「眠ると呼吸を忘れる」という設定が、現実にある
映画やゲームでよく見る場面がある。眠ったら死ぬぞ、起きてろ、と仲間が肩を揺さぶるやつだ。あれは基本的に演出の都合で、現実の人間は眠ろうが気絶しようが勝手に息をする。延髄のあたりにある呼吸中枢が、こちらの意思とは無関係にずっと働いてくれているからだ。意識して止めようとしても、限界がくれば体が勝手に吸う。人間はそういう設計になっている。ところが、その「勝手に」が効かない人たちが実在するんだよな。
起きているあいだは普通に呼吸する。しゃべるし、笑うし、走りもする。でも眠りに落ちた瞬間、呼吸が浅くなって、そのまま止まる。しかも本人はまったく苦しくない。血中の二酸化炭素が溜まっても、体が警報を鳴らしてくれないからだ。病名は先天性中枢性低換気症候群。通称、オンディーヌの呪い。
病名がずるい。強すぎる。
正直に言うと、この病気の話が今も語り継がれている理由の半分は病名だと思う。先天性中枢性低換気症候群、と言われても誰も振り向かない。でも「オンディーヌの呪い」と書いてあれば、誰だって二度見する。水の精に呪われた男が、眠るたびに呼吸を忘れて死んでいく。そんな伝説の名前が、そのまま医学用語として五十年以上も現役で使われている。
医学の教科書に載っている単語のなかでも、ここまで文学的で、ここまで物騒なものはそう多くない。しかも厄介なことに、この名前は語感が良すぎるせいで、実際の病気の姿より先に「呪い」のイメージだけが独り歩きしてしまった。ネットで拾える情報の大半が伝説パートで止まっているのは、そのせいだ。この記事では、伝説と現実の両方を、できるだけ丁寧にほどいていく。
まず、呼吸が「自動」であることの異常さを思い出してほしい
普段まったく意識しないが、呼吸というのは相当に変な機能だ。心臓は自分で止められない。胃腸も動かせない。でも呼吸だけは、意識でも自動でも動く。二重系統なんだよな。意識のほうは大脳皮質が担当していて、深呼吸したり息を止めたりできる。自動のほうは脳幹、とくに延髄の呼吸中枢が担当していて、血液中の二酸化炭素濃度をずっと見張っている。二酸化炭素が増えると「もっと吸え」と命令が飛び、勝手に呼吸が深く速くなる。
この化学受容というシステムがあるおかげで、人は眠っていても、麻酔で意識を失っていても生きていられる。オンディーヌの呪いと呼ばれる病気は、この自動側の回路が生まれつき壊れている。意識側は無事だから、起きているうちは何も問題が出ない。眠った瞬間だけ、体が呼吸のやり方を忘れる。
一九六二年、麻酔科医が悪魔的なネーミングをした
この名前を医学に持ち込んだのは、ジョン・W・セヴェリンハウスとロバート・A・ミッチェルの二人だ。年は一九六二年。発表媒体は臨床研究系の学術誌で、症例の報告としてはごく短いものだった。彼らが診ていたのは先天性の患者ではなく、脊髄の痛みの伝導路を切る手術、脊髄視床路切截術を受けたあとの患者たちだった。手術のあと、その患者たちは起きているうちは普通に呼吸できるのに、眠ると呼吸が止まってしまった。
息をしろと言えば息をする。でも意識が落ちると駄目になる。この妙な状態をどう呼ぶか考えた二人が持ち出したのが、ドイツ語圏の水の精の伝説だった。眠れば呼吸を忘れる、という呪い。医学史のなかでも屈指のセンスというか、正直かなり悪ノリに近い命名だと思う。
名づけの現場にいた三人の患者
このとき報告された患者は三人だった。全員が高位頸髄の手術を受けたあとに同じ現象を起こした。呼吸中枢からの自動的な指令が、脊髄を下りていく途中で断ち切られてしまった格好だ。意識的な呼吸の指令は別の経路を通るので、そちらは残る。だから起きているあいだは息ができる。眠って意識の指令が止まると、あとを引き受けてくれるはずの自動系が届かず、呼吸が停止する。
手術は痛みを取るためのものだったのに、副産物として「眠れなくなった体」が生まれてしまった。三人がその後どうなったかは短い報告からは詳しく読み取れないが、当時の集中治療の水準を思えば、簡単な話ではなかったはずだ。オンディーヌの呪いという言葉は、この三人の症例から出発している。生まれつきの子どもたちの話ではなかった、というのはけっこう見落とされがちな点だ。
で、オンディーヌって誰なんだ
ここから伝説パートに入る。オンディーヌ、あるいはウンディーネと呼ばれる存在は、ヨーロッパの民間伝承に出てくる水の精だ。語源はラテン語のunda、つまり波。水そのものから名前が来ている。人間の姿をしていて、たいてい美しい女性として描かれる。ただし彼女たちには魂がない。人間の男と結婚することでのみ魂を得られる、という設定がある。逆に言えば、その結婚が破られたときに何かが起きる。
この「魂を得るための結婚」という骨組みが、後世の作家たちに繰り返し使われ、そのたびに少しずつ形を変えていった。医学用語になったオンディーヌは、この長い変形の一番端っこにいる。しかも、途中でかなり大きく話が書き換わっているんだよな。
パラケルススが決めた「水の精」という枠
水の精をウンディーネと呼ぶ枠組みを整理したのは、十六世紀の医師で錬金術師のパラケルススだ。彼は世界を構成する四つの元素それぞれに精霊を割り当てた。土にはノーム、風にはシルフ、火にはサラマンダー、そして水にはウンディーネ。この分類は当時の自然哲学の産物で、今の目から見れば科学ではない。だが影響力は絶大で、その後のヨーロッパ文学における精霊の設定は、だいたいここを下敷きにしている。
医師が名づけた精霊の名前が、四百年後に別の医師によって病名として拾い直された、という流れは出来すぎている気もするが、事実としてそういう線がつながっている。ちなみにパラケルススの段階では、まだ「呼吸を忘れる呪い」という要素はどこにもない。
一八一一年、フーケが書いた『ウンディーネ』の結末
物語として決定版を作ったのは、フリードリヒ・ハインリヒ・カール・ド・ラ・モット・フーケという長い名前のドイツの作家だ。一七七七年生まれ、一八四三年没。詩人であり劇作家であり、ジャーナリストでもあった。彼が一八一一年に発表した『ウンディーネ』は、水の王の娘であるウンディーネが、リングシュテッテンの騎士フルトブラントと結ばれて魂を得る話だ。だが騎士は人間の女性ベルタルダに心を移してしまう。
裏切りの結末で、ウンディーネは涙を流しながら騎士を抱きしめる。原文の描写はおよそこうだ。彼女はますます強く彼を抱き寄せ、フルトブラントの目には涙があふれ、胸は激しく波打ち、そしてついに息が絶えた。つまり彼は、抱擁と口づけのなかで息を引き取る。
実は原作のウンディーネ、誰も呪っていない
ここが押さえどころだ。フーケの原作を最後まで読むと、ウンディーネは呪いの言葉を吐いていない。彼女は水の一族の掟に従って、裏切った夫のもとへ行き、泣きながら抱きしめる。それで彼は死ぬ。彼女自身が望んだ処刑ではないし、「眠るたびに呼吸を忘れろ」などという条件つきの罰でもない。むしろ悲しみのほうが濃い話なんだよな。
医学論文でこの伝説を引用するとき、しばしば「ウンディーネが不実な夫に呪いをかけ、眠れば呼吸が止まるようにした」と書かれるのだが、原作を読む限りそんな場面はない。この点は伝説の来歴を調べた研究者たちが繰り返し指摘していて、「オンディーヌは誰も呪ってなどいない」という一文が論文のなかで太字みたいな扱いで出てくることさえある。
ジロドゥが一九三〇年代に足した、あの台詞
では「眠れば呼吸を忘れる」という具体的な文句はどこから来たのか。フランスの劇作家ジャン・ジロドゥが書いた戯曲『オンディーヌ』だ。執筆は一九三八年とされることが多く、パリでの初演は一九三九年。ジロドゥ版では、水の一族の王が裏切った騎士に向かって、契約がそれを求めている、おまえは彼女を欺いた、という趣旨のことを告げる。そして騎士のほうが自分の状態をこう嘆く。
ひとたび気が緩めば、私は聞くことを、そして息をすることを忘れてしまうだろう。この台詞なんだよな。医学がつかまえたのは、フーケの原作でもパラケルススの分類でもなく、ジロドゥが二十世紀に書き足したこの一行だった。セヴェリンハウスとミッチェルが一九六二年に思い浮かべたのも、ほぼ間違いなくこちらのバージョンだ。
呪いの正体は「うっかり忘れる」だった
ジロドゥの台詞をよく読むと、呪いというより、注意力が切れることの描写に近い。聞くことも、息をすることも忘れる。意識を保っていないと生命維持ができない、という状態だ。実際の患者が置かれている状況と、これは不気味なくらい一致している。CCHSの患者は、起きて意識がはっきりしているあいだは呼吸できる。眠って意識が落ちると、呼吸が止まる。呪いというより仕様なのだが、当事者からすればどっちでも同じことだ。
二十世紀の劇作家が舞台の効果のために書いた一行が、そのまま生理学的に正確な記述になってしまった。偶然にしては出来がよすぎて、この一致こそがこの病名を五十年以上も生き延びさせたのだと思う。
神話マニアからは今もツッコまれ続けている
一方で、この命名は昔からずっと批判もされている。理由はさっき書いた通りで、伝説の中身と病名の説明が食い違っているからだ。医学論文の冒頭で「ウンディーネの呪いにより」と書くたびに、原典を読んだ人が「その場面は原作にない」と指摘する、という小さな攻防が何十年も続いている。
さらに、そもそも人名や神話に由来する病名、いわゆる冠名を減らそうという流れが医学全体にあって、患者の状態を正確に伝えない詩的な名前は避けるべきだ、という主張も根強い。実際、専門家のあいだで正式に使われるのは先天性中枢性低換気症候群、略してCCHSのほうだ。オンディーヌの呪いは、あくまで通称として括弧つきで併記される立場に落ち着いている。
一九七〇年、赤ん坊で同じことが起きていると分かった
生まれつきこの状態で生まれてくる赤ん坊がいる、と系統立てて報告されたのは一九七〇年のことだ。メリンズらのグループによる記載が、CCHSの最初のまとまった記述として扱われている。手術のあとに起きる後天的なものではなく、生まれた瞬間からそうである子どもがいる。当時は原因も分からず、有効な治療もなく、多くの子が命を落とした。呼吸中枢の異常だという見立てはあっても、それを証明する手段がなかった。
ここから遺伝子の正体にたどり着くまで、実に三十三年かかることになる。その三十三年のあいだ、この病気は「原因不明で、眠ると呼吸が止まり、一生人工呼吸器が要る、極めて稀な病気」として、ほとんど手つかずの領域に置かれていた。
生まれた直後の病室で何が起きるか
典型的な発症の光景はだいたい決まっている。妊娠中の経過は普通のことが多い。エコーでも何も引っかからない。生まれた直後、赤ん坊は元気に泣く。泣いているあいだは呼吸がある。ところが泣きやんで眠りに入ると、呼吸が浅くなり、唇や指先が青紫になっていく。チアノーゼだ。看護師が気づいて刺激すると、また息をする。眠る。青くなる。起こす。息をする。これが延々と繰り返される。
血液を調べると二酸化炭素が異常に溜まっているのに、赤ん坊はまったく苦しがっていない。この「苦しがらない」というのが一番不気味なところで、普通の呼吸不全なら赤ん坊は必死にもがくし、呼吸が速くなる。CCHSの子はそれをしない。警報装置そのものが働いていないからだ。
「泣いているときは元気なんです」という不思議
新生児集中治療室で医師たちが最初に混乱するのが、この落差だという。起きているときの所見が正常すぎるのだ。心臓の音も、肺の音も、レントゲンも、たいてい問題がない。肺は健康だし、心臓も健康だ。壊れているのは指令系統だけだから、体そのものはどこも悪くない。だから「肺の病気」「心臓の病気」の線で調べていくと、全部空振りする。
感染症でもない、代謝異常でもない、と検査を潰していった末に、ようやく睡眠時の呼吸パターンに目が行く。ここまでの過程で数週間かかることも珍しくない。診断が遅れているあいだも、赤ん坊は眠るたびに低酸素にさらされている。この時間が長いほど、あとの発達に影響が残りやすいと言われている。
眠るたびに青くなる、という日常
診断がついてからも、話が楽になるわけではない。眠るたびに呼吸が止まるのだから、眠るたびに機械が必要になる。乳児期は気管切開をして、そこから人工呼吸器につなぐのが標準的なやり方だ。喉に穴を開けるという決断を、生後数週間の親がしなければならない。そして退院してからは、家がそのまま小さな病室になる。呼吸器、加湿器、吸引器、酸素飽和度モニター、予備のバッテリー、停電に備えた発電機。
夜中にアラームが鳴れば飛び起きる。この生活が、何年も、多くの場合は一生続く。なお、ここで書いていることはあくまで一般的な説明で、個々の管理方針は主治医が決めるものだ。この記事を診断や治療の判断材料にしないでほしい。
二〇〇三年、原因遺伝子が一発で釣り上げられた
長い停滞を破ったのは二〇〇三年だ。アミエルらのグループが、PHOX2Bという遺伝子の変異がCCHSの原因であることを突き止め、発表した。この遺伝子は四番染色体にあり、自律神経系を作る細胞、つまり神経堤細胞の発生を指揮する転写因子をコードしている。要するに、自律神経の設計図を書く側の担当者だ。ここが壊れると、呼吸中枢だけでなく自律神経のあちこちに影響が出る理屈になる。
発見の翌年には遺伝子検査が使えるようになり、それまで「臨床所見の消去法」でしか診断できなかった病気が、血液を採るだけで確定できるようになった。三十三年かかった謎が、一本の遺伝子でほぼ説明できてしまったわけで、こういうことがあるから遺伝学は面白い。
アラニンを数える診断という奇妙さ
PHOX2Bの変異のかたちが、また変わっている。この遺伝子にはアラニンというアミノ酸が二十個連続して並ぶ領域があって、健康な人は両方の染色体で二十個ずつ持っている。CCHSの患者では、片方の側でこの並びが伸びている。二十四個、二十五個、二十六個と、伸びる長さは人によって違う。だから診断結果は「20/25」「20/27」といった分数みたいな表記になる。左が正常側、右が伸びた側の個数だ。
医学の検査結果としてはかなり異様な見た目で、初めて見ると何かのスコアかと思う。この繰り返しの伸長を持つタイプはPARMと呼ばれ、患者全体のおよそ九割を占める。残りの一割は別のタイプの変異で、こちらはNPARMという。
20/25、20/26、20/27――数字が人生の重さを変える
そしてこの数字が、けっこう残酷なくらい予後と対応する。伸びれば伸びるほど重い。20/25の人は、比較的軽く済むことが多く、眠っているときだけ換気補助が要る、という形に落ち着く例が多い。20/26や20/27になると、心臓の洞停止、つまり心拍が数秒単位で止まる現象のリスクが目に見えて上がり、心臓のペースメーカーが必要になる人が増える。
三秒を超える停止が確認されればペースメーカーの適応が検討される、というのが一般的な考え方だ。さらに長い20/28以降になると、日中も含めて二十四時間の換気補助が必要になることが多い。血液検査ひとつで、その子がどれくらい機械と付き合っていくかの見通しが、ある程度わかってしまう。便利だが、告げるほうも聞くほうも相当にきつい情報だと思う。
残りの一割、NPARMという別ルート
アラニンの数が増えるのではなく、フレームシフトや点変異など別の壊れ方をしているのがNPARMだ。全体の一割ほどだが、こちらのほうが総じて重い。呼吸の障害が強く出るうえに、腸の神経が作られない病気や、神経堤由来の腫瘍を合併する割合がぐっと高くなる。とくに神経芽腫については、NPARMを持つ人のおよそ半数に発生するという報告があり、定期的な画像検査での監視が欠かせない。
同じ病名でも、PARMとNPARMでは向き合うべきリスクの地図がかなり違う。だからこそ、遺伝子検査は「診断をつけるため」だけでなく、「これから何を見張るかを決めるため」の検査でもある。ここは二〇〇三年以降に決定的に変わった部分だ。
呼吸だけじゃない。自律神経まるごとの話
オンディーヌの呪いという名前のせいで、呼吸だけの病気だと思われがちだが、実際には自律神経全体の話だ。瞳孔の反応が鈍かったり、左右の大きさが違ったりする。体温が低めで、手足の皮膚温も低い。立ちくらみを起こしやすい。汗のかき方がおかしい。食道や腸の動きが悪くて、飲み込みや便通に苦労する子も多い。低血糖を起こしやすい人もいる。要するに、無意識のうちに体を調整している部門が全体的に不調なのだ。
呼吸が一番目立って命に直結するから病名がそこに寄っただけで、実態はもっと広い。当事者や家族が「呼吸器の病気だと思われるのが一番困る」と言うのは、この広がりが伝わらないからだろう。
心臓が三秒止まる、という合併
自律神経の合併症のなかでも、心臓の洞停止はとくに怖い。心臓を動かすリズムの発生源が、突然しばらく黙り込む。数秒なら気づかないこともあるが、長くなると意識を失う。ぼんやりして固まる、という形で出ることもある。呼吸のほうは機械で肩代わりできても、こちらは別の装置が要る。だから心臓ペースメーカーとの併用になる人がいる。呼吸のための人工呼吸器または横隔膜ペーサーと、心臓のためのペースメーカー。
体のなかに二種類の機械が入る。二十四時間ホルター心電図での定期的なチェックが欠かせないのは、この停止が本人にも家族にも気づけないまま進むことがあるからだ。
ハダッド症候群――腸まで動かない
CCHSに、腸の神経が作られないヒルシュスプルング病が合併したものを、ハダッド症候群と呼ぶ。頻度はおおよそ十六から二十パーセントほどとされる。腸管の壁のなかにあるはずの神経節細胞が欠けているせいで、腸が蠕動しない。便が進まず、生後間もなくお腹がぱんぱんに張って、胎便が出ない。手術で神経のない部分を切除することになる。呼吸で人工呼吸器、腸で開腹手術、これが生後数週間のうちに立て続けに来る。
神経堤細胞という同じ起源の細胞群が、呼吸中枢と腸の神経の両方を作っているから、こういう組み合わせが起きるわけだ。理屈としては筋が通っているが、生まれたばかりの子とその親にとっては理屈もなにもあったものではない。
神経芽腫という、もうひとつの見張り
神経堤細胞が関わる以上、そこから発生する腫瘍のリスクもついてくる。CCHS全体では、神経堤由来の腫瘍が五から六パーセント程度に見られると報告されている。前述の通りNPARMではその割合が跳ね上がり、PARMでもアラニンの伸長が特に長いタイプでは無視できないリスクがあるとされる。だから胸やお腹の画像検査を定期的に行う。呼吸の管理、心臓の管理、腸の管理、そして腫瘍の監視。
CCHSの子を診るというのは、複数科をまたいだ長期戦になる。一つの遺伝子が壊れただけで、これだけ多方面の見張りが必要になる。逆に言えば、PHOX2Bという遺伝子が体のなかでどれだけ広い範囲を仕切っていたか、ということでもある。
人工呼吸器と暮らすということ
治療は今のところ対症的で、根治する方法はない。壊れた自動呼吸を機械で肩代わりする、という一点に尽きる。乳幼児期は気管切開をして陽圧式の人工呼吸器につなぐのが基本だ。成長して状態が安定してくると、鼻マスクなどを使う非侵襲的な換気に移れる人もいる。重い人は起きているあいだも補助が要る。軽い人は眠るときだけでいい。この差は前述の遺伝子型とかなり相関する。
ポイントは、機械が生活の邪魔者ではなく前提になるということだ。修学旅行にも、飛行機にも、災害時にも、機械と電源をどう確保するかがついて回る。バッテリー、予備回路、停電対策。家族の生活設計が、そのまま危機管理計画になる。
横隔膜ペーシング――神経を直接つついて息をさせる
もう一つの選択肢が横隔膜ペーシングだ。横隔膜を動かす横隔神経に電極を植え込み、外から電波で刺激して横隔膜を収縮させる。要するに、呼吸のリズムを電気で作ってやる装置だ。体の外には送信機とアンテナがあり、それを身につけて過ごす。歩ける子にとっては革命的で、人工呼吸器の回路を引きずらずに動けるようになる。話し続けられる時間も伸びる。日本では二〇一九年に保険適用になった。ただし万能ではない。
気管切開のカニューレを完全に外せるとは限らないし、装置の不具合や電極の劣化もある。それでも、機械につながれている時間を減らせるかどうかは、当事者にとって生活の質を左右する大問題だ。
証言① 二十九歳、背中に一・四キロの呼吸を背負う男
アメリカ西海岸で金融アナリストとして働くジム・ハリソンは、生後十七か月でCCHSと診断された。幼児期から横隔膜ペーシングを使っていて、背負っているのは約三ポンド、日本の感覚でいえば一・四キロほどのバッテリー付き送信機だ。そこから信号が飛んで、横隔神経に植え込まれた電極を刺激する。設定は毎分二十二回。つまり彼の呼吸のテンポは、装置の設定値としてそこに書いてある。眠るときは人工呼吸器に切り替える。
十一歳のときにペーサーが故障し、ロサンゼルスの小児病院で入れ替え手術を受けた。長年の主治医は呼吸器内科のトーマス・キーンズ医師、看護のマネジメントはシーラ・クン看護師が担ってきた。彼はハイキングもマウンテンバイクもスキムボードもやる。ただし持久走のような長い有酸素運動はせず、二十分程度の短い運動を区切って行う。運動中は自分の呼吸に意識を向け続けなければならないからだ。
そこから集中を切らすわけにはいかない、と彼は言っている。二〇一六年十一月、彼はブリタニーと結婚した。式には主治医たちも列席したという。
証言② 三歳で植え込んだ少女が、十三年後に語ったこと
イギリスのエミリーは、三歳だった二〇〇一年に横隔膜ペーサーを植え込んだ。手術はブリストルの小児専門病院で行われた。それまでの彼女は機械式の人工呼吸器に常時つながれていて、一息でしゃべれる長さも、動ける範囲も、回路の届く距離に縛られていた。装置が入って横隔膜が動きはじめたときの感覚を、彼女はのちに、腹筋運動をしているみたいだった、と表現している。医学的な用語でもなんでもない、十代の言葉だ。
だがおそらく一番正確な描写でもある。ペーシングを始めてからの彼女は、スポーツをやり、乗馬をし、泳ぎ、途切れずに長く話せるようになった。装置は服の下に収まって目立たず、生活を大きく壊さない、とも語っている。二〇一四年九月十三日、イングランドのコヴェントリーで開かれたCCHSの患者・家族の集まりで、彼女は自分の経験を話した。三歳のときに親が決めた手術について、成長した本人が公の場で語る。
この構図そのものが、この病気の時間の流れ方を示している気がする。
証言③ 「起きてるときは普通の男の子なんです」
アメリカ東部に住むルーク少年の家族の話も印象に残る。両親はベッキーとクリス。ルークには年上の兄が二人いる。母のベッキーは、出産した瞬間に医師たちが何かがおかしいと気づいた、と振り返っている。ルークは生後四週間で気管切開を受け、眠るときに呼吸が止まらないよう人工呼吸器につながれるようになった。
父のクリスの説明がとにかく的確で、起きているときのルークは普通の小さな男の子だが、眠ると呼吸のシステムまで一緒に眠ってしまう、というものだ。この一文でこの病気の説明はほぼ足りている。一家には一日十六時間、複数の訪問看護師が入っている。ルークが眠っているあいだ、看護師が気管切開部と人工呼吸器とバイタルを見張る。
起きているあいだはカニューレに蓋をして、公園に行き、ヒーローごっこをし、兄たちに必死についていく。母は、ルークがきちんとケアされているとわかっているから、ほかの二人の子どもにも向き合える、と話している。難病の家庭の日常は、悲壮な決意ではなく、こういう配分の工夫でできている。
「眠るのが怖い」という言葉の重さ
当事者や家族の語りのなかで、繰り返し出てくるのが眠ることへの恐怖だ。ただしその恐怖の中身は、外から想像するものと少し違う。患者本人は、低換気の最中に苦しさを感じない。だから「息ができなくて怖い」ではないんだよな。怖いのは、機械が外れていないか、アラームが鳴っても誰も気づかないんじゃないか、電源が落ちるんじゃないか、という周辺の話だ。そして親のほうは、もっと直接的に眠れない。
子どもが眠るたびに命のスイッチが他人任せになるのだから、当たり前といえば当たり前だ。実際、CCHSの子を持つ親の睡眠の質を調べた研究もあって、介護する側の睡眠障害が慢性化しやすいことが指摘されている。呪いという言葉を使うなら、それは眠る本人よりも、眠らせる側にかかっている面がある。
プールに入れない、という制約
生活上の制約でもっとも切ないもののひとつが、水だ。CCHSの人は、水中で息が続かなくなったときの窒息感を感知できない。普通の人が水に潜っていて「もう無理だ」と浮上するのは、二酸化炭素が溜まって体が悲鳴を上げるからだ。その悲鳴が鳴らない。だから、いつまでも潜っていられてしまう。専門家の指針では、水泳や潜水、息を止める遊びは強く避けるべきだとされている。
同じ理屈で、アルコールや鎮静作用のある薬も危険視される。呼吸を抑える方向に働くものは、体が代償してくれないからだ。子どもにとってプールに入れないというのは、かなり大きな喪失だと思う。ここも、外からは見えにくい部分だ。
大人になってから見つかる人たち
CCHSは生まれつきの病気だが、生まれた直後に見つかるとは限らない。アラニンの伸長が短いタイプ、二十四個や二十五個などでは、症状が軽く、子ども時代を無事に過ごしてしまう人がいる。それが、麻酔をかけられたあと、あるいは重い肺炎にかかったあと、あるいは睡眠時無呼吸を調べていて、初めて表に出てくる。遅発型と呼ばれるタイプだ。大人になってから診断がつくと、それまでの人生の説明がつくことがある。
妙に朝が弱かった、いつも頭が重かった、体育がどうしても続かなかった。それが全部、夜のあいだの低換気のせいだったと分かる。診断は救いでもあり、同時に、これから一生機械と付き合うという告知でもある。ちなみに遺伝形式は常染色体優性で、子どもへ受け継がれる確率は五割になる。
日本には何人いるのか
日本国内でも研究と登録が進んでいる。二〇二四年の報告では、国内で確定している患者はおよそ百五十人とされる。発症頻度は少なくとも十五万人に一人程度と見積もられていて、欧米で言われてきた五万人から二十万人に一人という幅の中に収まる。日本の疫学調査からは十四万八千人に一人という数字も出ている。
世界全体では、これまでに同定されたのは三千人ほどとされるが、推定発生率から逆算すると本来もっといるはずで、診断されずに埋もれた人がかなりいるとみられている。日本では指定難病であり、小児慢性特定疾病としても医療費助成の対象になっている。PHOX2B遺伝子検査については、長らく保険収載されていないという課題が指摘されてきた。
二〇〇八年、世田谷の母親五人から始まった会
日本の患者家族をつなぐ組織として、CCHSファミリー会がある。発足は二〇〇八年八月三十一日。東京都世田谷区に住む五人の母親が始めた任意団体だ。数少ない患者と家族が情報を共有し、疾患の認知度を上げ、治療法の確立につなげる、というのが掲げられている目的だ。希少疾患の患者会というのはたいていこの形で生まれる。同じ病気の子を持つ親が、どこにも情報がないことに苛立って、自分たちで作り始める。
会の資料では、国内の患者はおよそ百人、そのうち約六十五パーセントが中学生未満と説明されている。研究者側の把握している数と患者会側の把握している数に差があるのは、こういう希少疾患ではよくあることで、どちらが間違っているという話ではない。
大人になったCCHS患者を、誰が診るのか
いま日本でいちばん切実な課題は、移行期医療だと言われている。人工呼吸管理と在宅医療が発達したおかげで、かつては乳児期を越えられなかった患者が、当たり前に成人するようになった。ところが、CCHSを診てきたのは小児科医だ。大人になった患者を引き受ける成人科の医師で、この病気を実際に診た経験のある人はほとんどいない。
だから十五歳から十八歳ごろを目安に、小児科医が主担当を続けながら成人科の医師にも並行してかかってもらい、少しずつ引き継いでいく形が推奨されている。受け皿は呼吸器内科か神経内科で、循環器科の支援も要る。二〇二〇年には日本の小児呼吸器の学会が移行支援の指針をまとめた。医学の進歩が生んだ、幸せな種類の難題ではある。
なぜこの話はこんなに広まったのか
改めて考えると、この病気がネットで人気を保っている理由は三つに整理できる。ひとつは病名だ。オンディーヌの呪い、という語感の強さ。ふたつめは、設定の異常さ。眠ると死ぬ、という条件が、フィクションでしか見ないはずのものだからだ。みっつめは、当事者が苦しがらないという事実の不気味さ。もがき苦しんで力尽きるのではなく、静かに眠ったまま酸素が落ちていく。この静けさが、恐怖のトーンを一段引き上げている。
この三つが揃うと、人は必ず話を広める。逆に言えば、広まるときにいちばん抜け落ちるのは、当事者が今どうやって生きているかという部分だ。呪いの部分だけが残って、生活の部分は残らない。
ネットで転がっている誤解の数々
まとめて潰しておく。まず「ウンディーネが夫を呪って呼吸を止めた」は、フーケの原作にない。呪いの文句が出てくるのは二十世紀のジロドゥ版で、しかもそれは「忘れる」という表現だ。次に「眠ると必ず死ぬ病気」も違う。適切な換気補助を受けていれば眠れるし、成人して働き、結婚している人がいる。「呼吸だけの病気」も不正確で、実際は自律神経が広く関わる。
「睡眠時無呼吸症候群の重いやつ」というのも間違いで、閉塞性の睡眠時無呼吸とは仕組みがまったく違う。気道が塞がるのではなく、指令が来ないのだ。「乳幼児突然死症候群と同じ」もよく見るが、これも別物とされている。最後に「原因不明の奇病」というフレーズ。二〇〇三年以降、原因遺伝子ははっきりしている。
「呪い」という言葉を、当事者はどう扱っているか
面白いのは、当事者コミュニティがこの呼び名を全否定しているわけではない、という点だ。医学的な文書ではCCHSと書き、外向けに説明するときはオンディーヌの呪いという語を添える。名前が持つ喚起力を、認知度を上げるための道具として使っている面がある。希少疾患にとって、覚えてもらえないことは資金も研究者も集まらないことを意味する。だから使えるものは使う。
ただし、その言葉が「本人が何か悪いことをした報い」という含みを帯びる瞬間には、はっきり線を引く必要がある。呪いをかけられた人など一人もいない。壊れたのは遺伝子の一区画で、それは誰の落ち度でもない。ここを曖昧にしないまま、名前の強さだけを借りる。そういう使い方が、いまのところ落としどころになっているように見える。
三つの物語が、一語で無理やり接続されている
ここまでの流れを、もう一段引いた位置から整理しておきたい。この話には、実のところ三つの別々の物語が絡まっている。第一に、十六世紀から二十世紀にかけてヨーロッパで変形し続けた水の精の伝説。第二に、一九六二年に麻酔科医が付けた通称と、その後の医学的な批判の歴史。第三に、一九七〇年から現在まで続く、生まれつき呼吸の自動運転を持たない人たちの実生活。
この三つはそれぞれ独立した歴史を持っていて、たまたま「オンディーヌの呪い」という一語で接続されているにすぎない。ネットでこの話題が消費されるとき、ほぼ必ず第一と第二だけが残り、第三が落ちる。落ちる理由もわかる。伝説は短くまとめられるが、生活はまとめられないからだ。バッテリーの持ち時間や訪問看護の枠や修学旅行の付き添いの話は、驚きの物語には入らない。だがこの病気の本体は、間違いなくそちらにある。
伝説の変形過程を、もう一度きちんと押さえておく価値もある。パラケルススが四元素の精霊を整理し、水の精にウンディーネという名を与えた。フーケが一八一一年に、魂を求める水の精と裏切る騎士の物語を書いた。原作では、ウンディーネは掟に従って夫のもとへ行き、泣きながら抱きしめ、彼はその腕のなかで息絶える。呪いの宣告はない。条件付きの罰でもない。
ジロドゥが二十世紀に舞台化したとき、騎士の口から「気を抜けば、聞くことも息をすることも忘れてしまう」という趣旨の台詞が出てきた。ここで初めて、意識と呼吸が結びついた。そして一九六二年、セヴェリンハウスとミッチェルがこの台詞を、脊髄手術後に眠ると呼吸が止まった三人の患者に重ねた。つまり医学が引用したのは、原典から二段階離れた、二十世紀の劇作家による解釈だ。
伝言ゲームの終着点が学術用語として定着し、以後六十年以上にわたって、原典を読んだ人が訂正記事を書き続けている。この構図自体が、名前というものの厄介さをよく表している。
五十年で、致死的な奇病から慢性疾患へ
医学の側の進歩を時系列で並べ直すと、この病気は驚くほど短期間で姿を変えた。一九七〇年に先天例が記載された時点では、原因不明で、確実な診断法もなく、乳児期を越えられない子が多かった。八十年代から九十年代にかけて在宅人工呼吸の技術が普及し、家で暮らせる子が増えた。二〇〇三年にPHOX2Bが同定され、翌年から血液での確定診断が可能になった。
同時に、アラニンの反復数という数値で重症度と合併症リスクを事前に見積もれるようになった。これは希少疾患としては異例に恵まれた展開で、原因遺伝子が単一で、しかも変異の型と表現型がきれいに対応してくれた。おかげで、心臓の洞停止をどれくらい警戒するか、神経芽腫の画像検査をどの頻度で入れるか、日中も換気が必要になりそうか、といった判断を、症状が出る前に立てられる。
そして二〇一九年には日本でも横隔膜ペーシングが保険適用となり、機械につながれる時間を減らす選択肢が現実的になった。五十年で、致死的な原因不明の疾患から、遺伝子型に応じて長期計画を立てる慢性疾患へと移った、と言っていい。
それでも残っている課題は、はっきりしている。第一に、診断されていない人が相当数いること。推定発生率から逆算される数と、実際に同定されている数のあいだには大きな開きがある。とくに遅発型は、大人になるまで気づかれないまま過ごし、麻酔や重症肺炎をきっかけに危険な状況に陥る。第二に、成人期の受け皿の不足。
日本でも、この病気を診た経験のある成人科医はごく限られていて、小児科から成人科へ渡す作業が個別の努力に委ねられている。第三に、家族の負担。夜通しアラームに備える生活が何年も続けば、介護する側の睡眠と健康が削られていく。訪問看護の枠、レスパイト先、災害時の電源確保。医学論文には書かれにくいが、生活を支えているのはこの部分だ。第四に、遺伝子検査の費用と体制。
確定診断が病気の管理方針を丸ごと左右するのだから、ここへのアクセスは本来もっと軽くあるべきだろう。
一行で完成してしまう話の、その先
ネット上でのこの話題の消え方と残り方も、少し分析しておきたい。オンディーヌの呪いは、いわゆる怖い話系のまとめでも、雑学系の動画でも、定期的に浮上してくる息の長いネタだ。理由は単純で、要約が一行で済むからだ。眠ると呼吸を忘れる病気がある。これだけで完成してしまう。逆に言うと、一行で完成してしまうがゆえに、そこから先が付け足されない。
原因遺伝子の名前も、アラニンの反復数も、横隔膜ペーシングも、患者会の存在も、一行の外側にあるから流通しない。結果として、二〇〇三年に原因が判明したあとも「原因不明の奇病」という説明が延々とコピーされ続ける。この現象自体は、この病気に限った話ではない。医学の進歩は毎年更新されるのに、ネット上の紹介文は最初に定着したバージョンのまま固定される。
だから、こういう題材を扱う側が意識的に更新をかけていくしかない。ちなみに、伝説側の記述も同じ理由で固定されている。フーケの原作に呪いの場面がないという指摘は、少なくとも数十年前から専門家が繰り返しているのに、いまだにほとんど反映されていない。医学の情報も文学の情報も、同じように古いまま回っているわけだ。
そして最後に、この題材を扱うときの姿勢の話をしておきたい。眠ると呼吸が止まる、という一行はあまりに強い。だからどうしても、当事者が「不思議な体を持つ人」として消費されやすい。
だが実際にそこにいるのは、装置の設定値が毎分二十二回だと知っている二十九歳の会社員であり、腹筋運動みたいだったと自分の手術を語る若い女性であり、起きているあいだはヒーローごっこに忙しい三歳児であり、その横で夜通しモニターを見ている親たちだ。彼らが向き合っているのは呪いではなく、バッテリー残量と、電源と、進学と就職と、誰が自分を診てくれるのかという現実的な問題だ。
伝説の名前を入り口にするのは構わないと思う。実際、その名前がなければこの病気の存在を知らないままだった人は多いはずだ。ただ、入り口をくぐったあとに何を見るかは選べる。水の精の物語で止まるのか、いま機械と一緒に眠っている人たちの生活まで見るのか。この記事はできるだけ後者に寄せたつもりだ。なお繰り返しになるが、ここに書いた医学的な内容は読み物としての整理であって、診断や治療の判断に使うものではない。
気になる症状があるなら、この記事を閉じて医療機関に行ってほしい。それが、この病気について書かれた文章がいちばん役に立つ瞬間だと思う。
