細胞を採って電子顕微鏡で繊毛の断面を見る。外側のダイニン腕が欠けているかどうかを直接確かめる作業で、子どもにとっては軽い処置ではない。
原因となる遺伝子は五十以上見つかっていて、それでも原因が特定できない人が残る。症状の重さも人によってかなり違う。
大人になってから不妊で受診し、そこで初めて分かる例もある。精子の鞭毛は繊毛の親戚なので、動きが鈍くなる。女性では卵管の繊毛が働かず、子宮外妊娠の引き金になることがある。
不妊外来で撮った胸のレントゲンに心臓が右へ写っていた瞬間、それまでの二十数年の咳の意味が一本の線で繋がる。そういう診断のつき方を、日本の呼吸器内科の医師はときどき経験している。
指定難病になったことで、医療費の助成が受けられるようになった。ただし助成を受けるには診断の確定が要るので、電子顕微鏡や遺伝子検査ができる施設まで足を運ばなければならない。
患者会の集まりでは、子どものころに「気合いが足りない」と言われ続けた話が繰り返し出るという。咳の理由が体の設計にあったと分かるまで、二十年三十年かかった人がいる。
日本の小児科で、新生児の原因不明な呼吸障害を見たときに繊毛の病気を疑うという流れができたのは、ここ十年ほどのこと。まだ途上。
水に湯を注ぐ
ここで話を、日本の家の中へ移す。
人が死んだとき、日本の家では日常の手順をわざと裏返してきた。総称して逆さごと。
湯灌に使う湯は、逆さ水と呼ばれる。桶にまず冷たい水を張り、そこへ熱湯を足して三十五度から四十度に整える。普段は熱湯に水を足して冷ますのだから、順番がきれいに反対になる。
柄杓も左手で持つ。足元から胸へ向けてかける。
枕元には屏風を逆さに立てた。着物は左前に合わせる。生きている人の着方とちょうど鏡になる。
草履は左右を入れ替えて履かせた。布団は頭と足を逆にして敷く。枕は北へ向ける。釈迦が入滅した方角という理屈が後から付いた。
棺を出す玄関の鴨居には、釘を頭のほうから打ち込んだ。門柱に「忌」の字を左右反転させて書く地域もある。
紐の結び方まで変える。蝶結びを縦向きにして、二度と解かないという意味を持たせた。
なぜここまで裏返すのか。民俗学の説明はいくつもあって、どれも並び立つ。
逆さごとの作法は地域ごとに細かく違っていて、同じ県内でも隣の集落と手順が食い違うことが珍しくない。統一されたことがない。
死を日常から切り離して見せるため。穢れが生者の側へ流れ込まないようにするため。まだ不安定な状態にある死者を守る魔除けとして。
多摩のあたりでは昭和二十年ごろまで、葬式を夜にやるのが普通だった。暗闇そのものが生と死の境目だと信じられていたから。
昭和六年に多磨葬祭場ができて以降、葬儀の時間帯は昼へ移っていく。逆さごとの作法だけが、時間帯から切り離されて残った。
葬儀社が今も逆さ水の手順を客に説明するのは、遺族の気持ちの切り替えに効くと分かっているから。湯の温度を自分の手で確かめる数分が、区切りの実感を作る。
日本人は、体の左右がひっくり返ることに、ずっと意味を持たせてきた。その感覚の上に、心臓が右にある人が現れる。
逆さまを使った呪いの作法も、日本にはいくつも伝わっている。箒を逆さに立てて長居の客を帰す。藁人形を打つ丑の刻参りでは、着物を逆に着て後ろ向きに歩く所作が語られた。
鏡をめぐる俗信も同じ発想の延長にある。合わせ鏡を覗くと別の世界が見えるという話が、昭和の子どもたちのあいだで何度も流行した。
鏡に映った自分は、自分と同じ形をしていて左右だけが違う。心臓が右にある人の存在が、鏡の向こう側の話と結びつけられてしまうのは、そういう連想の積み重ねのせい。
逆さにすることで日常の力をいったん止める、という発想は、葬送だけでなく田の神送りや雨乞いの所作にも顔を出す。共通の型がある。
左大臣のほうが偉かった国で
逆さまが不吉なら、左そのものはどうだったのか。ここが日本の面白いところで、左は忌まれてもいるし、尊ばれてもいる。
朝廷では左大臣が右大臣の上に立った。京の町は、帝が南を向いて座ったときの左右で左京と右京に分かれる。地図で見ると東側が左京になるのは、そのせい。
中国の漢代は逆で、右が上位だった。だから位を下げることを左遷と言う。日本語にはその言葉だけが輸入されて、意味と感覚がねじれたまま残った。
文官が左、武官が右という対応もあったらしい。平安の都は戦が少なかったから文官の側が上になった、という説明を見かける。
雛人形の並びは、明治以降に西洋の作法が入って入れ替わった。それ以前は、向かって右に男雛を置くのが普通だった。今でも京都の一部は昔の並びを守っている。
能舞台では、客席から見て右が上手で左が下手。歌舞伎の舞台も同じ約束でできている。
神社で左足から鳥居をくぐる作法や、着物を右前に合わせる決まりも、左右への意味づけが生活の細部まで食い込んでいた名残。習慣は残る。
左利きの子を右へ直させる習慣は、昭和の後半まで根強く残っていた。箸と鉛筆だけは右にさせる、という家も多かった。
同じ「左」が、ある場面では格上になり、別の場面では不吉になる。体の左右をめぐる日本人の感覚は、最初から一貫していない。
心臓が右にある体を前にしたとき、人が妙に落ち着かなくなるのは、たぶんこの一貫しなさのせい。正しい左右がどちらか、誰も本当には決めていない。
左利きの矯正が減ったのは、平成に入ってから。書道や和食の作法のように、右手を前提に組まれた技術が今も残っているので、左利きの人は日常のあちこちで小さな翻訳をしながら暮らしている。
内臓逆位の人が医療機関でやっているのも、構造としては同じ翻訳。世界のほうが右利き用に、あるいは内臓正位用にできているというだけの話。
鏡写しの双子
一卵性の双子のうち、あらゆる特徴が鏡になっている組がある。ミラーツインと呼ばれる。
つむじの巻きが逆。利き手が逆。歯の生える順番まで逆になる。片方は右の頬にえくぼが出て、もう片方は左に出る。
日本の双子の親のコミュニティでも、この話題は昔から定番になっている。産院で「二人とも同じ向きに寝かせたのに、顔の向きだけ左右対称になる」と気づいた親の書き込みが、掲示板やブログに残っている。
受精卵が分裂する時期が遅いと起きやすい、という説明がよく使われる。左右の情報が決まりかけたあとで胚が割れるせいだ、という理屈。
分裂がさらに遅れると、体がくっついたまま生まれる結合双生児になる。その場合、片側の子に心臓の位置異常が出ることがある。
ミラーツインの片方だけが内臓逆位、という症例報告は世界に散らばっている。数はそれほど多くない。
一卵性かどうかは胎盤の枚数だけでは決めきれないので、鏡像の特徴が唯一の手がかりになってしまう家庭もある。判定はいつも難しい。
多胎の支援団体がまとめた資料を読むと、日本の双子研究でもミラーツインは扱いにくいテーマだと分かる。定義が曖昧で、統計に載せにくい。
親の観察のほうが、論文より細かいことも多い。どちらが先に寝返りを打ったか、どちらの手でスプーンを握ったか。そういう記録が、家のノートに何年分もたまっている。
結合双生児の記録は日本にも古くから残っていて、江戸期の瓦版や見世物の記録にそれらしい記述が見つかる。当時は奇瑞として扱われ、医学の対象になるのはずっとあとのこと。
胸から腹でつながった型では、心臓が一つを二人で共有している場合がある。その場合、どちらの子から見ても心臓の位置は正中に近く、左右という概念そのものが崩れてしまう。
「どっちですか」と毎回聞かれる
当事者の語りは、意外と淡々としている。
病院の受付で、問診票の自由記入欄に毎回同じことを書く。内臓逆位です、心臓は右です、と。そこで必ず一度、看護師が確認に来る。
聴診器を当てた看護師の手が空振りするのを見るのが、ちょっと面白いと書いている人がいた。
救急のときだけは笑えない。意識がなければ自分で説明できない。だから診療情報提供書を折り畳んで財布に入れたり、お薬手帳の表紙に太字で書いたり、スマートフォンの緊急連絡カードに登録したりする。
ネックレス型の医療情報タグを付けている人もいる。海外で普及しているタイプを、わざわざ個人輸入して使う。
問診票に書いた内容が電子カルテのどこへ反映されるかは病院ごとに違い、転院のたびに最初から説明し直すはめになる。毎回ふりだし。
日常の実感については、ほとんどの人が「何もない」と答える。走れば心臓は鳴るし、酒を飲めば肝臓が疲れる。位置が反対なだけで、働きはまったく同じ。
ただ、胸に手を当てて鼓動を感じるという仕草だけが通じない。ドラマの登場人物が左胸を押さえる場面を見るたびに、わずかに引っかかると書いている人がいた。
握手や抱擁のとき、相手の心臓の位置を無意識に想像している自分に気づく、という語りもあった。
ネットでは、この体をオカルトの文脈に乗せる書き込みが絶えない。前世の記憶、並行世界からの来訪者、鏡の向こうから来た存在。
当事者の反応は分かれる。うんざりする人と、話のネタとして積極的に使う人。自分から「鏡像人間です」と名乗って笑いを取る人もいる。
医療者の側から見れば一生に一度の症例でも、当事者にとっては受診のたびについて回る手続き。そこに温度差がある。
健診のたびに技師が二度見するのを、毎年の恒例行事として楽しみにしている人の書き込みも読んだ。
献血の会場でも、問診の医師が一瞬止まることがある。成分献血で装置につながれているあいだ、看護師が交代で見にくる日もあったと書いていた人がいた。
スポーツの場面では、ほとんど何も起きない。マラソンを走る人も、格闘技をやる人もいる。心臓の位置が違うだけで、酸素を運ぶ能力に差は出ない。
ただ、胸を強く打ったときの心配だけは人と違う。左の肋骨の下には肝臓があるので、そこを蹴られたときの危険がふつうの人とは入れ替わっている。
妊婦健診の画面で、左右を確かめる数秒
完全内臓逆位なら、まず生活に問題は起きない。厄介なのは、全部が揃って裏返らなかった場合。
内臓錯位、あるいはヘテロタキシーと呼ばれる状態。臓器ごとに左右の指示がばらばらに出てしまい、体のなかで辻褄が合わなくなる。
右側だけが二つできる右側相同では、脾臓が作られない。無脾症と呼ばれ、細菌の感染に極端に弱くなる。
左側だけが二つできる左側相同では、脾臓が小さく分かれて複数できる。多脾症。心臓の刺激伝導系に異常が出て、完全房室ブロックを起こす子もいる。
どちらも重い心奇形を伴うことが多い。単心室やフォンタン手術の対象になり、生涯にわたる管理が必要になる。
だから胎児超音波のスクリーニングでは、心臓の形を確かめる前に左右を確かめる。胃泡がどちら側にあるか。下大静脈と大動脈が背骨のどちら側に並んでいるか。
胎児の向きは検査のたびに変わるので、左右の判定は毎回ゼロからやり直さなければならない。前回の記録は使えない。
この数秒の確認で、その後の何年かの医療の組み立てが変わってしまう。
新生児の段階で見つかれば、脾臓がない子には肺炎球菌のワクチンと抗菌薬の予防投与が早くから始められる。不整脈が出る子にはペースメーカーの準備が要る。
左右の確認という地味な作業が、そのまま子どもの生存率に効いてくる。胎児心エコーの講習で、最初の一時間が内臓の位置の話に費やされるのはそのため。
ノードのくぼみで繊毛が回っているのは、受精から二週間ほどの出来事。人の体の左右は、そこで決まっている。
回り方がほんのわずか違っただけの体が、九十年ぶんの人生をまるごと生きて、実習台の上で初めて誰かに気づかれる。
あの十一月の午後、助教は学生たちにこう言ったという。
「この人は、たぶん一度も病院で困らなかった。困ったのは、今のお前らだけだ」
