- 小料理屋の女将には、事務所の奥が見えなかった
- 迎えの車が着いたとき、事務所には灯りがあった
- 売上金は、むき出しのまま外の階段を上っていた
- 閉店から15分、セキュリティが2度鳴った
- 47歳の女性は、金庫のそばで撃たれていた
- 女子高生2人は、背中合わせに縛られていた
- 弾は5発、うち1発は金庫の扉へ
- 526万円は、金庫の中で眠っていた
- 床の血だまりを、犯人は一度も踏んでいない
- 足跡から出てきた、鉄粉と粘土と苔
- 粘着テープに残った指紋の一部
- 8点の一致と、12点の壁
- 強盗なら、なぜ金庫を開けさせなかったのか
- 差出人の分からない一通の脅迫文
- 拘置所から出された、1通の手紙
- 線条痕が似ていた、という報道
- 大連の拘置所で、4日間の聴取が行われた
- トロントの食料品店で働いていた男
- 旅券法違反だけで裁かれた男
- 似た拳銃は、2009年に押収されていた
- 時効の7月を、法律が先に飛び越えた
- 20時56分の若いカップルと、吸い殻の女性
- 店はひまわりと名を変え、駐車場になった
小料理屋の女将には、事務所の奥が見えなかった
1995年7月30日の夜10時ごろ、八王子市大和田町のスーパーの事務所を、小料理屋の女将が訪ねた。扉の鍵は開いていた。女将は戸を開けて中へ入り、入口のあたりから声をかけたが、返事はない。人の気配もなかったので、いったん車へ引き返した。
女将は身長が150センチほどと小柄で、入口に置かれたカウンターの高さが邪魔になり、部屋の奥までは見通せなかったらしい。車には、ひとりの男性が待っている。事務所で働くパートの女性を迎えに来た知人で、いつまでたっても彼女が出てこないので、女将に頼んで様子を見に来たのだった。
2人はもう一度、事務所の中へ入った。そこで目にしたのは、頭を撃ち抜かれて床に倒れた3人の女性。午後10時8分、2人は近くの北八王子交番へ駆け込んだ。
警察官の緊急通報で、事件は初めて世に出る。わずか数十分前まで、そこには何ごともない夜があった。
迎えの車が着いたとき、事務所には灯りがあった
事件の流れは、あとから分刻みで組み立てられている。スーパーの閉店は午後9時で、9時15分に、パートの女性が事務所の電話から知人の男性へ、迎えに来てほしいと頼んだ。この時刻の裏づけは、通話の記録。
9時20分、男性は車で到着した。まだ従業員の姿は外にない。男性は駐車場に車を停め、彼女が出てくるのを待つことにした。事務所の窓には灯りがともり、誰かが中にいるように見えたという。
待っても誰も現れず、9時45分になって、男性は先に行ってしまったのだろうと考えた。約束の小料理屋を確かめに向かい、9時50分ごろに着く。彼女はいなかった。
不審に思った男性は、事務所へ戻ることにした。事務所は更衣室も兼ねていて、着替えの最中かもしれず、男性ひとりで入るのはためらわれる。そこで女将に同乗を頼み、冒頭の場面ができあがった。
あとから分かったことがある。3人とも、制服から私服に着替え終えていた。帰り支度の最中に、何者かが押し入ったと見られている。
売上金は、むき出しのまま外の階段を上っていた
ナンペイ大和田店の売上金には、少し変わった運ばれ方があった。レジの引き出しごと抜き取って、いったん店の外へ出る。外の通路を歩き、駐車場に面した外階段を上って、2階の事務所に入り、そこで金庫へしまう流れだった。
店の構造上、中から事務所へ直接上がれる道がなかったからだ。現金をむき出しのまま持ち歩く姿は、近所の人たちにも知られていたと伝えられる。防犯の面では、どう見ても危うい店。
事務所は、事件より前に何度か空き巣に入られている。営業中は入口に鍵がかからないことも多く、夜も同じだったという。万引きの被害も続いていて、店は外階段の下に、泥棒に宛てた警告の貼り紙を出していた。
夜の勤務を女性だけに任せる日もあった。事件の夜は、まさにその典型。殺された47歳のパート従業員は、店の防犯が心配だと周囲にこぼしていて、その不安から一時は店を辞めていたこともあるという。
閉店から15分、セキュリティが2度鳴った
警視庁が付けた正式な事件名は、大和田町スーパー事務所内けん銃使用強盗殺人事件である。長い名前だが、現場で起きたことをそのまま並べた名前だ。世間では、店の名前を取ってナンペイ事件と呼んできた。
午後9時15分、事務所のセキュリティシステムが作動して、入口の扉が施錠された。ところが1分後の9時16分に、システムが再び作動し、扉は解錠される。帰宅のために3人が外へ出た時刻と見られている。
外には、犯人がいたらしい。3人は拳銃で脅され、事務所の中へ押し戻されたと推測されている。犯行は9時15分ごろから、ほんの数分のあいだに終わった。
当時、閉店後のスーパーを狙って拳銃で人を殺した事件は、日本に前例がなかったという。この事件は、国内の銃器犯罪の始まりのひとつに数えられることが多い。事務所の灯りの下で、そんな時代が始まっていた。
47歳の女性は、金庫のそばで撃たれていた
3人のうち、パート従業員の女性は、事務所の奥の金庫の横で見つかった。頭を金庫にもたせかけるようにして倒れ、足は入口のほうを向いている。縛られてはいなかった。
銃把で右の顔を殴られた痕があり、そのあと、金庫の隣に置かれた冷蔵庫の脇の隙間へ突き飛ばされたと見られる。撃たれたのは頭に2発で、1発は至近距離から額へ、もう1発は垂直に近い向きで頭のてっぺんへ入っていた。
銃口の熱で皮膚が焼けた痕も残っている。それほど近くから撃ったということだ。なぜ2発目まで撃ち込んだのか。理由は、今も分からない。
殴られ、突き飛ばされ、至近距離から2度撃たれた。3人の中でこの女性だけが、銃弾のほかにも暴力を受けている。この差が何を意味するのかは、謎のまま残る。
女子高生2人は、背中合わせに縛られていた
アルバイトの女子高生2人は、17歳と16歳だった。2人は部屋の中央、金庫の手前に倒れていた。頭は事務所の入口側を向き、姿勢はうつ伏せだ。
口は粘着テープでふさがれ、互いの右手と左手を同じテープで縛られて、背中合わせにされていた。テープはよじれていたという。犯人は片手に拳銃、もう片手にテープを持って縛ったと推測されている。
後頭部へ、1発ずつの至近射撃。ごく近い距離から撃たれ、2人とも即死だった。3人の犠牲者は、いずれも脳幹を正確に撃ち抜かれている。
捜査員が引っかかったのは、そこだった。至近距離から迷わず頭を狙い、急所を外さない撃ち方は、一般の人間にはなかなかできないという。撃ち慣れた者の仕業ではないかという見方は、この傷の位置から生まれた。
弾は5発、うち1発は金庫の扉へ
犯人が撃った弾は、全部で5発だった。4発は被害者に当たり、残る1発は金庫の扉に向けて撃たれて、弾は机の下から見つかっている。金庫の扉には、その弾痕が残った。
扉に向けて撃ったのは、女性たちを威嚇して従わせるためだったのか。それとも、金庫か中の現金に何かの執着があったのか。捜査本部は、両方の見方を残している。
使われた拳銃は、フィリピン製の38口径、スカイヤーズビンガムとされる。アメリカのコルト社の拳銃を模した品として知られ、性能は低い。粗悪で、狙った所に当たりにくい銃だと言われてきた。
ところが、現場の傷は正確すぎるほど正確だった。当たりにくいはずの銃で、3人の脳幹を確実に撃ち抜いている。この食い違いが、犯人は銃の扱いに慣れた人物だという推測を支えている。
526万円は、金庫の中で眠っていた
金庫の中には、週末の売上金が約526万円入っていた。これが手つかずで残されている。金庫を開けようとした形跡さえなかったという。
事務所の中の現金や貴金属も、そのままだった。3人の財布や持ち物も、物色された跡がない。机の引き出しを開けた様子すらなかった。
強盗が目的なら、あまりに奇妙な現場。奪うものは目の前にあった。それなのに犯人は、何も持たずに階段を下りている。
一方で、金庫には鍵が差し込まれたままだったという話もある。犯人が女性を脅して金庫を開けさせようとして、途中で何かが狂った。そんな筋書きも語られる。確かな答えを持つ者は、犯人ただひとり。
床の血だまりを、犯人は一度も踏んでいない
床には、被害者の血が広がっていた。犯人はその血だまりを踏まずに出ていったうえ、室内を縦横に歩き回った形跡もない。
動線は、入口から金庫のあたりまでを、ほぼまっすぐ往復しただけだった。金庫の周りをうろつき、被害者の倒れた付近を歩き、撃ってからそのまま入口へ戻る。無駄のない足取り。
部屋は、ほかに荒らされていない。慌てて逃げた者の現場には見えず、落ち着き払った運びが、かえって捜査員の目を引いた。
血の海を避けて歩く余裕が、人を3人撃った直後にあったのか。そんな冷静な人間が、強盗の途中で金庫を放り出すだろうか。この疑問は、動機を考える議論の出発点になっている。
足跡から出てきた、鉄粉と粘土と苔
事務所の床には、犯人のものと見られる足跡が約10個残されていた。この数と並び方から、実行犯は1人と判断されている。靴のサイズは26センチ。
足跡には、微細な鉄粉と粘土、苔が付いていた。鉄粉は溶接の際に飛び散ったものと見られ、実行犯は溶接の作業に関わったか、鉄工所のような場所に出入りしていた可能性がある。
靴底は、広島県のゴムメーカーが作ったものだった。運動靴など約30種類の靴に使われたゴムで、多摩地区では吉祥寺や調布の店で、1万円から1万5千円ほどで売られていたという。
絞り込みは難しい。足跡は、1人分の体の大きさと、仕事の匂いを教えてくれる。だが名前までは、教えてくれない。
粘着テープに残った指紋の一部
犯人が素手で触れた物のひとつが、2人を縛った粘着テープだった。捜査機関は特殊な薬品を使い、テープの粘着面から、犯人のものと見られる指紋の一部を取り出している。汗の成分も付いていた。
事務所の机には、手袋の痕が残っていた。犯人は手袋をはめて入ったものの、テープを扱うときだけ外して素手になったのではないか。そんな推測がある。
テープからは、被害者とは異なる細胞内小器官の遺伝子型も見つかった。犯人のものとされるが、この型だけで個人を特定することは難しい。
指紋の一部と、遺伝子型。犯人に近づく確かな手がかりは、粘着テープの小さな面に集まっていた。
8点の一致と、12点の壁
2015年2月に、ひとつの報道が出た。テープの指紋が、警察のデータベースにある指紋とほぼ一致したというのだ。1000万人分を超える記録と照らして、8点の特徴点が合った。
8点の一致は、1億人にひとりの確率だと言われる。それでも、警察や司法が同一人物と断定する基準は12点で、4点足りず、証拠としては使えなかった。
指紋の持ち主は、約10年前に60代で病死した男性だった。元は運送業の関係者で、事件の2年前に盆栽の窃盗容疑で逮捕され、そのときに指紋を取られている。
この男性は、事件の前から捜査線上にいた。事件の1か月ほど前、息子が起こした交通事故で多額の賠償を求められ、支払いに困っていたという。多摩地域に住み、現場で目撃された車と同じ型の白いセダンを持っていたため、参考人として事情も聞かれていた。
それでも、疑いは固まらなかった。勤め先に残るタイムカードから、事件の時間帯のアリバイが成り立つ見込みが高い。親族から取った遺伝子型も合わず、実行犯ではないとの見方が強まっている。
ではなぜ、テープに指紋が付いたのか。男性が触れた粘着テープを、周りの誰かが使ったという筋書きを、警視庁は視野に入れている。ほぼ一致と報じられた指紋は、事件を解くより先に、新しい謎を連れてきた。
強盗なら、なぜ金庫を開けさせなかったのか
動機については、特別捜査本部が強盗と怨恨の両面を追っている。先入観で捜査を偏らせれば、大事な情報を見落とす。そう考えて、予断を持たない姿勢を保っている。
強盗説の根拠は、いくつもある。事件の前から、事務所は不用心で知られていた。同じころ、多摩地域を中心に、夜のスーパーの事務所を狙う短銃強盗が相次いでいて、その手口が、この事件とよく似ていたという。
3人を外で待ち伏せて押し戻し、粘着テープで縛る。金庫に向けて発砲する。金品を狙った犯行と見るのは自然だ。金庫の番号を、すぐには聞き出せなかったのかもしれない。
ひっかかる点もある。殺されたパート従業員は、夜間の責任者のような役目を担い、金庫の開け方を知っていた。店長の机には、番号を書いた紙まで貼ってあったと伝えられる。
脅せば開けさせることはできたはずなのに、犯人は3人を短時間で撃ち殺している。この食い違いが、強盗説の最大の弱点だ。
差出人の分からない一通の脅迫文
怨恨説を後押しする話もある。47歳のパート従業員は、生前に、カッターナイフの刃が同封された脅迫文を受け取っていたという。命がないぞ、という趣旨の内容だった。
差出人は、今も分かっていない。事件との関係も、はっきりしない。警察は、この脅迫文を含む周辺の人間関係を、長く洗ってきた。
怨恨なら、狙いは1人だったことになる。残る2人の女子高生は、そこにいたというだけで命を奪われたのか。この見方に立つと、2人を縛った理由も、別に考える必要が出てくる。
女子高生2人や会社、経営者に、犯行につながる恨みがあったという有力な情報は、今のところない。店は万引きに悩み、貼り紙で警告していたため、店に恨みを持つ者がいた可能性も捨てきれない。決め手の不在。
拘置所から出された、1通の手紙
別件で拘置されていた暴力団関係者が、別の拘置所にいる知人へ宛てて、手紙を書いた。手紙には、自分が事件の一部に関わったことをにおわせる文面があったと報じられている。
実行犯として、元自衛官の実名が挙げられていたという。名前を聞けば、手紙が事実かもしれないと思う人もいるだろう。しかし裏付けは出なかったので、ここに名前は書かない。
拘置所の中の知人へ向けた手紙には、虚勢や噂話が混じりやすい。警察も、書かれた内容を現場の物証と突き合わせたはずだが、逮捕には至らなかった。
この種の話は、事件が大きいほど増える。確かなのは、そうした手紙が存在したと報じられたことと、実行犯が特定されていないことの2つだけだ。
線条痕が似ていた、という報道
2000年代の前半に、別の報道が出た。2002年に愛知県で銀行強盗未遂の現行犯として逮捕された、70代の男がいる。この男が1997年に大阪の信用金庫で起こした強盗未遂の弾丸の線条痕が、八王子の現場の弾とよく似ているという内容だった。
線条痕とは、弾が銃身を通るときに付く細い傷のことだ。同じ銃から撃たれた弾は、似た傷を持つ。男が事件当時、八王子の周辺に住んでいたことも指摘された。
男は拳銃を使った強盗を繰り返し、警察庁長官狙撃事件でも名前が挙がった人物だった。ただ、八王子の事件への関与は、手記の中で全面的に否定している。
のちに大阪地方裁判所は、男の実名を挙げて殺しに手慣れた人物と決めつけた週刊誌の記事に、真実と信じる相当な理由はないと判断した。2007年7月のことで、名誉毀損が認められて、80万円の賠償が命じられている。報道は、明らかな先走り。
大連の拘置所で、4日間の聴取が行われた
2009年の夏、中国で捕まっていた日本人の死刑囚が、八王子の事件について知っていることがあると、現地の公安当局に話したと報じられた。この男は、日本各地の9つの都県で資産家の家ばかりを狙い、強盗を17件重ねた日中混成強盗団の中心人物で、被害額は約6億円にのぼる。
警視庁は動いた。9月に捜査員を中国へ送り、死刑囚に会って話を聞いている。時効の期限が、翌年の7月に迫っていたからだ。日中の刑事共助の条約を初めて使った聴取は、大連の拘置所で4日間続いたと伝えられる。
死刑囚は、自分は関わっていないと述べた。そのうえで、日本で一緒に強盗団にいた中国人の男が、八王子の事件の詳細を知っていたと話す。仲間のあいだで事件が話題になったとき、その男が詳しかったというのだ。
死刑囚は、2010年4月9日に大連で刑を執行された。聞き出せることは、もう増えない。残されたのは、ひとりの中国人の男の素性だった。
トロントの食料品店で働いていた男
警視庁は、その男の素性を突き止めた。福建省の出身で、1994年4月に日本で不法滞在が見つかり、いったん強制送還されたが、同じ年の夏ごろに再び密入国したという。
日本では、中国人の強盗グループの一員として動いていた。2002年4月に、日本人男性名義の旅券を不正に使って出国し、2006年10月には、難民としてカナダへ移っている。のちに永住権を得て、トロントで妻子と暮らし、食料品店で働いていた。
別の事件で捕まった日中混成強盗団の元メンバーは、こう証言したと報じられている。この男は八王子の事件の前に、スーパーの現金の保管状況といった内部の情報を、別の中国人に流していた、と。
日本は、旅券法違反の容疑で逮捕状を取り、カナダへ身柄の引き渡しを求めた。カナダの裁判所は2012年9月10日に引き渡しを認め、2013年9月には、控訴も退けられた。
旅券法違反だけで裁かれた男
2013年11月、男の身柄はカナダから日本へ移る。このとき日本側は、旅券法違反以外では男を拘束も起訴もしないこと、日本での手続が済んだあとに中国へ引き渡さないことを、カナダ側に約束していた。
12月5日に、男は旅券法違反で起訴される。八王子の事件については、供述が得られなかった。2014年9月18日、懲役2年、執行猶予5年の有罪判決が言い渡された。
翌19日、男はカナダへ強制送還となる。事件との関わりを示すものは、ここで途切れる。男を実行犯だと断じる材料は、公表されていない。
条約を初めて使い、海を越えて追った線だった。けれど手元にあったのは、強盗団の元メンバーの話と、死刑囚の言葉だけで、物証にはたどり着けなかった。ここが捜査の壁。
似た拳銃は、2009年に押収されていた
もうひとつ、拳銃をたどる線がある。2009年1月に、覚醒剤の営利目的所持で逮捕された暴力団組員の男が、1丁の拳銃を持っていた。当時43歳。
この拳銃の線条痕が、八王子の現場で見つかった弾の傷と、極めてよく似ていると分かっている。男は取り調べに、拳銃は2009年5月ごろに手に入れたと話し、購入先は言えない、とも述べている。
報じられたのは、2020年7月。事件から25年がたっていた。警視庁は、男自身が事件に関わった可能性は低いと見ているが、この拳銃が使われた疑いは残るため、交友関係を調べている。
線条痕は、決定的な証拠にはなりにくい。銃身の傷やさび、年月の劣化でも、特徴は変わってしまう。似ていることと、同じ銃だと証明することのあいだには、大きな隔たりがある。
時効の7月を、法律が先に飛び越えた
事件から15年となる2010年の7月。この月が、殺人事件の公訴時効の期限だった。捜査員たちは、海外まで足を延ばして、その日をにらんでいた。
ところが2010年4月27日、改正刑法と刑事訴訟法が施行される。殺人や強盗殺人のように、最高の刑が死刑にあたる罪の時効が、廃止されたのだ。すでに起きた事件にも、さかのぼって適用された。
八王子の事件は、時効の崖の手前で、期限のない捜査に切り替わった。捜査特別報奨金の対象事件にも指定されている。犯人を特定できていない事件のなかでは、発生が最も古い部類に入る。
期限は消えた。それでも、犯人はまだ見つかっていない。
20時56分の若いカップルと、吸い殻の女性
事件から23年目の2018年7月、警視庁は2つの新しい情報を公開した。ひとつ目は、閉店間際の店で買い物をした若いカップルの話だ。
2人は事件当日の午後8時56分ごろ、青果3点、もやし、ハム、焼きそば、お好み焼きの計7点を、税込1754円で買った。そのあと、駐車場の白いセダンに乗って去っている。身元は、今も分かっていない。事件の直前に、犯人を見たかもしれない人たち。
ふたつ目は、事務所の灰皿だった。口紅の付いた吸い殻が残されていて、従業員や出入りの業者とは一致しない女性の遺伝子型が検出されている。事件の前に事務所へ出入りしていた女性と見られる。
この女性も、見つかっていない。事件当日には、いくつもの不審な人影が目撃されていた。店をのぞき込む中年の男、何も買わず売場をうろつく中年の男、閉店後の外通路で車のライトを避けるように顔を背けた男。どれも、犯人へつながる線にはならなかった。
店はひまわりと名を変え、駐車場になった
事件の舞台になった店は、その後、ひまわりという名前に変わっている。1998年に閉店し、建物は取り壊されて、跡地は今、駐車場になっている。
2025年の夏には、事件から30年を迎えて、警視庁が八王子の駅で、現場の写真が入った扇子を配って情報提供を呼びかけた。捜査は、いまも継続中。
指紋の一部も、粘着テープの遺伝子型も、似た線条痕を持つ拳銃も、すべてが途中まで届いて止まっている。526万円は、最後まで金庫の中。
