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しゃっくりを百回すると死ぬ、と言われてきた俗信を、仕組みと記録から見る

夕飯の途中で、ヒックと鳴った。ヒック。一回目は誰も気にしないが、二回目で少し身構えて、三回目あたりから頭のどこかが静かに数え始める。そのとき、子どものころに聞いたひとつの言い伝えが顔を出した。しゃっくりを百回すると死ぬ、という一行だ。

俗信とは、科学的な裏づけのないまま民間で信じられてきた言い伝えを指す。この一行はかなり知られていて、聞いたことのない人のほうが少ないと思う。ところが、誰がいつ言い出したのかは分からない。出どころのはっきりした古い記録は、こちらの調べでは見当たらなかった。

出どころの知れない言葉が、長いあいだ口から口へ渡ってきたので、ここではその一行を材料にして話を進める。しゃっくりは体の中で何が起きている現象なのか、長く続いた記録は残っているのか、昔から伝わる止め方は何をしているのか。順番に拾っていく。最初の入口は、百という数字。

百という数字は、数えるために置かれたのではなかった

最初に、百という数に目を向ける。日本語には、百のつく言葉がやたらと多い。百物語は怪談を百話語り終えると何かが起きる遊びで、お百度参りは同じ社寺の境内を百回往復して祈る習わしだった。

百人一首は、百人の歌人から一首ずつ選んだ歌集だ。百発百中という四字熟語もあるし、長く続く咳に百日咳という名前が付いた例まである。どれも、きっちり百を数えて決めた数字とは限らない。

たくさん、という気分を言い表すとき、百がちょうどいい置き場所になった。数えるには骨が折れるし、満ちた感じもする。そういう手触りの数字。

しゃっくりの俗信を解説したページのひとつは、この百を、数えきれないほどたくさんという意味で使われた数字と読んでいた。正確な回数を指した話ではない、という見方になる。同じページは、昔の暮らしにも触れている。

医療を受けにくかった時代には、死因がはっきりしないまま亡くなる人が多かった。しゃっくりがたくさん出たあとに亡くなった人がいて、しゃっくりが続いたから死んだと受け取られたという。そう筋を立てて説明する。

別のページは、もう少し具体的に書いていた。食道の癌や脳腫瘍のような重い病気の患者は、横隔膜や神経が圧迫されて、しゃっくりが止まらなくなる場合がある。その患者がまもなく亡くなると、しゃっくりが続いた直後に死んだ、という印象だけが強く残る。それが言い伝えになった、という読みだった。

どちらも、ありそうな話ではある。ただ、この筋書きを裏づける古い記録は、こちらの調べでは確認できなかった。だから、出どころは分からない、という所で一度止めておく。それでいい。

八百万も千羽も、本当は数えていない

大きな数でたくさんを言う癖は、百だけの話ではなかった。八百万の神という言い方は、数えきれないほど多くの神々がいることを指す。千羽鶴は千羽を折って願いを込める習わしで、万事や万人のように、万の字がすべてを意味する言葉もある。

百物語は、行灯に百本の灯心を立て、一話終えるごとに一本ずつ消していく形で伝わった。最後の一本が消えたとき、何かが現れる。そう語られてきた。お百度参りも、百度石という石を目印にして、境内を行き来しながら数を積んでいく。

百物語には、九十九話で語りを止めて夜明けを待つ、という作法も伝わる。百話目まで語りきると本当に怪異が起きてしまう、という理屈だ。百は、物事が満ちて向こう側へ切り替わる数として扱われてきた。

どれも数が増えるほど儀式が重くなり、決まった数に達するという形が、話を印象深くする仕掛けになっていた。しゃっくりの俗信も、この型の中にいる。百回に達したら終わりが来る。数える作業と不安が、ぴたりと結びつくわけだ。

「ヒック」の一回は、体の中でこう起きている

しゃっくりは、医学では吃逆と書いて、きつぎゃくと読む。吃の字は吃音の吃と同じで、声がつかえることを表す。字面は堅苦しいが、中身は体のごく普通の反応にすぎない。胸とお腹の境目には、横隔膜という大きな筋肉の膜が張っている。

ふだんの横隔膜はドームのように盛り上がっていて、息を吸うときに平らに下がり、肺が広がる。呼吸の主役とも呼べる筋肉。しゃっくりの瞬間には、これが自分の意思と関係なく、いきなり縮む。

ほとんど同時に、左右の声帯のあいだの隙間が、ぱちんと閉じる。吸い込まれかけた空気が閉じた隙間にぶつかって、あの音になった。解説のひとつは、この動きが一定の間隔で繰り返される現象だと定義している。

筋肉が勝手にぴくりと動く現象の総称を、ミオクローヌスと呼ぶ。しゃっくりは、その仲間に入る。眠りに入る瞬間に体がびくりと跳ねるのも、同じ仲間として知られる動きで、誰の体にも起きる小さな痙攣だ。

音から名前が付いた、という説明も見つかった。ヒックという音から連想されて、しゃっくりという言葉ができたらしい。つまり、百回目のヒックも一回目のヒックも、仕組みは全く同じだ。回数が増えるたびに何かが溜まって致命的になる、という作りにはなっていない。

反射の通り道は、喉から脳の奥まで延びている

しゃっくりは、体の中に決まった通り道を持つ反射だった。刺激が入り、脳の奥で受け取られ、横隔膜へ指令が戻ってくる。ただの反射。医療機関の解説は、延髄にある吃逆中枢が刺激されて横隔膜の不随意な収縮が起きる、と説明していた。

延髄は、首のつけ根のすぐ上に位置している。呼吸や心拍を支える、命の土台に近い場所。刺激を運ぶ道には、舌咽神経や迷走神経が関わる。迷走神経は、脳から首、胸、お腹の奥まで長く延びる神経で、飲み物や食べ物の通る道の感覚を拾っている。

横隔膜へ指令を届ける役は、横隔神経が受け持つ。医療機関の解説は、横隔神経の障害でも横隔膜の不随意な収縮が起きる、と書いていた。反射の入口だけでなく、出口の神経に異変が起きても、しゃっくりは顔を出す。通り道のどこが乱れても、結果は同じヒックになるわけだ。

この通り道のどこかが引っぱられると、しゃっくりが始まる。逆に言えば、止め方の多くは、通り道のどこかを別の刺激で上書きしようとする工夫だ。

きっかけの刺激は、案外身近な物ばかりだった。炭酸飲料、熱い食べ物、煙草、鼻水、会話、ストレス。食事の途中で何かが詰まったときにも出る。たいていは、はっきりした理由が見つからないまま始まる。

多くのしゃっくりは、数分から数十分で自然に止まる。生理的なしゃっくりは、5分から10分ほど続く傾向があると解説されていた。誰もが何度も経験して、そのたびに終わってきた現象。

おなかの中の赤ちゃんも、しゃっくりをしている

しゃっくりは、大人だけの現象ではない。赤ちゃんは、お腹のなかにいるときからしゃっくりをしている。胎児の動きを調べた医学論文があり、超音波の画像で観察されて、研究の対象にもなってきた。それほど古い付き合い。

子どもがよくしゃっくりをする理由として、ある解説は、横隔膜などの器官がまだ未熟だからと説明していた。成長するにつれて、回数は減っていく。食事をしたり遊んだりしているうちに、気がつくと止まっている。ほとんどの子どもが、そうやって終わらせてきた。

まだ肺で息をしていない時期から、体はこの動きを備えている。病気の兆しというより、人の体に最初から組み込まれた動きに近い。何のために残っているのか、理由ははっきりしていない。

人は誰でも生まれる前からしゃっくりを知っていて、その長い付き合いの中で百回を超えた人は数えきれないほどいる。そして大半は、何事もなく日常へ戻った。百回で死ぬ言い伝えが本当なら、人間はとっくに地上から消えている。そうはなっていない。

死の言葉がつく俗信は、ほかにもある

夜に爪を切ると、親の死に目に会えない。霊柩車を見たら、親指を隠す。子どものころにこういう言い伝えを聞いた人は、けっこういるはずだ。どちらにも、死という言葉が顔を出す。

理由を説明する筋は付いていても、本当にそうなった確かな記録を、こちらは確認できていない。効き目を確かめた人はいなかった。それでも言い伝えは、やめる理由も見つからないまま、人から人へ手渡されてきた。

しゃっくりの俗信も、この仲間に入る。ただ、爪や霊柩車と違って、しゃっくりは自分で選んで出すものではない。出てしまったものは、自分では止められない。だから、怖がり方が少しだけ違う。

検索欄には、いまも同じ問いが並んでいる

この言い伝えは、昔話として消えたわけではなかった。しゃっくりについて調べてみると、百回で死ぬという一行を題名にまで掲げたページが、いくつも見つかる。健康にまつわる都市伝説を追うニュースサイトの連載にも、百回で死亡説は本当か、という回があった。

子どものしゃっくりを心配する保護者に向けて、百回したらどうなるのかを解説したページもある。葬儀に関するサイトまでが、止まらないと死亡するのは本当か、迷信と本当の危険サインをどう見分けるか、という記事を載せていた。

それだけ多くの媒体が同じ疑問に答えようとしているのは、裏を返せば、この疑問を抱く人が、いつの時代にも絶えなかったということだ。

どのページも、結論は同じ方向を向いていた。百回で死ぬという話に根拠はない。気をつけるべきは、長く続くしゃっくりの裏にある病気のほうだ。言い伝えは古いまま、答えだけが新しくなっていった。

子どものしゃっくりを扱ったページは、止まらないことで人が死ぬことはなく、ただの迷信だと言い切っていた。そのうえで、48時間以上続くときは医師への相談を勧めている。迷信を打ち消す言葉と、病気に目を配る言葉が、ひとつの記事に並んでいたのだ。

百回の算数

ここで少し数字を動かして、百回のしゃっくりにどのくらいの時間がかかるのかを見てみる。仮に、1分間に10回のしゃっくりが出るとする。これは、こちらが置いた仮の数字。この速さなら、百回に届くまで10分かかる。意外と悠長な話。

生理的なしゃっくりは5分から10分ほど続く傾向があるから、10回のペースで10分続けば、百回に達する。数え続ける人は少なく、途中で諦めるか、数える前に止まってしまう。

もっと速い例もある。のちに紹介する長い記録の持ち主は、最初のころ1分間に40回のペースで続けていた。40回なら1.5秒に1回で、百回は3分と少しで到達する。20回に落ちても、3秒に1回のリズムで、5分あれば百回になる。

1分間に10回のペースで1時間続けば、600回になる。1日続くと14,400回。48時間なら、28,800回に達する。百回の288倍。百回という数字が、いかに小さいかが分かる。

しゃっくりの間隔はほぼ一定に刻まれるので、時計を見ながら数えれば、百回に届く時刻まで読めてしまう。規則正しい現象だから、数える人の不安も具体的になる。

百という数は、ふつうの人がふつうに出会うしゃっくりで、いつでも跨げる程度の数だった。跨いだ人の全員が死んでいたら、この俗信は伝わる前に、語る人がいなくなっている。

しゃっくりは、四十八時間を超えると医者の目が変わる

しゃっくりを全く心配しなくていい、という話ではない。長く続く場合の扱いは、医学の側がきちんと別に決めている。48時間以上続くしゃっくりを、数分で止まる普通のものとは分けて考える。解説によって呼び名は揺れていて、持続性と呼ぶものもあれば、難治性と呼ぶものもある。同じ現象でも、数分で止まるか二日を超えて居座るかで、医師の見る場所が変わる。

1か月以上続くものを難治性と呼んで、さらに区別する解説もあった。呼び方は違っても、48時間という線は、どの解説でも大事な目印として扱われている。

原因として挙がっていたのは、脳血管障害、脳腫瘍、脳炎や髄膜炎、末期の癌、電解質の異常、ステロイドなどの薬剤だ。しゃっくりの通り道である延髄や神経が、病気で刺激され続けている状態が考えられる。

別の解説は、逆流性食道炎、腎臓病、延髄の梗塞も原因に挙げていた。肺炎のような熱の出る病気や、肝臓、膵臓、胆嚢の炎症や腫瘍が関わる、と書く医師もいる。まれに、心筋梗塞のただひとつの症状として現れる場合もあるという。

怖いのは、しゃっくりの回数ではない。しゃっくりを起こし続けている何かのほう。体の奥の異変が、しゃっくりという形で表に出てくる。医学は、そのことをよく知っている。ある解説は、危険な兆しとして、強い頭痛やめまい、嘔吐や胸やけの繰り返し、急な体重の減少、手足のしびれや麻痺を並べていた。

医師の言葉を紹介した記事は、しゃっくりだけで死ぬことは、よほどのことがない限りありえない、と伝えていた。同じ記事は、飲み込みにくさ、物が二重に見える、呂律が回らないといった症状が重なるとき、脳梗塞や脳腫瘍が隠れている場合があると書いている。

死に近づくのは、しゃっくりのせいではない。背後にいる病気のほう。俗信の言葉を医学の言葉へ置き換えると、そうなる。

紙袋、水、驚かし、耳の穴

しゃっくりの止め方は、家庭ごとにずいぶん違う。それでも並べてみると、似た筋に分かれてくる。水を一杯、息を止める、不意打ち。誰でも一度は試したことのある、定番の三つ。

水を飲む動きは、喉と食道をまとめて動かす。この動きが、通り道を流れる刺激の向きを変える、と説明される。息を止める方法は、体内の二酸化炭素を増やして、横隔膜の動きを変える狙いだ。

紙袋を口に当てて息を繰り返す方法も同じ筋にあり、吐いた息を吸い直して、血中の二酸化炭素の濃度を上げる。腹式呼吸で、横隔膜を縮めたまま保つ方法も知られていた。

舌を引っぱる、酢を一口、砂糖をスプーンで一杯。どれも民間の方法として紹介されてきた。両手の指で耳の穴を30秒から60秒ほど押さえる方法は、迷走神経を刺激する狙いだと説明されている。膝を胸に引きつける方法や、冷たい水を飲む方法を、子ども向けの解説に並べたページもあった。

驚かされると止まる、という話は広く知られる。ただ、この方法だけは、なぜ止まるのかを筋道立てて説明した資料を、こちらでは見つけられなかった。意識が別の所へ逸れるからかもしれない。その程度の推測に留めておく。確かめようがない。

どの方法にも共通するのは、通り道のどこかに、別の刺激を割り込ませることだった。効く人もいれば、効かない人もいる。驚かせて止める方法を試した医師は、心臓の悪い人には向かない、と書き添えていた。効き目を保証する立場ではないので、仕組みの説明だけを記録しておく。

柿のヘタを煮出す土瓶

民間の止め方の中に、少し毛色の違うものがある。柿のヘタ。漢方には、柿蒂湯という処方がある。読みは、していとう。材料は、柿のヘタ、生姜、丁子の3つだけで、土瓶に入れて煮出し、温かいうちに飲む。

漢方の考え方では、しゃっくりは、気のかたまりが逆に上へ昇ってしまった状態にあたる。柿のヘタは、その気のかたまりを引き下ろして止める。そう説明され、しゃっくりの特効薬として知られてきた処方だ。内科の医師の解説にも、民間療法として柿のヘタを煎じたものの効果が報告されている、という一文があった。

ある薬局のコラムには、病院の近くの店に、入院患者の世話をする看護婦が柿のヘタを買いに来ていた、と書いてあった。薬局の店先で、そういう買い物が成り立っていたわけだ。

柿は秋の果物で、ヘタは、ふだんなら捨ててしまう部分になる。そこに薬としての使い道がついていた。柿の葉はお茶になり、果肉は肺を潤して秋の空咳に良いと語られる。木ぜんぶに、使い途があった。

土瓶で静かに煮立つヘタの話は、民間療法というより、暮らしの道具に近い。柿のヘタを使う処方は、土瓶ひとつで作れるほど簡素で、材料が3つしかない。漢方の説明は、医学の仕組みとは別の体系だ。どちらが正しいかを争う場所ではない。しゃっくりという現象に、昔の人が別の物差しを当てていた記録として読む。

百回で死ぬ、と言われた理由は、数字の外にある

もう一度、百という数字の話。百回数えられるしゃっくりは、そのとき確かに続いている。止まらない、という不安は、数えるたびに少しずつ育った。九十七、九十八、九十九。百回目。

しゃっくりは体が勝手に動く現象で、自分で止めようとしても止まらない。意思で動かせない動きが続くとき、人は怖くなる。胸のあたりが跳ね続けるのだから、心臓に悪そうだ、と感じるのも無理はなかった。

そこへ百回という切りのいい数字が付くと、決まった回数に達したら何かが起きるという形は、覚えやすく伝えやすい。百物語も、お百度参りも、同じ形をしていた。

百回目は、来る。来ても、何も起きない。

実際には百回を数えたあとも体は何も変わらず、数えていた人は、ほっとして数えるのをやめる。止まったしゃっくりの話は、あまり語られない。語られるのは、止まらなかったかもしれない夜のほうだ。

百回数えるあいだ、横隔膜はいつもと同じ仕事を繰り返しているだけで、数字が増えても、体の中の出来事は一回目と何も変わらない。変わるのは、数えている人の心のほうだ。仮に3秒おきなら、百回目までの5分間、不安は一定の速さで膨らみ続ける。

しゃっくりを百回すると死ぬ。この一行には、医学の記録にも、確かな古い文献にも、根拠が見つからなかった。見つかったのは、ありふれた反射と、百という数字の使われ方だけだ。

食卓でヒックと鳴ったとき、横隔膜は、いつもの通りに縮んでいる。声帯の隙間も、いつもの通りに閉じている。数え始めた人の指が、膝の上で小さく動いた。

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