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オーイと呼ばれても振り返るな――伊豆「しらぬたの滝」とシラヌタの池、天城の原生林が呑みこんだ怪異のすべて

伊豆半島の真ん中には、地図に載っていない水がある。国土地理院の二万五千分の一を広げても、そこには水色の点が打たれていない。なのに現地に行くと、確かに水は溜まっている。周囲二百メートルほど、深さは膝も浸からない。

原生林に囲まれて、ただ黒く光っている。名前をシラヌタという。漢字を当てると不知沼。読んで字のごとく、知られていない沼だ。

そしてその手前、沢が刻んだ谷底には、名前のはっきりしない滝がある。誰かは「しらぬたの滝」と呼び、誰かは「シラヌタの滝」と書き、誰かは「不知汰の滝」と当て字をする。地形図には載っていない。観光パンフレットにも載っていない。

それでも、そこへ降りていった人間が口を揃えて言うことがひとつだけある。水の音の中に、人の声が混じる、と。

今回はその話をする。滝と池、林道と吊り橋、大蛇と天狗、戦時中の噂と県が作った防災かるた、そして実際に起きてしまった事故まで。全部だ。

  1. 地図に載っていない水、という時点でもう十分に怖い
  2. そもそも「しらぬた」って何なんだ、という問題
  3. 林道はまず、あなたの車を試してくる
  4. 東屋をふたつ越えると、水の音が急に大きくなる
  5. 吊り橋が落ちてから、この場所は別のものになった
  6. 「滝の音の中に、人の声が聞こえた」という一点だけが一貫している
  7. 県の防災かるたに「引きずり込まれるぞ」と書いてある件
  8. 十六人首斬りの池――もっとも有名で、もっとも怪しい話
  9. 石碑は慰霊碑ではなかった、という身も蓋もないオチ
  10. 大蛇はこの山にいる。ただし、シラヌタの名では語られない
  11. 七つの池を持たなければ、大蛇にはなれない
  12. 雨乞いとは、水の主をわざと怒らせる技術だった
  13. 体験談その一――午前三時、木の間から白い顔が覗いていた
  14. 体験談その二――三十人以上で渡るなと書かれた吊り橋が、ひとりでに揺れた
  15. 体験談その三――轟音の向こうで、二人が同じ声を聞いた
  16. 体験談その四――崩れた橋の先で、水面がぼちゃぼちゃ鳴った
  17. 「何が心霊スポットやねん」と言い切った人たちのこと
  18. 掲示板とSNSは、この場所をどう扱ってきたか
  19. 反証その一――声の正体は、たぶんカエルと水と地形だ
  20. 反証その二――圏外は霊障ではなく、ただの圏外である
  21. 反証その三――滝の取り違えと、後付けの噂
  22. それでも、この谷では人が死んでいる
  23. 天城という土地は、怪異を貯めこむ構造になっている
  24. なぜ怖いのか――「知らない」が地名になっている場所
  25. 関連記事

地図に載っていない水、という時点でもう十分に怖い

まず場所の話をしておく。伊豆半島の背骨にあたるのが天城の山塊で、その最高峰が万三郎岳。標高千四百メートルちょっと。ここを源にして、東伊豆側へ落ちていく谷がいくつもある。そのうちのひとつが川久保川だ。古い資料では奈良本川とも書かれる。

同じ流れなのに二つ名前があるのも、この一帯らしい話ではある。

その川久保川の上流、標高六百四十メートルから六百五十メートルあたりの窪地に、シラヌタの池はある。行政区分としては静岡県賀茂郡東伊豆町。住所は片瀬とも奈良本とも書かれる。境界の上にあるようなものだ。

心霊系のまとめサイトを何十件も横断すると、片瀬表記と奈良本表記が半々くらいで混在していて、これが「シラヌタは河津町にある」という誤伝の温床にもなっている。

実際、この一帯は河津町・東伊豆町・伊豆市の境が山の稜線で入り組んでいて、どこからどこまでが誰の町なのか、歩いていても正直わからない。

池の成因は、火山湖ではない。ここは何度も間違えられる。天城火山は八十万年前から二十万年前くらいまで噴火を繰り返した山で、活動を終えたあとは雨と風と地震にひたすら削られてきた。その侵食の過程で地すべりが起き、窪地ができ、そこに水が溜まった。

県の文化財資料はもう少し踏み込んでいて、源流部の崩壊で生じた土石流が小沢を塞いでできた一種の堰止湖だ、と書いている。つまりこの池は「山が崩れた跡」なのだ。生まれた瞬間から、災害の記憶でできている。

サイズも書いておく。直径およそ七十メートル、周囲およそ二百メートル、水深およそ四十センチ。北から小沢が流れ込み、南側は低い自然堤防で塞がれている。

西北と東北は急斜面が迫っていて、池のまわりを一周しようとすると、場所によっては斜面に張りつくことになる。深さ四十センチというのがミソで、これは「底なし沼」の噂とまるで合わない。合わないのに、噂のほうは死なない。

それどころか、実際に行った人が「一歩踏み出せば足元は底なし状態、簡単に膝まで入ってしまう」と書いていたりする。落ち葉が水際を隠しているので、岸と水の境目が見えないのだ。

四十センチの水に膝まで浸かるというのは、要するに水底が泥だということでもある。

一九七一年八月三日、「シラヌタの池とその周辺の生物相」として静岡県の天然記念物に指定された。指定面積は約〇・五二ヘクタール。モリアオガエルの卵塊が、その年の六月の調査で約四百五十個。イモリが多数。渓流にはカジカガエル。

シカもイノシシも鳥も虫もいる。周囲の国有林は林野庁の学術参考保護林にもなっている。要するにここは、行政的には「守るべき秘境」だ。同じ場所が、別の界隈では「伊豆最恐の心霊スポット」と呼ばれている。

この二重性が、この土地の全部を説明していると言ってもいい。

そもそも「しらぬた」って何なんだ、という問題

名前の話をしたい。ここが面白い。

一番よく引かれる説は「ヌタ場」説だ。ヌタ場というのは、イノシシやシカが体を擦りつけて寄生虫や汚れを落とすための泥地のこと。漢字だと沼田場と書く。つまりシラヌタ=知らぬヌタ場、誰も知らない泥地。実際、池畔には獣の足跡がある。

ハイキングの記録を読んでも、シカに何度も出迎えられたという記述がやたら出てくる。獣の生活圏の真ん中に、人間がたまに降りていく。そういう場所だ。

もうひとつ、地名から来た説もある。麓の集落は白田という。白田川という川もある。片瀬白田という駅もある。シラ・ヌタで「白田のヌタ場」と読めなくもない。どちらが正しいかは決着していない。

ここで滝の話に戻る。伊豆半島の滝の呼び方には、独特の癖がある。河津のあたりでは滝を「だる」と読む。河津七滝は「かわづななだる」だ。これは滝を「垂水」つまり水が垂れる場所と呼んでいた古い言い方の名残だとされる。

この地方では滝は、落ちるものではなく、垂れるものだった。

そう考えると「しらぬたの滝」という言い方は、二重に妙な響きを持つ。知らぬ+ヌタなのか、知らぬ+タルなのか。誰も知らない垂水。地図にないから名前がつかない。名前がつかないから地図に載らない。堂々巡りだ。

そしてこの堂々巡りこそが、怪談の温床になる。名前のないものは、いくらでも語り足せるからだ。

林道はまず、あなたの車を試してくる

現地に近づく描写をしておく。ここを丁寧にやらないと、この怪談は成立しない。

海側からのアプローチだと、伊豆急の片瀬白田駅あたりが起点になる。白田川に沿って山へ入っていく。途中に変電所があって、その前の小さな橋を渡ると、道はいきなり本気を出す。舗装はされている。されているのだが、勾配がきつい。そしてクネクネしている。

何より、幅が狭い。実際に歩いて登った人の記録には「対向車があったらすれ違いできる場所がほとんどない」とはっきり書いてある。地元の人なら勘所がわかるだろうが、初見の人間が夜に入ると、たぶん一回はバックさせられる。

別荘地を抜ける。天城ハイランドと呼ばれる区画で、山の中腹に家が点在している。ここが実は、この怪談の第一の関門だ。二〇〇三年に深夜探索をしたグループの記録には、こう書かれている。

別荘地の道が複雑に入り組んでいて、目的地に着くまで二時間以上かかった、と。そして池への入口が近づいたあたりで、車内の空気が急に重くなった、と。ひとりが「声が聞こえた」と言い、もうひとりが心臓に痛みを覚えた。到着したら痛みは消えた。

これを霊の仕業と読むか、真夜中の山道で二時間迷った人間の生理反応と読むかは、読み手の自由だ。ただ、事実として押さえておきたいのは、この道は迷う、ということだ。別荘地の私道と林道が入り混じり、案内板は小さく、看板は色褪せている。

真っ暗な中でヘッドライトだけを頼りに走ると、同じ場所を二回通っても気づかない。

別荘地を抜けると片瀬林道になる。ここまで来ると人家はもうない。落石が転がっている。前日に雨が降っていれば、路面がそのまま小さなせせらぎになる。歩いていくと、白っぽいサワガニが道を横切る。

伊豆のサワガニは色が薄いらしく、初見だと新種かと思うそうだ。こういうディテールが、この場所の実像だ。怪異の前に、まず自然がある。

そして左手に、木の板の小さな案内が出る。「シラヌタの池入口」。駐車スペースは二台分。三台目は林道を塞ぐことになるので、停めてはいけない。

東屋をふたつ越えると、水の音が急に大きくなる

入口から池までは、およそ六百メートル。時間にして十五分から二十分。数字だけ見ると散歩だ。実際には全然そうではない。

まず、下る。ずっと下る。谷底へ向かって、けっこうな急斜面を降りていく。木の根が階段状に露出していて、そこに落ち葉が積もっている。雨のあとは滑る。所々にロープが張ってあるが、そのロープ自体が古い。

整備されたハイキングコースというより、しっかりした獣道と言ったほうが近い。地元のハイカーの記録にも「歩程中いちばんの難所」と書かれている。ただのスニーカーで来た人には厳しい、という釣り人の証言もある。

途中で小さな沢を横切る。チョロ沢と呼ぶような細い流れで、そこだけ地面がぬかるんでいる。そのぬかるみには足跡がびっしり残っている。人のもある。獣のもある。誰かが確かに来ている、という物証だけがある。

そして東屋がふたつある。屋根つきのベンチだ。一つ目を過ぎ、しばらく下ると二つ目が現れる。ここが心理的な分岐点になっている。夜に来た複数のグループが、揃ってこの東屋のことを書いている。

「夜中の心霊スポットの休憩所は、何時見ても人が居るようで不気味です」。屋根と柱があるだけの構造物なのに、暗闇の中では、そこに誰かが座っているように見える。

もっと重要なのは音だ。二つ目の東屋まで来ると、それまで「せせらぎ」だった水の音が、はっきり「轟音」に変わる。谷が絞られて、水が段差を落ち、両側の斜面が音を反射させる。ある探索者は、この変化をこう書いた。

さらに進むと川のせせらぎの音が聞こえてくる、二つ目の東屋まで来るとその音は轟音となって響きわたっている、と。

この轟音の主が、いわゆる「しらぬたの滝」だ。落差何メートルという記録はない。滝の名鑑にも載っていない。ただ、谷の中で水が落ちて、音が反響している。それだけの場所だ。それだけの場所なのに、ここで人は声を聞く。

吊り橋が落ちてから、この場所は別のものになった

かつて、川久保川には吊り橋が架かっていた。池へ渡るための橋だ。この橋が、シラヌタの怪談の中でいちばん働いている装置だと思う。

二〇〇三年の記録には、こう書かれている。木の橋を渡り、頑丈そうな鉄柱に近づくと、立て札があった。「危険ですので、三十人以上一緒に渡らないで下さい」。見た目は新しいのに、橋板がなんとなく不吉なオーラを放っていた。

三十人までは大丈夫と書いてあるのでそれを信じて渡ることにした――このくだり、怪談としてよくできている。安全基準が明示されているのに、まったく安心できない。

そして渡り終えたあと、メンバーのひとりが騒ぎ出す。橋の中ほどで、急に異様な感じで橋が揺れ出した、と。他の二人は揺すっていない。誰も心当たりがない。副管理人にあたる人物は後日、こう書き残している。

あの揺れ方は普通に吊り橋を渡っていて起こる揺れとは全く違う異常なものだった、と。

橋は、その後ほんとうに落ちた。

二〇一九年の台風で、左岸の支流から大量の土石流が押し寄せた。土砂は吊り橋の高さまで達し、橋を破壊した。翌々年に釣りで入った人が撮った現地の描写が生々しい。

右岸側は一見ふつうに見えるのに、左岸側は「どこに橋が」という状態になっていて、通行不可の案内すら壊れていた。吊り橋自体は歪んで残っている。ワイヤーが切れて弾けたら危ないので、後年には近づけないように封鎖された。

この事故のあと、シラヌタは物理的に別の場所になった。橋が使えないので、行く人は沢を渡渉するしかない。防水の靴を履くか、靴を脱いで裸足で渡るか。実際に奥さんが靴を脱いで裸足で渡ってきた、という記録もある。

夜にこれをやるのは、率直に言って危険だ。増水していれば論外だし、渇水期でも足元は見えない。

そして皮肉なことに、橋が落ちたことで怪談は濃くなった。「崩落した吊り橋の先にある心霊スポットに単独潜入」というタイトルの動画が作られる。渡れない橋というのは、それだけで境界の記号になるからだ。

橋が架かっていたときは「三十人以上で渡るな」という奇妙な注意書きが怪談だった。橋が落ちてからは「渡れない」こと自体が怪談になった。装置が壊れても、装置としては機能し続けている。

「滝の音の中に、人の声が聞こえた」という一点だけが一貫している

ここからが本題だ。シラヌタで語られる怪異は、実はそんなに種類が多くない。だが、そのうちの一つだけが、時代も語り手も媒体も越えて、しつこく繰り返される。

声だ。

もっとも古い部類に入る心霊探索の記録の中に、こういう一節がある。池の探索を終えて、山道の途中の休憩所で反省会をしていたとき、同行者のひとりが「滝の音の中に、人の声が聞こえた」と言った。そして書き手自身も、実は聞こえていた。

設置しておいたビデオを再生してみたが、特に変わったものは映っていなかった。

このエピソードの何が優れているかというと、控えめなところだ。姿は見ていない。追いかけられてもいない。ただ、水音の中に声が混じっていた。それを二人が別々に感じていた。そして機械には残っていなかった。

怪談としてはむしろ地味なのに、この地味さが逆に、後続のすべての体験談の型になった。

声のバリエーションを並べてみる。「おーい」と呼ぶ声。うめき声。「うーうー」という低い音。水面から聞こえる、波以外の「ぼちゃぼちゃ」という音。どれも言葉になっていない。あるいは、なっていても「おーい」だけだ。名前は呼ばれない。

用件も言われない。ただ、呼ばれる。

そして、この声にはセットで禁忌がついている。振り返るな、というやつだ。

県の防災かるたに「引きずり込まれるぞ」と書いてある件

これは調べていていちばん驚いた。静岡県が県民向けの防災かるたというものを作っている。災害時の心構えを一枚ずつ読み札にしたものだ。その「う」の札が、これだ。

僕を呼ぶシラヌタの池まぼろしか、噂に惑わず真の情報。

解説文にはこう書かれている。天城山中深くにあるシラヌタの池は原生林で囲まれた神秘的な池でモリアオガエルの産卵地としても貴重です。言い伝えでは、「オーイ」と声がするが振返るな、引きずり込まれるぞ。

そして、災害時にはSNSなどで偽情報が拡散され誤った行動を取ることがあります、公的機関の情報を確認しましょう、と続く。

つまり県は、この言い伝えを「デマに惑わされるな」の比喩として使っている。うまい。うますぎるくらいうまい。だが同時に、行政文書が「オーイと声がするが振り返るな、引きずり込まれるぞ」という一文を、言い伝えとして公式に書き留めてしまったわけだ。

心霊系のまとめサイトが百件書くよりも、この一行のほうが重い。

そして注目すべきは、この言い伝えの構造だ。呼ばれる。振り返る。引きずり込まれる。これは戦後の心霊スポット談ではない。もっと古い、水辺の禁忌の形をしている。

実際、静岡県内の民俗資料には、川で子どもを亡くした母親が水の底の娘に会いに行き、別れ際に「絶対に振り向くな」と言われて、そっと見たら蛇が渦を巻いていた、という話が採録されている。振り返るなという禁忌と、水の中の蛇。

シラヌタの「オーイ」は、この系譜の末端にいる。

もうひとつ、東伊豆町には対になるような伝承がある。龍宮様の森の中の狐が、沖の漁船が明かりをつけるころに鳴く。その声が「オエー、オエー」だったときは、翌朝は大漁になる。

同じ町の中に、呼ばれると豊漁になる声と、呼ばれると引きずり込まれる声が並んで存在している。山と海で、声の意味が反転している。これはたぶん偶然ではない。

十六人首斬りの池――もっとも有名で、もっとも怪しい話

シラヌタの噂で圧倒的に流通しているのは、実はこの声の話ではない。戦争の話だ。

流布している型はこうだ。第二次世界大戦の終戦時、三人の日本兵が十六人の連合軍捕虜を撲殺し、この池に沈めた。その後、三人は捕虜の霊に苦しめられ、この池に身を投げて死んだ。

だから夜な夜な呻き声が聞こえ、池に近づいた者は無数の手に引きずり込まれる。地元の人間も近寄らない呪われた池である。

この話には細部のバリエーションがある。三人が引きずり込まれたとする版と、捕虜の命日に三人とも投身自殺したとする版。捕虜がアメリカ兵だとする版と、朝鮮半島出身者だとする版。

首を斬ったとする版もあって、二〇〇〇年代の探索記には「十六人首斬りの池」という見出しで『怪奇探偵コレクション』からの引用として紹介されている。

池のほとりに「十六人の霊供養、昭和二十六年五月十七日」と書かれた板があった、という具体的な記述まで存在する。ただしこの板が今もあるかどうかは確認されていない。

正直に書く。この話を裏づける一次資料は見つからない。戦争裁判の記録にも、地域史にも、捕虜収容所の所在地一覧にも、シラヌタの池は出てこない。十六人という数も、三人という数も、どこから来たのかわからない。

噂を紹介している側のサイトですら「この話には確かな証拠はありません」と明記していることが多い。

では完全な創作かというと、そこも即断できない。この地域には戦時中、外国人労働者が多く働いていたのではないか、という指摘が一部にある。

伊豆の山中には軍関連の施設や工事の痕跡が点在していて、その周辺で起きた出来事の記憶が、輪郭を失ったまま池に集まった可能性は否定できない。ただ、可能性は可能性でしかない。そして「可能性がある」と「あった」の間には、埋めてはいけない距離がある。

ここでひとつ、書き手として線を引いておきたい。仮に本当に十六人が死んでいるなら、それは怪談ではなく戦争犯罪の記録だ。

名前も国籍も残さずに「十六人」という数字だけが心霊スポットの売り文句として消費されている状態は、率直に言って、どちらの側の死者に対しても失礼だと思う。

この記事ではこの噂を「語りの型」として扱うが、実在の犠牲者を娯楽として消費するつもりはない。

石碑は慰霊碑ではなかった、という身も蓋もないオチ

この噂には、決定的な反証がひとつある。

池のほとりには石碑がある。テレビの心霊番組でも、たびたび映されてきた。当然、「これが殺された捕虜の慰霊碑ではないか」と語られた。夜に懐中電灯で照らすと、確かに不気味に見える。

だが、実際に昼間に行って読んだ人たちが、口を揃えて否定している。あれは、シラヌタの池と周辺の生物相を静岡県の天然記念物に指定したことを記念する石碑だ。教育委員会が建てたものだ。二〇一四年に訪れたブログには、こう書かれている。

これが戦時中に捕虜を殺して池に沈めたとされる慰霊碑なのか、と身構えたあとで、そんなわけねーだろーがよ、と自分でツッコんでいる。真新しい静岡県指定文化財の石碑だった、という別の記録もある。

さらに細かい話をすると、「池の近くに積まれた崩れかけた石組みのほうを慰霊塔と呼んでいるのではないか」という指摘もある。実際、探索記の中に「帰り際に見つけた崩れかけた石積み」という記述が出てくる。山仕事の遺構か、古い炭焼きの跡か、道の縁石か。

山の中の石積みなんて珍しくもない。だが夜に懐中電灯で見れば、それは塚に見える。

つまりこの怪談の物証は、二重にすり替わっている。天然記念物の記念碑が慰霊碑になり、それが否定されると今度は名もない石積みが慰霊碑になる。噂は、物証を失っても死なない。物証のほうを取り替えて生き延びる。

大蛇はこの山にいる。ただし、シラヌタの名では語られない

ここで視野を広げる。シラヌタ単体を見ていても、この場所の怖さの根っこは見えない。天城全体の水の伝承を見る必要がある。

まず、天城には大蛇がいる。しかも一匹ではない。

いちばん有名なのは河津七滝の由来譚だ。昔、伊豆には万太郎・万次郎・万三郎という三人兄弟の天狗がいた。万太郎は西伊豆の達磨山、万次郎は万次郎岳、万三郎は万三郎岳に住んでいた。

ある日、万三郎の妻が八丁池で洗濯をしていると、七つの頭を持つ大蛇が現れて、妻を食おうと近づいてきた。妻は必死に逃げ帰り、夫を呼ぶ。万三郎が駆けつけて剣を抜くと、大蛇は恐れをなして林の中へ消えた。

万三郎は、こいつは必ず戻ってくると読んだ。そこで兄たちと相談し、八丁池のあちこちに強い酒を満たした樽を七つ置いた。案の定、大蛇は戻ってきて、七つの頭それぞれで樽の酒をがぶ飲みし、酔って寝込んだ。兄弟は刀を抜き、七つの首をひとつずつ落とした。

夜が明けて見ると、大蛇の胴はみるみる川に変わり、切り落とした七つの首の切り口が、そのまま滝になった。それが河津七滝である、と。

ヤマタノオロチとほぼ同じ構造だ。酒で酔わせて首を落とす。ただし退治するのが須佐之男命ではなく天狗で、生まれるのが草薙剣ではなく滝だ、というのが伊豆らしい。神話の英雄譚が、地形の由来譚に着地している。

そして八丁池の主については、別の伝承もある。県史の民俗編には、八丁池の主は大鹿とも、七つ首の大蛇だともいう、と短く記されている。主が確定していない。鹿か蛇か、地元でも揺れている。この揺れが重要だ。主というのは名前ではなく、機能なのだ。

その水に何かがいる、という感覚が先にあって、姿はあとから選ばれる。

シラヌタの池には、この手のまとまった大蛇伝説が伝わっていない。少なくとも活字になったものは見つからない。だが、シラヌタは八丁池と地形的にも生態的にも兄弟のような関係にある。

八丁池の周辺が開発されたとき、モリアオガエルはシラヌタへ逃げてきた、という言い伝えすらある。カエルが逃げてこられる程度には、二つの池は近い。だとすれば、八丁池の主の話がシラヌタの闇に流れ込んでいても、まったく不思議ではない。

七つの池を持たなければ、大蛇にはなれない

伊豆の大蛇伝承を漁っていて、いちばん痺れたのがこれだ。松崎町に伝わる短い言い伝えで、県史にこう記録されている。

蛇が人に顔を合わさずに千年経つと、大蛇になれる。ただし大蛇になるには、やつの池を持たなくてはその資格がない。

やつの池、つまり谷戸の池、湿地の池のことだ。人に見られずに千年、そのうえで池を所有していること。この二つが大蛇の免許条件になっている。

伊豆の山の中で、人に見られずに千年いられる水がどこにあるかと考えたとき、シラヌタの池ほど条件に合う場所はない。地図に載っていない。獣しか来ない。深さ四十センチで、周囲は原生林。

さらに松崎町には、七つの池を持つ大蛇の話がある。池代と南伊豆に七つの池を持つ大蛇がいて、甲州から来た薬売りを呑んだ。その娘二人が仇討ちに来て、大蛇を射殺した。大蛇が死んで岩に挟まった場所をジャバサミという。

そこに寺が建てられ、蛇骨山大蛇院と名づけられた。この話は伊豆の南半分に何通りものバージョンで残っていて、呑まれるのが絹屋だったり針屋だったり猟師だったりする。共通しているのは、甲州から来たよそ者が呑まれ、その娘たちが仇を討つという構造だ。

この「呑まれる男」の話には、もっと不気味な細部がある。野田に伝わる版では、絹屋は大蛇のいる場所で急に眠くなる。寝てはまずいと気を張るのだが、蛇の気で眠くなり、とうとう寝てしまう。

腰の守り刀が勝手に鞘から抜けて大蛇を防いだので呑まれずに済んだが、あとから来た者がその刀を欲しがって盗んだ。刀を盗まれた絹屋は、次に呑まれた。

眠くなる。これが「見込まれる」ということなのだ。伊豆に限らず、日本各地の池の主の話では、主に目をつけられた人間は抗えない。三重の蛇喰池では、池のほとりで休んでいた娘が消え、履物だけが池に向かって揃えて脱いであった。

呼ぶと水面が波立ち、頭に十二本の角を生やして蛇体になった娘が現れ、私は池の主の嫁になりました、早く忘れてください、と告げて沈んでいった。

新潟の郡殿の池では、幼い頃に蛇に見込まれた娘が、渡し舟の真ん中で舟を止め、自分の手拭いを淵に下ろした瞬間に引き込まれた。

見込まれた人間は、抵抗しない。呼ばれて、行く。シラヌタの「オーイと呼ばれても振り返るな」は、この構造の禁止形だ。振り返るというのは、応答することだからだ。

雨乞いとは、水の主をわざと怒らせる技術だった

もうひとつ、伊豆の水の伝承で押さえておきたいのが雨乞いだ。ここを理解すると、「池に石を投げると天気が荒れる」という禁忌の正体がわかる。

中伊豆に万城の滝という滝がある。この滝の主は、大蛇とも赤牛ともいう。そして雨乞いのときには、七面堂の釣鐘をこの滝に沈めた、と県史は記録している。

釣鐘を沈める。とんでもない話だ。寺の鐘を持ち出して、滝壺に放り込むのだ。何をしているかというと、水の主を怒らせている。清浄な水域を金気と重量で汚し、主を不快にさせ、暴れさせる。主が暴れれば水が動く。水が動けば雨が降る。

雨乞いというのは、祈願であると同時に、挑発なのだ。

同じ構造の話は静岡県内にいくつもある。周智郡には雨乞淵という淵があって、そこには主の大蛇がいた。ある年の雨乞いで石を転がし入れた者がいて、その石が大蛇の耳に当たって傷つけた。以来、その水を飲んだ獣はすべて片耳になるという。

庵原郡では、淵の上で炭焼きをしていると毎日きれいな娘が遊びに来るので、淵の大蛇だと思って焼き石を投げ入れた。蛇は片目を潰され、信州の桜ヶ池まで逃げていった。

安倍郡誌に載る杉橋長者の話では、娘のもとに通う男の正体が池の主だと知った長者が、巨石を水中に投げ込み、蛇は片目を失った。今もその池の魚は片目だという。

石を投げる。主が傷つく。天が荒れる、あるいは呪いが残る。

だから「池に石を投げると天候が荒れる」という禁忌は、迷信ではない。これは雨乞いの逆用禁止だ。雨が欲しいときにだけ、共同体が儀礼として石を投げていい。それ以外のときに個人が勝手に投げると、いらない雨が降り、いらない嵐が来る。

禁忌というのは技術の裏返しなのだ。

そしてここが大事なのだが、この禁忌はいま、まったく別の意味で現役だ。シラヌタの池は県指定天然記念物で、動植物の採取が禁止されている。

水深四十センチの池に石を投げれば、モリアオガエルの卵塊も、イモリも、水底の泥に生きているものも、単純に迷惑する。天が荒れるかどうかは知らない。だが、投げてはいけないという結論だけは、千年前から変わっていない。

体験談その一――午前三時、木の間から白い顔が覗いていた

ここからは、実際に語られてきた体験談を、独立したものとして紹介していく。読み物として読んでほしい。

二〇〇三年十二月十四日。三人の探索者が、稲取での探索を終えたあと、伊豆心霊ツアーの最終目的地としてシラヌタへ向かった。到着は午前三時。車から降りるのも憚られるほどの寒さと、漆黒の闇。

入口から少し下ると、杉林になった。密集した木々の奥から、こちらを窺っている気配がする。気配のするほうへライトを向けたが、木が邪魔をして光が届かない。あとで写真を確認すると、左側の木々の間に、薄っすらと何かが写っていた。

拡大すると、木の間から白い顔がこちらを覗いているように見えた。

もう一枚には、オーブのようなものが写っていた。だが形が歪だったので拡大してみると、オーブではなく、口を大きく開けた顔だった。肩のあたりまで写っている。口を大きく開けているので怒っているようにも見えるが、よく見ると祈っているようにも見える。

同じ時刻に、別のメンバーが同じ方向を撮っていた。そちらには何も写っていなかった。

橋を渡る。渡りきったあたりから空気が変わった気がする。次の橋の手前には、なぜかロープが張ってあった。これ以上進むなという警告なのか、それとも別の意味があるのか。判断がつかないまま、ロープを無視して進んだ。

前方に何かの気配。暗くてよくわからない。動物だろうか。写真には、道の境目のあたりに、目だけが異様に光っている黒い塊が写っていた。動物ではない気がしたので、避けて通ることにした。

第二の休憩所が見えてきた。ここには先客がいるようだった。姿は見えない。建物の外にも何人かいるらしい。疲れていたので、結局そこで休憩することにした。休んでいる間ずっと、何者かが周囲をうろうろしている気配があった。

この記録の面白さは、恐怖の描写よりも、判断の描写にあると思う。気配を感じても休憩する。ロープがあっても無視する。目が光っていても避けて通るだけで引き返さない。人間は、怖くても目的地には行くのだ。そしてその引き返さなさが、次の怪異を呼ぶ。

体験談その二――三十人以上で渡るなと書かれた吊り橋が、ひとりでに揺れた

同じ夜の続きだ。

木の橋をいくつか越えると、頑丈そうな鉄柱が現れた。吊り橋だ。立て札には「危険ですので、三十人以上一緒に渡らないで下さい」と書かれている。三十人までは大丈夫なんだな、と自分を納得させて、三人は渡り始めた。

見た目は新しい。だが橋板が、なんとなく不吉な感じがする。渡っている最中、気のせいかもしれないが、橋が傾いているように感じた。アドベンチャー映画なら、ここで橋板が抜けるか、橋そのものが崩壊する。そんなことを考えながら渡りきった。

渡りきったところで、最後尾を歩いていた男性が騒ぎ出した。橋の中ほどで、急に異様な感じで橋が揺れ出した、と言うのだ。先を歩いていた者が揺すったのかと思ったが、本人は身に覚えがないと断言する。もうひとりも揺すっていない。

三人しかいない橋の上で、誰も揺すっていない揺れが起きた。

のちにこのときの副管理人は、こう書き残している。あの揺れ方は、普通に吊り橋を渡っていて起こる揺れとはまったく違う異常なものだった、と。

念のため、渡ってきたばかりの橋を振り返って撮影した。オーブが、まるで自分たちの後を追うように写っていた。

吊り橋というのは物理的に、必ず揺れる。歩行のリズムと橋の固有振動が合えば、後ろの人間には自分の歩調と無関係な揺れとして感じられる。夜で、視覚情報がなく、足元だけをライトで照らしている状態なら、この感覚はいくらでも増幅される。

だから合理的な説明はつく。つくのだが、この体験談が二十年以上語り継がれているのは、説明がつくかどうかとは別の理由だ。「誰も揺すっていない橋が揺れた」という一文が、単純に強いのだ。

体験談その三――轟音の向こうで、二人が同じ声を聞いた

こちらは別のグループの記録になる。時刻は午後六時。すでに日が暮れて、あたりは真っ暗だった。

別荘地にある小さな看板を頼りに山奥を探し回って、やっとシラヌタの池の入口を見つけた。ここから徒歩十五分。四人はかなり不安だったという。林の中は木がうっそうと茂っている。

ハイキングコースなので歩道自体はしっかりしているが、明かりがまったくない完全な闇だ。懐中電灯で足元を確かめながら、山を下りた。

川に架かる吊り橋を渡る。書き手が撮影した写真には何も写っていなかった。だが同行者のひとりが撮った写真には、人の形をした霧がはっきり写っていた。

二十分ほどで池のほとりに到着。真新しい静岡県指定文化財の石碑が建っていた。池の全景を撮ろうとしたが、ストロボが届かない。どこに何があるのかもわからない。写真の真ん中に写っている光は、自分たちの懐中電灯の灯りだった。

それでも、ここから一歩踏み出せば足元は底なし状態だという。簡単に膝まで入ってしまう。林の中にはロープが張ってあった。結界のようにも見えるが、何を意味しているのかはわからなかった。

池を一周探索し、テレビでよく映る石碑を確認した。噂では殺された捕虜の慰霊碑ではないかと言われていたが、実際には環境保護の記念碑だった。帰り際に、崩れかけた石積みを見つけた。

そして、山道の途中の休憩所で反省会をしているとき、同行者のひとりが言った。滝の音の中に、人の声が聞こえた、と。

書き手はこう続けている。実は私も聞こえていた。

設置しておいたビデオの上映会も行ったが、特に変わったものは映っていなかった。暗い休憩所で、四人が黙って小さな画面を覗き込んでいる。その光景のほうが、端から見たら怖いかもしれない、と書き手は書いている。

これがシラヌタの声の話の、たぶん核心にある一件だ。派手さがまるでない。だからこそ後続の全部の語りが、この形を踏襲することになった。

体験談その四――崩れた橋の先で、水面がぼちゃぼちゃ鳴った

もっと新しい記録も見ておこう。台風で吊り橋が壊れたあとの探索だ。

遊歩道は、もはや道ではなくなっていた。何度も転びそうになりながら下っていく。途中に小さな橋がいくつもあり、二番目の橋は完全に崩壊していた。

そこで、闇の中から不気味な声が聞こえてきた。うーうー、と聞こえる。しばらく様子を見ていたが、やがて聞こえなくなった。

さらに進むと道はほとんど消え、急な斜面になる。川のせせらぎが聞こえてきて、二つ目の東屋まで来ると、それは轟音になっていた。やがて吊り橋が見えてきた。川の轟音の上に、異様な姿の吊り橋が現れる。渡るとものすごくグラグラ揺れる。

震度五くらいの地震と同じくらい揺れる、と書き手は書いている。そして橋の先は、完全に崩落していた。

このままでは行けない。下を見ると、川の音がものすごい。だが川面をよく見ると、実は水量はそれほど多くない。防水のブーツを履いていたので、そのまま川を渡ることにした。川の真ん中から振り返ると、吊り橋が不気味に変形して見えた。

対岸は崩れやすかったが、なんとか登りきった。

道はもうない。道なき道を慎重に進むと、池が近づいてきた。池のほとりに着く。川と違って、池の水量はものすごく見えた。周囲は急斜面で、反対側に回り込むこともできない。

プロ用のビデオライトや高照度のフラッシュライトを使っても、対岸まで光が届かない。照度を上げても、かろうじて樹木しか写らなかった。

そして、どこからともなく、水面から波の音以外の音が聞こえてきた。ぼちゃぼちゃ、という音だ。しばらく水面を凝視していたが、音の正体はわからなかった。

帰りは、来たときの倍以上の時間をかけて斜面を登った。怪我なく戻れたのは幸運だったと書かれている。

正直に言うと、この記録でいちばん怖いのは音ではない。橋が落ちている場所を夜に単独で渡渉し、道のない急斜面を登り返している、その行程のほうだ。

「何が心霊スポットやねん」と言い切った人たちのこと

一方で、シラヌタを完全に肯定しない記録も山ほどある。むしろそちらのほうが多い。

伊豆に移住した人が、片瀬白田駅から歩いて池まで登った動画がある。所要一時間五十七分。道中ずっと自分の脈拍を読み上げながら登っていく、実用性の高い記録だ。壊れた吊り橋は封鎖されていたので、渡渉して池に着く。そして着いた瞬間、こう言い放つ。

最強の心霊スポット、シラヌタの池ですって、何が心霊スポットやねん、アホか。カエルが鳴いている。モリアオガエルの卵も少しだけ見えた。それだけの記録だ。

冬に訪れたブログもいい。周囲数キロにわたって誰もいない寂寥感に包まれる感覚は稀有なものだ、と書いている。そのうえで、心霊伝説はここを開発から守るのに一役買っているのではないか、と同行者と話した、と続く。

二〇〇八年にモリアオガエルの季節に行った人も、同じことを書いている。しらぬたの池では心霊現象は起きなかった、それどころか森の深い緑に癒される感覚さえおぼえた、と。だが、と続ける。

だが、しらぬたの池の心霊伝説は、それはそれで、ここを観光地化という人間の開発から防ぐ有効な手立てではないかと考える、と。

これは重要な視点だ。八丁池が開発されてモリアオガエルが逃げてきた、という言い伝えを踏まえると、なおさら重い。心霊伝説が、結果として生態系を守っている。怖い場所には、人があまり来ない。来ても長居しない。ゴミも減る。

もちろん逆に、肝試しで荒らす人間も呼び込むわけで、単純な話ではない。それでも、「畏れ」が保護区の代わりをしてきた場所は、日本中にある。シラヌタもそのひとつだと考えると、この怪談の役割が少し変わって見えてくる。

掲示板とSNSは、この場所をどう扱ってきたか

ネットでの扱いも見ておこう。

古い掲示板の伊豆スレッドには、あっさりした書き込みがある。先日、東伊豆のスポット巡りをした。同じようなことをしてる奴らがたくさんいた。シラヌタの池でテレビ局に遭遇したのには笑った――これだ。

二〇〇〇年代前半、テレビの心霊特番の季節になると、この山奥にロケ隊が入っていた。当時の視聴者が同じ晩に同じ場所へ肝試しに行き、藪の中で鉢合わせていたわけだ。

この一行が、シラヌタが「メディアで作られた心霊スポット」であることを、いちばん端的に証明している。

テレビ番組としては、『あなたの知らない世界』や『奇跡体験アンビリバボー』で取り上げられた、と複数のまとめが書いている。夏場の心霊番組で、旧天城トンネルとセットで何度も紹介された、という証言もある。

この「旧天城トンネルとセット」というのが効いた。全国区の知名度を持つトンネルの横に置かれることで、無名の池が一気に格上げされたのだ。

近年はもっぱら動画だ。崩落した吊り橋の先へ単独潜入する系、定点カメラを仕掛けて何か映っていないか確認する系、複数人でわいわい行く系。まとめサイトには七本前後の探索動画が登録されている。共通しているのは、映像に頼れないことだ。

真っ暗な原生林では、どんなライトを使っても対岸が写らない。だから動画勢は必然的に「音」に寄っていく。ぼちゃぼちゃ、うーうー、遠くの水音。声の怪談が生き延びている理由は、実はここにもある。この場所は、映像より音が撮れる場所なのだ。

SNSでは、また違う顔を見せる。大型カメラを担いだ写真家が、吊り橋が落ちていたので渓流を渡り、機材の重さで崖からずり落ちながら二日間の撮影日程をこなした、と投稿していたりする。

ホラー写真というハッシュタグをつけて、四季を通じてとても美しい場所です、陽が落ちると森で迷うのでご注意ください、と書いている人もいる。知らぬが仏で気にしないのが良いと思います、と付け加えて。

つまりシラヌタは、いま三つの層で語られている。テレビが作った戦争怪談の層。動画勢が更新している音の層。そして写真家とハイカーが更新している、風景の層。この三つは互いをほとんど否定していない。同じ池を、違う言語で語っているだけだ。

反証その一――声の正体は、たぶんカエルと水と地形だ

ここからは冷静な検討をしておきたい。怪談を書くときにこれをやらないのは、フェアじゃないと思っている。

まず声だ。「オーイ」「うーうー」「ぼちゃぼちゃ」。この三つには、それぞれ有力な候補がある。

シラヌタの池は、モリアオガエルの県内有数の産卵地だ。モリアオガエルの鳴き声は、カララ・カララと鳴いたあとに、コロコロ、クックックと続く。繁殖期には数十匹が集団で鳴く。そして卵塊を作るとき、彼らはまず池に飛び込む。

水を体に取り込んでから木に登るのだ。夜の池で「ぼちゃん」という音が繰り返し起きる理由として、これ以上わかりやすい説明はない。

渓流にはカジカガエルがいる。こちらは県の指定資料にもはっきり書かれている。カジカガエルの鳴き声は、フィー、フィフィフィ、という笛のような声だ。和名の「河鹿」は、この声が雄鹿に似ていることに由来する。

鳴くのは繁殖期の四月から七月、夕方から明け方まで。轟音の中に、笛のような細い声が混じる。これを人の声と聞くのは、そう難しいことではない。

そして水音そのものだ。谷が絞られた場所で水が落ちると、複数の周波数が同時に鳴る。両岸の斜面が反射体になり、位相がずれた音が重なる。人間の聴覚は、こういうホワイトノイズに近い音の中から、意味のあるパターンを勝手に拾い出すようにできている。

無関係な音の中に声を聞くやつだ。しかもこの現象は、疲労と暗闇と不安によって強く増幅される。往路で急斜面を下り、渡渉し、真っ暗な中を歩いてきた人間の耳は、もっとも誤作動しやすい状態にある。

だから「滝の音の中に声が聞こえた」という証言は、まったく嘘ではないと思う。実際に聞こえたのだ。ただし、鳴っていたのはたぶん、水とカエルと自分の脳だ。

反証その二――圏外は霊障ではなく、ただの圏外である

次に、林道での不調について。

「車が動かなくなる」「エンストする」「携帯が圏外になる」。この三点セットは、日本中の心霊スポットに標準装備されている。シラヌタでも例外ではなく、探索動画のタイトルにはっきり「電波の届かない山中にただひとり」と書かれているものがある。

電波が届かないのは、事実だ。ここは標高六百メートル台の谷底で、周囲は急斜面と原生林。基地局から見て完全に地形の陰になっている。最寄りの駅から歩くと二時間近くかかり、途中に人家は別荘地しかない。圏外になるのは、むしろ当然だ。

これを霊障と呼ぶのは、山を知らない都会の感覚だと思う。

車の不調のほうも、原因は地味だ。この林道はかなりの急勾配で、連続するヘアピンカーブを低速で登り続けることになる。夏場ならオーバーヒート気味になる車もあるだろうし、古い車ならなおさらだ。路面には落石が転がっていて、雨のあとは水が流れる。

すれ違いスペースはほとんどなく、バックでの下り返しを強いられる場面がある。真夜中に慣れない車で入って、パニックになって半クラッチを焼く。そういう物理現象の集積を、人は「動かなくなった」と語る。

「引き返せなくなる」という話も同じだ。別荘地の私道と林道が入り組んでいて、標識は小さく、夜間は識別できない。二〇〇三年の探索隊は、実際に二時間以上迷っている。

迷ったことを霊の仕業だと感じるのは自由だが、迷う道であることは、昼間に行っても確認できる。

そして最後に、いちばん厄介な要素がある。台風被害だ。二〇一九年以降、この谷の状況は何度も変わっている。吊り橋は落ち、遊歩道は流され、通行止めの看板そのものが壊れた。以前来たときと道が違う、という体験は、この場所では普通に起きる。

それを「同じ場所に戻ってしまう」と感じてもおかしくない。地形が本当に変わっているのだ。

反証その三――滝の取り違えと、後付けの噂

「しらぬたの滝」という名称そのものについても、書いておく必要がある。

繰り返すが、この名の滝は地形図にも滝の名鑑にも載っていない。伊豆の滝を網羅している資料を見ても、河津町だけで十五本の滝が登録されているのに、シラヌタの名がついた滝はない。

では「しらぬたの滝」とは何か。可能性は三つある。

ひとつ目は、シラヌタの池へ向かう途中で轟音を立てている、川久保川の落ち込みそのもの。東屋のあたりで音が変わるという証言が複数あり、実際に堰堤もある。名前がついていないだけで、滝は確かにそこにある。

ふたつ目は、取り違えだ。伊豆には有名な滝が多すぎる。河津七滝、浄蓮の滝、万城の滝、二階滝、佐ヶ野渓谷の滝群。心霊スポットとしても、旧天城トンネル、要害橋、八丁池、そしてシラヌタの池が近接している。この密集地帯では、記憶の中で地名が混ざる。

「伊豆の山奥の滝で怖い体験をした」という話が、いつのまにか一番不気味な名前を持つ「シラヌタ」に吸着されていく。地名というのは磁石なのだ。強い名前は、周囲の話を引き寄せる。

三つ目は、後付けだ。池のほうに知名度がついたあと、「じゃあその滝はどうなんだ」と考える人が現れる。滝壺に立つ人影、写真に写る白いもの、木の間から見ている顔。これらは池の体験談として先に語られたものが、そのまま滝に転用された可能性が高い。

実際、「木の間から白い顔が覗いている」という有名な心霊写真は、池ではなく、入口から下り始めた杉林で撮られたものだ。滝の写真ではない。だが語り継がれるうちに、場所の情報は落ちていく。

こういう「名前だけ先にある怪異」は、実は近年の心霊スポット文化ではよくある現象だ。ネットの検索キーワードとして流通しやすい名前が先に立ち、実体の位置が後からずれていく。しらぬたの滝は、その典型例に見える。

それでも、この谷では人が死んでいる

ここまで散々「合理的に説明がつく」と書いてきたので、逆のことを書く。この谷は、本当に危ない。

二〇二三年十一月、東伊豆町片瀬の川久保川に架かる要害橋で、二十代の女性が谷底へ転落して亡くなった。橋から谷底までの高さはおよそ四十メートル。報道によれば、シカを見たいとスマートフォンで撮影しているところだった、とされている。

観光で訪れていた人だった。

要害橋というのは、白田川をさかのぼり、堰口川との合流点から川久保川沿いの細い林道に入ったところにある橋だ。シラヌタの池へ向かう道の途中にある。心霊スポットのリストにも載っていて、和服姿の女性の霊が出るという噂がついている。

天城に合宿に来た学生たちが夜にマウンテンバイクの練習をしていて、カメラに和服姿の女性が写った、という話も流布している。地元では投身の名所とも言われてきた。

だが二〇二三年の事故は、心霊とはまったく関係がない。夜でもなく、肝試しでもなく、昼間に、動物を撮ろうとして、足元を誤った。それだけだ。それだけで、人はあの高さから落ちる。

天城の山全体でも、遭難は毎年起きている。二〇二六年の夏、警察が登山口で啓発活動を行った際の発表では、その年だけで七人が道に迷って遭難し、六月には八十歳の女性が滑落して亡くなっている。

同じ年の五月には、天城山系の遊歩道から四十代の女性が五メートルから十メートル滑落し、自分で消防に通報した。天候が悪くヘリが飛べなかったため、救助隊が担いで下山している。

こういう記録を並べると、シラヌタの怪談の位置づけが変わってくる。オーイと呼ばれて振り返ると引きずり込まれる、というのは、比喩ではないのだ。水に近づきすぎるな。斜面の縁に立つな。夜に来るな。呼ばれても行くな。

全部、そのまま安全指針として読める。

だから、はっきり書いておく。この記事は、夜間の入山も、沢への立ち入りも、肝試しも、まったく勧めない。明確に非勧めだ。吊り橋は落ちている。遊歩道は台風のたびに変わる。トイレはない。電波は入らない。

昼間に、行動可能な装備で、事前に町役場や公式の情報で通行可否を確認したうえで行ってほしい。それでも斜面は急だし、水際は見た目より深い。天然記念物の区域なので、動植物の採取もできない。石も投げないこと。理由は二つある。

禁忌だからと、生きものが迷惑するからだ。

天城という土地は、怪異を貯めこむ構造になっている

シラヌタ単体を離れて、もう少し大きな話をする。なぜ伊豆の、この一角に、これほど怪異が集まるのか。

まず、文学がある。川端康成の『伊豆の踊子』は一九二六年。旧天城トンネル、正しくは天城山隧道は一九〇五年開通で、全長四百四十五・五メートル、壁面もアーチも全部切り石で組まれた、日本に現存する最長の石造道路トンネルだ。

二〇〇一年には道路トンネルとして初めて国の重要文化財に指定されている。文化財である。そのうえで、日本有数の心霊スポットでもある。

そこに一九五九年、松本清張の「天城越え」が重なる。これは意図的に『伊豆の踊子』の裏返しとして書かれた小説だ。

踊子の主人公が二十歳の高等学校生で朴歯の高下駄を履き、修善寺から下田へ向かうのに対し、清張の主人公は十六歳の鍛冶屋の倅で、裸足で、下田から修善寺へ向かう。踊子の主人公が茶屋に五十銭銀貨を置くのに対し、清張の主人公の全財産は十六銭だ。

そして殺人が起きる。同じ峠道の上で、純文学の名作の真裏に、少年の性衝動と犯罪の話が敷かれた。

これで天城峠は、「事件が起きるにふさわしい場所」として型が固まった。一九八〇年代以降、内田康夫、深谷忠記、島田一男、吉村達也、西村京太郎といった作家たちが、次々に天城峠を舞台にした推理小説を書く。

ある作家は「推理作家として、天城峠は何度でも殺人事件を引き起こしてみたくなる場所なのだ」という趣旨のことまで書いている。一九八三年には映画『天城越え』が公開され、一九八六年には石川さゆりが同じ題名の歌をヒットさせる。

つまり天城峠は、文学と映画と歌謡曲によって、四十年以上かけて「暗い情念の土地」として上塗りされ続けてきた。

トンネルの怪談――工事の犠牲者の霊、武士の霊、人柱、女の霊、車の手形、エンスト、ピントが合わない写真――は、この上塗りの上に生えたものだ。石造りの隧道という実物があり、その周囲に近代文学の重みがあり、そこにテレビの心霊特番が入ってきた。

河津側に降りれば、七滝がある。ループ橋がある。踊子歩道がある。初景滝には踊り子と私のブロンズ像が立っている。一方で、七滝は台風で遊歩道が崩れ、大滝を見るのに旅館へ料金を払わなければならない時期が六年も続いた。

地元のトラブルとしてテレビ番組にも取り上げられた。観光と災害と権利関係が、同じ谷で絡み合っている。

その少し東に、シラヌタの池と要害橋がある。心霊スポットのまとめでは、シラヌタから要害橋まで二・二キロ、八丁池まで四・八キロと計算されている。この密度だ。

徒歩圏内に、重要文化財と、文学碑と、心霊スポットと、天然記念物と、実際の死亡事故現場がある。

天城が怪異を貯めこむのは、要するに、標高差と水が全部この山に集中しているからだ。狩野川を除けば、伊豆のほとんどの川は長さが十キロもない。下流が省略されている、と表現した人がいた。水源の天城が険しすぎて、川が急に海へ落ちるのだ。

急峻な谷、深い淵、無数の滝、そして地すべりで生まれた池。水辺が多すぎる。そして民俗学の言い方を借りれば、水辺とは生活空間と異界の境目だ。

なぜ怖いのか――「知らない」が地名になっている場所

最後に、この場所がなぜ怖いのかを整理しておきたい。

答えは、名前にあると思う。

不知沼。知られていない沼。この地名は、対象の属性を述べていない。人間の側の無知を述べている。深い沼でも、暗い沼でも、蛇の沼でもなく、「知らない」沼なのだ。地図に載っていないことが、そのまま名前になっている。

これは怪談にとって最強の条件だ。知らないものについては、何を語ってもいい。実際シラヌタは、その空白に、あらゆるものを吸い込んできた。戦争の記憶。捕虜の数。投身自殺。池の主。振り返るなという禁忌。テレビ番組。心霊写真。動画配信。

そして最近では、実際に起きた転落事故の記憶まで。

もうひとつ、怖さの技術的な要因を挙げる。この場所は、感覚の一部を確実に奪う。

視覚は奪われる。原生林と急斜面のせいで、どんなライトを持ち込んでも対岸が見えない。プロ用のビデオライトを使っても樹木しか写らない、という証言がある。

方向感覚も奪われる。谷底なので、遠景の目標物がない。星も見えない。町の灯りも見えない。

通信も奪われる。圏外だ。助けを呼べない。

そのうえで、聴覚だけが過剰に働く。轟音の中に何かが混じる。カエルが鳴く。水がぼちゃんと鳴る。人間は、情報が減った状態で音だけ与えられると、必ず物語を作る。

だから、シラヌタで人が聞く「オーイ」は、外から来る声ではない。奪われた感覚が作り出す声だ。だが、それを「気のせい」と切って捨てるのも違うと思う。人間が何百年も、水辺で同じ声を聞いてきたという事実のほうが、はるかに興味深いからだ。

そして最後にもう一度。この池は、山が崩れてできた。土石流が沢を塞いで水が溜まった。生まれた瞬間から、災害の記憶でできている。その池が、二〇一九年の台風でまた土石流に襲われ、橋を失った。県が防災かるたの札に選んだのも、たぶん偶然ではない。

災害でできた池が、災害のたびに姿を変え、その池にまつわる「呼ばれても振り返るな」という言い伝えが、デマに惑わされるなという教訓として札に刷られている。ここまで来ると、怪談と防災の区別はほとんど意味をなさない。

どちらも「近づき方を間違えると死ぬ」ということを、別の言語で言っているだけだ。

ここからは総括と、本文に入れきれなかった追加の考察を書く。少し長くなる。

まず、この記事を書きながらずっと引っかかっていたことがある。シラヌタの怪談は、なぜ「大蛇」の名で語られないのか、という点だ。

伊豆の水辺の伝承を一通り並べると、大蛇の話は異常なほど多い。松崎町の大蛇院とジャガバサミ。南伊豆の大池と檜ケ原池を行き来する大蛇。伊豆の国市の大池で嫡子を呑まれた江間小四郎が、大蛇の片目を射た話。中伊豆の万城の滝の主。八丁池の七つ首。

下田の蛇石峠。西伊豆の龍巣院の毒龍。数え上げればきりがない。しかもそのほとんどが、池と滝と淵に紐づいている。

なのにシラヌタの池には、大蛇の話が伝わっていない。少なくとも活字になった民話集には見当たらない。これは奇妙だ。伊豆でもっとも大蛇にふさわしい水域に、大蛇がいない。

理由の仮説を三つ立ててみた。

第一の仮説は、そもそも人が住んでいなかった、というものだ。伝説というのは、共同体が生活の中で語り継ぐことで残る。田を潤す池、村の水源、街道沿いの淵。そういう「生活と接している水」には話がつく。だがシラヌタは、生活と接していない。

麓の白田や片瀬の集落からは標高差が六百メートル以上あり、田も畑もない。国有林で、林野庁の学術参考保護林だ。人が生活していない場所には、民話は生えない。生えるのは、外から来た人間が持ち込む噂だけだ。

第二の仮説は、大蛇の話は八丁池が吸ってしまった、というものだ。天城の池の主の座は、すでに八丁池の七つ首が占めている。しかも七滝という一大観光地の由来譚まで背負っている。同じ山塊に、主の座はそう何個もいらない。

シラヌタは、主のいない池として残された。

第三の仮説が、たぶんいちばん面白い。シラヌタの主は、まだ資格を満たしていないのではないか、という読み方だ。松崎町の言い伝えを思い出してほしい。

蛇が人に顔を合わさずに千年経つと大蛇になれる、ただし大蛇になるには、やつの池を持たなくては資格がない。人に顔を合わせない。池を持つ。この二つだ。地図に載らず、誰も知らず、獣しか来ない池。

ここに何かがいるとしたら、それはまだ名乗っていない何かだ。名乗っていないから、名前がない。名前がないから、人は勝手に名前をつける。連合軍捕虜の霊、日本兵の霊、投身自殺者の霊。全部、後から人間が貼った名札だ。

この読み方でいくと、シラヌタの怪談の本体は、実は「無名性」そのものになる。それが不知沼という地名と完璧に噛み合ってしまう。出来すぎている気もするが、伝承というのは大体こういう出来すぎ方をする。

次に、戦争怪談の構造について、もう少し踏み込んで考えたい。

十六人の捕虜と三人の日本兵。この話は、日本の心霊スポット談の中でも、かなり特徴的な型に属している。加害者が被害者に殺される、という往復構造を持っているからだ。

普通の怨霊譚なら、殺された側だけが化ける。だがこの話では、殺した三人も池に引きずり込まれて死に、そして悪霊になる。だから池には二種類の霊がいることになる。捕虜の霊と、日本兵の霊。呻き声はどちらのものかわからない。

無数の手はどちらの手かわからない。

この曖昧さは、たぶん意図されたものではない。だが結果として、この話は「戦争では加害と被害が入り混じる」という戦後日本の感覚を、非常にわかりやすい形で密輸している。誰が悪かったのかを問わない。ただ、水の中に手が伸びている、とだけ言う。

そして注意しなければならないのは、この型が実在の出来事を必要としていない、という点だ。戦時中に日本の山中で外国人労働者が働いていたのは事実だし、事故や不当な扱いがあった場所も現実にある。だがそれは、この池の話の裏づけにはならない。

「近くで似たことがあったかもしれない」は、「ここであった」の証明ではない。二〇〇三年の探索者自身が、編集後記でこう書いている。

米軍捕虜十六人惨殺事件とかは本当にあった事なのでしょうか、それが実際の出来事であったのか否かは分かりませんでした、と。二十年以上前の時点で、当事者が判断を保留している。

さらに、慰霊碑をめぐる話が象徴的だ。テレビが映した石碑は、実は天然記念物の指定記念碑だった。これが判明したあと、噂は消えなかった。かわりに「本当の慰霊塔は池の近くの石積みのほうだ」という説に移った。この移動が、噂の生態を教えてくれる。

噂は、否定されると場所を変える。反証は噂を殺さない。反証は噂を移住させるだけだ。

もう一点、「地元民も近寄らない呪われた池」という定型句についても書いておく。この言い回しは、日本中の心霊スポットの紹介文に使われている。だがシラヌタに関しては、事実と真逆だ。

地元は、この池をむしろ推している。伊豆半島ジオパークの公式ジオサイトになっている。県指定の天然記念物として文化財ナビに載っている。町の観光課が問い合わせ先になっている。

地元のペンションは、ここまで徒歩約六十分、大杉まで九十分、往復三時間の森林浴です、と案内している。地域の学級活動でも訪れている。この池は、地元にとっては誇るべき自然であって、忌避される場所ではない。

「地元民も近寄らない」というのは、外から来た語り手が、その場所を特別に見せるための修辞なのだ。そして、この修辞を書くとき、書き手は現地の人間を一度も取材していない。

シラヌタの心霊記事を大量に読んで気づいたのは、地元の人の声がほとんど出てこないことだった。出てくるのは、都市部から車で来た探索者と、テレビのクルーと、動画配信者だけだ。

これは倫理の問題でもある。現に人が暮らし、寺社があり、産業がある土地を、外部の人間が「呪われている」と言って回るのは、それ自体がひとつの加害になりうる。この記事では、東伊豆町にも河津町にも伊豆市にも、そういう扱いをしないと決めている。

伊豆最恐という煽り文句は、この記事では一度も使っていない。使う気もない。

さて、もう少し民俗の側に戻る。この記事を書いていていちばん収穫だったのは、雨乞いと禁忌の関係が見えたことだった。

万城の滝に釣鐘を沈める。雨乞淵に石を転がし込んで大蛇の耳を傷つける。淵に焼き石を投げ入れて大蛇の片目を潰す。池に焼いた石を七日七夜投げ入れて毒蛇を殺す。これらは全部、静岡県内に採録されている実話めいた伝承だ。

共通しているのは、水の主に対する物理的な攻撃だ。しかも「焼いた石」が繰り返し出てくる。熱と重量で、水を侵す。

こういう荒っぽい雨乞いは、日本各地にある。神仏の像を水に沈める。汚物を投げ込む。牛の首を沈める。どれも「水を汚して主を怒らせ、主が動くことで雨を降らせる」という同じ論理に立っている。祈りではなく、脅迫に近い。

共同体が飢饉の瀬戸際で、神に手を出す。それが雨乞いの本質のひとつだった。

そう考えると、「池に石を投げると天候が荒れる」という禁忌は、じつは正しい因果認識なのだ。石を投げれば天気は荒れる。だってそれが雨乞いの技法だから。ただし、共同体が飢饉のときにやる場合だけ許される。それ以外のときにやれば、いらない嵐が来る。

禁忌は、技術の使用制限規定だ。

この視点で見ると、シラヌタの「振り返るな」も違って見えてくる。あれは、水の主とのコミュニケーションを禁止する規定なのだ。呼ばれる、という現象自体は禁止できない。だが応じることは禁止できる。振り返る、返事をする、名を告げる。

そういう応答の一切を禁じることで、契約の成立を防ぐ。

池の主に見込まれた娘の話を思い出してほしい。伊賀の蛇池では、娘は履物を揃えて脱いで、水に入っていった。誰も強制していない。娘は自分の足で行った。新潟の郡殿の池では、少女は自分の手拭いを淵に下ろした。だから引き込まれた。応答してしまったのだ。

シラヌタの言い伝えは、この応答を止めるためにある。オーイと呼ばれても振り返るな。返事をするな。関わるな。

そしてこれが、二〇二五年の県の防災かるたでは「噂に惑わず真の情報」になっている。SNSに流れてくるデマに反応するな、応答するな、確認しろ。構造がまったく同じだ。

呼ばれるものに軽々しく答えるな、という教えが、水の主からタイムラインへ、そのまま乗り換えた。四百年か千年か知らないが、長く生き延びてきた禁忌が、いま新しい宿主を見つけている。これはちょっと感動的な話だと思う。

最後に、この場所のこれからについて書いておきたい。

吊り橋は落ちたままだ。修復されるかどうかはわからない。修復されないほうがいい、と言う人もいるだろう。実際、橋が落ちて以降、軽装で来る人は減っているはずだ。渡渉が必要な場所には、覚悟のある人しか来ない。

そしてモリアオガエルにとっては、そのほうがいい。八丁池から逃げてきた、と言い伝えられているカエルたちにとって、ここは最後の避難所かもしれないのだから。

一方で、この谷はこれからも崩れる。天城火山の斜面はもともと地すべり地形で、地形図には地すべりの記号がついている。林道のヘアピンカーブの山側は崩落崖だ。台風が来るたびに、遊歩道は形を変える。

池自体、いまは川からパイプで水を引いて維持しているのではないか、と観察している釣り人もいる。人の手が入らないと干上がってしまう儚い池なのかもしれない、と。

地図に載っていない池が、人の手で維持されているかもしれない。この事実は、怪談として読むと、ちょっとぞっとする。誰も知らないはずの池を、誰かが世話している。だがこれは怪談ではなく、たぶん保全のための普通の作業だ。

天然記念物とは、そういうものだ。

そして怪談のほうも、同じように誰かが世話をしている。テレビが型を作り、掲示板が広め、動画が更新し、まとめサイトが定型文を保存し、そして県の防災かるたが札に刷った。誰も知らないはずの池の噂は、いま、公文書の中にまで根を張っている。

「オーイ」と呼ぶ声が本当にあるかどうかは、正直、どうでもいい気がしてきている。重要なのは、あの谷に降りていくと、人は必ず耳を澄ませてしまう、ということだ。轟音の中に何かを探してしまう。そして探せば、必ず見つかる。

カエルの声、水の跳ねる音、風で鳴る枝、自分の心臓。

そのとき絶対にやってはいけないのは、振り返ることではない。足元から目を離すことだ。あの斜面は急で、水際は落ち葉で隠れていて、四十メートル下に谷底がある橋も近くにある。実際に人が亡くなっている。だから、もし行くなら明るいうちに行ってほしい。

装備を整えて、通行できるかを事前に確かめて、複数人で行ってほしい。夜は行かないでほしい。沢に降りないでほしい。肝試しでは行かないでほしい。石は投げないでほしい。

千年前の伊豆の人たちも、たぶん同じことを言っていた。言い方が違うだけだ。あの水には主がいる。呼ばれても、行くな。

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