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まばたき二十万回で書かれた本――意識だけが残る「閉じ込め症候群」、その内側で起きていること

朝、目が覚める。天井が見える。蛍光灯のカバーに小さな虫の影が溜まっているのも見える。誰かが廊下を歩いてくる音がする。看護師が二人、何か笑いながら話しており、においもわかる。

消毒薬と、朝食のスープの、あの薄い湯気のにおい。さて、起きるか。そう思って、体に命令を出す。出す。出す。

何も起きない。指が動かない。首が回らない。声が出ない。口を開けることもできない。

呼吸すら自分でやっていない。喉に入った管の向こうで、機械が規則正しく空気を送り込んでいる。頭のなかでは「おい」と叫んでおり、全力で叫んでいる。だが空気は震えない。世界は完全に無音のまま、あなたの叫びを一ミリも受け取らない。

動くものが一つだけあり、まぶただ。これが閉じ込め症候群だ。日本語ではそのまま「閉じ込め症候群」、英語圏の呼び名をカタカナにすればロックトイン・シンドローム。脳のなかの、たった数センチの領域が壊れただけで、人間はここまで完全に外界から切断される。意識は残る。

知能も残る。記憶も、感情も、痛みも、かゆみも、全部残る。残らないのは、出口だけだ。

首から下ではなく、脳から下が切れる

まず場所の話をさせてほしい。ここを押さえないと、この病態の異様さが伝わらない。脳幹というのは、大脳の下にぶら下がった親指くらいの太さの柱で、上から中脳、橋、延髄と並んでいる。真ん中の「橋」というやつが今回の主役だ。名前の通り、大脳から下りてくる線維の束が、ここを橋のように渡って脊髄へ向かう。

運動の指令はここを通る。表情を作る指令も、しゃべる指令も、飲み込む指令も、全部ここを通る。日本の脳科学辞典の記述にもある通り、橋の腹側部、つまり前寄りの部分には、随意運動を担う錐体路と、発話を担う皮質延髄路が密集して走っている。ここが一気にやられると何が起きるか。指令の通り道が断たれる。

だが、指令を出す側の大脳はまったく無傷だ。同時に、意識を保つ上行性網様体賦活系も、感覚を上げる脊髄視床路も、橋の背側、つまり後ろ寄りを通っているので、これも無傷で残る。つまり、考える装置は生きており、感じる装置も生きている。命令を送る回線だけが焼き切れている。医学の教科書はこの状態を、脳と体の「遠心路が切り離された状態」と呼ぶ。

感覚を運ぶ求心路は生きたまま、運動を運ぶ遠心路だけが死ぬ。入力は通る。出力は通らない。じゃあなぜまぶたと眼球の上下運動だけが残るのか。ここが気味の悪いほど精妙なところで、まぶたを上げる筋肉と、眼球を上下に動かす筋肉を支配する神経の核は、橋より一段上の中脳にある。

梗塞が橋で止まってくれると、この中脳の核だけが助かる。左右に眼を振る神経の核は橋にあるので、そっちは死ぬ。だから典型的な患者は、横は見られないが、上下には見られる。そしてまばたきができる。この「上下だけ」というのが、後の話に効いてくる。

人類がこの病気の当事者と会話する回線は、その一本しかないからだ。原因の圧倒的多数は脳底動脈という太い血管が詰まることによる橋の梗塞だ。海外の臨床レビューをまとめた統計では、閉じ込め症候群の八割半ほどが出血か梗塞、つまり血管系の事故で起きている。次に多いのが外傷。首をひねった拍子に椎骨動脈が裂けて、そこから血栓が飛ぶ。

あとは橋の腫瘍、脳炎、膿瘍。それから、これは怖い話だが、低ナトリウム血症を急いで補正しすぎたときに起こる浸透圧性脱髄症候群でも起きる。治療そのものが原因になるパターンだ。発症年齢の平均は四十代半ばあたりで、若い人にも普通に起こる。

名前がつく前から、人間はこれを知っていた

閉じ込め症候群という呼び名が医学用語として定着したのは、1966年だ。米国の神経学者フレッド・プラムとジェローム・ポズナーが書いた昏睡と意識障害の教科書のなかで、この状態に名前が与えられた。彼らはそれまでバラバラに報告されていた「意識があるのに動けない」症例群を一つの概念にまとめ、昏睡や植物状態からきっぱり切り離した。この教科書は版を重ねて、いまも神経内科の古典として生きている。

型の分類のほうは、それから十三年後の1979年に、バウアーらのグループが提案したものが今も使われている。古典型、不完全型、完全型。この三つだ。中身はあとで一つずつ扱う。ただ、「名前がついた」ことと「人類が気づいていた」ことは別だ。

医学が概念を作る百年以上前に、小説家がこれを完璧に描写している。アレクサンドル・デュマの『モンテ・クリスト伯』に、ノワルティエという老人が出てくる。脳卒中で全身が動かなくなり、口もきけない。デュマはこの人物をこう書き、生きた眼をもった死体だ、と。動くのは眼だけ。

しかも家族は彼と会話をする方法を編み出しており、「はい」のときは眼を閉じる。「いいえ」のときは何度もまばたきする。もっと複雑なことを伝えたいときは眼を天に向ける。誰を呼んでほしいかを示すときは、右眼を閉じるか左眼を閉じるかで人を指定する。孫娘が辞書と本を持ってきて、文字を順に指でなぞり、当たったところで老人が眼を閉じる。

そうやって一文字ずつ言葉を組み立てる。これは1844年の小説だ。医学が名前をつける百二十年以上前に、デュマは病態の本質も、コミュニケーション手段も、家族の役割も、全部言い当てている。おそらくデュマは、実際にそういう患者を見ている。面白いのは、この「生きた眼をもった死体」という一句が、いまだにこの病気を語るときの決定的な比喩として引用され続けていることだ。

当事者自身が自分を説明するときにこの言葉を借りることさえある。医学用語より小説家の一行のほうが正確、という気味の悪い逆転が起きている。

誰も、あなたが「いる」ことを知らない

閉じ込め症候群の本当の地獄は、麻痺そのものじゃない。麻痺は、まあ、耐えられる。耐えられないのは、周囲があなたを「いないもの」として扱う期間だ。医学レビューによれば、発症から正しく診断がつくまでの平均は二か月前後。四年かかった例も報告されており、二か月というのは平均だ。

中央値ではなく平均で二か月ということは、もっと長い人が普通にいるという意味になる。その二か月、当事者に何が起きているか。全部聞こえており、ベッドサイドで医師が家族に説明する。この方は残念ながら意識が戻る見込みはありません。装置を外すという選択もあります。

家族が泣く。誰かが「もう楽にしてあげたほうが」と言う。誰かが「まだ待とう」と言う。相続の話をする親戚がいることもある。看護師が二人で、あなたの体をひっくり返しながら、昨日の合コンの話をする。

ぜんぶ、あなたの耳に入ってくる。あなたは全力で叫んでおり、叫んでいるつもりだ。何も出ない。米国のリチャード・マーシュという元警察官が、2009年に脳幹梗塞でこの状態になった。集中治療室で目を覚ましたとき、動かせるのは眼だけで、そこへ医師が来て、妻のリリに告げた。

生存率は二パーセントです。生き延びたとしても植物状態でしょう。装置を切ることも検討してください。マーシュは後にこう語っている。会話が全部聞こえていた、頭のなかでは「やめろ」と絶叫していた、と。

彼を救ったのは、三日目に来た一人の医師が「もしかして」と思ってまばたきを試したことだった。ただそれだけだ。誰も試さなければ、彼は装置を切られていた。そして誰も、彼が最後まで意識のまま殺されたことに気づかず、マーシュは四か月後に自分の足で療養施設を歩いて出た。三年後には九割五分まで回復して、ほぼ普通の生活に戻っており、もう一人。

ジェイコブ・ヘンデルという米国の若い男性は、薬物依存が引き金になった中毒性の白質脳症で、脳と体の接続が失われた。半年間、生命維持装置につながれたまま完全に意識があったのだ。ある日、二人の看護師が彼のベッドの脇で、私生活のかなり際どい話をしていた。片方が「この人の前でこんな話やめようよ」と言い、もう片方がこう答えた。大丈夫、聞こえてないから、この人は脳死だから。

ヘンデルはその瞬間、頭のなかがパニックになったと言っている。自分は本当に死んでいるのか。いま体験しているこれは何なのか。生きている人間が「あなたは死んでいる」と断定されて、それに反論する手段が一切ないという状態を、想像してみてほしい。彼は「中身は前とまったく同じ自分のままだった」と言う。

半年後、医師が手首のわずかな動きに気づいた。そこから数週間で声が戻り、こういう話は、探すといくらでも出てくる。脳卒中で閉じ込め症候群になった若い女性は、鎮静下の集中治療室で、看護師が祖母にこう告げるのを聞いた。この人はもう二度と歩けません、閉じ込め症候群です。彼女はデュマの「生きた眼をもった死体」という言葉を引いて、あれは拷問だった、独房監禁だったと書いている。

そして、これはただの不運な事故ではなく、構造的な問題だ。集中治療の現場では、脳幹梗塞の患者に対して「意識レベルの評価」は当然行われる。だが評価の道具が、呼びかけへの反応、痛み刺激への逃避、指示への従命といった「運動の出力」に依存している。出力だけが死んでいる患者は、この物差しでは必ずゼロ点になる。物差しそのものが、この病気を見落とすようにできている。

一文字に十秒かかる会話

では、どうやって話すのか。古典的にして最強の方法が、ヨーロッパで長く使われてきた文字走査法だ。介助者がアルファベットを順に読み上げる。当たった文字のところで患者がまばたきする。それを繰り返して単語を作る。

原理は単純きわまりない。だが実際にやると、これが恐ろしく重い作業になる。工夫の余地はある。アルファベットを五十音順やアー・ベー・セー順に読むのは効率が悪いので、その言語での出現頻度順に並べ替える。フランス語ならイーの音の文字が最初に来る。

よく使う文字ほど早く当たるので、平均待ち時間が短くなる。この並べ替えを最初に持ち込んだのが、後で出てくるボービーの言語聴覚士だった。日本語の現場では、透明文字盤と口文字という二大方式が発達している。透明文字盤は、アクリル板に五十音を書いて、介助者がそれを患者の顔の前に掲げる。患者が見たい文字を見る。

介助者は板の反対側から患者の眼を見て、視線の先にある文字を読み取る。介助者と患者の眼と、目当ての文字が一直線に並んだところが答えだ。慣れた介助者と慣れた患者の組み合わせだと、これがかなりの速度になる。口文字はもっと渋い。患者が言いたい文字の母音の口の形だけを作る。

介助者がその口の形を見て、たとえば「ア段だな」と判断し、「あ、か、さ、た、な」と読み上げていく。当たったところで患者がまばたきする。日本のエーエルエス患者会がまとめた手引きには、実務的なコツがびっしり書かれている。濁点はまばたき二回、半濁点は三回。読み上げるリズムは一定に保つこと。

そして何より、先読みは厳禁。介助者が「あ、わかった、こう言いたいんでしょ」と先回りするのが、当事者にとっていちばん腹が立つらしい。あと、透明文字盤と違って板を持たなくていいので両手が空く。確定した文字をその場でメモに書けるのが強みだ、と手引きには書いてある。実に現場の知恵だ。

ここで大事なのは、この技術が「機械」ではなく「人と人の関係」だという点だ。同じ患者でも、介助者が変わると読み取り速度が三倍くらい変わる。ボービーは自分の口述に付き合った人々を観察して、クロスワードパズル好きと女性は上手い、せっかちな人間は絶望的に下手だ、という身も蓋もない結論を書き残している。

二十万回のまばたきで書かれた一冊

ジャン・ドミニック・ボービーの話をしよう。この病気について語るとき、彼を飛ばすことはできない。1995年12月8日、金曜日。フランスのファッション誌の編集長だった四十三歳のボービーは、息子を劇場に連れていくために車を運転していた。途中で異変が来たのだ。

脳底動脈が詰まった。彼はそのまま二十日間、意識を失ったのだ。目を覚ましたとき、動くのは左のまぶただけだった。右目は、乾いて角膜が傷つく危険があるという理由で、医師の手で縫い合わされた。彼はその処置を、自分の眼が針で閉じられていく様子を、内側から見ている。

何も言えないまま。彼が入院したのは、北フランスの海辺にあるベルク・シュル・メールの病院だった。窓から海が見える。彼はそこで、自分の状態を二つの比喩で捉え、一つは潜水服。古い時代の、鉛の靴と真鍮の兜がついた、あの重たいやつ。

体はその中に封じ込められて一ミリも動かない。もう一つは蝶。頭のなかだけは自由で、どこへでも飛んでいける。過去の記憶へ、料理の味へ、恋人の肌へ、行ったことのある街へ。彼は本を書くことに決めた。

言語聴覚士のサンドリーヌ・フィシューが、フランス語の文字を出現頻度順に並べ替えた表を作ったのだ。出版社が送り込んだクロード・マンディビルという女性が、毎日その表を読み上げた。ボービーが目当ての文字でまばたきする。一文字ずつ。単語一つに二分近くかかる。

マンディビルは一日三時間、週七日、これを二か月続けた。できあがった原稿は百三十ページ強。伝えられているところでは、この本を完成させるためにボービーが行ったまばたきは、およそ二十万回。彼は夜のあいだに翌日の文章を頭のなかで組み立て、暗記し、朝から吐き出していた。書き直しができないからだ。

全文が、一度も紙に書かれることなく、彼の頭のなかで完成してから外に出た。そして本の中身が、これがまた、湿っぽくないのだ。むしろ笑える。彼は自分の惨めな状態を、恐ろしく上品なユーモアでいじり倒す。よだれを垂らすのが自分の運命なら、カシミアの上に垂らしてやる、という一節が有名だ。

牡蠣の味の記憶に一章を費やす。病院の看護助手の癖を観察して面白がる。父親と最後に会ったときの、髭を剃ってやった記憶を書く。彼は最後の章を「新しい季節」と題して、まだこれから何かが始まるような顔で終えている。本は1997年3月7日に刊行され、フランスで即座にベストセラーになった。

その二日後、3月9日に、ボービーは肺炎で死んだ。四十四歳で、二十七キロ痩せていた。刊行の三日前には、彼は自分の名前で閉じ込め症候群の当事者団体を立ち上げている。この団体はいまもフランスで活動していて、同国内におよそ五百人いるとされる当事者と家族を支えている。タイミングが出来すぎている、と思う人もいるだろう。

本を出して、二日後に死ぬ。物語としてあまりに完璧すぎる。だが実際そうだったのだから仕方がない。2007年には映画にもなって、監督は国際映画祭で監督賞を取った。ただし彼の親しかった友人たちは、映画の人間関係の描き方はかなり違うと批判している。

古典型――眼だけが残る、いちばん有名な形

ここから型の話を一つずつ。まずは古典型。バウアーらの1979年の分類でいう典型例だ。古典型は、四肢が完全に麻痺し、顔面の筋肉も、咀嚼も、嚥下も、発声も全部止まる。残るのは垂直方向の眼球運動とまばたき。

意識は完全に清明。ボービーもここに入る。教科書が閉じ込め症候群として説明するのは、まずこの形だ。古典型の患者は、聴覚がまったく正常に保たれており、これが重要だ。声が聞こえる。

音楽も聞こえる。だから病室でのテレビの選択権を奪われるのは、けっこうな拷問になる。感覚もほぼ正常なので、痛い。かゆい。寒い。

同じ姿勢で寝かされ続ける腰の痛みも、床ずれの痛みも、全部フルで感じている。しかも「痛い」と言えない。あと、あまり知られていないが、閉じ込め症候群の患者には不随意な動きが出ることがある。あくび、吸うような口の動き、うめき声のような音。これが誤解のもとになる。

家族は「動いた、意識がある」と喜び、医療者は「あれは反射です」と説明する。実際その多くは反射だ。だが、本当に意識がある患者の意図的な合図が、反射として片付けられることもある。この判別が、現場でいちばん難しい。

不完全型――少しだけ余分に動く

不完全型は、古典型に何かが少し足されている状態を指す。指が一本だけ動く。首がわずかにひねれる。片方の口角がかろうじて上がる。横方向の眼球運動が少し残っている。

「少しマシ」に聞こえるかもしれないが、実際には天と地ほど違う。動く部位が一つ増えるごとに、意思疎通の帯域幅が跳ね上がるからだ。指が一本動けば、スイッチが押せる。スイッチが押せれば、画面を走査する装置が使える。装置が使えれば、文章が書ける。

メールが送れる。仕事ができる。だからリハビリの現場では、この「余分な一本」を探すことに執念が注がれる。眉毛でもいい。頬でもいい。

足の親指でもいい。随意にオンオフできる部位が一か所でも見つかれば、そこが外界への扉になる。不完全型は回復の見込みという点でも古典型より恵まれていることが多い。統計を見ると、非血管性の原因、つまり外傷や炎症や脱髄で起きた閉じ込め症候群では、五割強に何らかの回復がある。血管性、つまり梗塞や出血が原因の場合は、回復するのは三割弱にとどまる。

ざっくり言えば、血管が詰まって組織が死んだ場合はほぼ戻らないが、腫れや炎症で圧迫されていただけなら戻る余地がある、ということだ。日本からも興味深い報告が出ている。低ナトリウム血症の補正の過程で浸透圧性脱髄症候群を起こし、発症十九日目に閉じ込め症候群まで進行した四十七歳の男性の症例だ。ステロイドパルスと、三つの病院をまたいだ徹底したリハビリを経て、四か月後には指のわずかな不自由を残すだけで退院。

一年後には後遺症なしで仕事に完全復帰した。この病態では三割から五割強が恒久的な障害を残すとされているので、この回復ぶりはかなり例外的だ。

完全型――まばたきさえ失われるとき

そして完全型。ここがこの話でいちばん背筋が寒くなるところだ。完全型は、眼球運動もまばたきも失われた閉じ込め症候群を指す。意識は完全にあり、認知機能も保たれている。だが、外界に信号を出す方法が、文字通り、ゼロ。

橋の梗塞が上に食い込んで中脳の眼球運動核まで巻き込むと、こうなる。あるいはエーエルエス、つまり筋萎縮性側索硬化症が末期まで進行すると、外眼筋まで動かなくなって完全型に移行することがある。エーエルエスの世界ではこの状態を「完全閉じ込め状態」と呼ぶ。考えてみてほしい。この人が「いる」ことを、どうやって確かめる。

外から見ると、完全型の患者と、脳が本当に空っぽになった患者は、区別がつかない。呼吸器の音がして、心電図が波を打って、体温があり、それだけだ。呼びかけても何も起きない。痛み刺激にも反応しない。まばたきの回数を数えることもできない。

このとき使えるのは、体の外に出てくる信号ではなく、脳のなかで起きていることを直接覗く道具だけになる。脳波を取る。正常な睡眠と覚醒のリズムがあるかを見る。機能的な脳画像で、話しかけたときに言語野が反応するかを見る。完全型の存在が確認されている、というだけで、この病気の恐ろしさの底が抜ける。

世界のどこかの病院に、誰にも気づかれないまま、完全に意識のある人が横たわっている可能性が、理論上ゼロではない。しかも本人には、それを知らせる手段が一切ない。

「テニスを想像してください」

その底の抜けた恐怖に対して、科学が投げ込んだ最初の綱が、2006年の一つの実験だった。英国の神経科学者エイドリアン・オーウェンのグループは、交通事故で植物状態と診断された若い女性を、機能的磁気共鳴画像の装置に入れた。行動上の反応はゼロ。臨床的には、意識はないと判断されており、オーウェンは彼女に呼びかけた。テニスをしているところを想像してください。

彼女の脳の、運動を司る補足運動野が光った。次に呼びかけた。自分の家のなかを、玄関から順に歩いて回るところを想像してください。今度は、空間のナビゲーションを担う海馬傍回と後頭頂葉が光った。この二つのパターンは、健常者に同じ課題をやらせたときの反応とほとんど同じだった。

しかも、この反応は反射では出ない。指示を聞き取り、意味を理解し、意図的にイメージを維持しなければ出てこない。オーウェン自身が「反射ではなく、意志によるものでなければならなかった」と語っている通り、課題設計の肝はそこにあった。この結果は同じ年に科学誌に載って、意識研究の風景を変えた。行動でゼロでも、脳のなかで意志が動いている人がいる。

その後、「はい」なら手を握るイメージ、「いいえ」なら家のなかを歩くイメージ、というルールを決めて、実際に質問に答えさせる試みまで行われた。父親の名前は誰々ですか。イエス。脳がテニスコートに走る。この状態には、いまでは正式な名前があり、認知運動解離。

行動としての反応と、認知としての意識が、切り離されている状態だ。日本語ではまだあまり定着していないが、英語圏では「隠れた意識」という呼び方もされる。そして2024年、大規模な国際研究の結果が医学誌に出た。臨床的にまったく反応を示さない患者241人を、機能的磁気共鳴画像か脳波、あるいはその両方で調べたのだ。すると60人、つまり約四分の一に、この認知運動解離が検出された。

四人に一人だ。四人に一人。若年で、外傷が原因の患者に多かった。損傷から八か月以内に検査したケースで検出率が高かった。オーウェンは家族の反応についてこう言っている。

会話ができないままでも、失ったと思っていた人がまだそこにいると知って、家族はほとんど常に、より満足するのだ、と。ただし、この数字の解釈には慎重さがいる。検出されなかった残りの四分の三が、本当に意識がないのか、それとも検査の感度が足りなかっただけなのかは、原理的にわからない。「反応があった」ことは意識の証拠になるが、「反応がなかった」ことは意識がない証拠にはならない。

この非対称性は、この分野が永久に抱える問題だ。

自分の棺の中で目を覚ます――ケイト・アラットの九週間

英国のケイト・アラットは、2010年2月、三十九歳のときに脳幹に大きな梗塞を起こした。三児の母で、ランニングが趣味の、それまで健康そのものだった女性だ。最初の診断は、ひどいストレス性の片頭痛で、誤診だ。彼女は集中治療室で九週間を過ごすことになる。彼女が自分の状態を説明するときに使う表現が強烈だ。

自分の棺のなかで目を覚ましたようだった、と。全部わかっており、全部聞こえており、触られれば感じる。だが、意識があると知らせる合図が、まばたきすら出せなかった時期がある。彼女が挙げる苦しみの中身は、麻痺そのものよりも具体的で生々しい。尊厳を奪われること。

痛み。とてつもない退屈。不安だ。死ぬのではないかという恐怖。そして、幼い三人の子供と引き離されている苦しさ。

彼女はこれが自分の闘志をほとんど壊しかけたと書いている。加えて、医療者がいつ自分に話しかけようとしてくれるのかがまったく読めない、という宙吊りの時間の辛さも語っている。回復の過程は、はっきり言って異常だ。彼女は意思伝達装置で意思を伝えられるようになると、リハビリの目標を自分で刻みはじめた。一日に四百五十回を超える反復運動を、週七日。

それを三時間の専門的な訓練と組み合わせ、嚥下、発声、四肢の動き、歩行。順に取り返していった。彼女がいま講演で繰り返しているメッセージは、療法士に向けられている。患者が良くなる見込みを、こちらが勝手に下げるな、と。この言葉には重みがあり、彼女自身が、見込みを下げられかけた側だからだ。

医療者の証言も一つ添えておきたい。閉じ込め症候群の診断がついた瞬間の現場を経験した臨床家が口をそろえて言うのは、「気づいたのは家族だった」というケースの多さだ。日本の遷延性意識障害の支援団体が公開している解説にも、同じ趣旨が書かれている。医師の診察は数分で終わる。その数分に、たまたま合図が出るとは限らない。

一方で家族は何時間もそばにいる。視線が合った気がする、名前を呼んだら目が動いた気がする。そういう「気がする」の積み重ねを持ち込むのは、たいてい家族だ。そして医療者の側がそれを気のせいとして流すか、もう一度確かめるかで、その人の人生が決まる。診断基準の外側にある、この観察の受け渡しが、実はこの病気の生命線になっている。

誤診の数字は、身も蓋もなく悪い

そもそも意識障害の診断がどれくらい当たっているのか、という研究がある。2009年に発表されたベルギーのグループの調査は、意識障害の患者を、通常の臨床的な合議による診断と、標準化された神経行動評価尺度による評価とで比べた。すると、臨床医の合議で「植物状態」と診断されていた患者のかなりの割合が、標準化尺度では違う結果になった。実際には最小意識状態、つまり断続的だが確かに意識の徴候がある状態だったのだ。

誤診率は四割前後という数字が出た。しかもこの調査のなかから、閉じ込め症候群の見落としまで発見されている。四割。これは古い時代の話ではなく、二十一世紀の、専門的な医療機関での話だ。この時期、ベルギーの神経学者ステファン・ローレイスらは用語そのものにも切り込んだ。

「植物状態」という呼び名は、患者を野菜になぞらえる侮蔑的な響きを持ち、しかも臨床の実態を正確に表していない。彼らは2010年に、この状態を「無反応覚醒症候群」と呼び替えることを提案する論文を出した。目は開いて覚醒のサイクルはある。だが反応が確認できない。それ以上のことは断言しない。

断言しないという態度そのものを、名前に埋め込んだわけだ。ヨーロッパを中心に、この呼称はかなり普及した。

ロム・フーベンという、痛い教訓

だが、この領域は希望が暴走しやすい。実例がある。ベルギーのロム・フーベンは、1980年代に交通事故に遭い、二十三年にわたって植物状態と診断されていた。2006年、ローレイスが最新の画像診断を使って再評価し、彼は植物状態ではなく閉じ込め症候群だと診断し直した。脳は生きており、彼はずっと意識があり、ここまでは本物だ。

問題はその先だった。介助者が彼の手を支えてキーボードを打たせる、という方法で、フーベンが長い文章を「語り」はじめたのだ。ようやく自分の考えを伝えられる、二十三年間ずっと叫んでいた、といった趣旨のメッセージが世界中に配信された。2009年、この話は感動的なニュースとして大々的に報じられたのだ。だが、この方法には長い前科があった。

介助者が無意識に手を誘導してしまい、実際には介助者自身の思考が出力される、という現象だ。手を支えるという方式そのものが、この汚染を防げない。専門学会はこの手法を、信頼性のない、そして倫理的に問題のある技法として批判してきた。検証が行われ、フーベンに十五個の物を見せる。そのあいだ介助者は部屋の外に出す。

戻ってきた介助者と一緒に、見たものを打ってもらう。一つも当たらず、ローレイスは自ら結論を出した。あの文章はフーベン本人のものではなかった、と。彼の脳が生きていたことは事実だ。だが世界が読んだ「彼の言葉」は、彼の言葉ではなかった。

この一件が突きつけたのは、残酷な事実だ。中に人がいる、と証明することと、その人と会話できることのあいだには、深い溝がある。そして、その溝を「感動」で埋めようとすると、必ず事故が起きる。

栄光と転落と、そして復活

もう一つ、この分野を揺らした事件がある。ドイツの神経科学者ニールス・ビルバウマーは、脳とコンピュータをつなぐ研究の草分けだ。2017年、彼は生物学誌に、完全閉じ込め状態のエーエルエス患者四人が、頭に載せた光を使う装置で「はい」「いいえ」を答えられたという論文を出した。しかも患者たちは自分の生活の質を高く評価していた、というおまけつきで、世界中のメディアが飛びついたのだ。だが、内部告発が出た。

同僚が再現性を疑ったのだ。ドイツの研究助成機関が調査に入り、データが不完全で結果に欠陥があると認定し、論文は撤回された。学術誌は、脆弱な患者を扱う研究者には特別な責任があるのに、手続きの記録が不十分だったと厳しく書いたのだ。ビルバウマーは職と研究資金を失い、国外へ移った。物語はここで終わらない。

2022年、彼は共同研究者とともに、また論文を出した。今度は三十四歳のエーエルエス男性。完全閉じ込め状態で、人工呼吸器につながれ、随意の筋肉制御は一切ない。彼の運動野に電極を埋め込み、脳活動を音の高さに変換して本人にフィードバックする。患者は音の高さを自分の意志で上げ下げできるようになり、それで文字を選んでいった。

記録は462日分。ビデオで徹底的に記録された。彼が最初に綴ったのは、話す力を返してくれたことへの礼だった。それから彼は要求を出しはじめる。妻にミキサーを買ってほしい、そうすればグーラッシュが食べられる。

ビールが飲みたい。息子と一緒にテレビを観たい。要求というのは、生きている人間の証明だ。ビルバウマーはこの仕事を、閉じ込め症候群の人は魂のない体ではなく、意志と欲望をもった体なのだと示すものだと表現している。前科があるので、この研究にも懐疑の目は向けられ続けており、それでいい。

だが、記録の徹底ぶりは前回の反省を踏まえたものだった。

いま、脳から言葉を取り出す技術はどこまで来たか

2024年8月、米国の研究チームが医学誌に発表した結果は、この分野の空気を一段変えたのだ。エーエルエスで発話が崩れた四十五歳の男性、ケイシー・ハレルの大脳皮質、発話に関わる前中心回に、四つの微小電極アレイが埋め込まれた。電極の総数は256本。手術は2023年7月。彼が何かを言おうとすると、その意図が神経の発火パターンとして現れる。

装置はそれを読み、機械学習で単語に変換する。研究者の一人はこの原理を、彼らが言おうとしているパターンを聞き取って言葉に翻訳しているのだ、と説明している。最初のセッション、五十語の語彙で、三十分の訓練の後、正答率は99.6パーセント。二回目のセッション、語彙を十二万五千語に拡張し、追加訓練は一時間半足らず。正答率90.2パーセント。

その後の運用では、拡張語彙で97.5パーセントに達している。さらに凝っているのは音声だ。彼が発症する前に録音されていた音声サンプルで音声合成を訓練し、読み上げには彼自身の声が使われた。失われた声が、脳から直接、彼自身の声色で出てくる。ハレル本人の言葉が残っている。

こういう技術は、人を人生と社会に連れ戻すのを助けてくれる、と。もっと素朴で、しかし驚くほど有効な技術もある。イスラエルの研究チームが2010年に発表した「鼻で操作する装置」だ。鼻に入れたカニューレのようなセンサーが鼻腔内の圧力を測り、鼻をすする動作の強さと回数をコンピュータの命令に変換する。

なぜ鼻かというと、軟口蓋を動かす神経は脳から直接出ていて脊髄を経由しないので、重度の麻痺でも生きていることが多いからだ。脳卒中から七か月の五十一歳の女性が、一日二十分の練習を十九日続けた末に、これで家族への最初のメッセージを書いた。速度は毎分三文字ほど。ボービーがまばたきで達成していた「二分で一語」に比べれば、劇的に速い。

十八年間閉じ込め症候群だった四十二歳の男性は、二十分で使えるようになり、視線追跡装置より楽で簡単だと評した。十年間何も書けなかった四肢麻痺の六十三歳の女性は、また文章を書けるようになり、ネットを見られるようになった。ただしこの研究には、一人だけ習得できなかった患者がいたことも記録されている。理由として推定されたのは、重いうつだ。技術は回線を用意する。

だが、その回線を使う気力までは用意できない。

「あなたはいま、幸せですか」と訊いた研究

ここからが、この話でいちばん人の意見が割れるところだ。2011年、ローレイスらのグループが医学誌に発表した調査がある。慢性期の閉じ込め症候群の当事者に、自分の幸福度を自己評価してもらった。回答が得られたのは65人。結果は、およそ三分の二が「自分は幸せだ」と答えた。

不幸だと答えたのは三分の一。論文のタイトルには、そのまま「幸福な多数派、みじめな少数派」という言葉が入っている。この結果は、多くの人の予想をひっくり返す。健常者に「全身が麻痺してまばたきしかできない状態になったら幸せか」と訊けば、まず全員が首を横に振る。だが当事者の答えは違った。

この現象には名前があり、障害のパラドックス、あるいは反応シフト。人間は、状況が変わると、幸福を測る物差しそのものを作り変える。ドイツの研究者ドロテー・ルレの仕事は、介護者も健常者も、当事者の幸福度を系統的に低く見積もることを示している。ポルトガル出身で三十年近く閉じ込め症候群と生きているジュリオ・ロペスという男性は、こう言っている。最初はつらいが、そのうち一種の人生哲学が身についてくる、と。

彼はパリで暮らし、視線追跡で会話し、劇場や映画館や公園に出かけ、本を書いた。不幸だと答えた三分の一のほうにも、はっきりした傾向があったのだ。幸福度と強く相関していたのは、社会的なつながりがあるかどうか、意思疎通の手段が確保されているかどうか、そして不安や痛みが管理されているかどうかだった。つまり、この人たちの苦しみの多くは、麻痺そのものではなく、麻痺を取り巻く環境が生んでいる。

そして、この調査には批判もある。医療人類学者のフェルナンド・ビダルは、こう指摘している。こういう調査は当事者団体を通じて回答者を集めることが多く、そもそも社会とつながれている「恵まれた層」を過剰に拾ってしまう、と。二十四時間の介護、資金、意思疎通の機器、支える家族。それらが全部そろっている人と、何もない人とでは、話がまったく違う。

資源の乏しい環境にいる当事者の実態は、そもそも記録すら残っていない。

死ぬ権利をめぐる、答えの出ない対立

この幸福度の話は、まっすぐ安楽死と尊厳死の議論に接続する。両側に、譲れない理屈があり、一方の側はこう言う。当事者の三分の二が幸せだと答えているのだから、健常者の想像に基づく「あんな状態なら死んだほうがまし」という前提は誤りだ。医師がその誤った前提を持ったまま家族に説明すれば、患者は本人の意思とは関係なく死へ誘導されてしまう。急性期には強い反応性のうつが起きる。

そのときに出された「死にたい」を、そのまま最終意思として扱うのは危険だ。時間をかけろ。意思疎通の手段を先に整えろ。話はそれからだ。ローレイスは、われわれの考えや感情を彼らに投影しないことが大切だ、という言い方をしている。

もう一方の側も、譲らない。英国のトニー・ニクリンソンは2005年に脳卒中で閉じ込め症候群になった。元ラグビー選手で土木技師、活動的な男だった。彼は自分の生を「生きた悪夢」と呼んだ。会話もできない、歯も磨けない、かゆいところを掻くこともできない。

彼はまばたきで意思を伝えながら、自分の死を医師に手伝ってもらう権利を求めて訴訟を起こした。彼の言い分はこうだ。身体に障害があるというだけの理由で、自分の命を終わらせる権利を奪われている。2012年8月、英国の裁判所は請求を退け、法を変えられるのは議会だけだ、というのがその理由だった。判決を知った直後から、妻のジェーンによれば、彼から闘志が抜けていったのだ。

彼は食事を拒み、肺炎になり、判決の一週間後に自宅で死に、五十八歳だった。安楽死を支持する側の医師デニ・ラバイユは、楽観的な調査結果に対して、身体に閉じ込められた状態は生の意味そのものを否定するものだと反論している。この対立に決着はついていない。ついていないほうが健全だ、という見方もできる。

一つ確実なのは、意思疎通の手段が確保されていない状態で下された決断は、誰の決断なのかがわからない、ということだ。手段を作ることは、どちらの立場に立つとしても、先にやらなければならない仕事になる。

日本のエーエルエスと、意思を伝えるという戦い

日本でこの問題がいちばん切実に立ち上がるのは、脳卒中よりも筋萎縮性側索硬化症の現場だ。エーエルエスは運動神経が徐々に死んでいく病気で、進行すると呼吸筋も動かなくなる。人工呼吸器をつけるかどうかの選択が、どこかで必ず来る。つければ生きられる。つけなければ死ぬ。

しかもつけた後、病気はさらに進む。最終的には眼球運動まで失われて、完全閉じ込め状態に至ることがある。日本の呼吸器装着率は、およそ三割と言われてきた。これは国際的に見るとかなり高い。介護保険や重度訪問介護といった仕組み、家族が在宅で支える文化、そういったものが背景にあると指摘されている。

逆に言えば、長期の介護基盤がない国では、そもそも「つける」という選択肢が現実味を持たない。意思疎通の道具も、日本は独自の蓄積がある。透明文字盤と口文字については前に書いた。加えて、視線入力の意思伝達装置、脳波を使ったスイッチ、気管切開後も声を出すためのスピーチカニューレ、発症前に録音した本人の声で読み上げる音声合成。これらの多くは、障害者総合支援法の補装具や日常生活用具の枠で公費の対象になる。

制度としてはかなり整っている部類だ。そして、日本発の面白い発想もある。オリィ研究所が開発した分身ロボットは、寝たきりの人が遠隔で操作して、カフェで接客をする。操作は視線入力でできる。開発の中心にいた吉藤健太朗が影響を受けたのは、四歳から寝たきりだった番田雄太という青年で、彼は口にくわえたスティックでパソコンを打っていた。

ここにあるのは「介護される人」ではなく「働く人」という位置づけの転換だ。ロボットの体を借りて、社会のなかに戻ってくる。閉じ込められた人に対して、外に出る扉ではなく、外にもう一つの体を置くという発想は、なかなか他所では見ない。一方で、日本社会はこの問題の暗い側面も経験している。2019年11月、京都市で、エーエルエスの女性患者が、主治医ではない医師二人によって胃ろうから薬物を投与され死亡した。

二人は依頼を受けたと主張したのだ。女性は交流サイトに、安楽死を望む言葉と、生きる希望をうかがわせる言葉の両方を残していた。2024年3月、京都地裁は嘱託殺人などで一方の医師に懲役十八年を言い渡した。もう一人には前年に懲役二年六か月の判決が出ている。判決は生命の軽視を厳しく指弾した。

この事件は日本の尊厳死議論に強烈な影を落とした。障害当事者団体は、この事件を「重い障害のある人が地域で生きていける社会をどう作るか」という問いに引き戻そうとしている。体調によって心境が変わるということ、そして「死にたい」という言葉が発せられた時点の環境がどうだったのかということ。そこを見ずに意思だけを取り出すのは危うい、という指摘は重い。

なぜ、この病気はこれほど人の想像力を掴むのか

ここまで書いてきて思うのは、閉じ込め症候群が呼び起こす恐怖は、医学的な重症度に比例していない、ということだ。もっと苦しい病気はいくらでもある。それでもこの状態が特別に人を捕まえるのには、理由がある。第一に、これは死ではなく、生きたままの消失だからだ。人間が想像できる最悪の事態として古くから語られてきたのが、生き埋めだ。

十八世紀から十九世紀のヨーロッパには、早すぎる埋葬への恐怖が広く存在し、棺のなかから鈴を鳴らせる仕掛けまで発明された。閉じ込め症候群は、その恐怖の完全な医学版だ。棺は木ではなく自分の体。しかも鈴の紐がない。第二に、これが「自分」という概念の急所を突くからだ。

私たちは、自分が自分であることを、他人とのやりとりを通じて確認している。話しかけられ、応え、笑われ、怒られる。その往復のなかで自分の輪郭ができる。出力が全部止まると、往復が消える。往復が消えた自分は、まだ自分なのか。

周りから「いないもの」として扱われ続けたとき、人間の自己は何年もつのか。ジェイコブ・ヘンデルが「自分は本当に死んでいるのか」と疑ったのは、この地点だ。彼は他人の判定によって、自分の存在を揺さぶられている。第三に、この状態は誰にでも、何の予告もなく起こりうるからだ。橋の梗塞は生活習慣病の延長線上にあり、ラグビーのタックル一発でも起こる。

低ナトリウム血症を治療する過程でも起こる。ニュージーランドのニック・チザムは、2000年7月29日、ラグビーの試合中に脳幹梗塞を起こし、二十七歳だった。彼はその後、透明な板に書かれた文字を視線で拾って会話するようになった。車椅子ボディービルの全国王者に十度なり、脳損傷や脳卒中の人のためのジムを運営し、体外受精で三つ子の父になっている。だが彼にとってこの二十数年は、まったく別の人生だ。

あの日の前と後で、世界が入れ替わった。第四に、これは私たちが日常的にごく短時間だけ体験している感覚の、無限延長版だからだ。金縛りを経験したことがある人ならわかる。目は覚めている、部屋も見えている、なのに体だけが動かない。あの数十秒の恐怖を、終わりなしで続ける。

それが閉じ込め症候群だ。さらに極端な類縁として、術中覚醒がある。全身麻酔中に意識だけが戻ってしまう現象だ。日本語のまとめによれば発生率は一般外科手術で0.2パーセント程度だ。だが、心臓手術では1から2パーセント、外傷症例では十数パーセントから四割という報告まである。

恐ろしいのは、筋弛緩薬が併用されている場合だ。意識はあり、痛みもあり、手術室の会話も聞こえる。だが指一本動かせないので、それを誰にも伝えられない。この体験をした人には、悪夢、フラッシュバック、不眠といった外傷後ストレス障害の症状が長く残ることがある。医療現場は麻酔深度を測る装置を導入して対策しているが、完璧ではない。

要するに、私たちの誰もが、閉じ込め症候群の縮小版を、すでに知っているのだ。だからこそこの病気の話は、他人事として通り過ぎることができない。

それでも、扉は増えている

暗い話ばかり書いてきたので、最後に事実の重心を戻しておく。三十年前と比べて、状況は確実に変わった。診断の道具が増え、標準化された評価尺度が広まり、勘だけで意識の有無を決める場面は減った。機能的な脳画像と脳波で、行動に出ない意識を拾える。当事者団体があり、経験の蓄積があり、意思疎通のノウハウが共有されている。

視線入力の機器は民生品レベルまで下りてきた。脳に電極を刺して言葉を取り出す技術は、実験室から臨床試験へ移っている。そして何より、当事者自身が発信するようになった。ボービーが一冊の本で示したのは、この状態にある人が世界に向けて語ることが可能だ、という事実そのものだったのだ。彼の後に、たくさんの手記が続いた。

当事者が語るようになると、周囲の想像が修正される。修正されると、扱いが変わる。扱いが変わると、生活の質が変わる。生活の質が変わると、幸福度が変わる。この連鎖は実際に起きており、最初に戻ろう。

天井が見えており、看護師の笑い声が聞こえており、指が動かない。そのとき、誰かがあなたの視野に顔を入れて、こう言う。聞こえてますか。聞こえていたら、一回まばたきしてください。その一言があるかないかで、人生が分岐する。

医学の最先端でも技術でもなく、たったそれだけのことで。ここからは総括と、本文で拾いきれなかった論点をまとめて置いておく。まず、この病気を理解する上でいちばん大事な補助線を一本引きたい。閉じ込め症候群は「意識の病気」ではなく、「表現の病気」だ。ここを混同すると、話が全部ずれる。

意識障害の分類には、昏睡、植物状態、最小意識状態といった段階がある。これらはどれも、意識そのものが損なわれている状態だ。閉じ込め症候群だけが、その系列の外側にある。意識は満点のまま、表現の回線だけが切れている。だから医学的には、これを意識障害の一種として並べること自体が本当は不正確で、あくまで「意識障害と間違えられやすい状態」として鑑別の欄に置くのが筋になる。

ところが臨床の現実では、この筋の通った理屈が機能しない。なぜなら、意識があるかどうかを外から測る唯一の窓が、表現だからだ。「意識はあるが表現できない人」と「意識がない人」は、表現という一点でしか観測できない世界では、同一に見える。ここに、この病気の全構造がある。誤診も、家族の絶望も、生命維持の議論も、脳とコンピュータをつなぐ研究も、全部この一点から派生している。

だから、この分野の進歩は一貫して同じ方向を向いてきて、表現以外の窓を作る。それだけだ。脳波を見るのも、機能的画像で言語野の反応を見るのも、テニスの想像を課題にするのも、運動野に電極を刺すのも、鼻の圧力を測るのも、目的は同じだ。運動という一本しかなかった観測窓を、二本、三本に増やす。この観点で並べ直すと、ばらばらに見える研究が一つの系譜として読める。

次に、時間軸の話をしておきたい。閉じ込め症候群は時間によって性質が変わる病気だ。急性期、つまり発症から数週間は、ほとんどの場合、本人は最悪の心理状態にある。何が起きたのかわからない。誰も気づかない。

強い反応性のうつが出る。この時期に「死なせてほしい」という意思が表明されることは珍しくないし、それは当然の反応だ。だがこの時期の意思は、状況が固定される前の意思でもある。慢性期に移行して、意思疎通の手段ができて、社会とのつながりが回復した後の当事者に同じ質問をすると、答えがしばしば変わる。幸福度調査で三分の二が幸せだと答えたのは、慢性期の人たちだ。

この時間差が、倫理的な議論をとことん難しくしている。人の意思は状況に依存する。状況が変わると意思が変わる。では、どの時点の意思を「その人の本当の意思」と呼ぶのか。急性期の意思を尊重すれば、慢性期に幸せになったかもしれない人を失う。

慢性期まで待てと言えば、急性期の苦痛を強制することになる。これは論理では割り切れない。だから議論が終わらない。ただし、この難問のなかにも、争いの少ない合意点はある。意思疎通の手段を確保することは、どの立場から見ても優先されるべきだ、という点だ。

死にたいという意思を尊重するにしても、その意思を正確に受け取るには回線が要る。生きたいという意思を支えるにも、回線が要る。回線を作ることは、どちらの結論にも先行する前提条件になる。この一点だけは、対立する両陣営が握手できる場所として押さえておきたい。三つ目に、報道と物語の問題を書いておく。

閉じ込め症候群は、物語にしやすすぎる。中に人が閉じ込められており、奇跡的に発見される。感動的なメッセージを発する。回復して歩き出す。この型に流し込むと、記事は必ず読まれる。

だがロム・フーベンの一件が示したのは、この型への欲望が検証を素通りさせるということだった。世界中のメディアが、検証されていない「彼の言葉」を配信した。専門家が長年批判してきた手法だったにもかかわらず、だ。これは他人事ではない。この記事を書いている自分も含めて、この病気を扱う人間は全員、同じ引力に引かれている。

だから最低限の作法として、「中に人がいる」という証明と、「その人の言葉である」という証明を、絶対に分けて扱う必要がある。前者は脳画像や脳波で言える。後者は、独立した検証がなければ言えない。フーベンの脳が生きていたことは本当だった。彼が語ったとされた言葉は本当ではなく、両方が同時に成立する。

この気持ち悪さに耐えるのが、この分野を正直に語る条件になる。四つ目、ボービーの本について、もう少し踏み込んでおきたい。あの本の異常さは、内容が悲惨だからではなく、悲惨さの扱い方が異常なのだ。彼は自分を憐れむ文章をほとんど書いていない。かわりに、記憶のなかの牡蠣の食感を書く。

ソーセージの脂の匂いを書く。看護助手の癖を面白がる。父親の頬を剃った日を書く。読んでいると、この人の頭のなかがどれほど賑やかだったかが伝わってくる。潜水服の内側は、静かどころか、うるさいくらいに満ちている。

ここに、この病気を考えるヒントがある。私たちが「閉じ込められる」と聞いて想像するのは、空白だ。何もない部屋にひとりでいるような、真っ白な時間。だが当事者の記述を読むと、その正反対のことが起きている。頭のなかは過剰に活動している。

記憶が押し寄せ、想像が暴れ、考えが止まらない。マーティン・ピストリウスが子供番組の再放送に耐えかねて、日の光の角度で時刻を読む技術を独学で編み出したという話は象徴的だ。彼は退屈していたのではなく、退屈と戦うために、頭を使い続けていた。暇な人間が閉じ込められるのではなく、忙しい人間が、出口だけを塞がれる。これが実態に近い。

五つ目、周囲の人間の話をしたい。当事者の証言ばかり集めると見落とされるのが、支える側の消耗だ。ピストリウスの話には、読んでいて息が詰まる部分がある。彼の意識が戻っていた期間、母親は疲れ果てて、彼の前で「死んでほしい」という意味の言葉を口にしたことがあると伝えられている。母親はそれを、何年も自分を責める材料にしていた。

これは母親が冷たいのではない。十数年、回復の見込みのない子供を、意思疎通なしで介護し続けた人間に何が起きるかという話だ。しかも母親はそのとき、息子に聞こえているとは思っていない。日本の在宅介護の現場も同じ構造を抱えている。二十四時間の吸引、体位変換、経管栄養、そして文字盤の読み取り。

読み取りには技術と集中力がいり、疲れていると読み間違える。読み間違えると当事者が苛立つ。苛立ちは伝わる。介護者はさらに疲れる。この悪循環は、精神論では絶対に解けない。

人手と制度と機器で解くしかない。だからこそ、視線入力の装置や分身ロボットのような技術は、当事者のためであると同時に、支える人のための技術でもある。回線を機械が担うぶんだけ、人間は人間らしい時間を使える。六つ目、統計の読み方について注意を書いておく。本文で紹介した数字は、どれも取り扱いに注意がいる。

生存率も回復率も、閉じ込め症候群と診断された人を母数にしている。ということは、診断されなかった人は最初から数字に入っていない。誤診されたまま亡くなった人、まったく気づかれずに終わった人は、統計上は存在しない。この病気の統計には、原理的に見えない部分がある。同じことは幸福度調査にも言える。

回答できた人しか答えられない調査だ。答えられなかった人の幸福度は、誰も知らない。数字は嘘をついていない。だが数字が沈黙している領域が、この病気ではやたらと広い。そこを忘れると、話が楽観に寄りすぎる。

七つ目、これから何が起きそうかという話を、最後に書いておく。いま最も動きが速いのは、脳から言葉を取り出す技術だ。ケイシー・ハレルの例が示したのは、埋め込み型の装置が、実験室の見世物ではなく実用の道具になりつつあるという事実だった。九十七パーセントを超える精度で、十二万語の語彙から選び、本人の声で出力する。これは、まばたきで一分に半語という世界からの、桁違いの跳躍だ。

ただし、埋め込み型には手術のリスクがあり、電極は経年で劣化し、費用は高く、対象になれる人は限られる。だから並行して、頭に載せるだけの非侵襲型の研究も続いている。精度は劣るが、誰でも試せる。この二つが両輪で進んでいく。その先に見えている論点も、いくつかある。

脳から言葉を取り出すということは、本人が言うつもりのなかったことまで取り出せる可能性があるということだ。思考の私秘性、つまり「頭のなかは自分だけのもの」という前提が、技術的に揺らぐ。閉じ込め症候群の当事者にとって、これは切実な問題になる。せっかく回線ができたのに、その回線が自分の意志と無関係に情報を漏らすなら、それは解放なのか、別種の監視なのか。もう一つ、精度の問題がある。

装置が読み取った言葉が九十七パーセント正しいということは、三パーセント間違っているということだ。日常会話ならそれでいい。だが治療方針の意思決定や、生命維持の中止についての意思表明を、その回線で受け取ってよいのか。三パーセントの誤読が、人の生死を左右する場面に混じり込む。この問題に、まだ誰も答えを出していない。

それでも、方向は間違っていないと思う。この病気の歴史は、要するに、外から中を見る方法を探し続けた歴史だ。デュマの時代は辞書と指だった。ボービーの時代は頻度順のアルファベット表と、根気のある女性の声だった。いまは電極と機械学習だ。

道具は変わったが、やっていることは同じで、誰かが顔を覗き込んで「聞こえてますか」と問いかけている。その問いかけを続けることが、この分野で唯一、絶対に間違えようのない行動だ。返事が返ってくるかどうかは、その次の話でいい。まず訊く。誰も訊かなかったせいで沈黙のまま終わった人が、統計に残らない場所に何人いるのかを考えると、それくらいの過剰さでちょうどいい。

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