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その階段は、物置になっていた――歌舞伎町ビル火災、四階に残された12分間と、犯人不明のまま5人が有罪になった理由

幅70センチの階段に、制服が150着あった

2001年9月1日の未明まで、その階段は物置だった。幅は70センチほど。45リットル入りのゴミ袋が5つ、衣装ケースが3箱、店の制服が約150着、ジュースのタンクにビールケース。毎日新聞の整理では、ほぼ隙間なく置かれていたという。

3階から2階へ下りる階段も同じ状態で、ビル内の荷物とゴミは合わせて約250キロにのぼった。3階のエレベーターホールには、階段をふさぐように発泡スチロール製のつるし看板まで下がっていた。看板の狙いは、物品を客に見せないことだ。

日本防火・防災協会の連載は、従業員の証言として、人が通るのも難しい状態だったと書く。階段は日常の通路に使われず、上下の移動はエレベーターで済んでいた。階段は、使われない場所だった。

建物の側から見ておく。場所は新宿区歌舞伎町1丁目の明星56ビルで、間口は約5メートル、奥行きは約16メートル。階段は屋内に1か所だけで、各階の踊り場はエレベーターホールを兼ねていた。

細かい数字は資料で揃わない。延べ面積は、建築学会の速報で約498平方メートル、防火協会の連載で516平方メートル。階数も地上4階と5階の両方がある。屋上に届け出のない事務所が増築されていた、と速報にあるので、差はそのあたりから来るのかもしれない。

火事の2年前に、新宿消防署はこのビルを査察していた。1999年10月のことで、指摘は8項目にのぼる。防火管理者も消防計画もなく、3階から4階の階段室には商品が置かれ、3階には避難器具がなかった。

翌2000年2月に改善の報告があったのは、防火管理者の選任と訓練だけだった。しかも地下2階と3階の店に限られる。残る6項目は直らないまま、ビルは営業を続けた。

「3階から人が落ちた」という通報が先だった

午前0時59分、救急に「3階から人が地上に落ちました」という通報が入った。場所は、新宿区歌舞伎町1丁目の明星56ビル。毎日新聞によると、1時1分には「火事ですよ。ビルが燃えています」という119番も続いた。

覚知は1時1分、鎮圧は5時36分、鎮火は6時44分。金曜から土曜へ変わる、週末の夜だった。出火の時刻は分かっていない。毎日新聞の概要欄は0時50分ごろ、消防の資料は「時刻不明」と書く。東京消防庁の概要を転載したサイトによれば、出動は消防車両101台、人員は消防団員を含めて361人だった。

最初に火に気づいたのは、3階の店長だった。防火協会の連載は、消防の報告書をもとに、従業員の証言をこう整理している。店の奥の調理場で煙のにおいに気づき、出入口のドアのすき間から黒い煙が入るのを見た。「エレベーターホールで誰かたばこでも吸っているのか」と思い、ドアを開ける。

開けた瞬間、真っ黒な煙が天井から降りてきた。何秒もしないうちに、店内は煙で満ちた。店長が「バケツに水をくんでこい」と叫んだときには、もう消火できる状況ではなかったと、従業員は語っている。

店長は事務所の窓から飛び降りた。調理場にいた従業員2人も、日ごろ使う厨房の窓から出た。3階の生存者は、この3人だけ。全員が負傷している。残りの人々は、煙が入ってきた入口とは反対の、店の奥へ向かって倒れていた。

3階の店はゲーム麻雀の店で、店内には25台のゲーム機が所狭しと並んでいたという。客の多くは画面に集中していて、異変に気づきにくかった、と防火協会の連載は推定する。確かめようのない話ではある。

駆けつけた特別救助隊の隊長は、毎日新聞が紹介する証言で、ビルから上がる黒煙はわずかで「大したことない火災だな」と感じたと語っている。ところが、先に入った隊員から「3階に逃げ遅れが20人ほどいる」と知らされた。熱くて進めないと、隊員が次々に引き返してきた。

階段の荷物が邪魔をして、隊長が3階の店に着くまで、約15分もかかったという。タイルに水をかけて温度を下げ、荷物の隙間に足を入れて上ったという。奥の厨房の排煙口の近くには、十数人が折り重なっていた。17人を運び出したが、助かった人はいない。

在館者は3階と4階で47人。死者は44人、負傷者は3人で、ここまでは各資料が揃う。割れるのは内訳だ。3階が16人で4階が28人とする資料と、3階が17人で4階が27人とする資料がある。男女も、建築学会の速報だけが「男35人」と書くが、女12人と足すと47になってしまう。

4階には、12分間の余白があった

4階にいたのは、客11人と従業員16人の計27人。全員が亡くなっている。一酸化炭素中毒だったため、当初の報道は、煙が入ってまもなく意識を失ったのだろうと見ていた。

その見立ては、のちに崩れた。0時55分から1時7分までの少なくとも12分間、店内の複数の従業員から、119番通報か、通報の依頼があったからだ。依頼は、無線で店の外の客引きに出されたものも含めて、計5件。連載は、この12分間を、別の避難手段があれば十分に逃げられた時間だったと書く。

日本放送協会の番組を紹介した記事は、消防に残された声として、「早く来てください。怖い」「逃げられません」といった言葉を挙げている。放送そのものは確かめていない。通報の記録が残っている、ということまでは言える。

逃げ道は、本当になかったのか。4階の表通り側には、非常用進入口と、緩降機という避難器具があった。ところが進入口は、大型のビニール製の宣伝用テントに覆われていた。裏側の排煙口は、化粧用の内装材のせいで内側から開けられない構造だった、と報告にある。

緩降機は使われなかった。連載を書いた大学教授は、従業員がその存在を認識していなかったのかもしれない、と推測している。階段室の側に体を向けて倒れた人が少なくない、という指摘も、建築学会の速報にある。

隊長は、4階にも「まだ20人ほど残っている」と告げられた。隊員の体力は限界だったが、階段を一段ずつ上ったという。足が上がらず、膝を手で持ち上げながら上る隊員もいた。

4階の店に入ると、燃えた跡はほとんどなかった。大勢の人が倒れていて、床に残った酸素を求めたのか、床をはうような姿の人が何人もいたという。建築学会の速報は、4階のほとんどは燃えたのではなく、煙で汚れ、高温の煙で器具が変形しただけの「煙損」だと書く。4階から27人を運び出したが、結果は全員の死亡だ。

法令の側にも穴があった。建築基準法施行令は、キャバレーやバーなどに、直通階段を2つ以上つくるよう定めていた。4階の店がこの用途に当たれば、階段はもう1本要る。国はのちに、その可能性が高いとの見方を示している。

ただ、当時は風俗営業の形が変わっていて、条文が名指しした業態に収まらない店が増えていた。名前の付かない店は、規制の外にいた。火災のあと、国は新しい形態の店にも二方向避難を求める改正を行っている。

救出の現場には、犠牲者の携帯電話が残っていた。毎日新聞によれば、活動中に何度も鳴り響いたという。心配した家族や知人からの着信とみられる。

閉まるはずの扉は、物に止められていた

3階と4階には、階段室と店のあいだに防火戸があった。煙感知器と連動して閉まる鉄の扉で、ふだんは開けてある。煙を感知すれば、自動で閉じる仕組みだった。

閉じなかった。階段やホールに置かれた物と、つるし看板が、扉の回転する面をふさいでいたからだ。消防庁の答申は、防火戸が閉鎖しなかったために、急激に火煙が店内へ流入したと整理している。

警報も鳴らなかった。判決が認定した事実の中に、非常ベルの電源スイッチが切られていたことがある。3階の店では、感知器が二重天井の裏に隠れていた。安全心理学が専門の大学教授は、操作盤の機能スイッチが「停止」のまま、ほこりをかぶっていたと書く。

防火戸が閉まっていたら、何が変わったのか。火災の2か月後、東京消防庁の消防科学研究所は、消防研究所の協力を得て実験に入った。取り壊し予定の都営住宅を改造して、実大規模でも燃やしている。

報告の要点はこうだ。扉が閉じていれば、煙は完全には止まらないが、居室へ入る量はごく少なかった。開けておくと、数分以内に黒煙が居室に満ちた。ビールケース1個を燃やしただけで、階段側の温度は195度に達している。階段からの避難は、その時点で無理だった。

遺族が2003年2月に起こした民事訴訟の訴状は、扉が正常に閉まっていれば、致死量に達するまで約20分かかったと主張した。新聞はそう伝えている。4階の12分と並べてみると、数字の重さがよく分かる。

もう一つ、当初は謎だった点がある。3階の踊り場で、ガス管がメーターの部分から外れていた。消防が着いたとき、元栓は開いていたらしい。外れたのが出火の前か後かは、建築学会の速報の段階では分かっていなかった。のちの判定書は、出火原因としてのガスを否定している。

出火原因の欄は、いまも「疑い」のまま

東京消防庁は、2002年12月に火災原因判定書を出した。結論は「放火の疑い」。出火箇所付近は出入りが自由で、大量の可燃物があり、人目につきにくい場所だった、というのが理由だ。

ただし判定書は、そこで断定を止めている。「確たる物証は認められず、断定はできない」。たばこも、可能性は低いとしつつ、出火箇所の近くに吸い殻があったため、完全には否定していない。電気、ガス、自然発火は否定した。

警視庁の捜査は、人を追った。火元付近に火の気がなかったからだ。3階の店の従業員は、出火の20から30分前にドアを蹴って帰った男の客がいた、と話している。約10分後には、別の客がホールに出て携帯電話をかけ、すぐ店に戻った。この2点から、出火の約10分前まで、ホールに異常はなかったとみられている。

店の会員名簿は、ほとんどが偽名。それでも約50人を割り出したが、事件につながる話は出なかった。ストーカーまがいの行為をしていた男の情報、別の店の看板に火をつけた男の情報も、浮かんでは消えた。聴取した関係者は、延べ3000人を超える。

日本放送協会の番組を紹介する記事は、捜査が約200人態勢だったこと、出火中のビルから歩き去る人物の目撃証言があることを伝えている。どちらも、犯人の特定にはつながっていない。

初めは、ガス爆発説もあった。のちに、店の破損が小さいこと、ガスのにおいに気づいた証言がないことなどから、否定的な見方が強まる。毎日新聞は、密閉状態でくすぶっていた火に新しい空気が入って爆発的に燃える、バックドラフト現象の可能性を挙げている。

2026年の放送を受けた取材班の記事によれば、当時の捜査一課長や幹部は、すでに亡くなっていた。話を聞けた捜査関係者の記憶も、断片的だったという。2025年5月には、東京新聞が、東京地検が判決文以外の確定記録を保管期間の満了で廃棄していたと報じた。警察は、放火殺人の可能性を視野に捜査を続けている。

犯人のいない裁判で、被告席は埋まった

2003年2月、警視庁は6人を業務上過失致死傷の疑いで逮捕した。ビルの所有会社の実質的な経営者と社長、3階の店の元実質的経営者と元現場責任者と元店長、4階の店の元経営者。3月に起訴され、7月の初公判では、全員が起訴内容を否認した。

実質的な経営者は「管理は社長に任せていた」と述べ、社長は「出火は予見できなかった」と述べた。弁護側の骨組みは、放火犯の行動までは予見できず、不可抗力だった、というものだ。放火なら、悪いのは火をつけた人間。筋は通って聞こえる。

2008年7月2日、東京地裁は、その筋を採らなかった。裁判所は、火災の発生そのものを予見するのは難しかった、と認めている。そのうえで、防火戸が正常に閉まるよう維持管理していれば、死傷者は出なかったと指摘した。

裁判は、出火と被害を切り離したわけだ。火をつけたのが誰かは、問われていない。問われたのは、火が出たあとの建物が、人を逃がせる状態だったかどうかだった。

判決概要を紹介した論稿の要旨は、特徴を3つ挙げる。建物を使っていない所有者にも、管理権原者としての責任を認めたこと。放火であっても、防火管理上の注意義務を問われること。捜査機関が実質的な経営者を認定したこと。

判決が並べた不備は多い。階段の物品、切られた非常ベル、二重天井に隠れた感知器、止められた防火戸、テントで覆われた進入口、4階の店以外になかった避難器具、ふさがれた排煙窓。消防の検査で指摘されても、改善しなかった。

量刑は、4人が禁錮3年で執行猶予5年、1人が禁錮2年で執行猶予4年。3階の店の元現場責任者は、経営者を補佐するだけで重要事項の裁量がなかったとして、無罪になった。判決は一審で確定している。

言い渡しのあと、裁判長は被告らに語りかけた。金銭を払うことより、これからも被害者の冥福を祈り、遺族の気持ちに応えていくことが重い、という趣旨だ。毎日新聞によると、6人は傍聴席に頭を下げた。

民事の和解は2006年3月に成立した。33遺族が加わり、会社側は犠牲者1人あたり約2400万円を支払う内容だったという。提訴の席で、遺族の一人は、見舞金200万円の申し出を断ったと話した。関係者は誰も謝罪に来ない、とも。

ビルは、和解で仮差押えが取り下げられたあと、2006年に解体工事が始まった。跡地には新しい建物が建ち、2022年には韓国料理店が営業していた。

「入口を狭くするため」に置かれたビール箱

ここで、筆者の見立てを書く。根拠は、直前までに並べた事実だ。階段は誰も使わなかった。看板は客の目を遮るために下がり、1999年の指摘は6項目が直らなかった。

置いた側には、それぞれ小さな理由があったらしい。防災関係のサイトが当時の報道をまとめたところでは、従業員は防火戸の前にビール箱を置いた理由を、入口を狭くして不審者を店に入りにくくするためだと話したという。

3階の窓については、ふだんの錠とは別の錠が付いていて、鍵は従業員だけが持ち、換気で開けることもほとんどなかった、という報道もある。窓の錠も、入口のビール箱も、語られているのは防犯の理由だ。

ビルの持ち主の側にも、事情はあったらしい。同じサイトによれば、3階も4階も、所有会社と契約した名義人が、実際の店の経営者に又貸ししていた。所有会社は1998年1月に競売でビルを取得していて、テナント関係者の話として、前の所有者は避難器具や階段の物について、文書でたびたび警告していたという。

筆者の見立ては、こうなる。この階段の物は、悪意で積まれたのではない。通路として使われない場所に、店ごとの都合が少しずつ積もっただけだ。誰も全体を見ない構造のなかで、44人分の逃げ道は、少しずつ削られていった。

消防庁の答申も、似た構造を認めている。階段などの共用部分は、防火管理に責任を持つ管理権原者が、必ずしも明確でない。違反の処理も、現実には行政指導が中心だった、と。

安全心理学の教授は、費用を払う側とリスクを負う側が一致しない点を挙げる。家賃が高く、入れ替わりの激しい繁華街で、いずれ出ていく店が、全体の防火に手間をかける理由は薄い。同じ町では1973年にも、たばこの不始末で雑居ビルが燃えて1人が亡くなり、東京消防庁はすでに違法な内装と防火管理の不備を警告していた。

「物を置くな」が条文になった

火災の翌々日の9月3日から10月31日まで、東京消防庁は、類似の4169棟に緊急特別査察を行った。消防庁が全国で行った一斉検査でも、小規模雑居ビルの9割を超える建物から、何らかの違反が見つかっている。このビルだけの話ではなかった。

2001年12月26日、消防審議会が答申を出し、翌2002年に消防法が改正された。1974年の改正以来、28年ぶりの大きな見直しだったと、防火協会の連載は書く。施行は10月25日だ。

消防庁は改正の内容を、違反是正の徹底、防火管理の徹底、避難と安全の基準の強化、罰則の見直しと説明する。念のため断っておくと、どれも、このビルで起きたことの裏返しになっている。

立入検査の時間制限と事前通告は、なくなった。夜に開く店へ、夜に入れるようになったわけだ。物を除かせる命令は、署長だけでなく、現場の消防吏員にも出せる。措置命令を出せば、公示も義務づけられた。

罰則は、命令に違反した個人で、1年以下の懲役か50万円以下の罰金から、3年以下の懲役か300万円以下の罰金へ。法人は、50万円以下から1億円以下の罰金になった。

条文にも、あの階段が刻まれた。第8条の2の4は、避難上必要な施設に、避難の支障になる物件が放置され、みだりに存置されないよう管理せよと定める。防火戸についても同じだ。階段の荷物と、閉まらない扉、その2つが、そのまま文章になっている。

設備の基準も変わった。複合用途の建物は、自動火災報知設備の義務が、延べ500平方メートル以上から300平方メートル以上へ広がった。階段が1本の特定の建物には、再鳴動機能の付いた報知設備と、簡単な操作で連続して使える避難器具が求められる。点検報告の制度は、2003年10月から動き出した。

二十五年目の査察で見つかった369件

東京消防庁は、火災の9年後の2010年にも、雑居ビルの一斉検査を行っている。連載を書いた大学教授の整理では、避難の障害や設備の違反は減った。一方で、テナントの無届けの入れ替わりや、消防計画の不備など、防火管理の違反は高いままだ。

2009年11月には、杉並区高円寺南の小規模雑居ビルで、飲食店から出火して4人が亡くなった。東京消防庁は、歌舞伎町ビル火災以降で最も死傷者の多い小規模雑居ビル火災だったと説明している。違反のある建物の情報を都民に示す公表制度は、2011年4月から運用が始まった。

2025年、新宿消防署は、歌舞伎町と新宿3丁目で不特定多数が出入りする695棟に、立入検査を行った。朝日新聞によれば、違反は369件。2019年の629件からは減ったが、階段に物を置く違反と、防火戸の閉鎖を妨げる違反が目立ったという。

695棟のうち約200棟は、歌舞伎町にある特定一階段等防火対象物、いわゆる特一だ。地下や3階以上に飲食店などが入り、階段が1つしかない建物を指す。あの火災のあとにできた区分だと、同じ記事は書く。

2021年に大阪市北区のクリニックで26人が亡くなった放火殺人の現場も、特一だった。国は、2022年に査察のマニュアルを改めた。ただ、全国にいま特一が何棟あるのか、違反がいくつあるのかは、把握していない。

2026年8月31日の夜、現場の跡地に、娘2人を亡くした母親が来た。毎年、慰霊に訪れている。この年は、犠牲者の数に合わせて、4400羽の鶴を1人で折って供えた。

出火原因は、25年たっても分からない。母親は産経新聞の取材に、原因をずっと考えてしまうが、いまさら調べて分かるのか、と話した。長女が生前に口にした「建物の階段は荷物でいっぱい」という言葉を、いまも思い出すという。

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